二合目の防空壕
1
町も時に大きく装いを変える。
北海道南部に位置する港町函館もどうやらそのひとつのようだ。
沖合いに浮かぶ小島と北海道本土との間を、潮の流れが長い年月をかけて海砂で繋いだ。そんな自然の気まぐれによって、扇を広げたようにも見える独特な形をした土地が造られる。函館市はその土地の上に広がっている。湘南の観光地として知られる江ノ島を大きくしたような地形。そんな説明が案外的を射ているのかもしれない。正式には陸繋島(りくけいとう)という。この小都市が幾度か姿を変えた理由は、歴史がその特殊な地形を利用したということなのだろうか。
生を受けてから高校を卒業するまでの時を私は函館で過した。昭和二十五年から四十三年にかけてである。当時の函館市は北洋漁業の基地として活況を呈していた。北洋漁業とは母船式北洋サケ・マス漁業のことである。母船一隻がおよそ十隻の独航船を従えて船団を成す。それが数十集結し、大船団群となってオホーツク海やベーリング海の漁場を目指すのである。漁場に到着すると独航船が漁を行い、漁獲物は母船に揚げて加工処理をした上で巨大な冷凍庫に保存する。作業はこのように完全分業制で決められた日まで休みなく繰り返されるのである。一度出港すると長ければ半年もの間、乗組員たちは遥かな海原の上で男ばかりの暮らしを強いられるのである。
小学校五年生のとき私は友達と連れ立って海に突き出た部分にあたる函館山に登り、山頂から森の中を少し下った所にあった私たちの秘密基地から、北洋船団の出港を眺めたことがある。おびただしい数の独航船が、紺碧の空の下、ヴォリュームを最大に流行歌を流しながら大漁旗を潮風になびかせて岸壁を離れていく。独航船は三列程度の隊列を組んで、後方に白波を広げながら整然と沖合いに待機する母船の元に馳せ参じるのである。その姿はなかなか勇壮で、見ているだけで気持が高揚してきたことを思い出す。
当時の私たちにとって、函館山は格好の遊び場だった。なぜかといえば私たちは地形的にまるで孤島を思わせる函館山のあちらこちらに、子供心を魅了して止まないある遊び場所を見つけ出していたからである。それは、軍事施設跡だった。函館山には時代に取り残されたような歴史の名残が、至る所にその姿を晒していた。軍事施設跡といっても様々あって、監視所、司令棟、兵舎、砲台場、弾薬庫、そして防空壕などがある。実際にはそれらの戦争史跡が函館山のあちこちに効率よく配置されていたというべきなのだろうが、戦後生まれの私たちにその区別はつかない。だから私たちはそれらを防空壕と総称していた。
父母や戦争を体験した大人たちから話しを聞くと、大戦が終結するまで函館は重要な軍港だったという。函館山も今でこそ誰でも気軽に登ることが可能になっているが、戦時中は山そのものが要塞で、民間人の入山は禁止されていた。山頂の展望台に立って美しい町並みを眺めるかわりに、反対側の津軽海峡からいつ侵攻してくるやも知れない敵艦隊に睨みをきかせていたというところだろうか。
昭和二十年の七月になって函館もアメリカの爆撃機による空襲を受けた。この年の八月には終戦となっているわけだからダメ押しのようなものである。それでも民間人・軍人合わせて百人ほどの人間が命を落としている。函館山の要塞は応戦したが十分な戦果を上げることもなくその役目を終えた。やがて時が流れ、悲しく残酷な記憶が日々の生活の中に薄らいでいくように、函館山の軍事施設も雑草に覆われ、いつか山の表面から姿を隠した。
戦時を生き抜いた親たちは皆、子供たちが要塞跡で遊ぶことに良い顔をしなかった。空襲で亡くなった民間人や軍人の霊魂が、要塞跡には今も棲みついているというのである。
辛かった時代を忘れたいという大人たちの心が、子供たちをそのような場所に近付かせまいとして言わせた戯言に違いなかった。勿論私たちはそんな話には耳を貸さなかった。時空を異にしたような防空壕のある風景は、腕白盛りの私たちを神秘的な力で誘惑した。そしてその誘惑に打ち勝つことができる子供など誰一人としていなかったのである。そんなことは初めから判りきったことだった。学校が休みになる度に、私たちの防空壕探検は続いたのだった。函館山の裾野近くで生まれ育った私と同年輩の男子で、防空壕遊びの興奮を知らない子供などひとりもいないと断言して良いように私は感じるのだ。
2
七月の二十五日から北海道の小・中学校は一斉に夏休みに入る。八月十八日までわずか二十五日間の短い夏休みである。それでも私たちにとってそれは待ち焦がれた夏休みだった。雪に閉ざされる寒くて辛い冬と違って、夏休みならば何でもできるような気がした。海水浴だってできるし、炊事遠足に出かけたっていい。虫採集だって一日中続けることもできる。それに、防空壕探検さえも毎日のようにすることができるのだ。
七月二十四日。終業式。私たちは一学期の通信簿をもらうと、皆それぞれの思いを胸に家路を急いだ。明日からの夏休みを有意義に過すため、今日だけは少し良い子になって通信簿を親に見せ、評価を受けなければならない。成績が良ければ問題はないのだが、運悪く不本意な成績に終わったものは両親による叱責が待ち受けている。けれどここで迂闊に反抗的な態度を取たりしうものなら明日からの夏休みが台無しになってしまう。皆そのことは良くわきまえていた。
この日私たちに必要な言葉は三つしかなかった。
「ごめんなさい」「わかりました」「がんばります」
この三語である。
翌日、朝食を終えると私たちは十時に函館山登山口に集合した。いつも一緒に遊んでいる五人組である。名前を挙げると、配管屋の倅で小学五年生にしてはがっしりとした体躯を持つ山上太郎(ガミ)、妙見寺の住職の息子で小柄で泣き虫の今野修二(メソ)、大工の一人息子でスポーツ万能の渡辺孝之(トリオ)、つい先月出港した北洋船団で大好きな父親がベーリング海に出かけてしまった木村洋助(シャケ)、それに私、岡田和泉(カズ)。この五人である。函館山の麓にある市立小学校の同級生で、五人とも好奇心旺盛なやんちゃ盛りだった。
登山口は、函館護国神社という大きな神社の境内のすぐ横にあった。朝からよく晴れ渡った好天気で、蝉時雨がうるさいほどに降り注いでいた。
私は幅の広い石段を登りきり、鳥居をくぐったところで振り返ってみた。登ってきた石段の向こうにゆったりとした下り坂が続いている。坂道を下りきった所を要として広げた扇のように、函館の町がくっきりとその姿を見せていた。境内に目を戻すと真正面に本殿が静かな佇まいを見せている。その裏手はもう函館山の深い森だ。崇高な気配を漂わせる神社に向かってたった今くくった鳥居の立つ石畳の上を少し歩くと、右側に小さな石造りの門柱を置いた出口が見えた。出口の向こう側を道路が走っている。車が何とかすれ違えるくらいの幅員を持つ坂道である。右に下ると十メートルくらいでT字路となり、神社に沿ってさらに右に回りこむと今登ってきた正面の石段の下に出る。石段は二十段くらいはあるから、護国神社が函館山の斜面を切り開いた場所に建てられていることが分かる。反対に左に行くと函館山である。ここが函館山の登山口である。
私が到着したとき他の四人は既に登山口に顔をそろえていた。
