ジーザス・クライスト・スーパースター

七月最初の日曜日は、妹の誕生日だった。
流石に今日は「受験生だから勉強する」という言い訳も控え、数日ぶりの家族の夕食に『出席』した。

家族と共にする夕食は、昔から苦痛だ。わりあいよく喋る家族が賑やかに箸を使うこの場が。

同じクラスの高校生も大概「ご飯家族と食べとうない」「一人がいい」、さらに「家族が嫌い」、よく言う。

それに、家族にそれを言っても、「年頃だけん色々あるんじゃろう」だの「受験のストレスでそう思うとるだけじゃ」だのと返答するに決まっている。年頃の一言だと言えば成程納得できるだろう、だが小学校低学年頃から極力家族との関わりを拒絶している場合、『年頃だけん』は通用するのだろうか。ちょうど十歳年の離れていて八歳になった妹も、中学三年生の弟も、そんな『年頃』は過ごしていないはずだ。

台所では、妹が嬉しそうにケーキの箱を覗き込んでいた。山間部の過疎地にもかかわらず最近この町にできたばかりの某アイスクリームチェーン店のアイスケーキ。一昨日の放課後、せがまれて後輩の女の子を連れて行ったばかりだ。
「溶けるけんあんまり出しとくなよ」
それだけ言って自分の席に座る。

「三人並んで。写真撮ったげよう」
「入らん」
「入りんさい、来年からあんた居らんのんじゃけ」
そうだ、それだけが救いだ。自分にとっても、母にとっても。

「じゃあ、ここ座りんさい」
自分の席を今日の主役に譲る。生まれた時から長子として跡継ぎとして扱われたためか、昔気質の食事の席は祖父、父に次ぐ場所だ。

妹を座らせ、弟と並んで立つ。弟は部活に熱中していてよく日に焼け、身長は同じくらいなのにがっちりと体格が良い。
「まぁ、三人同じ顔じゃねぇ」
祖母が何故嬉しそうなのか分からない。確かに弟とは似ていると言われるが、十歳下の妹と同じ顔とは何だろう。確かに、居間には妹が生まれたばかりの頃に兄弟三人が写った公園での写真が飾られていて、その中の幼くて笑顔の自分は成程今の妹とよく似ている。だが、違う。その頃の自分は、笑っていながら笑っていない。他所用の笑顔を作ることはできても、自ら笑うことはできなかった。自分にしか分からない、兄弟では自分にしかない、明らかな醜さがあった。

この二人――年の離れたたった一人の女の子と、頭の中身はないが丈夫で素直な現在の跡継ぎ候補、この二人と自分は違うのだ。どうしようもない、越えることも蹴破ることも不可能な、そもそも取り払おうという気力さえ起きないような透明な壁。いつからか、そんな壁で自分と弟妹とは隔てられていた。

そんな隔たりを知らない呑気な弟妹に、その弟妹の領域に踏み込まないように笑いながら無言の釘を刺す大人たちに、良い兄良い子を演じる癖がついたのはいつだったのだろう。薄氷のような笑顔を貼り付けたのはいつだったのだろう。家族も、学校の人間にも誤魔化し続けている『お道化た優等生』など、本来程遠いものなのではないか。

「今日ケーキ食ったら半年以上食えんな」
自分は妹にそう言って笑う。
「次は兄ちゃんの誕生日?」
「そうじゃけどケーキは要らんわ。母さんの誕生日まで待ちんさい」
「でもクリスマスケーキは?」
「うちは真宗の寺じゃけクリスマスは無い」
父か祖父が言いそうなことを妹に言ってみる。
「えぇ……」
妹が拗ねたふりで笑う。

真宗の寺じゃけクリスマスは無い。
そうは言ったが、家を出てしまえばクリスマスだろうが何だろうが関係ない。どうせ寺を継ぎたがっているのは弟だ。自分の「国立大学の医学部に入る」という名目が決定打となった。自分も家族も、数年内に希望通りの緩やかで穏やかな離縁を迎えるだろう。

「ごちそうさま」
さっさと夕食を掻き込み、立ち上がる。


――〈私は理解ができない
   大きなことをしなければ〉


無意識に、あるフレーズを鼻歌で口ずさんでいた。

昨年の秋に学校行事で見せられた、某劇団のミュージカルの名曲ステージ。その最後に歌われた曲。


〈ジーザス・クライスト
 ジーザス・クライスト
 誰だ あなたは誰だ〉


『ジーザス・クライスト・スーパースター』。


寺の子にクリスマスはないと言った直後にこれだ。矛盾に、思わず笑みが浮かんだ。


このミュージカルは、救世主として扱われる人間ジーザスの姿を描いている。ジーザスは、自分が救世主扱いされることを、どう思っていたのだろう。

イメージが先行して、結果誰かに裏切られることを知りながら恐れたのだろうか。彼も、透明な壁の存在を感じていた一人なのではないだろうか。


誰しも自我があり、自分を愛したがる。
自分だってそうだ。自分を愛したい。

何が拒絶するのだろう。
何を拒絶しているのだろう。
何に拒絶されているのだろう。


自分は、物心ついた頃から病弱で、当時から言われてきた「二十歳まで持たないだろう」という言葉を今でも刷り込まれたように信じている。

自分は、今の妹より幼かった頃、近所に住んでいた白痴の男に何度となく犯された。

自分は、今の弟くらいの年の頃、友人を亡くして「次はお前の番だ」という幻聴を聞いた。


怖くて怖くて、見えない何かに怯えて――逃げ出すために本を読んだり勉強に没頭してみたり、はたまた騒ぐだけの悪友を持ったり回りの女の子を取っ替え引っ替えして手を出してみたり。



おかげで、捻くれたうわべの良い子に育ち、どこかで怯え続け、家族には得体が知れない出来損ないの暗黙の烙印を捺された。



生きること、それは、死んでいないだけ。細胞が活動し続けているだけ。


意味など、ない。


生まれてきてよかったなど、思わない。



嬉しげにケーキを頬張り、妹が生まれた日を素直に喜ぶ家族と理解し合える日など来ないだろう。


自分が生まれた日は、奇しくもジーザスと同じ12月25日である。

ジーザス・クライスト・スーパースター

ジーザス・クライスト・スーパースター

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2014-07-06

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