夜の珈琲
或る友人の家に招かれた時に、珈琲を出された。
私がやたらと砂糖と入れることを知って、彼女は蜂蜜を存分にいれてくれたのだった。
話しながら飲んだり食べたりができない私は、結局注いでくれた珈琲を冷たくしてしまうのが大抵のことである。
その日も、他でもらうより濃いその珈琲はすっかり冷めきってしまった。
カップを口に運んで、こんなに時間が経ってしまったのだなと驚いた。
冬の夜の珈琲は、ぬるいを越して冷たいくらいだった。
その部屋にヒーターもそう強くかかってなかったからであろう。
温かいと思って飲んだはずがひやりと冷たく、蜂蜜の甘さがすっと引き立っていた。
彼女の淹れた珈琲は、早くに帳の降りた夜の静けさを、じっくりと吸い込んでしまった。
そのうちに甘さは、冷たさの中に確かにある、りんとした味わいになる。私はそれを、美味しいと思った。
珈琲は冷めるとたいてい不味いものである。したがってその夜以来、そんな不思議な珈琲には出会っていない。
冷たいくらい冷やせば、また味わえるのだろうかとも思うのだが、まだ試してはいない。
或る不快さでも、深くへ沈めば厳かな心地よさになるのか。そこにある甘さもまたそうだ。
おそらく色合いというものは、その背景が変わればまったく違った表情を現すものなのだろう。
夜の珈琲