ラスト・サヴァイヴァー

 「おはよう」
 奥から寝ぼけ眼をこすりながら現れたアルは言った。メリアムは火に向かって手を動かしていて、香ばしい匂いがアルのところまでやってくる。メリアムは応えずに無言でベーコンエッグを取り分けると、彼に向かって突き出した。メリアムはいつも無愛想だけども、アルはそれが嫌いではなかった。アルは微笑んで皿を受け取ると、冷蔵庫からプラスチックの水差しを取り出してから、食卓に着いた。
 メリアムは自分の分の用意を始める。いつも通りのことだった。メリアムは最初、先に食べていいと目で示していたが、アルは二人が揃わないと決して口をつけないことに気づくと、手早く用意を済ませるようになった。その日もメリアムはすぐにやってきて、二人の一日が始まった。
 「今日は街まで行ってみようと思うんだ」
 彼の言葉にメリアムは頷く。その反応はいつだって薄いけれど、その静かな調子が寝起きのあまり良くないアルにはありがたかった。
 「車、使っていいかな」
 メリアムは頷かない。アルは水を飲んでから確認するように微笑んだ。すると、いやいやをするように小さな頭が横にぎこちなく動いた。
 「一緒に行きたい?」
 こんなやりとりにもアルは慣れっこになっていた。メリアムの好意は疑うべくもなかった。本当は甘えん坊なのだけれど、その気持ちを素直に表現するのが得意ではないのだ。メリアムは恥ずかしそうに目を伏せて知らんぷりをする。こんなときに追求して喧嘩になってしまったことがあったので、アルは出かける頃にまたそれとなく誘おうと思った。

