ココにいること
昇れない女と堕ちた女が邂逅するお話。
ココにいること
揺れる蛍光灯をぼんやり眺めて、アイスクリームを食べる。美味しい。古いラブホテルのがらんどうの部屋、男は風呂を浴びている。
「このまま逃げてやろうか」
そう悪魔が囁いたりもする。けれど、男は戻ってきてガハハハと高笑いだ。高笑いの後はプレイ、というかセックス。ガツガツガツガツ、激しいのはいいが加減がほしい。かってに果てた男から料金をいただき部屋を去る。シャワー、そんなものは後で浴びる。
今はこの部屋からすぐに出たい
事が終わった後、ホテルを出ると日が眩しかった。男にもらったタクシー代で家へさっさと帰る。雑然としたした部屋。ビールの空き缶が転がる。ワンルームの経屋でマルボルをふかす。昇りゆく煙が絡み逝き日光に照らされる。点けたテレビからは馬鹿げた朝のバラエティーが垂れ流れてる。なにもかもバカバカしい。自分のことを考えると悲しいのか情けないのか、どうしようもない気持ちになる。汚らしいおやじに抱かれてもなにも感じない自分、その金で生き長らえる自分。窓の外では出勤途中の真面目な清廉な大人たちが駅に向かって歩く。鳩が羽ばたく。今日もまた朝からまどろむのか。
たばこを吸いながら、横になる。何故か情けない気分になる、哀しいのか狂おしいのか、どういう気持なのかわからない。今までの人生はろくでもないといえば、ろくでもない。高校卒業した後、まずはスナックで働いた。お酒も好きだったから、楽しく過ごしたもんだ。お客さんにも結構気に入られてて、悪い環境じゃなかった。そんな感じで楽しく過ごした。ふと、何度かきたお客さんが、
「ココちゃんバイトしない? 結構お金もいいよ?」と振ってきた。
「なんですかーそれ?」
アタシは聞き返す。
「簡単なバイトだよ。楽らく」
オッサンは笑う。
「じゃ~話しだけ聞ときますね」
紹介されたのは煤けたラブホテル。おっさんがついてきてくれて、「このホテルの402号室な」
言われたとおり部屋に行くと、半裸のおっさんが待ってましたと元気に立ち上がる。後はなすがまま。おっさんに身体になめられ、しゃぶらされ、入れられ、そんなことが延々と続く。へとへとになって3万円もらって帰る。下りのエレベーターが妙に寂しい。この日からスナック兼身売りの日々が始まった。楽で
はないがそんなに嫌でもない。出会う男の人は千差万別。オジサンも多いが若い人も
いる。荒い人は嫌だけど、優しい人はとことん優しい。個性の世界だ。スナックも身売りも、いろんな人と出会える意味では楽しい。アタシはひとりぼっちだったから、少しでもいろんな人の話が聞きたい。世界が観たい。空が観たい。伸ばした手のひらで空を掴む、なにも掴めない。さびしい。
ふと気づけば午後三時。ずいぶん眠ったようだ。”今日は何をしようか”そんなことを思うが、きっとなにもしないのだろう。テレビからは相変わらずくだらないワイドショー、いつまでも飽きないのだろうか? シャワーでさっと髪を洗う、ボブカットなので簡単に洗える。髪を乾しつつ自分の顔を見る。二重はまあいいが、平凡な顔だ。化粧の仕方もいまいちわからない。スッキリしたところで、ヨーグルトを食べる。特に健康に気を使っているわけではないが日課だ。ボーっと、ワイドショーを眺めつつ、化粧をする。ファンデーションにアイシャドウ、マスカラにチーク、ルージュ、そんな時に電話がなる。いつもの男だ。とりあえずの装備をつけていつもの場所へ向かう。
スエットに身を包んだ男はおもむろにアタシを抱きしめる。激しい息遣いが忌々しい
。シャワーも浴びずベットに押し倒すと荒々しくあたしの胸をまさぐる。気持ちよくもなんともないただ肉が揉まれる感触が身体に伝わる。アタシの陰部を攻める。こっちは濡れてもいないのに。舌で舐めまわし無理やり攻める。こんなことの繰り返し。
男がなにも言わず挿入する。”デリヘルなのにな~”まあ、ゴムもつけてるし、すぐイクだろうからこっちのが楽でいい。果てた男はシャワーを浴びて万券を数枚払うと眠りについた。アタシは、そそくさと帰りの支度をして部屋を後にする。シャワー? 面倒くさいから浴びやしない。
出張型のデリヘルはほぼタコ部屋である。女の娘はみんな待ち時間はスマホをいじって、暇をつぶしている。指名が入る娘はとことん入る。予約もすごい。でも、入らない娘はフリーの客に行かされてチェンジで帰ってくる。でも、そういう娘はそういう娘で面倒見がいいというか、気が利くというかいい感じに有能だ。ココは指名はそこそこあるが、どっちかというと姉御肌で面倒見がいい。OLやらアルバイトと兼業の娘も多いので、その辺のアドバイスも気が利く。店長からも信頼がなかなか厚く、店を代表する嬢だった。その日も指名が入った。
数カ月前の客だ。太ってオタク臭い容姿だった。送りの車で20分程度先のハイツに向かった。部屋のインターホンを鳴らすとブリーフとTシャツの太った男が出てきた。
「しゃぶっくれ」
そう言うと、ブリーフを下げて怒張したペニスを無理やり座らせたアタシの口に押し込んだ。洗ってない恥垢だらけのペニスは悪臭を放って正直吐き気がする。無理やり口から引っこ抜き
「あんたなにすんだ!」と叫ぶ。
男は「チンポしゃぶるのが仕事だろ! こっちは金払ってるんだ!」
フケだらけの頭で男は怒鳴る。
「金なんかいらねえよ! 帰るわ!」
ドアを開けて帰ろうとすると、男が殴りかかってきた。アタシはカウンターで鼻に一撃食らわせた。ナメんな、こっちはレディースやってたんだよくよクソデブが。迎えの車に乗り込む。無言。細かいことは事務所で話そう。クビかもなぁ。
「さすがに客殴っちゃダメだよ」
店長が促す。
「でも、あいつひどかったから、殴りかかってきたし……」
しおらしい態度を見せる。
「ま、ケツ持ちが解決してくれたから、またがんばってよ」
「ありがとうございます~」
店長の優しさにちょっと惚れた。
「しかし、ココちゃん強いね、あんなデブ一撃でぶっ倒すなんて」
「いえいえ、たまたまですよ」
さすがにレディースの話は言えない。”紅天女”地元でも最強の武闘派チームだった。男のチームにも負けない、そんな女がデリヘリ嬢なんて不思議なも
のだ。
「ココさん客ぼこったんですって」
ナンバーワンのアケミが声をかけてきた
「ヒドい客だったからね、一発食らわした」
「ココさんなんか渋いですよね。女の娘もみんな憧れてますよ」そんな、渋なんて言葉が似合う女じゃない、ただのヤンキー上がりのデリヘル嬢。この子は無邪気にそんな褒め言葉を言うがアタシの心には闇が
澱のように沈んでいる。
「ありがと。あんたもナンバーワンなんだから頑張りな。ね」
いつからだろう、心と心が向かい合わなくなったのは。デリヘルの仕事のせい? そうでもない。人との会話に違和感を感じる。友達はいない。親しい人もいない。ただ日々を潰すだけの人生。空を眺める。雲が空を流れ行く。少しだけ涙がでる。どこへ行けばいいんだろう。だれと出逢えばいいんだろう。答えは藪の中。ただただ寂しい。
夜の街を歩く。目的なんてない、ただただ歩く。
「姉ちゃん、暇だったら飲みに行かないかい」
酔ったサラリーマンが声をかけてくる。アタシは無視してただただ歩く。
歓楽街。立ち飲み屋やら焼き鳥屋やらビジネスホテルやらごちゃごちゃ入り組んでいる。少しだけ温かいものが食べたくなってきた。”チューハイ200円”まあここでいいか。古びた居酒屋に入る。カウンターに通されると若い女の子の店員がメニューを聞かれる。