「オース」
片手を上げて誰からともなく奇妙な挨拶を交わす。
夏休みが始まったばかりのこの日、登山口に集まった私たちにはいつもと違うある目的があった。それは、今まで一度も足を踏み入れたことのない防空壕を探検するということだった。だから登山口に集合した仲間たち全員、雨の予報も出てはいないのにゴム長靴を履き、探検用の懐中電灯や簡単な救急薬を入れたナップザックを背負った奇妙ないでたちをしている。
ゴム長は壕の中に長い年月をかけて深い水溜りができているかもしれないこと。救急薬は足元がどのような状況なのか誰も知らなかったので、万一転んで怪我をした時の用心だった。
私たちは誰からともなく一度荷物を肩から下ろし、各自持ってきた物の点検を始めた。
さほど時間もかけず確認を済ませ、一人ひとりが皆満足そうに頷いて荷物を担ぎなおした。準備が完了しいざ出発しようと足を踏み出したとき、背後に「太郎!」と呼ぶ女性の声が聞こえた。
振り返ると途中から自転車を押してきたらしく、スポーツシャツにコットンパンツ姿の少女がハアハアと肩を上下させていた。肩先で切りそろえた艶のある黒い髪がゆらりと揺れた。
少女は振り返った私たちを見て小さく微笑んだ。
今年中学校に上がったガミの姉で奈津という名だった。この三月までは同じ小学校に通っていたわけで、ガミの姉だから幾度か会ったこともある。ツンと澄ました感じのする頭の良い女の子で、皆が噂するとおり端整な容姿で、間近で見つめられたりすると子供心にもどきどきと胸が高鳴るのを覚えたものだった。
「太郎。あんた、懐中電気持ってきたっしょ?」
肩で息をしながら奈津は少し馬鹿にしたような口調でガミに云った。
「持ってきたよ」
おどおどとガミは姉の瞳を覗き込んだ。
「ちゃんと見たかい?」
「何を?」
「ほんとに駄目ね。電池入ってないっしょ。懐中電気」
「えーっ」
ガミは大声を出してもう一度荷物を開け、懐中電灯を取り出した。
スイッチを数回カチカチ通してみても豆電球は灯らない。ガミは懐中電灯の後ろにあるキャップを回して、電池ケースを開けた。奈津の言うとおり電池は一本も入っていなかった。
「それは、点かないべ」
トリオのひとことをきっかけに私たちは思わず笑ってしまった。
途端にガミの機嫌が悪くなった。
「なんだよ。電池入れとかねえほうが悪いんでねえか。笑うことねえべや、このおっ」
ガミは喧嘩腰になりトリオに詰め寄った。失敗を姉に暴露され、その上友人たちに笑われたことでガミの自尊心が大きく傷ついたのかもしれなかった。
「何言ってんの。トリオ君が電池抜いたわけでないよ。自分が使う物でないの?ちょっと確認すればいいだけの話でしょ。あんたはそうやっていつも必ず誰か他の人が悪いことにする。悪い癖だよ」
奈津はたたみ掛けるように云って荷篭の中から古新聞で作った袋包みを取り出すとガミに放り投げるように手渡した。
「買ってきてやったからね。喧嘩するんじゃないよ」とひとこと釘を刺して奈津は来た道を戻っていった。
ガミは何一つ反論もできず俯いたまま、受け取った乾電池を懐中電灯に入れた。耳だけで姉が帰っていくのを聞いていたが、スイッチを押して点灯を確認したとき、奈津の姿はもう見えなかった。
「さあ行くべ。まず頂上の防空壕に上がるぞ」
ほんの僅かの時間口惜しさに唇を噛んでいたが、このままでは示しがつかないとでも考えたのか、それともあらためて自分がリーダーであることを示そうと思ったのか、ガミは何事もなかったように大声で号令をかけた。私たちはその号令にみな少なからず怪訝な表情を浮かべた。ガミはひとまず頂上の防空壕に登るといった。頂上の防空壕とは北洋船団の船出を見送った壕のことである。なぜ頂上の壕に登るのか簡単でいいから説明がほしかった。
「まっすぐ二合目の防空壕に行くんでないの?」
私が代表して疑問をぶつけると、ガミは笑いながら首を横に振った。
「二合目の壕は昼過ぎにしねえか? そうするべや。中がどうなってるかもわからねえしよ、上まで行けばけっこう準備運動代わりにもなるしな。それに二合目のあたりだとよ、森の中だからどこもじめじめして弁当食う場所もネエべ」
ガミの説明に四人ともなるほどと頷いた。先ほどの躓きによるショックはもう尾をひいてはいないように思われた。ガミはいつものリーダーに戻っているようだった。
私たちはある意味ではほっとしていつものようにガミを先頭に出発した。隊列は大体いつも決まっていた。ガミが先頭を行き、次にシャケか私。若干体力の劣るメソがその後ろで、最後尾をトリオが受け持った。
十五分ほど歩くと、私たちは朽ちかけた標柱が下草に埋もれながらもかろうじて頭を覗かせている場所に出た。草を手で払うと標柱には『二合目』と墨で書かれた文字が読み取れた。すぐ先に午後から探検することにした二合目の防空壕が真正面に、私たちを誘い込もうとするように口を開けている。じっくり観察したい気持を抑え、登り続ける。
登山道は登り勾配のまま防空壕の前で大きくUの字を描くように離れて行く。山の斜面に沿って二百メートルくらいまっすぐに行ったところで再び大きく折り返し今度は防空壕の入り口から二十メートルばかり上までやってきてはまた折り返す。いわゆる九十九折である。登山道としては傾斜が妙になだらかだが、軍用車が山頂まで上がる必要があったためだろう。しかし森の木々が濃く、見上げても折り返してきた道路を望むことはできなかった。
私たちは登山道ではなく防空壕の入口を掠めるように森の中に入り込む細い踏み分け道に分け入った。九十九折をショートカットするこの道を行けば、勾配は比較にならないくらい急だったが、半分以下の時間で頂上まで登ることができる。それに、もうひとつ理由があった。五人とも口には出さなかったが、踏み分け道に入ってまもなく全員の好奇心を掻き立てるものを森の中に望むことができたからである。それは二合目の防空壕とまったく同じ造りの軍事施設跡だった。道路に面した防空壕からおよそ二五メートルほど離れた森の中に、もうひとつの壕が口を開けていることを私たちは知っていたのである。
「こっちにも入って見んの?」
気になることがあるのか、メソが今にも消え入りそうな声でいった。
「せっかく準備して来たんだ。入ってみるべや」ガミは振り返ってメソに答えてから皆に目を向け、「どうだ?」と、問いかけた。
「当たり前だべよ。並んでる防空壕の方っぽしか入んねかったらよ、おめぇ、探検したって言えねえべや」
トリオがばかにするような口調でメソをからかった。
「そんな言い方すんな」ガミはトリオに釘を刺して「問題ねえよな」と確認するようにいってメソを見た。
メソはちょっと困ったような表情を見せた。
「ああ。なんもねぇ……と思うんだけどな。父さんがね……あの壕には入んねえほうがいいっていうんだ」
「何でよ」
「あの防空壕にはアメリカに殺された兵隊たちの魂が封印されているから、中に入れば取り付かれるって」
メソは言い辛そうに話すと、悲しげな目をして「ハハハ」と笑った。
「何でもねえって。メソの父ちゃんは坊主だからよ、そんなことばっかし気にしてんだべや」
トリオが励ますようにそういって豪快に笑って見せた。
