桜の時間
今年は思いがけず、梅の花との良い出会いの年となった。
四月に入ってからは花を見ようと心がけていたが、昨年の桜のあっけなさが期待する気持ちを慎重にさせたのか。
辺りに咲く水仙だとか雪柳の花に心を寄せているうちに、桜は五分咲きほどになっていた。
烏丸通を御所沿いに自転車で走っていた私は、夕映えの桜を目にしてはっとした。
葉桜が多くなった洛内で、その枝垂れ梅だけは満開に咲いていた。
その思いがけなさにあっけにとられてしまったのだった。
なぜこの場所だけに思い切りよく咲いているのか。
そんなことも思わずにいられなかったが、それよりも、桜の枝ぶりの見事さに心をうばわれた。
せばせばしい歩道に枝を下ろして、ゆったりと佇む濃いピンクの花に、胸が締めつけられるような思いになった。
弧を描く桜の枝は夕光をあびて、その裏側が明るく照った。
風に揺られるだけが、桜に流れる時間であった。
それから今年はいったいいくつの桜と出会えるのだろうと思って、そのまま賀茂川の方へと自転車を走らせたのだった。
川岸にたどり着く頃には、空も翳りをおとし、藤色に変わった。
その夕空の下で揺れる桜の花は、妖艶というにふさわしい。
人の心は、色を見ることで始まって行くのではないかとさえ思えた。
それでも烏丸通りで目にした枝垂れ梅ほどの感動はなかった。
音のない切なさ。そんなことを感じたが、それが何なのか、今すぐには思いつけそうにない。
桜の時間