こどもの国
おいで、子供の国へ・・・・・・
俺は時々考えるんだ。何のために勉強しているんだろう、誰のために勉強しているのだろう。
優はチラリと腕時計をみて、携帯電話の電源を落とした。彼の気持ちを映し出していた画面は、あっという間に消えてしまう。
「なあ、優、お前の面談日っていつだ?」
隣の席の馨が、座席から身を乗り出して小声で聞いてきた。優も同じような格好で答える。
「明日の昼休みだよ。お前は?」
「俺?俺は今日なの。しかも、おふくろのやつが、最後の時間帯に入れてほしいって頼んだりするから嫌になるよ」
「うわ、たっぷり話せるじゃん」
優はニヤニヤと笑いながら身を戻す。
「うるせえ」
馨は思いっきりしかめっ面をしてみせた。
「うるさいのはあなた達ですよ」
気が付けば、担任教師が二人を睨んでいる。クラスの中からも、クスクスと笑い声が起こった。
「まったく、困った子たちですね。受験生なのだから、もっとしっかりしてもらわなくてはいけません」
教師の言葉に、生徒たちの笑い声が消える。その代わりに、重苦しい空気が教室を支配し始めた。
「最近は、子供たちが眠ったまま目覚めないという奇妙な事件が相次いでいますが、我が校の生徒からは、そのような人間がでないものと期待していますよ」
教師は、生徒一人一人を射るような目でみながらそう言い残して教室を後にした。
「たっく、あのばばあ、本当にむかつくな。なあにが、受験生だよ」
馨は弁当を口に運びながら、永遠と担任の悪態をつく。
「なあ、馨」
「ん?」
「お前は、最近の子供たちが眠りから覚めなくなる事件についてどう思う?」
優は一足先に、弁当を食べ終え、屋上に寝転がったまま空を眺めていた。寝転がったままでも、頭上で馨が体を固くするのがわかる。
「お、俺は、もう疲れているんじゃないかなって思う」
「子供たちが?」
「ああ」
「そうだな」
「お前はどう考えてる?」
「俺か?俺はよくわからないな」
「学年一の秀才でもわからないことってあるんだな」
馨も寝転がりながら、わざとらしくそう言った。
その日の夜。馨から優のもとへ一通のメールが届いた。
よ、お前のことだから勉強ばりばりしてるんだろうなw
俺よ、もう疲れた。今日の三者面談だって最悪だったぜ。俺、中学受験なんてしたくなかった。でも、お前に会えたからよかったと思うよ。
「あいつ・・・・・・」
そう呟きながら、馨の携帯に電話をかけていた。
ルルル、ルルル、ルルル、ルル・・・・
「くそ!出ない!」
机から離れて、自室のドアを開けると母親と鉢合わせてしまった。一瞬の沈黙。
「優、何をやっているの?」
「どいてよ、母さん。馨が、馨が大変なんだ」
「馨君?あの子がどうかしたの?」
母親は湯気のたつココアを手にしたまま、優の前から動かない。
「変なメールがきたんだ!もう疲れたって。俺に会えてよかったとか言い出したんだ。まるで、まるで、別れの挨拶じゃないか!」
「優、落ち着きなさい」
母親は優を軽く押しのけ部屋に入ってくると、ココアを彼の机の上に置いた。そして、優の解いていた問題用紙を見ながら、
「大丈夫よ。ただ単に疲れただけでしょう。そんなことに振り回されていていいと思っているの?」
母親の言葉に優は言葉を失う。
「あら、この問題できていないわね。まだ五月だからってたるんでいたら駄目よ。受験の時期は、あっという間にくるわ」
母親はそう言い残して部屋を出ていった。
「んだよ・・・・・。なんだよ、それ」
優は携帯電話を強く握りしめながら、椅子にドカっと腰を下ろす。
「なんだよ、勉強って。友達よりも勉強かよ・・・・・。俺もこんなところで何やっているんだよ。早く、馨のところにいかなきゃ」
わかっている。頭ではわかっている。俺は母さんのせいにして、ここから動いていないだけだ。俺だって、もう中学三年だ。自分の意思で動き、意見だって十分に言える。けれど、それをしないのは・・・・・、俺が臆病者のせいだ。
携帯を握りしめた手にさらに力をこめる。
優は、世間一般的に『エリート』といわれる中学校に通っている。幼いころから、いい学校に入り、いい会社に入ってこそ人生はうまくいくのだと、両親に教えられてきた。優が両親の期待に応えられないことはなかった。
両親はそんな息子を誇りに思っているし、彼自身、親に反発することに意味はないと思っている。反発が意味するのは、親の失望と、信頼の喪失。優はそれらを恐れているのだ。
「くそっ!」
振り上げた拳を勢いよく振り下ろしたかった。だが、結局それはそのまま振り下ろされることはなかった。
翌日、馨は学校に来なかった。何度携帯に電話をかけても、メールをいれても返事すらこなかった。
「先生、馨はどうしたのですか?」
三者面談の席で、優は思い切って聞いてみた。
「どうもしません。馨君は、風をひいたのだと、ホームルームでお話しましたよね」
担任は、優の成績が載っている用紙をペラペラとめくりながら冷たく言った。
「先生、この子の成績はどうですか?」
「お母様、優君はとても優秀です。今のところ、何の問題もございません」
担任の言葉に母親が安堵の息を漏らす。
「ただ」
担任のただならぬ声の調子に、母親が身を固くしたのが隣に座る優に伝わった。
「少々、人が良すぎる面がありますわね。今のようにお友達の心配をなさるのは大変喜ばしいことです。しかし、受験生としては他人に気を使うのはいかがなものかと・・・・・」
面談も終わり、無事に家にたどりついた優は母親の小言を背中に聞きながら自室へと向かった。
重い荷物を乱暴に机に置き、自分はベッドの上に倒れこむ。頭の中では、母親と担任の言葉を反芻していた。いや、したくなくてもしてしまう。
「うわあああああああああああああああああああ」
枕に顔を押し付け、叫んでみた。
「うわああああああああああああああああああああああ」
もう一度。
何度も何度も叫んでみる。生まれてはじめて、大声をだしたのではないかという思いが頭の中をかすめた。
俺は、俺だ。叫ぶのも、勉強するのも、友人を気遣うのも俺の自由だ!誰にも俺を束縛する権利なんてないんだ!
ん・・・・・・・。
優はゆっくりと目をあけた。どうやら眠ってしまっていたらしい。
「やばい、明日の予習をしなくちゃ」
体を起こした優は驚きに一瞬息が吸えなくなった。
「こ、ここは」
「おはよう、優」
振り向けば枕元に見知らぬ少女が立っている。
「君はだれだ?ここは、いったいどこなんだ?なんで俺を知っている?」
少女は柔らかく微笑んだまま口を開く。
「私は莉莉花。ここはあなたの世界。私はあなたを知っている。ううん、あなたが私のところへ、この世界へ来たがったのよ」
意味がわからない。こいつは何者だ?これは夢か・・・・・・?
「夢・・・・・・・。そうかもしれない、でも、そうじゃないかもしれない」
少女、莉莉花は口元に悲しげな微笑を浮かべる。その笑顔をみると優の胸はしめつけられるようなさみしさを感じた。
「莉莉・・・・・・花、だよな?」
コクリ。少女が頷く。
「俺は自分の部屋のベッドにいたはずだ。今も間違いなくベッドに座っている」
少女がまた静かに頷いた。
「だけど、それ以外は何もない。たしかにここは俺の部屋だ。壁の色も、星模様の壁紙も、窓の位置も、俺の部屋そのものだ」
「そうよ。ここはあなたの部屋」
「ちがう!俺の部屋には、本棚があった!勉強机があった!なのに、ここにはベッド以外なにもない!」
「それは、あなたが望んでいないからよ」
「え?」
「言ったでしょ。ここはあなたの世界よ。あなたが欲しいもの、あなたが望むものは手に入るわ」
「俺が望むもの・・・・・・・」
優は考える。自分が何を欲していたのか?
