ラッキーアイテム

ラッキーアイテム

 これは、でも、五百円じゃなぁ……。
 
 昼下がりの午後。人通りが多いとはいえない地方の駅前を歩いていた足立壮一郎(あだちそういちろう)は途方に暮れていた。
 二十七歳。二年前に自分のやりたいことと違うという理由で仕事を辞めてから無職。毎日毎日何もせず貯金ももう底をついたが、やりたいことなんてない、大した夢もない。この先もきっとこんな感じでどうしようもなく生きていくんだろうと、壮一郎は自分の人生を悲観している。

 ラッキーアイテムの丸いものって……。
 
 そんなとき、壮一郎が道端で拾ったのがこの五百円玉。大した額じゃないただの金。樋口さんや諭吉さんならテンションあがるのに、こんな程度のお金。いくらお金がないとはいっても嬉しくも何ともない。
 子供の時は五百円といえばたいそうなお金だったのに。お菓子が何個買えるかとかワクワクしていた額だったのに。
 それが、中学生、高校生、大学生、社会人になるにつれて、自分の中の高額はどんどん高くなっていく。
 五百円はいつの間にか、『五百円も』から『五百円しか』になったのだ。壮一郎は現実的で子供が憧れない一般的な大人になってしまったのだ。
 つまり、世の中の大抵の大人と一緒なのだ。

 五百円程度だし、貰っても別に良いだろ。落としたやつも気付いてないだろうし。
 
 そう。たかが五百円程度。くすねたって何の問題もない。
 壮一郎が思う、拾ってくすねてはならないと思う金額は、一万円位からスタートし……財布を拾えば届けるが……くらい。
 
 そういや、昔……。

 拾った五百円玉を見つめていた壮一郎は、小学校低学年の頃に一度友達と十円玉を拾って、わざわざ交番に届けたことを思い出していた。
 
 懐かしいな……あの頃。

 その時は小学生なりの冗談も混じっていたが、少し良いことをしているという誇らしい気持ちもどこかにあったことを覚えている。
 交番の警察官も誉めてくれたし、正義の味方に誉められるということは、小学生にとって、ものすごく心地の良い快感だったのだ。
 ただ、今になるとそのとき分からなかったこと、気がつけなかったことが分かる。
 警察官は正義の味方でも何でもないし、形式的に誉めただけ。
 書類やら書かせるのも面倒だっただろうし、きっとかなり気まずかったに違いない。
 最初に十円玉を見せたときのあの戸惑った顔。えっ? と思わず漏れた第一声のため息。
 警察官が笑顔になるまで一瞬時間がかかったのだ。
 あのときは、自分が無邪気すぎて、あんな顔を自分がしたことなくて、分からなかったのだ。
 大人になると毎日毎日そんな顔をして過ごさなきゃいけなくて、嫌でも覚えてしまう顔だというのに。

 どうしようかな……あっ、まあでも……。
 
 壮一郎はハッとあることを思いついた。自分で自分をバカだと思いながらも。コンビニで立ち読みしたときに見かけた変な雑誌の占いのラッキーアイテムを信じるなんて。

 えっと……パチンコ屋は、っと。
 
 拾った五百円も丸い、パチンコ玉も丸い。そう思うとこれは神の導きかもしれないと壮一郎には思えてしまったのだ。
 それに、五百円玉は拾ったものなので負けても大したことはないし、もし勝つようなことがあれば、五百円は、五百円以上の利益になる。
 自分にとって損なことは一つもない。

 パチンコ屋は……どこに……。
 
 壮一郎は顔を上げ、周囲を見渡し、自分の目を疑った。何度か瞬きもした。
 自分の右斜め前にパチンコ屋があるという事実が、蜃気楼のようなものではないと確認するために。
 
 何か今日は……ついてる? いや、おかしいのか?

 まあ、パチンコ屋なんて今の時代どこにでも転がってるが、五百円玉を拾って、パチンコ玉を連想して、ラッキーアイテムが丸いもので、目の前にパチンコ屋があって。
 
 これは、奇跡と呼んでもいいんじゃないかと思ってしまうぞ、いいのか?
 
 壮一郎は思わずニヤリと笑う。こんな顔いったいいつ覚えたのだろうか。ずる賢いは、楽しい、嬉しいといったバカ正直な感情とどこか違う、何かと何かが混ざり合ったような感情。
 それが悪いとは言わないが、そういう感情はどこか自分のことを客観視しているから生まれたように思える。主観的な感情ではないように思える。

 まあ、よし。パチンコなんて久しぶりだし。
 
 壮一郎は開き直ったように一瞬空を見上げる。その青空の雲が風で少しずつ右の方へと動いている。
「大当たり、期待してますよ……」
 小さな声で、願掛けのような感じで空に向かって呟く壮一郎。
 その後、パチンコ屋に向けて歩いて行こうとしたとき、自分の足下に何か転がってきたのに気がついた。

 ……また五百円。これって、もう奇跡みたいな……。
 
 壮一郎は思わずその五百円玉を拾い上げた。
 目の前に転がってきたのが、またもや丸い五百円玉ということで、運命を信じそうになっている自分がいることに気づく。
 
 よし、これもついでに、何かの縁かもしれないし、本当に奇跡かもしれないし。
 
 壮一郎の思いは、もはや確信に変わっていた。それは自分勝手な判断でしかないのだけど、人間なんてそういうもので、実際の期待値より人間が心の中で予想する期待値の方が遥かに大きいわけで。
 壮一郎は意気揚々と五百円玉を二つ握りしめ、パチンコ屋に入ろうと自動ドアの前に立つ。
 
 どの台が……今は……。
 
 そんなことを考えている壮一郎の前で、パチンコ屋の自動ドアが開く。何だか今日に限っては、パチンコ屋が神聖な場所であるように思える。
 
 何か今日はいい日になりそうだなぁ。
 
 思わず笑みをこぼしながら、壮一郎がパチンコ屋に足を踏み入れようとしたとき、背後から、耳障りな男の子の泣き声が聞こえてきた。人前で泣くことができなくなった、それどころか人前で大声を出すことすらできなくなった壮一郎にとって、その鳴き声はウザいもの以外の何ものでもなかった。
 
 何だようるさいなぁ。親は何をしてるんだ。
 
 確実にその泣き声で気分を害されてしまった壮一郎。背後で泣く子供が泣きやむように、睨みつけてやろうかと思い、振り返る。
「五百円……ないよ……」
 その子のその言葉を聞いて、壮一郎は思わず自分の持っていた五百円玉を見つめていた。
 子供を睨み付けてやろうと思った壮一郎の目は、いつのまにか自分の手に向いていた。動揺と後ろめたさを複合させた痛々しい視線になっていた。
「僕の五百円……プレゼント……」
 子供の泣き声が心に刺さる。
 
 いや……これはあの子の……でも……。
 
 壮一郎は咄嗟に辺りを見渡す。子供が泣いていることで、その子供とすれ違う人が少し子供を覗いて行くが立ち止まりはしない。むしろ壮一郎と同じで、ウザそうに見つめていく視線もちらほら。
 そう、壮一郎は何に気がついたのかというと、自分が五百円玉を拾ったという事実に、誰も気がついていないという現実だ。このまま持ち帰っても、気づかなかったこととしてパチンコ屋に入っていっても、何も問題ないということだ。

 いや……別に五百円くらい……五百円くらい……。

 そう思って、一度その子から目を逸らし、パチンコ屋に入ろうと決心する。
 しかし、どうしてもその子の泣き声が耳に入ってきてしまう。
「……ママの、誕生日プレゼント……買えない……」

 五百円くらいで買えるもので大人が喜ぶはずないんだよ! そんなことも分からないのか?

