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百十九





 マネキンの指に支えられて,黒のステッキはその店のショーウインドウの中にあった。表通りに面するガラス以外は白く,暗くなると下から照らすライトがカチッと固定されている。街頭よりも先に細い姿が伸びて,日中に比べてシャツかブラウスがよく売れるという。出入りを知らせるベルの鳴り終わりまでを聞いて,待たされている子供や犬の退屈そうな時間を暮れる通りの流れと見つめているとアイスクリームがいなくなり,ステッキは建物より上の世界を思い描く。オレンジの灯り,煉瓦造りの西日の陰。窓拭きの男性はロープを巻いて,ニュースペーパーが脇に仕舞われる。一度脱がされたハットは片手で胸に置かれて,軽い会釈とともに通りを過ぎ去る。店内の様子を探って諦めた子供に犬はガラスを曇らせて遊び始めた。おかげで通りは一部分において見えにくくなった,とステッキは思った。そこに簡単な笑顔は描かれる。裏からみてもこうして変わらない。点と線のアーチ。位置関係。それは丁度,今朝のディスプレイ担当の者からステッキがここに置かれながら聞いていた良いアドバイスに関することだった。捻ればいい,あるいは加えても。紙袋から取り出したサンドイッチを頬張る女性がウインドウの目の前を通ったところで,ステッキは立ち上がろうとした。しかし支払いは済まされ,シャツかブラウスを提げた人はベルの奏でる玄関の近くに立ち,済ませた買い物と店をあとにした。犬が先にショーウインドウから見えなくなり,子供は呼ばれて消えた。曇りがなくなり,試着室から測られる音が聞こえて,男性がステッキを見ていた。それから靴を鳴らして玄関をベルにする。コツコツといって店内の床が叩かれる。シャツがまた一枚売れた。
 お出掛けの日になる。旅立ちだろう?と言い直されて,ショーウインドウの前を通った。陰となる建物の間に橙色に染まる道がある。初めての青果店が角を曲がる前にあって,階段は下に降りている。鳩が止まって,信号機が変わった。
 そこに笑窪は付けてもいいと思った。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-30

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