いつも勉強を強いられていて、自分の欲するものについて考えたことなどなかった。周囲の期待に応えることに精いっぱいで、自分のやりたいこと、望むことなど考えたことなどなかった。
「わからない・・・・・。俺は、自分がなにを欲して、何を望んでいるのかわからない」
俯いた優の頬に温かい手がふれた。
「大丈夫よ。ゆっくり見つければいいの」
「ここには誰もいないのか?」
「いいえ、あなたのような子がたくさん」
「!!馨!」
「ええ、いるわ」
「会いたい、馨に会いたい」
「馨!」
外に出ると馨はいた。今まで見た中で一番の笑顔で笑っている。
「優!」
馨はサッカーボールを仲間らしき男の子に渡すと優のもとへ駆けてきた。
「優!お前も来たのか」
馨は明るい。晴れ晴れとした笑顔。
「お前、どうして俺にメールの返信もしてこなかったんだよ」
「ごめん」
「いいよ、とにかくお前が無事でよかった」
優は馨の肩に腕をまわす。
「お前もサッカーやろうぜ」
「いいねえ。でも、俺さサッカーなんてやったの体育ぐらいだ」
「まじかよ。俺は、小学校4年生までは地元のサッカーチームにいたんだ」
「へえ、そういや以前そんなこと言ってたよな。受験のためにやめさせられたんだよな」
「ああ・・・・・・。さあ、やろうぜ!」
「優!優!起きなさい!」
母親はベッドの上の息子を激しく揺さぶりつづける。それでも、息子、優は目覚めない。
「どうして、どうしてよお」
母親はその場にうずくまり、化粧が落ちるのもかまわずに涙を流す。優は夕方帰ってきて、自室にこもったまま姿を現さなかった。夕飯の支度ができたと声をかけても、返事をしない息子の様子を見るために母親が部屋に入ると、優はベッドで眠っていたのだ。
「勉強もしないで・・・・・・。ほら、優、御飯よ」
息子を揺さぶるが反応がない。母親のいやな考えが脳裏をよぎった。
まさか・・・・・。この子は、今相次いでいる、眠りから覚めないなんていうことになったんじゃ・・・・・・。
そう思うと怖くなって、息子をさらに揺さぶっていた。
「優!優!起きなさい!」
それでも、息子は目を開けようとはしなかった。
「優・・・・・・。」
優は久しぶりに風を感じたような気がした。頬に感じる風が気持ちい。キャンバスと鉛筆を手に,元気よく遊んでいる子供、少年、少女を丁寧に描いていく。
「絵がうまいのね」
「いつのまにか隣に莉莉花が座っていた。
「ありがとう。俺、絵をかくのが好きなんだ。将来は画家になりたいと思ってた」
「今は?」
「今はもう・・・・・・。そんな夢みたいなこと言っている場合じゃないんだ」
クス。
莉莉花が笑った。
「何がおかしい?」
「だって、夢みる年齢じゃないっていうから」
「だってそうだろう」
「あなた何歳?」
「俺は15歳」
「まだまだこれからじゃない」
「莉莉花だって、同じ歳ぐらいだろう?」
「さあ?私は何歳にでもなれるわ」
優はキャンバスから目を離し、莉莉花をみた。莉莉花は黙って空を見つめる。
「どういう意味?」
「言ったでしょ。ここはあなたの国だって。でもね、ここはあなたの国でもあり、私の国でもあるの」
「つまり君が望むもの、君が欲するものは君のものになるってこと?」
莉莉花は嬉しそうに頷く。
「莉莉花、君はどうしてここにいるの?」
「あなたはどうしてここに来たの?」
莉莉花は優の問いかけに答えるどころか、彼に質問をよこした。
「俺の質問にも答えろよ」
「優が先に答えてくれたらね」
なんだか腑に落ちないが仕方がない。彼はゆっくりと言葉を紡ぎだす。
「俺の両親は、学歴重視の人間だ。学歴があれば幸せになれる、人生の勝者だと信じてるんだ。だから俺も、中学受験をして今の中学に入った。本当は公立の中学校に進みたかった。小学校の友達のほとんどはそこに行くからさ」
莉莉花は空を見つめたまま、だがしかし、優の話はしっかりと聞いている。
「中学に入ったら、今度はいい高校に受かるための勉強が始まってさ。俺は、親や周囲の期待や信頼を失うのが怖くてずっと頑張ってきた。でも、もう疲れてたんだな。自分でもしらないうちに、クタクタになっていたんだ」
優が話終えても莉莉花は黙ったままだ。
「莉莉花、君の番だよ」
「あの子」
莉莉花がゆっくりとした動作で、一人の男の子を指でしめす。その子はちょうど馨に抱きかかえられて嬉しそうに笑っていた。
「あの子は、希。小学校4年生よ」
「え・・・・・・」
優が訝しげに眉をひそめたのも無理はない。希は小学校4年生にしては異常なほど小さいのだ。
