シャーレの中で

多くの友人となり得る方々へ。

フィクションの事実はノンフィクションだとしたら伝えたいことの真意はおおよそ伝わるはずなのです。



 ―地上には大小の道がたくさん通じている。
しかし、みな目指すところは同じだ。
馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は 自分ひとりで歩かねばならない。 だから、どんなにつらいことでも、ひとりですることにまさる知恵もなければ、能力もない。
 「独り」 ヘルマン・ヘッセ(1877~1962)






  「シャーレの中で」





 私たちの世界は区切られた一つ一つのシャーレだった。その中に浮かぶように所々にその場面は見てとられた。私の意識がはっきりと色づき始めたとき、その場所は白いコンクリートと擦りガラスで全てが規則正しく区切られていた。数々の私に似た生き物がそこに生きていて、その生き物は私ではなかったが私でもあった。そこは「うみ」という舞台で、私は私ではない私たちと変化のない生活を演じていた。
 大学を卒業し、民間企業に就職した私は、毎朝肩の少し先まで真っ直ぐに伸びた黒い髪にブラシをかけ、スーツに身を通して会社に出勤し、夕方までパソコンの光を浴びながら黙々とキーボードを打ち続けていた。
「409号室」というアパートの一室、その居住空間は唯一私が私であることを許される場所だった。そこにはふかふかのシングルベッドが二つあり、その上にきちんとプレスされ整えられた白いシーツがあって、その空間でふわふわのパーマがかかった黒髪の男性と二人で過ごしていた。彼は透き通るガラスの様な青い目をしていて、名前は「かもめ」と言った。卒業してから、就職はせずに、コンビニのアルバイトをして居た。「409号室」では、客足の全くない寂れた古本屋で手にいれたようなボロボロの古い文庫本を大事そうにひらりと、まるで旧友と対話しているかのようにページをめくっていた。わたしはかもめのその姿を見ることが好きだった。
「こういった古い文庫本はね、まるで焼きたてのクッキーのような甘い香りがするんだよ」と、かもめは言った。
私たちは同じ大学で絵画を学んでいた同期だった、二回生だった当時、私が美術室にあった「最後の晩餐」の絵を眺めていると、かもめは「この絵、面白いよね」と、話しかけてきた。私は唖然として何故か笑ってしまっていた、第一印象は変わった人だな、という印象だった。そして、大学で初めての友達だった。それからお互いの好きな画家や好きな音楽の話を笑いながら生き生きとして話し合った、かもめとは気が合い、それからはたまに二人で美術館に行ったり、図書館に行ったりした。私の就職が決まった時、彼は特に卒業してからする事もなかったようで、二人でこの「409号室」に暮らすようになった。ある時、私が興味本位で彼に何故「かもめ」という名前なのかを聞いたことがあった。
「名前なんて何の役にも立たないさ」
初めて私が名前を聴いたときにそう彼は言った。「私はそうは思わない」と返したが、本当に何の役にも立っていないと彼は信じていたようだ。それが本当の彼の名前なのか私は知らない。
私がまだ子供だった昔の頃、夏になるとお祭りがそこら中の街で行われていて子供が騒いでいた、その出店の中に「金魚すくい」というものがあった。閉じ込められた枠の中の沢山の金魚を薄い和紙ですくう遊びだ。
大学を卒業した後、私たちはその枠の中で誰にも見つけられない、すくわれない金魚のような存在だったらしく、「うみ」の生き物たちとは別の狭い水槽をゆったりと泳いでいた。世間的にそれは「生活」とは言えないのかも知れない、そんな日々を送っていた。けれど私の心と体はその暖かく冷たい場所を欲していた。
