黒い鳥の末路

「人生って所詮、そんなものなんですよ」

 手を伸ばせば届く距離にあるのに、フェンスの向こう側で苦味を含みながら笑う彼女をつかむことはできない。
 腰まであった黒い髪は不器用に短く切られ、微かな風に吹かれて揺れている。彼女の体は華奢であるから、すこし強い風が吹いたらそのまま落下してしまうだろう。
 彼女はその端麗な容姿から、他の女生徒に妬みをもたれていた。他人を見下すような瞳、口数も少なく、無愛想な態度から、余計に反感を買ってしまい、彼女は学級から孤立していた。
 そのことを知っていたにもかかわらず、私は彼女と本格的に関わろうとしなかった。
 氷山の一角だけを見るようにし、彼女と女生徒たちが形だけでも仲良くなればいい。そのような軽い気持ちで、彼女と接触をした。
 仲間に入ることができず孤立したまま学園生活を終えたほうが、彼女にとって最善だったのかもしれない。彼女の心身は酷く傷つけられた。
 鋭く光っていた瞳には暗雲が立ち込め、生気のないものになってしまった。
 私の責任である。彼女が、こうして飛び降りようとしているのは、私が彼女を見捨てたからだ。

 いま、私はなぜ彼女と共に屋上にいるのだろうか。
 授業中、急に立ち上がった彼女は、静かに教室を出て行き、ゆったりとした足取りで廊下を歩いていき階段を登っていったのだ。それを私は無我夢中で追いかけた。生徒達のどよめいた声も耳に届かないまま、他の教師達の静止を振り払って。
 ゴム製の上履きが冷徹な廊下を踏みつける音がやみ、気がついたら私と彼女は屋上で対峙していた。彼女は柵の向こう側で、まるで風を受け止めに来ただけのように、平然とした表情でそこにいた。
 そうして、今に至る。私は彼女に声をかけず、彼女もまた声を発することはなかった。

「先生のせいではありません。かといって、あの人たちのせいでもありません」

 あの人たち、というのは彼女を取り巻いていた事象そのものなのだろうか。
 私は彼女に何を言いにきたのだろうか。
 「死ぬな、飛び降りなんて無意味だ」「生きていればいいことだっていくつもある」「人生なんてまだ始まったばかりなのに、決め付けてはいけない」
 どれも的から外れている。恐らく、彼女が求めているのはそのような言葉ではないのだ。
 だからといって、かけていい言葉などあるのだろうか。

「私、死のうなんて思ってません。くだらない人生だったと一人で笑いながら、あの人たちが驚く様を何よりも高いところで見たいだけなんですよ」

 彼女は決して俯くことなどはなかった。ただまっすぐに上を向いて、雲を睨みつけて、繰り返される行為に耐えていた。いまもそうで、彼女の視線はまっすぐ空を貫いている。その先にある、理想とするものを捉えているようだ。
 生徒の最善を叶えてやるのが、教師の勤めなのだろうか。
 年端のいかない少女をこの場で見殺しにし世間から蔑まれることと、一生彼女から恨まれること。どちらが辛いのだろう。

 カラスの鳴き声が遠くの方で聞こえる。
 この屋上で長い時間を過ごしているのだが、私と彼女以外、ここに来る者はない。
 時間が止まっているような錯覚に陥る。彼女の姿を見ていると、不思議に生きた心地がしないのだ。
 しばしの沈黙の後、彼女は震えた声でつぶやいた。

「ほんとうは勇気がないのかもしれない。すぐ飛び降りればいいのに、先生が来たから足が竦んじゃって……」

 それは独り言であるのか、はたまた最後に発しているSOSのサインであるのか、それすらも私は理解できずに呆然と立ち尽くしていた。
 制服のスカートが風に揺れる。彼女の黒髪も共に靡く。それが、最後であった。

「それでも、私決めたんです。先生、サヨナラ」

 彼女はとびっきりの笑顔を私に見せた。
 ふわりと宙に身を投げ出した。一瞬、黒い羽が彼女の背中で羽ばたいたような錯覚が起きた。
 もしかしたら、彼女は私が見ていた幻想だったのではないか。饒舌な彼女を見たことがない、ほんとうに存在している彼女はもっと無口で、無愛想で、私を見下していた。
 ゆっくりと、彼女の体は落下していく。
 途端に私は彼女の名前を呼び、柵から身を乗り出し、彼女の細い手首をつかもうとした。
 だが、すべて遅かった。

 彼女は落ちていくとき、どのような景色を見たのだろうか。
 生徒達がどよめく姿。灰色に満ちた空。それとも、私の泣きそうな表情か。
 すぎていく時間は戻せない。変えられたはずの運命を、私はどうすることもできなかった。

「佐々木!」

 もっと早く彼女の名前を呼んでいれば、もっと違う未来がここにはあったのかもしれない。 
 

黒い鳥の末路

黒い鳥の末路

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted