遊泳禁止
遊泳禁止
こうやっている間にも、2人の時間はどんどん少なくなっているのに、
なにしてるんだろうな。
ほんと、私は。
午前6時。
ぼんやりと庭を眺めながら上田詩穂はそう思う。
タバコの煙を吐き出す。
1分。
いや、2分?
タバコを1本吸うと寿命が5分半縮まるらしい。
毎日1箱吸っている私は・・・
いいや。計算は苦手だ。
静かにタバコを吸って、そして吐き出す。
静かな朝だ。
昨日までの天気が嘘みたいに空は澄み切っている。
「しんちゃん・・・」
空を眺めながら詩穂はそうつぶやく。
恋人である葛西真輔と会わなくなってから、
1ヶ月が経つ。
「1年で戻るから。それまで待ってて」
そう言って真輔は突然アメリカへ行ってしまった。
「理由とか、聞かないで。
お願い。
とりあえず1年。
1年待ってて」
そう優しく微笑みかける真輔に、
詩穂は何も言えなかった。
彼がアメリカに行ってから、1通だけエアメールがきた。
文字をみると元気そうだった。
「俺は俺を見つめ直すためにここに来たんだな、そう思います」
葉書にはそう一言だけ書き添えられていた。
その彼からの連絡が途絶えて3週間が経つ。
最初の頃は焦ったが、じきそれも慣れてしまった。
待っていてほしいなんて言って、
逃げただけなんじゃないだろうか。
2本目のタバコに火を点けながら、
詩穂はそう思う。
アメリカに行くというのも嘘で、
本当は東京にいるんじゃないだろうか。
誰か他の女と結婚してしまったのではないだろうか。
ふぅ。
詩穂はため息をつく。
自分をどの立ち位置に置いていいのかわからない今の状況が嫌いだ。
恋人を待つ健気な女?
恋人に捨てられた哀れな女?
どうしたらいいのかわからないので、身動きが全然とれない。
「死んじゃってたらどうしよう・・・」
そうぼそりとパソコンの前で誰にでもなくつぶやくと、
隣にいる後輩の柏原徹平がこう答える。
「それだったらニュースになるでしょうよ。
上田先輩、もうあんな男のこと、忘れるべきです」
「だって待ってくれって言われたし・・・」
「常套句ですよ。逃げたんですよ。
卑怯な男の典型っすね」
「でもハガキきたし・・・」
「そんなのどうにでもなりますって。それに今の時代つながる手段なんか
いくらでもあるんですよ?おかしですって絶対」
「そんなに責めなくてもいいじゃん。
彼のこと何も知らないくせに」
「知ってますよ。32にもなっていきなり会社辞めて
ふらふら外国に行った卑怯な男っす」
「やめてよ」
「待ってて言われたら待っちゃうもんね、女って」
背後から同期の森垣直美が話しかけてくる。
「そうなの。なんかもうどうしていいのかほんとわかんない」
「わかる。でもさ、ちゃんとした理由聞かないあんたも悪いよそれ」
「だって・・・あまりにも真剣な顔して言うからさ」
「逃げたのかもしれないわね」
「違うもん!」
「はいはい。甘えてこないで。そんなしゃべり方で」
「友達は?」
「しんちゃんあまり友達に紹介してくれないからわかんない、友達が」
「それ怪しくない?」
「絶対黒っすよ」
「そんなことない」
そんなこと・・・ほんとに、ない?
1年4ヶ月付き合った間に浮気を2回された。
ほんとに、ない?
些細な事がきっかけで口論となり頬を殴られた。
・・・・・。
信じていたい気持ちと、もうどうでもいい気持ちと。
どうしたらいいのかわからない。
遊泳禁止区域で遊んでいて沖に流された子どものように、
本当に、どうしたらいいのかわからない。
彼の子どもが今、私のお腹の中にいる。
彼は知らない。
リミットは近付いている。
彼から連絡がくるのを待つか、
もう割り切ってそうしてしまうか。
心の中がざわざわとざわつく。
こうしている間にも、お腹の中の子どもは
すくすくと成長しているというのに。
完
遊泳禁止