「じゃー、チューハイとえっと、揚げ出し豆腐と肉じゃがで」温かい惣菜を頼 み、すぐに運ばれてきたチューハイを煽る。炭酸がきつめでなかなか美味しい。
下町の味だ。カウンターには、ほどよく酔った酔客が3人ほどビールやらチュ‐ハイを飲みつつ談笑していた。一人の年の頃なら50歳くらいだろうか、オジサンが話しかけてきた。
「一人でこういう店で若い女の娘が飲んでるのも珍しいね」そう言ってガハハと笑う。とはいえ、アタシはそんなに若くもないのだけれど
「いや温かいものが食べたくなって、たまたまこの店見つけたんですよ~」 そう言って微笑む。
「そうかぁ、この店は何でも美味しいよ。あ、ちょうどいい、おでん食べな、食べかけだけど」おじさんの食べ差しのおでんを頂く。
「あ、美味しい。大根も味がしみてて、練り物も美味しい」ほんとうに美味しい、驚いた。
「そうだろ、大根はふろふき大根みたいに丁寧に仕上げてるし、練り物は谷中の専門店で仕入れてるんだよ」そんなこんな話してる間に揚げ出し豆腐と肉じゃがが到着した。揚げ出し豆腐は大根おろしがかかっていて、とろみの付いた出汁がかかっている。一口食べて美味しいとしか言えない代物だ。みりん・醤油・酒バランスがバッチリだ。彩りの絹さやがまたよい。この店は出来る。日本酒を飲もう。
「店長、八海山お願いできます」肉じゃががまた美味しい、ただの肉じゃがに見えるが隠し味に昆布だしを聞かせている。人参・じゃがいも・豚肉絶妙な煮具合だ。味の濃さも濃すぎずちょうどいい。糸こんにゃくがいい味を出している。女の娘の店員さんが持ってきた八海山の升酒を煽りつつ、揚げ出し豆腐と肉じゃがを貪る。隣のおじさんが「飲みっぷりも食いっぷりもいいねぇ、これ飲みな」とお銚子を一本くれた。
「ありがとうございます~」満面の笑顔を返す。こんな出会いも少し癒しになる。ただただ一人で狂おしい夜を越えるよりはよっぽどマシだ。
おつまみと酒を飲んだ後、店を出て夜風に身を任す。家までもう電車はないだろう。
タクシーで2駅程度だし、大したことない。路肩でタクシーを待つと少し肌寒い。やっときたタクシーに行き先を告げるとどっと疲れが身体を纏う。家の前につく頃にはヘトヘトだった。どうしてこんなに疲れているんだろう。今日は仕事もしてないし、ただ繁華街をウロウロしていただけなのに。精神的的なものかなぁ。悩みはあるといえばあるけど、そんな大したものじゃない。もっと悩んでる人はいる。アタシの悩みなんてくだらないもんだ。さっきの飲み屋のおじさんだって、きっと隠してるけど悩みはあるのだろう。自分が超えられる壁があるなら越えたい。けれどその方法がわからない。ソファーに突っ伏してただただ叫ぶ。涙はどこに行ったのだろう。でも叫ばなきゃいられない。それしか、ない。
仕事は少し休むことにした。店長は残念がったが、どうにも精神的にも肉体的にも限界が来ている気がする。スマホで病院を探す。心療内科と内科をやってる病院が近所にあるらしかった。心療内科って、仕事場のリスカしてるメンヘルの娘が通ってたな。でも、アタシは疲れてる。とにかく飛び込もう。
思いのほか小じんまりした診療所。保険書を渡して、問診票に症状を書く。ゆったりしたクラシックがかかる待合室には患者さんが5人ほどいた。皆、頭を垂れてなんだか思いつめているようだ。アタシは問診票を書きながら、そんな人達を観察しつつ心療内科という空間の色を感じ取っていた。
「やっぱり、鬱とかの人が多いのかなぁ」
そんなことを考えていると、トイレから女の娘が出てきて、アタシから少し離れた隣りに座った。一瞬胸がドキッとした。色が白くて髪は黒髪、猫みたいな瞳で、とにかくかわいい。気が付いたら声をかけていた。「この診療所何度か来てるの?」突然の質問に彼女は「あ、えっと、もう1年くらい通ってるんです。ちょっと自律神経がおかしくて眠れなくて」そう言って彼女は笑った。とても魅力的な笑顔だ。
「アタシは初めて来たんだ。なんか気分が落ち込んじゃって。自分でも原因がわからなくて……」
少し考えた後彼女は
「そういうこと私もあります。理由はわからないんです。でも鬱とかでもないんです」
意外に大きな声でそういった声に待合室の患者が反応した。
「あ、ちょっと声大きかったですね」そう言ってペロッと舌を出す。アタシは
この子がとびきり好きになった。
「急でびっくりするかもしれないけど、友だちになってくれない」
彼女はきょとんとしながら、
「いいですよ。私友達居ないから嬉しいです」
その後、携帯の番号を交換して、お互い診察を受けた。アタシは鬱病一歩手前らしい。
そんなもんか。病院を出て彼女と待ち合わせをしてゴハンを食べに行く。彼女の名前はエミ。イタリア料理屋に行ったのだけど、エミは細いのにたくさん食べる、そして飲む。アタシから見ても結構な酒豪だ。お互いどうでも良い話題、テレビのこと好きなタイプの男の音楽のこと、とめどない話題が食卓を飾る。途中、エミの薬の話、というか診療所の話になった。元々は鬱持ちである程度良くなったものの自律神経が狂ってるらしく、睡眠や意識が不安定になるらしい。自分が病人、特にメンヘラーだとは思いたくないので、最低限の診療での治療を受けているらしい。強い子だ。自分のことも話すとするか。
「アタシは風俗、デリヘルってやつで働いてるんだ。でも、なんか最近精神的に不安定で、初めて心療内科に来たってわけ」
エミはアタシの目を真っ直ぐ見つめて。
「キツイ仕事だもの、それは心も体も壊れちゃうよ。無理しないで」
その言葉を聞いた途端、酔っているせいなのもあるけどなぜか涙が流れた。
「ありがとう。そんな言葉初めて言われたよ。ありがとう」
エミは頭を軽く振りながら。
「もう友達じゃん、そりゃ心配するよ。私の少ない友達だもの」
その日はパスタ、ピザ、ムール貝などなど、たらふく喰って飲んだ。ワインも赤白2本開けたな。エミの家はうちからそう離れてない。駅にしてひと駅。年は私より4つ下。でも、あんまり歳の差は気にならない。むしろ、アタシのほうがガキみたいだ。アタシももうすぐ三十路に手が届く。このままの生き方は続けられないだろう。ただエミという友だちができたことで、少し気持ちが暖かになった。明日からはうまくいく。きっと。
翌日、事務所に顔を出す。
「お、なんか元気いいね。最近落ち込み気味だったのがウソみたいだよ」
店長がニコニコ声をかけてきた。「まぁ、落ち込んでてもしょうがないしね。少しだけいいこともあったし。いっちょ、今日も仕事しますか!」
「勢いあるねぇ、ということでフリーの客入ってるから行ってきてちょーだい」
勢いで店長は仕事を振った。
「えー、どこ場所は?」
「そんな遠くもないよ。車で20分位かな」
「わかったー、行ってきますわ。人使い荒いんだから」
笑顔で悪態をついて仕事に出向く。部屋には長身の外国人。かなりのイケメンだ。
「日本語ちっとだけ、こういうのもお初です」
オロオロするイケメンととにかくシャワーを浴びる。体を洗ってやると「oops!」と大きなリアクション。なかなか面白い。イソジで口をゆすいで身体をふくとベッドへ。きた時は外国人のインパクトで気が付かなかったがモノトーンでおしゃれな部屋だ。何の仕事だろうか? まあそんなことはどうでもいい、ゆっくり覆いかぶさりプレイを始める。耳たぶ、乳首、股間と順番に攻めていくと、アメリカンなリアクションが面白い。敏感なのか声を出すのが好きなのか。大きいがなんだか柔らかいペニスを頬張ると、大声を上げて彼は果てた。
