Peach

【枕・仁王立ち・リップクリーム】

 放課後、生徒会の仕事を終えて先生に頼まれた書類を仕上げてから、教室の戸締りをしていると、校庭の隅の鉄棒の上で仁王立ちしている彼女が見えてギョッとした。驚きすぎて心臓がバカみたいに激しく鳴った。
 僕は大急ぎで荷物をまとめて彼女の元へ走った。
「生徒会のお仕事、お疲れ様。」
 少しずつ高くなっている三基の鉄棒の一番高い棒の上で、文字通りの仁王立ちをして制服のスカートを翻している。
「危ないから、降りてきなよ。」
 僕一人がオドオドと彼女や周りの視線を気にしている。彼女は子供のようにひとつ大きく肯いて鉄棒から飛び降りた。彼女の周りだけ、重力が弱いのではないかと思ってしまうような身軽な宙返り。小さな音で地面に降り立った彼女は得意げに笑った。
「今日は遅くなるから、待っていなくていいって言ったよね。」
 彼女と並んで歩きながら僕は確認するように言った。彼女はじっと僕の目を見た後にツンと顔をそむけ、
「別に待っていたわけじゃないわ。鉄棒に上って生徒会室の窓を見ていただけよ。」
 それを待っていたというんじゃないのかな、と僕は思ったが、なにも言わずに歩き続けた。僕は彼女のことをよく知らない。一年生の時は同じクラスで、二年生の時は違うクラスだった。三年になって再び同じクラスになったが、挨拶と必要最低限の会話以外したことがなかったし、彼女は学校に枕を持参して授業中ずっと眠っているような問題児だった。
 対照的に僕は入学当初から優等生を貫き、学級委員、生徒会副会長を経て、生徒会長の任に就いている。僕と彼女の接点なんてそう多くはなかった。
 はずなのに。
 三年生になって一月経った五月の放課後、僕は教室でいつまでも眠っている彼女に声をかけた。すると、彼女は重そうに頭をもたげて真っ直ぐに僕を見て言った。
「好きです。私と付き合ってください。」
 彼女の艶を帯びた唇からは、リップクリームの作りものじみた桃の香りが漂っていた。僕は大いに焦りながらも寝ぼけているのだと自分に言い聞かせ
「いいから早く帰り支度しなよ。教室施錠するから。」
 と精一杯の平静を装って彼女を見送った。しかし、翌日から、僕の全く知らない間に僕たちの交際はスタートしていたのだった。僕は再三「あの時のいいから、は了承ではなく冗談への返し文句だ」と言ったけれど、彼女は聞く耳を持たず、今は僕に好意がなくてもきっとそのうち好きになる、と根拠のない言葉を繰り返すのだ。
 僕は狐にばかされたような気持ちで、今日も並んで歩く彼女の柔らかな右手をそっと握った。ヒンヤリと心地いい体温が伝わって、胸の奥に桃の香りが広がった。
 

Peach

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-27

Copyrighted
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