「うん。なんも問題ないよ。問題ない。探検しよう、こっちの防空壕も」
メソはそういって笑って見せたが、私はメソの目が少し潤んでいることに気がついた。
私にはメソの気持ちが分かるような気がした。
「何故ぼくの家は寺なんだろう。何で父ちゃんは住職なんかしているんだろう。幽霊が本当にいるなんて誰が考えたって思わないよ。僕だって生まれてから今まで一度も見たことはないんだ。それなのに父ちゃんがそんなこというものだから僕まで変な奴に思われて、みんなから笑われるんだ。」
メソはそういいたかったのではないだろうか。そしてメソはそれを口に出して言ったところで父親が住職であることに変わりはないわけで、何の解決にもならないことも良く知っているに違いないのだ。
私たちは登り続け、十一時を少し回った時刻に頂上の防空壕に到着した。コンクリートの上に立つと私たちの視界一杯に雲ひとつないな夏の青空が広がり、その下に海と函館の市街がパノラマのように広がっていた。
青空の下での昼食は何よりも楽しいひと時のはずだった。他愛もない冗談が乱れ飛んで、あっという間に時が過ぎていくのである。しかしこの日ばかりは五人ともこれからの探検のことが気にかかってか、みな妙に押し黙ったままで会話が弾まない。互いに腹を探り合うように無口となってしまった、そんな静かな昼食となったことを私は覚えている。
3
ガミの死がこんなにも早く訪れることを、いったいだれが予測し得ただろうか。
私がその訃報を受けたのは出張先のホテルだった。客先との商談をひとつまとめた私は、ほんの少し酒を呑んでからホテルに戻った。ルームキーを受け取るためフロントに行くと蝶ネクタイをつけたホテルマンが「渡辺様よりメッセージが入っておりました」といって二つ折りにしたメモ用紙をルームキーと一緒に差し出した。
渡辺という名に心当たりもなく、私は部屋へ戻るとメモをサイドテーブルに置きまずシャワーを浴びた。まだ六月の半ばだったが北海道とは異なり梅雨時期の東京である。鬱陶しい蒸し暑さにいささかバテ気味だった。汗を流し終えバスタオルを腰に回したままの格好で部屋に戻り、冷蔵庫から缶ビールを取り出して栓を抜いた。冷たいビールを一口飲んで喉を潤した私は、備え付けのバスローブに体を包んでソファーに深々と腰を下ろした。
そしてテレビを付けようとリモコンを載せたサイドテーブルに手を伸ばしたとき、そこについ先ほどメモ用紙を置いたことを思い出した。メッセージが届いていたのだった。
メッセージは『渡辺孝之様より』とある。長い年月隅に追いやられていた記憶も思いがけなく簡単に甦るものだ。メッセージはトリオからだった。
『ガミが急死しました。連絡ください。』
メッセージを受けたフロントが要件のみまとめて書いたものだろう。簡単なそれだけの文面と、連絡先電話番号が記されているだけだった。
ガミが死んだって? 頭が混乱して整理がつかない。小学校時代の思い出が徒に脳裏を過ぎるばかりだった。
私はベッドサイドに置かれている電話に手を伸ばした。メモに記されたナンバーをダイヤルする。幾度かのコールの後トリオが出た。
「連絡もらった。岡田です」
「ああ。カズ」というトリオの声が遠いところから漂ってくるように聞こえた。
声は少し弱々しく沈んでいたけれども、間違いなくトリオの声だった。
「ガミが死んだって? 悪い冗談言うなよ」
「明日通夜で明後日が告別式だ。来られるか?」
トリオは構わずにいって私の答えを待った。
「いったい何があった?」
「事故だよ。暴走してくる車にはねられて、頭打って……呆気ないものだよな」
「通夜の日時と場所をもう一度頼む」
「妙見寺。メソの寺だ。通夜は明日夜六時。メソのやつ相当ショック受けているよ。住職なのにな。どうだ、来られるか?」
「行くよ。明日。よろしく頼む」
私は受話器を一度置いた。
トリオから聞いた予定などを手帳に整理しなおしてからホテルフロントを呼び出した。
チェーン店が全国いたるところにあるホテルだった。函館市にも系列店があるかも知れない。フロントに問い合わせると、思ったとおり市内中心部にあるということだった。
フロントに理由を告げて航空機と宿の手配をしてもらい、その跡で自宅に電話を入れた。
妻に事の次第を告げ、礼服一式を向こうのホテル宛に送るよう手配をした。明日の通夜にはもしかしたら間に合わないかもしれないが、告別式には間に合うだろうと妻が言った。
私は翌朝早くチェックアウトを済ませ、その足で羽田空港に急いだ。
札幌行きから函館行きへ航空券の変更をしなければならなかったからだ。しかし昨夜ホテルのフロントで予め予約変更などの手続きをしてもらっていたので、何のトラブルもなく手続きは終了した。私はホテルで取ってもらった予約どおり、函館空港行きの朝一便に搭乗し故郷へと向かった。
大学を卒業した年、父の仕事の関係で一家そろって札幌に移り住んだ。その札幌で私も職に就いた。それ以来一度も函館には戻っていない。今年四十三歳になる。実に二十年ぶりに故郷の土を踏んだのである。
まだ午前十時を回ったばかりだったが、私はとりあえずホテルに直行した。タクシーの窓外に流れる風景は、当時となんら変わったものもなかった。田舎町である。チェックインにはまだ早すぎるので、荷物だけ預かってほしいと頼むと、「では時間が来ましたら、お部屋のほうに入れておきます」とフロントの男は快く預かってくれた。
私は函館駅から程近い朝市に隣接した大衆食堂で遅い朝食を済ませた。食事を済ませてから店の公衆電話を使ってトリオに連絡を入れた。
「岡田です。トリオかい?」
「着いたのか?」
「忙しいのか?」
「いや。俺は通夜が始まったら少し手伝うだけだから、忙しいことはないよ」
トリオはそういって私の返事を待った。
「昔よく入ったあの店。函館公園の裏の喫茶店…なんといったかな」
「山小屋か?今でもやってるよ」
「そうか。それじゃ式の前に少し話しでもしようや」
「俺も話したいことがあるんだ。午後一時で良いな」
トリオはポツリといって電話を切った。
私はゆっくりと受話器を置いた。
4
むせ返るような青草の香りがする軍事施設跡の上で私たちは昼飯を食べ終わった。三十分くらい休もうというトリオの提案に賛成した私たちが二合目の防空壕に対するそれぞれの思いを膨らませていると、変声期を過ぎて野太い声になったシャケが突然おどおどとした口調で話し始めた。
「ねえ、みんな……ちょっと気になるんで言っておこうと思うんだけど、あのもうひとつの防空壕のことなんだけど……」
「何だよ、そのことならもう話がついたべや」
ガミが少し語気を荒げたのを見てシャケは言葉を止め俯いてしまった。
「聞いとくべや、せっかくシャケが何か言おうとしてるんでねぇか。なあ、カズ」
トリオが助け舟を出し私に視線を送った。
私もガミの言葉が少し傲慢なものに感じたのでトリオの目配せの意味をすぐ理解した。「なんかあったんか? シャケ」
私は続きを話すように促した。
安心したようにひとつ深呼吸をすると、シャケは話し始めた。その話は北洋に出ている父親から聞いたことらしかったが、要約すれば怪談話のようなものだった。
