交差点で迷子

「放浪」という小説を書いた人がいた。
迷子の少年は自分の生まれ、そして行き着く先に確証をもてず、なにか性(さが)のようにふらふらと生きていく。

その小説家の本を読みながら、大学三回生の春に私は京都から大阪へ通っていた。

二年間続けたバイトが経営事情から社員以下解雇となった。
折しもサークルも辞めたばかりで、つながっていたものがぷつりと途切れたような感覚があった。
淡々と状況を受け取ったものの、どこか行き場のない自分自身を感じずにはいられなかった。

その時期に応募した雑貨店のバイトは、京都での出店を控えていて、それまでの期間を大阪で勤務してほしいというのだ。
間もなく就職活動も始まろうというのに、進路先もあやふやなままであった。

どうして私はこんなところにいるのか。どこへ向かおうとしているのか。
分からないままに周りの風景だけが変わっていく。
梅田のぐるぐるした地下街の印象と、迷子という言葉があいまって滲んだ。

数ヶ月たって京都店がオープンした。
その雑貨店には店長がいて、社員の彼らには営業成績があった。

ある日、その人と帰り道を一緒に歩いたことがある。
大きな交差点を人混みをくぐるように路地へと向かう。
彼はあまり営業成績が良くない自身のことを、なんでだろう、他の人はどうして上手くいくんだろうと話していた。

それはどこか「なぜ自分はこんなところにいるんだろう」という響きに聞こえた。
人の賑わう交差点を行きながら、一瞬だけ沈黙になった。

彼にとって京都という街の狭い通りが、迷路のように思えていたのではないだろうか。
お互い歩いている途中で道を見失ってしまった。そんな気がしていた。

いつかどこかへ辿り着くんだろうか。
今でもそんなことを時おり考えては、まだ先の見えない海を漂っている。

交差点で迷子

放浪という小説は織田作之助のものだと思われます。数年前の文章なので何ぶん。

交差点で迷子

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-29

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