practice(125)

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百二十五




 鯨が浜に揚がっているという話を聞いて,砂浜にその様子を見に行った帰り。
 昔は男どもの代わりに網を担いで漁にも出ていたと本人がいう,半袖のシャツからたくましい二の腕を目立たせてマルコのお母さんがたらい一杯の汚れ物を片手で持ち,腰に巻いたエプロンの後ろの結び目を直そうともう片方の手を窮屈そうに伸ばして珍しく立ち止まっている,という場面に出くわした。おばさん!と,声をかけて,あらま!という大きな声の返事を真っ正面から聞く前に背後に回って,お母さんにするみたいに,ほどいた結び目をもう一度固く結んでから仕上がりを確認するためにそのままどう?と,結び目に聞いた。山になって見えた汚れ物を驚かすぐらいに上出来だ!と,おばさんがお礼と簡潔に褒めてくれるなかで,マルコは何をしている?と聞くと昨日のうちにすべき宿題をし忘れて,朝からお尻を叩いて起こしたところさ,さっきまでピーピー泣いてたけど,出る時に見たら泣き止んで食卓に向かって鉛筆を動かしてたね,落書きでもしてなきゃ宿題と答えの相談でもしてるだろうよと,近くでもっとたくましい二の腕の見せながら大きな声で教えてくれた。とそこで思い出して,ねえおばさん,もしかしてマルコの隣の椅子には何かもこもこしたものが座ってなかった?と聞くと,空でも噛み砕けそうな白い歯をニヤッとさせながらみせて,ああそうさ,大事な大事なお客さん,預かり物の熊の一頭が居たね,と答えて互いにやっぱりという笑みを揃えた。マルコはあのクマを大事にしている。特に大変なときには側に置くのだ。前は前は近所の悪ガキ大将であるアンドレアに呼び出されたとき。クマを抱えてアンドレアの前に立ったら,アンドレアに笑われて,そのアンドレアを何撃かの末にふっ飛ばしたことがある。マルコは歯を折っていた。クマは毛が少し,言われてそうかもと思うぐらいにむしりとられていた。そういう関係だ。マルコとクマは。でも,クマはマルコの叔父さんがマルコに暮れたものと聞いていたけど。貰って次の日にマルコは赤い頬して,息を切らして紹介もしていた。だから,ねえおばさん?とそのことを直に聞けばおばさんはあんなもの,家にはとても合わないのさ,お利口すぎて大人しすぎて。見れば借りてこられたような顔してるんだから,こんな顔して(と,おばさんの顔がお澄ましをし)だからあれは一生預かり物。私にとってはそうなのさと,おばさんは豪快に片目を閉じる。世界一素直じゃないなんて豪語するおばさんらしい。転けて泥水から救ったクマを抱えて,マルコが僕の家で,お母さんに洗って欲しいとお願いをしたことがあったけど,どこから出て来た『提案』というものだったのか。細長い胴体をしていたあの犬の名前は忘れてしまったけれど,お別れをした月の三週目の週末の金曜には僕とマルコでコップ一杯の牛乳を飲む。そんな日もある。僕がにやけて,おばさんが我慢強くほほ笑んでいた。白い汚れ物の山と軒の低い青い空を混ぜて,大小二つの笑い声を被せ合う。あとで寄るってマルコに言っておいてと,それから寄ってもいいよね?という許しをおばさんに伝えて,ああ,勿論。それから手土産は要らないよ!と,おばさんが走り出していた僕に伝えた。そこに,ああ!と付け加えて,鯨はどうだったかい?見たかい?とおばさんは大声で聞いた。
「いたよ!みたよ!」
 と僕も大声で返した。それで手を振り,おばさんはたらい一杯の汚れ物とともに歩き出した。
 帆のあるところから,石の階段,縦に広くて横にも長い,狭くない珍しい箇所でちょっとした遊びにもなる。チョークで描いたり,その中を跳んで移ったり。
 陰はときどき斜めにかかる。そこでは立て掛けられた板があったりする。
 日中,開けられた茶色い玄関をくぐり抜けて,お母さんに言われる前に電気を消していた部屋に入り込み,忍び込んだ風に捲れる画用紙と水色のもの,黒いもの,ほとんど使っていない白の絵の具。水差しの胴体を掴み,取っ手の方に持ち直して,冷たい缶のクレパスも持って。
 手はあとで洗うとドアの外で言った。片付けていない食器に水の音が当たっているのが聞こえた。向こうの遠くで海が輝いている。部屋の端に近づいていってもそんなに変わらない。砂も案外入っている。箒かデッキブラシ。柄だけ外したものがある。毛羽立っているから,かえって使えるようになっていて,食器棚の前の定位置に花瓶と一緒に並んでいる。借りるよと言わない,返したよとも言わない。
 知っているような船が小さく通りがかった。僕は一足早く歩いていく。足の裏にも付いているから,床との間でチクチクとした。


 
 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-12

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