SS19 トイレマンの転機

急な”用”に駆け付けるトイレマンのある日。

「助けてぇ、トイレマーン!」
 やはり来たか。着替えるのに十五秒。巨大な直方体を小脇に抱え、エイヤと地面を蹴るまでに掛るのは僅か二分という離れ業。
 青いマントをはためかせ、トイレマンは空をひとっ飛び。目的地まで障害物は何もない。
 思った通り、悲鳴はサービスエリアからだった。大型連休初日のそこがどうなるか、経験のある人も多いだろう。
 どこもかしこも人だらけ。そして女性用トイレには長蛇の列というのがお約束になっている。
 案の定、某SAのトイレ前には溢れんばかりの人だかり。空を見上げる人たちが手を振って、「ここよ、ここよ」と知らせてくれる。
「ささ、どうぞ」直方体は三連並んだ簡易トイレ。設置は簡単、置くだけだ。
 一気に人が動いて列が出来、用を足した帰りには、「助かったわ」と感謝の言葉が掛けられる。
 それがトイレマンたる私の使命ではあるものの、やはり喜んでもらえれば心地よく、疲れも吹き飛ぶというものだ。

 ……しかしそんな私を邪魔するヤツがいる。
「おい! お前どこに行ってやがるんだ!」ひっきりなしに鳴る携帯に吹き込まれているのは怒鳴り声。ついでにお腹がググっと鳴って、消えたはずの疲労が倍返しで戻ってくる羽目に。
 一度戻らないとマズそうだ。私は多くの人に見送られながら、再び空に舞い上がる。
 私は困っている人たちの味方だが、表の顔はただの薄給アルバイト。だから時間は儘ならず、懐具合は寂しい限り。いや、それ以上に深刻だった。
 要請は常に緊急事態。だから、どうしたって仕事が疎かになるのは避けられない。
 お蔭で何度職を変わったことか……。
 これから会社に戻って顔を出し、必死に頭を下げないと、掴んだばかりの職場からまたまた追い出されることになり兼ねない。
 私がこんな不遇に耐えているのは、もちろんホッとした、あの笑顔に出会う為。
 だが、どれだけ心が満たされようと、腹が膨れるわけじゃない。……なんて言ったら身も蓋もないのは分かっているが、いつまで志しを踏み躙らずにいられるものなのか。
 なぜなら家に帰っても、食べる物は何もない。手持ちの金は僅かに三百円。このままでは飢え死するのも時間の問題、そんな切羽詰まった状況にある。
 そこへ再び鳴いた腹の虫。
 もう少し待ってくれ。
 自分で自分を慰めるこの虚しさは、エネルギー不足からくるものだと信じたかった。

 ***

 ……だが翌々日。
 いつものように呼ばれた先で、私は人生の転機を迎えることになる。
 その決断を下さざるを得なかったのは、結局仕事を追われたからで、散々悩んだ末に思い付いたのがコレだった。
 一回百円。もちろん貼り紙は断腸の思いで固定した。
 しかし扉の前に並んだ人たちの冷たい反応は予想以上。これまでの謝意など微塵もなく、剥き出しの敵意が私の心に突き立てられた。
「ひっどいわね」
「人の足下見て、こんな商売するなんて」
「あんた本当に弱者の味方なの?」
 罵倒罵倒罵倒……。それはまさに罵倒の嵐。
 百円あればパンが買える。今朝だって何も口にしていない。
 なのにこの仕打ちは一体なんだ? パンもケーキもない時は何を食えというんだろうか?
 心に渦巻く憤りを、責める人はいないと思いたかった。
 君たちは気楽に呼び出すが、私にも生活というものがある。
 会社を抜け出し、昼飯すら途中で放る私にも、最低限のお金は必要なのだ。家賃を、光熱費を支払い、食費だってなければ生きられない。
 これまで身を削って使命に燃えた私の心。短くなった蝋燭に吹き掛けられたとどめの息が、炎を揺らして明かりを消した。
 闇の中は失意のどん底。
 私は金も受け取らず、そのまま黙って飛び立った。

 その日を境に、トイレマンは姿を消した。
 今でも私を望む声は寄せられる。
 しかし、どうしてもあの日の出来事が頭から離れなかった。
 だからこそのレンタルトイレ特急便。
 今の私は社長兼配達人だ。
 初めからビジネスにしていれば、心に傷を負わずに済んだのかもしれない。

SS19 トイレマンの転機

SS19 トイレマンの転機

急な”用”に駆け付けるトイレマンのある日。

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-25

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