白痴少年とせむし公
こんこんと黒天蓋の寝台で眠る、蜂蜜色の巻き髪の少年の傍らで
……片足と半分の顔を潰した醜いせむしの僕が、ロッキングチェアに
腰を掛けて揺れながら、絵本を読む。
僕の毎日の日課であり、君が楽しみにしていた時間だったね。
mon amour.
ずっと君に言えなかった言葉。
知っても君は意味を介さなかっただろうけれど。
ああ、mon amour.
君を愛することを僕はやめられなかったから、こうして今、
君の屍と対峙しているのだろう。
美しいが頭が空っぽな君と、親の遺産を食いつぶして生きている
びっこで醜い僕が出会ったのは、奴隷市場のオークションだった。
兄達が流行病で死んでしまい、ただ地下に与えられた部屋で、
毒草栽培と毒虫の研究にばかり明け暮れるような、一番の役立たずの僕が爵位を継ぎ、
女中も下男も気味悪がって近寄らないからと、哀れに思った執事と共に、
僕の世話係を探しに行った矢先だった。
君は、誰よりも輝いていた。
太陽に煌めく黄金の髪はゆるく巻かれ、白磁のような肌をして、
深海の青を湛えた瞳をしている。
奴隷だというのに咲き誇る紫蘭のようで、僕はその美しさに
潰れた醜い半分の顔側の瞳が、引き攣れながらも大きく見開いたのを
覚えている。
その美しさからか愛玩用としての競りの目玉であった君を、
僕は金と権力にあかせて競り落とした。
せむし公とあだ名されて馬鹿にされていた僕が、金玉も機能しないのに
何をさせる気だと、野次を飛ばされたけど、そんな言葉さえ気にならなかった。
初対面の君は主人にあたる僕の顔を見、
て舌足らずな顔で「おばけ」と笑った。
側に居た執事が君を殴りつけようとしたが僕は止めた。
何故なら、君には全くの悪意はなく、幼く無邪気に笑っていたからだ。
僕が惹かれたのは外見ばかりではない、君の内面の美しさに惹かれたからだ。
そう、君ははたから見れば、知恵が足らなくて捨てられた孤児だったのだ。
僕は君の面差しを知っている。
せむし公子と呼ばれた僕の事を舞踏会に呼びつけ、残酷な余興に僕の顔を焼いた
この国の女王の顔と良く似ていた。
女王はいろいろな愛人を囲っていたが、寵愛していたのが確か自分の年の離れた
弟だったという話を聞いた。
近親相姦の果てに生まれる、しかも王家はただでさえ血が濃い。
得てしてそういう子は白痴であったり、欠損だった。
僕のせむしと片足の欠損も、父と母が叔父と姪という関係だったからだった。
そんな、オツムの足らない美少年と、せむしの醜男の生活は、
そう悪いものではなかった。
君は泥遊びが好きで、車いすの私を巻き込んで泥の中に引っ張り込むものだから、
泥だらけになったりもした。
そんな時お互い笑い合って、泥まみれになりながら泥団子をぶつけあったりもした。
足らないなりに、忠誠を感じてくれたのか、君は、女中たちに教わりながらも
必死に覚えた掃除で、ぼくの部屋を毎日掃除してくれていた。
世話係になれるほど、君は頭が良くなかったけど、それでも君は、
その精一杯の無邪気さと無垢さで私を愛してくれたんだ。
お化け、お化け、と言いながらも、僕が落ち込んでいると
黙って背中を預けて愛猫と遊んでいたっけね。
「お化けがしょんぼりしてると、つまんない」
真っ白い毛と青い瞳の猫と、同じく青い瞳に白い肌の君が、私の顔を覗きこんで
額に口づけをしてくれた、あの時のしあわせったら!
……世話係では無いけれど、僕の心を誰よりも救ってくれたのは、君だった。
けど。
僕は殺してしまった。
君への愛が膨らんでいけば行くほどに僕は不安になり、
その不安は天井知らずで、それに、君を抱くとか、そういうことが出来ない
不能者の僕だからこそ、この結果を招いてしまったのだ。
戯れだったのだろうね。
ただただ、楽しかったのだろう。遊びの一環で。
君は下男たちの慰み者になってると気づいたのは、僕がたまたま寝入りが浅かった時。
隣のベッドで寝ているはずの君が居ないことに気づいて、探しに行った時だった。
男たちの獣欲をその身に一身に受けながら、頬を紅潮させて喘ぐ君を見てしまった。
許せなかった。僕の動かないはずの片足が、かたかたと揺れているのも理解った。
僕はまずその現場を、私兵達を呼びつけて抑え、下男達を地下に閉じ込めた。
彼等は君が誘ったんだといっていたが、それは無理なことは知っている。
そもそも君がそういう知識がないのだから、誰かが教えなければ夢中にも
なれないはずだから。
僕は、可愛がっている毒虫たちに餌として彼等を与えた。
彼らは紫色に膨れ上がりながら、枯れた声で最後まで命乞いをしていて、
僕のように見難い生き物に成り果てながら肉片になっていった。
捕縛されても意を介さない君に、僕はよく眠れるように蜂蜜入りの
温かいミルクを飲ませた。
君は嬉しそうにそれを飲んで、いつも通り僕の隣の寝台に眠ろうとしたが、
僕の寝台で寝ていいよ、というと、天蓋付きの寝台に寝たがっていた彼は
大喜びになって飛び込んで、布団の上で暫くころころと転がっていたが、
気持ちよくなったのか、そのまま眠ってしまった。
そして、天使のように眠る君の首筋に、僕の育てた大蜘蛛を置く。
呼吸器系を速攻で麻痺させる毒を持つ子で、苦しみが少ない毒を持つ子。
僕が自殺用に育てていた子だった。
大蜘蛛が君の首を覆って、ほんの少しの時が過ぎた時、君が眉間に小さく
シワを寄せ、ひゅう、と一呼吸をして、そのままいつものような寝顔に
戻った。
苦しい顔をして永遠の眠りについてしまった君を眺めながら、
僕は、深くため息を付きつつ小さく笑った。
天井知らずの恋だった。
毎日毎日好きになっていた。
いずれ上限も来るだろう、と思っていたのに、とどまることの知らない
幸せな愛だった。
でもね。
君への愛もそうだけど、君の死の辛さも天井知らずだったことを
僕は殺してからやっと気づいた愚か者だったんだ。
幾星霜。
君の瞳が開いて、薔薇色の頬で輝く笑顔で起きだす君を待っている。
mon amour.
ずっと君に言えなかった言葉。
知っても君は意味を介さなかっただろうけれど。
ああ、mon amour.
君を愛することを僕はやめられなかったから、こうして今、
君の屍と対峙しているのだろう。
こうして50年。
執事も女中も下男も死んだ。
領地も国に返還された。
ただ城には僕の毒虫達がはびこって、国の人間は誰一人入ることは
許されず、僕と君の部屋は静寂を保たれたままだ。
藪だらけの城の中、劣化して開いた天井の屋根から差した陽光が、僕等を照らしだす。
【えほんをよんでよ、もあむーる】
発音が可笑しいよ、mon amour.
君の骨と一緒に白骨化した僕は、ずっと、君とともに止まった刻を過ごしている。
白痴少年とせむし公