 その日はあいにくの曇り空だった。せっかくの休日なのに。でもアルは幸せな気持ちだった。メリアムが助手席に座っていて、ぼんやりと外の景色を眺めているのを横目にドライブをするのは月並みながら、彼の心を躍らせた。
 「珍しいものが見える?」
 アルは返事がないのを分かっていながらも、尋ねずにはいられなかった。ところがメリアムは、遠くに見える景色の一点を指差した。道路は閑散としていて、多少目を離しても大丈夫そうだったこともあって、
 「なになに?」
 アルは弓なりになったその指の先を見た。メリアムはめったに外出しないから、何でも珍しいのだ。
 「あれは緯度観測所の天文台さ」
 遠方に小さく見える銀色のドームを指していることはアルにはすぐに分かった。
「街外れにあるんだ。僕は子供の頃は市内に住んでて、あの辺りで暮らしていたんだ。まだ宇宙へ行きたいなんて思ったこともなくてさ、友達と勝手に敷地に入って戦争ごっこをするくらいしか、ご縁はなかったんだ」
 メリアムはアルの話ならなんでも好きだった。そんなちょっとした昔話にも興味を持ったようで、翡翠のような目を輝かせながら、ちらりと彼を見る。アルは話を続けることにした。
 「敷地はさ、コンクリートのブロック塀で囲まれていて、入り口にも守衛さんがいた。もちろん関係ない人は立ち入り禁止だったんだよ。でもさ、入るなって言われると燃えてくるのが男ってもんなのかな、僕が最初に気づいたんだ、住宅街の反対側、北側のブロック塀が太い松の木に圧迫されて歪んでいて、上手くやればそこからこっそり侵入できそうなことにさ」
 街の周囲の住宅街が近づいてくる。メリアムは耳を傾けながら、それを物珍しそうに見つめていた。
 「初めて中に忍び込んだのは夏休みの夕方だった。友達とエアガンを握りしめてさ、戦争ごっこをしていたんだ。勝ち抜けるのは一人だけの殺し合いさ。しかもこんなルールがあったんだ。敵を殺したやつは、殺した相手を手下にできる。なんでこんなルールができたかっていうと、死んだやつが単純に抜けていくと、チキンレースになっちゃうからなんだ。当たり前だろ? 勝手に戦ってもらって、最後に残ったやつを不意をついて倒せば労せずして自分の勝ちになる。そんなのはさ、男らしくないだろって、僕たちにはすぐにわかったのさ。だから戦わないやつは不利になるように決めたんだ」
 僕は今でも鮮明な夏の日を思い出しながら、灰色の空の下、市街地に入るべく車を走らせる。メリアムは窓の外を見つめ続けていて、聞いているか聞いていないかさっぱりわからない。でもそんなのはいつものことで、アルはなんだかんだで楽しんでくれているにちがいないと信じていた。
 「たださ、単純に倒したやつを手下にできるっていうんじゃ、射的が上手いやつが勝つだけだよね。だからもう一つルールがあった。一度死んだやつはゾンビになるんだ。ゾンビだから武器は使えない。あとね、ゾンビは走れないってことになってるから、もちろん走るのも禁止。だから弾除けくらいの役にしか立たないんだ。なかなか考えてるだろ?」
 僕はハンドルを切って左折した。街を貫くバイパスに入る。地方都市らしく、営業を止めたファーストフード店やらガソリンスタンド、中古車屋の跡地がまばらにあるのが見える。メリアムにはそんなものも珍しいようで、静かに埃にまみれた敷地跡を見つめている。
 「チキンレースに持ち込むか、それとも弾除けにすぎないとはいえ数の利を取って戦うか、僕らはいつもよく考えて選んだ。あの日の僕は、じっと息を潜め、機を待つことを選んだ。ゲームを始める前に集合するんだけどね、誰が始めたのか、自分の獲物を隠しておくようになっていた。ジョン、ボブ、ダニー、マイケル、ホリー、トム、みんな手ぶらだった。一番運動神経の良かったエドワードだけが、自信満々、いつも通りサブマシンガンとショットガンを担いでいた。こいつはハイスクールで全国大会に行ってNBAでプロ選手になったようなやつで、毎回のように正面から全員を射殺してキングになっていた。ゲームの勝利者は次の一週間、毎日負け犬たちにジュースをおごらせるってルールもあった。みんな男だからさ、時には結託してエドワードを倒そうとしたけど、なかなか果たせなかった。
 僕はあまり運動は得意じゃなかったけど、射的には自身があった。何度かゲリラ戦術で最後まで残ったことがあったんだけど、その都度エドワードの力押しに阻まれて、まだ勝ち抜いたことはなかった。でもその日の僕には秘策があった。予想、つくかい? ジュニア・ハイスクールの子供がさ、どうやって逆境をひっくり返そうとしたか」
 メリアムは考えるように古い市内の様子をやはり興味深そうに見つめていたが、アルがそう問いかけると億劫そうに、軋んだ音を立てて顔を向けた。その目はわからない、先を聞きたい、そう言っているようにアルには思われた。彼は思い出の場所に向かうために市役所前のロータリーでぐるりと回って北側に進路を変えた。
 「僕は獲物を構えてじっと息を潜めていた。少し離れたところでパパパパパとサブマシンガンの音がして、BB弾の直撃にホリーが悲鳴を上げるのが聞こえた。それからゾンビ役に決められているうーうーという唸り声がいくつも近寄ってくるのがわかった。一人、二人、三人、四人……もっといるのがすぐにわかった。木陰だとか茂みの中じゃたちまち見つかってしまうだろう。とにかく距離を取ることにした。いつも行かない緯度観測所の北側に行き着いたのはそんなわけだったんだ。そして見つけた。高いブロック塀がねじ曲がった太い松の木に圧迫されて崩れていて、入り込めるようになっているのを。これを利用しない手はないなって思ったよ」