「希は、母親からネグレクトを受けていたの。きっとここに来なければ死んでいたわ」
「そんな・・・・・。周囲の人間は何をしていた?児童相談所とか、警察とか、周りの大人たちは何をしていたんだ?」
「さあね」
「さあねって・・・・」
「次はあそこの二人」
莉莉花は双子の姉妹を指さした。二人は仲良さげに、シロツメクサを集めている。
「加奈と阿奈よ。二人の両親は共働きで、ほとんど家にはいないの。二人はとても寂しかったけれど、そんなこと表には出さなかった」
莉莉花が次に指指したのは、小学校6年生の男の子、光だ。
「光はサッカーが大好きなの」
たしかに昨日も馨たちと楽しげにサッカーをしていた。今は一人でリフティングをしているが、その顔は生き生きとして輝いている。
「でもね、親は光に中学受験をさせるためにサッカーを取り上げたの」
優はなんといえばいいのかわからなかった。それでも、なんとか言葉を絞り出す。
「ここに・・・・・・、ここにる子供たちはみんな辛い思いや、寂しい思いをした子たちなんだな」
「そうよ」
「君も」
「ええ」
しばらくの間、沈黙が続いた。その間にも子供たちの楽しげな笑い声が辺りに響いていた。
「私には一つ年下の妹がいるわ」
やっと莉莉花が口を開いた。
「妹は体が弱くて昔から入退院を繰り返してた。その度に、母親は妹のお見舞いにいったり、一緒に病院に泊まったりした」
莉莉花の長い髪が春風に揺られている。その横顔はすごく悲しげだ。
「寂しかった。ただでさえ、お母さんもお父さんも仕事で家にいないことが多かったのに、いつも妹のことばかり気にしていて、私のことなんて気にしてなかった」
何かを思い出しているかのように莉莉花は目を閉じている。
「私が学校でいじめにあっていることも気づいてなかったと思う。私も何もいわなかったから。でも、でも、ほんの少しでいいから心配してほしかった。体操着が泥だらけになって帰ってきたなら、『何かあったの?』って聞いてほしかった。『どうして泥だらけにして、お母さんを困らせるの?』なんて言わないで、ただ・・・・・・」
莉莉花の言葉が嗚咽となって途切れる。優はキャンバスを芝生の上に置き、莉莉花の肩をそっと抱く。
「お母さん・・・・・・」
小さな肩を小刻みに震わせながら、莉莉花は何度もそうつぶやいた。その度に優は莉莉花を抱きしめた腕に力をいれた。
しばらくすると莉莉花は落ち着きを取り戻した。
「ここはこどもの国だね」
優の言葉に莉莉花はコクリと頷いた。
「莉莉花・・・・・・」
莉莉花の母親、光代は眠り続ける娘の頬を優しく撫でた。
莉莉花が目覚めなくなってから約2か月。この間に数えきれないほどの子供たちが眠りから覚めなくなった。
「ごめんね。ごめんね、莉莉花」
涙を流そうにも流れない。光代の涙はとうに枯れてしまったのだ。
「あなたの苦しみに気づいてあげることができなくて、本当にごめんね」
娘が眠りから覚めなくなって初めて、光代は娘がいじめにあっていることを知った。たまたまリュックサックの中からのぞいていた教科書を開いたのが、それを知るきっかけとなった。
娘の教科書を開くと、たくさんの誹謗中傷が書かれていた。さらに、勉強机から見つけ出した莉莉花の日記には、莉莉花の苦しみ、母親への思いなどが書かれていたのだ。そして、日記が書かれた最後の日、その日の文はたった1行。
誰も私を必要としないなら、この世界にいる必要はないよね
優は芝生の上に寝転んで空を眺めていた。真っ青な空に、真っ白な雲がプカプカと浮かんでいる。
「アイスクリームみたいだな」
ぼそりと呟いた言葉は馨にしっかりと聞かれていた。
「俺にはそうは見えないな」
「げ!馨、聞いてたのかよ」
馨は悪戯っぽい笑みを浮かべるたまま優の横に寝転がる。
「いいよな、こういう時間」
馨が穏やかな口調で切り出す。
「俺さ、ずっとこういう時間が欲しかった。こんなふうに空を眺めたり、友達と話したりする時間が欲しかった」
「ああ、俺もだ。こんな穏やかな時間をずっと望んでた」
馨と優が目覚めなくなってから、早くも1週間が過ぎた。その頃には、2人の通う中学校でも続々と子供たちが眠り続けるようになっていた。世間でもこれまで以上に、この件については敏感になっている。大人たちは、自分の子供も目覚めなくなるのではないかという恐怖にかられていた。
「なあ、優・・・・・・」
優がこどもの国へ来てから1か月後。馨は浮かない顔で優のもとへやってきた。
「どうした?」
「あのさ、お前この国のことどう思う?」
「どうって・・・・・・。平和だなって」
優はキャンバスから顔をあげて答える。
「そうなんだけれどさ。なんていうか・・・・・、最近はちょっと子供の人数が多すぎやしないか?」
言われてみればここ最近の間にやってくる子供の人数は異常なほど増えていた。
「たしかにな。これって、あっちの世界で眠り続けてる子供が大勢いるってことだよな」
優はふと、あることを疑問に思った。
「馨」
「なに?」
「この国はいったい誰が作ったんだろう?」
二人は顔を見合わせる。
「俺は初めてここに来た時に、莉莉花に会った」
「俺もだ」
そうか
優は心の中で一人納得した。
そういうことだったのか
莉莉花は自分の作り上げた国を眺めていた。莉莉花がいるのは高い塔のてっぺん。この塔は、ずっと昔、家族で行った遊園地でみた塔だ。あの時、莉莉花はこの塔に上りたくてたまらなかった。だが、体の弱い妹を連れていては断念するほかない。そんな思いで塔をあとにしようとしたときに、母親が言った。
「莉莉花、お母さんと一緒に上ろう。パパときららにはここで待っていてもらおうか」
あの時、莉莉花はうれしくてたまらなかった。
「お母さん・・・・・・」
今、莉莉花は一人で塔の上にいる。そこから見る景色はとてもきれいだ。子供たちは楽しそうに笑っている。誰もが満足そうだ。幸せそうだ。
「この国に悲しむ子供なんて、だれもいない」
それなのに・・・・・・、と莉莉花は思う。
なぜ、私はこんなにも満たされないのだろう
「莉莉花」
振り向くとそこには優が立っていた。
「優」
「もう終わりにしよう」
優の言葉の意味がつかめなくて、莉莉花は首をかしげてみせる。
「もう終わりにしよう。僕たちの本当の世界に帰ろう」
そういうことね
言葉にしないまま心の中でつぶやく。
この国を出て、あの世界に戻ろうっていうのね
「この国は君が作ったんだろう?僕がここに来たとき君は、この国が夢かもしれない、でも、そうじゃないかもしれないと言った」
莉莉花が黙ったままなので、優は言葉を続ける。
「君がこの世界を作り出し、自分と同じような思いをしている子供たちをよんでいたんだ。ちがうかい?」
莉莉花は窓枠に腰掛け、外を見たままだ。
「莉莉花!!」
彼女がゆっくりとこちら側に顔を向ける。
「そうよ。この世界は私が作った。でもね、優」
彼女の悲しげな微笑。
「子供たちをこの国によんだりはしていないわ。ここに来たのは本人たちの意思よ」
「そうか。それなら出ていくのは?」
「・・・・・・。それも自分たちの意思よ」
「君は、これから先もずっとここのいるつもりかい?」
莉莉花は答えようとしない。
「君はこの国で本当に幸せかい?」
無言。
「君が本当に幸せになれるのはこの世界じゃないはずだ。君だけじゃない。俺も、ここにいる子供たち全員この世界では自分が本当に望んだ幸せは手に入らない!」
「そうよ」
莉莉花が窓枠から立ち上がり、優の目の前に立った。下から見上げる形で、彼女は優の目を見つめた。優も見つめ返す。
「本当は気づいていたの。ここに来る子供たちが増えるにつれてこのままじゃいけないって。この世界を作りあげてしまった自分がこの世界から抜け出さなければいけないこと、この世界では私たちが本当に望むものが手に入らないことも知っていたわ」
そこまで言うと莉莉花は優に身体を預けた。
「帰らなくちゃいけない。でも、私怖い。あっちの世界に私の居場所はないかもしれない」
「大丈夫、必ずある。たとえ誰も君の居場所を君に与えてくれなかったとしても、俺がちゃんと莉莉花の場所を作って待ってる」
「本当に?」
「うん、約束だ。こう見えても俺は真面目なんだ。約束はきちんと守る」
優の腕の中で莉莉花がクスっと笑った。
「わかった。その約束を守ってくれるって信じる」
春風はいつのまにか夏の蒸し暑い風に変わっていた。優と馨は高校受験に向けて着々と準備を進めている。だが、時々息抜きに二人で遊びに行くこともある。それに優には彼女ができた。
「優、お前明日はデートだろ?」
「あ、ああ」
夏期講習からの帰り道、優と馨はアイスキャンディーを舐めながら帰っている。
「いいよな。で、彼女は元気?」
「うん」
「妹さんは?きららちゃんだっけ」
「先週退院した」
「そっか」
優の彼女、莉莉花は隣町の公立中学校に通う中学2年生だ。
「じゃ、莉莉花ちゃんによろしくな」
優と馨は駅で別れた。優は駅に止めてある自転車にまたがる。
優が自転車をこぎだすと、夏のにおいのする風がぶつかってきた。
「俺は俺の道を行く」
一人つぶやき、優はペダルをこぐ足に力をこめた。
終わり
こどもの国