「……早漏だったのか」
しかし彼は直ぐにいい意味で大きい悪い意味でフニャチンを,アタシのあそこに押し付けてくる。だからうちはデリヘルなんだけどなぁ。一応ゴムだけつけさせ受け入れる。なんか、安いディルドをぶち込んだみたいな感覚だ。アタシを抱え上げ駅弁まがいの体位をした後、また果てた。とにかく早い外人だ。タイマーの時間はまだ20分は残っている。
「あなたとってもプリティーね。もっとお話したいよ」
「僕、赤坂でバーテンダーやってるから遊びに来てよ」「もっと色々君を知りたいよ」
イケメン外人はそう矢継ぎ早に話しかけてくる。
「この店なんだ、名刺。ジョンて言えばわかるから」
テンションの高いジョンをシャワールームで綺麗に拭き取る。
「じゃ待ってるからね~」
「ありがとうございましたぁ」
そう満面の笑みでマンションのエレベーターを降り送迎車に乗ると、窓をスッと開けもらった名刺を細かく破って捨てた。そんなもんは、今まで何十回もあった口説き文句。乗ったこともあったが虚しさしか残らない。事務所に向かう途中ドライバーさんに、
「あんたも結構長いよね」と声をかける。
「ええ、これしか仕事ないもんで」
50がらみの薄毛の男は照れくさく笑った。今日は東京タワーがやけにギラギラ光ってる。少しうざったい。
その日は都合4人お客についた。23時半に上がって、馴染みの店へ赴く。
「いらっしゃい~、ココ姫ー!」
テンションの高いガングロで髪型バッチリの男がお出迎え。いわゆるメンパブ。キャバクラの男版みたいなもんだ。ホストクラブほど敷居が高くないぶん入りやすい。お気にの子に眞露を烏龍で注いでもらい、仕事の愚痴やら最近のはやりの音楽の話なんかをだらだら喋る。どうしようもうない空虚な会話があたしの今の身体には心地いい。「ココさん初めまして、ヘルプで今日からつかせてもらう。
「ユウキっていいます」まだ、高校生位みたいな面影の短髪の若者はそう言って水割りをまた作ってくれた。アタシはからかうように、
「何日目?」そう聞くと「まだ6日目です」
緊張しながら返事をした。
「かわいいもんだな」
そう言って、アタシは酒を煽る。高い酒なんか飲まない。セットの眞露を烏龍茶で割るだけだ。この店は東京でも外れにあって、いわゆる下町だから庶民感覚で飲めるのが売りだ。とはいえ、チャージで6000円だけど。あたしは携帯を取りだしおもむろに電話をかける。
「……あ、もしもし」
眠気声のエミが電話に出る。
「エミ今飲みに出てるんだけど来ないかな?」
「あー、でも、眠くなるお薬飲んじゃったし。また直ぐ近いうちに遊ぼう」
ウトウトした声でそう答えたエミに、
「また遊ぼうね」と声をかけて電話を切る。
それからは、タガが外れたようにどんちゃん騒ぎだ。大して高い酒は入れてないがボトルも入れた気がする。
明け方、もう従業員が死にかけてる中、かき分けて朝日を見るとなかなか清々しい気分になった。向かいに松屋があったからとにかく入って定食を食った。吐き気もしたが、美味い。身体は少し生き返ってるのかな?
──私はどうやら本を読んだまま寝たらしい、日本に災害が起こって彼氏に一目会いにゆく少女の話だった。けれど、結末は眠りの中。私は毎朝体操をする。ラジオ体操ではないけれどとにかく運動するをしていると朝ごはん。ふきの煮付けにめざし、きんぴらゴボウ、お新香。「いただきます」と箸をつける。食事の後は今日は特に用事もないので部屋にこもってようかとも思ったが、、天気も良かったので自転車で荒川の土手まで走った。
防波堤から河までのひろーい草むらに転がるとなんだか少し自由になれた気がした。
携帯が震える。ココちゃんだ。
「もしもし」
「エミなにしてるかなって思ってさ」
色々心配してくれる人がいるのは嬉しい。
「河原でボーっとしてました」
「なにそれ、よしご飯食べに行こう。今日稼ぎいいからおごっちゃうよ!」
「あはは、じゃあ行きます~」
ココちゃんはバイタリティーの塊だけれど少し寂しそうな背中をしている。
どうにかしてあげたいどうすればいいんだろう。
待ち合わせ場所のブラジル料理屋は昔ちゃんが客に連れてきてもらって美味かったらしい、乾杯のラム酒を飲み干し、しばらくすると串にさした特大の肉を店員が持ってきた。
「これシュラスコ、ブラジルの名物料理。ストップっていうまで切りますよ」
確かにジューシーで美味しそうな肉が削ぎ落とされる。だけど量がすごい。
「ストップ」
と言っても遅くなりそうなので迷わず、
「ストップ!」
「お嬢さん小食ですねぇ、じゃあオマケ」
さらに、手のひら大の肉をまた乗せてくる。向かいではココちゃんも悪戦苦闘していた。
「あなたならまだ行けるはず、ほらほら」
結局私の倍近い肉を載せられていた。ラム酒のボトルを頼んで、二人で肉をモサモサ食べながらいろんなことを話した。ココちゃんの仕事の話や今の私の現状や一緒に旅行でも行きたいねとか遊園地もいいねとか、カップルみたいにはしゃいだ。肉はあんまり減ってない、減るのは酒ばかり。タクシーで帰る時、私はココちゃんの手を握った。ココちゃんも握り返してくれた嬉しかった。
「ココちゃんアタシなんかが友達でいいの?」
にっこり笑ってココちゃんは、
「むしろアタシがエミの友達でいいのかって思うほどいい子だよ」
涙が溢れた。人の言葉で涙が溢れるなんて何年ぶりだろう。
「ありがとうココちゃん。友達でいてね」
「当たり前じゃん、友達に決まってるよ」
そんなこんなで妙な感じでお互い家路についた。
「ココちゃん、大好きだよ」
──「店長今日の客最悪でしたよ、口でイカせられねえならなら生でやらせろとかし
つこくアナル舐めろとか。風呂も入ってないし不潔だし。今後あんな客回ってくるなら考えます」
ツカツカと事務所で今日の取り分を受け取る。
「そーいやアケミが飛んだよ」
「ナンバーワンだったのに?」
「どうやら、客の財布の金をちょいちょいくすねてたてたらしいんだ、でも、デリヘルだから客も警察に届けもできないってな」
そう店長はフッとため息。
「でもそれも限界が来ちゃってさ、組関係の客から抜いてバーン。終わり。どっか逃げちゃった。うちにも組の人間来たけどほんとに知らないからね、それで帰ってもらたってわけ」
「損害とか店にはあんの?」
「組の人間に一応詫び料として50万包んどいたわ」
やれやれと店長が天を仰ぐ。
「な~んか、あの子には稼がしてはもらったけど損したのか得したのかいまいちわかんないね」
「だねー。」
そういや今は午後4時なのに待機の女の子がいない。
「店長、待機の娘だれもいないじゃん」
「あー、今になっていうのもアレだけど店閉めようかと思って。ヤクザの件もあったしさ。まあ、潮時だったのかもな。ココちゃんにはとにかく世話になった、ほんとに。新人のだめな娘の教育もしてくれるし、トラブルも解決してくれる。客の付きはそこそこだったけど感謝してます。」
改まって頭を下げた店長。はじめて見た。
「アタシは、ココがいやすかったからいただけだよ、あはは」
「……ということで、閉店記念の退職金ボーナス。どや!」
すごい勢いで渡されたが、あんま厚い気はしない。
