ペロちゃん
ペロちゃん
「ペロちゃんの容態があまりよくありません。
今日医者見せたら、明日かもしれないし、
1週間後かもしれない。
とにかく覚悟はしてくれと言われました」
そんなメールが来たのは金曜の朝だった。
いつものようにトーストをかじりながら
何の気なしに見たメールに小川歩は激しく動揺し
すぐに実家の父親に電話をかける。
「もしもし」
「今、話せる?」
「ちょっとならいいよ」
「ペロちゃんのことなんだけど、なによあれ、
どういうこと?」
「1週間くらい前からご飯を食べなくなって
全然元気がないから峰先生のところへ
連れて行ったんだ。そうしたらああ言われた」
「死ぬってこと?」
涙を拭って歩は父親に尋ねる。
「落ち着きなさい。まだそうと決まってるわけじゃないよ」
「でも明日かもしれないって!」
涙があとからあとから出てくる。
「だから、落ち着きなさい、歩」
「私そっちに夜帰るから!」
「ペロも喜ぶよ。じゃ切るよ」
「うん・・・ペロちゃん、大丈夫だよね?」
「覚悟はしておきなさい、歩」
静かに父はそう言い、
私は携帯電話を切る。
午後5時半の特急で帰れば7時半には家には着く。
緊急事態だ。
歩は急いで下着や携帯電話の充電器、ヘアアイロンなどを
小さなボストンバッグに入れる。
会社に持っていくのは大変だけど、
そをなことを言っている場合ではない。
ペロちゃんは歩が大学生の時に家にきた犬だ。
「この犬種がいいなぁ。とは思ってたんだ」
父が嬉しそうに話すのを思い出す。
「この子だって。元気がよくって目がまんまるで。
この子がいいってお母さん直感で決めたの」
母の嬉しそうな声が甦ってくる。
ペロちゃんは私が前の会社を辞めて引きこもりに
なっている時、
いつも側にいてくれた。
悲しくて泣いているときも側にいてくれたし、
嬉しくて笑っているときも側にいてくれた。
大切な大切な家族の一員だ。
ペロが私たち家族の命綱だった時もある。
ペロ・・・・
朝の溶けた空を見ながら歩はゆっくりとペロとの
12年を思い返す。
午後5時。
特急の列に歩は並んでいた。
ペロのことは怖くて両親には聞けないが、
連絡がないということは大丈夫なのだろう。
ピロリン。
メールの呼び出し音が鳴る。
母からだ。
「歩ちゃん、何時の列車にのるのか教えてください。
駅まで迎えにいきます」
「5時半だよ。ねぇ、ペロは大丈夫?」
そう返事を打って返す。
ほどなくして母からメールが返ってくる。
ピロリン。
すぐに文面を読む。
「それはお父さんに聞いてください」
ペロの元気な姿が脳裏に鮮やかに甦る。
「それはお父さんに聞いてください」
ペロは、死んだのだ。
母からのメールはそう言っている。
ペロ・・・
目から大粒の涙が溢れてくる。
間に合わなかった・・・
間に合わなかったんだ・・・
並んでいる人に見えないように、
涙を拭うがあとからあとから溢れてきて止まらない。
ペロ、ごめんね。
最後にお姉ちゃんに会いたかったよね・・・
ごめん・・・
列車が走り出しても涙が止まらない。
乗車券の確認にきた車掌が不思議そうな顔で
私を見る。
夕日が、すごく綺麗だ。
ペロはもうこの夕日を見られないなんて。
もう、一緒に遊べないなんて。
もう、触れることもできないなんて。
この世はなんて残酷なんだろう。
私がこんなことを考えているなんて、
きっと隣のサラリーマンは知らないだろう。
人は皆悲しみを抱えて生きていくものなんだ。
誰にも、大切な人にしか、見せないで。
そうやって生きていくものなのだ。
多分。
家に着くと葬送曲が家全体を悲しく包んでいた。
クラシック好きの父がそうしたのだろう。
ペロの小屋に行く。
静かに目を閉じて、ペロは眠っていた。
庭で母の摘んできた花に囲まれて。
「ペロ・・・」
「ほら、お姉ちゃん帰ってきたよ、ペロちゃん。よかったねぇ」
そう言うや母は大きな声で泣き出してしまい、
それにつられる形で私も声を出して子どものように泣いた。
完
ペロちゃん