彫刻家
彫刻家
ピグは、国一番の彫刻家だった。
女神の像を彫らせれば、かのビーナスをもしのぎ、キリスト像を彫らせれば、まるで昨日召されたのではないかと見まごうほどの腕前だった。
ある日、町の領主はピグを屋敷に呼び寄せた。
「君の彫刻の腕は天下一品と聞く。今まで貴殿が彫った彫刻の中で一番出来のよい物を買いたいのだがどれかな。」
「どの彫刻もそれぞれに一番です。甲乙のつけようがありません」
「しかし、見た目の優劣はあろう。姿勢、表情、そういうところを比べて一番よいものがほしいのだ。」
「人がその外見を見ればそうでしょう。人はその彫刻が出来る過程を知らない。私がその彫刻を掘り出すときにどのような気持ちでいたかを知らない。」
ピグは顔を上げて、両こぶしを顔の前に上げた。ノミをかなづちで打つ仕草をしながら続けた。
「君の目は美しい。口元はもっと柔らかいのかい。なるほど、こういう口か。ありがとう。そう思いながら彫った像は、出来上がる過程で私の心にそのときの思いを刻んでくれるのです。二つの像を彫れば、それぞれの像がそういった思いを残してくれます。そして、それぞれの像が残す思いの質が違います。質の違うものを二つ並べて、さあどちらが良いと言われても、良さの基準が違うのです。比べようがありません。私にとっては、どちらの像も違う基準でそれぞれ一番なのです。」
「面白いな。では、一番優れているものは決められないとして、しかし、一番質の悪いものはどうであろうな。貴殿のように押しも押されもせぬ評判を得ている者を見ると、俗人の浅はかな嫉妬心というか、好奇心というか、逆に一番出来の悪い像というものも聞いてみたくなるものなのだ。」
ピグはにっこりと微笑んで答えた。
「領主様。領主様はつまり、形が写実的でないものを劣等として思っておられるかもしれませんが、それは劣等というような範疇のものではないのです。彫刻は像を作るのではなくて、石の中から、彼らを掘り起こす作業なのです。たまに不思議な腕の形が現れたり、彼らの表情が落ち着かないことがありますが、それは劣等とは違うのです。彼らはその形でこの世に姿を現したのです。そこで私は思うわけです。どうしてこのように腕を曲げているのだろう。怪我でもしているのだろうか。どうして表情が硬いのだろう。なにか気に入らないことでもあったのだろうか。これらもやはり像が私に刻んでくれる思いなのです。そういう思いを私にくれた彫刻は、やはりその基準において一番です。つまり私には一番劣る彫刻もございません。」
「なるほど。つまり、どの像もそれぞれ思い入れがあり、その思い入れの種類が違う。基準が違うもの同士を比べることはできないということか。」
領主は、なにか気に食わないような表情をうかべて腕をくんだ。
「たしかに面白い、面白いがしかし、作品に優も劣もないのでは仕事に励む意欲も失せよう。もっとよい出来のものを、こんどはここを工夫しようと、作品を重ねるごとに創意工夫がなされてこそ、その仕事の質は向上していくものではないのかね。」
「先ほども申し上げたように、彫刻は石の中から彼らを掘り出す作業です。私は彼らの要求を聞いてノミを振るうだけです。その最中は徐々に姿を現す彼らと対話しながら、一心にノミを振るうのみです。振るいながらあれこれと思いをめぐらすのです。この感動が得られる限り、私は彫刻を続けるでしょう。」
「そういう感情で仕事ができる神経を職人肌と言うのだろうな。」
領主は眉をハの字にまげて、興味を失ったように肩肘をついた。しばらくして、確信したようにピグに向きなおした。
「しかし、そうすると君を世に売り込んだ者が他にあるな」
ピグは虚をつかれたように目を丸くした。
「ええ。ドノバという幼馴染がおりまして。しかし、」
ピグは何かを付け足そうとして、すぐに口をつぐんだ。領主は晴れた表情をしてピグに尋ねた。
「ほう、ドノバ。」
「いえ、彼はよくない。はじめはまともに商売をしていたのですが、いつの頃からか、私の彫刻に法外な値段をつけて売りはじめました。私はそれが許せない。」
領主はピグの言葉にかぶさるように続けた。
「彫刻が、そのドノバの手によってどのように売りさばかれようと、君の関与することではあるまい。君は彫刻を続ければよいのではないか。」
「私が問題としているのは、私が作成した彫刻と、ドノバが得たものと、はたして釣り合いがとれるかということなんです。ドノバは、私の彫刻でもって、市民が一生かけても得られないような富を得ました。農家の人が一年の労力をかけて作った野菜、大工が数ヶ月をかけて建てた家、そして召使のこれからの日々、ドノバは私が一ヶ月で彫った彫刻でもってそれらを得るのです。そして、それを得てしても、まだ富みがあまりあるのです。このようなやりとりを不誠実と言わずして何といいましょう。」
領主はにやりと片頬を上げてピグを見下ろした。
「君はさきほど君の彫刻の優劣は決められないと言っただろう。それぞれの彫刻にそれぞれの思いがあり、思いの質が違うので比べようがないと。」
「たしかに申し上げました。」
「では聞くが、君の言うドノバの仕事、農家の仕事、大工の仕事、召使の仕事、これらをどうやって釣り合わせるのかね。農家が一年かけて作った作物には、一年かけて作った彫刻が釣り合うとでも言うのかね。」
「いえ、それは。」
「それを不誠実と言わずして何というか、
きみ、それを商売というのだよ。」
ピグは床に目を落としたままじっと黙っていた。
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「最近の作品はだめです。私とて人の子ですから、妙な見栄や下心が働いて、像にそれが出てしまう。顔を見たらわかるんです。その表情は、心の底で私の下心をそのまま移しています。そうすると一番の出来は、今はもうどこにいったのかわかりませんが、私がはじめて彫った女神の像でしょうか。彼女の表情には曇りがなかった。あのころの私の向上心を素直に反映して、すがすがしい目をしていました。あれは、今どこにあるのやら」
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