 「アル、アル、残りはお前だけだぜ。サレンダーしちゃえよ。ゾンビ野郎が六匹もいるんだぜ。どうやったって俺には当てれないぜ」
 エドワードが意気揚々と言うのが聞こえる。それにゾンビどものうなり声が重なって、ひどく不快だった。エドワードが自信に溢れてるのはそれは当然のことだった。すでに身長は百九十近くて、一年なのにエースでセンター、すでにスカウトに目をつけられてるようなやつだ。でも今になって思うと、どうしてそんなことに目くじらを立てて必死になってたかわからないんだけどさ、なんとかしてその鼻っ柱を叩き折ってやりたかった。そんな頃が僕にもあったんだ。笑っちゃうだろ?
 「アール、アール、どこだ! あんまり遠くに行くのはずるいぜ。敵前逃亡で銃殺だ! でなくても俺が撃ち殺してやるけどな」
 エドワードは自分の勝ちを疑ってすらいない。のっしのっしとその巨体が近づいてくるのがわかる。僕の存在を向こうでも感じ取っていたのか、あいつは押し黙った。といっても、ゾンビどものうなり声がするので決着の時が近いのは互いにわかっていた。それからしばらくして、その声が途切れた。
 「おい、これはどうすりゃいいんだ」
 「ルールで決まってたか?」
 「決まってなかったと思うけど……」
 「でもゾンビってこういうのは無理だろ?」
 そんな風にがやがやとするのが聞こえた。僕は逃げたと思われないように、あの松の木の枝に自分のシャツをかけておいた。この先に僕がいるのがわかるように。エドワードと、僕なりの仕方で決着をつける用意があることを知らせるために。
 「アールー、こりゃルールにないぜ。ゾンビが壁を越えられないなら、俺がわざわざ正面から六人も倒した意味がなくなっちまう。おい! それはズルだぜ!」
 壁越しにエドワードがいらだたしげに叫ぶ。僕は卑怯者じゃなかった。きちんとエドワードと戦う意志があった。だから叫び返してやった。
 「もちろんゾンビを先に越えさせていいぜ! だだっぴろい道の真ん中じゃ勝ち目がないんだ! これくらいはいいだろ!」
 エドワードは即座に答えた。
 「ならオーケーだ。ただ、さすがに壁を越えた順にズドンはなしにしてくれ! そりゃそっちが有利すぎるし、チキンレースになる!」
 「わかってる! そんなことはしない! 正面からぶっつぶしてやるよ!」
 「この野郎、言ったな!」
 がやがやと言いながら、やつらが壁を越えるのがわかる。壁の先は並木道になっていていくらか視界は悪かったけれど、七対一をやれるほどじゃなかった。肝心の親玉があんまりにも強すぎて。だから僕は気配を感じると、あっちが僕の居場所が完全にわからなくならないように距離を取りながら、観測所の広い敷地に向かって駆け出した。
 緯度観測所って言ってもメリアムにはどういうところかわからないと思うから説明するけど、っていっても僕にもよくわかってないんだけどさ、要するに天体観測をする施設で、田舎町だと空がよく見えるって理由でかなり前に建てられたらしいんだ。敷地内には研究室や観測用の天文台のある大きなビルに、天文マニアが訪れるだけの博物館、それにだだっぴろい草原があった。夏の終わりになると背丈くらいまで伸びた雑草を刈り取って、秋の天体観測会に備えるんだ。研究員、天文ファンがみんなで望遠鏡を持ち寄って、星を見るんだ。
 僕は研究棟の横を駆け抜けながら、まだ草原があることに賭けたんだ。夏休みの終わりも近くなったその日に、まだ刈り取りが行われていなかったのは奇跡だったと思う。赤い夕日を受けて、まだ暑い風にススキやらなんやらがなびいているのを見たとき、僕は本当に興奮した。賭けて良かったって、本当に思ったんだよ。ゾンビは走れないから、エドワードは絶対に僕に追いつけない。僕を上手く追い込まないといけない。ゾンビの遅さに彼がいらだっているのはわかっていた。だから隙が生まれるには、彼に都合のいいようになった、と思わせる必要があった。
 ぱん、と音がして、僕の横をエドワードのBB弾がかすめていった。僕はそれくらい速度を落としていた。エドワードはそれが疲れによるものだと信じ込んでいたと思うよ。僕はひょろひょろの優等生でさ、テストの点数は良かったけど体育の時間はまるで目立たなかった。でもそれすらも、そのときは上手く働いたんだ。
 「ヘーイ、アールー、ゴールが見えてきたぜぇ」
 エドワードは雑草の海の手前で勝ち誇って言った。僕はがさがさと音を立てながら雑草をかき分けていた。もう少し行くと反対側のブロック塀に行き当たる。そこはジュニア・ハイスクールの裏手に当たっていて体育館からよく見えるから、都合よく侵入したり逃げ出しできるような場所がないことを、僕たちは誰だって知っていた。
 ぱん、ぱん、ぱん
 エドワードがショットガンをまき散らす。当たってもおかしくはなかったけれど、僕はもう勝ちを確信していた。
 「おい、まだ逃げるのかよ! 本当にチキンだな! ぶっつぶしてやる!」
 そう言ったとき、僕は草原を抜け切って、ブロック塀に行き当たっていた。そしてそのときちょうど弾除けゾンビたちが、ごくごく平凡な少年たちが、草原に足を踏み入れた。そして、後には長身の大将が、数の利を信じて、後方で一人立っているのが確かに見えた。
 僕は脇に構えたライフルで簡単にその頭を打ち抜いてやった。そうしてやったとき、エドワードは身を屈めて草原に入る瞬間だった。僕はその一瞬を捉えたんだよ。

 語り終えたとき、僕たち二人はちょうどその頃住んでいた住宅街に辿り着いた。のろのろとかつてそこを駆け回った道を流していく。家々はことごとく打ち捨てられ、長年の風雨に崩れ落ちていた。
 「それから何年後のことだったろうね。本当に殺し合いが始まったのは」
 僕はメリアムに向かって言った。緯度観測所も打ち捨てられて、埃まみれでぼろぼろになっていた。入り口に守衛なんてもちろんいなくて、自由に乗り入れることができた。研究棟の前で僕は車を止めて下りると、その最上階で鈍く光っている銀色の天文台を見上げた。メリアムはしばらくぼんやりしていたけれど、僕がそんな風にしているのに気づくと下りてきた。
 ぎい。
 そんな音がした。
 「殺し合いって言ってもさ、僕らがやったように面と向き合った、堂々としたものじゃあなかった。そんな時代は僕らが生まれるずっと前に終わっていたんだよ。無人の機械兵器がおしよせて、一軒一軒回って街中の人を殺して回った。あれは何年前だったかな。僕はもう覚えていないよ」
 ぎい。
 そんな音がしたが、僕はいつものことなので気にせず歩き出した。僕が生き残った場所を、メリアムに見せてやりたかった。メリアムはいつも通り軋んだような音を立ててついてきている。
 研究棟の脇を抜けて、南側の草原に赴く。もちろん草は伸び放題、ぐにゃぐにゃと歪んだ奇妙な雑草で覆い尽くされている。草、という言葉が適切なのかはとっくのとうにどうでもいいことだったが、懐かしい思い出話の後では、自分の感覚のおかしさに気づかざるをえなかった。それはとても変な感じだった。とっくのとうに失われたものがこんなに心を引くなんて、メリアムさえいれば、メリアムに出会ったときの喜びが、そんなものすべてを忘れさせてくれたはずなのに。
 「みてよ。ここで僕は勝ったんだ。あれで良かったんだ。エドワードは額を押さえながら信じられないという顔をしていたよ! あのときの嬉しさはなんていったらいいのかわからない!」
 僕は後ろのメリアムに誇らしげに両手を広げて向き直った。メリアムはまったくいつも通りだった。コンピュータの電源ランプみたいな色の瞳がアルをじっと見つめている。
 ぎい。
 そんな音がした。
 「僕はあの日、地球に帰ってきたんだ。増えすぎた地球の人々が月に住む準備が整ったことを告げに戻ってきたんだ。でも、遅かったんだ! 人々は待てなかった! 殺し合いを始めて、男たちは勇敢に戦って! 女子供は無抵抗に死んでいったんだ! それから核ミサイルの撃ち合いになって、すべての国が同時に滅んでしまって! 月の国際シェルターでもそれを知った研究員たちが憎しみから殺し合いを始めて! みんな死んだ! 僕一人だけが残って! 気が狂いそうで! いや、とっくの昔に僕の気は狂っているのかもしれない! だってそうじゃなきゃ、君をこんなに愛してるなん」
 メリアムが自分から積極的に動くのは、食事のときだけだった。メリアムはずっと大人しかった。ただ毎日、熱して柔らかくなった金属を食べて、ぼんやりとすごすだけだった。だからアルはすっかり忘れていた。メリアムが荒廃した大地で動いていた、カマキリのような、しかし鈍色の体色をした、硬質の生物であることを。そのときメリアムの三つの目の色は真っ赤になっていた。一体何がメリアムをそうさせたのかは誰にもわかりえない。アルの身体が力なくその場に崩れ落ちて、鮮血が溢れ出した。メリアムはしばらくそれを見つめ、小さな頭から伸びた巨大な食虫植物のような口のようなものをもごもごさせていたが、ぺっとぐちゃぐちゃの肉塊を吐き出した。その日も大地も、まるで夏の思い出にはふさわしくない、荒廃した世界の、ある一日のことだった。

ラスト・サヴァイヴァー

ラスト・サヴァイヴァー

メリアムが遠出をしたいと言うのは珍しいことだった。アルはいつもと違う休日の始まりに興奮していたのだと思う。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-29

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