 一種の逆ギレ状態。子供じゃ分からないことに、大人の現実を押し付けているだけ。ただそれだけ。

 あの年から、社会の厳しさをってのを……

 壮一郎は、そのままパチンコ屋に一歩足を踏み入れようとした、したけど、壮一郎が足を動かす前に、一人の男子高校生が先に話しかけていた。
「君? どうかしたか? 五百円落としたのか?」
「……うん、だから、プレゼント、買えない……」
「そっか。でも大丈夫。俺が何とか探し出してやるから。ちょっと待ってろよ……おっ、ほら見つけ――」
「ああ! 君が落としたのこれでしょ? そこに転がってきたよ」
 壮一郎はその子に声をかけてしまっていた。だって、その子に声をかけた男子高校生が、その子に嘘をついて、自分の財布から取り出した五百円玉を渡そうとしていたから。
「……あ、えっ? お兄さんが、これ見つけてくれたの?」
 泣き止んだその子は、壮一郎を羨望の眼差しで見上げる。
「あ、ああ。そうだよ」
 後ろめたさ全開。気まずい顔のまま、その子供と接している壮一郎。ただ、子供には壮一郎の顔が分からない。
「そっか。ありがとう、お兄さん」
 その子は満面の笑みでそう言った。その笑顔が今の壮一郎にとっては眩し過ぎて。自分も昔持っていたであろう部分だから。いつの間にか、黒く染まって、光らなくなった輝きだから。
「あ、ありがとうなんて、そんな……あっ、プレゼント、喜ぶといいな」
「うん」
 こんな子から貰うプレゼントなら、何だって嬉しいよな。俺はそんなことも忘れてたんだよな……。

 その子に向けられた笑顔は、壮一郎の中で確かに光っている。余計な感情が混ざらないって、凄い。眩しいって凄い。
「あっ、そうだお兄さん」
「ん? 何だい?」
「これ、あげる。お礼」
「っん、あ、うん。ありがとう」
 壮一郎は恥ずかしくて顔を赤らめながらも、その子からのお礼を受け取った。

 やっぱ、子供には叶わないや。

 そのプレゼントは、イチゴ味の飴玉だった。百円くらいで、下手したら十円くらいでも買えそうな、飴玉。
 その飴玉をその子はお礼として選んだのだ。そして、その飴玉で壮一郎は嬉しくなれているのだ。
「じゃあ、ありがとう。お兄さん」
「ああ。気を付けてな。あんまりはしゃぐとこけるぞー」
「うん!」
 その子は元気よく壮一郎に手を振りながらその場を走り去っていった。大声で壮一郎に向けて返事をしながら。
 
 可愛いやつだなぁ。

 壮一郎は笑顔でその子に手を振り返しながら見送った。
「……あ、えっと、何かすみません。もしかして、気遣わせちゃいましたか?」
「えっ? いやいや、拾ったから返しただけだよ」
 壮一郎がその子を見送った後で話しかけてきたのは、機転を利かせて子供を泣き止ませようとした男子高校生だった。
「あ、そうですか」
「まあ、それに君が財布から五百円玉を出したのが見えたからさ。もう、慌てて慌てて」
「いや、別に五百円くらい大したことないので」
「まあ、そんなこと言わないでさ。こういうのは、大人の仕事だから。じゃあ、俺はこれでー」
 壮一郎はそう言い残すとパチンコ屋に背を向けて歩き出した。何だかさっきよりも確実にいい気分だ。

 あっ、そういえば、もう一枚五百円玉……。うーん、いや、ちょっと交番まで届けてみるか。俺、バカだなきっと。

 壮一郎はその子から貰った飴玉をホイッと口の中に投げ入れ、交番に向けて歩き出した。

 正義の味方は、どんな顔するかなぁ……。
 

ラッキーアイテム

ラッキーアイテム

生きることに何の意味も見出すことができない、二十七歳、無職の男。 人間誰しもが迎える、大人という役割を受け入れ、大人として生きていくことが、これほど難しく、退屈で、面白みのないことだとは理解していたつもりだった。 子供の方が大人よりも何倍も輝いている。何でもできる。 そうは自覚していながらも、もう子供には戻れない。 そこに転がる一つのラッキーアイテム、丸い物『五百円玉』。 彼にとっては些細なものかもしれないが、それは彼にとって大切な物なのかもしれない。 誰かがバカやって、楽しんでいる時は誰かに迷惑をかけている。 だから楽しいことを、やらないなんて、ありえない。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-25

Copyrighted
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