「じゃ、店長今日で店は終わりってことですね」
「せやな。」
「じゃ、いつかまた。」
帰り道封筒を開けてみる10万円。そこそこ入ってる、店長奮発したな。アタシがここで思ったこと。
このお金でエミと遊びまくろう、だった。
秋も更けた頃。久々に診療所を訪れる。あいかわらず、クラシックがゆったりかかった待合室に頭を垂れて物言わぬ人々が順番を呼ばれるのを待ち続けている。あたしはポータブルプレイヤーで音楽を聞きながら、のんびり自分の順番を待っていた。この場所に来るのも何度目になるだろう。10回はくだらない。順番が回りカルテを見つつ、現状説明をしつつ医者と話す。
「……躁うつ病じゃないのあなた? うちは躁うつやってないの!」
急に大声を上げる。唖然としながら、
「心療内科と書いてあったので来たんですが」
「でも躁うつはやってない」
その一点張り。
「自分より弱いやつしか相手できないならそう書いとけやぶ医者が」
帰りしなに看護師さんに深々とか頭を下げられたのが印象深かった。もともとそういう医者なんだな。
こんな時はエミに電話でもしよう。ワンコールで出た。
「ココさーん、今暇なんですかー」
待ってましたとエミのお返事。
「今超暇でーす」
「遊びに行きますかー」
「ブラブラしようか」
「いいですよー」
店長からの退職金があるアタシは今日は遊び放題だったりするのだ。
「アタシには臨時収入があるのだ、好き勝手エミと楽しんじゃお」
封筒から10万をむしり取って封筒を投げ捨てる。自分で言うのもアレだが姉御だねぇ。
午後3時に新宿で待ち合わせて、とりあえず千疋屋でフルーツを喰う。
「今日おごりだから気にしないでね」
その言葉を耳にマンゴーをぺろりと食べ終えた。
「あまーい」
無邪気にフルーツ盛り合わせを食べるエミは小学生みたいだ。とりあえずフルーツを食べると時間はもう4時。これからはアタシの時間だ。
「あんまり夜の新宿とか知らない」と不安がるエミを、まずはちょっとしアイリッシュパブにさそう。キャッシュオンデマンド方式で気軽なバーだ。ここで、本場イギリス風のフィッシュアンドチップスやシェパードパイを頼んであげたら彼女は美味しい美味しいと、アタシ以上に食べていた。魚のフライにお酢かけるなんて知らなかったと大喜び。とりあえず安牌でドリンクはギネスにしておいた。スコッチも何杯か飲んだかも。
時間は午後8時。程よい時間。突然聞く。
「エミはゲイの人苦手?」
「え、あ、苦手もなにも会ったことないです」
「じゃー今日はちょっとフレてみようかワンダーランドに」
「ええええええええ」
新宿2丁目。要はゲイの街と言われる場所だ。この中心にその店はある。オープンテ
ラス方式で、ゲイもノンケもOLもまじって飲んでる。カオスな店だ。店に近づくに連れ、仲睦まじい男性方も増えてくる。
「ほんとに、ダイジョーブなんですかー」
ちょっと涙目がかわいいエミ~大丈夫だよ。がやがやとオープンスタイルで盛り上がってる店。コロナ2本。
「OK」
ライムを差し込まれたコロナが渡された。エミをみるとぽかーんとしている。目の前で外国人のゲイカップルがディープキッスをかましてたのだ。新宿2丁目の洗礼を受けて、二人はコロナで乾杯をした。それから大変だったのは、酔ったエミへのレズからのアプローチ。確かに色白で細くて黒髪でって、日本的だけどかなりすごかった。アタシはほぼボディーガード。街に酔ったのか酒に酔ったの人種に酔ったのか眠り姫になったエミの頬を撫でながらコロナをグビリ。しかし元気な街だ。
エミが正気を取り戻したのは、午前1時。どんだけ寝てんだよ。とりあえずホスト行っても意味ないし、カラオケでも行こうかという話になった。
──「やさしいなぁ、こんなよっぱらいに」
私はそう思いつつ、ココちゃんが連れて行ってくれるカラオケへついていく。案内された部屋は40インチ位の液晶があって、オーダーは全部リモコンで出来るとか。しばらくカラオケなんか来てない私には異世界の出来事。ココさんが曲を入れた『歌舞伎町の女王』これはしってる、よく聴いてた。歌い出したココちゃんがまた上手。声に響きがある。ちゃんと巻き舌発音だし。これは上手い。上手すぎる。一方私は今更『あいのうた』charaの発音ってむづかしいんだけどなぜか。
「心に~心に~痛みがあるの 遠くで蜃気楼揺れて」
気が付いたら抱きしめられていた。エミ我慢しなくていいんだよ。アタシはすごく泣いてたようだ。辛かったのか悲しかったのか苦しかったの寂しかったのか。答えが全くわからないけれど抱きとめてくれる友だちができた。嬉しい。それからココちゃんは割とよく歌ってたけど、アタシはほぼ寝てた。飲み過ぎもあるね。ココのちゃんの歌声が最高に心地いい。
明け方目覚めると、ココちゃんはいない。どうしたんだろうとかばんを開けると、メモ帳の切れっ端に適当な地図で、ここが家と書いてある。わからなかったら電話ちょーだいって。メモに朝少し用事があったから早めに戻るね,カラオケの精算はしておいたよとのこと。いいお姉さん。ココちゃんのことを思って少し頑張れるかも。あたしってだめだから、ね。なんとも奇妙な地図を当てにココちゃんの家を探す。なんだか古びた住宅地に入ってきたよ。そろそろつくはずなんだけど。
「おーい」
頭の上から声がする。古い2階建ての民家の窓からお茶碗を抱えて声をかけてきた。「よくあの地図でわかったね、あがんなよ」
そういうと1階に降りてきた。
「おじゃましまーす」
引き戸を開けると、映画のセットみたいな古民家。
「びっくりしたろ、東京のど真ん中でこんなトコ住んでるなんて」
そう言ってココさんは満面笑顔。
「ここはさ、もともと爺さんの家で誰も使ってないから、アタシが間借りってことで住んでるんだよ。近くには谷中根津、上野だって歩いていける、下町も下町だよ」
その時さっと白い影が横切った。
「おまえなにしてたー」
猫だった。この通所谷根千と呼ばれるエリアは野良猫保護の一環で地域猫ということで皆で共同でかっているのだ。
「かわいー」
「あんまり油断すると喰われるよ、なんてね。いい子だよこの子は」
ナデナデしたら、お腹を見せてゴロゴロした。かわいい。
猫と遊んでいたらココちゃんが急になにか差し出した。
「近所のパン屋のあんぱんだ、食べなせ」
おっきなアンパン。噛みしめると端っこまであんこがたっぷり。これは美味しい。ハグハグ噛み締めていると白猫が姿を消した。
「モグモグ、白い子どっか行っちゃいましたよ」
「あいつは街猫だからまたどっか遊びにいったんだろうね」
そう言いながらアンパンを食べ切った。
「散歩でもしようか」
ココちゃんがにこりと笑う。
「うん、行きたい」
私もにこりと笑う。ココはここは根津という場所に位置しているらしく、南に向かうと上野に出るらしい。
「よし、上野に行こう」
和柄のTシャツがちょっと粋なココちゃんが勇ましい。アタシはトコトコついて行く。やっぱり猫が多い。坂を下ってまた登るともうそこは上野公園! 近い!
「とりあえず上野公園に登って、それからアメ横にでも繰りだすかい」
上野のお山は割と高くて息切れした、でも広くて綺麗だ。美術館なんかもたくさんあって、ワクワクする。
「動物園に行けばパンダもいるよ」
魅惑的なお誘い。でも矢継ぎ早に、
「アメ横にでも行って。飲んで喰ってしようよ!」
確かにパンダもいイイけど食い気には勝てない!