――いつか、部屋にある縦長の長方形に形取られた擦りガラスの窓の外が、かもめの美しい眼の色のように色づいた朝、彼は起き抜けにゆっくり言葉を紡いだ。「僕たちはここで死ぬ、死ぬということはよくわからない、素晴らしいことか、いけないことかは知らない、でも僕たちは僕たちの認識する世界の中から、視界から、感触から、記憶から、全てをなくすよ。食事をしたり、睡眠をとったり、この目で何かを見たり、触ったり、聞いたり、話したりすることから逃げられないように、死ぬ」
私はベッドに横たわったまま、朝の露っぽい青い空気の中、彼の輪郭を横目で見た。
かもめは本当にそこに実在していたのか、彼の存在はその時あまりにも希薄で、私には現実味を帯びることが出来なかった。だけどアイスコーヒーにつるつるとシロップを垂らす様に、その言葉は心に溶けこみ、私のこころを冷たく落ち着かせた。それからは部屋越しに見える磨りガラスの青い窓が徐々に淵から白くなり始めていたのもあり、私たちは近くの海岸の方から聞こえる貨物船の、朝を示す時報のような汽笛の低音を聞きながら目を閉じた。
今まで、いや思い出せば自分の意識が浮上してきた頃から、私は色んなことに関して無関心でいる事を基本とする生活を過ごしていた。物事に対して深く考え込まないようにしていた。周りの演者を見れば自分が何をすべきかすぐに理解出来たし、変化のない流れは私をいつもの場所に運んでくれた。特に自分の心の内を漏らすこともなく。この日々の生活を誰かに聞いてもらいたいとも思わなかった。何も吸収せず漂う生活で、表面を少しだけ撫で上げて、明日の一粒の砂金の事も考えずにただそこに浮かんでいた。
朝、トーストをかじりながら、ふと。
「結局何もなかったんだよ」と私は口に出した。
その時、かもめは私の側にいた。いつになく優しい笑顔で、私がそれに気づくと「交差点ですれ違うひとの人生なんていちいち気にしてはいけない、道路の横溝のようなものなんだよ、そして君は君だ。そのことに変わりはないよ」と、かもめはゆっくりと言葉を紡いだ。
かもめが全てを語り終えた時、私は消えない飛行機雲のことを考えていた。確かに何も変化していなかった。時計の針を指で止めても、また沢山のことを考える時間はやってきて、苦笑いながら私の手を引き進んでいく。
――私はいつまでも続く白昼夢みたいな日々のことだけを考えていた、優しい日差しの中、公園で何をするわけでもなく笑いあい、心が跳ねるような気分と穏やかな時間が存在していて、その時、私は何もかもを忘れられた。フィルターがかかったような記憶と共に悲しいことも楽しいことも含めて素晴らしい時間としてそこにはすべてが詰まっていた。あの時間は今ではもう遥か後ろで手を振っている。当たり前に物事があるわけではなかったのだ、それは包装紙に包まれているだけで、そして必ずしも私たちを幸せにするとは限らないようだ。もしかしたら、あなたはそれを知っているのかもしれない。あなたが古い文庫本に隠されている香ばしいクッキーの香りがわかるのなら。――
今日も私は、仕事で疲れた鉛のように重い身体でカツカツと足音を立てて帰宅していた。夜の高架線下を東に歩くと私たちの部屋が待っている。コーヒーメーカーで淹れられた白いマグカップに入ったコーヒーの白い湯気に乗せられた毛布のように包み込む香り、古いレコード・プレーヤーのぽつぽつとしたノイズ、異国を思わせるようなお香のフレグランスに充満した「409号室」が終わりのない、変わらないものとしてそこにある限り、私はそこに居る。
その空間には言葉も意味も無い、私たちだけの水槽があった、少なくとも「うみ」とはかけ離れた場所だった。だからこそ私はそこに居られた。
私たちはそれぞれに様々な緩衝材をまとっている、自分のそれはひどく薄かったようで、だからこそあの時、そう3年前。私は脳細胞を殺し意識のスイッチを切るしかなかった。これは博士が教えてくれたことだった。私はお金をもらう代わりに自分の身体を売っていた。目を閉じて楽しかった日々のことだけを考えていればよかったのだ。汗、荒い息、性行為、それは全て仕方の無かったことなのだ、そう自分に言い聞かせお金を受け取っていた。博士はお金を渡す人間の、その中の一人だった。いつも白衣を着ていたので、勝手に博士と名づけていただけで、名前は知らない、知ったところで何があるというのか。博士はいつも白衣の中からこの世界の本当のことを半分だけ教えてくれた。今、私はその時のことをすべて忘れようとしたが、当時それに惹かれていた私が存在していた事実を拭うことは出来無いままだった。
「過去の出来事はループする、方向は違っても」
博士からはよくそう聞かされた。その通りだ。博士はすべての事象を馬鹿らしく思っていた、けど多分それだけの生き物だった。博士とはもう連絡を取っていない、どこかでまた誰かに同じ話を繰り返しているのだろう。事実としてあるのは、あの時の私は心も体も博士に理解され見透かされていた、という事だけだ。
――あのときに戻れるなら、私は博士に会わない生活と、それまでの整っていた生活と、どちらを選んだのだろうか――
「409号室」のドアノブをひねり、部屋につくと浮かんだ間接照明がオフホワイトの壁を一層温かく包み込んでいた。私はパンプスを脱ぎ、部屋の中に入ると、かもめはいつものようにベッドに横になってボロボロの古い文庫本を読んでいた。青い目はいつもよりうつろだったかのように見えた。
私が部屋に入るのを確認すると、かもめはゆったりと体を起こし、そのままベッドに座り直した。
ガラス製の机に置かれたグラスにはライムウォーターが3分の1ほど注がれていて、カランと氷がグラスを弾いた音がしてその周りには結露が付着していた。
私は冷蔵庫からミネラルウォーターを手に取り、かもめの横に腰掛けた。いつもの、いつも通りの自然な行動だった。
突然、「今、君は何を想っているのかなぁ」と、目線をこちらに向けずに20センチ先程度の虚空にかもめは語りかけた。
私は言葉に詰まった、さっきまで考えていたことは忘れ、自分を閉じた。
「終わらない夏と変わらない日々とセックスシーンがない映画」とゆっくりとジャケットのジッパーを閉じるよう、私は言葉を滑らせた。
かもめは残っていたライムウォーターを一口で飲み干し、目線はそのままで、「はは」と、笑った。
私たちは海藻にがんじがらめにされたまま動きも出来ずに、ただ、そこで生きていたのを知った。
何もかも終わっていた。
結局、どこへも向かってなどいなかったし、私たちが抱えていたものは、中身がない透明なグラスだった。グラスに溜まっていく水は「うみ」に還してあげることも出来なかった。私たちはお互い何も知らない生き物で、それが二人の共通認識にあっただけだった。玄関の扉を開けて「うみ」に潜るたび、小さなかすり傷は知らないうちに体中に残されていた。
何もかもできる気がしていたあの日々は、ゆっくりと流れる雲の形だけが飽和していた。いくつもの向かってくる波に揉まれ、思考は流木のようにどこかの波打ち際に漂着していた。
「屋上に行こう」と、かもめは言った。
その時のかもめの目の青さは素晴らしい夏の海辺の波の澄んだ光の色をしていて、私は声にすることが出来たかすらもわからない音量で「そうだね」と呟いた。
玄関の扉を開け、幾度となく通った渡り廊下に二人だけのスニーカーの足音が響いた、歩幅はかもめが少しだけ早かった、まだ何も変わらない物がそこにはあった。
ドアを開け下から見上げるその螺旋階段はペパーミントグリーンの色をしていてそのペンキは長年の紫外線による風化で所々剥がれていた。そこから見える中身は赤茶色に錆びていて、それは誰も立ち入らない山肌のように荘厳たる構えをしていて、それでいて普遍的だった。
ペンキが剥がれ、むき出しの錆びた手すりに手をかけてぎこちなく二人でカンカンと音を立てて登った。登っている最中にパリパリと音を立てて乾いたペンキが剥がれ落ちていった。
私がそれを見て、前に向き直すといつの間にか、かもめはこちらを向いて足を止めていた。そして、私の目を見ながらこう語りかけた。
「物事は、この世に起きる事象はすべて自然であらなければならない。
