群青の君

 僕……瀬能 カイ(せのう かい)

 君……緒ノ前 るり子(おのまえ るりこ)



 毒の様な色気

 毒の様な優しさ……

 優しさという名の、君は……君は悪魔みたいだ

 言ったね。あの時、確かに聞いた

 「恐怖とは美しさが伴うもの。それか醜が横たわるもの。それ以外は単なる苛立ちの対象でしか無い」

 あのしなやかな手腕を伸ばして僕の頬に触れた

 あの艶やかな瞳で僕を見つめた

 あの滑らかな髪が薫ったエジプトジャスミン

 色香の漂う優しさで囁いた

 「なぜ貴方は毎朝この東屋へやってきて私と共に小鳥達の囀りを聞くの?」

 畏怖に値する美しい君には全ての時間が似合う。自身が一番美しく見える心得を全て体現できている。それは数ある衣服や装飾品からどの一点が自らに似合うのかを分かっていてフィッティングすることと同じ。紅茶の薫りも、音楽も、陽の入り方も、植物達や昆虫達の行動さえも味方に出来る。

 「君がいつかは僕を選び抜くことを願っているんだ。君自身のその手指で、毎朝どの色のルージュにするのかを微笑み選ぶときの様に」

 「可笑しな人」

 君だけを見ていたい。他の奴になんか、渡したくは無い。
 
 「美醜に感じる恐怖は美と醜では違う。美には悪魔的な崇高さに打ち震える至高があり笑顔をもたらし、そして醜にはただただ避けがたい慄きを間近にする」

 フヨウの花は光を集めるための花のようだった。時期によってこの庭は様々な花が見られた。木苺、野ばら、ナデシコ、ポピー、リンドウ、露草、つくし、スミレ、れんげ、アザミ、菖蒲、葦、ジギタリス、ブルーベリー、ミント、ラベンダー、ローズマリー、レモングラス、ヒトリシズカ、雪ノ下、薔薇、ジャスミン、藤、白ツツジ、アネモネ、百合、クチナシ……。それらの野花や草花が、ケヤキや楓、柳や枝垂桜、白樺、樫、ナラ、ツゲ、プラタナスの木々に囲まれて芝生や草地に咲いては池や東屋を彩っている。

 この庭園はある集落での古民家を彼女が買い取り修繕して別荘にし、背景の林に囲まれるこの庭を作り上げた。僕は元々この村で郵便配達員をしていたのだが、新しくやってきた彼女に一目惚れをしてこうやって郵便局へ向かう前に毎朝会いに来ていた。

 彼女が他の別荘があったという県からこの村に来たばかりの頃は随分と妙な噂がたったもので、「魔女のような女が越してきた」「どうやら林田さんとこの空き家を彼らから買ったらしいが、その魔女の別荘を交換したっていうんだ」「なんだってそんなことしたかって憶測だが、何か自分の昔の別荘に問題があってのことじゃないか」などとさんざんに言われていた。

 問題があったのかなんて、確かに彼女を見れば一人二人呪って魔術をかけ蝋人形にでもした誰かがその元の別荘には隠されてでもいるのだろうかと疑うぐらい、不可解であって普通では無い空気を感じることもある。

 それでも、朝方の彼女は実に純粋な光に包まれた女神の様に自然の世界を愉しんでいるのだ。その彼女の顔が本来の彼女であるのだと僕には分かった。

 そして夕方、僕は郵便局からまっすぐと彼女の別荘に来る。黒い柱に白漆喰の古民家は建具が実に凝っていて素晴らしい意匠を見せ、そしてところどころ壁を丸くくりぬかせて色ガラスの窓がはめ込まれている。柄が付いた硝子もあれば、彩りが原色の丸窓もあってそれぞれの個室がすかされて見えた。なので、仕事を終えてこの家へやってくるとまるで夢の世界へそのままやってきたように思う。

