新月の魔術

即興小説のものを2014年度秋部誌用に編集したものです。

葉っぱが擦れ合う音が聞こえる。冷たい風が頬を撫で、私の黒い髪の毛を巻き上げた。家の窓から灯りが仄かに漏れている。カーテンは開けられている。この家の塀は高いから、中の様子が道路からは見えないので、外のことを気にしなくていいのだ。部屋の中では、牡丹と彼女の家族が楽しげにテレビを見ながら談笑している。家の電話が鳴った。牡丹の友人かららしく、母親が出たが、すぐに受話器は牡丹に手渡された。
大丈夫。家の中から私は見えない。上手く庭の気に隠れている。家の灯りもここまでは届いてない。大丈夫だ。私は自分に言い聞かせる。心臓の鼓動がいつもより早い。不安はあった。見つかってしまうのでないかと。動けば気付かれるから、静かに身動き一つせずただ彼女達を見つめる。
牡丹は中学の頃の友人だ。高校が違うから、卒業してしまってからは会っていない。今は高校二年生だ。近くに住んではいるのだが、お互い忙しいのだ。彼女から連絡が来ることも滅多にない。最後に来たメールは、アドレス変更の知らせだった。
私は彼女のことを入学したてのころから知っていた。牡丹は背がちっさくて、生まれつき茶色のふわふわな髪を持っている。何度か先生に注意されていた。染めているわけでもパーマを当てているわけでもないのに。牡丹は愛らしい見た目の子だった。小動物みたいにちょこまか動いて、天使みたいに朗らかで愛想が良く、男の子にも女の子にも友達が沢山いた。私は、最初はそんな牡丹を遠目から見ていただけだった。私と牡丹はクラスが違ったので、たまにしか見ることはなかった。私は友人がいなかったわけではないが、多くはなく、地味な子ばかりで、自分も地味な生徒だと自覚していた。華やかな牡丹たちとは、全く別次元の人間のようだった。
そんな私が牡丹と仲良くなったのは、夏休み前のことだ。職業体験があったのだ。私は図書館を希望していた。読書が好きだし、他の仕事は気が向かなかった。図書館は希望が多かったみたいだが、私は図書館に行けることになった。図書館の定員は二人だった。もう一人が、牡丹だったのだ。牡丹も読書が好きだった。
「いつも一緒にいる子達は、皆本なんて興味無いから、話が出来ないけど、貴女とは話が合うわね」
図書館の仕事をしながら、私たちは沢山話をした。ほとんど、彼女の、友人達の読む携帯小説が気に食わないという話や、最近読んだ本の話を聞いていただけで、私はあまり話していなかったが、それで満足だった。それから、私たちは徐々に親しくなっていった。牡丹はクラスの友人たちより私のところによく来るようになった。私は優越感と幸せな気持ちでいっぱいだった。あのころが一番楽しかった。
私は、高校に入っても、大学に行っても、ずっと仲良くできるものと思っていたし、彼女もそう思っていると信じていた。高校は違うかもしれないが、休みの日に遊んだり、電話やメールで沢山話が出来るものと思っていた。だが、実際はそうではなく、高校に入るとすぐ疎遠になってしまった。高校では、特に親しい友人は出来なかった。一度、街で牡丹が同じ制服の女の子と楽しげに語らいながら歩いているところに出くわした。私は嬉しくなって声を掛けたが、彼女は「ああ」と微笑んで片手をあげるだけで、また話しながら行ってしまった。
牡丹が好きだと気付いたのは最近のことでは無い。ずっと前から気付いた。昔から、男の子には興味が持てなくて、いつも気になるのは女の子だった。だから戸惑いはなかった。今まで会ったどんな女の子より牡丹はとても素敵だった。彼女も私を好きになってくれたらどんなに良いだろうとよく考えた。でも、彼女は紛れもなく普通の、異性愛者であった。私は、彼女が街で見かけた広告の男の人をかっこいいと褒めたり、好きな男性歌手の話をする度に胸が苦しく、虚しかった。自分の恋が叶わないと、夢から覚めた気分で、普段の彼女との妄想が恥ずかしくなった。
私は上手く牡丹に合わせ、ずっと仲良くいようと努力していた。気に入られよう、出来るだけ好かれよう、せめて、ずっと一番の友人でいられるように、と。その努力も、高校が離れただけで水の泡だ。私は、何か手を打たねばと考えた。忘れようとはしなかった。忘れられそうもなかったのだ。こんなに人を好きになったのは初めてだった。牡丹のためなら、なんだってできる。なんだってするから、貴女のそばにいたい。
私は占いやおまじないが好きだった。昔からだ。家族はそんなもの興味無かったが、私はタロットやおまじないの本を集めたり、熱心にそれらを信じた。ニュース番組の占いや、雑誌の適当な星座占いは信用していなかった。手相占いとかは信じたけれど。私は占いは当たらないこともしばしばあるが、おまじないは執念込めて行えば叶うと知った。生半可な気持ちでは駄目だ。そして、半信半疑でも駄目。自分の執念を信じて行うのだ。
私はこの危機をおまじないで乗り越えようと思い至った。本棚から本を取り出して、調べた。本は沢山あったけど、中々気に入るものがなかった。形式が気に入らなければ、気も乗らないものだ。過剰なくらいがちょうどいい。緊張感と興奮があるものがいい。そして、私はあるおまじないを実行することにした。だから私は、今ここにいる。
私はしばらく、行動を起こさずに牡丹の行動を見ていた。髪の毛が少し伸びて、前よりも大人っぽい顔立ちになった。花柄のパジャマがよく似合っている。
少しして、まず弟がいなくなった。部屋に戻ったのだろう。牡丹に似て、女の子のような顔をした可愛らしい子だ。次に両親がいなくなって、牡丹も後に続いた。部屋の電気がつきっぱなしだから、すぐに戻ってくるかもしれない。早く済ませてしまおう。
私はスコップを取り出して地面を掘り出した。牡丹の木の根元に掘った。おそらく、牡丹が生まれたときに植えたのだろう。だから、これが一番いい。私はポケットからピンク色の袋を取り出して、その穴に埋めた。中には、二人で写った写真と、ばらばらにした薔薇の花が三つ、二人で買ったストラップ、それから私の左手の小指の爪が入っている。これはおまじないに必要な品々だ。一つ一つによくよく思いを込めている。思いのこもった品というのは、強い呪力がこもる。
私はさっさと土を被せてしまうと、帰ることにした。最後に一目牡丹を見たかったけど。バレるのはマズイ。おまじないのおかげで、これから私たちはもっと親密になるのだから、今は我慢だ。このおまじないは、新月の夜に行い、満月の夜から効果が出始め、次の新月までには思いが実るのだという。それまでの辛抱だ。
私は暖かい光の漏れる窓を振り返って見た。瞬間、息を飲んだ。牡丹がリビングに戻って来たのだ。私は一瞬止まってしまった。戻ろうかとも思ったが、ここは出て行ってしまう方が安全だろう。私は駆け出した。
「今なにかいなかった?」
続いて入ってきた母親が言った。
「うん。多分カラスじゃないかしら?黒かったし」
牡丹が言うのがかすかに聞こえた。私は窓から見えないところまで来ると、門を乗り越えて外に出た。道路には誰もいない。街灯が道を照らしているが、向こうの方はよく見えない。今日は新月。大丈夫。新月だから。私に魔力を与えてくれる。私は「後藤」という表札のかかった門を通り過ぎて、早足で家に向かった。黒い髪の毛が風に揺れた。

新月の魔術

新月の魔術

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-16

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