──連れ回してアメ横には来たものの、特にあてもなかったり~。まあ、ケバブでも喰うか!。
「オイシーヨ、サービススルヨ」
とりあえずひとつ頼んで二人で食べる。確かにボリューム満点だ。エミがガツガツ食べてて、店員さんに
「スッゴイネ」
と褒められる。
「美味しかったです」
とほっぺをソースだらけのエミをティッシュで綺麗にして店を出る。この子は天然で小学生なところがあるからカワイイ。はじめてアメ横に来たというエミ。観るものみんな不思議らしく、
「あそこは、なんでお魚ばっかりみんなで売ってるんですか?」
と鮮魚店街を不思議そうに覗いたり。
「魚屋さんの隣にスニーカーショップって、変ですよね?」
など、細かい事が気になるあたりも小学生のようだ。そろそろ陽も落ちてきたので、夕食。というか飲みにでも行くか。煮込みの大統領はスルーして、細かいチェーン店もスルーする。御徒町のガード下にある店大蒜300に行くことにした。ここはなにを頼んでも300円。2階の座敷に上がるといい調子の演歌、注文はふたりともレモンサワー。あと唐揚げに厚揚げ。
「ふぁー、こういう店はじめてかも」
程なくしてレモンサワーが届く。
「カンパーイ」
また井戸端話に花が咲く。
「エミは好きな人いないの?」
「いないよ」
少し冷めた声が帰ってきた。
「変なコト聞いちゃったかな、なんかゴメンね」
「ううん、いいの、アタシの好きな人はずっと前に死んじゃったから。もうどうにもならないの」
そう悲しげに笑うエミ。
「あ、なんかゴメン、ほんとゴメンね」自分の無頓着さに呆れる。
「いいよ、人は死ぬ、それが現実だから。未来なんて変わらない」
そう、つぶやいたあとまたレモンサワーをお代わりして飲みほして大騒ぎした。気がつけば3時間位飲んで騒いでしていただろうか、
「はいお会計7800円ね」
あんだけ飲んで。さすが300円の店安い。
「今日は帰りたくないなぁ」
エミが寄り添ってくる。こりゃ、男だったらイチコロだ。
「じゃ、家泊まる?」
「うん!」
餌をもらった犬みたいに元気なお返事。ホントに酔ってたのかぁ?
そのままタクシーで家まで、ヘナヘナなエミを担いでなんとか2階の寝室に運ぶ。コロンと布団におさまったその姿はまるで、お姫様のようだ。しばらく見とれているとエミがグボグボ言い出した。やばい! ダッシュで担ぎ上げ1階のトイレに運び込み、指をのどの奥に当ててやると勢い良くゲロってくれた。全部出し切ったのを確認して、アタシも手を洗いエミを2階に運んでやるとまたコロンと寝ている。いい気なもんだのう、と顔を覗くと突然抱きしめられキスされた。驚くやら嬉しいやらなにがなんやら。ゲロ臭いやら。その後はスースー寝息を立てて眠ってしまった。あれはなんだったのだろう。でも悪い気はしなかった。
──「イタタタ」
頭が痛い、昨日飲み過ぎたせいだ。あれ、知らない天井。横には毛布にくるまってるココちゃん! 私ココちゃん家に転げ込んだんだ。時間は、携帯で確認すると9時40分。起こしちゃ悪いかなーそう思ってると、
「悪い子はいねが」
急にココちゃんが向かってきた。
「い、いないですぅー」
一応返事をすると
「おはよう、エミご飯食べに行こう」
にっこり微笑んだ。
近所のカフェでごはんを食べる。やっぱりインテリアは猫モノが多い。
「アタシデリ辞めたよ。今度は居酒屋かスナックででも働く。まあ、カタギに なって真面目に毎日働くのも悪くもないんじゃないかなってね」
そう、憑き物が抜けたようにココちゃんは言った。
「い、いいんじゃないですか。その方がいいですよ」
鼓動が高まる。どうして、望んでいたことなのに。
「どうしたの、エミ顔色悪いよ」
「あ、飲み過ぎかな、えへへ」
ごまかしはしても緊張は高まる。どうして、どうして友達なのに離れてゆくの?
ココちゃん。どうしてあまりランチには手も付けず店を出た。
「どうした、体調悪いの?」
「うん、そんなことないけど」
少しぶっきらぼうに返事をする。
何でイライラするんだろう?
「ココちゃんが働きたいんなら、好きなようにすればいいと思いますよ。私はなにも言う権利ないし」
「別に、権利どうこうじゃないでしょ、ただそういうふうにするって報告じゃん」
「じゃあ、わかりました。がんばってください」
何でイライラしてるんだろう。
「は、そんな言い方ないじゃん。もういい帰る。勘定済ましとくから、帰り方分かるよね。そこ駅だから」
「待って……」
何でイライラしちゃったのかな。応援したかったのに。ジャスミンティーを飲みながら後悔する。アタシの大事な友達なのに。
──何で、あんな言い方するんだろう。アタシだって必死なんだ。そりゃ、デリヘルなんて商売やってたのなんて自慢にはならないけど、これからは真っ当に生きるって決めたんだ。だからそれを一番大事なエミに伝えたのに。アタシの言い方も良くなかったのかな? あの娘も働いてないニート生活なのに、急に働くこととか言い出しちゃって。でも、アタシは家族なんていないし。働かないとこれから食べていけない身の上だから、働く話は仕方ないよね。エミとは改めて話をしよう。アタシはとにかく仕事を探さなきゃ仕方がない。働くなら居酒屋の店員かスナックのホステスあたりか。お金は家賃がないから、食えるだけでいい。キャバクラ? もう、そういう年じゃない。やっぱ、居酒屋かスナックか。場所は近さでいえば上野あたりだけど、新宿、池袋もありか。まあ、とりあえず何件か当たってみるか。さすがに、デリの蓄えだけじゃ、餓死するし。
──「電話しようかなぁ」
携帯に手をかける。けれど、伝える言葉が浮かばない。
「私って、どうしてダメなんだろう」
夕暮れの川岸の散歩道。歩く川面に跳ねる魚の鱗が光る。
「私はいつからこんな風になったのかなぁ。小学生くらいの頃はもっと元気だった気がする」記憶を何とか引き伸ばす。
「タクヤくんが死んじゃってからかな、こんなふうになっちゃったのって。そうかもね……」
何度も何度も記憶の鍵を戻す。
思い出すのは、高校生の頃。あまり友だちもできなく本ばかり読んでいる私。「なんの本読んでんの?」
タクヤくんは気楽に声をかけてくれた。二人きりの時なんかはサッカーの話やオートバイの話なんかを楽しく笑って話してくれる。ある日の放課後、タクヤくんの家に寄らないかと誘われた。私は戸惑いながらもコクリと頷いた。6畳ほどの部屋にはオートバイのポスターやロックバンドのポスターが貼られていた。
「座りなよ」
ベッドの上をポンポンと叩いた。
「う、うん」
横に座る。
すると突然、彼に抱き寄せられる。ビクンと体が震える。
「いいだろ」
そういうと、唇を重ねてくる。
恥ずかしさに顔が一気に真っ赤になる。
唇にぬるりとした感触を感じる。なんだろう。それはぬるりと差し込まれた。舌だ。舌を入れられた。初めての感触に身体が硬直する。
いつの間にか気付かなかったが、スカートがゴソゴソしている。彼がスカートに手を入れようとしている!
「……だめ! ゴメンナサイ。きょ、今日は帰るね」
彼の手をほどいて、荷物を持って部屋を出る。
「待ってくれ、そういうんじゃないから」
彼の声がする。でも、なんだか居た堪れなくて振り向けない。
翌日、教室で皆が私を見てヒソヒソなにか言っている。
「舌入れてきたらしいよ」
「誘っといてやらないとかねぇ」
「男の部屋でベッドに座った時点でやる気じゃん」
なにがなんだかわからない。なにを言っているのだろう、みんな……。
お昼休み。タクヤくんが目の前を通りかかった。
「あ、昨日は」
タクヤくんは、ひと目こっちを見ただけで別の友だちの元へ行ってしまった。
──その夜、帰宅途中のダンプの巻き込み事故でタクヤくんは死んだ──。
それでおしまい。学校では”死神女”なんてあだ名を付けられたりもした。本当に私のせいで拓也くんが死んでしまったと悩んだ日も数えきれない。気がつけば部屋に閉じこもり学校にも通わなくなり、私は本当の一人ぼっちになった。
「タクヤくん……」
改めて思い出そうとはするけれど、顔はぼんやり霞んだままだ。きっと大好きだったのに。あの時から時間は止まったままなのだと思う。それから、何をしても、なにも感じない。高校を2年生で自主退学した後は、部屋に引きこもって本を読むか映画鑑賞。あとはたまに散歩したりとそんな毎日。お父さんもお母さんもそんな私に特に何かやれなどということがないのが、また優しすぎて時に辛い。ただ起きて、ボーっと過ごして、眠るだけの日常。睡眠が浅いのと気分がやっぱり変な感じだからということで、心療内科に月2回通っている。その帰り道にたまにお買い物をする。だれに見せるわけでもないのにワンピースを選ぶ自分が悲しい。そんな平べったい日々をもう9年近く過ごしている。ココちゃんみたいに前向きになれない自分が苦しい。ココちゃんに嫉妬している自分が汚らしい。自分がどうなりたいのか? 自分が何をしたいのか? 考えれば考えるほど、全くわからなくなる。混乱と絶望?