映画に銃が映されるとそれは必ず発砲されるように、一日に何百という生命が輪廻を繰り返しているように、幸せが、不幸せが、全て等しくあるように、わかるよね」
私は言葉に詰まった。今、一体、何が起きているのか全く私にはわからない、だけども遥か遠い場所にかもめが居る気がしたのは確かだ。
思考を巡らせても、4センチの正方形の紙の中に両親に向け手紙を書くが如く、文字がつぶれる。思考が黒く塗りつぶされてしまった。「それは、わからないと、受け入れないといけないことなのかな」と、私は返した。かもめは本当に悲しい目をして「ごめんね」と言って口を閉ざし、また螺旋階段を登り始めた。この時、私はなんと言えば良かったのだろう。なんと言えばかもめは、いや私は、救われたのだろう。
螺旋階段を登り終えて屋上に出ると眼前に遠い街の景色の人工的な光のネオンで隅まで埋め尽くされ広がっていた。私たちの周りは裸電球のような明るさの月光に包まれ、夜だというのにあの楽しかった過去の日々の、あの時と同じ空の雲がおぼろに映っていた。
幼いころの夏、初めてあの映画で見た断片的にしか記憶にない景色がふつふつとその場面が蘇ってきて、私は何か言おうとしたが何の感情も湧き上がってこなかった、言葉を発さずにただそこに立っていた。本当に何の感情も湧き上がってこないのだ。
壊れてしまったのは誰のせいでもなかったのだな、と私は考えていた。
かもめは屋上の柵に腕をかけ、ぼんやりと景色を眺めながら夢のことを考えている眼をしていた、たまにかもめは自分の見た夢の話をしてくれる。例えば、鳥になった少年の話。
その少年は深刻な病気で余命もわずかの生活を送っているのだけれど、同じ病室の向かいのベッドに一時間しか記憶がもたない女の子が入院して来る、少年はその女の子に一目惚れをして彼女と折り紙をしたり、トランプをしたりしてなんとか必死に女の子を笑わせようとするが、女の子は1時間ごとに記憶が消えてしまう、そうすると少年は必ず看護婦さんに頼んで綺麗なたんぽぽの花を摘んできてもらってそれをプレゼントしながらまた自己紹介を始めてまたトランプを取り出す、それを何度も何度も繰り返すのだ。ある夜に、少年は意識を失って亡くなってしまう。朝、女の子が起きる。記憶がないのでもう少年のことを覚えてはいない、けれど、向かいのベッドの棚に置かれているたんぽぽとベッドにわずかに残るくぼみを見て、女の子は看護婦に向かいのベッドに誰がいたのかを尋ねる。看護婦は「向かいには、貴女のことをとても思っていた優しい少年が居て、彼は鳥になって窓から空へ飛んでいったのよ。」と、女の子に告げて、女の子が目から涙をこぼすところで目が覚める。といったような夢の話だったりして、かもめは涙を押し殺すような声で私に語りかけてくるのだ。
でも、今日は全く別の事を考えていたのかもしれない。かもめはよく、その場所と全く違うこと考えている事もある。私はそれを知っていた。
私はその情景に感傷的にもなれず感動もしていなかった。もう、私はこころの中の何かが欠落していてしまっていた。
風と車の行き交う音とセメントの匂いと、その雰囲気だけが、ただそれだけが二人に似合っていた気がした。私にはそれだけでよかったのかもしれない。
「近々、君の絵を描かせてくれないかな」とかもめは言った。
「いいよ」
「今度、2人で街に出て画材を探しに行こう」と私は言った。
「ん、そうだね、うん」とかもめはこちらを見ずに言って、そのときの目はあの日の、死について語っていた時の明け方の青い目をしていた。その白いリネンシャツを着たかもめの姿はとても美しく映った。まるで、自由な翼を持った鳥のような姿だった。
この世界に実在する本物の空を飛ぶかもめと海を漂うくらげという生き物はお互いの存在を知っていてお互いのことを愛しいと想っていたとしても、同じ場所で生活することは出来ないのだ。水中と空中。結局、どちらかが苦しむだけだ。
「君の、君の言っていたことが正しかったのかも知れないね」と、かもめが言った。