あのもうひとつの防空壕は作戦司令部で、将校など上級の軍人が使っていたという。参謀たちは終戦後敗戦の責任を取って壕の中で腹を切ったりこめかみに銃口を押し付けて引き鉄を引いた。
あの壕の中には将校たちの個室が並んでいて、部屋の中にはまだ霊魂が漂っている。霊魂は今でも外の世界に未練を持っているから不用意に個室の前で話し声など立てようものなら追いかけてきて忽ち憑依してしまう。だから部屋の前を通り過ぎるときには絶対に音を出してはだめだというのである。
万一気付かれた時には、霊は必ず「だれか?」と聞いてくる。聞かれたときは決して逃げようとせず「五年三組 木村洋助参りました。入ります」と精一杯腹から声を出す。そうすれば霊は「いかん!帰れ!」と命令する。それを聞いてからゆっくり落ち着いて外に出ること。そうしなければ取り付かれてしまうという説明だった。
皆、シャケの話を真剣に聞いていたが、ガミはひと言「ばかばかしい。さあ出発するぞ」
と笑って立ち上がった。
急ぎ足で来た道を戻り、ついに私たちは二合目の防空壕の前に立った。五人とも一様に緊張していた。私たちが知っているほかの壕ならば、コンクリートやレンガ造りの要所要所に窓や通気孔が穿たれ、壕の中が完全に暗闇ということはなかった。しかし今私たちの目の前に待ち構える二合目の防空壕は、山の斜面からまっすぐ奥へとトンネルのように掘り進んでいる。内部が暗闇であろうことは子供でも察しはついた。何も言わずに壕の前に整列した格好で黙り込み、誰かがきっかけを作るのを待っているようだった。そしてその誰かとは既に決まっていた。
私たちが躊躇していると、ガミが決心したように入り口に向かって歩き始めた。入口の前にはレンガやコンクリートが瓦礫となって散乱し、見るからに歩きにくそうだ。ガミはその上を少しよろけながらも注意深く進み、朽ち果てた木戸の前に辿り着いた。
ガミはナップザックから懐中電灯を取り出し、ほとんど役に立たぬくらい大きな穴の開いた木戸から壕の中に光を投げた。私たちの位置からも弱々しい薄明かりが壕の澱んだ空気をゆらりとかき回すのが見えた。
この壕の人口の明かりが消えて果たしてどのくらいの歳月が経つのだろう。
ガミが懐中電灯のスイッチを入れたとき、眠っていた防空壕は目を覚ましはしなかったのだろうか?
私はふとそんなことを考えた。私たちは好奇心で暗闇に閉ざされた史跡を探検しようとしているわけだが、壕はそれを望んでいるのだろうか。 重苦しい不安が私の胸を捕らえた。しかし探検を中止するにはもう遅すぎた。偵察に行ったガミがくるりと振り返り、「来いよ!」と大声で私たちを呼んだ。
ホテルの前の停留所から私は市電に乗った。いわゆるチンチン電車と呼ばれる一両編成の路面電車である。二十年前と同じならば谷地頭(やちがしら)行きの二番の番号を付けた電車のはずである。やがて電車が入ってきた。記憶が正しいことがわかった。市電はかつてとまったく変わらぬゴトゴトいう音を響かせながら実にのんびりした速度で舗装道路に埋め込まれた線路の上を進んだ。窓外を流れる風景さえ二十年という歳月など何の意味もないとでも言いたげで、私を当時へ連れ戻そうとしているのだった。
十字街(じゅうじがい)という停留所に市電が止まった。かつては函館の目抜き通りだったらしいが物心ついたころには既に函館駅周辺から大門と呼ばれる一帯に移り変わっていた。それでも十字街は私のように山裾に住んだ函館人にとってはいつまでも心に残り続ける街に違いない。函館の形状を山の部分と砂州の部分に分けるならば、この十字街が境目の一点になる。駅前方面から来た市電は十字街で函館山の山裾に沿って左右に分かれていく。右手に行けば函館港を遠望しながら旧桟橋や函館ドックのある弁天町方面へ向かう。
私が乗った電車は十字街で左に折れ、山と砂州を繋ぐ首の部分を横切り反対側の海岸に出るとそこから山裾と海岸の間に沿って進路をとる。その先が谷地頭という珍しい地名がつくこの電車の終点になる。
電車はやがて宝来町の停留所を過ぎた。宝来町の停留所先で市電の路線を含む道路は高田屋通りと呼ばれる広い舗装道路と直角に交差する。市電が山裾に沿って続いているということは、交差する道路は十字街を背にしている限りすべて坂道で右側が高い。高田屋通りを見上げると坂道を上りきったところに護国神社の石段が見えた。あの日二合目の防空壕へと向かった登山口である。
やがて市電は青柳町(あおやぎちょう)に停車した。トリオと約束した山小屋という名の喫茶店は、青柳町からが最も近いことを思い出し、私は下車した。
線路に交差する坂道を登りつめた所に函館公園がある。私はゆっくりと坂道を登り函館公園の入り口をくぐった。花壇の中で淡い色をした初夏の花々が美しく咲いている。
私は少しの間公園の中を散策していたが、いつまでも公園内をうろうろしていても仕方がない。約束の時刻にはまだすこし早いけれど、店に入って待つことにしようと喫茶・山小屋のドアを開けた。店内に満ちていたクラシック音楽の静かなメロディーが夏の大気の中に零れ出た。店内には優しげな楽曲の調だけが満ちそれを妨げるものといえば私の打つ足音だけだったであろう。
やはりトリオはまだ来ていなかった。
店は名前どおり素朴な丸木作りで、カウンター前の小さなテラスにテーブルをいくつか配置した部分と店の奥側には暖かそうなソファーで囲んだボックス席を設えていた。
ソファーの前の壁にはレンガを積んだペーチカが作られている。真冬の雪の日などは薪を焼べて雪国のムードを盛り上げるのだろう。
私はボックス席のいちばん奥まで進んで、ソファーと同じ素材で作った肱掛椅子を小さな木製のテーブルを挟んで向かい合わせに置いた籍に腰を下ろした。学生アルバイトのような女の子が注文を受けに来た。私はホットココアを頼んだ。十分ほどして先ほどのウエイトレスがホットココアを運んできた。
「熱いですから、気をつけてくださいね」とウエイトレスが云った。
ぼんやりとしていた私がその声に目を向けると、ウエイトレスは丁度品物をテーブルに置こうと腰を屈めたところで、熱いココアの入ったカップから立ち上る湯気の向こうに女性の顔が浮かんでいた。女性もふと視線を動かしたものだから一瞬私と目が合う形になって、きまりの悪さを隠そうと意味もなく微笑んで見せた。私は少し狼狽した。湯気の向こうの女性が奈津と重なり合った。
正直に告白すると私は中学三年生から高校一年生の二年間山上奈津と交際した。
悟られぬよう注意したので誰も知らぬと思うが、小さな町である。今はもう互いにどこに暮らすのかさえ知らない間柄だし若いころの話だからもうどちらでも構わない。
奈津は常に自分を主張していたい女性だった。負けず嫌いで理屈っぽく、その上頭が良かった。しかしそんな奈津だったが、私には総てを見せて甘えていたように思える。
別れ話を切り出したのは奈津のほうからだった。その理由は奈津独特の考え方で、理解できるものはいないのではなかろうか。
きっかけとなったのは奈津の卒業だった。だから私は始めは大学への進学に家庭内の反対があったのではと邪推したりした。しかしそれはありえないことだった。