「タクヤくん、教えて」
呟いても伝わらない。私はどうなっちゃうんだろう? なにも分からないまま川岸を歩いていると、不意に声が掛かる。
「お姉さん一人で何してんの?」
スエットを着た男の人が急に声をかけてきた。
「え、いえ、家に帰るところです」
そう言うと、男は手首を掴んで、
「カワイイね、遊びに行こうよ。今日パチ勝って金あるんだ」
そう言って無理やり引っ張っていこうとする。
「いや、帰ります、やめてください」
「いいじゃんよ、なあ」
そんなやりとりが続くと突然怒号が。
「こらぁぁ! なにしとんじゃ小僧!!」
そこにはドーベルマンを連れた髭を生やした禿頭のおじいさんが。
「やべぇ、小杉のジジイだ、じゃ、また今度遊ぼうな」
そう言うと男は脱兎のごとく逃げていった。
「お嬢ちゃんなんか変なことでもされなかったかい」
さっきの迫力のある声を忘れるほど優しい声で声をかけてくれる
「だ、大丈夫です、でもちょっとビックリしちゃって」
「あの小僧は半端モンのワルよ。まだなにになりたいかもわかってない」
「……まだなにになりたいのかもわかってない」
私はその言葉に息を呑んだ。私と一緒だ。私も何をどうしていいのか未だわ かってない。あの人の私も変わらない。変わらないんだ。
「どうしたんだいお嬢ちゃん?」
そう、覗きこむようにおじいさんが心配そうに顔を見る。
「べ、別になんでもないんです」そう、ごまかすけど少し涙が溢れる。
「ふむ。すこし、川でも見ようか。ラッシュお前も来い」
川辺りのちょうどいい坂に座って、少し黙り込んだ後。私はなんだかしらな いけれど、胸にあることをとにかく吐き出した。今までのこと今のことココちゃんとのこと、不安な未来のこと。おじいさんはただただ頷いて黙って聞いてくれた。そして一言「そんなに悩むことはないよ。道は無限だよ。お嬢ちゃん空を見上げてごらん夕焼けが征くじゃろ。雲はその都度形を変える。夜には見えなくなるのに必死にあがく。そんなことだよ。自分の枠に自分ではめ込んだらダメだよ。無理せずゆっくりと自分を見つければいいさ」
そう言ってカカカと笑った
「少しキザだったかのう」
私は首をふる.
「そんなことないです、私少しだけかもしれないけどわかりました。もっとちゃんと分かるように頑張ります」
「そかそか、うれしいのう」
そう言うとおじいさんは私を家の方向まで送り届けてくれた。ドーベルマンのラッシュもいるので心強かった。思わぬ出会いで心が優しくなれた。
──「いらっしゃいませ~、お二人様ですか、ではこちらの席へ」
チャームと割物のセットを持って席につく。
「こちら飲み放題になってますので、どうぞ」
そう言って踵を返す。アタシは結局上野でホステスを始めた。まあ、昔とった杵柄。それなりに仕事はこなせてる。「なかなか、調子いいじゃない」
そう、ママが声をかけてくる。
「ええ、働きやすいお店だから」
そんなおべっかでやり過ごす。今日は週末だからお客も多い。新規も多いから、客掴んどかなきゃ。カラオケが始まった、ド演歌がホールを満たす。まぁ、カラオケの間は接客もそんなにしなくていいし、楽でいい。拳を振り上げ唸るオヤジを眺めつつ、水割りをちびちび飲むと携帯が鳴る。時間は午後11時。エミだ。
「ママ、ちょっと電話なんで外出ます」そう言ってエレベーターホールに出て、電話に出る。「もしもし、エミ!」
「う、うん。エミだよ。ゴメンね。この前は。なんかわけわかんなくて」
「いいよそんなの気にしてないから。アタシ今、スナックで働いてるの。上野の。エミ遊びにきなよおごるから」
「スナックって、どんなとこ? 私想像つかないよぉ」
「ただの飲み屋さんだよ。ちょっとオッサンは多いけど。今から来る? タクシー代なら持つよ?」
「え、今から、うーん。じゃあ、行く。場所は?」
細かい場所をまたちぐはぐに教えあい待ち合わせする。
そして、1時間後。
「着いたよー!」
「今迎えに行く」
店の前に白いワンピースのエミが立っていた。どう見ても場違いだ。
「悪い狼に襲われそうだね」
そういう自分は紺のスパンコールのドレスで派手なわけで。
「ココちゃん、かっこいい。私そんなの着たことないよぉ」
「試しに着てみる?」そんな話をしながら店へ。店内はフルハウスの盛り上がり。とりあえず、エミとココはカウンターに座る。「何飲む?」
「なんでもいいの?」
「アタシが作れるものならOK」
「じゃあ、カルアミルク」
「あいあい、いいよー」
グラスにカルーアリキュールと牛乳とアイスを混ぜ、カラカラとマドラーで混ぜる。
「あいよ」
受け取ったそばからごくごくココは飲み干す
「おいしー」
「おかわりいる?」
「うん!」
まだ、入店して1週間しかたってないのに、ココはちいママの貫禄だ。突然ホールから悲鳴があがる。酔った客が別の客に殴りかかっているらしい。そこはココの出番。カウンターから飛び出すと、殴りかかっている客をブルドッキングヘッドロック。一発で失神。タクシーで近くの病院に搬送して事は終了。
「ココちゃん、つよ~い」
間の抜けたエミの声に力が抜ける。
「まあ、アタシも昔はガンガンやってたからね」
「アタシなんて高校2年生で辞めちゃったし、友達もいなかったし。ガンガンなんてなかったなぁ」
「あら、アタシも高校2年で中退だよ。ってか退学だけど。暴れすぎちゃってさ。あはは」「へー、なんか、似てるね私達って。そういうとこってなかなかかぶらないよ」
「かもね、まあ、運命ってやつかもね」そう言ってケラケラココとエミは笑った。もう時間は夜更けに午前3時。なかなか、ココも仕事をしない。
「エミちゃん、終わったらまたウチ泊まる?」
「うん、いいの?」
「いいから言ってるの」
偶然6時仕事があがると、ココとエミは根津の家へタクシーで帰った。
「あーよく飲んだ」
エミは布団にゴロリ転がる。
「あんた、強いよね。結構飲んだよ」
「そうかな? あんまり、酔っ払ってないよ」
「それが強いっていうんだよ」
明け方の空に射す日差しが眩しい。風は少しだけ冷たい。
「エミ、そういえばさ、こないだのことだけどアタシこそゴメン。なんか自分のことばっかりで」
「え、そんなことないよ、私がおかしかったんだよ。一人で反省したんだ。だから
ココちゃんに電話したんだよ」
「ゴメンね」
「ゴメンナサイ」
「あはは」
「ははは」
二人に笑顔の花が咲いた。
──「うん、いいよー。どうしたらいい?」
ココちゃんからのお誘いの電話
「とりあえず。一旦上野で待ち合わせしようか?」
「わかった~、準備する~」
ココちゃんとは3週間ぶりくらいに会う。お店が忙しいのもあってどうしても時間が合わなかった。話したいことはたくさんある。グレイのこのワンピースに臙脂のコートじゃ野暮ったいかな。でも、まあいいか。とにかく出かけよう。上野のでっかいパンダのぬいぐるみの前で待っていると
「こんちわ~」ココちゃんが現れた
「どこ行こうか?」
そう聞かれてなんとなくというか勢いで
「上野動物園」
と言ってみた。ケタケタ笑ったココちゃんは
「じゃあ行こう」
と手を引いてくれた。初めての動物園。パンダが居る。虎もいる。ライオンもいる。すごい。ペンギンの泳ぐさまを観てて少し癒やされる。
「ココちゃん、楽しいね」
「たまに来るといい感じ」熊や象の檻を観て出口に着く。
「面白かった~」
「うん」
空は夕焼け。
「ご飯でも食べようか?」
と、ココちゃん。
「うん」。
とりあえず近所のお店を探すことに。もつ焼き屋さん、焼き鳥屋さん、串揚げ屋さん、居酒屋さん。なんでもあるので悩むわけで。
「あそこのもつ焼きやさん行こうか」
「う、うん」
私はもつ焼き屋やさんに行ったことがない。
「大将、シロ2本、レバ2本、ハツ2本、全部タレで」
「あいよ」
小気味いいリズムで注文をこなすココさんが頼もしい。しばらく2人で談笑していると、お皿に盛られたモツ串が供された。
「食べてごらん」
シロを口にする、クニュクニュニュした食感だけど味が濃い
「美味しい」
「んね、この店は見た感じでピンときたんだ」その後のレバもハツも美味しかった。でもお酒も飲んだから結構酔った。「また酔ったね、ウチくるよね?」
「いいの~?」
「いいよ。また気にするんだから」
タクシーに乗って根津のココちゃんの家へ向かった。まだ意識もあるのでなんとか自分で2階の布団の部屋に、そこにココさんが覆いかぶさるように寝てきた。
「エミ……起きてる?」
「う、うん」
「あのさ、少しイチャイチャしよう」
「え?」
そう言うとここちゃんが覆いかぶさってきた。突然のキス。舌がぬるりと唇から入ってくる。「えっ」
舌を絡ませながら、ココさんの手が洋服越しに私の胸に回ってきた。そして私の乳房を揉みしだく。私は私が初めての感覚にしびれる。
「エミはココが気持ちいいの?」乳首と弾かれる。快感が身体を支配する。
「ココちゃん、すごい変な感じになってきちゃった。」
「いいんだよ。もっとしよう」ココちゃんがスカートを脱がし、パンティーを脱がしてくる。さっさと脱がされた下着の下のアソコはもう湿っていた。指をココさんはぬるりと奔らせる。「あ、ちょっと」
初めての感覚に体が痺れる。これは何?
