独り身の夢

クリスマスの頃の夜、独り者はさみしいものです。
やけっぱちに酒を飲む男の見た夢は……?

「うぃ~……」
12月暮れの寒い夜、さびれたアパート、三階の一室で、ある男が不満たらたらに酒をあおっていた。
こたつに入って小さなソファにもたれながら、ひたすらに酒を飲み続けた。

「ああ、またかよ……酔わないすっきりしねぇ酒だ」
その言葉とは裏腹に既に彼の意識がもうろうとして、酒の空き缶は山を作っていた。
周りのものはみな霞んで見え、ぼやけた何かとしか映らない。
換気のために少し開いた窓の向こう側は真っ暗なことが理解できた程度だった。
外はしん、と静まりかえり、人の声も、車の音も、不気味なほど何一つ聞こえてこない。

「けっ……何がクリスマスだぁ。何も変わらない一日だろ…… 
 テレビだってバカみてぇに騒ぎやがる、恋人たちの聖なる夜、だと……
 恋人居ねぇ奴への当てつけか、どいつもこいつもよぉ、ふざけるな」
怒声は部屋中に響き渡り、その勢いは隣室どころかアパート全体に届きそうなほどだった。
叫んだ直後、ふいに彼の表情には曇りが差した。唐突に心は孤独感に襲われた。

「彼女とかよぉ……ふざけんな……そりゃあ欲しいよ……畜生。
 一度くらい夢見させてくれよ、キスくらいはよ……
 誰か……誰か一緒に居てくれても良いだろ、誰かよ……」

涙が頬を伝っていく、それがただ一つの温もりだった。
うとうとと、次第次第に眠気も深まり、男は流れに身を任せ、ひっそりと目を閉じた。

しばらくして、男はどこからともなく小さな物音がするのに気が付いた。

「君、目が覚めたかね?」
こたつの真向かいに『何か』が居て、彼に話しかけていたのだ。
不鮮明なその姿は赤く染まり、ところどころに白い綿毛が付いているよう見えた。
ぼやけてはいたが、怪物じみたその体つき、彼は驚きの叫び声を上げようとしたが、まるで金縛りにあったように口が開けない。
それどころか身動き一つも取ることが出来ず、体はふわふわと宙に浮いているようだった。

「ああ、驚くことはないよ。君を傷つけたり、物を奪っていくことはしないから安心してくれ」
低い老人の声、穏和な口調で『何か』は語りかけてくる。
男は、こんな所に居ないはずの、突然現れた目の前の『何か』は、変な夢か、悪酔いの生み出した幻なのだな、と自分を納得させた。
この家に入ってくるような人間は居ないのだから。

「突然失礼したね、君も欲しいものがある人みたいだから、少しお邪魔させてもらっているよ。
 私は仕事が終わってね、これから家へと帰るところなのさ。一日で仕上げる仕事というのは、実に忙しいものだね。
 だからこそ、やり甲斐がある仕事でもあるけれどね」
男には、『何か』が何の話をし出したのか、全くの見当が付かない。仕事帰りなら、わざわざ他人の家へ上がり込むことはないだろう。
夢なら夢で、もう少し分かりやすい夢を見たいという風にしか感じられない。

「なに、すぐに私は帰るよ。それでも、誰かに欲しいものがあるのなら、私は叶えたい性分でね。
 君はさっき、誰かに居て欲しい、と言ってただろう。その願いを叶えに来たんだよ」
さてはさっきの叫び声を聞きつけた奴が、大家から合い鍵を借りて上がり込んできたのだろうか。
誰だか知らないが迷惑だ、とっとと帰ってくれ……男はそう祈った。

「一緒に居る人が欲しい……最も叶えたい願い事だよ。
 一人っきりは誰にとっても辛いことだ。
 今の君は誰かと一緒に居たい、私はいつでも皆のそばにいるよ。そうじゃなければ願い事が分からない。
 欲しい、と思った願い事は全部、すぐ隣で私が聞いているのさ」
ああ、隣室の人間か。安心はしたが、そんな聞き耳立てるのはやめてくれ。
迷惑としか感じられない。

「少しの間だけども、君と二人きりで話すことが出来た、とても幸せだよ。
 だが、これからも私は君の側にいる。諦めないで何時でも求め続けてくれ」
求め続けろ、と言われても困る。誰だか知らないがいい加減やめてくれ。