 そして彼女はよくゆったりとした友禅を襦袢とともに軽く羽織っていた。勝手に入っていくと、和洋折衷のリビングの固めなベンチソファに彼女は横たわり、江戸硝子のワイングラスに黄色のシャリュトリューズを傾け、ハーブを微かに薫らせた。

 いきなり彼女は言うときがある。

 「全てを擁きながら眠るのよ。子供は罪の無い微笑みで眠って、私はそれを悲しく想像する。子供は全てを擁きながら眠って、大人は全ての記憶を擁きながら時に眠らなければならない」

 不眠症というわけでも無いらしいが、彼女は酔い口にはいつでも睡眠の迷い事を口にした。

 「時々思うのよ。夢に恐れを感じるときに……子供の頃の悪夢は悲しみを理解できずにただただ恐いだけ。大人になってしまったら、自制の利かない夢は私生活をも心理で表して悩ませる」

 僕は彼女に聴いたことがあった。

 「君を脅かしてきた恋人がいたの?」

 彼女は一気に黙って、グラスを置いて居間を去っていってしまったのだ。僕は様々なモダンな襖の並ぶ一つをあけることは出来なかった。その先は彼女の自室であって乱暴なほどの楽器が怒りを現していたからだ。静かな情念、狂おしいほどの感情で。

 その翌日、庭に訪れても彼女は何事も無かったように微笑んで僕を見た。夕方のことを謝っても変わらなかった。



 郵便局で選別をしていると、見慣れた名前を見つけて首をかしげた。

 <送り先 緒ノ前 るり子 様

  依頼人 林田 条源 様>

 じょうげんじいさんは林田家のまとめ役で、古民家にしていた別荘を訪れる以外の時は北海道で牧場を持っている。彼も相当の変わり者だと通っていたのだが、彼の元に郵便物を届けたことは一度も無かった。まるで外との関わりを絶つためだけにここへ来ていたように。

 そのじょうげんじいさんが彼女に届け物……。彼自身一度も届け物をこの村から預けたことすら無かった人物だ。

 箱は二五センチ平方で、なにやら鉢に土でも入れてあるぐらいの重さがある。

 妙な噂を思い出して、項から背筋が少し寒くなった。まさか、誰かの頭でも入っているのだろうか? なんの根拠も無しに変な推測をたてるだなんて、僕も他の皆と同じじゃないか。

 僕ははにかんでから真顔になって、その箱を置いた。

 他の荷の選別に入る。

 花が入った箱があったり、内祝いの貼られたもの、米だったり、衣服と書かれた明らかにそれより重い荷だったり、様々を方向ごとに分けていく。




 僕が郵便物を届けに彼女の別荘に来ると、彼女は庭にいた。

 背を向け佇んでいた。

 今日は黒に青の模様が鮮やかな変わった風の友禅を引いていて、そして、その手にはトリカブトの青紫の花を提げていた。

 「………」

 僕はただただ林を見つめる背を見ていたが、声をかけるタイミングを計った。

 「るり子さん」

 彼女は肩越しに振り返り、流れる黒髪は黒い海が静かに浜に波を送ったかのようだった。

 「カイ」

 箱を持って僕が歩いていくと、昼下がりの彼女はどこか不安定に見えた。

 「君に林田さんからお届け物」

 僕がそれを差し出すと、「重いよ」と言う言葉に彼女は頷いた。トリカブトの花をテーブルにしている古めかしい台に置くとそれを受け取る。

 箱はダンボールでは無く、群青に白い星屑の布張りで、あて先は麻紐に結われた札に書かれていた。じょうげんじいさんは確かに骨董品を集めていてどこかアンティークな雰囲気があったじいさんだったけど、よく日に焼けて逞しくいつでもオーバーオールを着て気難しい顔をしてパイプをくわえていたものだ。

 だからこの手の少々洒落たような荷を送られても違和感は無いのだが……。

 彼女は以前の自身の別荘の住所を確認してから僕を見て、そっと神秘的に微笑んだ。まるで、ヘカテーみたいに。一瞬全てが暗転して夜の深部へ連れ去れた感覚がした。彼女がこの時間に衣装の色味を考えずに濃い色を身に着けていることじたいが不思議なのだと気づいた。

 僕は黒と群青の友禅の彼女に抱えられるその箱を見ながら、おぼろげに聞いていた。

 「そのトリカブト、綺麗だね……林で摘んできたの? 君の雰囲気によく似て、綺麗だ」

 長いフードを被った僧侶の格好の様でもあるとヨーロッパでは言われているトリカブト……モンクスフード。それに含まれる毒素は青酸カリで、紫陽花にもどれほどか含まれている。

 「君の前の別荘地で何があったの?」

 「カイ……」

 村の噂はどれも確かに馬鹿らしい。なのに、彼女の美しさは全てを恐怖へと繋がらせる何かを感じさせずにいられないのだ。

 何故なのだろう……?

 毒のような色香をかもすのは、毒を持った花を見ているような感覚なのだ。それと知らずに見つめては、知らぬうちに侵されていく心と身体は、すでにその甘美な毒素なくしてはいられない。毎日蝶のようにここを訪れてしまうのも、彼女の毒とも知らない優しさの微笑みに出逢いたいがためであり、彼女を信じたいから。

 彼女は何も言わなかった。ただただ、瞼をふせた。




 夕方、僕が訪れると君はいつもの様に微笑んでカップを渡してくれたね。

 「今日もお疲れ様。昼下がりは荷物を届けていただいてありがとう」

 僕はいつもの様に受け取って、口をつけて、君はだんだんと静かに微笑んだ。

 そこで気づいたんだ。君が暗がりに色々な花のような色の硝子をはめ込んだこと。この村へやってきて自然と調和しながら過ごしていたこと。毒針のような色気を感じずにいられなかった僕の女神。

 君が瑠璃一色の美しい着物をしっかりと着付けている姿をみたのは初めてで、藤色の袷を覗かせて、それで黒髪をエキゾチックに結い上げている。

 毒女という言葉が僕のまだ生まれる前の時代、よく騒がれていたんだって。ファム・ファタルにも通じる言葉なのだろう破滅を導く存在。

 僕は意識を全身に集中させて探した。じょうげんじいさんから届けられた荷を。

 見慣れないものを見つけた。

 それはアンティークの星座儀で、ギリシャ神話の神々や幼獣が記された球体だった。僕はそれを見つめ、重い足で歩いていった。

 「君は何者なんだ」

 声は小さいのによく響いた。

 「前の別荘で何をしていたんだ」

 君はそっと歩いてきて、僕の肩に手を掛けて言った。

 「貴方は私の世界には美醜ではない、浸されて初めてそれとなる」

 恐怖とは美か醜の横たわるものであり、それ以外の僕は君からしたら確かに取るに足らないものだっただろう。普通の青年であってただただ君に会いに来る。君が恐怖を感じたいほどに魅せられ包まれていたい世界には僕はやっぱり異なる存在だったかもしれないよ。

 でも、なぜ君が明らかな拒否を敷いてこなかったのか。君は自分の世界で毒に狂わされる醜さを間近で見たかったんだろう。その恐怖を味わいたかったんだろう。

 僕はポケットに手を入れ携帯電話を押した。

 それで星座儀のあるところまで来た。

 トリカブト、それは今気づいたけれど星座儀の陰に静かに置かれていた。何もかもそのまま。

 意識の混濁を見せ、青酸カリではないと思いながらも球体を見た。そして手を掛ける。

 「緒ノ前さん」

 駐在さんの声が玄関から響く。僕がさっきワンコールした。

 彼女は僕からそちらを見て、声が近付く。

 「何か問題があったんですか。カイくんから連絡が……」

 林田家が別荘にする前からずっとある古い家宅なので構造は知られていて、すんなりと駐在さんが姿を現し見回した。

 僕は星座儀を抱え込み、君は僕を横目で見た。

 明らかに、球体には何かが入った音が胸部にゴツンと響いた。

 それと共に僕は倒れて意識と視界だけははっきりしていて駐在さんが驚いて駆けつける。君はその背後で、静かに微笑んでいた。



 林田条源は彼女の元の別荘地からロイヤルエンフィールドに乗っかってやってきた。

 テーブルの上にはあの星座儀がある。

 「以前もお前の様に彼女の別荘地にやってきたはんかくせえ奴等がいたようだ」

 じょうげんじいさんは目を閉じ天井を向いて口だけが言った。

 「若造共は邪険にする態度にも応えなかった」

 駐在さんは睡眠薬で目覚めた僕の横にいて、彼女はいない。何故なら彼女は警察に連行されていったからだ。

 星座儀には瓶とナイフが入っていた。

 眩暈……彼女が行うなどという想像が頭が回りそうなほど困惑する僕を尻目に……。

 「証拠品が入っているのは知らなかったが星座儀を送るように言われその通りにしたよ」

 居間には数名の鑑識が出入りしている。じょうげんじいさんの前に座る刑事は話を聞いていた。

 僕が見下ろす床に、自分の身体が横たわる幻覚を見た気がした。結局は彼女から認められなかった僕。気づかずにいれば、彼女自身がじょうげんじいさんに送らせた荷物を届けて彼女の不可解な背中を目撃しなければ僕も男達の様に倒れて発見されたかもしれないのだ。

 「お前のこともきっと狙っていたんだろう」

 じょうげんじいさんは目を開き、僕を見た。

 「きっと……。皮肉にもそのことで僕はじょうげんさんに助けられたよ。彼女は願ってもなかったかもしれないけれど」

 トリカブトは今は多少しおれはじめてテーブルに置かれたままになっていた。

 「美しい花には棘がある。美しいものには毒がある。毒や棘は身を守るためのものだ。だが、人にある棘は人を傷つける。人にある毒は時に万能薬になりうる。人が使う毒は犯罪でしか無い。彼女は心に毒を持った罪に自らが侵されていたんだ」

 彼女が夜、その花房を手に微笑む姿は浮かんでは消えていく。

 「僕が彼女の世界の邪魔をしなければ再犯は防げたし、それでも僕がいたから罪が明るみに出た」

 悲しいもので、僕の正義心は恋する彼女すらも許しはしなかった。

 暗くなってきて、星座が出始めた。星座儀で覚えた星座が夜空に巡る。君と見たかった。知らない内に意識が遠のきながらそれでも同じことを思えただろうか?

 罪には罰が与えられ、静かに過ごしたかっただけの彼女が星屑の友禅を纏って踊る姿が浮かんだ。

 「しかし、どうしたもんだろうな。なまら殺意があったともおもえんよ。お前は郵便配達員だ。いずれ逃がすつもりだったかもしれん」

 青紫の花を見て言う。

 「彼女は完璧なものを求めていたんです」

 「半端なものが生き物さ。完璧なんて求めたらいけねえ。生き続ける限りは」

 花が咲いたような色ガラスに囲まれて、毒針を持つ女王蜂のようだった彼女。完璧な六角形の緻密さのような。

 じょうげんじいさんは膝に手をつき立ち上がり、上目で僕を鋭く見ながら背を伸ばして歩いていった。

 「まあ、お前さんは悪い人間じゃなさそうだ。お嬢さんを思い出して辛かったら俺の農場に来るがいい。牛でも馬でもお前さんを蹴り散らして元気を取り戻させるだろうよ」

 彼らしいことを言い、珍しく他人を受け入れるそぶりを見せ障子の向こうへ去っていった。

 宵に落ち始めた庭を見る。

 彼女の美しい庭と、そしてその背後の林。そして囲う緑の山々に擁かれて、僕は幾度も思い出すだろう。この僕の愛する美しい村で、彼女がある日突然現れた微笑みの日のことを。

群青の君

群青の君

郵便配達員の僕は村にやってきた「魔女の様な女」と噂される彼女に一目惚れし、毎日訪れていた。 <毒のような色香>を秘める彼女は不思議な雰囲気を持っていた。

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更新日
登録日
2014-06-26

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