「エミもっと気持ちよくしてあげるね」乳首をいじりながら、ここちゃんが下腹部に顔を沈めていく。
「え、ええ」
突然身体に電気が疾走ったような快感が。アソコをヌメヌメとした感覚満たす。そうだ舐められているんだ。
「あ、ココちゃん汚いよ」快感と驚きが心を満たす。「汚くないよ。アタシにまかしといて」ココちゃんはそういって私のアソコをどんどん刺激していく。
「指入れちゃうよ、いいよね」
「えええ!」
気がついた時にはアソコに不思議な違和感が。
「Gスポット探るから」
そう言うと私のアソコをグリグリしだした。
「あ……」
「ここだね、じゃあイカせてあげる」
ココちゃんはアタシのアソコの中をかき混ぜながら、アタシを舐める。初めての気持ちよさにおかしくなりそう。
「ココちゃん。変になっちゃうよう」
「いいよ変になって」ココちゃんの指の動きが激しくなる、下の動きも。アタシは体が震えて変な感じになってくる。
「ココちゃん、なんか変だよぉ」
「もうちょっとだね」さらにココちゃんの激しさが増す。
「あ、あああああ」
私は果てた。
「どう、気持ちよかった?」
「はぁはぁはぁ、う、うん」
「かわいい、じゃあ、寝ようか」
疲れきって添い寝して2人は眠った。
「おはよー」
翌朝何もなかったかのようにココちゃんは肉まんを持って現れた。
「冷凍のだけど結構美味しいよ」
「う、うん」
むぐむぐと食べる。昨日のことは夢だったのかな? そんなことを思いつつぼーっと肉まんを食べる。「今日はどうする? どこか行きたい?」
「え、えーっと、お散歩くらいかな」
「あいよ」
携帯を見ると、もう時間は11時を過ぎているらしい。
「じゃあ、谷中の方でも行こうか」
そういうと手を引いて私を連れだした。狭い路地を二人でぼんやりと歩く。
「この辺は昔から変わってない町並みなんだよ、だから小さい家ばっか」
そういってココさんは笑う。芝枠歩くと少し開けたとおりにでた。
「谷中銀座だよ」お惣菜屋さんやお肉屋さんが並んでる。「メンチ食べる?」
そう言うとお惣菜屋さんでメンチカツを買ってきた。「美味しい」凄くジューシーでお肉の味がしてたまらなかった。
「喜んでくれてよかったよ」
「じゃー、次行こー」
急に極彩色の看板の店が目に入ってきた。なかに入ると陽気な中近東のオジサンが迎え入れてくれる。
「なににする?」
「日替わりランチでいいよ」
慣れたやりとりで椅子もない床にそのまま座る。
「ココちゃん、ココなに屋さん」
「トルコ料理だよ」
初めて聞く料理だ。運ばれてきた料理は豆の煮たものと肉の肉の煮たものとライスという感じ。味は優しい。濃くもなく、強くもなく。ゆったり食べられる味だ。
「美味しいかい?」店長らしい男性が声をかけてきた。「美味しいです」
「もっともっと食べてね!」
そう言うと別のテーブルに去っていった。店を出てお腹いっぱいになったところでそろそろ家に戻ろうという気持ちになる。ココちゃんといるのは楽しいのだけれど。外にずっといることが急に怖くなった。
「ココさん、そろそろ帰るけどいいかな」
「あ、アタシ今日仕事だしいいよいいよ、じゃ、帰りも少し散歩しよ」2人歩
いて狭い路地裏を上野まで歩き総武線で家路を急ぐ。どうして私はこうなんだろう。
ココちゃんは好き。でも外が怖い。人も怖い。なにもかも怖い。一人でいても、それ
も怖い。私はどうすればいいんだろう。
──スナックの仕事にももう慣れた、いつのまにやらホストのユウキと付き合い始め
た。けれど、えみちゃんとは音信不通。携帯を鳴らしても一向に連絡が取れない。こ
ないだあった時はあんなに楽しそうに笑ってたのに。どうしたたんだろう。アタシの
心がざわめく。そうだ、直接会いに行けばいいんだ。家は分かる。そうしよう、明日
は非番だ。とにかく動く。動かないと始まらない。
翌日、総武線に乗りエミの住む駅で降りる。まだ午前中なので空気がキレイだ
。エミとは1ヶ月近く会っていない。駅から住宅地を歩く。場所はわかってる。
神田という表札。エミの家だ。ドアチャイムを押す。
「はーい」
50がらみのふくよかな女性が出てくる、お母さんだろう。
「エ、エミさんいますか?」
「あ、…
…ちょとまってね」
変な間が少し気になるがいるようだ。トタトタトタトタトタ……階段を降りる音がする。
「え、ココさん」
目があった。
「そうだよ、おはよう」
とりあえず、寝間着を着替えてもらい川原に出て話を聞いた。
「私、なんだか自信がなくなっちゃって。ココさんの元気見てたらアタシなんかって」
「そんなことないよ~。あたしだって、必死なんだから。あんたも元気になれるよ」
「そうなのかなぁ、私ほんとにダメだから、元気になんてなれないかも」
「大丈夫。アタシが元気にしてやるよ、だから気にするな」
そんな話をしながら流れる雲を見た。「エミはどうしたいの?」
「わ、私はどうしたいかなんてわからない」
「そこで悩んでるんだ」「……うん」
川の向こう側に釣り人が見える。
「急がなくてもいいんじゃない? エミのペースで。焦っても答えなんかでないよ、アタシだってわかってないしね」
「でもココちゃんは元気で色々頑張ってるじゃん」
「そんなことないよ~。たまたまいまの店で働いてるだけ。それがなかったらボケーッと寝てるよ」
「そうかな?」
「そうだよ」
「そういや、アタシ彼氏出来たよ。ホストなんだけどユウキって奴。まだ二十歳のガキなんだけど可愛くてね」
「へー、ずいぶん年下」
「まあね、いまんとこ仲いいよ」
「私も彼氏でも作ればいいのかな?」
「いいじゃんいいじゃん、気分転換にもなるし、エミならすぐできるよ」
「そうかな~?」
そんなおしゃべりをしながら時は流れた。
気がつけば日も西に傾いてきた。そろそろ仕事に準備がてら向かわなくては。
「エミ。アタシ仕事でなきゃだから、そろそろ行くね」
「うん」
「また、遊ぼうね」
「うん」──それが最後
にえみちゃんとの別れだなんて、その時は気づかなかった。
──私はココちゃん太陽みたいな元気さに少したじろいでいた。自分がすごくちっぽけに感じていた。自分に価値がないなんて思いたくないけど、実際価値なんてない。
絶望に似た衝動が自分を満たす。家に帰って、ベットに寝転がる。
「彼氏……か」