「君は私が誰だったか忘れてしまったようだが、また思い出してくれるだろう。
 さあ、朝までゆっくりとお休みだ。さようなら、坊や。
 願い事のかけらは君の中にしまっておいたよ」
坊や……願い事のかけら……?もう良い、寝るとするよ……
男が再び重いまぶたを閉じると、窓の向こうからかすかな鈴の音が聞こえてきた。そうして男は安らかな眠りに就いた。



光と寒気が男に朝が来たことを告げた。時計を見ると既に10時を回っていた。
あれだけ大量に酒を飲んだというのに全く酔いは回っていない。それどころか羽のように身は軽い。
すっきりした体に唯一つっかえるのは、昨日の夜のことだ。

隣人が来たのだろうが、考えてみれば隣に誰が住んでいるかなど気に掛けたことがない。
まあ、どうせ夢だったのだろう、と納得した途端に自室のチャイムが鳴り響いた。
男は驚きつつも、「どちら様ですか」と玄関の向こうの者に問いただした。
若い女の声で「隣の者です。お話があります」と応えがあった。
何の奇遇なのだろうか、まあいい言うことは言ってやる、と心に決めて扉を開けると、小柄な女が一人立っていた。
「……何のご用ですか?」男は出来る限り穏和な口調で話した。
「隣の部屋の者です。昨晩は騒々しいパーティーをしでかして申し訳ありませんでした。うるさくありませんでしたか」

男は狼狽した。昨日の夜はそんな物音はこれっぽっちも聞いていない。
「え、そんな事はありませんよ……私はずっと家に居ましたけれど」

「あれ、友達とクリスマスパーティーをして、ついずっと騒ぎ続けてしまって……
 度を過ぎてしまったので下の階の方にも謝りに行ってきたところなんです」
「いや……静かでしたよ。私もちょっとお酒を飲んでは居ましたけど、何もありませんでした。
 私がうるさかったんじゃないですか、大声出しましたから……」
「えっ、そんな……お隣からは別にそんな声は聞こえなかったですよ。私たちも途中で寝ちゃいましたけれど」


「あ、そうですか。でも、ありがとうございます、わざわざ来てくださって」
「いえ、そんな、せっかくのお隣ですから、失礼があってはいけないと思いまして」
「こちらこそ……また、何かあったら遠慮無く仰ってください。力仕事なら協力出来るかも知れませんし」
「はい、もしそういうことになったらよろしくお願いしますね。それじゃあ、失礼します」
そうして隣人は会釈をしながら玄関のドアを閉めた。

男は居間へ戻り、じっくりと考え直した。
昨日の夜、この部屋が静かだった?そんなはずは無い……あのとき、誰か居てくれと叫んだはずだ。
隣からの物音なんてこれっぽっちも聞こえていない……赤い『何か』と話しただけだ……
全く訳が分からない。
考えあぐねて部屋中を見わたすと、男は窓辺に小さな箱が置いてあることに気が付いた。
リボンで飾り付けられた小さな箱、空けてみるとそこには鈴と小さな紙が入っていた。
紙にはこう書いてあった、
『坊や、お隣さんとは離ればなれで近いものだ。声を掛ければ、一緒に居られるかも知れないよ』と。

男が鈴を振ると、いつかに聞いたリンリン、という音色が小さく聞こえて、彼の心に深くしみいった。



      今もどこかで、リンリンと鈴が鳴っているでしょう

独り身の夢

ちゃんとした話を書くのはこれが人生で初めてに近いので、多くの点で不安たっぷりの作品です。

最初はメルヘン路線、途中から現実基盤の路線に変更したため、ややおかしい場面があるかな、と実感しています。
考えていたことはもう大体ぶつけられたので良いのかな、とも思っています。
ひとまず最初の経験値にしていきたいと思ってます。

独り身の夢

クリスマスの頃の夜、独り者はさみしいものです。 やけっぱちに酒を飲む男の見た夢は、真っ赤っかの『何か』との小さい対話でした。 そして、彼は意味深なことを残して去っていきます。 彼の心に残った言葉が、彼の未来を変えるのでしょうか?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted