ネギの絵
小学校三年生の春、知佳は授業で紫陽花の絵とネギの絵をそれぞれ描いた。
知佳はいつも多すぎる水で絵の具を溶いてしまい、紫陽花は全体的に淡い感じになった。
これはこれで悪くはない。白い紙にうっすら透けたようなアジサイを見て知佳は思った。
しかし、ネギの絵だ。これは黒い紙に書かなければいけない。
明るい色合いで、その緑も鮮やかな万能ねぎは、上手に描けばきっと縦長の黒いが用紙の上に映えただろう。
ところが、知佳がいつも通り筆に水分たっぷりの絵の具を含ませていたために、ドジョウの髭のような根っこが弾けた。わかりやすく言えば水滴がぼちょんと落ちた。
知佳はあわてて伸ばしたが、そのぶっとい根っこはどう見ても万能ねぎの物には見えなかった。
そうなった後に先生が、絵を何かに応募するから、応募用紙の数の確認のために、出品したい方だけ手をあげるようにと言った。
「ネギの人ぉ。」
先生があがったての数を数えてメモをとる。
「紫陽花の人ぉ。」
ネギよりも多めに手が挙がる。
それほどいい出来でもないが失敗したものよりはと、知佳も手を挙げた。
先生がまた数を書きとる。
「じゃあこれで、応募用紙貰うから。予備がないのでみんな忘れないように。」
「はーい。」、と、そんな事があってから数カ月過ぎた秋のことだった。
*
「前に紫陽花とネギ描いたの覚えてる?」
クラス中の誰もが首をかしげコソコソ隣りと話した。なんのことだろう。
「あれの応募用紙が届きました。誰がどっちで応募したか先生覚えてないので、自分で取りに来てね。とりあえず、絵を配りますね。」
先生は教室の雰囲気を簡単に流して、絵を配り始めた。
知佳は自分の絵を見てやっと何のことだったか理解した。しかし自分がどれを志望したか全く思いだせない。
二つの絵を見比べながら一生懸命考えるが、やっぱり思い出せない。いくら眺めても当時の事を思い出すことはなかったが、こうして見ると紫陽花は色もぼんやりしてるし、構図もなんだかつまらない。その点、ネギの絵は大きな失敗はあるが、ぱっと見て紫陽花よりずっと見栄えがいいと思った。
「まずはネギの人ぉは……、九人!」
先生が言った。
クラスメイトが「どっちだっけ」と、言いながら恐る恐る手を挙げている。
何だみんなそんなもんか、と思って知佳はすっと手を挙げた。紫陽花が良いか迷った記憶はあるけど、そのあとネギを選んだかもしれないし、万が一間違ってても覚えてないなら誰も傷つかないだろう。
先生が少し待って、上がってる手の数を数える。
「はい、九人ちょうどね。じゃ、前に取りに来て。」
ネギの応募用紙を持った生徒たちが席に戻ると、残りの生徒が前に集まる。
ちょっと経って、誰かが先生に声をかけた。
記憶違いを告げたようだった。
「あれ?だとしたらネギの用紙が足りないなぁ。誰か間違ってない?」
若干心当たりのある知佳の鼓動が速くなる。もしかして、やってしまったんだろうか。ジワリと汗がにじんだ。
しかし緊急の学級会が始まることもなく、その事は先生の「しょうがないから紫陽花にしてくれる?」という一言であっさり片付いた。
そしてまた忘れたころ。知佳のネギの絵は、小さなコンテストで金賞を取った。先生から知らせを受けた時、知佳は何のことだったかいまいち思い出せなりにも、なんとなく喜んだ。
近くの体育館に展示されるというので、母親と散歩途中に足を運ぶ。
体育館では、まるで迷路のようにパネルが並び、テーマ別に作品と批評が展示されていた。訪問客はまばらで、他人の絵を横目にすいすいとネギの絵のコーナーに向かう。知佳のネギの絵には、脇に金色の紙テープが貼られていてすぐ見つける事が出来た。
再び新鮮な気持ちで見た自分のネギは、やはり不自然な根っこを生やしていた。
知佳は母が言う言葉も特に耳に入らず、ただ、なぜこれが金賞を取ったのかちょっと考えた。
作品の下に張られている批評に気づき、それを読む。
『根っこが太く、生き生きと描かれています。』
批評と言ったって小学生のコンテストだしこんなものだろう。隣りのを見ても、だいたい褒め言葉以外は書いていなかった。
それにしたってまさかこの失敗した根っこが褒められているとは思わず、知佳は大いに驚いて、何度か絵と批評を見比べた。
母は他の作品を見にいってしまったので、しばらくそうしていた。
何度見ても同じだった。知佳にはその太い根っこが筆の誤りにしか見えなかった。
(小学生だからって馬鹿にしてるな……)
初めて貰った嬉しい金賞は、知佳の中でそう結論付けられた。
ネギの絵
また小3女子ですね。