今まで考えたこともなかった。タクヤくんが死んじゃってから、男の子と話すのも苦手だったし、辞めちゃった学校でも他の男の子と話すことなんてなかったし。それに引きこもりだし。外に出たい気持ちはある。けれど、ココちゃんみたいに振る舞えない自分が見える。私はこの10年近く何をしていたんだろう。食べて、ボーっとして、寝て、起きて、ボーっとしての繰り返し。読書も最近はほとんどしていない。というかする気が起きない。見上げる天井が限りなく遠く感じる。なんだか、変に疲れちゃったなぁ。何でこんなに疲れてるんだろう。考えれば考えるほど訳がわからなくなる。とりあえず安定剤を一粒飲み込む。小学生の頃はもっと元気だった気がする。友達なんかとワイワイ騒いだりして。中学生の頃はどうだったろう。中学校の頃は、もうあまり騒がしくなかった静かな日常。高校生の頃……思い出せない、いや思い出したくない。友達っていえる存在って、ココちゃんくらいしかいない。今まで友達なんてできなかった。一人ぼっちでただただ自分の殻に籠もってた。でも、そのココちゃんも少し遠く感じる。私の事を考えてくれているのは分かる。けれど、もう何故かお互い違う方向を向かっている気がする。結局、私はまだ一人なのかもしれない。永遠のひとりぼっち。いつまでも抜けられない堂々巡りの迷路。
──「カンパーイ。いつも来てくれてどうも~。最近、常連さんも来てくれない人増えちゃって」
「まぁ、景気悪いからねぇ。トモちゃんがいれば俺は来ちゃうよ、アハハ」
今日は客入りがいまいちだ。トモちゃんというのはアタシの源氏名。エミ元気に振る舞ってたけどなんか空元気だったな。ちょっと心配だな。
「どうしたの、ボーっとして」
「いえ、ちょっと考え事。カラオケでも歌います?」
常連さんのカラオケを聞きながら、自分の未来のことを少し考える。スナックの仕事とはいえずっとは続けられない。デリに戻るのはゴメンだ。アタシは何ができるんだろう? どうしたら未来が開けるんだろう? ユウキと付き合ってるとはいえ、ほとんどセックスだけの関係。それ以外のことを頼ってくれともいうが、アタシはそんな気はない。カラオケが流れている。演歌だ。この仕事もそろそろ辞めどきなのかもしれない。
自分は何が好きだったのだろう。自分はどこに行きたいのだろう。日々の生活に追われて考えたことすらなかった。エミは、こんな不安の中で暮らしてきたんだ。アタシはなにも考えてあげてなかった。
「トモちゃん、デュエットしよう」
声がかかる。
「はい~」
とりあえず今は仕事だ。
──携帯を鳴らすしばらくして
「あ、エミどうしたの? こんな時間に」
「ゴメン眠れなくって」
「大丈夫今休憩時間だから。なんか不安でもあるの?」
「……いやそんなことないんだけど、ココちゃんの声が聞きたくて」
「アタシ来週にはお店辞めるから、そしたら遊ぼうよ」
そういってココちゃんは笑う。
「うん。そうだね」
「うんうん」
「じゃあ、お仕事頑張ってね。大好きだよ。バイバイ」
「何よ急に、照れるよ。じゃ、またね。バイバイ」
バイバイか。なんか、本当にそんな気になってくる。私はココちゃんが好き。でも、もう一緒に入られない気がする。ゴメンねココちゃん。私弱くて。
──「エミちゃーん、山田屋さんでコロッケ買ってきてくれるー」
1階からお母さんの声がする。
「うん」
白いワンピースを着て代金をもらい、サンダルを履いて山田屋さんへ買い物へ行く。
気分は相変わらず沈んだままだ。なぜだろう? そこまで沈む理由もないのに。ココちゃんのことを思う。ココちゃんは優しい。明るくて元気だ。いつも私のことを気にかけていてくれていて、何より優しい。ちゃんとした友達なんていなかったから、純粋に出会えたことが嬉しかった。ココちゃんは太陽だ。私の太陽。私は月? そんな綺麗なものじゃない。ただただくよくよして暗澹とした引きこもり女だ。ココちゃんのおかげでたくさん楽しいことを経験させてもらった、本当にこの数年が忘れられるほどに。けれど、そのたびに澱のような淀んだ気持ちが心を満たす。それは自分への絶望だったり、やりきれない嫉妬だったり、見えない未来への不安だったり、わけがわからない。頭のなかがかき乱されてミックスジュースになるみたい。なんだか疲れちゃったなぁ。山田屋さんはバイパスを越えた商店街にある。ふと、妙な気持ちになる。
「このまま消えちゃうと、どうなんだろ」
バイパスは荷物を運ぶとトラックが行き交っている。
私は疲れた。理由なんかない。ただ疲れた。みんなは優しい、優しさに答えられない自分にも疲れた。もう空が見えない。
その刹那、死神が背中を押した。私は4t車の前に飛び出した。急ブレーキの音が鳴る。私は終わった。
──葬儀の日。エミのお父さんとお母さんとお弔いの挨拶を交わす。
「事故ですか?」
「事故……だと思う」
お父さんは口ごもった。お母さんはただただ泣いていた。エミにお線香をあげる。遺影のエミちゃんは笑っていて、もういないなんて信じられなかった。葬儀には親戚の人と近所の人が数人。他の友だちらしい人はいなかった。本当にひとりぼっちだったんだね、ごめんね。
帰り際にお母さんに声をかけられた。
「ココさん。ありがとう。最近のあの子は本当に元気になってたよ。そんな姿が見れただけでも嬉しかったよ。ありがとう。ありがとう……」
感謝の言葉が心に突き刺さる。アタシはエミに何をしてあげられていたんだろう。
帰り道、夕焼けに照らされた川原に寄ってみる。エミと最後に話した場所だ。あそこでもっと話せることもあったかもしれないのに、アタシは自分のことばかりで。もっともっとえみちゃんの心を拾ってあげなきゃいけなかったのかもしれなくて。気がついたら涙が止まらなかった。
「わああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」
叫んでた。大声で叫んでた。笑ってるエミ。泣いているエミ。怒ってるエミ。拗ねてるエミ。優しいエミ。子供みたいなエミ。大人になってこんなに人を好きになったのは初めてかもしれない。狂おしいほど、愛していた。けれど、彼女は逝ってしまった。なにも言わずに。
──さよなら。
それくらい言ってけよエミ。アタシはアンタの分とは言わないけれど、なんとか生きる。そうしないと意味が無いから。さよならエミ。でも。いつでも夢で逢えるよ。忘れやしない、消しやしない。ずっとアタシの中であんたは生きてるから。
赤く染まった雲が流れてゆく。沈みゆく夕日。涙を拭ってアタシはココから歩き出す。どこへ向かうかわからないけど。ただただ歩き出す。ただただ。
─完─
ココにいること
これは、実話を元にしているもので、もっと緩急つけても良かったんですがそれもできなかったんですよね。やはり、ホントの話を軸におきたいので。まあ、それなりに読めてくれればいいかなとは思っております。