「何の話?」と、私が聞き返すと「名前に意味があるかどうかってことさ」とかもめはこちらを向いて言った。
私は自分の中にいつもと違う感情がその時浮かび上がってきていることに気付きはじめていた。
急に身体がそわそわとして、顔は少しほてっていた。過ぎ去っていくこの時間を埋められずに、適当な言葉もうまく吐き出せず、「喉が渇いたね、飲み物を取ってくるよ」と適当に誤魔化してかもめに背を向けた。私たちは変化していた。いや少なくとも私はどうしようもなく変わってしまっていた。時間は、川の流れは私たちを別の場所に運んでいた。
次にかもめに向かって発する言葉を頭で紡ぎながら錆びくさい手を手すりにかけて下りていた。
螺旋階段を降りているその時間の隙間に、ついさっきまでいた屋上から、幾つか柵の軋む音が聞こえて、屋上にあった気配が雰囲気を変えた、ふと、何かの音がした。もう二度と取り戻せない時間が過ぎた。それは、大事なものを失っていく時の瞬間の音だった。今、世界の裏側では外国で誰かがジョークを言って笑っているそんな瞬間の、ほんの一瞬の出来事だった。
――私はそのあいだ焦点を動かさず動きを止め、かもめが必死に伝えようとしていたことのすべてを悟った。私は目をそっとつむる。錆びくさい螺旋階段をさっきよりゆっくりと下り始めた。――
少しばかりすると、ガラスが弾けるような音と何かが地面に叩き付けられた音がして、色のない悲鳴、ざわめき、その全ては紫色の夜に溶けた。多分、この世界でそれは、明日朝に見るテレビのニュースにも報道されない、新聞の片隅に掲載される程度のことだろう。
雲が月の光を遮り、辺りは少し冷たい光が包んだ。
「君が好きな空にある月には到底飛び立つことが出来ないし、僕は地面の上でひっそりともがくことぐらいしか出来ないだろうなぁ」というかもめの言葉を思い出していた。
私の好きな海の月、「くらげ」という名前はその夜意味を持ったのに。
汚い海をすり抜けて生きてきたこと、真夏のプールサイドの白さ、日常、空気、夜明け前。それらはすべて一つのかもめと私を含む生命体だった。
たくさんのきらきらしたものは失くしてから始めて気が付いていたものだ。
辺りに満月の明かりが散りばめられた深夜、まだ起きている誰かがバイオリンの音色を煌びやかに奏で、月は光を一層増し、私は螺旋階段の途中で足を止めた。私の中の温かくて冷たい何かが小気味よくグシャリと音を立て、私は、「くらげ」は、涙を流していた。体は活動を止めて、意識は深い、深いところへ沈んでいった。
予兆もなく、環境も意味することはなく。ただうずくまって声を押し殺して、涙をパーカーの袖で拭った。辛く、悲しく心地よく、私は孤独になった。結局、私たちには何もなかった。私は元の流れに戻った。
日常の温かく優しい言葉にもどこかに冷たい刃が潜んでいて、私たちは人工塗料で染められたこの「うみ」にゆっくりと自分を擬態させていく、その瞬間に彼は耐えられなかったのだ。
記憶の隅を手さぐりにデッサンするように白黒のゲレンデの絵をイメージした。それは私がかもめに会って、初めてかもめが私に見せてくれた絵だった。私は「この絵、とても好きだよ」と言ってそれから二人で微笑みあった。かもめが初めて笑った日のことだった。
これで私たちの話は終わりだ。

「409号室」のドアノブはもう二度と回されることはない、あの日々は、「くらげ」の取り残された感情は、シャーレに閉じ込められ、生活は「うみ」の中に未だ取り残されたままで。

シャーレの中で

見ていただいて本当にありがとうございます。

シャーレの中で

いつまでも変わらないものも、変化していきます。私たちが人間である以上、変化し続けるのです。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-13

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