奈津の気持ちの中に、大学へ進もうという意識ははじめからなかったと思私はう。
高校を卒業した女性がこぞって進学するような社会にはなっていなかったし、進学を視野に入れる女性はまだまだほんの一握りだったことも確かにその通りだ。しかしもし奈津の心の中に進学の希望があったとした場合、それらの社会背景や家庭の問題は奈津にとってはなんの障壁にもならなかったはずだ。そう考えたほうがしっくりするのだ。
二合目の防空壕へと向かった朝、登山口に集まった私たちの目の前でガミに噛み付いた奈津の気の強さはそれ以降も消えることもなく、むしろ成長とともに磨きがかかっていくようだった。
そうすると今度は奈津がこのとき突然持ち出した別れの真意が、私には理解できないものになった。
「カズくんとも今日までね」
下半身を絡み合わせたままの恰好で奈津が云った。唐突に、なんの抑揚もなくである。
「どうして?」私は行為をとめる。
「続けて」奈津は腰を突き出した。
私はいわれたとおりに再開する。そして終った。
「だって私、卒業するのよ。そして東京に行くわ」
「大学?」
「まさか」
奈津は少し笑った。「何をするかはまだわからないわ。でも何かをして暮らすの」
「別れることないだろう。二年したら俺も大学受けて東京に行く。そうしたら……」
「あら、それはだめよ。ばかね。大学に受かって、誰かが用意しといた安全な住処を頼る気なの? そんな示しのつかないことしちゃ意味ないじゃない」
「それなら奈津が俺を二年間待てばいい」
「それは良いかもしれないけれど……でもだめよやっぱり。だって、私、二年もしないうちに違う女になるわ。カズ君がどんなに頑張ってもわからないほど違う女に変わってしまうわ」
奈津はそういってまた脚を絡めてきた。
このときのことを思うとき、私はこれを境に奈津は大人の世界へと飛びたっていったのだと考えることにしたのである。多分それは逃げに違いない……
軽やかなカウベルの音が私を現実に引き戻した。ドアヶ開かれトリオが姿を見せた。
私は立ち上がって「しばらく」と向かい側の席を手で示した。
トリオは腰を下ろした。顔つきなどは小学生時代それほど変わったとは思わなかったが歳月がトリオの頭から髪の毛を半分ほど奪いとっていた。
永い時を一気に飛び越えて肩を叩きあいたい衝動に駆られた。だが此処で再開した理由が理由だけに、私たちは暫く何も言えずに俯いたままでいた。
トリオが注文したコーヒーがテーブルの上に置かれた。コーヒーカップにトリオが角砂糖を放り込むのをきっかけにして、私は思い切って口を開いた。
「ガミのやつなんであんなことに……。いったい何があった?」
「道路を横断しようとして飛び出したところを暴走車にはねられた。即死だった」
「いい大人だぜ。そんなことが……」
「嘘なんかいってない」
トリオは言葉尻を捉えるように言ってきつい目をした。
「トリオが嘘をついてるなんて言っちゃいないさ。ただガミがそんなことで死ぬなんて信じられないんだ。相当注意深い男だったように思うんだがなあ……」
「そう思うだろ。カズも、そう思うだろ」
トリオに念を押されて私は頷くしかなかった。
ガミはトリオが言うとおり慎重という言葉が最も当てはまる男だったと思う。だからこそ仲間内でもリーダーとして認めていたのである。何をしでかす判ったものではないやんちゃ盛りを束ねて行くには、周囲を慎重に分析してその都度的確に行動に移していく能力も必要なのである。それがガミの中にどはあったように思う。ガミのその力が山上という配管工を営む家の教育方針によって培われたものなのか、それとも口うるさく強気な姉が四六時中ガミの教育係よろしく付きまとった賜物なのかは知らぬが、兎に角ガミがあとの四人に比べて秀でた統率力を持っていたのは間違いなかった。状況判断や気配りを含めてのことだ。そのガミが暴走車にはねられることなど現実として受け入れがたいことだった。
トリオと私はお互いの出方を探るように少しの時間黙り込んだ。
トリオはほとんど冷めてしまったコーヒーで喉を潤し、私は煙草を咥えて火を点けた。
先に沈黙に耐えられなくなったのはトリオだった。
「ガミが車に撥ねられた場所のことは、まだ話していなかったな」
トリオはいい辛そうに、というより言おうか言うまいか迷っているように前置きだけを口に出して私を見た。
「まだ何も聞いていない」私は促した。
「それが……二合目の防空壕の前だった」と、トリオは囁くように言って目を伏せた。
背筋に冷たいものが走るのを覚えた。
「ガミは登山道ではなく、いつもの近道のほうを下りて来て防空壕の前で合流する登山道に飛び出した。そこで丁度て下ってきたスピードオーバーの車に撥ねられた」
「いったい何故そんなところにガミは行っていたんだ?」
「今となっては謎とでも言うほかない」
トリオはガミが近道を通って下りてきたといった。その途中にもうひとつの壕があることを誰も忘れてはいまい。それなのに何故もしかしたらガミはそこに行っていたのではなかろうかという可能性を言葉にしないのだろう? 判らないことばかりだった。そしてガミがこんな結末を迎えてしまった以上この謎が解き明かされることもなくなってしまったということなのである。
「ガミが変わってしまったのはあの防空壕探検をしたときからだったように思うんだが」
トリオ思い切ったようにいった。
「確かにあの出来事があってからガミはどんどん卑屈になっていくようだった」
私はトリオに同意した。
「あれからもう三十年以上たつんだぜ」
トリオは当時を思い返しているように遠くを見つめた。
「お前は受験校に行っちまうし、そのあとだって東京の大学に行ってほとんどこっちには寄り付かなかっただろ。いやその前に中学校に入ってからもあまり会話をすることもなくなって……」
「仕方がないだろ、それは」
私はトリオの話の腰を折った。
「仕方がない? 都合の良い言葉だよな」
「なんだと」
私はトリオの言い様に少し腹が立って声を荒げた。
「いまお前も認めたろうが。ガミが変わったのはあの日からだって。ガミはきっと俺たちが考えていたよりも遥かに繊細な神経をしていたんだ。だから俺たちがしたことに耐えられなかった。俺もシャケも後悔して三十年以上苦しんだ。そのことひとつでな。それを仕方がないで済まされるのか」
トリオの声も大きくなった。
私は新しい煙草に火をつけ大きく紫煙を吐き出した。噛み合わないままだったトリオとの会話が少し見えたような気がした。
「何をしたんだ? ガミに」
私はひとことそういった。
今度はトリオがうろたえる番だった。
「なんだって?」
「だから、お前たち、あの時ガミに何をしたんだ」私は再びいった。
「お前、何も聞いていなかったのか?メソから」トリオはそういって絶句した。その瞳から燃えていた火が消えていくのが判った。
6
壕の中に一歩足を踏み入れると外のむせ返るような暑さが消え、私たちはひんやりと肌寒い空気に取り囲まれた。頂上の軍事施設跡から足場の悪い山道を駆け下りてきたので、汗だくになった私たちの身体にこの冷気はかえって心地よく感じられた。皆それぞれ懐中電灯のスイッチを入れた。五つの円形の光が交錯して、壕内のあちこちをで動き回った。
防空壕の中は思ったより広く整然としていた。左右の幅も天井までの高さも三メートルは越えていて、思っていたよりも広い空間であった。足もとに瓦礫が散乱しているわけでもなく、コンクリート打ちっ放しの幅の広い廊下のような通路がまっすぐに奥へと続いていた。懐中電灯はみな似たり寄ったりの性能で、それほど明るい光を投じるものはなかった。それでもみな一斉に通路の奥に明かりを集中させてみると、およそ百メートルほどで先で通路は行き止まりになっていることが分った。私たちは明りをまっすぐ前に向け、5人がなるべく離れないように注意しながらガミを先頭に奥へと進んだ。ほどなく私たちは壕の最も奥に辿り着いた。通路は行き止まりの少し手前からゆるい下り坂になっていて、その部分には壕の入口にあったものと同じような瓦礫が散乱していた。まるで誰かが入り口からここまでの通路に散乱していた瓦礫を掃除してここに集めたのではないか。私はそんな印象を得た。
「何もネエな」トリオが残念そうにいった。
しかし一番先に行き止まりの壁に到着したガミはトリオとは異なる印象を受けたようだった。
「スゲェ」
ガミは懐中電灯の明かりをあちこちに向けて興奮しながら何かを探しているように見えた。
「なに探してんのよ」
私はガミのそんな様子を見て尋ねた。
「埋めたんだ。きっとそうだ……どこかに壁が壊れたところでも無いか探したんだけど諦めた」ガミは探すのをやめて「最初はもっと奥まであったみてぇだな床のコンクリとぜんぜん違う。きっとこの壁、最近造られたものなんだ」と断言した。
「そんなことどうしていえるって」
コンクリートの違いなど私には分らなかった。
ガミはふと思いついたように壁際まで進んで小さな瓦礫を拾った。
皆の見ている前でガミは拾い上げた瓦礫を奥壁に数回打ちつけた。
皆が興味深そうにかざした懐中電灯の光輪の中でコンクリートの奥壁はコーンコーンと反響する音を聞かせた。
「やっぱり本当はもっと奥まで続いていたんだよ。自分でやってみれ」
ガミがやって見せたことを私たちはそれぞれが真似た。
言われてみると確かに壁の向こう側にも空洞が続いているように、壁を打つ音がくぐもって反響した。
「まあ、とにかくここまでだな。こっち側は」
トリオがそういって皆に同意を求めると私たちはそろって首を縦に振った。
回れ右をして引き返そうと歩き始めたとき、私と並んでいたトリオが「あっ」と驚きの声を張り上げて急に足を止めた。
「おい。あれ、見てみれ」
トリオは大声で言って懐中電灯の光で十メートルほど先を照らした。
通路の左側壁を光の円が這うように動いた。トリオが気付いたものを私たちも目に焼き付けた。私たちは皆その場に足が張り付いたように動けなくなってしまった。
トリオの持つ懐中電灯の光の中に私たちが確認したものは、左側の壁に穿たれた横穴の入り口だったのである。
壕の左側壁に、幅も高さもそれぞれ一メートル五十センチ程度の横穴が穿たれていたのである。
私たちは横穴のところへと急いだ。トリオが横穴の奥に明かりを向ける。玩具のような懐中電灯である。その光は闇の中に吸い込まれてしまった。しかし横穴の向かう先はだれの目にも容易に察しがつくものだった。
「す、すげぇ」とガミがつぶやいた。
「この通路、向こうの防空壕に繋がってるんでないべか?」
シャケが言うと声変わりしたシャケの野太い声が防空壕のコンクリート壁に反響して不気味に響いた。
「繋がってればそうだべな」ガミが認めた。
トリオが「行ってみるべ」と横穴に足を踏み入れた。
「ちょっと待てや」ガミがそれを制した。
「なんだよ。どうせ探検するんだべ」
トリオはガミを睨みつけた。
「俺が先頭だ」
「誰が決めたんだ」
トリオは少し気色ばんだ。
「頼んでるんだよ、ガミは。シャケやメソが遅れたりしないように。トリオしかいないべや。頼れるのは」
私がそういって執り成すと、トリオは仕方ないという表情で頷いた。
ゆっくりと足元に気をつけながら私たちは進んだ。およそ十分ほど歩いたところで突然ガミが歩みを止め、囁くような声でシャケを呼んだ。ガミはシャケが横に来るのを待って、トンネルのような通路の少し先を懐中電灯で照らした。シャケはガミが知らせようとしていることに気付いた。ガミが明かりで示す先に、一部分側壁がコンクリートではなく板張りになった箇所がある。そしてその中央にドアがついているのが見えた。
「お前の父ちゃんが言ってたのはあれじゃねえのか?」
「たぶん……」
「それじゃあ、シャケのいったことは言い伝えだと思うけど、一応あのドアを通り越すまでは音を立てねえようにな。それから懐中電灯も消せ」
ガミはますます囁くように言った。
「真っ暗になって歩けなくなるぞ」
トリオが小声で言うとガミは「右側には何にも無いみたいだから、手探りでいけるさ。それにあの部屋の前を通り過ぎるまでの間だけだ。懐中電灯をつけて動けばドアの隙間から灯りが流れ込んでバレルかも知れんべ」と勇気付けるように答えた。
「よしそれじゃ明かりを消せ」
ガミが号令をかけ、皆一斉に懐中電灯の明かりを消した。私たちは漆黒の闇の中に置き去りにされたような錯覚に陥った。
「音を立てるな。注意して進め」ガミの小さな声が指揮を取っている。
次の瞬間、瓦礫を蹴飛ばす音と「ああっ」という叫び声が響き渡った。メソの声だった。
そして全員が凍りついたように立ちすくんだ。暗闇の中で私たちは全員その声を確かに聞いたのである。
「だれだ!そこにいるのは!」
その声は暗闇の中で増幅され、こだまするように響き渡った。
「だれだ!そこにいるのは!」再度声がする。
「五年三組、今野修二参りました。入ります」
勇気を振り絞ったメソの大声が皆を代表するように響いた。
あとは霊の声が帰れと云うのを待つだけだった。しかし声はシャケの話とはまったく違っていた。メソに対して発せられた命令は「いかん!帰れ!」ではなく「よし!入れ!」だったのである。
暗闇の中でドアが大きく開く音、そして「はいります!」と再び叫ぶメソの大声。最後にバタンと音を立てて閉まるドアの音が聞こえた。
その大きな音でパニックに陥ったのは、あろうことかガミだった。
ガミは気が狂ったように走って壕を飛び出し走り去ってしまったのである。
私とトリオ、そしてシャケは一時混乱したがやがて平常心を取り戻した。いくら待ってもメソが戻らないのでそのことをメソの家に知らせようと妙見寺にいってみると、メソは既に家に戻っていた。そしてこの日の出来事も他のいろいろな記憶とともに色あせ、日がたつにつれて遠く薄らいでいくのだった。
7
山小屋でトリオが私に打ち明けた話は私を驚かせるものだったが、それからも一年半ばかりは同じ教室に学んだのだから、私がもう少し友達として接してさえいれば十分気がついて可笑しくないことだった。ただあのとき仮に私がそのことに気がついたとしても、ガミの傷ついたプライドは決して元には戻らなかったであろうし、トリオの罪悪感を癒してやることもできはしなかったと思う。私に計画を伝える役目はメソが担っていたとトリオはいった。メソはしかし何も言わなかった。その理由が何であるかは分らない。要するに信用されていなかったということなのだろうか。私にはメソが告げなかったことを責めることはできない。もし真相を知っていたとしても私にできることなど何もなかったと思うからである。
やがて私たちは小学校の課程を終え、そろって中学生になった。五人とも同じ中学校に入学したのだがクラスは分れ、それに伴って友人関係も変わってしまった。その後皆まちまちの高等学校からそれぞれの人生に向けて大学に進んだり職に就いたのである。
ガミは函館市内の料理屋で板前になり、メソは住職だった父親が死んでそのあとを継いだ。トリオも家を継ぎ大工をやっており、シャケは電気関係の会社に勤めているらしい。風の便りで耳にしたことといえばせいぜいその程度の情報でしかなかった。愛称で呼び合い、いつも一緒に遊んでいた友人たちは、小学校を卒業すると同時にいつも共有していたステージを下りてどこか知らない各々の世界へと飛び去ってしまったのである。
「だから、お前たち、あの時ガミに何をしたんだ」
私が再度訊ねるとトリオはようやく真相を語り始めた。
「俺はあのころ、ガミのことが煙たくてならなかったんだ。度胸もないくせに親分面してたろ……」
「確かにガミにはそういうところがあったな」私は認めた。
「それに家の仕事のこともある」
「というと?」
「うちは大工。やつの家は配管屋。俺のうちのほうが上なんだ。いつも仕事を流してやってる。だから息子同士の立場が逆じゃあ世間体が悪いっていつも親父から怒鳴られていた」
「そういうものか……」良く分らなかったが、きっとそれも大きな問題だったのだろう。
「一度シャケの親父が北洋に行くのを山から見送ったことがあったろ。覚えてないか?」
トリオは懐かしい時代を思い出しているかのように目をつぶった。
私は黙って頷いた。
「あの日山を下りて解散したあと、シャケから二合目の防空壕に憑く幽霊の話しを聞いたんだ。俺はそのときちょっとした悪戯を思いついた。あいつの力量を見届ける悪戯だ」
そこまでいってトリオは煙草を咥え火をつけた。
「なるほど。ガミの力量がリーダーとして相応しいかどうかを見極めるためにひと芝居打ったということだな。……いやそれとも、ガミのことがただ面白くないと感じていたからなのか?」
「今となってはどちらも同じことだよ」トリオは自嘲的に呟き「だから今日お前が先に来ていて何事もなかったようにお茶飲んでるのを見たとき、少し腹が立った。なんて冷たいやつなんだと思ってね。許してくれ」と続けた。
「いや、いいんだ。それよりもひとつ訊きたいことがある。あのときガミはともかく、お前もシャケもパニックになっていたのはなぜだ? 芝居だったのに」
私はカップの底にほんの僅かだけ澱のようになって残ったココアを飲み干した。ココアはすっかり冷めてどろりと苦かった。
「それなんだよ。気が動転してしまったのはメソがドアを開けて中に入ってしまったのが原因なんだが、なぜシャケが『だめだ。帰れ』と、打ち合わせどおりの台詞を言わなかったのか。それが分らないんだ。本人でさえな……」トリオはそういって頭を抱えた。
電話を入れてみると式服は既に届いていたので、一度ホテルに戻ることにした。時計を見ると午後三時になろうとしている。トリオは私をホテルまで送ってくれたが、これからすぐ戻って式場の準備など手伝いをしなければならないので、悪いが式場へは自分で向かってくれと断って私を下ろすとそのまま立ち去った。
ガミの通夜は夕方六時からだった。北海道では多くの場合まず生仏(なまぼとけ)のままで通夜が執り行われる。翌朝早く出棺、荼毘に付され式場に戻り、最後に告別式が執り行われるのが普通である。式服に着替え、午後五時を回ってから私はタクシーを呼んだ。
妙見寺の式場に入ると私は準備していた香典を持って受付へと向かった。
受付で記帳を終え待合室に向かっていた私は、突然後ろから「カズだろ」と声をかけられた。驚いて振り返ると法衣に身を包んだ住職が笑顔を見せた。
「暫くぶりだね」住職は穏やかな声で言った。
「メソ、か?」
メソは住職としての風格をにじませた姿を見せて立っていた。
「もうメソなんて呼べないな」
思わずそう口にすると、メソはかぶりを振って「いいんだよ。そんなことどうだって」といった。そして周囲に誰もいないことを確認してから消え入るように小さな声で「今晩、通夜は八時には終わる。そのあと少し時間をくれないか?終わったら十字街の田楽っていう料理屋に行っててくれ。店には話してある。ふたりで一杯やろうや。じゃ、あとで」
メソは一方的にそれだけ言うと本堂のほうへと姿を消した。
私はメソの変わり様を目の当たりにして驚いた。この変化を小学校時代のあの出来事と直接結びつけて考えるのはいくらなんでも強引過ぎるだろう。しかしあの日以来現在までメソとはほとんど交流がないまま来てしまった私にしてみれば、あの一日に何かがあったのだと決め付けたい衝動を抑えることができなかった。
式場には正面の祭壇に黒縁の額に入れられたガミの写真が悲しい笑顔を湛えて飾られており、その前に白木の棺が据えられていた。
ガミの父親は三年ほど前に他界したと聞いていた。喪主席の椅子に腰かけているのが母親だろうか。すっかり憔悴しきって見える。ひとことお悔やみをと思うのだが躊躇していると、喪服姿の私と同じくらいの年回りの男が現れ、介護するように控え室に連れて入っていった。
私は少しほっとした。
「お悔やみなんか言わないでね。母さん、かえって落ち込むから」
喪服姿の奈津だった。奈津は女を感じさせ、同時に四十半ばの歳月も受け入れていた。
「カズくん、年取ったね」
私もそれなりのことをいってやろうと思ったが、奈津はその隙を与えなかった。
「顔。見てやって」と先に立って棺に近付き。白木の小窓をあけた。
ガミは、敷き詰められた白い花々に埋もれて、何事もなかったように眠っていた。
涙がポロポロと伝い落ちるのをどうすることもできなかった。
通夜の法要はメソが言った通り八時少し前に終わった。このあとは近親者だけで通夜を行うということでお開きになり、外に出た。山裾の坂道の途中に建立された妙見寺は山門を出ると函館市の夜景が広がっている。私は待機しているタクシーに乗り十字街の田楽までと、行き先を告げた。メソはふたりで飲もうといった。寺でぐずぐずしていたならトリオや、見かけなかったがシャケにつかまることだってあるかも知れない。そう思って遺族に挨拶だけ済ませ、早々に寺を出たのだった。
名の通った店らしく運転手は何も聞かずに車を走らせ十五分くらいで田楽の前に車をつけた。引き戸を開けて暖簾をくぐると「いらっしゃいませ」感じの良い挨拶が出迎えた。テーブル席もある小奇麗な居酒屋という印象の店である。女将と思われる割烹着姿の小太りだが嫌味のない顔をした女性がやって来て「カズ様でいらっしゃいますね」と愛想笑いを浮かべた。
「こちらへどうぞ」と、私は階段を上がった先にある座敷に通された。
「今野様からすぐ参りますと連絡がございました。如何いたしましょう? おビールでも
お持ちいたしましょうか」
「ああ。それじゃ、お願いします」と注文すると女将は「かしこまりました」といって下がった。
女将は待たせることもなくビールを持って戻ってきた。グラスと突き出しを私の前に置いてビール瓶を持って私に勧めた。私はグラスに新しい泡を立てるビールを一息に飲み干し「ああ、美味い」と女将に言った。女将は嬉しそうに笑って、「お料理は今野様がお見えになられてからでよろしいですね」と訊ねた。
私が「そうしてください」と答えると女将は「それではどうぞごゆっくり」といって部屋から出て行った。
十五分くらい過ぎてメソがやってきた。もちろん私服である。
「どうも、お待たせして申し訳ない」といいながらメソは私と向かい合う形で腰を下ろした。
「やれやれ、もうこんなことでもなけりゃ顔を合わすこともできないのかね」
メソが切り出し、私たちは盃を合わせた。
「お食事は順にお出しいたします。ご用がございましたらお呼びください」と下がる女将を見送ってメソは上目遣いに私を見ると「忙しいところ申し訳ない」と詫びた。
「ふたりでやろうってことだったから気を遣った」
「悪かった。トリオはきっともう話は済んだと思うしシャケはきっと忙しくてそれどころじゃないと思ったものだから……式場でシャケとは話できたのか?」
探るような目をしてメソは訊ねた」
「いや、気がつかなかった。今日来てたのか?」
「何を云ってるんだ……」
言いかけてメソはすぐ言葉をとめた。
「そうか。カズは知らなかったんだな」
「知らんことばかりだ」
私が少しふてくされたように云うと、メソは声を出して笑い「まあ長い年月が流れたって事だろうな」と追い討ちをかけた。
私はメソの言わんとすることに気付いて確かめるような目を向けた。
メソは小さく頷いた。
「あいつも東京の大学に行ったが、卒業して戻ったときつれて帰ってきた。今は山上奈津の亭主に納まっているよ。尻に敷かれてな。どちらにしても今はうちの大切な檀家様だ」
「シャケもガミの呪縛から逃れられんってことか……」
「これこれ。仏罰が当たるぞ」メソは大声で笑いながら私に徳利の口を向けた。
「面倒くさいからそっちにしようや」
私が猪口を手にするのを見て、メソはテーブルに伏せて置いてあるグラスを示した。
メソは持ち替えた私のグラスに徳利の酒を注ぎ入れ自分もグラスを手に取った。
料理が運ばれ酒が進むにつれて、次第に私とメソとを隔てていた垣根が取り除かれていくようだった。メソは真相を話し始めた。それはトリオから聞いたことを裏付けるものだったが、ところどころ初耳となる部分もあった。
「練習までしたんだぜ。トリオとシャケと俺で。あの一週間前に。日曜日だ」
「それじゃあの防空壕に入ったのは初めてじゃなかったのか」
「何度か入ったなあ。シャケの声の練習もあったしな。……だけど今更思うんだがやめておけばよかった」
「ガミの受けたショックが思っていた以上に大きかったということだろう?」
「まさかガミがあんなに卑屈になるとは思っても見なかった」
「やめようぜ。ガミのこと気にするのは。結局ガミが弱かったってことだ」
私はそういってメソを勇気付けた。昔話で落ち込まれてはたまらないと思った。
「それよりな、メソ。ひとつだけ聞いておかなければ成らないことがある」
メソは私の言葉に大きく頷いて見せた。
「何で俺が計画のことをカズに言わなかったのか。だろう?」
メソは私の質問を予期していたように言った。
「トリオが、俺に知らせる役割分担はメソ、お前だったって……」
「トリオの云うとおりさ。そして言わなかったのも俺が勝手に決めたことなんだ。」
「何故知らせまいとした? そんなに俺は信用できない人間だと思われていたのか?」
「そうじゃない」メソは真剣になって否定した。
「それじゃあどうして?」
「予感があった」メソはそう言った。
それは思いもしなかった理由だった。
「うん。あのとき俺は予感がしたんだよ。きっといつかこのことで心から苦しむときが来るってな。だからカズには何も知らせずにいたほうがいい。そう感じたんだよ」
私は腹が立った。
「何も知らなければ苦しまずにいられるとでも思ったのか? メソやトリオやシャケが苦しんでいる姿を、俺だけが何も知らずに笑って見ていられるとでも……。それじゃ除け者にされたってことだろう」
「そんな綺麗事じゃない」
「俺とトリオとシャケはたまたま居合わせてあの芝居を作った。結果として演じた俺たちが苦しむことになるなら、芝居をきちんと見ていて、正当に評価することができる観客が必要だと思った。俺たちの打った芝居に悪い評価を与えられるとするなら、その評価者の苦しみはそれを出さねばならないと思ったときから始まることになる」
「俺たちがしたことのレフェリーを俺に務めろって言うことか」
「カズの気持の中ではもう始まっていると思う」メソは心から申し訳なさそうに、しかし平然と言い切った。
メソの云う通りだった。思わずぶん殴ってやりたくなるような憤りを、私は辛うじて抑えた。そんなことをしたなら、本当に仏罰が当たるだろう
「お前たち練習したといったが、何でシャケは大事なところで台詞を間違えたんだ?」
私は話を変えるように、もう一つだけ残っていた疑問を口にした
メソはそれを聞いて突然私に鬼気迫る視線を向けた。
「これはまだだれにも話していないんだけれど、シャケは間違えたわけじゃないんだ」
私はメソの言葉の意味が判らず不信の目をメソに向けた。
「決められた台詞を言おうとしたとき、誰かに先に言われてしまったのさ。部屋の中にいた誰かにね。俺も驚いた。でもその声が優しい声に聞こえたんだ。だから『入れ!』っていわれて、素直に中に入っちまったんだよ」メソはそこまでいうと、一度酒で口の渇きを癒した。私が何も言えずにいるとメソは続けた。
「そこにいた人に俺は見覚えがあった。いやそうじゃない。そう思ってしまうほど似ていたんだ。俺の父ちゃんにね。すぐ分った。この人は俺のじいちゃんだって。その人、立派な軍服を着ていたけど、すごく優しい目をしていた」
メソは懐かしそうに昔の思い出に溶け込んでいるようだった。メソの言葉をそのまま言うとその軍人は優しくメソの頭をなで「よくきたね。でももうお帰り。そしてもう来ちゃいけないよ」と言ったという。
数年たってメソはその話を父親に明かした。妙見寺の前住職であったメソの父親はそのとき始めて将来妙見寺をメソに継がせようと決心したらしい。
遅くまで呑んで最後の店を出たのが午前一時を回っていたと思う。明日は告別式だというのにメソも相当な生臭坊主らしい。
明日は出棺から立ち会うからと告げてメソと別れ、私はタクシーに乗り込んだ。
飲み屋街を抜けると人の姿が消え、町はひっそりと眠りについていた。私は言いようのない淋しさに包み込まれた。
話し相手欲しさに二十年ぶりに函館に来たと話すと、運転手は笑って「変わりましたでしょう、函館も。お客さんの子供時分は軍港の匂いがまだ残っていたんでしょうね。それが消えてついこの間までは北洋漁業の基地だと思っていたら、今はもうすっかり観光都市函館ですからね。きれいさっぱり変わるもんですね。人間とおんなじだ」と、私の心を見透かしたように云って車を進めた。
(了)
二合目の防空壕
二年ほど前に投稿した作品を加筆修正しました。前作とはずいぶん意味合いの異なった作品になったと自分でも驚いています。