夏祭りと友の記憶
藍の地に白抜きの鉄線花。
黒い塗り下駄に黄色の帯。
上げた髪にかざした夏椿を模した花かんざし。
これはうちの浴衣やな…祖母に仕立てて貰った、お気に入りの浴衣。
いつのまに着たんだろ?
顔を挙げて辺りを見回すと、群青いろの空の下に星と見覚えのある社の鳥居が見え…
ああ、そうか…
これは夢路町の夏祭り…だ。
連れ立つ相手の不在をいぶかしむ事もなく、
ただ一人祭りの宵宮の中に、歩み出す。
聞こえるはずもないざわめきの中に立ち尽くし、思い出すのは数年前の夏のこと。
まだ勇魚が夢路町に来てまもない頃の夏休み。
地元に帰った勇魚を待ちかねていたかのように、久しぶりに会いたいと近所の八幡社の縁日に誘ったのは小学校以来の親友で。
「勇魚!」
鳥居の側の狛犬の横。約束の場所に佇む黒い地に青い花が咲いた印象的な柄ゆきの浴衣を着た親友の姿。袂を抑えて大きく手を振る優美な仕草も板についている。
「わ…ありさちゃん、きれい」
「勇魚ちゃんもだよ!…それに、また背が伸びたねぇ」
なんのてらいもなく零れた勇魚の嘆声に振り向いた旧友は明るい笑顔になる。
はにかむように笑う友は見慣れた普段の姿とは別人のように大人びて、勇魚は何故か落ち着かない気分になる。
「変じゃないかな?従姉の姉さんのお下がりだから丈がまだだいぶ長いの…おはしょり綺麗に纏めるのに手間取っちゃって…」
「え、もう自分で着付け出来るの!?凄い、ありさちゃん、うちのお祖母ちゃんみたい!」
「えへへ…ありがと、勇魚のお祖母ちゃんカッコいいもんね、嬉しい」
手を合わせて頬を上気させた少女は、照れ隠しのように浴衣の裾を気にしながらも果敢に本殿前の雑踏に分け入って行く…勇魚の手を引いて。
そのひんやりした繊い指の感覚を昨日のことのように覚えている。結い上げたうなじの目に染みる白、筋ばって見えるほどに華奢な足首とくるぶしの造作。紅い絞りの鼻緒に杉の夏下駄が清々しく、そんな友の水際だった繊細な可憐さを勇魚は同性の友人として羨むよりも寧ろ誇らしくすら思っていた。
あんなに綺麗で優しくて頭も良かった彼女…どうして死んでしまう必要があったのか…
何百何千回目かの答えを知る術もない問いを、勇魚は唇の裏に呟いている。
祭り提灯がふいに揺らぐ。
折から巻き起こった一陣の風。湿った夜気に煽られ、カラカラと何処かで硬いものの触れあう音をたて滲む灯りの列が一斉に揺らぐ。
目蓋の裏に溢れた熱を、遣り過ごすようにあおのいた勇魚の視界に、その時ふいに見覚えのある黄緑色が飛び込んできた…セキセイインコの尾羽根のように明るく染め分けられた長い前髪。
夜目にも目立つ長身の白い手足、奇妙な右頬のタトゥ…
「くじら?」
「さ…ゆめさん」
「あー、やっぱりくじらだー」
嬉しそうに駆けてくる、見上げる高さの足元はいつも通りの高下駄だが勇魚は吃驚したように目を丸くした。
「さゆめさん…前、胸はだけてる!」
「ん~?あついならこーしとけばいいよ~ってうーるが」
「みか先輩!?でも…いくら男子でもこれはちょっと…」
黒い浴衣の前は思いきってはだけられ、下着のオレンジのトランクスが堂々と表に出ている…デザインのせいだろうか、決して見苦しくはないのだが、着物の着付けに煩い祖母を持つ勇魚には目眩を覚えるほどの大胆な着こなし…いやこれでは既に着崩れの域である。
きっと最初はもっとましだったのだろうけど、動いているうちにこうなったのかも…
にこにこと屈託なく微笑えむさゆめに、理由もなくなんとはなしに赤面しながら、表の参道から少し離れた人目につかない裏手に慌てて連れ出す。辛うじて裾を合わせている帯の前を結び直し、袂を寄せてそれなりに見えるよう身なりを整えてから、勇魚は大袈裟にため息をつく。
「ダメですよ?みか先輩は常識ないんですから…」
「じょーしきない?」
「変な人って事です!」
「くじら、かなしい?おこった?」
「怒ってへんよ~…でも、なんで哀しいやなんて…?」
「だってくじらないてた」
「…っちが…あ、あれは、さっきのは…そう!風でホコリが目に入ってん!」
「だから哀しうて泣いてたんとちゃうんよ?」
困ったような顔になるさゆめに、勇魚はいつものように笑ってみせる。
「うん、くじらつよい」
「うん、さゆめさんも、ウチとおんなじ!つよいもんね」
ぱあぁっと笑顔になる相手に、微笑み返しながら…さりげなく顔を反らして。
「へんなとこ目敏いんやから」
暗闇に紛れて顔を赤くし人知れず狼狽える勇魚に、気づいた様子もなく。
「さゆめ、わたあめたべたい」
無邪気な提案に、勇魚は顔を挙げて笑みを浮かべる。
だね、ウチも!一緒に食べよか、さゆめさん
「くじら、いこ!」
差し出された手を取り歩き出す…灯りの灯る通りまで…
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何処かでベルがなっている。
不粋なタイミングで夢の終わりを告げる、鳴り出した目覚まし時計を布団を払う一挙動で黙らせて、勇魚は小さく呻いて枕元の文字盤を睨む。
「なんや…夢か」
珍しいな、普通の夢なんて…でもやっぱり夢路町からは出られなかったけど。
ため息をついて起き上がる。
同室の鷺沢巴と夜見宮まゆらは既に起きて食堂にでも行ったのか、ベッドは綺麗に整えられている。
ウチ…なんであんな夢視たんやろ?
カレンダーの日付に目をやりながら、今年の夏祭りに鏑木さゆめは誰と行くのだろうかなどと、ぼんやり考える勇魚であった。
夏祭りと友の記憶