電車が来るまで

 びっくりした。
 人気のない駅のホームのベンチに座って、過去の記憶の中にいる、とある人物のことを思い浮かべていたら、その人自身が目の前に突然やってきたときの驚きといったら。
「久しぶり」
 そう言って微笑む少女は、中学の同級生の鳴海さんだった。
 僕はそのとき鳴海さんのことを考えていた。というより、そうするほかなかった。このベンチに座ると、どうしても彼女のことを思い出してしまう。
「なんか、変わってないね」
 ひとつ開けて腰掛ける彼女も、以前と同じだった。強いて言えば、少し髪が伸びたぐらい。背も雰囲気も、懐かしい面影そのままだった。
 冷える指先をこすり合わせる。雪でも降りそうなくらい寒い。僕はふと頭に浮かんだ疑問を彼女に投げかけた。
「なんでこの駅に?」
「中学の部活の後輩に指導を頼まれたの。今でも楽器続けてるのって、同期じゃ私だけだから」
 鳴海さんは中学では吹奏楽部だった。僕は中高一貫で隣接しているうちの学校にそのまま進学したが、彼女はここから少し離れた別の高校へ行った。だから彼女が中学の最寄り駅であるここを使うことはないはずだったが、最近になって母校の吹奏楽部へ教えに行っているらしい。彼女が僕の前に現れたのはそういうわけだった。
 話をするうちに、あの頃の感覚が戻ってきた。高校のこと、中学のこと、全然行われない同窓会のこと。話すことは昔と違っても、会話のリズムやテンポは変わらない。電車が来るまでの間、僕は鳴海さんと人のいないホームで話をしていた。

 中学三年の夏、ちょっとした事件があった。
 男子というのは、くだらないことをしょっちゅう思いつく。その中のひとつに僕は巻き込まれた。教室でカードゲームか何かをしていたとき、負けた者は『罰ゲーム』と称してクラスの女子に告白しろと誰かが言い出したのだ。で、僕が負けた。そのとき何故鳴海さんを選んだのか、はっきりとした理由は今でもよくわからない。学級委員を一緒にやっていたからか、クラスの女子の中では一番、惹かれる存在だったからか。この際嘘という体裁でいいから言ってしまおうとしたのか。とにかく、当時の僕は馬鹿だった。
「好きです、付き合ってください」
 僕の正面に鳴海さん、その後ろには成り行きを見届けようとにやにやしながら様子をうかがう友人たち。半ばやけくそで僕が言ったら、数秒の沈黙のあと彼女は顔を真っ赤にした。そしてしどろもどろに、少し考えさせてとだけ言うと、踵を返して走り去ってしまった。ぽかんとする僕に、影から顔を出した友人の一人が尋ねた。
「お前、嘘だって言ったのか?」
「言ってない」
「……それやばいんじゃね?」
 声をかけあぐねて数時間、気づいたときには授業が終わり、鳴海さんは教室を出ていた。その日の放課後僕は担任に呼ばれ、教材を運ぶのを手伝わされた。終わった頃には、教室に誰も残っていなかった。学校を出て、駅に着くと、ホームのベンチに鳴海さんがぽつんと座っているのを見つけた。そのとたん、急に恥ずかしさがこみ上げてきた。彼女は僕を見つけると、何事か言おうと立ちあがった。それを遮るように僕が言う。
「あのさ、さっきの……ごめん、あれ嘘なんだ」
 鳴海さんが一瞬固まる。そのあと、なーんだ、やっぱりねと言って笑った。ひとつ開けて座った僕と彼女の間には、いつもの空気が戻った。普段と変わらなかった。ただ一つ、隣にいる間ずっと、彼女が膝の上で二つの手をぎゅっと握り締めていたことを除いては。
 電車が来た。僕の住む駅の手前が終点の、鳴海さんがいつも乗る電車だった。電車に乗り込んだ彼女は、ドアに背を預けて立っていた。その後ろ姿は僕を責めているようにも、泣いているようにも見えた。

 あの事件のあとも、僕と鳴海さんの距離は変わらないように見えた。それでも、僕の中でこのことは黒いもやのようにとどまり続け、忘れられない記憶へと姿を変えた。この駅のベンチに座るたびにそれを思い出しては、後悔がぐるぐると頭の中で渦を巻く。
「あのこと、覚えてる?」
 僕が鳴海さんに嘘で告白したやつ。思いついたように聞いてみると、彼女はしばらく考えたあと思い出したように笑った。両手を膝の上でぎゅっと握りながら。
「ああ、あれ? 全然気にしてないよ。むしろ言われるまで忘れてたくらいだし」
 そのとき、駅にアナウンスが流れた。
『まもなく、二番線に電車が参ります』
 僕が乗らず、鳴海さんだけが乗る方の電車だった。彼女が立ち上がる。
「待って」
 彼女を引き止めると、冷静な頭でもう戻れないなと思った。
「あのとき、なんで僕が鳴海さんにあんな悪ふざけをしたのか、今ならわかる気がするんだ。嘘ということにしておけば、逃げられると思った。自分の本当の気持ちなんて、伝わらなくてもいいと思って言ったんだ」
 鳴海さんの目が大きく見開かれる。いまこれを言ってどうするんだ。そんな思いも、もう後悔したくないという気持ちには負けていた。
「あの時は嘘って言ったけど、本当は違う。僕は本当に鳴海さんが好きだった」
 ああ、言ってしまった。電車の音にかき消されないように大声で言ったせいで、とても恥ずかしいことになった。ここが田舎の、人がいない駅でよかったと心底思った。後退りをするようにして鳴海さんは電車に乗った。その表情は、苦い薬を飲んだあとのようにも、わめきちらしたいのを我慢しているようにも、笑いをこらえているようにも見えた。口をもごもごと動かしたのち、ドアが閉まる直前に彼女は僕に言った。
「ばか」
 がちゃんとドアが閉まって、電車は鳴海さんを乗せて去っていった。僕はぽかんとしてホームにたたずんでいたが、次の電車が来るというアナウンスがされたころに、ポケットのスマホが震えた。見ると、メールが一件来ている。鳴海さんからだった。そうだ、昔は彼女と、学級委員の仕事のことでメールしたりしたっけ。かじかむ手で画面をタッチする。
『でもありがと』
 それだけ書かれているのを見た瞬間、力が抜けると同時になんだか笑いがこみ上げてきた。寒いホームで僕は一人、マフラーに口元を隠してくすくす笑った。
 なんだよ、「でも」って。

電車が来るまで

電車が来るまで

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-07-03

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