おりがみ博物館

おりがみ博物館

長年、共に過ごしてきた家族と離れる。

地方から上京するときの、自分と家族の、揺れ動く機微を、今でも鮮明に覚えている。

薄目をあけながら、運転している父の横顔の向こう、大雪で荒れる外を眺めている。秋田から東京という、あまり現実味の無い長距離を走行する車に揺られながら、ぼんやりとこれまでの日々の回想に耽っていた。

昔っから、何の取り柄も無く、あらゆることに不器用だった。特に人付き合いに関しては、今も昔も、変わらず不器用の極みだ。

唯一の拠り所は、ピアノが弾けたことだった。それとて、大した腕前も無く、完全に娯楽、趣味といったところ。1週間に30分練習する程度だ。今もピアノは器用に弾きこなせない。

何事にも熱くなることができず、流されるまま年ばかり重ねていたが、ひょんなことから高校の時に、音大に行きたいと思った。
動機は簡単だ、ピアノをやってる人ばかりいる環境にいられるのは、楽しそうだなぁ…といった程度。

高校に入るまで、ツェルニーはおろか、インヴェンションすらやってない、ショパンエチュードなんて知らないけど、なんとかなるだろうと思っていた、田舎に転がる無謀で楽観的なイモ。
当然、それは険しい道のりだった。
しかし、生涯の恩師をはじめとした、多くの幸運な出会いのおかげで頑張ることができ、なんとか音大に合格し、晴れて上京することになったのだ。

家族と離れることに、特に寂しいという気持ちは無かった。こと父親に関しては、普段は一緒にいることが苦とさえ感じるほどだったから、これで解放されるんだ、と心が躍っていたような気もする。

父親のことを、とても恐れていたが、尊敬もしていた。

お父さん、おそらく息子じゃなかったら、縁を切られていたであろう、腑甲斐ないことばかり重ねてきた、そんなダメ息子を、いま東京に送り出そうとしてくれている。

「東京への引越しは、見送りがてら、車で荷物と一緒に送ってやる。」
父のこの提案は唐突だったが、実は、なかなか会えなくなる息子に、最後にしてやれること、だったそうな。それはだいぶ後になってから知ることになるのだが。

あの8時間という長い道程の中での、無言の会話が気持ちを落ち着かなくさせていた。夜に出発し、早朝に東京へ着く計画で出発した。
大雪で荒れて視界が悪くなっている高速を、黙々と走り続ける。

東京への見送りには、父の他に、母と妹が同行してくれた。姉は、仙台で頑張っていた時期で、会えなかった。おじいちゃんは、静かに、暖かな眼差しで激励してくれ、おばあちゃんは、変わらぬ元気な優しさで見送ってくれた。これで昼飯でも食え、と言って手渡された何本かのフィルムケース。開けてみると、五百円玉がビッシリ。

不思議な気持ちだった。こんなに多くの感情が綯い交ぜになったことは無かったと思う。
ただ、とにかく落ち着かないのだ。これからの生活の期待、不安、そう思い込もうとしたものの、そんなものではないことは、自分が一番わかっていた。

この、焦れったくて追い出すことのできない感情と、目を閉じながら奮闘していた。

後日談として、父は、出発するや否や、速攻で寝る息子をみて、少し寂しかったようだが、俺は俺で、多くの感情を相手にしていて、家族の静かな温かさを受けとるのに精一杯で、ついに東京に着くまで寝ることはなかったのである。


ー東京に着いたよ


父のその言葉。

出発したときの荒れた天候とは無縁の、やわらかい朝日。そんなに優しく包み込まれても、素直にそれに浸ることはできなかった。

爽やかで、しかしどことなく寂しく光る、東京生活初日の朝は、一生忘れられない。

気持ち悪かった。これからの生活の期待が爆発し、一方で、何かが引っかかっていたのだ。あちこちで相反する感情が叫び、なんだか全力で走り出したい気持ちだった。

今は無き、東大和のダイエー。
当時、早朝でも建物内には入ることができ、屋上に上がり、見送ってくれた家族と共に、朝日を見た。とても綺麗だった。

そのあと、以後長らくお世話になるアパートに向かい、車に積み込んできた荷物を、黙々と部屋に運んだ。本当に、黙々と。

空気はひんやりしていて、虚無感にも似たような、そのときの心情に拍車をかけるようだった。

大袈裟かもしれないが、しかし確実に、家族とのしばしの別れが近づいている。

ありがとう。

ただ一言、これだけ言えたら良かったのに。

後悔しても、仕方ないが。



じゃ、またねー元気でね。


8時間かけて俺を東京に送ってくれた家族への言葉が、これだけだった。

素直に本心を言えないこと、それはもう、この両親の遺伝だと思うけど、このときほど、自分をぶっ倒してやりたいと思ったことはない。熱い感謝の気持ちを、言いたかった。

やけにあっさりしてんなぁ!感動の別れとかねぇのかよ!笑
父親が、これからまた秋田に帰る車に乗り込む直前に言ったセリフだ。

そのとき、抑えきれない気持ちが、爆発しそうだった。

ーじゃ、元気でね!

強く優しく、そしてド天然。笑
そんな母のクールな言葉。しばらく、お母さんにも会えないのか…

妹はあっけらかんとしてるけど、我が家の三兄弟で、一番しっかりしてて、人一倍強い。とても優しい妹。

まぁ元気でね~。
こんな感じのことをサラッと言われた気がする。

みんなが車に乗りこみ、また秋田に帰ろうとしている。

なんだろう、この気持ち。

でも、引きつった笑顔で手を振りながら、心の中で、ありがとう、と思うことしかできなかった。

ありがとう。
本当にありがとう。

見送ったあと、しばしその場から動けなかった。

ポツン。

紛れもなく新たなスタートを切ったのだが…

まだ日の出から大した時間が経過していない、静かな1日の始まりを尻目に、フラフラと部屋に戻る。

誰もいない、一人きりの、生活の準備を、淡々と進める。寒くて、静かな始まり。

ーそのときだった。

姿見の後ろに、お菓子の空箱を見つけたのだ。
最初は、「なんだよ、お菓子のゴミ置いてっちゃったのか?」、と思ったのだが、よく見ると、その空箱の蓋に、何やら貼ってある。。


「おりがみ博物館」


なんじゃこりゃ?

でも、すぐに察した。

妹の字だ。

蓋をあけると、たくさん折られた
かわいい折り紙たち。

そこに添えてあった手紙…

その手紙を手にとったとき、これまで蓄積されていたものが、堰を切ったように溢れ出した。

手紙を読む前から、涙が止まらなかった。

ありがとう、ありがとう、ありがとう…。お父さん、お母さん、みんな…本当にありがとう。

その日は、1日中、涙が止まらなかった。

いまでも大切にとってある、
おりがみ博物館。

どんなに離れていても、
その距離が精神的なもの、物理的なもの、どちらにせよ、

家族は家族なのだ。

おりがみ博物館

おりがみ博物館

ノンフィクションです。 上京の際の、ある一家族の、なんの変哲もないシーンを、短い文章で表現しました。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-25

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