くらうの自転車探訪記 ―四国一周編―
序、いってきます
「ウボァー! 寝過ごしたっ!」
季節は春にはまだ少し早い、3月上旬。時刻は夜明けを迎えてまださほど経っていない頃。
本作の主人公であり、筆者でもあるくらうでぃーれん(長いので以下くらう)は朝っぱらから謎の叫び声とともに目を覚ましたのだった。
今日はひと月ほど前から準備を重ね、これでもかというくらい楽しみにしまくっていた初の自転車旅行、四国一周の出発日である。
準備万端、だったはずが、なんだか寝起きから波乱の気配が漂っている。
「んー‥‥、なんだよ朝っぱらから。うるせぇなあ‥‥」
そして、くらうとは対照的に眠そうな声で、だるそうに部屋に響く声は少女のもの。彼女はくらうと同じ部屋の、『机の上』で大きなあくびをしながら体を起こした。
彼女はごしごしと目をこすりながらすぐ横に置いてある時計を見て、寝むそうかつだるそうに頭をかき、そして首を傾げた。
「あれ‥‥今日の出発予定、7時って言ってなかったっけ」
「言った」
「今7時なんだけど」
「うん」
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」
しばらく無言の時間が続き、
「‥‥いきなり寝坊かよ。ったく、情けねえな」
思いっきり呆れた声でため息をつきやがった。
「うるせえな、きょーこだって寝坊してんじゃねえか」
「あたしは予定とか決めてないしー。初めっから自分で起きるつもりなんかなかったしー」
「偉そうに言うなよ」
このクソ生意気な少女が今回の旅のお供の1人、きょーこである。机の上で目を覚ましたというのは何かの比喩表現でもなく、ましてくらうの机が人1人が寝られるほど巨大なものだというわけでもない。単に、きょーこが小さいというだけの話だ。
小さい、というのも発育が遅れているとか、そんな単純な話でもない。きょーこは身長約3センチメートル。淡い水色のパーカーを羽織り、下はデニムのホットパンツ。快活そうというか生意気そうにつり上がった大きな瞳に、赤く長い髪は黒いリボンでざっくりとポニーテールにまとめられている。そしてその頭のてっぺんからは銀色の輪っかが生え、そこからはさらにぶら下げるのにちょうどよさそうな黒い紐が伸びていた。
そう、きょーこはどこからどう見てもストラップなのだ。いや、実際元々はストラップだったはずなのだ。
以前くらうがとある青いコンビニでおまけつきのお茶を買い、そのおまけであるストラップを家に帰って開封したところ、突如おまけがしゃべって動き出した。それがきょーことの初顔合わせ。
追い出すというのもなんとなく躊躇われ、きょーこ自身もどこかに行くつもりもないらしく、成り行きでこうして生活を共にしている。少女とはいえこんな、人間かどうか以前にどういう生物なのかも不明な相手に対して間違いなど起ころうはずもなく、頻繁に口ゲンカをしていること以外に特に不都合はない。共同生活が長いせいかお互いのノリも近しくなり、今では交替でボケとツッコミができるほどのコンビに成長している。というわけで今回きょーこはくらうとともに盛り上げ要員である。いや、くらうは主人公だけど。
そんな謎怪な生物であるきょーこだが、彼女なりの謎怪な決まりもあるらしく、決してくらう以外の人間の前では自分がしゃべって動けるストラップであることを知られてはいけないらしい。理由は本人ですらよくわかってないようだが、その決まりはくらうとしてもありがたいものだった。ストラップなんぞと楽しそうにおしゃべりしているところなんて誰かに見られてしまえば、可哀想な子扱いされること受け合いだ。そのためくらうもこのことは誰にも話しておらず、一応秘密のオトモダチということになっている。
ちなみにこのきょーこ、どこかの某魔法少女と似ているような気がしないでもないが、それは気のせいである(確信)。たい焼きとかリンゴとかポッ○ーとかが好きだったりもするが、それは全くの偶然なのである(断言)。
「ていうか、なんでもいいから早く出る準備した方がいいんじゃないの?」
「む、腹は立つが全くその通りだな」
机の上でぐいぐいとストレッチをしながら言うきょーこのもっともな意見に、くらうは急いで出かける準備を始める。とはいっても必要な荷物はすでにまとめられているので、必要なのは朝食の用意だけだ。そして米は炊飯器の中で美味しそうに湯気を立てており、あとはその横に置かれたレトルトカレーをあっためるだけ。準備が整うのには数分とかからない。
「朝からカレー? なにさそのチョイス」
「元気出そうだから。あと楽だから」
「あー、なるほどねー」
きょーこと無駄口をたたきながらガツガツとカレーを貪り、ざざっと食器と炊飯器の釜を洗うと服を着替え、準備完了。
カバンは背中に背負った大きなデイバッグ。ズボンは尻部分にスポンジのような柔らかい素材がくっついているレーサーパンツ、通称レーパンと呼ばれるものを履き、その上から吸汗速乾素材のハーフパンツ、さらにその上からウインドブレーカーの長ズボン。上は同じく吸汗速乾素材の白い長そでシャツに、赤いサイクルジャージ。そして指先が出る赤いグローブをつければ完成。
ちなみにサイクルジャージとはその名の通り自転車乗り用のジャージであり、普通のジャージと違うところはわかりやすい部分では1つだけ、ポケットが背中についているという点である。なぜそんなことになっているかというと、横だと中に入れたものが落ちてしまう可能性が高いからだ。その点背中だと、その可能性はずいぶん低くなり、単純な話だがすごく便利な代物である。よくわからないままとりあえずアマ○ンで注文し、実際着てみて何気にすごく気に入ってしまった一品だ。
「ようしっ、じゃあ行くか!」
「おいおい、モアのやつ忘れてるよ」
「ああ、そうだった」
勢い込んで部屋を出ようとしたくらうを、きょーこが呼びとめようやくその存在を思い出す。部屋の入り口付近に静かに鎮座している、もう1人の旅のお供のことを。
そこにいるのはモアイとイヌの中間のような姿をしている、きょーこ以上に謎の生き物だった。イースター島のモアイの顔から耳とひげを生やして若干イヌっぽい顔の造りに変化させ、そして顔の後ろからずんぐりとした胴体を生やした姿、とでも言えばよいだろうか。体長は約4センチメートル。顔部分と胴体部分は分離可能で、顔と体はやや強力な磁石で連結されている。
そう、彼もきょーこと似たような存在であり、ぱっと見ではただのメモ挟みなのだった。そしてなぜか体色はオレンジ。夕日にでも染まっているつもりなのか、自己の存在を主張したいのか、本当に色々と不可解な物体である。
その名をモアイヌというそのまんまな名前をしている彼は、体色に反して言動での自己の主張は恐ろしく消極的だった。いやもう消極的なんていうレベルの話ではない。しばしば周りの空気と一体化している。
くらうがモアイヌを発見したのは高校時代。近所の呉服屋さん、の一角にある雑貨コーナー、その見切り品の段ボールの中から10円という完全無欠の捨て値で発掘されたのだった。
安すぎる値段と、顔のインパクトで思わず衝動買いしたくらうは特に何も思うことなく長い間机の上に飾っていた。そしてそのまま数年の月日が経ち、我が家にきょーこがやってきた数日後にきょーこがコレもイキモノであることを突如暴いたのであった。とはいえきょーこがモアイヌも動く物体だと主張して実際にモアイヌが動くところを観測するまでに、一週間近くがかかってしまったのだが。
それ以降気にして見ていると、時折ぬおっ、と声というかもはや効果音のような音を発するが、それ以外には全く何の反応も見せない。何度かのしのしと歩行しているところを見かけたこともあるが、数センチ動いただけで再び静止する。何度も言うが、本当に謎のイキモノである。
そんな謎の物体をなぜ今回の旅行に同行させようと思ったかというと、なんだかんだでこいつを気に入っているからだ。それ以上の深い理由はない。
モアイヌをひっつかんで背中のポケットに押し込み、くらうはようやく部屋を後にした。
向かうは当然自転車置き場。もう1人、絶対に忘れてはいけない旅のお供、いや、くらうと並ぶ旅の主役を迎えに行かなければならない。
「よし、じゃあ一緒にがんばろうな」
そう言ってくらうが声をかけたのは、くらう自慢のロードバイク。磨き上げられた艶やかな青いボディは淡い朝の光を反射してきらりと輝き、交換されたばかりのタイヤは出発の時を今か今かと待ちわびている。同じく新品のブレーキは隙あらばタイヤを挟み込まんと機を見計らっているようで、しっかりと油の注されたチェーンはぬらりと凶悪な光を放っている――などと、途中からファンタジーの魔物の説明でもしているかのようだったが、くらうの旅の相棒はしかし、そんなスタイリッシュなフォルムではなかった。
「なあくらう、マジでこれで何百kmも走るつもりかよ」
きょーこが呆れたような問いを投げるのも無理はない。旅の相棒はロードバイクなどではなく――どこにでもありそうな、折りたたみ自転車だった。
磨き上げられた青いボディ、新品のタイヤ・ブレーキといった辺りは間違っていないが、確かにどう考えても長距離の自転車旅行をするのに向いているとは思えない。それはくらうとて重々承知の上である。
が、敢えてこの自転車で旅行するということこそが、くらうのこだわりなのだ。ロードバイクで四国を回った、という話なら聞いたことがある人も多いと思う。実際くらうの自転車好きの友人も経験があるらしい。しかし、折りたたみ自転車で四国を回ったなどと言う話は聞いたことがない。そういう、普通だったら誰もやらないようなことをあえてやるのが楽しいのだ、というのがくらうの考え方だ。
2年以上乗り続けているというこの自転車への愛着ももちろんあるのだが、それ以上に誰かにこのことを語った時に「そういえば知り合いもやってたよー」ではなく「はあっ、なにそれ!?」と驚いて欲しい。それだけのためにこの自転車で行くといっても過言ではない。これで行くといった際の周りの反応としては、すごいと感心する者とアホだと呆れる者がだいたい半分ずつ。ちなみにくらう自身はアホだと思っている。
20インチという小ぶりなボディの彼女の名前はエミリア。買った当時ハマっていたゲームのキャラクターから持ってきた名前であるが、そのキャラクターとの関連性は特にない。
きょーことモアイヌはなぜかしゃべっているが、メインであるエミリアは残念ながらしゃべってくれない。もししゃべってくれるのだったら、某小説のモトラドのエ○メスみたいになってもっと楽しかっただろうに、誠に遺憾である。
くらうは荷紐で寝袋を荷台にくくりつけると、エミリアにまたがった。きょーこは頭の上。モアイヌは大人しくポケットに突っ込まれたまま、そしてエミリアは静かにタイヤで地面を踏みしめ、いつでも走れるということを主張してくれているようだ。
時刻は7時45分。予定よりは少し遅くなってしまったが、この程度の誤差なら気に病むほどのことでもない。くらうは空を見上げ、にこりとほほ笑む。
旅行日和の、快晴だ。
「それじゃあ、いってきます!」
「誰に言ってんだよ」
「おてんとさん!」
「なるほどなー」
くらうはこうして、長い長い旅の第一歩を踏み出したのだった。
1、 3月8日(1日目)・鳴門海峡春景色
今回の旅行の目標は四国一周。出発地点は香川県高松市。フェリーなどで四国に渡ってから、というのではなく、くらうの現住所である。
道順はそこから時計回りに徳島、高知、愛媛の順で回り、ゴールは当然香川の自宅。基本的にはひたすら海沿いの国道沿い。大きな観光名所やその時の気分によってはルートを外れ、色々な場所に立ち寄りつつというのが大まかなプランだ。
日程はおおよそ2週間。こんなに長距離を走るのは初めてなのでよくわからないが、四国の外周は約900kmらしいので、1日80km~90km走ればそのくらいになるのではないか、というかなり大雑把な予定である。そもそも1日毎の目的地があるわけでもなく、その日その時の状況次第で走行距離なども変わってくるのだから、その辺りは細かく決めておく必要はないだろう。初心者ゆえ、そのあたりをきっちり決めすぎておくと上手くいかなかったときの焦りにもつながり、なによりそのあたりの感覚がよくわからないので細かく決めようがないというのもある。
まあ要するに、四国を自転車でぐるりと回りながら、適当に興味がある場所にぶらりと立ち寄ってみようというのが今回の旅行の趣旨である。そもそもくらうはあまり細かく物事を考えるタチではないので、若干適当な感じが一番性にあっている。
現在、くらうは国道2号線沿いを快調に走っていた。事前に足慣らしのために1日数十キロは走っており、その時にこの道も何度か通っていたので、今のところは通り慣れた道を走っているだけ。目新しさはないものの、本当に道があっているのだろうかという不安もないので最初としてはこんなものだろう。
「‥‥なあ、きょーこ」
「んー‥‥?」
まだ特に面白い景色も見られないからか、頭の上で半ば寝こけているきょーこにくらうは声をかける。ちなみにきょーこには今回方位案内をお願いしているので、ストラップ紐の先にはあらかじめ百均で買っておいた黒い方位磁石がくっついている。
「オレさあ、目覚ましのアラームちゃんと止めてきたっけ?」
きょーこはしばらく頭の上でんー、と唸り、
「‥‥いや知らないし。なんであたしに聞いてんのさ」
「いや、まあそうなんだけど、なんか急に不安になってきて‥‥。今朝目覚まし止めた記憶も曖昧だしさ‥‥」
そのせいで若干の寝坊もしたのだけれど。
と、急にこんなことが気になりだしたのも、先程信号待ちをしている時、どこからともなく音楽が聞こえてくることに気づき、いくら走ってもその音楽が遠ざかっていかないなあ、などとぼんやり考えていたが、ふと気づくと背中に入れたケータイが元気よくアラームの音楽を垂れ流していたのだった。起きるかどうかは別として、一応毎日セットしている時間に鳴らしているのを解除し忘れていたのだったが、それを見て不意に家の目覚ましもアラームを解除してきたかどうか不安になってきたのだった。
家の目覚ましはアナログのものを使っているので、最悪消し忘れていた場合、家に帰るまで毎日2回ずつ鳴ることになる。そうなれば隣人にはさぞかし迷惑だろう。
「どーすんのさ。一回確認しに帰る?」
まだ家を出てから2時間ほどしか経っていない。その選択肢もなくはないが、さすがに初日からそんなことをするのは幸先が悪すぎるし、いったん帰っていれば昼ごろになり、そうなれば再出発も面倒臭くなって、出発をもう1日先延ばしとかにしてしまいかねない。
「いやまあ、多分止めてるとは思うんだけど。けっこーうるさいし。なんだかんだで今まで止め忘れたことって、最初1回だけだし。‥‥なにより恥ずかしいから急いで止めるの癖になってるしさ‥‥」
「‥‥じゃあなんでそんなもん使ってんのさ」
「だって可愛いじゃん。わふー」
くらうの目覚ましは、少し前にゲーセンで取ってきたクド○ふたーの目覚まし(×2)だった。ジリジリとやたらうるさい鐘の音と、「おはようなのですー」という可愛いが大音量なのでやたら恥ずかしいボイスの2種類を選べるのだが、くらうはあえて恥ずかしいセリフのほうを目覚ましにしていた。おかげで毎朝恥ずかしさに飛び起き、2度寝することもあるが少なくとも一度は確実に目を覚ますようになっていた。‥‥まあ、今朝は本当に起きたかどうか曖昧なんだけれど。
「もし消し忘れてたら、周りの住人にヘンなあだ名つけられることは間違いないだろーな」
「ああ、間違いないな‥‥」
あんなもの毎日朝夕2回も鳴らしていたら、「なにあの部屋気持ち悪い」とか「あいつクド好きなんだぜ」とか「クーちゃんは僕の嫁だお」などとささやかれること間違いない。いやまあ、なにより単純に迷惑だろう。朝6時とかにセットしてるんだから。
「ま、だいじょーぶなんじゃないの? だって消し忘れって、今朝鳴らしっぱなしでずっと寝てたってことでしょ? さすがにそれはないんじゃない? あんな恥ずかしうるさい目覚ましなんだからさ」
「まあ、そうだと思うんだけど‥‥」
かなり不安ではあるが、確かに気のせいである可能性のほうがはるかに高い。世の主婦たちも水道やガスの止め忘れを危惧し、帰って確認したらちゃんと切ってあったという経験は少なくないはずだ。今回もそうであることを祈り、確認に帰ることはしないことにする。
「‥‥大丈夫、だよな?」
「うるっせえなあ、男だったらうだうだ言うなよ。忘れてたら大人しく恥ずかしいあだ名を受け入れな」
「‥‥気になる」
諦めたとは言っても、気になるものはどうしても気になるものだ。くらうはしばらくの間もやもやとした何かを引きずりながら自転車をこぎ続けた。
初日の朝っぱらから、なんだかアクシデント続きである。幸先悪いなあ‥‥。
ひたすら走り続け、出発してから2時間と少し経過した頃。左手に小さな海岸を望み、ほんの短いトンネルを抜けた先の下り坂の途中にその標識は現れた。
「おいくらう、鳴門市だってよ! ついに徳島に入ったな!」
「よっしゃー!」
足慣らしのためにこの少し先の場所までは数度訪れているため、自転車で徳島県に突入するのがこれが初めてというわけではない。しかしここからどんどん先に進んでいくのだと思うと少し心が弾む。
「ふいー、とりあえず一息かな」
そしてくらうが一息入れたのは、鳴門市に入ってすぐのところにある海に面した小さな休憩所。休憩所とはいっても数台分の駐車スペースと大雑把な案内板があるだけで、建物など何もないし自販機すら置いていない。しかしちょうどよい区切りとなる場所のため、足慣らしをする際は毎回ここを終点としていた。くらう宅からここまではおよそ40kmである。
「へえー、なんか壮大な景色だな」
きょーこが手すりの上に立って海を眺めながら、感心した声をあげている。
「まあ、瀬戸内海は日本の誇りだからな」
「へー、そうなのか」
「多分。少なくとも中四国の人間は好きな人多いと思うよ」
くらうは水分補給をしながらきょーこと共に海を眺める。海を眺めるきょーこの後姿を写真に撮ってやると、きょーこは少し驚いて振り向いた。
「おいおい、急に撮るんじゃねえよ。ちゃんと美人に撮れたのか?」
「美人て。きょーこ人だったのか?」
「あったりめーだろ。おっ、なんかすげーいい感じじゃん」
撮ったばかりの写真を見せてやると、きょーこは少し満足げな声をあげる。
今回の写真はデジカメを持っていないのでスマートフォンだ。本当はバッテリーを節約したいのであまり使いたくはないが、まあ写真くらいなら消費もたいして大きくはないだろう。
ちなみに今回、少しでもバッテリーを長持ちさせるためにケータイの電波は基本オフ。道を検索するとき等だけ電波をオンにし、確認したらまたすぐにオフに戻すよう心がけるつもりだ。電池はもともと2つ持っていたものにさらにもう1個買い足して、使用中も含めて全部で3つ持ってきている。何もないのが一番だが、山中で動けなくなったり、おかしな道に迷い込んだりした際はおそらくケータイが唯一のライフラインとなるので、そこに関してはかなり気を使って準備している。
とはいえ旅行なのだからやっぱり写真くらいは撮っておきたい。ということで早速記念すべき1枚目、はすでに出発前に撮ったのだが、外での記念すべき1枚目はきょーこと海の写真となった。それにしてもすげえいい感じに撮れた。いつか旅行の写真を公開したいものだ。
「さて、こっから先は初めての道だからなー。ちょっとワクワクするな」
「確かになー。あたしもちょっとテンションあがってきたよ。な、モアはどうなんだよ」
登場シーン以降何もしゃべっていないどころか何のアクションも起こしていないモアイヌに、きょーこがペシペシと顔面(彼の構成要素の50%を占めている)を叩きながら声をかけるも、モアイヌは特に反応を見せない。
「ったくさー、せっかくの旅行なんだから、もうちょっと楽しそうにしてもいいと思うよー」
修学旅行でもあえてみんなの輪から外れているクラスメイトに声をかけるおせっかいなヤツみたいなセリフを吐きながら、きょーこは小さくため息をつく。なんだかんだできょーこもモアイヌが気に入っているらしい。
「まあ、気長に行こうぜ。だいたいこいつ、今までに1日1回以上しゃべったことないしさ」
「んー、まあそうだなー。今朝1回鳴いてたし、ノルマは達成してんのかな」
「ノルマなのか。ていうかオレそれ気づかなかったんだけど」
と、ずっと不動だったモアイヌがのそのそとくらうの手のひらの上からゆっくりと蠢くように移動し、くらうの肩の上に乗っかった。
「お、なんか今までになくアクティブになったぞ。でも頭の上はあたしの特等席だからな。ここだけは譲れねー」
「勝手に席にすんなよ」
そんなアホなやり取りの間に十分な休憩もとれた。それを黙って見ていたエミリアにまたがり、ついに初めての道へと突入してゆく。
その先の道にはまず、大きなトンネルが伸びてていた。トンネル内は道が狭く見通しも悪いので、より一層の注意が必要だ――と思っていたが、
「なあ、なんか横にも道があるみたいだよ」
きょーこがぺしぺしとくらうの頭を叩きながら道の脇を示した。見ると、確かにそこには歩行者自転車用の横道が設けられているようだ。
「ほんとだ。じゃあこっちから行ってみるか」
トンネルが避けられるならそれに越したことはない。くらうは横道に入ろうとして――その道に付けられた名前に、思わず眉をひそめた。
【うずしおロマンティック街道】。それがこの細道の名前であるらしかった。道の入り口部分に、青い看板がでかでかと掲げられている。
「【彫刻公園】だってさ。どうみてもただの道だけどな」
きょーこが言うとおり、看板の下にはもうひとつ看板があり、そこには確かにそうとも書かれている。
こう言ってはなんだが、ちょっとアホっぽい。ロマンティック街道て。
そのアホっぽい道を進んだ先にあったのは、彫刻公園という名が示す通りというべきか、三角錐、半円、でかい三角錐の順で並ぶ石の彫刻のようなもの。これはいったい何なんだろう、と思っていると、その疑問に答えるようにすぐ横にタイトルが掲げられていた。
――【宇宙の鼓動】と。
「‥‥‥‥」
「わけがわからないよ」
「あー、そういう際どいセリフはやめろって。きょーこが言うとより際どくなるから」
「いやでも、他に言いようがねーじゃん」
「うーん‥‥まあ確かにそうなんだけどさあ」
「ま、きっとゲージュツが爆発してんだろうな。あたしにはそーいうのさっぱりだけどさ」
「あー、オレも偏屈な思想をしてるとは思うけど、芸術とかとは無縁だなー」
「自分で言うなよ」
軽口をたたきつつ、宇宙の鼓動以外にも様々な曲がりくねった彫刻が並ぶロマンティックな道を越えると、その先には海沿いの比較的整備された道が続いていた。歩道と車道がしっかりと分けられており、かつ道が整備されているとかなり走りやすいので非常にありがたい。
「なんか壁に阿波踊りの絵があるよ」
「徳島って感じだなー」
「あと、ぐるぐる模様もいっぱいあるな」
「鳴門市だからかなー」
頭の上できょろきょろと辺りを眺めていたきょーこがそういえばさ、と思いついたように尋ねる。
「最初の目的地ってどこなんだ?」
「いやいや、出発前に一通り説明しただろうが」
「んなもんいちいち覚えてるわけねーだろ」
なぜか偉そうなきょーこにため息をついてから、優しいくらうは説明をくれてやる。
「最初は鳴門海峡。でかい渦潮があることで有名なんだよ。まずはそれを見に行く」
「へー、渦潮かー。どーやって見るんだ?」
「それはわからん。行けばわかるだろ」
「まあ、観光名所ならそっか」
というわけで、くらうはこの旅行最初の目的地、鳴門海峡を目指す。
国道に沿って自転車をこぎ続けることしばらく。あらかじめ調べておいた、国道を外れ曲がるべき場所が見えてきた。
「お、看板出てるよ。鳴門海峡はこっちー、だってさ」
「うん、ここで間違いないな」
くらうは半手書きの白地図と見比べながら道を確認し、左折してその道をさらに進んでゆく。
ここまではひたすらメインの国道沿いだったため迷うことなく快調に進み続けてきたが、ここからは細い道を進んでゆくため、道がわかりづらくなってくるだろう。くらうはちょくちょく足を止めつつ、標識を見て今はどこの道にいるのかなどを確認をしながら進む。
「方角的にはだいたいあってるみたいだよ」
きょーこは頭のてっぺんから生える方位磁石を見ながらおおよその方位の教えてくれる。それも踏まえつつ、それでも不安になったらケータイでマップを開きながら、少しペースを落としながらも順調に道を進んでゆく。しかし、
「‥‥なんかさあ、ずっと坂だな」
「確かになー」
どうやら、鳴門海峡は標高の高い場所にあるらしい。さっきから進んでいるのはひたすら山道の上り坂だ。足を慣らしてきているとはいえ、さすがに何時間も走った後のこの坂はきついものがある。
そんな時、それはくらうの前に姿を現した。
「うおお、これは‥‥マジか‥‥」
先程から上ったり下りたりを繰り返していたが、ついにその傾斜が尋常ではない上り坂に出くわすことになってしまった。道路横の標識には傾斜10%と書かれている。%で表されても正直よくわからないのだが、それでも見ただけでもその傾斜が半端でないことはわかる。
「なんか、すげえな。もはや壁だろこれは」
「いやそれはさすがに言いすぎ‥‥って言いきれないのがツライな‥‥」
これだけ疲れている今の状況では、本当にこの坂が壁のように見えてきてしまう。
げんなりとはするが、避けては通れない道だ。
「しゃーない。頑張るかー」
「よーし、頑張れ頑張れ」
「他人事だからってこの野郎‥‥」
冷やかし混じりに頭上で鼓舞するきょーこに恨み事を呟いて、くらうはペダルをこぎ始めるが、思った以上に重い。変速を最も軽くして進もうと試みるも、それでもかなりの負荷だ。
「‥‥さすがにヤバいか」
少し迷った末、くらうはため息をひとつつくと、自転車を降りて押し歩きはじめた。
「おいおいくらう。今回は押して歩くのはナシって言ってなかったか? なんか自転車旅行なのに乗って進まないのは自転車の尊厳を失わせる行為だ、とかワケの分かんないこと言ってさ」
「ワケわかんないとか言うなよ。いやまあ言ったけど、さすがに限度はあるだろ。無茶しすぎるとギアが痛むしさ。‥‥んー、でもやっぱ、ごめんなエミリア」
実際ここは無理をすべき場所ではないと思う。旅はまだ始まったばかりなのだから、こんなところで不備を起こしてしまえば目も当てられない。
とはいえ、初日から自分で決めた縛りを破ってしまったのは確かに不本意だ。くらうは申し訳ないと思いつつ、エミリアのサドルを撫でた。
『いやぁん、ヘンなところ触んないでよこのクズ! 産業廃棄物!』
「なんでそんな毒舌キャラなんだよ!」
頭の上のきょーこが、声色を変えてエミリアにヘンなキャラ付けをしていた。本当にしゃべってくれると確かに嬉しいが、そのキャラはすごくイヤだ。
「いやー、実際どんなキャラかわかんねーぞ」
「なんで最悪を想定するんだよ。しかもサドル触る度に嫌がられたらどこにも行けないじゃねえか。ヘンなとこって、どこなんだよ」
「そうだな、ヒトでいうと、右脇の下かな」
「サドルが!?」
じゃあいったい左脇はどこになるんだろう。荷台あたりだろうか。
「しかしくらう、ほんとにその自転車好きだよな」
「そりゃあ相棒だからな。ホントにしゃべってくれればいいのに。なんできょーこやモアイヌはしゃべるのに、エミリアはしゃべってくれないんだろうな」
「はあ? 何言ってんのさ。自転車がしゃべるわけねーじゃん。常識で考えなよ」
「えー」
すごい勢いでしゃべるストラップに呆れられた。理不尽だ。
地味に長いその坂をえっちらおっちらと押して歩く。時間的にはほんの数分でしかなかったのだろうが、その疲労度はかなり大きい。ようやく上りきったところでくらうはようやく足を休めた。
「ふいー、さすがにしんどいな‥‥おお」
そう言いつつ道の外側を眺め、そこに広がる景色にくらうは思わず感嘆の呟きを漏らした。頑張って坂を上った甲斐あって、高い場所から見下ろす山間の景色は絶景だ。苦労した後にこういう景色が見られると、少しだけ報われたような気がする。
しばらくその景色を眺めていると、今までくらうの肩と一体化していたモアイヌがもぞもぞと肩の上から下り立ち、その景色を眺めながら再び静止した。
「‥‥なんだろう、この景色になんか、琴線に触れるものでもあったのかな」
「いーや、あたしにモアの気持ちが手に取るようにわかるよ。多分ね、なんかこう、そうだな‥‥なんか感動してんだよ」
「いったい何を手に取ったんだよ」
放っておくとそのまま何時間でも何かを眺めていそうなモアイヌを強制回収し(それでも何らかのリアクションを示すことはなかった)、ここまでが上り坂だったおかげか、その先はしばらく下り坂が続いていた。
躊躇う必要なんてない。くらうはブレーキを全開放、重力と慣性という大自然の力に推進力の全てを預けた。途端、自転車は凄まじい加速力を得て坂を駆け下りてゆく。
よい子は真似しちゃダメだぞっ!
「ひゃっはー!」
「ちょ、ちょ、ちょ、くらう! あたし吹っ飛びそうなんだけど!」
必死に髪にしがみついているきょーこを襟首に収納してやると、ようやく落ち着いたようだ。くらうは下り坂の疾走感をひたすらに満喫する。
「おいくらう! あそこ、外人のお遍路さんがいるよ! ハロー、ハロー!」
くらう同様テンションが上がってきたらしいきょーこが、少し先にいるお遍路さんの集団に無駄に声を投げ始めた。
その声が聞こえたからなのかどうなのかは知らないが、きょーこが言っていた外人のお遍路さんがこちらに向かって「コニチワ!」と声をかけてくれたが、予想外だったうえかなりのスピードで下っていたため視線を向けただけで無視する結果となってしまった。せっかく愛想のいい人だったのに、悪いことをした。
「おい、なんで無視してんだよ!」
「いや、急だったから。わざとじゃないよ」
「ったく、しゃーねーな。今回だけは許してやるよ」
「ありがとうございます」
今は下り坂とはいえ山道なのだから延々下り続けるわけもなく、上ったり下りたり上ったり上ったり、途中展望台のような場所で休んだりと少し忙しい道を進んでゆくと、やがて前方に大きな建物か施設のようなものが見えてきた。
「お、あそこっぽくないか!」
「うん、ぽい!」
その建物に近づくにつれ、そこが休憩所や展望台などではなく、間違いなく目的地であることが見て取れるようになってくる。
最後の坂をどうにか上り切って敷地内に入り、駐輪場に自転車を停めて、眼下の山々に向かってきょーこと2人でうおーっ、と歓喜の雄たけびをあげた。
「よっしゃー! 第一目的地に到着だー!」
「旅っぽくなってきたな!」
ひとしきり騒いでから周りを見てみると、そこにはくらうのエミリア以外にも数台の自転車が停められている。
「やっぱ自転車で来てる人もけっこーいるんだな」
「でもちゃんとした自転車ばっかじゃんか。あんたみたいなバカはいないみたいだよ」
「褒め言葉だな。オレだけ! 唯一無二!」
「ホンモノのアホだな」
どこに行けばよいのかはよくわからないのでまず入った建物は、なんとなく大きそうなそれっぽい建物。そこの施設に足を踏み入れた瞬間、くらうは目の前の光景に愕然とした。
「‥‥‥‥!? こ、これはいったい!?」
「どーしたくらう!?」
驚いた声をあげるきょーこに、くらうはどうにか頭を落ちつけ、現在の状況を整理する。
「‥‥ああ、オレ自身なにがなんだかさっぱりなんだけど、この建物に入った瞬間辺りの光景が不鮮明になって、ここがどういう場所なのか全然わからないんだ。なにか渦潮に関係ある場所ってこと以外、なぜか全く理解できないっ‥‥!」
「なるほど‥‥ついにアレが発現しちまったってことか‥‥」
きょーこは何かを悟ると、頭の上から肩の上に下り立ち、ぽんとくらうの肩を優しく叩く。
「それは間違いなく、決して誰にも逆らうことのできない絶対的な不可視の力、失われし記憶が発動したんだ」
「そ、それはいったい‥‥!?」
「あのな‥‥」
きょーこは一度言葉をきり、正面からくらうを見据え、言った。
「要するに、2年近くも昔の出来事を1つ1つこと細かに覚えてるはずないだろ、ってことだよ。メモにも書いてなかったんだから、思い出せなくても仕方ねーって」
「ああっ!? なにいきなりメタ発言してんだよ! メタ発言ダメ絶対!」
「なんだよ! 自分だって冒頭で主人公かつ筆者とか初っ端からメタなこと言ってるじゃねえか!」
「あ、言った! そういえば言った! ごめんメタ発言もアリ!」
「な。ていうかむしろさ、こんなメモに残してもないしまともに立ち寄ってもない場所のことを覚えてただけでもすげえと思うよ、あたしは」
「‥‥そうかな。そっか‥‥ありがとな、きょーこ」
「気にすんなよ。あたしたち、相棒だろ」
そうしてくらうときょーこはお互いの絆を確認し合い、ガッ、と友情の握手を交わす。もちろん大きさが違いすぎるので、握手しているのはイメージ映像だ。
と、全力でメタな会話をしながら何かしら渦潮に関連のあるはずのなんだかよく思い出せない建物から出ると、不意に「ぬお、ぬおっ」とかつてないほどモアイヌが何かを主張し始めた。
たった2回の、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど覇気のない声だったが、これまでほとんどまともなアクションをしてこなかったモアイヌがここまで行動を起こすのは珍しい。
などと思いつつモアイヌが見ている方向に視線を向けると、お土産屋などが建ち並ぶ向こうに通路があるようだということに気づく。
そちらへ向かってみると、さらに奥へ進めばどうやら渦潮を見られるらしいっぽい看板か何かが確か立っていたような気がする。
「‥‥なんか記憶の曖昧さを悟った途端大胆になったな」
「いやまあ、正直こと細かに思い出すのは無理だと思ってたし」
その道を進んでゆくと、なぜかそこは山道、というか木々が生い茂ったうっそうとした道へと続いていた。
「ええー‥‥なあ、これ道あってんの?」
「うーん‥‥看板立ってるし、一応整備はされてるみたいだし‥‥」
ちょっと不安になるふいんきの道だったが(どれくらい不安に感じていたかというとふいんきがなぜか変換できないくらいだ)、他に進む道もないのでとにかくその道を進んでみることに。
「なあ、あたし今のふいんきがなぜか~、っていうネタどっかで聞いたことあるんだけど。もしかしてなんかのパクリか?」
「いやいや、オレの書いた別の小説のネタだよ。自分のだからパクリじゃなくて使いまわしだから大丈夫!」
「‥‥メタ発言も認めた途端大胆になったな」
ざくざくとそんな山道を進んでいくと、やがて視界が開けて見えてくる景色。そこにはお土産屋が立ち並び、霞がかった海の向こうの対岸に向かって大きな橋が伸びている。
「おっ、ホントにこの道であってたのか。わっかりづらいなあ」
「まあ、きっと大人の事情があるんだろ」
愚痴めいたきょーこの言葉を適当に流しその場所へ向かってみると、そこで発見したのは【渦の道】なる建物。
「なんだこれ。ここで渦潮が見れんのかな」
「えーっと‥‥うん。ここに入れば足下に海を見下ろせるみたいだな」
「なるほどなー‥‥おっ、くらうこれ見ろよ! 今ちょうど渦潮が出てる時間らしいよ! 運がいいなあたし達!」
建物の前の看板には渦潮の発生時間が記載されており、見ると確かにその時間は現在時刻とほぼ一致していた。
意気揚々と建物に入り、受付で入場料を払う。大人料金だと500円必要なようだ。まあ、観光名所としてはこんなものだろうか。
「なあ、あたし達はお金いらないのか?」
くらうの後頭部付近で正面から身を隠しているきょーこが、1人分の料金を支払うくらうにこっそりと尋ねる。
「まあ、人外は無料でいいんじゃないかな」
「なんだよ、もしかしてあたしの存在をバカにしてんのか」
「してねえよ。至極まっとうなことを言っただけだろ」
この【渦の道】なる施設はどうやらここから淡路島へと続く道、大鳴門橋(おおなるとばし)の下に設置された渦を見下ろすための道のようだ。壁はほとんどの部分がガラス張りとなっており広く外の景色を見渡せ、足元も所々がガラス張りとなっており、眼下に海を見下ろすことができる。道は最奥まで数百メートルといったところだろうか。途中途中に椅子や案内板も設置されており、渦を見るのみでなくゆっくりと過ごせる場所になっているらしい。
くらうはとりあえず一番奥まで行き、ガラスに張り付くようにして渦潮を見下ろす。
「‥‥なあ、あれかな?」
「んー、どうだろう。なんか波が荒れてるようにしか見えないな」
「ていうかあたし思うんだけど‥‥なあ」
「ああ、オレも思った‥‥」
くらうときょーこは一度顔を見合せて、
『支柱でぜんっぜん見えねーよっ!』
むきっ、と額に青筋を浮かべ、声をハモらせて叫んだ。
おそらく上が車道なこともあり、大勢の人が入っても大丈夫なように強度を高くする必要があるのだろう。それにしても、窓から海を見降ろそうにもどの位置に行ってもすぐ前方を鉄の支柱が視界を阻んでおり、上手く下を覗き見ることができない。
「あーくそ、まあ渦があんまりはっきりしてないってのもあるけどさー‥‥」
「でもさっきの看板ではちょうど今の時間だったじゃんか」
「まあ、少しくらいはずれることもあるだろうし、天候とかによっても上手くできたりできなかったりするんじゃないの? 実際今、時間はあってるのにちゃんとできてないみたいだし」
「えー‥‥あー、ほんとだ。床から見ても、ちゃんとできてないや」
きょーこが床に下り立ってガラス張りの床を覗き見ているが、そこには少し荒れている程度の海が広がっているだけだ。
「ちぇー。あたしけっこー楽しみにしてたんだけどなー」
「こういうこともあるさ。名所の雰囲気を味わえただけでも良しとしよう」
「あ、見ろよあそこ。アンケートがあるよ。せっかくだし書いていこう」
見つけるなりきょーこはひょいひょいと移動してアンケートがある机に移動し、そそくさと用紙に記入をはじめた。少し遅れてくらうが追い付き見てみると、来場人数の欄の2人のところに○がつけてあり、その下に+1匹と付け加えられていた。何気に律儀な子だ。いや、きょーこを1『人』と勘定しているところにツッコむべきか。
「えーっと、性別・男性‥‥年齢・気持ちはいつまでも20代。職業・自由業(仮)、名前・PNくらうでぃーれん‥‥」
書く必要のない部分まで、枠の外にはみ出してなぜか付け加えて書いていくきょーこ。いや、心も体も間違いなく20代なんだけど。というかまんざら間違ってはいないが、恥ずかしいのでやめてほしい。
「あれ、大変だくらう。来場手段のところに自転車がないよ」
「え、マジか。チャリできてる人少なくないと思うんだけどな」
「だよな。外にもけっこーいたしな。まあいいや、その他にまるしとこう」
きょーこはその他に○をつけ、後のかっこの中にエミリア、と書いていた。いやだから間違ってはいないんだけど‥‥。
「これ入口んところで渡したら粗品くれるんだってさ。おやつかな」
「まあそれだったら嬉しいけど、違うだろ」
一通り内部を見て回り、帰り際にきょーこが嬉々として頭の上からアンケート用紙を差し出していた。一瞬施設の人がぎょっとしていたが、どうにかごまかしきょーこの存在はギリギリ隠し通す。
「ったく、バレちゃいけないんじゃなかったのかよ」
「あはは、まあそういうこともあるって。で、なにもらったんだ?」
「ポストカード。まあ、思い出程度かな」
くらうは言い返す気力も失せ、きょーこの前でポストカードをひらつかせた。
「なーんだ。食べらんねーじゃん」
渦の道から出、時刻を確認すると13時過ぎ。ちょうどお昼時の時間帯だ。くらうは海に向きあうように設置されたベンチに腰掛け、昼食をとることにする。
「昼メシどーすんだ? ここまでなんも買ってなかったけど」
「ふふふ、準備は万端だぜ」
じゃーん、とくらうはバッグの中からサランラップに包まれたおにぎりを取り出した。朝炊いていたご飯で、実は昼用のおにぎりも作っておいたのだ。
「‥‥なーんかケチくせーな」
「うるせーな。貧乏旅行なんだから、できる限り節約しないと」
「貧乏旅行っつーか、くらうが貧乏性なだけだろ」
と、呆れるきょーこに目を向けると、きょーこはなぜかポッ○ーをポリポリとかじっていた。
「‥‥何食ってんの」
「見りゃわかんでしょ。○ッキーだよ」
「じゃなくて、どうしてそのようなものを食っておるのだ、って質問をしてるんだよ。ていうかそんなもん持ってきてなかったろ」
「魔法で作ったんだよ」
一瞬の間。
「‥‥え、えっ!? なんだよそれ。きょーこ、魔法とか使えんの!?」
「あったりまえだろー。あたし魔法ストラップ少女なんだから」
「まほっ‥‥!? 何その新しいジャンル!?」
驚愕の新事実だ。今初めて耳にするジャンルだが、もし既にどこかにそんなものがいたとしたら、それはもう商業目当てで生み出されたとしか思えないキャラクターだ。
「知らなかったのかよ。色々できるけどさ、お菓子の加工くらいはらくしょーだね」
「加工‥‥?」
ツッコミたいことは山ほどあるが、その言葉に何か引っかかり、ふと思いついてバッグを開くと案の定、エネルギー補給用に買っておいたチョコレートの封が切られていた。
「ちょ、おま、勝手に食うなよ!」
「いーじゃんちょっとくらい。これ1箱作るのに1個しか使ってないんだしさ」
「いやいや、このチョコは疲労がヤヴァい時の取って置きなんだから、無駄にすんなって!」
「だいじょーぶだって。1つ2つ変わんないって」
「あーもう‥‥食い過ぎんなよー‥‥」
言ったところでするりと笑顔でかわしやがるきょーこに、くらうはそれ以上言うことを諦め、今度こそ腰を落ち着けておにぎりを貪った。
目の前には大鳴門橋が海を越えて向こう岸まで伸びており、その上にかかる空は曇天。今すぐに降りそうというわけではないが、明日は危ないかもしれない。
「あそこの道がさっきまであたしたちがいたとこだよな」
きょーこがぽりぽりとポ○キーをかじりながら、橋の下にくっついている通路を示した。
「そーだな。こっから見るとだいぶ短く見えるな」
正確な長さは450mだそうだ。中にいる時はきょろきょろと歩いていたこともありそれなりの長さに思えたが、外から見ると橋が長いせいか、すごくささやかな場所に見える。
「あれ、モアのヤツあんなところでなにしてんだろ」
見ると、いつの間に移動したのか、モアイヌが備え付けられた望遠鏡の上に立って橋を見つめていた。
きょーこも同じように望遠鏡の上に上ると、モアイヌと2人で橋を見つめる。
「‥‥なるほどな。モアは今、大気からエネルギーを得てるんだよ」
「え、マジで。こいつの活動源って大気のエネルギーなのか」
「間違いないね。まったく、エコロジーなヤツだな」
「まあ、確かに動作は常にエコモードだけどさ」
なんだかよくわからないが、きょーこはモアイヌを理解しようとしているらしい。果てない目標だが、勝手に頑張ってくれればいいと思う。
「んじゃモアイヌの充電が済んだら出発しようか」
言うと、すぐにのそのそとくらうの肩の上に戻ってくるモアイヌ。すでに充電は完了していたようだ。いやまあ、本当に充電していたのかどうかは知らないけれど。
「お待たせ、エミリア」
再び生い茂った道を戻って駐輪場。くらうは簡単に道を確認してから自転車にまたがる。
「次はどこ行くんだ?」
「こっから徳島市に行って、とりあえず今日はそこで一泊」
尋ねるきょーこに簡単に説明しながら、くらうは坂を下り始めた。きょーこはすでに襟元に隠れているので振り落とされる心配はない。
「今日はここだけかー。で、どこに泊まるか決めてんの?」
「うん、今日はモゲの家に泊めてもらう」
くらうが言うと、きょーこはぽかんとした顔でくらうを見上げる。
「‥‥え? どこに泊まるって?」
「だから、モゲん家」
きょーこはぱちぱちと瞬きをし、
「え、それ人の名前かよ!? なんだよモゲって!」
予想外に激しいツッコミをもらってしまった。
「いやまあ、あだ名なんだけど」
モゲは高校の時の友人で、現在は徳島大学に通っているため、あらかじめ連絡をして今日泊めてくれるよう頼んでいたのだ。そのあだ名は高校1年の時についたもので、最初はあまりにあまりなそのあだ名に本人も嫌がっていたが、やたらとしっくりしていたため、かなり早い段階で浸透してしまい、いつしか本人も抵抗することを諦めていた。
まあ実のところ、モゲというあだ名を浸透させたのはくらうだったりするのだけれど。
「へえー‥‥まあなんでもいいけどさ。じゃあ、これからそのモゲって子の家に向かうんだね」
「そーいうこと」
徳島市へ向かう道はほぼ下り続きのため、これ以上ないほど快適だった。上りの時の半分も時間をかけることなく、さらにはほとんどペダルを踏むことすらなく、くらうは再び元の国道へと復帰する。
「なんかさー。国道って道が整備されてて走りやすそうだけど、自転車に不親切な道が多いんだよなー」
「そういやそうだな」
速度が落ち着いてきたので頭の上に戻ったきょーこも納得する通り、市街地はまだしも少し街から外れたあたりの道は、まっすぐ進みたいのに自転車道を辿ると横道に逸れてしまったり、ものすごく遠回りをしないと直進できない道などが所々にあり、そういう点で非常に走りづらいことが多かった。とはいえ小道は小道で、整備されていなくて走りづらかったりするのでなかなか難しいところなのだが。一番楽なのは、信号もなく道もきれいなことが多い山道かもしれない。ちょっと坂が多いのはしんどいけど。
実際この徳島市を走っている時も、一度はバイパスに復帰するための道が突如無くなり大回りをするはめになり、一度は真っすぐ進みたいのに自転車道は横道にしか伸びておらず、無理やり信号も横断歩道もない道を突っ切らなければならなかった。
少なからずのストレスをためながら市街地を走っていると、前方の光景にきょーこが楽しそうな声をあげた。
「おっ、橋が見えてきたよ。海を渡るんだね」
「いやいや、渡るわけない‥‥けど」
何を言っているのかと呆れるくらうだったが、しかしすぐに見えてきたその光景に、きょーこがそんなことを言ってしまうのも頷ける気がしてしまった。
「‥‥うわあ、すっげえなあ」
思わず感嘆の声をあげるくらうの前方を横切っているのは、名前だけなら耳にしたことがある人も多いであろう、かの有名な四国最大の一級河川・吉野川だった。
川の向こう岸ははるか遠く、長大な橋の向こう側にあり、そんなわけはないと知りながらも、一目見ただけではそんな勘違いをしてしまうこともあるかもしれないと思ってしまうほどだ。
「こりゃあ佐々ヶ瀬川なんか相手にならないなあ」
「なんだよそれ」
「いや、地元にある川なんだけど」
「んなもんと比較してどーすんのさ」
長い長い橋を渡って広大な吉野川を越えると、景色は途端に市街地の様相を色濃くする。もう少し先に行けば、待ち合わせ場所の徳島大学が見えてくるはずだ。
「前に1回来たことあるからわかると思うんだけど‥‥あ、あったあった」
やはり国道沿いの建物は見つけやすい。くらうは徳島大学たどり着くと、モゲに到着のメールを出す。
「今から連絡すんのかよ」
「そりゃ、正確な到着時間とか全然わかんないし」
しばらくは門の前で待っていたが、大通りに面しているため居心地が悪くなり、キャンパス内のベンチが並ぶ場所に避難する。そこでももうしばらく待っていると、ようやく彼が迎えに来てくれたようだった。
「おう、ひさしぶりー」
相変わらずの気の抜けた声をかけてきた彼こそが、ウワサのモゲその人だった。体を構成する9割近くが骨と皮でできている、もやしっ子と言うのももやしに申し訳なくなるほどひょろりとしすぎな白い体に、開いているのか閉じているのかわからない線のような細い眼。久しぶりだというのに、モゲは以前と何一つ変わっていないようだった。
「おお、こいつがモゲか。そのあだ名がしっくりくる理由がわかったよ‥‥」
きょーこが肩の後ろ辺りに身を隠し、ぷるぷると震えて笑いをこらえながら、すごく失礼な呟きを漏らした。
「え、てかホンマにそのチャリで来たん!?」
「いえす、まいろーど」
「アホじゃろ」
「褒め言葉」
昔と変わらないくだらない会話をしつつ、くらうはモゲのアパートに案内してもらう。モゲの家は大学から数分の場所にあった。
「おじゃましまーす。おお、池内もいるじゃん!」
「おお、(本名)! 久し振りー」
「あああ、ここでは呼び名はPNくらうでヨロ」
モゲの家に遊びに来ていたらしいのは、こちらも高校時代の同級生の池内だ。
馴染みの友人宅なら堅苦しくなる必要もない。くらうはどっかりと荷物と腰を降ろすと、遠慮なくくつろぐ態勢へと移行した。
そうして3人でバカ話をしながら思ったのが、長らく徳島にいるはずのこの2人だが、驚くほど方言が抜けていないということだ。まあかくいうくらうも、全く香川の方言には染まっていないのだが。
パクパクと菓子やジュースをつまみながら盛り上がっていた3人だったが、ふと池内が口にしている飲み物を見てモゲが訊ねた。
「池内なに飲んどん?」
「え、水」
「はあ!? カブトムシかよっ!」
「‥‥‥‥?」
一瞬、くらうと池内はそのツッコミの意味を理解できず、動きが止まる。そしてしばらくその意味するところを考え、
「いや、水くらい飲むし」
「え、カブトムシってそんな水飲むっけ」
考えてもわからなかった。モゲは昔から時々ワケがわからない。
そうしてしばらく盛り上がり、夕飯も食べ終わり池内が自宅に帰ったときのこと。
突如モゲが、悪魔のような提案をしてきたのだった。
「なあ、ちょっと飲もうや」
そう、お互いもうとっくに二十歳に達している上、時間はすでに夜。友達同士で集まればこのような流れになるのは当然ともいえる。
とはいえ、くらうは明日も朝からがっつり自転車をこがなければならず、今日だって何時間もこぎ続けで体はすっかり疲れてしまっている。できることなら今すぐにでも寝たいし、そうすべきだろう。だから当然答えは――
「イイネ!」
ということで近所のスーパーにお酒を買いに行くことに。出かける直前、バッグの中に隠れていたきょーこの大きなため息が聞こえた気がした。
酒とつまみを買って帰り、モゲと2人で宅飲みスタート。先程までは近況報告だったり高校時代の思い出話だったりであったが、ここから先は会話内容の9割近くが下ネタだった。そしてこんな話ばかりしているのは、酒が入っているからというばかりでもない。モゲとは高校時代からよく、帰り道などにこんな話ばかりして大盛り上がりしていたのだった。
何年経っても、変わらない部分は変わらない。いつまで経っても変わらないものがあるって、とても素晴らしいことだと思いませんか?(晴れやかな笑顔で)
「最っ低だな‥‥」
きょーこの呟きは軽く受け流しつつ、お気に入りのサイトやジャンルなどで大爆笑していた2人だったが、日にちをまたいでしばらく経った頃、かなりふらふらとしてきた2人は半ば酔いつぶれる形で就寝することとなった。
聞いたところによるとモゲも課題やら何やらでその日はほとんど寝ていなかったらしく、お互い普段からすれば大した量ではなかったにもかかわらず、ぐでんと情けなく倒れ伏すことになるのだった。
「‥‥くらう、ほんとにアホだな」
きょーこの何度目かになる呆れた呟きをどこか遠くに聞きながら、くらうは気分よく眠りに落ちてゆくのだった。
2、 3月9日(2日目)・友人宅警備員
目が覚めたのは、意外にも翌朝8時前だった。
「うっ‥‥気持ち悪‥‥っ」
朝起きてまず一番に、体の不調を感じた。なんだか体がふわふわしているし、軽い嘔吐感もある。じんわりとした頭痛も感じており、もしや恐ろしい病気にかかってしまったのかも――
「ただの二日酔いだろバカ」
容赦ないツッコミは当然きょーこのもの。缶チューハイの並ぶ机の上にどっかりと座り、呆れた視線をくらうに向けていた。
「ああ、おはよー‥‥。まあでも思ったよりはだいぶマシかなー‥‥。ちょっと休めば出発できると思う」
「ざーんねん。外見てみなよ」
きょーこに促されて窓際まで行くと、空は昨日以上の曇天。道路にはいくつもの水たまりができ、そして今も水たまりの上では絶え間なく波紋が疾走(オーバードライブ)しているようだった。
「あー‥‥マジかー‥‥」
「どーすんの? 一応雨具は持ってきてたみたいだけど」
くらうはしばらく悩んでからネットで天気予報を調べてみる。どうやら雨は今日だけで明日からは晴れが続くようだ。
「‥‥モゲに聞いて、もう1日泊めてもらおうかな」
「賢明だね。雨の日は滑りやすくて危ないしさ」
モゲはまだ寝ているようだったので、くらうは持ってきていた文庫本を開き、起きるまでの時間を潰すことに。
くらうが起きてから1・2時間ほど経った頃、モゲもようやく、若干ふらふらとしながらではあるが、のっそりとベッドから這い出した。
「おはよ。悪いんだけど、今日雨だからもう1日泊めてもらってもいいかな」
「‥‥おはよー‥‥。んー‥‥別にいいよ‥‥。ん‥‥なんか朝メシいる? 確かポタージュがあったはず‥‥」
かなりふらふらとしながらモゲが台所に向かい、コップの中にこぽこぽとお湯を注いでポタージュを差し出してくれた。
ありがたく受け取り、2人してしばしぽけっとしながらポタージュをすする。くらうもそれなりにふらふらしているが、どうやらモゲはそれ以上に重症のようだった。
「2人して情けねーな。言うほど飲んでなかったじゃんか」
きょーこがそんな2人を見て、机の上から2人を見上げて見下したセリフを吐く。
「え、きょーこじゃん。なんでしゃべっとん?」
くらうはしまった、と思ったがきょーこは平然としたままだ。
「そういう仕様なんだよ、あたしは」
「そっかー‥‥」
どうやら疑問に思う元気もないらしい。まあ、助かった。
と、ポタージュをすすっていたモゲが急にがば、と勢いよく立ち上がり、
「‥‥やべえ!」
謎の笑顔で力強くそう宣言すると、すたすたと確固たる足取りでトイレに向かっていった。
「‥‥確かに、色々とヤバそうだな」
「うん‥‥」
モゲはしばらくしてトイレから出てくると、もう無理ー、と言いながら再び布団に突っ伏して動かなくなってしまった。仕方ないのでくらうは静かに読書を再開する。
昼過ぎごろ、さすがにお腹がすいてきたのでスーパーで適当にパンを買ってきて簡単に昼食終了。再び本の世界に没頭する。
淡々と読みふけっていると、持ってきていた本を半分近く読んでしまっていた。このままでは明日以降の暇つぶしがなくなってしまうと危惧し、モゲの部屋にあった本を読ませてもらうことに。とりあえず一番に目についた【俺の掘った芋がこんなに美味しいわけがない】を読み始める。アニメ版は見たので原作も気になっていたのだ。
ペラリ、とペーシをめくって静かに文字を追いはじめ――
「‥‥読了してしまった」
ぱたり、と本を閉じ、くらうは驚愕の表情を浮かべた。
普段、くらうの読書のスピードは恐ろしく遅い。さらっと読み流すことができず、ついつい読みこみ、ちょっと気になったら前のページに戻って確認して、を何度も行ってしまうため、どうしても時間がかかってしまうのだ。
今回もいつも通りの読み方をしていたにもかかわらず、1日で1冊読み切ってしまった。
時間を見るとすでに夕方。やはり他に何もやることがない、やらなくていいと思っているので、集中力もいつもより増していたのだろうか。
しかしなにより。
モゲはいまだに、ベッドの上で倒れていた。
そう、くらうが本を読んでいる間、モゲは時折もぞもぞと寝返りはうっていたようだったが、それだけで起き上がる気配は全くなかった。いやまあ、別にいいっちゃいいんだけど。
くらうはもう少しだけゆっくりしてから、夕食を食べに行くことに。モゲは寝ているので一言断りを入れてから、駅前のラーメン屋に向かった。徳島に来たのだから、どこかで徳島ラーメンを食べておこうと思っていたのだ。
やってきたのは【麺王】というラーメン屋。チェーン店なので他県でも見ることはできるが、本場はなにか違うかもしれない。
どうやら食券を買うようになっているらしく、ラーメンを1つ買って店内へ。店員に券を渡して席に着くと、机の上に辛そうに赤く味付けされたもやしがあるのが目についた。寿司屋でいうところのガリのようなものだろうか。くらうはそれを小皿にとってなんとなしに食べ、衝撃を受けた。
「‥‥これは、美味いぞ!」
「ホントか? あたしにもくれよ」
ちゃっかりついてきたきょーこにも1本分けてやると、きょーこはそれをかじって眉をひそめた。
「美味い、けど辛ぇよ。せめて白飯は欲しいね」
「まあ確かに欲しいけど、これだけでも全然いけるだろ」
「いけないって。やっぱくらうは変態だな」
ガツガツともやしのみを食っているうちに、ラーメンが到着した。徳島ラーメンならではのもやしやメンマなどの色々な具材がのっており、スープはかなり濃い目。生卵も欲しかったけれど、別料金で50円もするようなので断念。
「やっぱ貧乏性だな」
「うるせえ」
丼ごと作り上げたらしいきょーこがラーメンをすすっているのを眺めながら、くらうも同じようにラーメンをすすりつつ、もやしも食いつつ、食べ終わる頃には机に置かれたもやしのビンの中身がほとんどなくなってしまっていた。
「‥‥さすがに食い過ぎかな」
「いいんじゃねーの。タダなんだし」
貧乏性はきょーこにも伝染しつつあるのかもしれない。
いや、貧乏性じゃないけど。多分。
ラーメンを食い終えてモゲ宅に戻ると、その頃になってようやくモゲは起きだした。朝数十分だけ起きて、それから今まで寝ていたのだから、一体何時間寝ていたというのか。
しばらく昨日と同様シーモネーターで盛り上がっていたが、さすがに本日は飲むこともせず、それなりの時間に就寝することにした。ていうかモゲはまた寝るのか。
あっという間の1日だったが、明日からはまた頑張らなくてはいけない。ご飯を食べに出かけたとき、すでに雨はあがっていたので、そのまま明日も晴れてくれると嬉しい。
そう願いながら目を閉じ、旅行中なのに読書しかしていないという奇妙な1日は早くも終わりを告げるのだった。
3、 3月10日(3日目)・恐怖! 時速70kmの男!
その日起きたのは朝7時過ぎ。外を見てみると、いまだ若干の雲は広がっているものの、雨が降っている気配はない。予報ではこれから晴れるらしいので、当たることを祈るばかりだ。
くらうが起きた気配を察してかモゲも目を覚ました。さすがに昨日あれだけ寝たのだから、今日も1日寝ているつもりではないようだ。
朝食を提供してくれると言うモゲは台所へと向かいながら、ニヤリと笑顔を向けてくる。
「朝ごはん‥‥食うかい?」
「その必要はないわ」
「え、どうすん、食べんの?」
「あ、食べる。食べます。ごめん」
変なノリをしてきたので変なノリで返したらちょっと戸惑われた。
納豆ごはんをありがたくいただき、すぐに出発の準備をする。
「じゃあ、ありがとな」
「いいよー。またなんかあったら遊ぼうや」
簡単な別れを済ませてくらうはモゲの家を後にし、1日ぶりの自転車の旅を再開した。
「なんか1日しか空いてないのに、久々な感じするなー」
きょーこが頭の上で風を受けながら、少し機嫌良さげな声をあげている。確かに、昨日何もしていないこともあってかそんな感じはする。
「だけどさっそく晴れてきて良かったな。やっぱ天気いい方が気持ちいいもんなー」
などと言いながら何かをもぐもぐしているきょーこ。見ると、小脇に抱えた袋に入ったたい焼きを笑顔で貪っている。
「‥‥食うなとは言わないけどさ、少しは遠慮して食えよ?」
やや呆れ顔で注意すると、しかしきょーこはふっふっふ、となぜか誇らしげに笑いを漏らした。
「甘いなくらう。そのあたり、あたしに抜かりはないよ。このおやつはモゲの家にあったものを拝借してきたのさ!」
なるほど、昨日本を読んでいる間大人しくしていると思ったら、食べ物を探してごそごそしていたようだ。
「あんまり食ってると、いつか怒られそうだしな」
しかも理由が何気にかわいい。
「しかも見ろ! たい焼きだけじゃねえぞ! いくらでも食えるように、いっぱい作っといたんだ!」
自慢げにきょーこが掲げる袋の中には大量のポッ○ーとリンゴ、そしてもう一袋たい焼きが詰まっていた。そしてその袋は頭に刺さったストラップの金具に引っかけられている。
「なあ、そんなもん引っかけてて、頭の金具もげないのか?」
「モゲだけに!」
「全然上手くねえよ」
「まあ、これ案外頑丈だから大丈夫だよ。それにもしもげても、いざとなったら痛みなんて消しちゃえるのさ!」
「あれ、それキャラが違わないか?」
「共通のキャラ設定じゃなかったっけ」
「そうだったっけ」
相変わらずの下らない話をしながら快調に自転車を走らせ、徳島市を抜けてからしばらく経った時のことである。
くらうの後ろから1台の自転車が、徐々に間隔を狭めてきていた。そしてぴたり、とくらうの背後につけ、そして――と、ちょっと緊迫した展開を煽ってみたが、別にどうということもない。普通に通りすがりの人に追いつかれただけである。折りたたみ自転車になど誰でも追いつけるだろう。昨日だって何台の自転車にもすいすいと追い抜かれていっているし。
が、今回は少し違ったようだ。後ろからくらうに追いついたその人は、それまでのようにただ横を通り過ぎていくだけではなかった。
「こんにちはー」
急に声をかけられ、若干面喰らいながらもくらうは笑顔で挨拶を返す。
声をかけてきたのはクロスバイクかロードバイク(当時は違いが全く分からなかったのでどっちかわからない)に乗った、髭濃い目のおっちゃんだった。背中には大きなデイバッグを背負っており、服装や装備を見たところ、おそらく同じように自転車旅行をしているのだろう。
おっちゃんはくらうの横に並ぶと、親しげに声をかけてくる。
「自転車旅行中ですか?」
「はい、四国一周しようと思ってるんです」
「そうなんですか。ちなみに僕も四国回ろうと思ってまして。これからどこまで行くつもりなんですか?」
「今日は室戸岬まで行けたらいいなー、って感じですね」
「あっ、そうなんですか! 実は僕もこれから室戸岬に行くつもりなんです。よかったら一緒に行きませんか?」
「あー、構わないですよ」
思わぬお誘いに少し驚くが、これはこれで楽しいかもしれない。くらうはさして迷うことなくOKを出していた。
「じゃあ、実はもう1人偶然会った連れがいるんで、その人と合流しましょう。もう少し先で待ってると思うんで」
1人旅をしていたら2人旅になるかと思ったらどうやら3人旅らしい。
少し先にあったの橋の途中には、そこで足を止めている1人の自転車乗りの後ろ姿。どうやらその人がもう1人の旅の連れであるようだ。
彼はこちらを振り向き新たな旅の連れに一瞬驚いていたが、しかし特に難色を示すこともなく快く迎え入れてくれた。こちらはまだ若い、くらうと同じくらいだろうかというニーチャンだった。
まずは簡単に自己紹介。とはいっても教え合うのは名前や連絡先などではなく、どこから出発してどこへ行くのか、という程度のひどく簡素なものだ。偶然にも皆香川を出発点としているらしかった。
3人揃って共通の目的地も確認したところでさて出発、の前になにやらおっちゃんが写真を撮ってくれるというので、まあせっかくだからニーチャンとツーショット写真を撮ってもらうことに。これがこの旅唯一となる、くらう自身が写っている写真となる。もともと自分なんぞ撮る気はなかったのだけど。
と、写真を撮るために自転車を降りてようやく気づいたのだろう、ニーチャンはくらうの自転車をものすごい目で凝視していた。
「‥‥え、これで走ってるんですか?」
「そうですよー。どうせだったら変わったことがしたいと思って」
「‥‥すごいですね。僕には絶対無理ですよ」
モゲに引き続き、今のところ出会う人全て(2人)に欲しかったリアクションをもらえている。やっぱり、エミリアで挑戦してよかった。
そのような成り行きに近い形で、一時の3人旅が始まった。
走り出してまずは先頭がおっちゃん、続いてニーチャン、しんがりをくらうが務める形に。
「‥‥なあくらう。なんかあたしたち浮いてる気がしないか」
「気がするんじゃない。浮いてるんだ」
襟元に隠れるきょーこの呟きに、くらうは確信を持って答える。
ロードバイクの旅行者の後ろを、折りたたみ自転車が近い速度で追いかけていっているのだ。周りからの執拗な視線を感じることは今のところあまりないが、ほぼ間違いなく自分は場違いだろうという自信がある。
「ていうか、2人とも速いな」
「そりゃそうだろ。ていうかエミリアが遅すぎんだよ。いや、エミリアをバカにしてるわけじゃなくてさ、普通に考えてこのチャリはおかしいだろ。今更だけどさー」
「まあ、その通りなんだけどな」
必死に2人についていっていると、不意に道の途中で先頭のおっちゃんが自転車を止め、カメラを取り出した。なんだろうかと視線を向けてみると、どうやらお寺のようだ。おっちゃんの動きを見て、ニーチャンもつられて寺を写真に収めていた。
「くらうは撮らないのか?」
「うん、風景だけ撮ってもなー。せっかくだからきょーこかモアイヌもフレームに収めたい」
「撮る間くらいじっとしてるよ。撮ればいいじゃんか」
「じゃなくて、突然アニメ然とした女の子のストラップなんかとり出したら、さすがによろしくないだろ。オレならドン引く」
「恥ずかしがってんのか」
「自重してるだけだ。大事なことだよ」
あとせっかく撮るなら色んな角度で色んな工夫をしたいということもあり、こんな突発的にチャリの上から適当に撮っても仕方ない、とも思う。別に写真を撮ること自体が目的なのではなく、『いい雰囲気の』写真を撮りたいというのが大きいし。
普段は特に写真なんて撮ることもないので、確固としたこだわりを持っているというわけでもないのだが、変なところで凝り性なのだ。
とはいえそんなこだわりを他人に押し付けるつもりもないので、ちょうどいい息抜きだと思って静かに待つ。
と思ったら数秒で終了してしまった。まあ、そりゃそうか。
再び走り出す一行。しばらくは平坦な道を進んでいたが、やがて坂にさしかかった。やや標高が高いところにいたのか、珍しく下り坂から始まる。
「うおお‥‥やべえ、やべえ。めちゃくちゃ差つけられてる‥‥」
気づくとロードバイクのお2人は、はるか前方を進んでいた。タイヤの大きさも全然違うわけだし、当然の結果だがさすがにちょっと焦る。
そしてそのあとには上り坂が待ち受けている。くらうはギアを変えて軽い負荷でくるくると急いで上り坂を上り始めると、意外や意外、少しずつ2人に追い付きはじめ、すぐに後ろまで追い付いてしまった。
「なるほど、タイヤが小さいから、上り坂ではこっちのほうがよっぽど楽なのかな。思わぬ発見だな」
それに気づいてからは下り坂で少々離されようがあまり気にしない。そのあとの上り坂ですぐに追いつけばよいだけだから。
そうして上ったり下りたりを繰り返しながら、2、3時間ほど走った頃だったろうか、上り坂の途中でおっちゃんが音をあげた。
‥‥いや、身も蓋もない言い方で申し訳ないが、その通りだったんだから仕方ない。
どうやら走り続けてだいぶ脚が参っていたらしく、不意に自転車を降りると押して歩きはじめ、山中の休憩所、というよりは一時的避難地のような、とりあえずガードレールがのけられ、たいして整備もされていないただの空間で3人は一度足を休めた。
くらう自身もおっちゃんほどではないにしろ、かなりの疲労がたまっている。タイミングとしては悪くはない。
「いやー、さすがに疲れましたねー。ん、ちょっと用を足させてもらっていいですか」
と、おっちゃんは道路に背を向けると山の斜面、崖側に向かってじょぼぢょぼと湿った音色を奏ではじめた。完全に山中なので向こうから見られることはないとはいえ、なかなかフリーダムなお方だ。
「‥‥えらく自由なオヤジだな」
きょーこもやや反応に困っているらしく、いつもほど言葉に覇気やトゲがない。
「ここから室戸岬まであとどれくらいありますかね」
おっちゃんの言葉にくらうは地図を見、ニーチャンはケータイをかちかちと調べはじめおおよその場所と距離を調べる。
「んー、ここからだと、だいたい70kmくらいですね」
そしてそれを聞いたおっちゃんは、とんでもないことを言ってのけたのだった。
「ああ、じゃああと1時間くらいで着きますかね」
「‥‥‥‥っ!?」
その言葉を聞いて、くらうは息をのんだ。襟元できょーこもびくりと体を震わせたのがくらうにも伝わった。
何気ない言葉だが、それはつまり、この男は自転車で時速70kmを叩き出すということだ。どう考えても、人間業ではない。
「‥‥く、くらう、こいつやべえぞ! 絶対人間じゃねえ、魔物の類だ! 今すぐここから離れよう!」
きょーこが恐怖をあらわにして声を抑えて叫ぶ。ぜひそうしたいところだが、くらうは逃げ出したい足をぐっとこらえる。
「だ、大丈夫だ、まだ勘違いの可能性もある。それにもし本当に時速70kmで走行できるなら、逃げたところで一瞬で追いつかれる‥‥!」
きょーこは焦りに焦り、くらうの襟をぐいぐいと引っ張って急かしていたが、その言葉を聞いてどうにか冷静さを取り戻したようだ。
「‥‥た、確かにそうだな。でも、気をつけろよ。気を抜いたら一瞬でヤられるぞ」
「ヤをカタカナで言うなよ。前を行くのが怖くなるじゃんか」
「は? 前でイッたらヤられるのか?」
「やめろやめろ! オレにそんな趣味はないっ」
どうやらニーチャンも何と言ったらいいか、かなり困っているようだ。
「いやまあ、さすがに1時間は無理じゃないですか‥‥?」
魔物を刺激しないよう、少し控え目にくらうが進言すると、おっちゃんはややきょとんとした表情をする。
「そうですかねー。じゃあ、2時間くらいですか?」
「ほらくらう、こいつやべえって! 妥協して時速30km超えるんだぞ! 世界選手並みじゃねえか!」
「‥‥ああ、ギリギリ人間レベルになったけど、常軌を逸してるのは間違いないな‥‥」
さらにおっちゃんは追い打ちをかけるようにこんなことまで言い始める。
「今日中に高知市まで行けますかねー」
「い、いやさすがにそれは‥‥」
高知市までは室戸岬からさらに100km以上先。くらうなら今から10時間近くはかかるだろうという距離だ。なにより1日で200km近い距離の走行など、よほど走り慣れている人でないと無理なのではないだろうか。
「できれば足摺岬まで行けたらいいですけどねー」
足摺岬までは高知市からさらに100km以上(ry
いい加減、くらうの精神も限界が近づいてきている。確かにこの男の発言は尋常ではない。魔物の類だ。
「ほらくらう! 手遅れにならないうちに早く逃げるぞ! そんな人外のヤツがこんな中途半端な上り坂程度で音をあげるわけがねえだろ! どう考えてもこれはあたしたちの足を止めるためのワナだっ!」
「そんなに時間かかるんですかね。僕は別に夜の10時とか11時になっちゃっても構いませんけど」
「いや、それはさすがに‥‥」
「高知市に行けばネットカフェとかありますよね。そこに泊まれたらいいと思って」
「いやまあ、あるとは思いますがさすがに‥‥」
なんだかやたらと高知市まで行きたがっている。野宿を避けたいのはわかるが、あまりに無茶苦茶だ。なにより夜の走行は危険なので可能な限り避けたい。夜になっても構わないとか言われても、こっちが構う。
「こいつ、暗くなったところを襲ってくる気だぞ! 多分こいつは夜目も効くんだ! 視界が悪くなって不利なのはあたし達だけだぞ! もうダメだ、勝てるわけがない‥‥っ」
「いや、何で急にサイヤ人の王子になってんだよ」
しかし冷静に考えてみると、ここで焦って逃げるよりは刺激しないよう大人しくしておき、機を見計らってさりげなく離脱した方がいいのではないだろうか。
3人で少し話し合っている合間に、きょーことぼそぼそと作戦を練り、とりあえずはこのまま魔物と同行することに。
覚悟を決めて再び出発。特に話しあったわけでもないが、なんとなくここからはニーチャンが先頭になっていた。
「なあ‥‥」
「なんだよ」
くらうは最後尾を走りながら、きょーこに声をかける。
「今更だけどさ、あのおっちゃん、ただすっとぼけてるだけって可能性はないのかな」
しかしきょーこは声を硬くしたまま、
「んなわけねーって。あいつは間違いない、魔女だ」
「いやいや、女じゃねーだろ」
「じゃあ‥‥魔男だ」
「はじめて聞いたよそんな人種。ていうかそれも音だけ聞くと女の子っぽいな」
「じゃあなんだってんだよ。マゾか?」
「魔物から一瞬にして変態になり下がった!? いやまあ、普通のおっさんという可能性は」
「おいバカ! 常識で考えろよ!」
「‥‥もうなんでもいいけどさ」
昨日に引き続きストラップに常識を問われてしまった。そろそろ生きる自信をなくしてしまいそうだ。
くらうはさすがに若干気を抜きながら、きょーこは相変わらず警戒心全開で、2人のロードバイクの後ろを走り続ける。
そこからさらに走り続けることしばらく、前方に左右の分かれ道が現れた。右は生い茂った峠道、左は整備の行き届いた真っ直ぐな道。それだけを見るなら間違いなく左の道を選ぶが、一行がどちらに行くかを迷っているのには理由があった。
左の道は、見た感じ自動車専用道路なのだ。というか実際、自動車以外通行禁止の看板も立っている。
とはいえできることなら峠道は避けたいので、どうにか通行できるのであれば左を進みたいところではある。
見ると、どうやらニーチャンはケータイで右の峠道の険しさを調べようとしているようだ。くらうもネットを繋ぎその道を調べてみようとするも、さすがに詳しいことはわからない。だがやはり楽な道ではないようだ、という程度のことはわかった。おっちゃんは素直に右の峠を通った方が良さげだと進言している。
しばらく3人んで協議した結果、とりあえず左の道を行けるところまで進み、料金所等が見えてきて完全に自転車が阻まれてしまうまでは進んでみよう、という結論に至った。
ニーチャンを先頭に、くらうがその次、おっちゃんがしんがりを務める形で走り始める。
緩やかな下りから始まった道は今までのどの道よりもキレイに整備されており、走りやすいことこの上ない。
しかし数分も走らないうちに、くらうは違和感を覚え始めた。
「なあ、そこの標識、制限速度が70kmになってるんだけど」
くらうが声をかけると、爽快感に浸っていたらしいきょーこはそこで初めて気づいたようにその標識を見上げた。
「ほんとだ。ここ、後ろのオヤジが本気を出せる道なんだな」
「いや、それはオレもちょっと思ったけど、そうじゃなくて、すでに通っちゃいけない道に入ってる気がする」
しかしきょーこは首を傾げ、よく意味を理解できていないようだ。
「なんで。さっき料金所とか、そういうとこまで行ってみようって言ってたじゃんか」
「まあ、そうなんだけど、オレ免許持ってないからわかんないけど、自動車専用道路って高速みたいに絶対有料だと勝手に思い込んでたけど、無料の自動車用の道路もあるんじゃないかな、って」
「そーなのか?」
「いや、だからよくわからんけど、ここがまさにそうな気がする‥‥。できるだけ早めに抜けたほうがいいかもな」
自転車用の路側帯も無くなってしまっているし、横を通り過ぎていく車も明らかに不思議そうな、不審そうな目でちらちらとこちらをみている。
やや不安に感じ始めたくらうの後ろから、こちらに呼びかる声が聞こえた。
「ちょっとー、やっぱりここヤバいですよー! 引き返した方がいいですってー!」
どうやらおっちゃんもくらうと同じ考えらしい。しかし前を見ると、ニーチャンはすでにかなり先まで走って行ってしまっている。
「‥‥どうする?」
「そうだな、これもさっきと同じ、あたし達を油断させるワナに違いないよ」
「そっちじゃなくて、引き返すべきかな」
いまだに警戒を解かないきょーこに軽くツッコんでから、くらうは少しだけ速度を緩める。
「うーん、よくわかんないけど、もうかなり進んじまってるじゃんか。今から引き返すったって、逆走することになるしその方が危ない気がするけどね」
確かにその通りだ。警告してくれているおっちゃんには申し訳ないが、ここは無視してさらに先へと進ませてもらうことにする。
そうしてそのまま走り続けることおよそ数分。頻繁に行き来しているのか、運が悪かっただけかくらうはついに――ヤツに見つかってしまった。
『そこの自転車、止まってくださーい』
スピーカー越しの、明らかに自分たちに向けられている声。振り向かずとも、それが誰から発せられているのかはすぐにわかった。
「‥‥‥‥やっちゃった」
自転車を止めて振り向くと、赤いパトランプを光らせる車がゆっくりとこちらに向かってきていた。
あっさりと警察に止められた3人だったが、しばらく話をした結果、ここはすでに道路の中ほどということで、引き返すよりはこのまま最後まで進んでしまおうということになり、前後を2台のパトカーに挟まれて連行されることとなった。
自転車に合わせているのだから当然パトカーも速度は出せない。2・3台後ろに車が詰まってくると、一旦左脇に避けて車を先に行かせる、という行為を何度か続け、数十分後、3人と2台はようやく道路を抜け、終点すぐ脇の少し開けた場所で1人ずつ詰問を受けることに。
色々と聞かれながら、他の2人の話にも耳を傾けていると、どうやらニーチャンはくらうの1つ年下の大学生だということがわかった。そしておっちゃんについている警察はかなり厳しい人だった。くらうとニーチャンに比べ、かなりこってりと叱られている。一番強く警告してくれていたのに、さすがに申し訳ない。
一通り話を終え、厳重注意を受けてから、3人はようやく解放されることとなる。
「‥‥やっちゃいましたねー」
「‥‥ですねー」
しかし正直なところ、くらうはここまで連行されながら思っていることがあった。
「‥‥でも、注意を受けただけで峠を避けられたなら、むしろラッキーだと思いませんか?」
くらうがぽつりと言うと、それを聞いてニーチャンはふと笑顔になった。
「ですよね! 実は僕も思いました!」
「あ、やっぱそうですか! いやー、だってこの道路、なにげにけっこうな距離ありましたしね。きれいな道だったから全然苦じゃなかったですけど」
「ホントそうですよ。もし峠通ってたら、まだまだここまでたどり着いてないですよ!」
警察がいなくなるや否や盛り上がる2人を、ただ1人おっちゃんは苦い表情で眺めていた。
すまんなおっちゃん。こういう発想できちゃうことが、若者の特権なんだ。
同意してくれているのかはたまた呆れているのか、ぬお、と久々に鳴き声を発するモアイヌの声を聞きながら、しばらくニーチャンと悪い顔で盛り上がるくらうであった。
気づくと時刻はお昼時。3人はちょうど見つけた山中の中華料理屋で昼食をとった。
くらうが注文したのは天津ソバ。ラーメンの上に薄い玉子が乗った、天津飯のご飯がラーメンになっているものだ。
ご飯を食べながら話を聞いていると、どうやらおっちゃんは以前九州一周を果たしているらしく、かなりのベテランであるようだ。絶対ウソだろ、とツッコミたくなる衝動を必死に抑え聞き役に徹する。
その時も自動車専用道路通りそうになっちゃって、という話をしていたが、まさかその時は時速70kmで切り抜けたのだろうか。
一方ニーチャンはくらう同様、初めてのロングライドらしく、やはり色々とわからないことや戸惑うことも多いようだ。年も近いし、なんだか親近感。
ご飯も食べ終わりさてお会計というところで、しかしおっちゃんは2人の前に進み出る。
「あ、ここは僕が全部払うからいいですよ」
「‥‥‥‥!」
実はおっちゃん、すごくいい人だった! 魔物とか言ってゴメンネ!
ありがとうございます! と全霊を込めてお礼を言い、店を出る。
くらうはあらかじめ道を調べてきているのでこのまま進もうと思うが、ニーチャンは今から経路を調べているのか、ケータイをかちかちといじっていた。おっちゃんはそれを待っているようだ。
くらうも気になっていたことを1つだけ調べてみると、どうやら朝からこの時間までにすでに60km近く進んでいるようだった。当初の1日の走行目標は80km~90km。いくらなんでも、オーバーペースすぎる。
「あのー‥‥」
ということで、切り出すなら今しかないと思い、くらうは店に入る段階で言おうと思っていたことを少し控え目に申しでる。
「すいませんが、僕はここで離脱させてもらっていいですか? さすがにロードバイクのペースについていくのはキツすぎるんで‥‥」
ニーチャンは一応は残念そうにそうですか、と言ってくれるが、しかしそれはそうだろう、という雰囲気も醸し出していた。むしろこのチャリでここまでついてこれたことのほうがよほど異常だと思っているのかもしれない。
「そうですかー。でも、室戸岬でまた合流しましょう!」
が、おっちゃんはそうではなかった。くらうとしてはここでお別れして、お互い頑張りましょう的な雰囲気を出していたのに、おっちゃんはやたら再合流を嘱望しているようだ。
「あ、まあ、もし会えたら‥‥」
くらうは言葉を濁し、2人が出発するのを少し待つ。くらうが先に出発すれば、どう考えてもすぐに追いつかれ、また一緒に行きましょうという流れになりそうだからだ。明日以降のことを考えると、さすがにこれ以上このペースを維持するには無理がありすぎる。
が、ニーチャンはどうやら道の検索にやや手間取っているようで、なかなか出発する気配がない。ニーチャンが出発しないのだから、おっちゃんも動く気配がない。
「‥‥あ、あの、じゃあすいませんが僕もう先に行きますね。それじゃあお互い、頑張りましょう」
そう言うとニーチャンは笑顔で手を振ってくれ、
「室戸岬で待っててくださいね~!」
そして遠ざかるくらうに声を投げるおっちゃんに曖昧な笑みを返し、前を向いてため息をついた。
待たねーよ。
4、 3月10日(3日目)・室戸岬に降臨した菩薩達 ~It’s Japanese BOSATSU!~
「確かに、旅は道連れってのはいいと思う。その場で会った人と今日まで何があったかとか話し合えば意外な発見もあるだろうし、これからの予定を聞けば知らなかったことが聞けて思わぬ目的地が生まれるかもしれないし。それにひたすら1人でい続けるよりは、ちょっとしたアクセントになって楽しいしな。でも、やっぱり旅行の途中なんだから、それぞれの予定とかペースとか、そういうのがあるわけよ。だからこういうのは拒まず追わず、偶然予定があったようだからしばらく一緒に行きましょう、程度がいいと思うんだよな。というかむしろそうじゃないとダメだろ」
「あー確かになー。それはわかる気がするよ」
2人と別れてようやく自分のペースに戻せたくらうは、とりあえずきょーこに愚痴っていた。
「ま、だいぶ変なおっさんだったし、早めに別れて正解だったね」
「ご飯おごってくれた良いおじさんだったろ! 悪口言うな!」
「てめぇが先に言ってたんじゃねえかよ!」
まあ、変な人だったのは確かだが、なかなか面白い経験になったことも確かだ。話題(ネタ)としては、すごくいい出会いだったといってもいい。
「お、なんか海岸があるじゃん。ちょっと写真撮ってこーぜ」
「別にいいけどー」
先ほどまでは全然写真が撮れていなかったので、くらうは適当な海岸を発見し、海を背景にエミリアを撮ったり、不意に太陽エネルギーを吸収し始めたモアイヌを撮ってみたりしてから、再び自転車をこぎ始める。
「おいきょーこ、あそこ見ろよ!」
「なんだ!?」
「海岸だ!」
止まりこそしないが、海岸を見つけてはしゃぐ2人。
「おいくらう、あそこ見てみなよ!」
「どうした!?」
「海岸だあ!」
はしゃぐ2人。
「おいきょーこ、そこ見ろよ!」
「どこだ!?」
「海岸があるぜ!」
はしゃぐ(略)。
「きょーこ!」
「海岸だあ!」
はしゃ(ry
「きょー‥」「‥ってさっきから海岸しかねえじゃねーか!」
スパーン! ときょーこの容赦ない、しかしベストなタイミングのツッコミが入った。
いやまあ、海沿いの道を進んでいるうえ、ここはなんてことない郊外の道。よほど変わった風景も、目を引く観光地もない。となると自然とあるのは小さな海岸ばかりになってしまうのは仕方のないことだ。
「ったくさー。はしゃぎたくなんのもわかるけど、少しは落ち着きなよ」
「はーい‥‥ん、きょーこ、あそこ見てみろよ!」
「海岸だあ!」
「お前ノリいいな、ありがとう! でも今回はさすがに違うんだー」
思わぬ付き合いの良さを見せてくれるきょーこにくらうが示したのは、道路と垂直に海に向かって伸びる1本の石の道か、桟橋のようなものだった。
「んー、なんだろうな。港ってわけでもなさそうだし」
よくわからないので、とりあえず行ってみる。気ままな旅の基本である。
その道は人2人がギリギリ並んで歩ける程度の幅と、数十mの長さで、海に向かって真っすぐ伸びている。周りに船が停まっている様子もなく、道の先がどこかにつながっている風でもない。その場に立ってみてもなお、それがなんなのかはわからなかった。
「なんなんだろうな、これ」
「うーん、よくわからんが、とりあえずいい感じの場所だ!」
「あー、そういう結論になるのか」
「よっしゃー、ちょっと休憩!」
くらうはそう宣言し、慎重に自転車のスタンドを立てると、ごろりと足を海に投げ出す形で仰向けに寝転がった。
「なにやってんだよ」
「日光浴。天気もいいしさー」
「まあ、確かにね。んじゃあたしもー」
そう言ってきょーこもくらうの横でころりと横になる。
くらうはモアイヌを見習って太陽エネルギーを吸収。こういうことはやはり、1人でないとできないことだ。さっきまでは景色を見る余裕すらあまりなかったし。
謎の満足感を得ると、慎重に歩いて道路に戻り自転車にまたがる。
その先の道の途中、温泉のある道の駅を見つけくらうはふと声をあげた。
「ん、この温泉‥‥」
「ここがどうかしたの」
「いや、この宍喰(ししくい)温泉ってところ、元々の予定では入っていこうかなって思ってたんだよ」
「へー、そうなんだ。寄ってけばいいじゃん」
しかしくらうは現時刻を確認し、首をひねる。
「いや、予定通りのペースだったら、ここに着くのは夕方かもっと遅い時間になると思ってたんだけど、今から温泉なんて入っても寝るには早すぎるし、入ってからまた走ってたんじゃ汗かいて意味なくなるから、もうスルーさせてもらおう」
時刻は夕方というには早すぎる時間。太陽もまだまだ高く、寝床を確保するにはあまりにも早すぎる。
「そっか。じゃあしょうがないな。あたしは汗かかないからいいけどさ」
「お前時々全力で自分が人間であることを否定するよな」
そしてくらうは視線を前方へ向け、にやりと笑みを浮かべた。
「あとな、この温泉はちょっとした目印でもあるんだ」
「へえ、なにがあるんだ?」
「この温泉な、限りなく徳島県の端っこにあるんだよ」
「ふうん、それが‥‥あっ、てことは!」
きょーこがその意味に気づいて、くらうと同じく視線を前に向けた。その先には、2人の気分を高揚させるのに十分な標識が掲げられていた。その標識を越えればそこから先は――
「っしゃー! 高知県突入だー!」
「いやっほーう!」
3日目、走行日数では2日目にして、ついにくらうは高知県に突入した。高知県は他の3県に比べて海沿いの距離が極端に長く、今のところ1日1県制覇しているが、さすがにここからはそうもいかないだろう。
「事前に調べた感じだと、高知県は道が狭くて整備されてないうえトラックなんかが多いらしいから、事故には十分注意しないとな」
「そうなのか。そんなで断念させられたら、浮かばれないな」
「死ぬ前提で言うなや」
走っているうちに、道は完全に市街地を抜け、右手は山・断崖絶壁。左手は海・曇天荒模様。といった風になっていった。ついさっきまで晴れ渡っていたはずの空は、再び少しずつ雲が出始めている。今すぐ雨が降りそうというほどではないが、少し心配ではある。
片側1車線の細い道路。道は整備が行き届いているとは言い難く、歩道を走るのは少し危険だ。ここまでは事前に聞いていた通り、しかし、
「‥‥車、全然いないな」
「だな。ありがたいけど」
交通量は、驚くほど少なかった。海沿いの国道に出てから、まだ数台としかすれ違ってはいない。
「防波堤みたいな道だから、海岸だあ! もできないしな‥‥」
「え、気に入ってたのか‥‥?」
しかしくらうはこの景色を見て思う。やや荒れた海、空は曇り辺りはどこか薄暗い。波は岩礁にぶつかって高く跳ね上がっている。そんな光景を、見たことがある。
「なあ、この光景さ、ちょっと東○の映画が始まる前のアレみたいじゃないか」
「○映? あー、あれな。確かに言われてみればそれっぽいな」
「話を振っておいてなんだが、きょーこが映画を知ってることに驚きなんだけど」
「ああ、でもそのシーン見たくらいですぐ寝ちまうから、そっから先はよく知らないけどな」
「ええっ!? あれ序盤とかいう以前にまだ映画始まってもねえじゃんか!」
「暗くなったら眠くなるんだよ‥‥ん、そこ、なんかあるよ」
不意にきょーこが何かを見つけ、やむなくツッコミを中断してそちらに目を向けてみると、道のわきになにやら立ち寄れるスペースがあるようだ。近づいてみるとやや奥まった場所まで道が続いているようだった。
その場所の手前には鎖が張ってあり、車は通行できなくなっている。とはいっても向こうまでほんの十数m。くらうは自転車を停め、鎖をまたいでそちらへと向かってみる。
「なんだこれ。えーっと‥‥夫婦岩、だってさ」
目の前にあるのは左手にはやや大きめの岩、右手にはやや小さめの岩がもっさりと生えており、その2つが太いしめ縄で繋がれているものだった。夫婦岩といわれてなるほど、と思ったが、こんなのどこにでもありそうだ、というのも正直な感想だ。
と、肩の上で大気に溶け込んでいたモアイヌがぬお、ぬお、と何かを訴え始めた。
「な、なんだ!? モアイヌが大暴れしている!(当社比)」
「本当だ! モアが大声で叫びながら荒れ狂ってる!(当社比)」
珍しいことだったのでとりあえず、きょーこと謎の盛り上がりを見せる。
「で、なんだろうな。仲間意識だろうか」
「いやー、きっと仲間に加わりたいんだよ」
「これにモアイヌが加わったら、夫婦岩じゃなくて家族岩になるのかな」
「いや、きっと核家族岩だな」
「‥‥なんかすげえ嫌な名前だな」
当のモアイヌは一通りぬおぬおと盛り上がると、またすぐに落ち着いて動きを停止させてしまった。何かに納得したのか、はたまた活動限界だったのか。
くらうも岩を眺めるのに満足すると、再び鎖をまたいで車道に復帰。再出発。
「また岩だ! 今度はじじいの岩だ!」
「どう見ても銅像だろ」
進み始めてすぐ、右手に坊主のようないでたちの大きな銅像を見つけ、きょーこがアホなことをわめきはじめた。
「なんの銅像だろうな。‥‥空海、だってさ」
でかでかと書かれたその名前を読み上げ、ヤバいと思ったくらうが何か言う前に、きょーこはそのセリフを言ってしまった。
「くらう、くらう‥‥食うかい?」
なぜかすごくワクワクしながらくらうに向かって○ッキーの箱を差し出すきょーこ。
「だから、そういう際どい発言やめろって。エライ人に怒られるぞ。ていうか自分ネタを自分でするなよ」
「なんだよ、リンゴのほうが良かったか?」
「そーいう問題じゃなくて」
そんな調子で海沿いを走り続けること1時間強くらいだろうか、次にくらうの前に姿を現したのは、岩でも銅像でもなく、1本の木の看板。
「あ、あの看板は‥‥!」
「看板だあ!」
「お前ホントに気に入ってたんだな‥‥」
すかさず叫ぶきょーこに呆れてから、再びくらうは前方に視線を戻す。そこに立っている看板は間違いなく、目的地である室戸岬を示すもの。くらうは自然と顔がほころぶのを感じた。元々の予定では明日になるはずだった室戸岬に今日中にたどり着けることになるとは――
「‥‥‥‥んん?」
くらうはしかし、その木の立て看板の前までたどり着いて、首をひねった。
「どーしたんだよ」
「‥‥オレの知ってる室戸岬と違う」
今回の旅行をするにあたって、事前に経路の確認は当然、どこに行ってどんなものを見ようか、というのも色々と調べていた。その際に実際に回った人がサイトに挙げていた室戸岬の写真を見ていたのだが、看板自体はほぼ同じなのだが、場所がどう考えても違う。
「どういうことだおい‥‥」
「時間帯とか、角度とか‥‥? それにしても違いすぎる‥‥」
「これは幻覚か何かか!?」
「いやだから、そのセリフも危ないから」
そのサイトで見た室戸岬の写真は確か、看板があり、それに手をかけるオジサンとその背後から後光の如く射す夕日、という構図だった。さっきも言ったが看板自体はほぼ同じ、しかしここでは後光もクソも、目の前に巨大な岩が厳然と構えているため、この位置からでは太平洋を拝むことすらかなわない。
「別の場所なんじゃないの?」
「いや、室戸岬だし‥‥あ、いや、それもあり得るかも‥‥」
よく見ると、まあよく見なくてもでかでかと書いてあるが、その看板の室戸岬という文字の後ろには、【ビシャゴ岩】という副題のようなものが付けられている。ということは、ここ以外にも【室戸岬】はあるのではないか、という可能性が浮上してきた。別に室戸岬というのはこのポイントのみをさ指すわけではないだろうし、となればキレイな景色が見える場所それぞれにこのように看板が立っているのかもしれない。それならばサイトで見たオジサンの写真が全然違う場所なのもうなずける。
「こっちにもなんかあるよ。これは石碑みたいだね」
「本当だ。名称及天然記念物‥‥室戸岬って天然記念物なのか」
「てことは、イリオモテヤマネコの仲間なのか!」
「あー‥‥まあ、うん‥‥そうなのかな」
そうっちゃそうだが、非常に頷きがたい。
「じゃあもっと先に行ってみるか」
「うん。‥‥あ、でもちょっとここの景色も見てから」
よくわからないが、日本の名勝(超きれいな景色が見れるところ)にもなっているわけだし、せっかくなので岩を渡り歩いて海を眺める。
「‥‥海だ!」
「‥‥海だな!」
「‥‥太平洋だ!」
「‥‥太平洋だな!」
「‥‥さっきから、ずっと見てたよな!」
「‥‥そうだな! 次行こう!」
くらうは颯爽と自転車にまたがると、室戸岬のさらなる深部へと向かってペダルをこぎ始めた!
次にくらうが辿り着いたのは、先ほどとは別の室戸岬――ではなかった。
海側ではなく陸地側。ずっと山の斜面が続いていたが、そこだけぽっかりと大きなスペースができており、そのスペースの前に何やらたくさんの人が集まっている。近くにバスが停まっているところを見ると、観光ツアーか何かの途中なのだろう。あと年齢層がかなり高い。
「こんにちはー。あの、ここって何があるんですか?」
何かあるのならばせっかくなので見ていきたい。そう思ってくらうは一番近くにいたおばさんに声をかけてみる。
「こんにちは。ここはね、空海が修行をした場所らしいわよ」
ぴくりと後ろ襟あたりに隠れたきょーこが反応したが、くらうはすかさずその付近の肩を叩いて威圧。
「お遍路中ですか?」
「いえ、自転車で四国一周してるんです」
なにやらその場所はパワースポットになっているらしく、おばさんと軽く雑談をしてから、観光客にまぎれてくらうも奥へ行ってみる。そこには左右1つずつ、2つの空洞というか、洞穴のような場所が。その穴の奥には何かが祀られているようだが、柵が張ってありあまり奥には行くことができない。
「ふーん、まあこんな場所か、って感じだな。どうだ、なんかパワーを得られたか?」
「今ならバハムートとか召喚できそうだ」
なんというか、まあその程度の場所だ。神社仏閣等にそれほど興味がないので、この場にもさして興味を抱くことなく去ろうとしたくらうに、先ほどのおばさんが声をかけてきた。
「ちょっと待って。ここで会ったのも何かの縁でしょ。よかったらこれ、食べて」
そういって渡される黄色い球体。何だろうと思ってみると、それはドラゴンb‥‥ではなくポンカンかなにか、柑橘系の果実だった。みかん以外は違いがよくわからないので詳細はわからなかったが、とりあえず7つ集めても願いはかないそうにない。
「ありがとうございます!」
くらうはぱっと表情を明るくして受け取り、おばさんに礼を言ってその場を立ち去った。
「なんかさ、こういうの良いよな。旅の醍醐味の1つな気がするよ」
「そうだなー、いい感じのおばちゃんでよかったな。あ、あそこにもさっきと同じ看板が立ってるよ。あれも室戸岬なんじゃないか?」
かなり上機嫌になったくらうは、きょーこの言う場所の前で自転車を停める。そこに立つ看板には【室戸岬 月見ヶ浜】と書かれていた。やはり、室戸岬はいくつかに分類されているようだ。
「写真の場所ってここ?」
「どうだったかな。正直、何個もあるなんて思ってなかったから、正確に覚えてないんだよな」
名前の通り、そこはちょっとした浜のような場所だった。先程と違いここなら確かに夕日を背景に写真が撮れそうだが、一致しているかどうかは正直自信がない。
「なんか、ぱっと見のイメージだと、丘か崖かそういう類の高い場所だったと思うんだけど」
「まあ、なんでもいいじゃん。別にここだけが目的じゃないんだろ」
「んー、まあそうだな」
そう言われると、確かにそんなことは些事である気がする。そしてきょーこは気を取り直してくらうに尋ねる。
「で、今日はどこで寝るんだ? もう夕方近いけど、また誰かの家に泊めさせてもらうのか?」
「いや、この辺に知り合いはいないよ。今日泊まる場所は‥‥そこだあ!」
ビシィ! と無駄に勢いよく示したのは、月見ヶ浜からほど近い場所にある――坂。
「‥‥は? この坂のどこで寝るんだよ」
「この坂の上にキャンプ場があるらしいんだ。そこで寝ようと思って」
「キャンプ場って、寝袋しか持ってきてねーじゃんか」
「まあそうだけど、場所が確保できるのと、施設だったらシャワーも含め水もあるだろ。ちょっとさっぱりできる」
「なるほど。まあそれはいいんだけどさあ‥‥」
きょーこはその坂を見上げて呟く。
「‥‥ほんとにこの坂上るのか?」
きょーこの表情が苦くなるのも無理はない。目の前にそびえるのは、鳴門海峡への坂もかくやという急勾配の坂だった。
「‥‥うんまあ、正直オレも実際に見てちょっとビビってる」
午前中は予想を超えるハイペースで走り続けたこともあり、疲労もかなり溜まっている。その状況でのこの坂は、かなり厳しいものがある。
「どうする? もうこの辺で適当な場所探して寝るか?」
「いや、せっかく調べてきたし、行く」
くらうは最初の数秒は自転車に乗ったまま進もうと思ったが、即座にこの傾斜では無理がありすぎると気づき、押して歩く。
「あーあ、自転車の尊厳がー。エミリア泣いてるぞー」
「エミリアの身を案じてのことだよ。不可抗力」
坂を上り、180度Uターンしている道をくるりと回り、変わらない勾配を上り続ける。再び180度のUターンをしてさらに上り続ける。3度ほどくるりくるりと回り、やたら長くやたら急な坂をようやく上り終えたと思うと、目の前に現れたのはお遍路さん用と思われる宿か何か。駐車場にはバスが停まっており、ちょうどこの日も団体のツアー客かお遍路さんがそこに泊まっていくようである。
この坂の上にキャンプ場があるとは調べてきたが、どれほど上らなければならないのかはわからない。見ると、宿屋の向こうにまだ坂が続いている。傾斜はやや緩くなっているようではあったが、まだ上り続けなければならないのかと思うと気が滅入る。
「なんか、向こうにも道があるっぽいよ」
坂を見上げていたくらうはきょーこの示す方向を見てみると、宿のような建物の奥、確かにそこにはさらに先へと進めそうな道があった。
とりあえず行ってみようということで進んだその先にはお寺があり、さらに先へと進むと見えてきたのは、小さな灯台だった。
「室戸岬灯台‥‥だってよ。なんかひねりのねー名前だな」
「一応名物らしいけど‥‥普通だな」
確かに中央の光を発する球のようなものは変わった形をしている。しかしそれ以外は何の変哲もない、ただのちっこい灯台にしか見えない。
「‥‥よしっ、上行くか」
細かいことを考えるのをやめ、くらうは坂の上を目指して自転車をこぎ始めた。
「‥‥どこにあるんだろう」
坂を上り始めることしばらく。
疲れているうえに上り坂。かなり長いこと進み続けているような気はするが、正確な時間はよくわからない。現在時刻はわかるが出発時刻は覚えてないし。
「ほんとにこんなとこにあんのかな」
道は整備されているものの、それを囲むのは大自然の木々岩々である。そんな疑いが生まれてしまうのも当然と言える。
「ここで諦めたら、旅行終了ですよ?」
「言われなくても頑張るよー」
きょーこに煽られながら、くらうはさらに坂を上り続ける。
「‥‥なあくらう、ホントに大丈夫か?」
「‥‥‥‥‥‥だいじょう、ぶ」
坂を上り始めて、さらにしばらく。
くらうは完全にへばっていた。
どこまで上っても目的地は見当たらず、終わりも見えない。状況はあまりに過酷だ。
頻繁に足を止めながらも、それでも少しずつ坂を上っていくと、ようやく山と坂以外のものがくらうの視界に飛び込んできた。それは坂の途中に建てられた1本の小さな看板。そこ書かれているのは、
【展望台まで2km】
「‥‥‥‥」
くらうはそれを見て呆然とする。
「展望台なんか‥‥! ‥‥‥‥目指してねえよ‥‥」
勢いよくツッコもうと思ったが、残念ながら体力が足りず結局は尻すぼみに。
「なあ、もう引き返してさっきの宿みたいなところ行ってみないか?」
きょーこの少なからずの心配を含んだ言葉に、くらうはしばし考える。
キャンプ場は未だ見つからないが、ここまでの道は1本道だったように見えた。もしかしたら見逃していただけかもしれないが、出発の時点で道を間違えていたのかもしれない。こんな展望台の看板が現れた以上、ここよりも上にあるとも思い難い。ならばやはり引き返してもう一度道を探すか、きょーこの言うとおり先程の宿でいくらで泊まれるのか尋ねてみるのが、最も無難な選択肢かもしれない。
が、しかし。
「行く」
「はあ!? 展望台なんか行ってどうすんだよ!」
「せっかくここまで来たし、行く」
「なあ、くらう疲れてんだろ。くだらねー意地張ってないでさ‥‥」
「行く」
「‥‥もう好きにしろよ。でもホント、無茶はすんなよ」
「行く」
ここで引き返してしまえば、ここまで必死に上ってきたことが無意味になってしまう。
――とかそんなことよりも、とりあえずなんか悔しいから、という小学生並の意地を発揮し、展望台目指してさらに自転車をこぎ始めた。
不意に感じる、耳たぶに触れる柔らかく濡れた感触。見るとモアイヌが気遣わしげに、くらうの耳を舐めていた。こんな見てくれのくせに、行動は犬っぽい。
「‥‥ありがとな」
自分の顔は見えないのでよくわからないが、どうやらよほど疲れた顔をしているらしい。モアイヌが気を遣うほどなのだから、よっぽどだ。
とりあえずくらうは軽く頭を撫でてやってから、残り2kmだという道をさらに上り始める。終点が全くわからない状況よりは、幾分かマシになったような気がしないでもない。
体力はほぼ使い果たした。残っているのは、どーでもいい意地だけである。
「‥‥着いた」
辿り着いたのはやや広めの駐車場。曜日のせいか時間帯のせいか、車はほとんど停まっていない。駐車場の奥には小さな階段が設けられており、そこから展望台へと上がることができるようだ。
くらうは極度の疲労で半ばふらふらしながら適当な場所に自転車を停め、階段を上がる。そして――
「‥‥うわあ」
目の前に広がる景色に、思わず感嘆の呟きを漏らした。
かなり標高が高い位置まできているらしく、その展望台からは眼下に広がる景色が一望できる。目の前に広がるのは太平洋。多くの島が点在する瀬戸内海とは違い、水平線のかなたを見渡せるほどにその眺めは果てなく広大だ。時はすでに夕刻。空は茜色に染まり、それを受けて太平洋も淡くオレンジ色に光り輝いているようである。昨日の雨の名残か、空にはやや雲が広がっているが、しかしその影響で景色に陰影ができ、赤と藍のコントラストがより一層その景色の美しさを引き立てているようだ。おそらく日が沈む直前の、今だからこそのこの絶景なのだろう。もう少しここに来る時間が前後していれば、この景色は見られなかったはずだ。
くらうはしばし疲れも忘れ、その景色に見入っていた。
「‥‥ふう」
しかし疲労が尋常でないこともまた事実。すぐに我に返ると、備え付けられているベンチに腰を下ろし、ようやく一息ついた。
「こんにちは。旅行、されてるんですか?」
不意に声をかけられそちらに目を向けると、そこにいたのは同じく展望台で景色を見ていた老夫婦だった。
「ええ、そうです。自転車で四国一周しようと思ってるんです」
「自転車で! すごいですねえ」
その相棒のエミリアは今は展望台の下である。その自転車を見たらもっと驚いてくれるだろうか。まあ、わざわざ見せびらかして自慢するつもりもないけれど。疲れてるし。
「好きなんですよ。頑張ってこの坂を上ってきましたけど、ここまで来てよかったです」
「ですねえ。今が多分、一番きれいな時間帯ですよね」
そう言って、くらうと老夫婦は再び景色に見入る。
「では、私たちはお先に失礼しますね。頑張ってください」
「ありがとうございます」
そう言って老夫婦は展望台を降り、くらうは1人その場でもう一度息をついた。
「で、これからどうすんだ?」
「そうなんだよなあ‥‥」
1人きりになった途端きょーこが現実を突きつけてきやがり、くらうは再び暗澹とする。
確かにこの景色は疲れ切っているという補正を抜きにしても絶景だと思うし、おかげで幾分か気も和らいだ。が、かといって寝場所がないという現状は何も変わらない。
「ちょっとゆっくりしてから、とりあえず下りよう。途中でキャンプ場が見つかるかもしれないし、戻ったら別の道があるかもしれないし」
くらうはもうしばらくその場で体を休め、とはいえあまりゆっくりしすぎると日が沈んでしまうのでそこそこで展望台を降りる。
「っしゃあー! じゃあ下りるかー!」
「行け行けー!」
そしてきょーこと共にテンション高め。ここま上りり続けてきたのだから、ここからは下り続けである。下り坂といえばつまり、パラダイス!
「ひゃっほー!」「ひゃっはー!」
きょーこと奇声を発しながら足を動かすことなく坂を下っていくくらう。下り坂がここまで楽で気持ちいいものだとは思わなかった。
つい先ほどまではくらうに絶望しか与えなかったはずの道がぐんぐん後ろに流れてゆく。
と、その景色の中にくらうは先程は気づかなかったものを発見した。坂で急ブレーキをかけると死んでしまうので(ノンフィクション)、ゆっくりとブレーキをかけてその前で停車。
「おいおいくらう、何で止まってんだよ!」
文句を垂れるきょーこは無視してくらうは今しがた発見したもの、看板を見て、その矢印が指す先を見た。
【夕陽ヶ丘キャンプ場】と書かれた看板の矢印の先には、先ほどは見えなかった横道があるではないか!
「ん、もしかして探してたキャンプ場ってここか!」
きょーこも看板と道の存在に気づいたらしく、頭の上で弾んだ声をあげる。
「うん、そうみたいだ。上ってるときは全然気づかなかったな」
「まあ疲れてたし必死だったしな」
「それにしても‥‥」
道の先は、今いる場所よりもさらに鬱蒼とした山の中へと続いているようだ。本当にこの先にキャンプ場があるのか心配になる。
とはいえここまで来ているし、もともとここで寝る予定だったのだから行くべきなのだろうと思い、意を決してその道を進み始める。
左右だけでなく頭上の多くの部分も木々に覆われ始めた道に入ってゆき、そのまま進むとやがて柵のようなものに看板が取り付けられているのが目についた。そこには確かにキャンプ場が存在していることが示されている。
が、なんだか古ぼけた看板は草に浸食され始めているし、日が沈みかけている今の時間ではただでさえ薄暗い山の中に届く光は少なく、不気味さすら感じてしまう。日中かつ、もう少しひとけのある時に来ていればもっと普通に見えていたのかもしれないが、暗くシンとしたこの状況では、正直恐怖しか感じない。
山中のキャンプ場なのだから、どうしても自然に浸食されやすくはなるのだろう。もう少し進めば整備された道が見え、きれいな芝生が生え小屋なんかが見え始める場所にたどり着くという可能性は十分にある。そしてくらうがためらう理由がもう1つ。
「‥‥場所借りるだけで、1000円もいるのか」
「はあっ!? この状況でそんなことで渋ってんのかよ!」
「いやだって寝袋は自賛だし、シャワー浴びて寝るだけのつもりなのにそんなにいるのか‥‥。それだったら別に公園とかで寝ればいい気がするんだけど」
「いや、こんくらいは必要経費ってヤツなんじゃないの‥‥?」
きょーこがやや呆れた口調でそう言うが、くらうは苦い表情を崩せない。
まあ、普通に考えればその程度の金が必要なのは当然なのだろうが、色々と甘く見まくっていたくらうにとっては、寝るだけで1000円など痛すぎる出費だ。しかしここに行かなければ寝場所がないというのも事実で、とはいっても金額はさておきなんだか不気味であることもまた、事実。
「‥‥‥‥他のところ探そうか」
「おいおい、別に好きにすればいいと思うけど、でもそれでどーすんのさ。もう1000円くらい出しちゃえばいいじゃん」
「うーん、確かにそれもあるんだけど、でもやっぱ、ここはちょっと怖い。今もかなり腰が引けてる」
「‥‥情けないことはっきり言うなよ」
再び呆れたため息をつくきょーこだったが、特に反対する気もないらしく、モアイヌはもともと意見など持っていないようなのでくらうはそのまま坂を下ることに。
上るのにかかった何分の一かの時間で坂の下の駐車場に戻り、くらうはしばらく迷ってから、そこにある宿のような建物を見た。
あとはもう、頼れそうな場所といえばここしかない。しかし正直なところ、ここにはあまり頼りたくはなかった。
最初に見た時から、だからこそ立ち寄らなかったわけだが、くらうがここを避けようとしていた理由はキャンプ場をためらった理由の1つでもあった、値段のことだ。
貧乏性、ときょーこにまたバカにされてしまいそうだが、しかしこんなちゃんとした民宿のような場所なのだ。宿には【宿坊】と書かれており、その字面からも、お遍路さん用の宿と見て間違いはなさそうだ。となれば、当然1000円や2000円程度ではとてもじゃないが泊まれないだろう。
とりあえず駐車場の隅に自転車を停め、少し考える。
「どーすんだよくらう。考えたって仕方ないよ。早くしないとホントに真っ暗になっちゃうよ」
確かにきょーこの言う通りだ。完全に日が沈んでしまえば動きづらくなり、ここ以外に泊まれる場所を見つけるにせよ、探しづらくもなる。
「だな。聞くだけ聞いてみよう」
上限は2000円くらいだろうか。まあ、ありえないのだけれど。
ダメだったら、近くに寝られそうな場所がないかどうかだけでも聞いてみよう、程度の気持ちでとりあえず宿へと入館した。
宿内は入って左手に受付、その奥は食堂になっており、長机が数列並べられていて、かなりの大人数でも食事ができるようだ。右手には机とソファが置いてあり、正面のスペースにはお土産が置いてある。さらにその奥は客間か別館にでも行けるらしき通路が続いている。
なかなか立派な建物だ。駐車場にバスが停まっていたが、どうやら1組か2組かほどのお遍路さんの集団が宿泊するらしく、幾人かが宿内でくつろいだり見回ったりと各々自由に行動をとっている。
「あの、すいません、ここって1泊いくらで泊まらせていただけますか?」
かなり唐突ではあったが、くらうはとりあえず受付へと進むと、最も大事なことを受付にいたおばちゃんに尋ねる。
少し不思議そうなおばちゃんの視線の向こう、受付の後ろの壁には【1泊5000円から】と書かれた紙が張ってあった。
はい、終了。
と思っていたくらうだったが、おばちゃんはくらうのどう見ても旅行をしているであろう装いを見て何か思ったのだろう、質問には答えず逆に質問をされる。
「お遍路されてる方ですか?」
「‥‥いえ、自転車で四国一周をしていて、その途中なんですが泊まる場所が見当たらず、ちょっと訪ねさせてもらったんです」
何と答えるか少しだけ迷ったが、中途半端に嘘をついたところですぐばれるし、大した意味もないだろうと思い正直に答えると、受付のおばちゃんは何かを考えているようだった。
なんにせよ、5000円以上もかかってしまうのだったらどうしようもない。ありえない話だが、同情して半額にしてくれたところで2500円。今後を考えるとそれでも少々厳しいものがある。なんと懐のさみしいことよ。
べ、別に、貧乏性なんかじゃないんだからねっ!
諦めて近くで寝られそうな場所を尋ねようとしたくらうに、しかしおばちゃんは何かを悩んだ末、聞き慣れない単語を投げかけた。
「‥‥じゃあ、お接待してあげます」
「‥‥オセッタイ?」
首を傾げるくらうだったが、ちょうどそこへお遍路さんであるらしい2人組がやってきて、なにやら長い紙をおばちゃんに差し出した。どうやらお遍路をしながら各場所で書いてもらうお経かなにかのようで、おばちゃんはその人たちがいると詳しく説明しづらそうだった。
ちょっと待ってて、と言われ、なにがなにやらわからないまま、くらうは後ろのソファに腰を降ろしておばちゃんの用事が終わるのを待つ。
ようやく何かを書き終わり受付を離れていく2人組と入れ替わりに、くらうは再び受付のおばちゃんのもとへ。おばちゃんは少し困ったような言いづらそうな感じだったが、くらうが全く何もわかっていないらしいと見てとったのだろう。本当に簡潔にわかりやすく、オセッタイについての説明をしてくれた。
「要するに、タダで泊まらせてあげるってことです」
‥‥‥‥
一瞬、くらうの思考が止まった。
「‥‥え、ええっ、いいんですか!?」
「はい、どうぞ。部屋のカギがこれ。部屋は‥階にあるから、奥の階段で上がってください。少ししたらお布団敷きに行きますから」
そう言われてカギを渡され、くらうは言われたとおり階段を上ってカギに書かれた番号の部屋へ。戸を開けると小ぢんまりとした玄関があり、右手にはトイレだろう、扉が見える。電気をつけて部屋に入ると、そこは畳が敷かれた8畳から10畳ほどはありそうな広々とした和室だった。左手には押し入れと床の間。正面には長い机が設置され、大きな障子窓がある。
よいしょ、と荷物を置いて部屋の真ん中にちょこんと座ると、今まで大人しかったきょーこが正面に下り立ち、2人はしばし無言で顔を見合わせる。そして、
「いやいやいやいや、何この好待遇! ホントに大丈夫なのかな!?」
「すっげえじゃんくらう! タダでこんな良いトコで寝られるなんて、あたしたちそーとーラッキーだよ!」
不安と歓喜、異なる感情を全力でぶつけあった。
などといいつつ、くらうもかなり顔がにやけてしまっているのだけれど。
「いや、でもホントにびっくりしたな。お接待ってのがどういうことなのかはよくわからんが、それでもめちゃくちゃありがたいことには変わりないぞ」
これは旅から帰った後に聞いた話だが、四国ではお遍路さんに対して『お接待』と呼ばれる行為が様々な場所で行われているらしい。このような宿の提供であったり、食事をふるまってくれたり等々。だが基本的にはそれはお遍路をしている人にのみ与えられるものであり、今回のようにただの旅行者であるくらうに振舞われるのはかなりイレギュラーだと思われる。
今回くらうがお接待を受けられたのはおそらく、もう夜も更けかけていることと、お遍路でなくとも長期の旅行をしているらしいこと。そしてなにより、自分ではわからなかったがおそらくひどく疲れた顔をしており、半ばかじりつくように値段のことを尋ねてきた若者ということから、困っているらしいくらうに手を差し伸べてくれたということではないだろうか。
しばらくきょーことわいわいと盛り上がっていたが、やがて部屋の扉がノックされ、やってきたのは受付にいたのとはまた別のおばちゃん。先程言っていた通り、布団を敷きに来てくれたらしい。
「すいません、ありがとうございます」
布団に対しても、泊めてもらえたことに対しても、くらうは深くお礼を述べる。
「お接待してもらったんだってねえ。お遍路してるの?」
「いえ、お遍路ではないんですけど、自転車で四国を一周してるんです」
「ああ、そうなの。じゃあ今日はゆっくりしていってね。このあとご飯があるから、少ししたら下の食堂まで降りて来て」
「ご飯までいただけるんですか!?」
「ええ。あと1階の奥に行ったところにお風呂があるから、好きな時に入ってね」
そう言っておばちゃんは布団を整え、部屋を後にした。
「‥‥すげえな。お接待」
「‥‥うん。これが破格の待遇ってやつか」
しばらくきょーことともに呆然としてから、荷物を整え汗だくの服を着替え、1階の食堂へ。
見ると団体のお遍路客とは少し離れた場所にぽつんと1人分の食事が用意されていた。席に着いて見ると、ご飯は非常に簡素なものではあるが、今のくらうにはこれ以上ないほどの恵みである。
離れた場所で1人食事をとっている異質な人物はやはり浮いているのだろう。団体のお遍路客からちらちらと視線を浴びるのを感じながら、くらうはさっと晩ご飯を済ませた。
食べ終わるとすぐに部屋には戻らず、調理場なのだろうのれんの向こうへ顔を出すと、宿のおばちゃん達が机を囲んで同じように食事をとっていた。
「すいません、ごちそうさまです。食器は机に置いたままで構いませんか?」
突然のくらうの登場にちょっと驚いた表情をしたおばちゃんたちだったが、すぐに笑顔になって構わないよ、と柔らかく返してくれた。
「本当に今日はありがとうございます。ごちそうさまでした」
もう一度お礼を述べてから、くらうはその場を後にして部屋へ戻った。
そしてくらうがいそいそと向かったのはお風呂。別館、というほどでもないが、いったん外に出て数歩歩くとお風呂場に辿り着いた。今は誰も入っていないらしくシンとしている。
お風呂はそこそこの旅館の、大浴場程度の広さだった。シャワーは10個ほど設置されており、湯船は1つ、20人程度なら優に入れるのではないだろうか、というくらい。
しっかりと体を流してから、くらうはざばりと湯船に身を沈めた。
「あ~、生き返るー‥‥」
おっさん臭いセリフを吐きながら、くらうは全身の力を抜く。シャワーはモゲの家でも浴びさせてもらったので数日ぶりの風呂というわけでもないが、現在の住まいもシャワーのため、こうして湯船につかるのは本当に久しぶりだ。実家の風呂とかでもなく、ゆったりと温泉につかるのなんて、どれくらいぶりかわからない。しかも今は疲れ切った状態だ。これ以上気持ちのいい風呂なんて他にないだろう。
「いやあ、いい湯だな」
と、気の抜けた声をあげているのはくらうの横で同じく身を浸しているきょーこである。女性っぽい姿をしているのに男湯に入っていていいのだろうかという気もするが、まあ性別うんぬん以前に人ですらないので構わないだろう。方位磁石は一応外しているが、服は着たままである。多分服と体は一体なので、服が濡れるとかそういう概念がそもそもないのだと思う。いい加減細かいことにいちいちツッコむのも面倒になってきたし、そういうものなんだろうと気にせず流しておくことにする。ついでに湯船の底に沈んでいるモアイヌはもう見なかったことにする。
1時間近くは浸かっていたのではないだろうか。体の汚れをたまった疲れごとしっかりと洗い流し、再び部屋へと戻る。早く寝たい気持ちはあるが、とりあえず今日の出来事をノートにメモしなければならない。
「マメなやつだなあ」
呆れと感心が半々くらいに呟くきょーこは、道中でもらった柑橘類を勝手に剥いて食っていた。せっかくなのでくらうもそれをつまみながらメモ。
「まあ、何もなしよりこういうのがあれば後から詳しく思い出しやすいしな。実際、2年ほど後にこうして役に立つことになるわけだし」
しれっとメタ発言。当時はこんなもの書こうとはまだ思っていなかったけど。
メモを終えると次は地図を開いて明日の経路確認。今日は確かにオーバーペースだったが、おかげでかなり距離は進めている。少しペースを落としたとしても、明日は高知市街辺りまではいけそうだ。今朝70kmのおっちゃんが行きたがっていたあたりである。
「そういや結局あの2人会わなかったな。今日はどの辺で休んでんだろ」
「さあ。男の子はともかく、おっさんはまだ走ってんじゃないの? 70kmで」
「てことはもう高知市にいるのかなあ‥‥」
あながちありえない話でもないのが恐ろしい。
続いてスマートフォンで高知市周辺の地図検索。部屋にはコンセントもついていたので、ありがたく充電させてもらっている。
「んー、ネットカフェはないなー。あ、でもちょっと離れた場所に何個か公園があるな」
実際に行ってうろうろしてみれば店もあったのかもしれないが、軽く検索してみただけではヒットせず。その代わりいくつかの公園を発見した。明日にはついに寝袋が役立ちそうだ。距離もここから約100kmほど。おそらくちょうど良い時間にその辺りに着くことになるのではないだろうか。ちなみに今日の走行距離はおよそ130km。どう考えてもオーバーペースだ。
一通り準備も終わり、そろそろ寝ようかという時になりふと気づく。
「そういえばさ、風呂場の洗面所で服洗えないかな」
今着ているのは全て吸汗速乾素材の服である。洗濯機のように脱水はできなくとも、1日干しておけば十分に乾いてくれるように思える。
自らの服をくんかくんかしてみると、汗臭くはあるが常軌を逸しているわけではない。しかしこのまま数日経てば徐々に発酵してゆくことは間違いない。そうならないための対策は少しでも早くとっておくに越したことはないだろう。
「んー、まあできるんじゃないの?」
かなりどうでもよさそうなきょーこを置いて、くらうはシャツとハーフパンツ、靴下とタオルを持って1階の風呂場へ向かう。洗面所を借りてざぶざぶと服を洗い、できる限り水を絞って持って上がろうとするが、
「‥‥びっちょびちょだな」
全然水が絞れない。いくら速乾性が高いとはいえ、本当に大丈夫なのだろうかと今更になって不安になってきた。洗濯機って偉大なんだなあ。
とりあえず滴らない程度にまでは水を切って部屋へ帰る。押入れにはハンガーも入っていたのでシャツとハーフパンツをそれにかけ、窓枠に引っかける。靴下とタオルは部屋の隅に置いてあった小さな物干しにかけておく。
これで大丈夫かな、と思いながら部屋の中を見ていると、ふと机の下にドライヤーが置かれているという世紀の大発見をした。これがRPGなら盛大なファンファーレが鳴っている。
服はともかく、靴下くいならドライヤーで今すぐ乾かすこともできそうだ。さっそくドライヤーの送風口を靴下に突っ込み、スイッチオン。ヴおおおー、とひどくこもった音と臭いをまき散らしながらドライヤーが温風を発する。
「うーん、激臭とまではいかないけど、やっぱ水だけだと、そこまではきれいにできないなー」
適当な手洗いなのも問題なのかもしれないけど。
「まあどうせまた臭くなるんだし、応急処置としてはいいんじゃないの?」
「処置できてんのかな‥‥」
やっぱり水で手洗いというのは無理があるみたいだ。もともと途中で洗うつもりはなかったので、1着を2、3日着る予定で、服とズボンは4,5着ずつ持ってきている。失敗したところで大打撃ではないが、今後旅行する機会があったらこの方法は望ましくないと思っておこう。
そのまま数分間臭いと戯れてどうにか靴下だけは乾かし、一応もう少しだけ干しておく。
ふと気づくと、しっかり絞ったはずの服から水が滴っていた。やべえ、と思いつつトイレでもう一回絞って再度ハンガー。やっぱり厳しいなこの方法。
そんなことをしている間に夜もすっかり更けてしまった。早く寝なければ明日早く起きられない。
「明日の朝ごはんも頂けるみたいだし、ホントにここを訪ねてよかったよ」
「あたしの日ごろの行いが良いからだろうな。良かったな、あたしを連れて来て」
「うん、そうだな」
「ちゃんとツッコめよ!」
ツッコミ待ちだったらしい。そこにツッコミたいが、もう疲れたので早く寝たい。くらうはそのままきょーこを放置してもぞもぞと布団にもぐりこんだ。
ったく、とやや憤慨気味にきょーこも机の上で横になる。モアイヌはずいぶん前から床の間のつぼの横でぴくりともしていない。もう寝てしまっているのかもしれない。まあ、普段から起きているのか寝ているのかよくわからないが。
「じゃあ、お休み。明日も頑張ろうな」
「んがー」
返ってきたのはいびきだった。寝るの早えな。
そうして思いもよらぬ幸運と厚意をかみしめながら、くらうは静かに眠りについたのだった。
5、 3月11日(4日目)・雨ニモ負ケズ風ニモ負‥‥ケズ、ソシテ寒サニ負ケマシタ
その日の朝は、爽快な音楽とともに目を覚ました。
イヤアア! ヴォオオオ! と清々しい朝にふさわしい、活気のある歌声がケータイのスピーカーから流れだしている。
「‥‥ってなんで朝からデスメタルなんだよ!」
爽やかな様子のくらうとは対照的に、きょーこが噛みつくように机の上から抗議の声をあげた。
「いや、目、覚めるじゃん」
「覚めた! 確かに覚めたよ! でもどー考えても朝の音楽じゃねえだろ!」
そう言われても、くらうは頻繁にデスメタルを朝の目覚ましにしているので文句を言われても困る。
ったくもー、と文句を言いつつ机の上でストレッチをするきょーこを横目に、くらうはトイレの洗面所でざぶざぶと顔を洗った。
心配だった服だが、触ってみるとまだ少し湿ってはいるものの、どうにか着られそうなまでには乾いている。この程度なら着ているうちにすぐ乾くだろう。
簡単に荷物を整え、1階の食堂へ。そこではすでに団体客がわいわいと集まっており、昨日と同じように少し離れた場所に1人分の食事を用意してくれていた。
「ぽつんとしててなんかさみしいな」
「まあそうだけど、あの団体に放り込まれるのはさすがにツライだろ」
「確かにな」
席について、いただきます、と食事を始めようとするが、くらうは机に並べられる食事を見て、動きを止めた。
「‥‥‥‥」
用意された朝食はご飯、味噌汁、生卵。大根おろしと数種類の漬け物と味付けのり。
そして――しょう油が見当たらない。
「ご飯1対おかず5くらいだな」
きょーこが言うとおり、おかずの配分が異様に高い。ご飯はお代わり自由なのかもしれないし、多分しょうゆは忘れているだけなのだろう。だがさすがにご飯をお代わりするのはずうずうしすぎる気がする。きょろきょろと横の空いた机の上を見てもしょう油が見当たらないあたり、もしかするとお遍路さんのご飯は味付けなしのシンプルなものである可能性が微レ存。
いや、さすがにしょう油無しはないと思うけど‥‥。
しかし泊めさせてもらっているくらうとしてはあれがないこれがないと言いに行くのもなんとなく申し訳なく、なによりご飯を出してもらっているだけでも十分すぎる恩恵なのだ。
とりあえず漬け物でご飯を食べ、プレーン大根おろしを味噌汁でかき込み、生卵は溶いてそのまますする。そして味付けのりは単品でもしゃもしゃと食べた。
「ごちそうさま」
「‥‥すげえな。無理するところ間違ってる気はするけど」
「いいんだよ。少しでも煩わせたくないし。それに栄養的にはすごく体に良さそうだ。むしろしょう油なんていらない。あんなものは邪道だ」
「そ、そうか‥‥」
ご飯を終え、今日ものれんの奥にごちそうさまでしたと言いに行くと、振り向いたおばちゃんたちは笑顔でほほ笑んでくれた。
「そーいや坊さんの説法ってのは聞きに行くのか?」
きょーこの言葉でそういえば昨日、おばちゃんの1人が教えてくれたことを思い出す。
なんでも朝から坊さんが説法を説いてくれるらしく、団体のお遍路さんたちはみんなそれに参加するそうだ。遍路はしていなくても、よかったらそれに参加してみてはどうかとくらうも勧められていたのだった。
「そうだな、せっかくだしちょっと顔覗かせてみるのもいいかもしれないかも」
別に説法に興味があるわけではない。むしろ法事なんかは面倒だと思ってしまうタチだし、好きか嫌いかと言われたら嫌いだと答える。しかしまあ、せっかくのこんな機会だし、勧めてくれたし、という程度の軽いノリで参加してみることに。
どこの部屋だったかな、と探し回る必要もなく、その部屋から漏れ聞こえるお経の声で場所はすぐにわかった。すでに始まっているようだ。
こっそりと部屋の中を窺うと、広々とは言い難い部屋の奥にはこちらに背を向け経を唱えている坊さんの姿。その後ろにずらりと3列ほどに並び、一緒に経を読んでいるのかどうかはわからないが、一生懸命(正面に回れば2、3人くらいは寝ている人もいそうだが、後ろから見る限りは一生懸命)経に耳を傾けているお遍路さんたち。くらうはそれを後ろからしばらく眺め――引き返した。
「あれ、出ないのか?」
「いやいや、あれは飛び入りできる雰囲気じゃないだろ」
ご飯を食べているだけでもくらうは浮いているのだ。あんなとこにぶっ込んでいけば、浮きすぎてもう1回山頂まで登れる。
勧めてくれたおばちゃんには悪いがくらうは足早にそこから離れ、部屋へと戻る。わずかな湿り気でひんやりとした服に着替え、荷物をまとめれば、あとはこれ以上のんびりしている理由もない。これがただの観光旅行なら朝風呂にでも浸かりに行くところだが、さすがに我慢。くらうはバッグを背負ってフロントへと向かった。
「それでは、もう出発させていただきます。本当にありがとうございました」
カギを返し、受付のおばちゃんに深くお礼を述べると、気をつけてね、とおばちゃんは柔らかくくらうを送り出してくれた。
時刻は8時。日が昇ってまだ間もない、少しひんやりとした空気のなか、壁のような坂の上から眼下を見下ろし、くらうは驚きの声をあげる。
「うおお、ここってこんな標高高かったのか」
確かにかなりの傾斜だとは思っていたが、上った距離と高さがおかしい。もうちょっと距離を伸ばして傾斜を緩めてくれてもいい気がする。
「が、しかし!」
「ここからは下り坂だもんな!」
そして、朝一からきょーこと2人でハイテンション。しかしこれは不可抗力。いち自転車乗りとして、下り坂を前にして平常心でなどいられるはずもない。
勢いよく坂を下り、爽快感に浸りながらくらうは一路高知市に向けて自転車を走らせるのだった。
宿を出て2時間ほどは走っただろうか、くらうは本日最初の道の駅で小休憩をとっていた。
お土産屋さんの試食をぱくつき(酒粕の味がするお菓子が何気にすごく美味しかった。荷物を増やせないので買うつもりなんてないけど)、ベンチに座って一息入れる。。
「なんか、街ん中入ってからサカモトってやつをよく見かけるんだけど」
「は? ああ、リョーマな。高知生まれの歴史上の人物だよ。そんくらい知ってろよ」
「食えねえ人は、ただの人だ(渋い声で)」
「‥‥じゃあ食える人はなんだよ」
昨日は山道や海沿いを走っていたせいでほとんど見かけなかったが、少し街の中に入ってから竜馬の名前をしばしば見かけるようになってきた。さすが高知といったところだろうか。
「でもオレとしては、竜馬よりも馬路村が気になるな」
「なんだそれ」
「高知にある、ゆずが有名なところなんだ。『ごっくん馬路村』っていうゆずジュースがあってな、ちっさい頃何度か飲んだことがあったんだけど、それがおいしくてさ。せっかく高知まで来たから本場でゆずジュースを飲んでみたい、って今不意に思った」
そういえばそんなものもあったと、店でゆずのジュースを見つけて思い出したのだった。
おおよその位置を把握するために地図を広げ――
「‥‥めっちゃ内陸だった」
挫けた。
地図を見る限り、位置としてはここからちょうど北に位置しており、気づいた場所としては悪くないのだろうが、北上ということはおそらくもう一度山登りをしなければならず、大雑把な距離だけで見ても少なくとも片道2時間はかかりそうだ。別に急ぐ旅ではないとはいえ、ちょっとした寄り道というにはさすがに遠すぎるだろう。
「しゃーないか。でもごっくん馬路村は探そう」
「そんなに美味いんならあたしにも分けてくれよ」
「ああ、いいよ」
ちょっとした目的が生まれ、再び自転車を走らせること約1時間。次なる道の駅を発見し、馬路村を求めて停車。
「うーん、ここにもないなあ」
店の中をぐるりと回ってみるも目当てのものは見つからず。仕方ないので外のベンチで一休憩。やはりこのくらいのペースがちょうどいいような気がする。
「あ、ドゥトゥールのココアがある。飲んでみよう」
目の前に設置された自販機でココアを発見し、くらうは衝動的にココアを購入。
「なんでいきなりココアなんだよ。ゆず関係ねえし」
「いや、好きなんだよココア。高校の頃は自販機で見たことないココアを発見するたび飲んで試してたな。一番美味かったのは○Tのアイスのクリーミーココアで、変わり種で感心したのは伊○園の黒ゴマココア。あとコ○コーラのはちょっと小さいけど、どれも味が安定しててハズレがない。安定して美味しくないメーカーもあるけど、まあそれは伏せておくよ」
「‥‥ホント好きなんだな」
淀みなく様々な種類を挙げていくくらうに、きょーこはさすがに感心した呟きを漏らした。
「でも最近はココアよりも、チノちゃんが好きだな!」
「待て! その最近は執筆時の最近だぞ! あたしたちの時間軸じゃまだ放映されてねえ!」
「はっ、しまった! チノちゃんへの愛があふれて心がぴょんぴょんしてしまった!」
「ったく、メメタァな発言もほどほどにしておけよ」
これがいわゆるツッコミ不在の恐怖である。
ぴょんぴょんした心を落ち着けるため、くらうはゆっくりとココア(飲料)の飲み口に口づけをする。
「で、このココアはどうなんだよ。そのへんと比べて美味いのか?」
そういうきょーこの手には、いつの間にかココアの缶が握られていた。
「普通。可もなく不可もなく」
「勢い込んで買ったわりには冷めた感想だな」
ココアを飲み終えると、くらうはすっくと立ち上がる。
「よし、じゃあ行くかー!」
「なんか今日は調子いいな」
「ああ、今ならどこまででも行ける気分だ! もう何も怖くない! さあ出発だ!」
「‥‥風、強すぎないか?」
そしてくらうは即行でフラグを回収した。
先ほどまではそれほど感じなかったが、どんどん風が強くなっている。そして風は当然向かい風。平坦な道もちょっとした坂くらいのつもりでいないとなかなか進まない。
さっきまでの勢いはどこへいってしまったのか、くらうは疲れ気味の表情でゆるゆると自転車を走らせていた。
「ったく、調子に乗ってるからだぞ」
「そうか、調子に乗ると風が強くなるのか。覚えておこう‥‥」
一気に消沈したくらうがキコキコとペダルを回していると、前方の道の途中になにやらのぼりが立っている。どうやらそこには小さな店が建っており、見るとそののぼりには【焼きなすアイス】と書かれている。
「‥‥なんだこのトリッキーなアイスは。すげえ気になる」
「よし、食っていこう」
食べ物のことになるときょーこはノリノリだ。
しかしくらうとしても食べていくことに異存はない。疲れてもいるし、こんな気になるもの無視して通り過ぎることはできない。
市街地から大きく離れたこの場所に、その店はぽつんと建てられていた。建物はそう大きくはなく、入ってすぐカウンターがあり、アイスケースの中に十数種類のアイスが色とりどり並べられている。店内にそれ以外には何もなく、おそらく個人経営なのだろうといった風の小ぢんまりとしたお店だった。
ここに来て知ったことだが、どうやら焼きなすも高知の名産であるらしい。アイスは2個で1セットらしく、好きな味を選べるということで1つは当然焼きなす味。そしてもう1つはゆず味を選択した。ザ・ご当地アイスといった雰囲気だ。
カップに入れられたアイスを見て、くらうは少し考える。
「‥‥買っておいてなんだけどさ、コレ、かなりハズレな予感がするんだよな」
「そうか?」
そう言うきょーこの手にもコーンに入った焼きなすアイスがしっかりと握られている。
「だって、なす味のアイスだろ? さすがにどうなんだろうって気がしないか?」
「どうだろうな、食ってみなきゃわかんねーだろ」
「いや、美味いはずがないって。なすとアイスとか完全にミスマッチだろ。絶対美味しくない。こんなアイスが美味しいわけ――」
パクリと一口。
「――美味い」
と、せっかくなのでお約束をやってみたわけだが、実際この焼きなすアイスなるものはすごく美味しかった。確かになすの味がする。しかしほんのりとした甘味がなすと上手くマッチしており、今までに味わったことのない類の味を演出している。
「ホントだ。こりゃ美味いな」
がつがつときょーこも上機嫌でアイスを頬張り、ぺろりと平らげると2つ目のアイスをくらうのアイスから精製する。
「あっこら、あんまり食うんじゃねえ!」
「へへ、食ったもん勝ちだろ」
きょーこに食われる前にアイスを平らげ、そして次にゆずアイスに手をつける。これは食べる前からわかる。美味しい。
「うん、ゆずはやっぱり美味しいな」
「ああ、確かに美味いな」
ぱくりとアイスを一口頬張り、きょーことうんうんと頷いて確認し合う。
そして一拍。
「‥‥でもまあ、組み合わせは間違ったな」
「‥‥そうだな」
ゆずアイスは確かに美味しいのだが、いかんせん先程食べた焼きなすアイスと、絶妙なミスマッチを引き起こしていた。先程の焼きなすが意外と甘かったため、ゆずの甘味がほとんど感じられなくなってしまい、美味しいのは確かに美味しいのだが、なんともいえない残念な味の移行がある。特にアイスが重なって味が混ざっている部分は形容しがたいものがあった。
「無難にバニラとかにしておけばよかったかな」
「もういっそ焼きなす2つでもよかったんじゃねえか?」
「さすがにそれは面白くないだろ」
美味しいものを食べたのにちょっと残念な気分になるという希少な体験をしつつ、くらうはさらに自転車を進める。
相変わらず風は強く、普段の1.5倍のペースで体力ゲージが減っている。特にそんな状態で傾斜のキツイ坂などに差し掛かってしまうとたまったものではない。
「なあなあ、なんかさっきからサーフィンしてる人多くねえか?」
「はあ? なんだよ急に。まあ、確かに目につくな」
橋のようにもこりと膨れた道を必死に上りきり、少し落ち着いていたところで急にきょーこが道沿いの海を見ながら呟いた。
今は3月。日中は確かに暖かくなってきているが、海水浴にはまだまだ早すぎる時期だ。にもかかわらず、先ほどから海岸でサーファーを何組も見かけていた。
「寒くねえのかな」
「さあ、サーフィンはしたことないからよくわからんが、もしかしたらこのくらいの時期がいいのかもな」
「でもサーフィンっつったら、夏の海岸で真っ黒に日焼けしたニーチャンがガンガン日差し浴びながらビッグウェーブを乗りこなしてる感じしねえか?」
「あー‥‥確かにそんなイメージはあるな」
などと言っている間に道は少し海を離れて内陸寄りに。海が見えなくなったのでサーファーの姿も一旦見えなくなる。
「この先の海にもいんのかなー‥‥うおっ!? ちょ、くらう! なんか、アレ、見てみろよ!」
と、ぽけっと海側を眺めていたきょーこが、何かを見つけ急に騒ぎ始めた。
「何だよアレ! なんか、道路が地面に突き刺さってるんだけど!」
「はあ? なんだよそれ、どんな大怪獣が暴れた後だよ‥‥ってマジか!?」
半信半疑できょーこの視線を追うと――本当に道路が地面に突き刺さっていた。
突き刺さっていた、というのはもちろんここから見える範囲での表現である。それは少し離れた場所にあり、この場所からでは地面の部分は手前の民家に隠れてしまっているため確認することができない。しかし道路が空に向かって伸びているというのは確かだった。 これまでまるで壁のような坂には直面してきたが、その道路は本当の意味で壁。地面に対してほぼ垂直に生えているのだ。もちろん道はどこまでも続いているわけではなく途中で途切れているが、それでも尋常ならざる事態に変わりはない。
「なあ、近くまで行ってみよう!」
「ああ、さすがにあれは無視できないな」
くらうはとっさに進路変更し、その道路に向かって進んでゆく。住宅街の間を抜け、細い道に入ってゆくが目印は大きく見失ってしまうことはなかった。
目の前までたどり着くと、見上げるほどの高さの、道路。直前まで普通に真っすぐ伸びている道路が、そこで突然跳ね上がり、空に向かって伸びていた。
なんだろう、銀河鉄道にでも続いているんだろうか。
「ここ、なんか書いてあるよ。テユイガワ、の、カドーキョーだってさ。どういうことだ?」
きょーこが読む説明を聞いて、くらうはなるほどと、ようやく納得した。
「そういうことか。【手結川の可動橋】、つまりこれは道路じゃなくて、橋みたいだな。だけどこれが掛ってる川は船の通り道でもあるから、通行の間だけこうして上に跳ね上がって船が通れるようにしてるってことだよ。いや、今は船が通ってるようにも見えないし、もしかしたら車が通るときだけ下がる、かもしれないな」
よく見ると道路の側面には【桁下2.0m】と書かれている。可動橋と言われれば納得だが、見た目は普通に道路なので、遠くから見た時のインパクトは絶大だ。
そしてきょーこは天を見上げ、雲の上を指さした。
「じゃあ行こうか、あの空の向こう側へ!」
「行かねえよ」
「やっと見つけたー! 馬路村っ!」
くらうが辿り着いたのは上空1万mの空島‥‥ではなく、道の駅【やす】。犯人が潜んでいそうなここに来てついに、くらうは目的のブツを発見することが叶ったのだった。
ごっくん馬路村。ビン入りのゆずジュースであり、知名度はそれなりにあるはずなので知っている人も少なくないと思う。以前経営者が高知出身の居酒屋で、『馬路村割り』という酒を見かけたこともあるほどだ。
きょーこにも1口分ほどくれてやり、さっそくぐいっと中身をあおる。
「くあーっ! やっぱ美味いなこれは!」
「へえ、ほんとだ。確かにこれは美味い」
飲む前にさんざんハードルを上げていたにもかかわらず、落胆させない美味さ。小さい頃美味しかったと思っていた記憶はやはり間違いなかったようだ。
「甘すぎず、酸っぱすぎず、って感じだな。優しい味わいとでも言えばいいのか?」
時間がたつにつれ風も強くなってきているが、しかしくらうは一気に上機嫌。美味しいものは心を豊かにしてくれるのです。
「小さい頃は何も思わなかったけどさ、ごっくん、ってちょっといやらしいよな」
「この後の予定はどんな感じなんだ?」
くらうの至極当然な発想をきょーこは華麗にスルーし、どこか遠くを見つめながらいつも通りの会話を続けた。くらうは少し涙目になりながらしぶしぶ会話を元に戻す。
「高知県での目的地は、次は四万十川だな。でもここからかなり遠いから、到着は明日になると思う」
「そっかあ。じゃあ今日中に少しでも近づいておきたいところだな」
「そういうこと。ってなわけで出発しましょー」
久々に馬路村も飲めて元気を取り戻したくらうは、揚々と進撃を再開した。
――本当の闘いがここからであることなど、知る由もなく。
「‥‥‥‥」
「おいおいくらう、まだ昼だぞ?」
「‥‥‥‥‥‥」
「もうへばっちまったのかー? そんなんじゃ四国一周なんてできねえぞー」
高知市へ向かう道の途中。
――向かい風が、尋常ではなかった。
漕いでも漕いでも全然前に進まない、ひたすら坂を上り続けているような感覚。無風の時に比べ、疲労のたまり具合は軽く倍近いのではないだろうか。そして疲労とともに溜まってゆくのは、ストレス。急いでいるわけでないとはいえ、ここまで進まないとさすがにイライラは募ってゆく。
「くらうー、聞いてんのかー?」
「きょーこ‥‥」
頭の上で茶化してくるきょーこに、くらうはずっしりとトーンを落とした声をかける。
「八つ当たりなのはわかってる。誰が悪いわけでもないし、腹を立てるのは筋違いだとは、わかってるんだ。でもな、マジでやめろ」
「‥‥あ、ああ。ごめん。調子に乗りすぎたよ」
完全に目の据わったくらうに、きょーこはさすがにこれ以上の悪ふざけはまずいと感じたようだ。
イライラすることに意味はない。しかしこの状況で笑ってなどいられない。そんな矛盾にさいなまれながら、くらうが無言で進んでいると。
「な、なあくらう。あたしの勘違いだったらいいんだけどさ」
不意にきょーこがどこか遠慮気味に声をあげた。
「なんか道、おかしくないか? 方角は‥‥あってるみたいだけど、国道を進んでるんだよな。なんかここ、違う気がするんだけど」
「え、でもずっと道なりに進んでたはずなんだけど‥‥あれっ!?」
道路にはその途中途中に、そこが国道、もしくは県道の何号線であるのかを示す標識が数や間隔に差はあれど、立っていることが多い。それを探していたくらうが見つけたのは、【県道14号】を示す標識だった。
「マジで!? いつの間に‥‥」
くらうは慌てて自転車を止め、マップで現在地を検索する。現在地の矢印が示すアイコンは、確かに県道14号の上に乗っていた。道をさかのぼって確かめてみると、どうやら道なりの曲がり道をそのまま進んでしまったらしい。よほどイライラしていたためか、全く気がつかなかった。
「参ったな‥‥。引き返すには、ちょっと遠いな。しゃーない、こっから国道に戻る道探すか」
少し細く入り組んだ道を通ることにはなりそうだが、取り返しのつかないミスではないようだ。
「めんどくせえな‥‥くそっ」
悪態をつきながら向かい風に逆らい、どうにか再び国道に戻る。
「くらう、あそこにメシ屋があるよ。もう昼過ぎだし、あそこで食っていこうよ。さすがにいらだち過ぎだよ。ちょっと座って、落ち着きな」
「‥‥‥‥正論だな。そうしよう」
やや大きめのスーパーの中にある、小さな定食屋のようなお店。カウンター席について唐揚げ定食を頼み、ようやく少しだけ気持ちを落ち着ける。
「‥‥はあ、さすがにこの風はキツイな」
ぱくぱくとご飯をつまみながら、くらうはため息をついた。走行距離はここまでおそらく70~80kmといったところだと思うが、疲れのたまり具合はそんなものではない。
「まあ、のんびり行こうよ。休み休み行っても、十分高知市にはつけるっしょ」
唐揚げ丼となっているお茶碗片手に、きょーこがどこか気の抜けた感じで言った。多少は気を使ってくれているのだろうが、そこまで深く考えているようではない。まあ実際きょーこは頭に乗っかってるだけだしなあ。
食べ終わってからも少しだけ休憩。水も好きなだけ飲めるし、飲食店内はけっこういい休憩場所だ。もちろん混んでさえなければだけど。
「さて、大分落ち着いたし、そろそろ行こうか」
「無理スンナヨー」
店を出て再び走り出したくらう。強風は相変わらずだが、一休憩入れたことで少しは心にも余裕ができた。
――と、思っていたのも束の間、変わらない向かい風にくらうの怒りは有頂天になった。
このままではストレスで寿命がマッハだ。風の破壊力がばつ牛ンすぎて、100とか普通に出すくらうが足を止めると自転車がカカッとバックステッポを踏んでしまいそうになる。これでは勝つれない。しんどいなさすが向かい風しんどい。
謙虚なくらうが想像を絶する怒りに襲われ頭がおかしくなって死にそうになっていると、道路の脇の景色は山の代わりに建物が目立つようになってきた。どうやらようやく、高知市街に入ったようだ。くらうは足を止め、キング地図んもスを広げる。
「この辺から道がわかりづらくなるから、慎重に行かないと‥‥」
このまま市街地を突っ切って道沿いに走ると、地図によると内陸の山中に入っていってしまうらしいので、ここらで県道に逸れつつ経路を海沿いに修正していかなければならない。
これが創作の物語なら『入り組んだ道』=『迷うフラグ』なのだが、現実では、特にこんな旅行中では本当に迷ってしまうと、正直笑えない。進行が遅れる程度ならまだしも、今は疲労もたまってきている。何もない山中で体力が尽きるようなことがあれば、比喩でも言い過ぎでもなく命の危機なのだ。
というわけでケータイの電池を惜しんでいる状況でもなく、マップで確認しながら道を進んでゆく。
「えーっと、あの駅が見えたら左折して、いったん国道逸れてすぐ右折して国道に戻って‥‥」
標識や建物を注意深く見ながら、目印を見つけては道を曲がり、経路をたどってゆく。
「そこの道は国道沿いより、そのまままっすぐ県道39号を進んだ方が早いんじゃないか」
「そうだな。しんどいし、その道で行こうか」
標識で道を確認し、左折していったん県道39号へと入る。
道を曲がった途端、なんだか周りが急速に山道になり寂れてきた。
「なんか、これ道合ってんのかな‥‥」
「でも今、間違いなく県道39号だったろ」
「それもそうだ」
まあ実際、国道から県道に逸れた途端に田舎になることは珍しいことでもない。
しかし、
「‥‥なあ、なんか、これ山に向かってるよな」
「確かにな‥‥」
道が完全に山中へと向かっている。これはさすがにいぶかしむべきだろう。それでも道は間違っていないはずなのは確認済みなのだ。
「‥‥ちょっと待て、今オレ西に向かって進んでるはずだよな。なのになんで、太陽が端の山に隠れてるんだ?」
時刻は夕方。ならば本来ならば、正面から西日に向かっていなければならないはずなのだ。
「そういえば‥‥あっ! くらう、ごめん!」
と、何かに気づいたきょーこが慌てた声をあげ、突然謝罪を述べた。
「全然方向見てなかった! なんでかは知んないけど、今南に向かって進んでる!」
「おいィ!?」
進路が間違っているというなら、再びちゃんと確認しなければならない。ケータイを取り出し場所を確認すると、
「‥‥なんで、全然違う道進んでる。ちゃんと標識で確認してたのに‥‥ああっ!?」
マップを見て、くらうは驚愕の事実を知ることとなる。
この道を進む前に確認したように、くらうは確かに県道39号を進んでいた。今現在いる場所も、間違いなくそこである。しかし――
「‥‥この39号に入る前に曲がった場所があったろ? あそこの先に、もう1本別の39号線があるみたいだ‥‥」
国道から分岐して南と西。39号線は別々の方向に2本伸びていたのだった。
なんというトラップ‥‥。
くらうはがっくりと肩を落とし、頭を抱えた。まさか本当に先程のあれがフラグだったとは。
時刻は4時を大きく過ぎており、日が沈むにはさすがに少し早いが、のんびりと何もない山道を走るにはやや危険な時間帯である。もう少し気づくのが、もしくはここへ辿り着いているのが遅かったらと考えると――
「‥‥ホントに笑えねえよ‥‥」
くらうは大きなため息をついて、今来た道をすごすごと引き返す羽目になるのだった。
すぐに国道に引き返し、すぐに見つかったMのハンバーガーショップでとりあえず足を休めることに。もう一度細道の県道に入る気にはなれず、39号よりはわずかに遠まわりになるが、諦めて今は国道を走っていた。
100円のハンバーガー1つと水だけを注文し店内の席へ。典型的な鬱陶しい客である。
「さすがに疲れた‥‥。そろそろ寝る場所探さないと」
ハンバーガー片手に近辺のマップ検索。昨日のうちに目をつけておいた公園で、一番近い場所を探す。
「ここからだったら、一番無難そうなのはこの土佐公園ってところかな」
手早く食べ終えると暗くなる前に店を後にして寝床探し。こうなると距離を進む必要がなくなるので、少々向かい風がきつくとも日中のようにイライラすることもない。地図で場所を確認しつつ、まさにザ・高知といった名前の公園を目指してのんびりと探索。しばらくもしないうちに、田舎道の奥に目当ての公園は見つかった。
見つかった、のだが。
「あー、公園っていうか‥‥」
「球場だよな」
段々のカラフルなベンチがぐるりと金網の向こうの広々としたグラウンドを囲い、客席の後ろ半分ほどを覆う屋根。そしてグラウンドを見下ろすような大きな照明。その場所はどこからどう見ても、野球の球場だった。しかし場所は間違っていない。土佐公園というのはここで間違いないようだ。
「んー、見た感じ夜でも閉まることはなさそうだな」
公園だろうが球場だろうが、寝られるのであればどこでもいい。むしろ屋根があって人目にもつかず、公園よりずいぶんいい場所なのではないだろうか。
ただ閉め出されたり閉じ込められてしまっては困ると思い、ざっくりと調べてみたものの、開放的な場所で開閉用の扉や柵のようなものは見当たらず、時間を気にせず出入りはできそうだ。
トイレもあるし水道もある。すぐそばにスーパーもあったし、公園というイメージとは大きく離れているものの、決して悪くない場所のようだ。
「よし、じゃあ今日の寝床はここで決定かな」
観客席に上がり、隅っこの柱の影を見て少し嬉しそうに頷くくらう。
「なんでそんな嬉しそうなんだよ」
「いや、初めての野宿だし、なんかワクワクする」
場所の確認が終わるとスーパーで晩ご飯と明日の朝ご飯用のパンを買い、観客席に座りもそもそと食べる。
そうこうしているうちに日も落ち、辺りはすっかり薄暗くなってきた。水道を借りて歯磨きと洗顔をすると、外で広げるのは今日が初となる寝袋を敷き、自転車には3重ロック。そしてバッグにもロックをかける。バッグにロックというのは、ファスナーの取っ手部分の穴を2つ同時に南京錠やダイヤルロックで閉め、開けられないようにしているということだ。別に錠着きの高級バッグを使っているというわけではない。取っ手が1つしかなく鍵をかけようのない部分にはどうでもいいものだけを入れておく。このあたりの防犯対策も抜かりはない。
「よし、準備も整ったし、それじゃあ寝ようかな!」
「‥‥どれだけワクワクしてんだよ」
そうして強風やら道間違いやらで色々あったが、どうにか無事平穏に1日を終え、くらうは静かに眠りに落ちてゆくのであった。
――と、きれいに終わることができたらどれだけ良かったことだろう。
「‥‥なんか、全然寝付けない」
横になったはいいものの、慣れない環境に対する興奮と不安が原因か、全く寝付くことができなかった。横ではきょーこののんきな寝息がすやすやと聞こえてくる。コレは寝ることに関しては得意であるらしく、いつも寝つきは異常にいい。というか毎日寝ているようだが、睡眠をとる必要などあるのだろうか。明日覚えていたら聞いてやろうと思ったが、しかし多分聞いたところで「別に寝なくても問題ないけど、寝るの好きだから」とかあっけらかんと答えそうだ。いやきっと答える。
などと寝られないせいで思考が脱線していた時、にわかに公園に騒がしい声が響き始めた。
何だろうかと思っていると、どうやら若者の集団が遊びに来たらしい。なんとか眠ろうとつむっていた目を開けると、球場の照明が煌々と灯っている。自由に点けられるのか許可を得ているのかは知らないが、まぶしいと感じるほどにはここまで明かりは届いていない。
時間を見ると午後11時頃。すっかり夜型の若者のようだ。声を聞く限り男ばかりで3、4人といったところだろうか。さすがにナイターを始めるわけではないだろう。声を聞いていると、どうやら話をしながらキャッチボールをしているらしい。別にうるさいとは思わないが、1つものすごく気になることがある。
「‥‥すげえ訛ってるなあ」
話し声を聞いていると「ぜよ」は使っていないようだけれど、高知ならではの訛りがすごい。こんなところで高知に来たことを実感することになるとは。まあ方言の強さに関しては、くらうもあまり人のことは言えないくらい、日常会話では強く訛っているんだけど。
いやしかし、方言に感心している場合ではない。早く寝なければ。明日もあるのだからできる限り疲れはとっておきたい。
彼らも大騒ぎしているわけではなく、普通のトーンでのんびり会話しているからか、うるさくはなくむしろラジオを聞きながら寝ているくらいの感覚であまり気にならない。
くらうは目をつむって、再び眠ることに集中した。
目が覚めた。
時間を確認すると、深夜1時。
少し眠っている間に若者たちは帰ったらしく、照明は消え声も聞こえなくなっている。
辺りはシンとしているにもかかわらず、こんな中途半端な時間に目が覚めた理由は1つ。
――寒い。
すっぽりと寝袋に体を収めているが、それでも外気の寒さを遮りきることができていない。
寝袋の中で、無理やりに体を丸める。寝袋からぎゅっと素材の音がして破れやしないかと一瞬ひやりとしたが、どうにか耐えてくれたようだ。
そしてその体勢になることで、ほんの少しだけ落ち着いたような気がする。
再び目をつむり、無理やりに就寝の態勢に持っていく。
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
‥‥‥
ほんの少しだけ眠ったようだが、やはり寒くて1時間と経たないうちに目が覚めた。
‥‥なんだか少し、ヤバいかもしれない。
寝袋の中でわずかに体が震えている。今すぐ凍死しそうだ、というほどではないが、明らかに少しずつ体温を奪われているし、夜明けまではまだまだ何時間もある。今だけはどうにか耐えているが、このまま朝までこの状態でいるのはさすがに無理がある。
もう一度寝ようと目をつむり――すぐに開ける。やっぱり無理だ。
くらうはごそごそとケータイを取り出して、周辺地図検索。このままでは本当に凍えてしまうと危機を感じ、このあたりで24時間営業の店を探すことにした。
今からのんびり宿を探すことはできない。ならばもう、半徹夜となってでも店内で寒さをしのぐことが現状で最善だという判断だ。
とりあえず一番に思いついた、ここに着く少し前にも寄ったハンバーガーショップを検索。
「‥‥あった」
名前を入れて検索すると、すぐにこのあたりで一番近い店が表示された。一番近い――20km先の店が。
「‥‥うわあ、どうしようこれ」
おそらくこの時は寒さと眠気、そして疲れで思考が鈍っていたのだと思う。少し引き返すという選択肢は、なぜかこの時のくらうにはなかったのだった。確かに引き返すにしてもやや距離はあったが、それでも進んだ道を戻るという行為を考えることがどうしてもできなかった。もしかしたら自転車を押して歩かない、という縛りと似たような意地が無意識にあったのかもしれないが、とにかくこの時のくらうには、文字通り命の危機に陥っているにもかかわらず、進む以外の選択肢はなかったのだった。
一応、同じく24時間の店である牛丼屋も検索してみたが、近くにはないらしくヒットせず。もしかしたらコンビニくらいはあったかもしれないが、それもこの時のくらうには無い発想だった。多分だけれど、座って休みたかったんだと思う。
なんにせよ現状を保つのは限界だ。なんでもいいから早く屋内に逃げ込まないと、死ぬ。
冗談でも何でもなく、死ぬ。
「‥‥んー、くらう? 何してんだ‥‥ぁ?」
ゴソゴソと動いていたくらうに気がつき、きょーこも目を覚ましたようだ。焦点の合わない目でしばらくくらうを見あげ、
「‥‥って寒っ! 寝てて気づかなかったけど、さすがに寒すぎだろっ」
「気づけよ」
「いや、あたしは別に寒くてもどうってことないんだけど、でも人間としちゃあこの寒さはちょっとけっこうかなりヤバいんじゃないの?」
気温を感じ取ることはできるが、その暑さ寒さでどうにかなることはないということか。便利な体だ。というか相変わらず時折自分が人間であることを全力で否定するヤツだ。いや、今はそれどころではない。
「そう。寒くて寝られなくてさ。このままじゃ本当に凍えそうだから、一番近くの店に避難することにするよ」
「そっか、その店ってどこにあるんだ?」
「20km先」
「アホだろ!?」
「オレに言うなよ。とにかく、すぐ出発だ。マジで死ぬ」
そう言ってくらうは寝袋を抜けだし、
「――――っ!?」
抜け出した途端に、寒さで全身が異様なまでに震えだして止まらなくなった。しかも震え方が尋常ではない。本当にマンガのようにガタガタと震えている。こんな震え、生まれて初めてだ。ぞくりと背筋が寒くなるほど、死を身近に感じた。
「これ‥‥マジでヤバいぞ‥‥。急ごう‥‥」
「あ、ああ‥‥。くらう、頼むからこんなところで死んでくれるなよ」
「できればオレも死にたくはないよ」
全身が震えているせいで簡単な寝袋をたたむ行為でさえまともにできない。それでもゆっくりなどしていられず、無理やりに手を動かしてどうにか荷台にくくりつけると、すぐに自転車を走らせた。
自転車をこいでいるうちに、少しは体が温まってきた。
とはいえ本当に少しは、でしかない。体の震えは収まったものの、外が異様に寒いことには変わりない。
そして、問題はもう1つあった。ここは近くに店がないことからもわかるとおり、それなりに田舎かつ、今進んでいるのは山道である。
とにかく暗いのだ。街灯などはほとんどなく、目の前でさえほとんど見えない。そしてこれは後になって気づいたことなのだが、なぜそこまでの暗闇になっていたかというと、自転車のライトの電球が切れていたのだ。そんなことにすら気づくことができないほどこの時のくらうの状態は最悪だった。
寒い。しんどい。眠い。そしてついでに暗い。ヤバい。
なんかヤバそうな形容詞3役そろい踏みかと思ったら、なんと5役もいた。四天王をも数で圧倒する、まさに極限状態だ。
幸いにというべきか、こんな時間にこんな道というだけあって、車はほとんど通っていない。時折通る車のヘッドライトを唯一の光源として、必死に自転車をこぎ続ける。
と、不意にガシャン、という音と共に視界がぐるりと回転した。何が起こったのか一瞬理解できなかったが、すぐにやってきた衝撃とちくちくと刺さる小枝の痛みに、転んでしまったのだと気づかされる。
真っ暗で何も見えなかったせいで、どうやら歩道の途中に設置されていた植え込みに激突して突っ込んでしまったようだ。幸い怪我はなかったが、こんな状況でもさすがに恥ずかしい。ちょっと精神的にキツイものがある。交通量は限りなく0のくせに、こういう時に限って車が横を通り過ぎていくのだ。しかもトラックですらなく乗用車。
「おいっ、くらう、あたしはここだぞ!」
真っ暗な茂みの中からきょーこの声が響く。倒れた拍子に放り出されてしまったらしい。声を頼りに助け出し、モアイヌの安否を確認してみると、いつの間にかちゃっかりポケットの中に潜り込んでいた。どうやら危機回避能力は高いようだ。
「ちょっとホント、大丈夫? さすがにこんなじゃ危ないよ?」
「わかってるけど、今は本当に進む以外にどうしようもない」
今いる場所は、山以外に本当に何もないのだ。しんどいからといって、立ち止まるわけにはいかない。
「ならせめて、車道を走りなよ。今だったらほとんど車もいないし、どう考えてもそっちのが安全だよ」
「‥‥確かに、そうだな」
歩道は狭いうえにあまり整備が行き届いていないので、この状況では危険極まりないのは事実。歩道を通っていたがためにこうして転んでしまっているのが何よりの証拠だ。
くらうはすぐに起き上がり、前後に車がいないことを確認してから、車道に出る。
どうしてわざわざ前後両方を確認しなければならなかったのか。
そんなもん、車道のど真ん中を走りたいからに決まっている。
「あんたホントに今の状況わかってんのか‥‥?」
「せめて、爽快感を味わいたい」
呆れるきょーこに、くらうは弾んだ声、はさすがに出せないが、少しだけ元気を取り戻してそう返す。
「‥‥はは、見ろよきょーこ」
真っ暗な道を走りながら、その途中に何かを見つけたくらうがどこか投げやり気味の笑いを浮かべる。
「どうした? ‥‥ってうわ、そりゃ凍えもするわ」
道路の途中に【ただいまの気温】という看板が時々あるのを見たことがある人は多いと思う。それが今このタイミングで、本当に都合よくたまたま設置されていたわけだが。
そこに示されていたのは【0℃】という容赦ない数字。ホント、なんでさっきまで外で寝ようとしていたんでしょうね。ちなみにくらうの持っている寝袋の耐寒温度は5℃。どう考えても耐えられるわけがない。
予定を考えている時、出発の時期は春休みの間と考えていた。4月になってしまうとマズイので3月中に行こうと思い、少しでも暖かくなるのを待ってできるだけ遅めにと思っていたが、3月終盤に予定ができてしまったことと、ここのところだいぶ暖かくなってきていたという理由で3月上旬という今この時期に出発することを決めたわけだが。
まあこれもちょっと頭を使っていればわかったこと。この時期の気温は三寒四温という四字熟語がある通り、同じ週でも暖かい日と寒い日とが入り混じる季節なのだ。ちょっと暖かくなったからといって、そのままどんどん暖かくなるなんて、どうして思っていたんだろう。
などと自分の考えの浅はかさを悔やんだところで現状は変わらない。
今度こそこんな真夜中の山中で迷ってしまっては、「やっちゃった☆」なんて言葉では済まない。マップで慎重に居場所を確認しながら、暖かな店内を目指して進む。安かったからといって深く考えず機種変更してしまったのだったが、この時ばかりはスマートフォンにしておいて本当に良かったと思った。
普通の状態であれば20kmという距離などたいしたものではなく、1時間もあれば十分走れる距離だったのだが、目的の場所に着いたのは公園を出ておよそ2時間ほどが経った時だった。
くらうはようやく、マップが示す場所へとたどり着いた。
そう、マップが示しているのは、ここで間違いないはずなのだ。
間違いない、はずなのに。
「‥‥何もない」
そこにはハンバーガー屋どころか、相変わらず真っ暗で明かりすらどこにも見当たらない。
もう一度地図で自分の居場所と、店の場所を確認。だが今いる場所はやはり間違いなく、マップに示されている場所なのだ。
「‥‥なんで」
もしかしてもう潰れてしまった店がいまだに表示されているだけなのだろうか。見ると、店があるはずの場所にはやや大きめのスーパーのような店があるだけ。
「もしかして、あの店の中にあるってことなのかな‥‥」
店内にあるのだとしたら、その店の閉店時間に合わせて中の店も閉まるだろう。24時間が当然だと思っていたが、確かに必ずしも全てがそうではないということを思い知らされた。だが今は、そんな教訓を学んでいる場合ではない。
店があるはずの場所を呆然と見つめ、くらうは地面にへたり込みそうになる。もう、体力も精神も限界が近かった。
「くらう、ツラいのはわかるけど、突っ立っててもどうしようもないよ。とりあえず、なんか探そう。なにがあるのかはわかんないけどさ、とにかく歩いて探そう」
きょーこが珍しく真剣な表情でそう促した。いつの間にか肩まで這いあがってきていたモアイヌも、とんとんと足踏みをしている。元気づけようとしてくれているのかもしれない。それでもくらうの心中は乱れっぱなしだった。
うん、と半ば放心したまま頷き、中空を見上げながら歩きはじめる。常に乗って走る、などという縛りは、さすがにこの時ばかりは完全に失念していた。
どうしよう、どうしようと、ただただ焦りを募らせながらとぼとぼと自転車を押し歩く。まさに呆然自失、失意のどん底といった状態だった。もはや本当になにかを探しているのかどうかさえ、自分でもよくわからない。
と、不意にきょーこがバシバシとくらうの頭をいつもより強めにたたきながら叫んだ。
「おいくらう! あっち、見てみろ!」
くらうは緩慢な動きでそちらに顔を向ける。
ぽつぽつと並ぶ建物の向こう側。そこにぼんやりと浮かび上がるあの光は――
「あれ、ファミレスじゃないか!?」
見間違いなどではなく、そこに見えたのは同じく24時間営業のファミレス、ジョ○フルだった。
ためらう必要などあるはずもない。くらうは大急ぎでその光を目指して走ると、そこには確かに1軒のファミレスが店内に明かりを煌々と灯し、こんな時間にもかかわらず営業を続けていた。
「‥‥‥‥良かった」
気を抜けば泣き崩れてしまいそうなほどの安堵感。くらうは一気に全身の緊張を解き、自転車を停めて入店する。
「いらっしゃいませ。お1人様ですか?」
「はい。あの、すみませんが温かいお茶をいただけますか?」
「かしこまりました。では空いているお席へどうぞ」
深夜にもかかわらず愛想のいい店員さんにとりあえずそれを注文し、席に着く。晩ご飯は食べたが、疲れと焦りでそれなりにお腹は空いている。なにより店に入っておいて何も注文しないのは、いくらなんでもありえない。
とにかく元気が出るものが欲しいと思い、スタミナ豚丼を注文。少し待つとお茶と一緒に丼が運ばれてきたのですぐさまいただきます、とご飯を頬張る。
「いや、ホントに偶然見つかってよかった」
「マンガみたいなシチュエーションだよな」
やはり店内は暖かい。お茶をすすって冷めた体もほぐれ、ようやく一息つけたといった感じだ。
まったりとする気にもなれず、くらうはご飯を食べ終わると少しだけ店員の目を気にしながらその場に突っ伏した。
不可能ではないと思うが、このまま朝まで起きておくのは少しといわずツライものがある。
「いいのか? 店ん中で寝ても」
「いや、よくないと思う。怒られたら謝ろう。でも、怒られるまで寝させてもらおう」
そう言っておでこのところにタオルを敷いて、着席したまま机に向かって深く礼。多くの中高生が授業中、知らぬ間に意識を飛ばしている時の体勢である。さすがにソファに寝転がるまではしないが、どこからどう見ても寝る体勢だ。
何度か店員がくらうの横を通り、文句を言われるかと少し身構えていたが、しかし店員はそんなくらうの姿を見ても特に何も言ってくることはなかった。
深夜4時という時間に、疲れ果てた顔で飛び込んできた旅行者。しかも何より先に温かいお茶を求めてきたあたりから、事情をくみ取ってくれたのかもしれない。
そんな気遣いを見せてくれる店員に感謝しながら仮眠のような睡眠をとり、その日1日をようやく終えることができたのだった。
6、 3月12日(5日目)・高速で叫ぶ変態 ~そして繰り返される悪夢~
2時間ほどは眠れただろうか。目を覚ますと、真っ暗だった窓の外はすっかり明るくなっており、店内から見る限りでは少しは寒さも和らいでいるようだ。
身を起こして時間を確認すると、朝の7時。とりあえずトイレを借りて顔を洗う。少しはマシになった気はするが、それでも昨日の睡眠時間は質の悪いぶつ切りで、合計4、5時間ほど。昨日の疲れを引きずっている気もしないでもないが、大きく支障があるほどでもなさそうなのでとりあえず安心。
席に戻るときょーこも目を覚ましたらしく、机の隅でちうー、と何かのジュースをすすっていた。原材料はドリンクバーのジュースだろうか。その横ではモアイヌがぬん、と寝ているのか起きているのか身じろぎひとつすることなく不動を保っていた。旅のお供が死にかけた翌日だというのに、こいつらは平常運転すぎる。
「おう、くらう。少しは落ち着いたか?」
席に座るときょーこか上機嫌に訪ねてきた。疲れなんてなさそうで羨ましい。そもそも疲れるという概念からして存在しなさそうだ。
「まあ、どうにか。動くのには問題なさそうかな」
くらうはドリンクバーを注文していないので、冷水を飲んで目を覚ましつつ一息入れる。
少し落ち着くと荷物をまとめ、会計を済ませに席を立った。レジはくらうを静かに放置してくれた店員さんだった。心の中でありがとう、と述べておく。
「さあて、じゃあ今日もいっちょ頑張るかあ!」
「おうっ、頑張れ頑張れー」
昨日の苦難なんてもう関係ない。昨日は昨日。今日は今日だ。無駄にテンション高く、くらうは自転車にまかがり、すいー、と本日1歩目を軽やかに踏み出した。
「おっ、意外と調子いい。これなら全然行けそうだ!」
「もう、何も怖くないな!」
「ああっ、変なフラグ立てんなよ!」
今日も今日とてくだらない掛け合いから始まる1日。はてさてこの先どうなる事やら‥‥(ありがちなナレーション)。
「今朝もちょっと冷えるな」
「ん‥‥まあ、どうにかなるだろ」
何気なく言ったきょーこだが、くらうの返事はどことなく重い。
「どーしたんだよ。なんかあるのか?」
「いや、そういうわけじゃない。気にするな‥‥」
「ふうん‥‥?」
少しいぶかしげなきょーこだったが、それ以上は特に何も言わずすぐに話題転換。
「今日は四万十川まで行くんだよな」
「そうそう。ここからだったら十分行ける距離だしな。ただ、事前の調べによると四万十川の手前に最大の難所があるらしい」
「なるほど、魔女か!」
「ちげえよ!」
「じゃあ、マゾだな!」
「だからなんでそうなるんだよ! なんでこのタイミングでそのネタ復活したんだよ!」
律儀にツッコミを入れてから、ため息をついてくらうは説明を続ける。
「四万十川の手前に七子峠って名前の峠があるらしくて、そこがだいたい6kmひたすら上り坂が続いてるらしいんだよ。その峠がけっこう有名な難所らしい。人によっては四国一周で一番の難所とも言ってたし」
「大丈夫だくらう。きっと室戸岬の展望台の坂に比べりゃ屁でもねえよ」
「うんオレもそう思う。でもまあ、覚悟はしておいたほうがいいかもな」
きょーこの意見にくらうは全力で同意。というかアレよりしんどい場所があってたまるかと言いたい。
まだマシだろうとはいえ、それはあくまで相対的な感覚でしかないのだ。難所と言われる以上は、それなりにキツイということは間違いない。ある程度覚悟はしておかなければ。
「てなわけで四万十川目指してれっつごー」
「おー」
「着いた。こっからが七子峠だ」
くらうがひとまず立ち止ったのは【七子峠まで6km】と書かれた看板の前。看板の書き方からするに、正確には今到着ではなくここから七子峠へ向かうという形になるようだが。
「しかし、ぱっと見はずいぶんなだらかな坂だね」
きょーこが言うとおり、ここから見た限りではこの坂はそれほどの脅威には感じられない。目測でも傾斜5%といったところではないだろうか。どういう基準で%なのかよくわからず適当に言っているだけだけど。
「んー、この先からどんどん傾斜がきつくなるのか、もしくは長さが思った以上にしんどいのかも」
「ま、なんにせよとっとと上っちまおうよ」
「そうだな」
今はまだ脅威を感じられないが、ぐっと気合いを入れてくらうは七子峠を上り始めた。
上りきった。
「あれっ!? すげえあっさり!」
一度は立ち止まって休憩も入れたが、なんか気づいたら到着していた。傾斜もなだらかなままで別段恐ろしいと感じるほどのものでもなかったし。
目の前にはここが七子峠であることを示す看板もあり、ここから先の道は再び平坦に戻っているので、なんちゃっててっぺんというわけでもなさそうだ。
「壁みたいな坂ばっかり上ってたから、感覚が狂ったんじゃねえの?」
「あー、十分あり得るなー」
ずいぶんと拍子抜けだが、まあ楽に越したことはない。結果オーライだ。
「よーし、ここまで来れば四万十川までもうすぐだぜ」
意気揚々とくらうはさらにタイヤを進めていく。
「なあ、四万十川って吉野川よりすげえのか?」
「どうなんだろう。実物は見たことないからなんとも言えないなあ。でも知名度でいったら、多分四万十川のほうがかなり上なんじゃないかな」
「そうなのか?」
「多分」
よくわからないので明言はできないが、名前だけならまだしも、所在地も含めて答えられる人が多いのは四万十川なのではないだろうか。
四万十川沿いを走るためには一度国道を外れなければならないので、地図を見ながら慎重に進む。
「今日は間違えんなよ」
「向かうのは名所だし、多分昨日よりはわかりやすくなってると思う。多分」
昨日は2度も道に迷ってしまったのでどうしても言葉に自信がない。むしろ自身のなさを自信たっぷりに主張したいくらいだ。こんな旅をしておきながらなんだけど、くらうは小さい頃から異様なまでに方向音痴で、家の近所ですら迷ってたような子でしたし!(実話)
今回はありがたいことに本当に入り組んではおらず、間違えないよう一度道を曲がればすぐに目的地に到着することができた。しかし、
「‥‥これが四万十川、なのか?」
「‥‥みたいだな」
くらうが辿り着いたそこには【一級河川 四万十川】と書かれた看板。そしてちっこい橋。その下を流れているのは、細々とした1本の川。どうやらこれが四万十川らしいのだが。
「‥‥なんか、思ってたのと大分違うんだけど」
「‥‥奇遇だな。オレも同じ感想だよ」
なんだかよくわからないが、どうやら本当にこれが四万十川らしい。くらうはなんとなく腑に落ちない感じで先の道へと進んでゆく。
少しするとやや薄暗かった山道を抜け、川沿いの穏やかな田舎道へと出てきた。若干冷えるが天気もいいし、比較的整備された道は交通量も少なく、なかなか気持ちのいい道である。
「なんか、いい感じの道だな」
「そーだな、空気がのんびりしてる」
「山と川に挟まれてマイナスイオンたっぷりだな。潤っちゃう」
のんびりとした道を、のんびりと自転車を走らせるくらう。
穏やかな陽気がくらうを包み、昨日の苦難など忘れてしまいそうな心地よさだ。
さらさらという川のせせらぎと、穏やかな小鳥のさえずりを聞きながら、和やかな気持ちで自転車を走らせ、そして――
「‥‥――ってそうかこれが四万十川なのか! 長げえ! 確かにこれは長げえ!」
川沿いの道をかなり進んだところで、くらうは唐突に道路沿いに流れる川が四万十川であることに気がついた。さっきのしょぼい川の印象が強すぎて、全然気づかなかった。
今走っている道はずっとずっと先まで伸びており、それに沿って横の川もずっと流れ続けている。なるほど、四万十川は細いけれど、長さが売りということか。確かに細長い。男の子だったらちょっと不本意な特徴の川だ。大丈夫、太さだけが全てじゃないさ。
「いやー、マジで気づかなかった。気づかなかったことを強調するために、この道の雰囲気ちょっと誇張しちゃったよー」
「確かにしれっと現れすぎだよなこいつ」
何気ない登場はさておき、改めて四万十川を眺めてみると確かに延々と道に沿って流れ続ける川は見ごたえがある。ぱっと見のインパクトとで言えば吉野川が圧勝だが、のんびり散歩道としては四万十川のほうがよほど似合っていると思う。
「ていうかあれだな。山のてっぺんが近いな」
今更だが、辺りの景色を眺めてみると、見上げるほどでもない位置に山のてっぺんがたくさん並んでいる。このあたりは小山が連なっているだけという可能性も否定できないが、峠を上ってきてまだ下ってないのだから現在地の標高が高いことは間違いないだろう。
「なあ、あそこにある道、かなり川に近づいてないか?」
きょーこが示した場所は向こう岸へと続く川の上の道。段が低くなっているので手を伸ばせば川に触れられそうだ。
せっかく見つけたのでとりあえずその場所まで行ってみる。
「‥‥うん、川が近いな」
感想終了。
いやだって、凍え死にそうになった翌日に水と戯れるなんて、正気の沙汰じゃないだろう。今日だって普通に寒いし。
「ん、雨かな‥‥?」
不意にきょーこが空を見上げて呟き、
しかしくらうはその事実を確認し、逆に頭を抱えて俯いた。
「‥‥天気予報、当たりやがった」
今日は日中から昨日以上に冷え込むらしく、天気予報によると、高知県の本日を示す箇所には、かわいらしい雪だるまさんのマークが示されていたのだった。
‥‥まあ要するに、雪が降ってきました。
普段ならちょっと感動してテンションをあげるところだが、昨日のことがあっての今日の雪である。雪が降るほど寒いというのは、参る。本当に参る。今日は本気で寝床を探さなければならないようだ。
「マジかー‥‥。まさかホントに降るとは思わなかった‥‥」
「ああ、それで今朝から寒かったの気にしてたのか」
「そういうこと」
今晩のことを考えると暗澹とした気持ちになるが、夜は夜、今は今である。諦めのため息を1つついて、くらうは川沿いの道をさらに進む。
不幸中の幸いといってよいのか、雪はほんのしばらく降っただけで、すぐに止んでしまった。このまま暖かくなればいいのに、と思うが無理な相談だろう。
のどかな道を走り続けることしばらく、道の駅を見つけたくらうはそこで昼食をとることに。自然を活かしました、という風情の店内の木の椅子に座り、肉うどんを注文。
食べ終えて一息ついてから、すぐそばに四万十川周辺の観光案内所のような場所を見つけ、そこの地図でこの先の経路を考える。
四万十川沿いの道はまだまだ先に続いており、ずっと先に進めば大きくわかりやすい道が南向きに続き、再び海沿いのルートに戻れるようだ。しかしここにきてくらうの足は昨日の疲労を今更ながらに思い出したらしく、できれば早いこと市街地に出てしまいたい。真っすぐ進んだ方がわかりやすく無難な経路とはいえ、ここをさらに数kmも進み続けるのは正直キツイものがある。この建物のすぐ脇には川沿いから外れて南下する杓子峠という道が続いており、そこの道を通っていけば市街地までかなり距離を短縮できるようだ。しかし地図で道を見る限り、かなり細い山道のようなのでそこだけが心配だ。
地図だけ見て考えても仕方がないので、案内所のおばちゃんに道の様子を尋ねてみることに。
「すいません、ここから南に下る杓子峠って、自転車でも通れますか?」
「はい、通れますよ。でも車がすれ違えるかどうかくらいに道が細いうえ、けっこう険しい山道みたいで、ライダーのあいだではよく知られてて、避けられてるみたいですよ」
なるほど、バイクで通るには危険な道であるらしい。
「うーん、でもまあ、自転車だったら車が来てもすれ違えるでしょうし、大丈夫だと思いますけど」
確かに、道が細くて危険というだけであれば、移動手段が自転車ならば転落する危険は車に比べれば格段に少ないだろう。なにより細い山道とはいえ国道だ。いくらなんでも荒れ放題ということもないはず。
「わかりました。ありがとうございます」
そうお礼を述べて、くらうは建物を後にする。
「どっちに行くんだ?」
「もうここで曲がるよ。いい加減川沿いも満足したし、少しでも早く市街地で休みたい」
そうしてくらうはすぐに曲がり角を折れ、四万十川沿いの道を外れた。
確かにその山道は細く険しい道ではあったが、自転車であれば十分に車とすれ違うこともできるし、何としてでも避ける道というほどでもないように感じられる。
だがしかし、しばらくその道を進んだところでくらうはある1つの疑問を抱かざるをえなかった。
「‥‥‥‥なんでオレ、上ってんだろう」
くらうはこの場所まで来るのに峠を上ってきた。そして今から市街地に行くため峠を下りようとしている。そのはずなのに、なぜかくらうは坂を上り続けていた。
「また道間違えたんじゃないの?」
「いや、今回ばかりはそれはないと思う。だってついさっき道を教えてもらったばかりだし、分かれ道もなかった。今進んでる方角は?」
「南」
「じゃ、やっぱり合ってるはず」
それに国道を示す標識も出ている。先日のように同じ番号の道が違う方向に伸びているということもないようなので、道自体は合っているはずなのだ。
「ていうかさあ、ここってホントに国道なのか?」
「まあ、そうみたいだけど‥‥」
きょーこがそう言うのも無理はない。道が細いというだけならまだしも、左手は山に阻まれ、右手からはガードレールの向こう側に山間を一望できるという、言葉通りの山道。そして、そのガードレールも道を進んでいる途中で途切れ、眼下の景色を阻むものはもはや何もない。
まあ要するに、右手が『崖』なのだ。一応木々は伐採され、崖崩れを防止するため最低限の整備はされているようではあるものの、それでも誤って落ちてしまえば軽ゥく大怪我できそうな崖が、くねりくねった道の右手にひたすら展開され続けているのだ。
なんかもう、どうしてこの道が国道を名乗っているのかわからない。おこがましいにもほどがある。というか国仕事しろ。
まさに崖という名の死と隣り合わせの状態。そりゃあ道狭いとか関係なく、ライダーもこんなところ通りたくないわ! と今更ツッコミを入れたくなってきた。
しかし昨日からやたらと死を身近に感じているような気がする。旅行ってこんな危険なものだっただろうか。考えを改めなければならないようだ。
「どうする、引き返すか?」
「いや、道に間違いはないんだから、もう少ししたら下り始めるだろうしこのまま行く」
「それもそーか。ま、頑張れよー」
そうしてなぜか上り続ける下りの道を走るくらう。
しかしこの時のくらうは、この国道439号線が、旅行から帰った後バイク好きの先輩に「はあ? あの道通ったん?」と目を丸くされるような道であることなど、この時は知る由もなかった‥‥。
下るはずの道を上り、上り、上り続けて、くらうは上り坂の途中で足を止めた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
自転車を降り、うずくまる。
「お、おいくらう、大丈夫か‥‥?」
「大丈夫じゃない」
きっぱりと言い放った。もはや色んなことにツッコむ余裕もない。ただ本当に疲れた。
「‥‥しかし参ったな。ここまで来たら引き返すのもバカらしいし、かといってあとどれだけ上り続ければいいのか見当もつかない」
道の先を見つめながらくらうは疲れた呟きを漏らす。
前を見つめたところで、道が曲がりくねっているうえ山に阻まれ、十数m先までしか見通せず、どれほどこの道が続いているのかさっぱりわからない。
「行くしかねえってことだな」
「そういうこと。こんな場所、諦めるイコール遭難じゃねえか」
一寸先は山。どこまで走ればいいのかわからない道を、くらうはさらに走り続けた。
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
くらうは再び山道の途中で立ち止まっていた。言うまでもなく、先に続くのは上り坂である。
「なあ‥‥これなんのイジメかな‥‥」
雪の降るような寒い日に汗だくになりながら、くらうは茫漠と呟いた。
もうどれほど上り続けているのか全くわからない。疲れすぎて時間の感覚などもはやなく、敢えて知ろうとも思わない。
唯一の救いは交通量が限りなくゼロであることだ。この道を進み始めてから今のところ、軽トラ1台と、おそるおそる走っていた乗用車1台としかすれ違っていない。乗用車はきっと、最短ルートだからとカーナビにだまされたのだろう。ナビって時々無茶な道を示すと思う。
「これはヤバいな‥‥。飲み物も残り少なくなってきたし‥‥」
スポーツドリンクは常備しているが、四万十川に到着したあたりから店がなかったため、ペットボトルの中にはもはや1、2口ほどしか残されていない。
その時ふと、くらうは水分以外に補給できるものの存在を思い出す。
「そうだ、今、まさに今のためにオレはお前にお菓子を食い過ぎるなとさんざん言い聞かせてきたんだよ。な、だからオレがこんなに憔悴してるというのに何気なくさっきからポリポリお菓子つまんでんじゃねえよ!」
バッグからとっておきのチョコレートを取り出しつつ、相変わらずのんきにお菓子をつまんでいやがるきょーこに、ツッコミの一段階上の怒声を浴びせる。
「ほらほら、イライラしたってしかたねえって。くらうもチョコでも食って落ち着きな」
「今からそうしようとしてたんだよ。そしてなんでお前が勧める」
くらうはチョコを1つつまんで糖分補給。口の中に広がる甘味が、じんわりと体全体を伝って疲れを癒してくれている、ような気がする。こういうのは気の持ちようが大切だ。うん、元気になっている。ぐんぐんHPが回復している。ついでにMPも回復している。こうかはばつぐんだ!
「ようし、後少し頑張るぞ‥‥」
「え、あと少しなのか?」
「知らん。そう思ってないと気がもたん」
どうにか気を持ち直し、再度くらうは自転車にまたがる。
目指すは、下り坂。
立ち止まり、立ち止まり、その度に糖分を補給しつつ、辿り着いたそこでようやく上り坂と曲がり角以外のものがくらうの視界に飛び込んできた。
それは茶色く薄汚れた看板。そこには四万十市までの距離を示しており、その看板の向こうには――下り坂が続いていた。
「‥‥‥‥やったあ」
「テンション低いなおい」
飛び上がって叫びたいほどに嬉しいが、残念ながらそうする気力は残っていなかった。
その看板を見る限り、ここから四万十市までの距離と、この道の入り口から四万十市までの距離の差を計算すると、どうやらくらうは延々9kmもこの山道を上り続けていたらしい。七子峠の1.5倍である。昨日以降の坂道も含めて考えると七子峠なんぞ、どう考えても最大の難所(笑)だろう。難所というのは今のくらうのように、通過しきった時に憔悴しきる場所のことを指す。ここテストに出ます。
「まあいいじゃねえか。こっからは下り坂なんだしさ!」
と、嬉しそうに笑うきょーこだったが、残念ながらここばっかりは笑ってなどいられない。
「きょーこ。この坂道をよく見てみろ」
この先は確かに下り坂。しかし忘れてはならないのが、ここからの道は上ろうが下ろうが、あくまで今までの道の続きであるということだ。
「‥‥なるほどな」
下り坂は相変わらず曲がりくねっているうえ、右手にはこちらも相変わらず、ガードレールすらない――ただの崖が広がっているのだ。
速度を出し過ぎて少しでもタイヤが滑ってしまったり、ブレーキの具合を間違えたりしようものなら、すなわち死が待ち受けている。だからどうして昨日からこんな命がけで旅をしているのか。
「つまり、むしろ下り坂のほうがやべえってことだな」
「そういうことだ。落ちても拾いになんて行けないからな」
「わ、わかったよ」
頭の上で風を受ける態勢だったきょーこは、しかしくらうの忠告に大人しく襟元に隠れる。
そしてくらうは今までになく慎重に、ゆっくりと坂を下りはじめた。
決してスピードを出し過ぎず、できる限り山側に寄って、曲がり角は特に慎重に。
上るよりは体力的によほど楽だが、しかしそれ以上に精神力がガリガリ削られていく。さっきチョコでMPも回復しておいて良かった。
ゆるりゆるりと坂を下りていくと少しずつ道は広くなり、曲がり角も少なくなって真っすぐな道へと遷移してゆく。そして右手にはなんと、念願のガードレールも出現したではないか!
「やった! 道がまともになってきた!」
そしてくらうは躊躇いなく、ブレーキを離した。
「いやっほおおおおおおおおおおおおう!」
極度の疲労に次いで極度の緊張感。それらから解放されたくらうは、途端に頭のネジが吹き飛んだ。
叫んだ。この時ばかりはマジで叫んだ。文章的表現じゃなくて、たった1人山道で、下り坂を凄まじい勢いで駆け抜けながら、全力で叫んだ。
周りに誰かいたら、本気で変質者だと思われただろう。というかほんの数軒だけど民家らしきものもあったし、聞かれていたかもしれない。まごうことなき変質者だった。
現在出ているスピードも半端ではない。普段平均速度20kmほどで走っているくらうが恐怖を感じるほどの速度である。ロードバイクだと30km近い速度が普通に出せるらしいし、おそらく40km近くは出ていたのではないだろうか。誇張ではなく、わりと本気で。そして折りたたみ自転車で。
ガードレールはあるけれど、崖とか関係なしに今転んだら余裕で死ねるよなあ、と超高速の快感に浸りながら他人事のように考えていたことをぼんやりと覚えている。
びやああああ、速い! とマスオさん並に感動しながら下る、20kmほどの下り坂。それほどの距離を全く足を動かすことなく進んでいく様を想像してほしい。いやほんと、たまんない。
下って下って、ようやく道が落ち着いてきた頃に辿り着いたのはキレイに整備された道路。その道はすぐに二手に分かれ、左が車道、右が歩行者自転車用となっている。
整備され、広めにとられた自転車道。さらにその右側には緩やかに川が流れる、いわゆる河川敷。昼を過ぎ雪が降っていたことなど嘘のように晴れた、爽やかな青空。
四万十川沿いも良かったが、それをも上回る最高のロケーションだった。
多分さっき落ちた頭のネジを拾いきれていなかったんだと思う。くらうはそれを見ると、自転車を降りてぼふっ、と川沿いの芝に寝転んだ。
「最高だ。ここまでの苦労が報われた気がする」
「確かにここは気持ちいい場所だなー」
きょーこもご満悦な様子で、芝の上に寝転がって昼寝の態勢。そしてモアイヌもこの場所を気に入ったらしく、くらうの横でソーラービームを撃つ準備をしている。
午前中はかなり冷え込んでいたが、昼を過ぎればそれなりに暖かくなってくる。気を抜けば昼寝だってしてしまいそうな心地よさだ。しかし本当に昼寝をするのはいくらなんでもマズイ。意を決してがばりと起き上がり、道路を見上げる。
「なんかさ、この河川敷、ダッシュで降りてジャンプしたら、タイムリープできそうじゃないか?」
「はあ? 何の話だよ」
「時をかけちゃう少女の話だよ! オレあれめっちゃ好きなんだって! うん、そう思ったらテンションあがってきた!」
叫びながら全力で川に飛び込めば、過去に戻ってプリンを食べられるかもしれない。あ、いや、自分は少女じゃないから未来人になるのか。と、謎の思考を巡らせる。
「あーわからなくもねーけど、あたしは3年B組を思い出すな」
「あ、それもわかる!」
走ってたら自転車に乗った警官が追いかけてくるかもしれない。
一通り盛り上がると、名残惜しみながら河川敷を後にした。
とはいっても道は長く、しばらくはのんびりと気ままな走行ができそうだ。やはり車道と歩道が完全に分離されているとすごく走りやすくて気分がいい。道もきれいだし。
その道を抜けると、なんだか久々な気がする市街地である。ようやく四万十市街に突入したようだ。時刻はなんだかんだですでに4時前。寝床を探すにはやや早い気もするが、今日は目をつけている場所があるのだ。
「今日は、ネットカフェに泊まってみようと思う」
「お、さすがに今日は屋内か。すぐ近くにあるのか?」
「うん。市街地に入ってしまえばすぐ近くのはず」
実をいうと、くらうはネットカフェを利用するのは初めてだったりする。そのため昨日の初野宿同様、何気にワクワクしている。
「でも日が沈むまでもうちょっと時間あるから、のんびり向かおうか」
早めに場所の確認をしておいた方がいいのかもしれないが、正直もうかなり脚が参っている。できればゆっくり走りたいところなのだ。
どちらにせよ市街地に入ると人も信号も多くなるのであまり速くは走れない。マップで経路を確認しながら、ゆっくりと目的地へと向かってゆく。
「ただなあ、やっぱりネットカフェって若干高いんだよなあ」
「出た出た。昨日は凍死しかけたってのに、相変わらずの貧乏性発言だよ」
「いやいや、安いところだったら1000円そこそこで泊まれるっぽいけど、店によっては2000円近くかかったりもするみたいだし、侮れないのですヨ?」
「はいはい」
きょーこに軽くいなされるのは気に食わないが、出費は少ないに越したことはないのだ。
のんびりと自転車をこぎ、途中で見つけたたこ焼き屋でもしゃもしゃと間食などしつつ、くらうはようやくその店へとたどり着いた。
「ここかー。ちょっとドキドキするな」
「貧乏性なうえに小心者とか。救いようがねえな」
ぺし、ときょーこにでこピンを入れつつ店に入ろうとして――しかしくらうはその手前で足を止めた。
「なんだよ。やっぱり出費が惜しくなったとか言うつもりか?」
嫌味をぶつけてくるきょーこに、しかしくらうは言葉を返すことすらできなかった。
くらうの視線の先、店のドアに書かれた数字を見て、くらうは立ち尽くす。
金額、ではない。そこには恐るべき数字が示されていたのだった。
【営業時間 ~22:00】
「‥‥‥‥ええええええええええええっ!?」
思わずその数字を二度見、三度見する。しかし何度見たところでその数字に変化はない。
「ウソだろ‥‥? ネットカフェって24時間営業じゃないのか‥‥」
くらうの住んでいる近所のネットカフェは24時間だったし、色んな人の会話などからそれが当然だと思っていたのだが、くらうはここで常識を覆されることになった。
もしかしたら入店可能時間が夜10時までで、店内で寝ていることはできるかもしれないという微かな希望に賭けて一応店員に尋ねてみるが、そんな希望はあっけなく粉砕されてしまった。けっこうそっけなく10時で閉まります、と返される。泣きそうだ。
「‥‥‥‥さて、どうしよう」
「一気に当てがなくなったな。今日も野宿か?」
「死ぬだろ。今日こそ凍え死ぬだろ」
だって朝は雪降ってたしね。雪ですよ、雪。
どうしよう、としばらく悩んだ後、辿り着いた答えはとりあえず先に進もうということだった。この先に何か当てがあるわけではないが、ここにもない以上留まっていても仕方なく、進んでいればどこか都合のいいものが見つかるかもしれないという甘い考えだ。
「しかし、ヤバいな。足がもうパンパンなんだけど」
「それは筋肉がついてきたってことか?」
「疲れてるんですぅー。あーでも、かなりの勢いで鍛えられてる気はする」
「いや、無理しすぎてるし筋組織ボロボロなんじゃないか?」
「んー、否定できないのが悲しいな」
かなり無理をしながら、くらうは足摺岬方面に向けてとりあえず走りはじめた。ここから続くサニーロードなる道が整備されており、それがずいぶんと自転車にとって走りやすい道であることが唯一の救いだった。
先程の市街地に到着したのがすでに夕方前頃。日はどんどん沈んでゆき、辺りが暗くなるのに合わせてくらうの焦りも大きくなってゆく。
「マズイ‥‥。市街地から出たから、次の街に着くまでなんにもないな‥‥」
右手に山、左手に海という相変わらずの景色のなか、くらうは呟く。やはり先程の市街地でゆっくりと寝床を探すべきだったのかもしれない。もうそんなこと言っても遅いけれど。
「なあくらう、あそこに民宿があるよ。このままだとヤバいし、泊めさせてもらえばいいんじゃねえか?」
「んー‥‥そうだな。民宿の値段の平均が全然わからないけど、素泊まりだったらどうにかなるかなあ‥‥」
「上限はいくらなんだ?」
「にせんえんかな‥‥」
「安っ!」
しかしこのままだとかなりヤバいというのもまた事実。くらうはややしぶしぶ、民宿の前で自転車を停める。
ぱっと見は普通の民家に近い。おそらく自宅を民宿に改装したか、もともと自分たちも住まう予定で建てられたものなのだろう。そのような外見も相まって、仮にも民宿とはいえ突然見知らぬお宅に訪問するようでなんとなく緊張する。ちょっとドキドキしながら、くらうはドアの横に取り付けられたインターホンを鳴らした。
ぴんぽーん、と中で音がしたのがこちらまで届き、もしかして留守かな、と思わせるほどしっかり間を空けてからガチャリとドアが開かれた。
現れたのはまだ若そうな女性。腕に赤ん坊を抱えており、どこか訝しそうな目でくらうを見ている。
いや、旅人ですよ? お客さんですよ? 訝しんじゃダメでしょ、というツッコミはさておき、焦り半分戸惑い半分でくらうは尋ねる。
「あの、すいません、ここ素泊まりだったらいくらで泊めさせて頂けますか?」
「素泊まりだったら、4000円からですね」
「すいませんありがとうございました」
即答して民宿を後にした。
「‥‥参ったな、オトナってのは思ってた以上に‥‥金持ちなんだな」
「いや、くらうが貧乏性なだけっしょ。こんなもんだと思うよ?」
容赦なくくらうの繊細なハートをえぐるきょーこ。訝しまれたのってもしかしてこいつが原因なんじゃね?
肩を落としながら、くらうはさらに道を進み始めた。このまま進めば足摺岬のすぐそばに街が広がっているようなので、とりあえずそこを目指すことに。少し急げばギリギリ日没には間に合うかどうか、といった距離だ。
「なあ、さっきからちょいちょい見慣れないコンビニがあるんだけど」
「あ、それはオレも思った」
先ほどから数件のコンビニの前を通っているのだが、同じ店ばかりが目につくのだ。しかも誰もがまず思い浮かべるであろうロー○ンやファ○マではない(ちなみに当時セ○ンは四国には存在しなかった)。
色はちょっと濃い目の青。花かクローバーのようなロゴがあしらわれた、スリーエフというコンビニが大量にあるのだ。いやもう、それしかないと言っても過言ではない。
「なあくらう、○ーソンや○ァミマは丸抜きしてるのに、なんでスリーエフだけばっちり名前出しちゃってるんだよ。大丈夫か?」
「いやまあ、あんまり知られてないだろうし抜いたらわからないかなーと思って。というかまあ、多分ローソンやファミマもホントは丸抜きする必要もないと思うんだけど」
「結局言っちゃうのかよ!」
確か商用利用しなければ使っても構わなかったはずだ。まあそもそも、こんなどこぞの馬の骨が書いたとも知らない無料小説なんぞに文句を言っているほど暇でもないだろう。
そうこうしているうちに、山ばかりだった道にぽつぽつと店が見えるようになってきた。どうにか日没までに市街地に入ることができたようだ。
とりあえず発見したこの辺りでは最も大きそうなスーパーでパンを購入。もしゃもしゃと晩ご飯を食いながら、この辺りの地図を検索する。
「んー、すぐ近くに公園が1つあるな。それ以外は、何もないかも」
今いるのはあまり大きくはない市街地。RPGでいうところの、次の大きな街に向けての中継地のような場所だ。ポケ○ンでいえばトキワシティかシオンタウンくらいの規模だろうか。この先に大きな街があるかどうかは知らないが。
店を出ると、とりあえず近くの公園へと向かってみる。そこは小ぢんまりとした公園で、ぽつぽつと遊具が配置されており、面積の割にはものが少なくどこか物足りない雰囲気の漂う公園だった。
「スペースはあるけど、寝袋で寝るにはちょっと難しいかなあ‥‥。寒そうだし」
土管のトンネルがついたすべり台もあるが、あの中で寝るのは狭すぎる気がする。試しに入ってみるが、大の大人が入るにはやっぱり狭い。そして傍から見ると気持ち悪い。
「どうしよう。マジで寝る場所が見つからないぞ‥‥」
「なら聞いてみればいいじゃんか」
「誰に」
「警察」
「あ、なるほど」
確かに妙案だ。そういえばさっき、近くに警察署があることも確認していた。もうずいぶん日も落ち、辺りは薄暗くなってきている。そうと決まれば善は急げ。さっそくくらうは警察署へと向かった。
節電のためか、本日の基本的な業務が全て終わっているからか、警察署の中は少し薄暗い。
くらうは一番に目についたカウンターの向こう側の婦警さんに声をかける。
「こんばんは。すいません、ちょっと教えてほしいんですけど」
くらうに気がついた婦警さんは愛想良く挨拶を返してくれる。
「このあたりで雨風がしのげる場所ってありますか?」
近辺にはなにもないようなので、屋内はもう諦めている。とりあえず少しでも暖かい場所を求めて尋ねると、婦警さんはくらうの姿を見て旅行者かつ野宿する場所を求めているのだとすぐに理解してくれたのだろう、予想以上に明るく積極的な対応をしてくれた。
ばさりと周辺の地図を広げ、この辺りにあるスペースを紹介してくれる。
最初に教えてくれたのは近くの港。倉庫などが立ち並んでいるので、その傍であればいくらか眠るスペースもあるだろうと紹介してくれた。
「あー、でも海に近いから風向きによってはかなり寒いかもしれませんねー」
一連の説明を聞いて、くらうがまず一番に思ったこと。
訛りがすげえ。
理解に苦しむ方言が含まれているというわけではない。アクセントも比較的標準に近い気もするので聞き取るのに苦労することもない。しかし語尾が、あっさり聞き流せないほどに訛っている。具体的には「が」が大量に入っているのだ。「~がーですけど」、「~がーですが」と、言葉の合間合間に「が」が挟まるこれが高知の方言なんだろうか。もしかしたらこの辺りは田舎っぽいし、特に訛りが強いのかもしれないけれど。かくいうくらうも母親が田舎育ちのため、同じ岡山出身の人でさえ眉をひそめる方言を使ってしまうことがあるし。
だがしかし、せっかく親切に教えてくれているのだから変なツッコミは入れるべきでないだろうし、真面目に聞いておくのがベストだろう。すごいとは思うが別に笑ってしまうようなものでもない。
そして次に教えてくれたのが屋根つきのバス停と、昔使われていたという警察官の宿舎のような建物。今はもう誰にも使われていないため、部屋の中はさすがに無理だが駐輪場や階段下などは好きに使ってくれて構わないと言ってくれた。
「この道をまっすぐ進んでもらったら、スリーエフが見えてくるのでその道を曲がって――」
そして当然のようにスリーエフが目印になっていた。「というコンビニ」、などの補足すらない。来るまでに何度も見かけたように、この辺りではわかりやすい目印なのだろう。
そうした説明をしている婦警さんの後ろで、途中からその様子を眺めていた男性警官がいたのだが、ものすっっっごい苦い表情をしている。多分野宿をするという行為を助長しているのが気に入らないのだろう。そんなに嫌ならここで寝かせてくれ。それがダメならそんな嫌そうな顔するな、と言いたかったが、向こうとしてもここで寝ろとも言えないし、野宿するなと言ったらじゃあどこで寝ればいいのかという話になるので、なんとも言えないのだろう。
それに比べて説明してくれている婦警さんの親切っぷりは半端じゃない。もしかしたら、するしないは別としてこういう旅行なんかが好きなのかもしれない。男性警官が文句を言えない理由の1つに、この婦警さんの親切ぶりも少なからず含まれているような気がする。ここまで教えてくれておいて、やっぱりダメとか言いづらいだろうし。
さらに見回りの警察にも伝えておくので、何かあった時のために連絡先を教えておいてくれとまで言われ、なんかもう万全の体制でくらうという珍獣を保護してくれるようだ。
「あの、あと新聞紙いくらかいただいてもいいですか?」
帰り際にくらうはそう頼み、今夜は冷えるだろうという事情さえ理解してくれたらしい婦警さんは笑顔で3束ほどの新聞紙を渡してくれた。婦警さんマジ天使。
警察署を後にすると、まず最初に訪れたのは警察の旧宿舎という建物。道端よりはよほど快適だろうと思って来てみたのだが――どうやら考えが甘かったようだ。
今は使われていない建物。言いかえれば、それはつまり廃屋なのだ。さすがにボロボロの幽霊屋敷のようにはなっていないとはいえ、わずかではあるが周りは自然に侵食されつつあり、自転車置き場などは、ある程度は元々の仕様でもあるのだろうが、びっしりと屋根の骨組みが植物に覆われ、街灯などの光を完全に遮断している。そして建物側へ回ってみると、少し階段を上がったところにまず一室があり、さらにその上にも階段が伸びている。そしてその最初の一室へ向かう階段下に空間があり、確かに十分寝られるほどにはスペースがあるようだ。
しかし、人の住む場所から一切人の気配が感じられないというのは、想像以上に不気味なものなのである。
建物がある。階段がある。扉がある。なのに人の生活の匂いが一切感じられない。
「どうした、ここじゃダメなのか?」
「いやいや、ここ怖いだろ!」
躊躇いなく、かつ端的にくらうは今の心境を述べた。だって、本当に怖いんだもの!
「‥‥キャンプ場の時もそうだったけどさあ、くらうってけっこう怖がりだよな」
「どうだろうな。人並みだと思いたいけど」
「もしかして幽霊とか信じてるのか?」
「うーん、見たことないけどいるなら興味深いなっていう程度。でも幽霊云々じゃなくて、不気味な場所は苦手かな」
「あー、なるほどな。案外そういうヤツって多いかもな」
ここは怖いので別の場所に移動。怖いので。
もう1つ教えてくれていたバス停は、一方向が完全に開けた壁と屋根で覆われた簡素な空間で、中には数脚の椅子が並べられている。道路に面していて丸見えだし、とても良い場所とは言い難いが、寝られない場所でもない。
ちょっと悩んでしまう場所だが、もう他に選択肢もこれ以上探している余裕もない。結局この日はここで寝ることに。
バス停内の椅子を少し前にずらしてスペースを確保。壁と椅子の隙間に寝袋を敷いて、今日も自転車とバッグにはしっかりロック。寝袋の中にはもらった新聞紙を敷きつめて包まれるようにし、持っている靴下全てを履いて、服も二重に着て防寒対策もガッツリとする。
ここまで準備するとこれ以上できることもない。くらうはすぐに横になって目を閉じた。
‥‥‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥‥
が、やっぱりなかなか寝付けない。
普段夜遅く寝ているくせに、突然7時や8時に寝ようとすることにも無理があるのだろう。やっぱりちょっと寒いし。
どうにか寝ようと目をつむっていると、バス停の前を2人組だと思われる誰かが歩いて通り過ぎてゆく気配。
「~~‥‥~気持ち悪‥‥~~」
ぼそりと聞こえたそのセリフは会話の一部だったのか、こちらに向けられたものだったのか。わからないけどちょっと傷ついた。
ぎゅっと目をつむって、どうにか寝ようと試みる。寝心地は悪いし寒いし早い時間で寝づらいが、疲れのせいもあってか、それでも少しずつ意識は眠りへと沈んでいく。
そうして坂道やら閉店するネカフェやらで困難続きではあったが、親切な婦警何のおかげもあってどうにか無事平穏に1日を終え、くらうは静かに眠りに落ちてゆくのであった。
――と、きれいに終わることができたらどれだけ良かったことだろう。
昨日と全く同じ状況だった。文章すらコピペなくらい、同じ状況だ。
今日も今日とて、寒くて目が覚めた。昨日より防寒対策はしっかりしているはずなのに、それでも寒かった。まあ雪が降るくらいだ。おそらく今日も気温は0℃とかになっているのだろう。耐えられないかもとは思っていたが、実際に再びこの状況に陥るとやはりツライ。
時計を見ると時刻は深夜2時頃。昨日とあまり変わらない。寝付く最後に時間を見たときには確か10時頃だったので、4時間ほどは眠れたようだ。これも昨日と同じくらい。
寝袋の中の新聞を掻きよせ、どうにか寒さをしのごうと体を丸める。
こういう危機的状況の時のことは、案外ずっと覚えているものだ。やはり印象的な体験だからだろうか。いやもう、印象的っていうかめちゃくちゃ必死だったんだけど。
これも昨日と同じ、体を丸めることで少しだけマシになったような気がする。できる限り気持ちを落ちつけ、睡眠に集中する。
‥‥‥‥
「‥‥やっぱムリ」
ほんのわずかな時間寝ていたようだが、数十分としないうちに目が覚めた。これはいくらなんでも、やっぱり無理だ。
時刻は深夜3時。その時間になってくらうは眠るのを諦め、ごそごそと寝袋から這い出した。寝袋から出ても昨日のように全身がガタガタと震えだすことはなかったが、それでも十分耐えがたい寒さだ。
「‥‥ん。どうしたくらう、また眠れないのか? ‥‥って寒っ! 今日も寒いなおい!」
くらうとは違って今までぐっすり眠っていたらしいきょーこは、目を覚ますとぶるっと体を震わせた。
これだけ寒くても起きるまで気づかないとか。今ばかりは本気できょーこになりたい。今すぐ魔法ストラップ少年になりたい。
「なんか、昨日と違って今日は落ち着いてるんだな。これからどうするんだよ」
そう。今日は寝られないからどうしよう、と昨日のように慌ててはいない。理由は簡単、当てがあるからだ。
「屋内に避難する。ほら、すぐそこ」
移動というほど移動する必要もなく、くらうがやってきたのはこんな時間であろうと当然のように店内に明かりを灯しているありがたいお店、コンビニ。その名もスリーエフである。
ちなみに旅行から帰って高知出身の後輩にこの時の話をしたところ、少し前までスリーエフは24時間営業ではなかったそうだ。よく頑張った、スリーエフ。
店内に入るとやる気なさそうな店員が1人レジにいるだけで、客はくらうの他には誰もいない。
申し訳ないとは思うが、くらうの入店目的は買い物ではない。そしてコンビニで時間を潰すといったら、することは1つしかないだろう。
まっすぐと雑誌コーナーに向かうと、背中の荷物をおろして立ち読み開始。多分レジの店員はイラッとしている。
夜明けの時刻はおおそそ6時ごろというのは把握している。それまでずっとここで立ち読みしていてもいいのだが、さすがに同じ場所に立ちっ放しは脚が痛いし、店員の放つ早く帰れという暗黒のオーラに耐え続けることも難しいだろう。
くらうが雑誌を置いたのは4時半。入店してから夜明けまでの時間の約半分。さすがに何も買わずに出るのはよくないかと思い、菓子パンとホットコーヒーを買って店を後にする。
「おいおい、こんな時間に店出てどーすんだよ」
「大丈夫、ちゃんと考えがある。っていうか寒いな」
店の駐車場でとりあえずパンとコーヒーを食すが、外はやっぱり寒い。
くらうは早めにそれらを平らげると自転車に乗り、今日来た道を引きかえし始めた。そして数分後、とある店の前で自転車を止める。 そう、ここに来る途中に確認していたのだ。ここにも――スリーエフがあることを。
「ってまたここかよ!」
「いやだって、コンビニくらいしか空いてる店ないし。このへんスリーエフしかないし」
そして再び入店。同じ店にい続けるのは居心地が悪いということで、スリーエフをハシゴである。
店内にはやはりくらう以外の客の姿はない。入店すると再び迷わず雑誌コーナーへ。多分レジの店員はイラッとしている。
立ち読みを開始してしばらく、最初は適当なアニメ関連の雑誌を見ていたのだが、ふと思いついて観光ガイドを手に取った。開いて探してみると、当然のごとく高知県も載っている。
「お、何見てんだよくらう。それってここだよな」
「そうそう、せっかくだし、事前に見るとこ調べとこうと思って。ついでだしいくらか寄り道するのも楽しそうだしな」
「おお、まともに睡眠もできてねえのによくそんな悠長なこと言えるな」
ぺらぺらとガイドブックをめくっていると、高知にも調べていなかった観光地がいくつかあるようだ。
「へえ、このちょっと先に四国カルスト、っていう場所があるらしい。有名っぽいぞ」
「なんだそりゃ、どういうところなんだ?」
「えーっと、高原に色々自然が広がってるみたいだな。山岳道路なんだってさ。‥‥山岳」
「要するに、坂道ってことか」
「パスだな」
自ら坂を上りに行くとか、正気の沙汰ではない。もう坂はこりごりだ。
「ここから行けそうなとこは‥‥ってもうすぐ愛媛なんだけどなー」
「なあなあ、観光地なんかどーでもいいじゃんか。ほらそっち、グルメガイドあるじゃん! 美味いもん探そうよ! 食べ歩きしよう!」
「それいいな。そうしよう」
食い物の話になると急に活き活きとし始めたきょーこの案に、くらうも乗り気でグルメガイドを手に取った。
「高知といえば、食べ物でいったらカツオかな」
「タタキだな! あとお菓子の芋けんぴってやつとか、アイスクリンってのもあるよな!」
「愛媛に入ったら、やっぱりみかんかな」
「みかんジュースだよな! 伊予かんとか温州みかんとか、色んな種類試してみよう! あと愛媛だったらじゃこ天や鯛メシなんかも有名だよ! お菓子だったらタルトとか団子かな!」
「詳しいなお前‥‥」
活き活きどころではなかった。大興奮だ。どれだけ食うの好きなんだよ。
そうしてくらうは雑誌コーナーにて、店員の『退店と逝去を望む闇の波動~暗黒の魔王が如き憤怒の視線~』を背中にビシビシと浴びながら、夜が明けるまでの時間を潰すことになるのであった。
7、 3月13日(6日目)・公園の中心でジョン万次郎を叫ぶ
コンビニで雑誌を読みふけること約1時間半。ようやく真っ暗だった外の景色もぼんやりと明るくなってきたようだ。
しかし昨日からまともに寝てないせいで、日付と章の区切りをどこでするかが曖昧で非常にめんどくさい。早くまともに寝てほしい(過去の自分に向けて)。
雑誌を閉じ、再度パンとコーヒーを買って店を後にする。まだ冷える屋外でとっととパンを食い終えると、薄暗い道のなかのんびりと自転車を走らせる。出発、というよりじっとしているのも何なのでぶらぶらしているだけだ。
寝ようと思っていたバス停を通り過ぎてさらに進んでゆくと、何か公園のようなものを見つけた。なんとなしに立ち寄ってみると、そこには大きな彫刻が。
「これは‥‥ジョン万次郎じゃないか!」
彫刻の台座に掘られた名前と、近くの看板を見てくらうは驚きの声をあげた。
「誰だそりゃ?」
「なんか、有名な人だ」
「驚いたわりに適当だな」
「いやだって、ジョン万次郎だぜ? ジョン万次郎。なんかさ、ついつい声に出したくならないか? ジョン万次郎!」
「いや、よくわかんないけど、そんなにジョン万次郎が面白いか?」
「ジョン万次郎っていったら、中学か、高校だったっけ? の教科書に確か載ってたけど、授業のあとはみんなでジョン万次郎、って無駄に言ってた気がする。ジョン万次郎!って」
「ジョン万次郎ジョン万次郎うるせえな。なんでそんなにジョン万次郎を繰り返してんだよ」
「と、言いつつきょーこもジョン万次郎ってさっきから何回言ってんだよ。やっぱ気に入ったんだろ、ジョン万次郎」
「くっ‥‥認めたくねえけど、確かに言いたくなってくるな。ジョン万次郎」
「な、ジョン万次郎って名前にはなんか繰り返したくなる魔力が秘められてんだよ。なんせジョン万次郎だからな」
「恐ろしい男だな、ジョン万次郎。こうも簡単にあたしを陥落させるとは。ジョン万次郎」
「だろ。ジャン万次郎だろ。昔テレビで見たジョン健ヌッツォも思わず何度も繰り返したものだが、今はジョン万次郎だよな」
「確かにな、ジョン万次郎!」
「ジョン万次郎!」
「あはは、ジョン万次郎!」
「ていうか見ろよこの説明文。ジョン・マンて書いてあるぞ。なんかバカにしてるっぽいよな。ジョン・マンって! ちゃんとジョン万次郎って言ってやれよ!」
「ジャン・マン! ジョン万次郎! いや、バカにしてんのは明らかにあたしたちだろ。どんだけジョン万次郎言ってんだよ。ジョン万次郎!」
「ジョン万次郎!」
一通り過去の偉人をバカにすると(ごめんなさい)、くらうは海へと視線を向けた。
そこにはなぜあるのかはわからないが、ステージのように周囲より一段高くなった丸いスペース、そしてその奥には海と山を眺めるために設置されているのか、ぐるりと腰ほどの高さの手すりに囲われた場所。そこへ向かい、静かに海を眺めていると、視線の先の陸地から次第に明かりが漏れ出してきていた。
「うわあ、すげえ‥‥。日の出だ」
まさに日が昇る瞬間。山間から少しずつ顔を出し始める太陽を見て、くらうは思わず感嘆の呟きを漏らした。
「へえ、きれいなもんだね」
「これだけ見るとすげえ荘厳な雰囲気なのに、さっきまでジョン万次郎言い続けてたせいでちょっとバカっぽい空気になってるよな‥‥」
「自業自得だろ。いや、こればっかりはジョン万次郎のせいだな。ジョン万次郎自得だ」
くらうは再び朝日に見入り、きょーこも淡い日の光に照らされながら景色を見つめている。モアイヌも感動しているのかどうかは知らないが、静かに山の向こうを見つめて朝日を浴びていた。まあ、いつも静かだけど。
「でも本当きれいだな。寝てないのはつらいけど、そのおかげでこの風景を見られたんならむしろ良かった気がする」
「ま、走ってたらすぐにそうも言えなくなるって」
「今くらい現実逃避させてくれ‥‥」
8、 3月13日(6日目)・屋内という名のユートピア ~歌とジュースもあるよ☆~
「章変わるの早すぎだろ!」
「ぶっちゃけ、さっきのはあの章タイトルつけたかっただけだから。タイトル回収が早すぎたから今から仕切り直しだ」
初っ端からきょーこのツッコミで始まる今章。現在の状況はジョン・マン公園を出、国道沿いに愛媛を目指しているところである。
「そういえばさ、昨日着いた場所って足摺岬があったんだろ? 室戸岬には行ったのに、そっちは行かないのか?」
当然といえば当然の疑問である。しかしそれは徳島でニーチャンとおっちゃんと出会った時にも少し話したことだったが、くらうは最初から足摺岬は避けるつもりだった。
「ちょっと調べたのと、行ったことのある人から聞いた話なんだけど、足摺岬までの道は狭い山道だからかなり危険なんだってさ。車で言った人が自転車は絶対止めた方がいいって言ってた」
「ふうん。でも似たような道何度も通ってるじゃねえか」
「まあな。でも数人に聞いたら、全員に止めとけって言われるような道だから、さすがにそこまで危ないなら止めとこうと思って。それにな、あの辺りってどうやら自殺のスポットらしい」
「げ、マジかよ‥‥」
幽霊の話にはあまり関心を示さなかったきょーこだが、自殺という生々しい単語にさすがに顔をしかめる。
「なんか多いらしいよ。ホントかどうかは知らないけど、夜中に車で向かった人が、詳しい話は忘れたけど、途中なんだったかすげえ不気味な体験して急いで引き返して、朝車を見たらべったり手形がついてたんだってさ」
「さすがにそれは怖ええな‥‥」
「な。だから足摺岬はパス。昨日は夜で今は早朝で時間も悪いし」
人が少ない時間帯というのはそれだけそういった危険も大きい。信じているかどうかは別として、わざわざ危ないという場所に飛び込んでいく気はない。
「と、言うわけで本日から食べ歩きの旅を始めます」
「いよっ、待ってました!」
あまり気味の悪い話をしていても良い気分ではないので、早速話題を楽しい方向に転換する。きょーこもそちらのほうがよほど興味があるらしく、即座にテンションを切り替えていた。
まず最初に立ち寄った道の駅。そこで見つけたのは【姫カツオスティック】という、カツオの切り身のようなものがスティック状に加工されたものだ。数種類の味付けがあり、とりあえずノーマルなもの(確か塩コショウ)と、ゆずぽん味というのを購入してみた。
「む、案外美味いな」
まず普通の味を食べ、思ったよりも美味しくて感心する。味は普通の焼き魚といった風だが、こんな手軽に食べられるのならなかなかいいかもしれない。
そして続いてゆずぽん味。魚×ゆずぽんとか最強だろう、と思いながら口にし、
「‥‥なんか、普通のと違いが感じられないんだけど」
「まあ、ほんのりとゆずの味がしてる気もするけどね」
美味しくないわけではないが、期待してたのとなんか違う。コレジャナイ感が強い。
それらを食べ終えると、さらなる名産を求めて出発。今日はどんどん美味そうなもんを食べてゆきたい所存である。
しかしそんな思いもむなしく、そこからしばらくは山道を走ることに。
主な目的に食べ歩きを加えたとはいえ、観光地らしきものを発見したのならば寄り道しない手はない。くらうは山道の途中で【叶灯台】なるものを発見し、それがあるという道へと逸れて走っていた。
いや、走ってはいない。道を逸れてすぐ、さながらト○ロでも出てきそうな木々のトンネルの中を走る土の道となってしまったため、現在は押し歩き中である。
そしてその道を抜けた先、そこにあったものを見上げ、くらうは呟いた。
「これは‥‥灯台だな」
そこには灯台があった。終了。
「ええ‥‥けっこう大変な道頑張って進んできたのに、ふっつーの灯台じゃん‥‥」
「いーや、わかんねえぞ。実はすっげえ灯台なのかも知れないよ」
「何がどうすごいんだよ」
「それはな、なんか、こう、どわーって、なってるんだよ」
抽象的すぎた。というかどわーっとなったら何がすごいのかもよくわからない。
まあ聞いたこともない場所だし、不意に発見して訪れたところなんてこんなものだろう。気を取り直して大自然の山道を引き返し、くらうは今日も自転車を走らせる。
「うおあー、脚がパンパンだー。筋肉つー‥‥」
どわーっとなってるらしい灯台を後にして1時間ほど。くらうは道の駅【大月】で休憩をとっていた。
いい加減、くらうの体は悲鳴を上げ始めている。まともに寝ていないというのも大きな原因であるだろうが、毎日の無理な走行により朝から脚がダルく、坂を上るのに力を入れて踏み込むと、腿のあたりがピクピクと軽く痙攣していることが感じられる。
「ヤバいなあ。まだまだ終わりは遠いのに、体がもつかなあ」
「諦めんなよ! もっと熱くなれよ!」
「おおう‥‥それは定番のMAD素材じゃないか」
「モア、ミナラッテ、ミケロ!」
「そうだなあ、何事に対しても微動だにしない精神は見習いたいなあ」
当のモアイヌは相変わらずくらうの肩の上で周囲の気配に溶け込んでいる。そろそろ溶けてなくなるんじゃないだろうか。
「なあなあ、ここでもなんか美味しいもん食べていこうよ」
「ああ、なんか良さげなもんあるかな」
道の駅内の店に入ると、棚の上には様々なお土産品が並べられている。どれも美味しそうには見えるが、すぐ食べられて荷物にならないものという大前提は守らなければならない。
「なあ、レジんとこにあるブリちまきってやつ、美味そうじゃないか?」
きょーこが示す先、そこにはコンビニのファーストフードのような雰囲気で、見慣れない食べ物が置かれている。
見た目は普通のおにぎりのように見えるが、中にぶりの角煮が入っているらしい。確かにとても美味しそうだ。
さっそく1つ購入して椅子に座って、かじりつく。
「‥‥‥‥! これは、美味い!」
1口かじって、くらうは瞳をぱっと輝かせた。
笹の葉に包まれたおにぎりの中にごろっとしたぶりの角煮が入っており、甘辛い味付けが絶妙だ。ごはんはもち米を使っているのかもっちりとしていて食べごたえもある。ちまきといえばこどもの日のかしわ餅に並ぶおやつという認識が強かったので、そのあたりの意外性もありこれはかなりの感動ものだ。
「あたしにもくれよ!」
くらうがブリちまきを差し出すと、1口分ほどがぽっかりとなくなり、きょーこの手の中に小さなブリちまきが出現する。つくづく羨ましい能力だ。
「うおっ、ホントだ! これは美味え!」
それを1口かじり、きょーこも弾んだ声をあげる。
「笹の葉に包まれてるおにぎりの中にごろっとしたぶりの角煮が入ってて、甘辛い味付けが絶妙だ。ごはんはもち米を使ってんのかもっちりとしてて食べごたえもあるな。ちまきっつったらこどもの日のおやつみたいなイメージ強いから、そのギャップもあって感動もんだな!」
「おう‥‥地の文と同じ説明をありがとう」
「大事なことなので、2度言いました」
「‥‥ああ、そうだな」
「可愛そうな目で見んな!」
予想外の美味いものに満足し、くらうは上機嫌に足を進める。
「そろそろ気温もマシになってきたかなー」
時刻は9時過ぎ。朝はまだまだ上着のウインドブレーカーが必要なほど気温が低かったが、そろそろ上を脱いでも大丈夫そうだ。
「ていうかくらう、昨日・一昨日とあんな寒空の下で寝てて、風邪とか引いてないの?」
「あー、それオレも結構心配してたんだけど、どうやら平気みたい」
「あー、あれな。なんとかは風邪ひかないってヤツだ」
「そうそう、秀才でイケメンのムードメーカーで空気も読める素敵なくらうは風邪ひかないんだよな」
「個人限定!?」
「でも、なんか異様に唇が荒れてる」
「なんだよそれ‥‥」
素敵なくらうが次に差しかかったのは、整備が行き届いたうえ車道と歩道が分離された道。それだけ聞けばかなり走りやすそうな道だが、しかしその向かう先は坂道だった。
「だああ‥‥また坂道か‥‥」
「でも車道と分かれてるし、まだマシじゃん」
「まあそうなんだけどさあ‥‥」
走りやすいとはいえ、今日は朝から脚が参っていることもあり、いい加減坂は勘弁してほしい。
なんて言ったところで、行くしかないんだけれど。
「しゃーない、頑張るかー」
くらうは小さくため息をついて、腿をピクピク痙攣させながらえっちらおっちらと坂を上り始める。
と、突如くらうの足元でメキャッ、と金属が軋みをあげるような、そんな何かひどく危険な音が響いた。くらうの背筋がぞくりと寒くなる。
「‥‥なんだよ今の音」
乗っているのは折りたたみ自転車だ。しかもすでに2年近く経っているうえ、走行量は尋常ではない。仮にこんな山中で自転車が走らなくなってしまったらと思うと、想像するだに恐ろしい。くらうは戦々恐々としながら、愛するエミリアの状態を確認する。
「‥‥うおあ。何だこれは‥‥」
見ると、チェーンを覆うカバーが見事にめくれあがっていた。どうやら靴がカバーの端に引っ掛かり、そのまま持ち上がってしまったらしい。
「おいおい、それ大丈夫なのか?」
「どうだろう、すぐ直ると思うけど‥‥」
くらうはカバーをグイっと折り曲げるように、元の状態へと戻す。
「ん、けっこう簡単に直りはしたけど、なんかちょっと不安だな。またいつ引っかかることか」
「そんな修理で大丈夫か?」
「大丈夫だ。もんd‥‥って言わせんな!」
こればっかりはノリにまかせて変なフラグを立てるわけにはいかない。まだまだエミリアには一緒に頑張ってほしい。
「大丈夫だとは思うけど、用心に越したことはない。注意するようにしておこう」
しっかりフラグを回避して返答。気を取り直して自転車にまたがり、もう一度引っかからないように注意しながら、再び坂を上り始めた。
その坂道は白壁のトンネルへと入ってゆくが、電灯も灯っているおかげで中は明るく、丁寧に舗装されているのでずいぶんと走りやすい。なによりすぐ横を車が走っていないというのがなによりありがたい。
とはいえ、やはり坂道は坂道。いくら道が良かろうとしんどいことに変わりはない。
「なあ、ちょっと気になるんだけど‥‥」
「なんだよ」
息を切らせて坂を上りながら、くらうはふときょーこに尋ねる。
「この坂上ったのって、ホントにこのタイミングだったっけ‥‥?」
「はあ‥‥? 何の話をしてんのさ」
「メタな話だよ!」
「知らねえよいきなりキレんなよ!」
くわっ! と険を露に答えるくらうに、きょーこも荒く怒りを返す。無駄に騒いで疲れが増した。
「ったく、つまりアレだね。また前と同じ『漆黒の闇に葬られし記憶』が発動したってことだな」
「あれ、名前変わってね‥‥? ていうかラヴはどこから出てきたんだよ‥‥」
どうやらきょーこは厨二病という、何人にも逃れることの出来ぬ暗黒の宿命にその身を蝕まれてしまっているようだ。くらうは盟約に縛られしきょーこに憐憫の情を抱きながら、自身の思わんとすることの供述を再開する。
「でさ、このトンネル坂抜けたらオレたち次の道の駅に着くだろ?」
「いやいきなり未来の話されても知らないけどさ‥‥」
「着くんだよ。『そしてくらうは道の駅【すくも】に到着した』ってナレーションが入る」
「あっそ。で?」
もはやまともに相手もしてくれないきょーこが冷たく次を促す。くらうは若干寂しい気持ちになりながら言葉を続けた。
「でもな、よくよく考えるとこの坂は道の駅より後にあったような気もしてきたんだよ。この坂が高知にあったのか愛媛にあったのか、その辺りの記憶も判然としない」
「メモがあるんじゃないの?」
「そのメモの書き方がわかりづらいんだよ。こんなもん書くと思ってなかったから、そのあたりの時系列が曖昧だしさー」
「別にいいじゃねえかそんな細かいこと。‥‥そうだ、あたしにいい考えがあるよ。
この物語は少しばかりのメモと過去の曖昧な記憶を基に書かれています。そのため不鮮明な描写や実際の道と齟齬があることもありますが、ご了承ください。
‥‥完璧だろ?」
「おお、そういう手があったか‥‥。いや、ていうかきょーこ、そんな丁寧な言葉も使えるんだな」
キラン、と目を輝かせながら、流し目でドヤ顔を見せつけてくるきょーこに、くらうは色々な部分に感心を禁じえない。
まあとにかく、そういうことなのでご了承ください。
「ほらほら、そんなメタ発言してる余裕があったらもっと頑張りなよ」
「ああ‥‥そうだな。いい加減かなりしんどくなってきた‥‥」
思った以上にトンネルの坂道は傾斜がキツく、道も長い。少し先にはトンネルの出口が見えているのだが、その出口をここからだと見上げなければならないというのが、それだけでひどく気が滅入る。どれだけ標高が上にあるというのか。
必死にペダルを踏んで坂を上っている途中、ふとトンネルの壁に掲示板のようなものがあり、何かが掲載されているのが目についた。なんとなく気になり、足を止めてそちらに目を向けると、そこにあったのは【トンネルができるまで】と書かれた説明文といくらかの写真。
「‥‥‥‥」
息を弾ませながらくらうはしばらくそれを眺め、
「‥‥んなもん、知らねえよおおお!」
全力でツッコんだ。
「こっちは疲れてんの! 脚がピクピク痙攣してんの! そんな状態の時にそんな情報与えられたって興味なんか持てねえよどーでもいいよ! 今欲しいのは休憩所! 椅子がある休める場所! ああもう何でこんなに坂長いんだよこのヤロー!」
「おいこら落ちつけくらう! ソウル○ェムがすげえ勢いで濁ってるぞ!」
危うく魔女化しそうになっていたくらうを、どうにかきょーこがたしなめてくれた。危ないところだった、ともすればマゾになっていたかもしれない。
「‥‥すまないきょーこ」
「気にすんな。もしマゾになっても、あたしがちゃんと踏んでやるからさ」
「ありがとう! なによりのご褒美‥‥ハッ!?」
「ギリギリアウトだったみたいだな‥‥」
気を取り直して再度坂を上り始める。坂道の途中で足を止めてしまうと、そこから再びこぎ出す瞬間が一番ツラいのだ。
「なあ、くらうはマゾなのか?」
「ちげえよなんでその話続けてんだよ。変態扱いするんじゃねえ。オレはどっちかというとSだ。サドだ。でも凌辱とか痛みが伴うものはあんまり好きじゃなくて、強気な女の子を押し倒して焦らして言葉で攻めて堕として、色々と懇願させるシチュエーションとかが大好きだ。いや、もちろん素直な娘も好きだぞ。素直な女の子を押し倒して焦らして、頬を染めながら一生懸命懇願するシチュエーションも最高だと思う」
「なんでいきなり流暢に語り出してんだよ! Mよりよっぽど変態じゃねえか!」
「バカにするなよ! 至高は幼女と妹だ!」
「最っ低だなおい!」
「いつか純粋無垢な妹系幼女をオレ色に染めていく類の官能小説を書くことが夢だ!」
「もうお前滅びろ! 社会のために今すぐ滅びろ!」
などと途方もなくくだらないやり取りをしている間に、くらうはようやくトンネルを抜け、坂のてっぺんに辿り着いたようだった。
いったん自転車を止め、くらうは脚を休ませる。
「ふう‥‥下らないノリのせいで、無駄に疲れた」
「誰のせいだよ」
「オレ!」
「ファイナルアンサー?」
下らないノリは続く。
そしてくらうは道の駅【すくも】に到着した。
「すげえ、ホントに着いたな。しかもナレーションも入ったじゃんか」
「だろ。今のオレには、未来予知とか余裕だぜ。なんたってここは二次元だからな。やろうと思えば魔法だって使える」
「くらうも魔法ストラップ少女だったのか!?」
「ストラップでも少女でもねえよ」
そんなくらうがいるの道の駅はちょっとした休憩所と、少し寂れた雰囲気の食事処がある程度の小さな場所だ。
「お、見ろよそこのたこ焼き屋。看板に面白いこと書いてある」
その店の看板には【豊ノ島が勝てばたこ焼き50円引き】と書かれている。
「誰だよ、豊ノ島って」
「相撲取りだよ。母親がひいきにしてる力士なんだ。へえ、宿毛市出身だったんだ」
観光地や名所ではなく、テレビで見ている人に関連するものをこうして直に見ると、何となく身近な存在に感じられる。くらうが応援している力士は他にいるが、ちょっと豊ノ島も応援してあげたくなってきた。ちなみに執筆の段階で現役の好きな力士は琴奨菊。
「お、こっちの店にはカツオのタタキがあるけど‥‥げ、こんなに高いもんなのか」
「いいじゃんせっかくなんだし。食っていこうよ」
「‥‥いや、さすがにこの値段は手が出ない。無理だ」
「ったく、相変わらずの貧乏性だな」
「たかだか数日で金銭感覚が変わるもんか」
あっさりとタタキを諦め、くらうはベンチに座って休息をとる。脚が温まってくれば少しはマシになるかと思ったが、どんどんキツくなるばかりで状況は一向に良くならない。いったいどこまで無理が効くことやら。
と、先ほどから気にはなっていたのだが、周囲をうろうろしていた1匹のネコが、休んでいるくらうの足下にすり寄ってきた。何度も足に顔をこすりつけ、垂れさがったバッグの紐にまで頭を押し付けようとしている。
「お、おお‥‥やべえ‥‥めちゃくちゃ可愛い‥‥」
ずいぶんと人間に慣れているようだ。ここの店の人の飼いネコだろうか。くらうが頭を撫でてやっても全く嫌がらない。
「これは参ったな。このままでは、動けないじゃないか」
何度も何度も足に体を擦りつけてくるものだから、可愛くて移動ができない。
「そんなにネコ好きなのか」
「大好き❤」
のどを撫でてやると気持ちよさそうにゴロゴロとのどを鳴らしている。
ああ、どうしよう。今日今までの疲れが全部抜けていくようだ‥‥。
「おお‥‥ネコってすげえな。くらうの表情が今までになく緩んでやがる‥‥」
しばらくネコを撫でているいるうちに、くらうは身の危険を感じ始めていた。ランニングのあと、たまたま近寄ってきたネコと1時間近くたわむれていたという経験を持つくらうである。このままだと永久にここに居座ってしまうことになりそうだ。
「ごめんな。オレ、そろそろ行かなくちゃならないから」
名残惜しいが、迷いを捨てて立ち上がり自転車のもとへ。
しかしネコもついてくる。足にまとわりついてくる。
「‥‥し、しかたがない。もうひと撫でだけ」
捨てきれなかった。
「よし、ホントにもう行くな。じゃあ最後に‥‥」
うろうろしているネコは1匹ではなかった。せっかくなので(←迷い)もう1匹もちょっとなでなでもふもふしようと近寄るが、
「む、こっちのネコは人間嫌いか」
そちらのネコは近づくと逃げて行ってしまう。同じ場所にいるネコでも人間に対する態度が違うのは個性なのだろうか。
「ていうかあのネコ目つき悪りいな」
「それはオレも思ってた」
なんか少し離れた場所からものすごい睨みつけてくる。そういう顔つきなんだろうが、それにしても眼力が半端じゃない。
「しかたないな。車輪眼を使われる前に退散しようか」
「そうだな。消されちゃかなわないもんな」
ようやくネコを諦め、くらうが次に辿り着いたのは宿毛市街。
「‥‥いくらなんでも、その文章は適当すぎじゃないの?」
「案外展開のつなぎってどう書けばいいか難しいんだよ。同じような文ばっかだとつまんないから、時々こうやって意外性をもたせないと」
「手抜きにしか見えねえよ‥‥」
1行で済ませてしまったがこの1行には1時間近くの走行時間と様々な想い(主に疲労と憔悴)が込められている。
山道ならまだしも、市街地に入るとでかい荷物の旅姿はけっこう浮いている気がする。なんだか通行人の視線が集まる。まあ気にしないけれど。
「おっ、コスモスがあるじゃないか! メシ買おう!」
コスモスとは、ディスカウントドラッグストアのことである。食品から日用品までなんでもそろっているうえ他の店に比べて安定して値段が安く、くらうお気に入りの店であった。まさかこんなところで出会えるとは。
「いやー、途中ちょいちょい食ってたせいで半分忘れてたけど、そういやまだ朝メシ食ってなかったんだよなー」
「だからさっきの道の駅でタタキ食おうっていったじゃねえか」
「あれは高かったから仕方ない」
時刻はすでに11時近い。朝食というよりはほぼ昼食になってしまった。くらうは今食べる用と、この先長らく店が見つからないと困るので後で食べる用にパンを購入した。
「‥‥結局パン食うのかよ」
「だって安いし」
「名物食おうよ‥‥。ああ、ドラッグストアなんだから貧乏性に効く薬とか売ってねえのかな」
呆れるきょーこをよそに、くらうは店先でもそもそとパンを食べる。きょーこも諦めてくらうからパンの一部を奪い取り、もそもそと一緒に食べる。
「そっちのパンもくれよ」
「これは、後で食うやつッス(低音ヴォイス)」
「あとで食べるやつを、開けちゃダメじゃないか。食べちゃダメじゃないか(低音ヴォイス)」
「開けても食べてもねえよ」
変なところでやたらと息が合うくらうときょーこである。しかしあまりやりすぎるとくらうがニコ厨であることがばれてしまうので、ほどほどにしておかなければならない。
「ようし、もうちょい頑張ろうか」
「まだ昼前じゃんか」
「宿毛市は限りなく高知県の端っこなんだよ。もうすぐ愛媛に入れると思う」
「へえ。ずいぶん長かったね、高知県」
香川・徳島をそれぞれ1日で通過したのに比べ、高知ではすでに2泊もしている。確かにずいぶん長かったように思えるがそこもようやく抜け、ついに最後の愛媛県にこれから突入である。その先もまだあるとはいえ、そういった節目が近くなると俄然やる気が湧いてくるものだ。
「愛媛入ったらケチらずにみかんジュースは買えよ。何種類かな」
「はいはい、高くなかったらな」
「だからそこはケチんなって!」
貧乏性に効く薬は手に入らないまま、くらうは愛媛を目指してさらに自転車を走らせた。
「よっしゃー! やっと愛媛県突入だ!」
ようやく愛媛県に突入し、疲れも忘れて一盛り上がりしたのち、最初に見つけた道の駅でくらうは休憩をとっていた。
「なんかここまで来るともう少しって感じがするな」
「ああ、あと少し。頑張らないとな」
「くらう、休憩入れる頻度かなり高くなってるよな」
「そうなんだよ。休み休みじゃないと、ホントにもたない‥‥」
最初の頃は数時間続けて走っていたのが信じられないほど、くらうの足は疲弊しきっている。今日などは特に、1時間おきくらいには休憩をはさんでいる。
「毎日の疲労の蓄積もだけど、2日ほどまともに寝てないのがでかい気がする」
「それもそうか」
もしマトモに寝られていれば、もう少しマシだったかもしれない。今日こそはマトモに睡眠を取らなければ、明日は本当にもたないかもしれない。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
そこへ不意に現れた妹系幼女がくらうにまとわりついてきた――のではなく、急におばちゃんに声をかけられた。なにかとおばちゃんにはモテるくらうである。
「はい、これあげる」
「あ、ありがとうございます‥‥?」
ぽん、と突然何かを手渡され、見るとそれはボンタン飴の箱(開封済み)だった。わけがわからず戸惑っているくらうをよそに、おばちゃんはとっととどこかへ消えてしまった。
「なんだ、展開が急すぎてついていけない」
「愛のプレゼントだろ」
「開封済みの愛とか。むしろ凹むわ」
結局そのおばちゃんが何者だったのかは全く分からなかったが、せっかくもらったのでボンタン飴は美味しく頂いておいた。
まあ恐らくは、買ったはいいが食べきれず、必要もないので処理役として偶然見つけた若者にあげておいた、といったところだろう。
「この後の予定はどんな感じなんだ?」
きょーこもボンタン飴を舐めながら、おなじみの今後の予定を尋ねる。これは物語の展開が進む際の、「そ、それはいったい‥‥!?」に近い役割である。
「今日は特に目指したい場所もないから、とりあえず市街地まで着いたら寝床を探すよ」
「いい加減、今日は屋内を見つけなよ」
「それなんだけどさ、アルミシートがあればどうにかなるかも」
「あるみ‥‥?」
くらうが夜のことについて考えていたことを言うと、きょーこは首を傾げる。
「そう、アルミの寝袋みたいなものかな。準備段階で寝袋探してる時に見つけてたんだけど、災害用のアルミシートみたいなもんがあるらしい。湿気はこもるし寝心地は悪いらしいけど、値段も安いし、防寒って意味でなら最高らしいんだよ。今の寝袋と併せて使えば、十分外でも寝られると思う」
「なんだよそれ、めちゃくちゃいいじゃん。なんでそれ買わなかったんだよ」
「言ったろ、寝心地が最悪なんだって。動くたびにアルミがこすれて、歯が抜けそうになるような不快な音がいちいち鳴るらしい。だからあくまで、緊急の災害用」
「なるほどな‥‥。で、今がその緊急事態ってか?」
「そういうこと」
どこか呆れる声を漏らすきょーこに、くらうは気にせず頷く。
「ったく、旅行してんだかサバイバルしてんだかどっちだよ」
「徐々にサバイバルに近くなってる気はするな」
あっけらかんと答えるくらうに、きょーこは深いため息をつく。
「まあ、なんにせよこんな山道じゃ何も手に入らないし、とにかく市街地だな」
ようしっ、と気合を入れて立ち上がる。
「まだまだ先だけど、宇和島ってところになんかお城があるんだってさ。全然知らないけど、とりあえずの目的地はそこにしようかな」
「観光名所なのか?」
「いやだから、全然知らん」
「‥‥あたしは城なんかより美味いもんが食いたいよ」
「宇和島城付近は市街地みたいだし、なんかあるだろ」
「よしっ、くらう疲れてんだからいっぱい食わないとダメだぞ! 甘いもんとか甘いもんとか、糖分の補給は大事だからな!」
「食いたいだけだろ‥‥」
今度はくらうがきょーこに呆れたため息をつき、もう本日何度目になるかという再出発をするのだった。
思っていた以上に、そこから宇和島市街までの道は遠く険しかった。
とにかく坂が多い。愛媛に入ってから、やたらと上り下りを繰り返しているような気がする。そのため走行距離以上に疲労がたまってしまい、それに見合う休憩も何度も入れたため時間もずいぶんとかかってしまった。
山と坂ばかりが続く道を抜け、ようやく建物が多く立ち並ぶようになったのは、すでに夕方5時近くを回ったころだった。
「ようやく、今日の終わりが見えてきた感じだな。さすがにしんどい‥‥」
街中を走りながら、くらうは力ない呟きをもらす。
「そんな時こそ、美味いもん食って元気出さないとな!」
「きょーこは元気そうでうらやましいよ‥‥」
どうにも力が入らないくらうだったが、その時通りがかった店を見て、ぱっと表情を輝かせた。
「こんなところにエースワンが!」
反乱軍を見つけたジェネラルのようなセリフと共に、くらうはその店、エースワンへと自転車を滑り込ませた。
「この店がどうしたってのさ。普通のスーパーじゃん」
「あなどるなよ。この店は高松駅前にもあるんだけど、店舗特有の商品でなければ‥‥」
くらうは活き活きと店内に入り、総菜コーナーを目指す。
「あった! エースワンにはこれがあるんだよ!」
くらうが示したのは、コロッケである。特別珍しいものではない。しかしエースワンのそのコロッケは何と、1つたったの18円なのだ。大きさがよほど小ぶりだということもなく、普通の大きさの普通に美味しいコロッケが、18円なのだ。普段から時折ちょっとしたおかずやおやつの代わりに買っていたが、こんなお買い得なものを買わない手はない。
「ちょっとちょっと、なんでここに来てまで普段食ってるもの買うのさ。名物食おうよ、名物」
「いいからいいから、食ってみろって」
そのコロッケを5つ買い、店の外のベンチに座って半ば押し付けるように文句を言うきょーこに差し出す。きょーこはしぶしぶといった様子で、ちょっとした反抗のつもりか、少し大きめにくらうの手からコロッケをもぎとった。
「‥‥‥‥なるほど。18円をちょっとナメてたよ。確かにこれは美味いな」
コロッケを1口かじり、幾分かきょーこの機嫌も和らいだようだ。
「な、だから言ったろ」
「でも、安くて美味いからって、こんなとこでまで食ってるくらうは、やっぱり貧乏性だと思うよ」
「主婦力が高いといってくれ」
コロッケを食べ終えとりあえず腹を満たしたくらうは、続いてとりあえずの目的地であった宇和島城へと向かった。
入場料は特に無いらしいので、門の前に自転車を停めると、とりあえず敷地内に足を踏み入れる。所々に簡単な説明が加えられており、ぐるりと城の周囲を見て回れ、段を上っていくとかなり近くで見られるようだ。時間帯のせいか曜日のせいか、くらう以外の観光者の姿はほとんど見られない。
「なんていうかまあ、なるほどって感じだな」
「すげえ興味なさげな感想だな」
「まあ実際、城はそこまで好きってわけでもないしなー」
RPG好きとしては中世ヨーロッパの城とかならともかく、日本の城にはそこまで興味はそそられない。
「まあでもせっかくだし、色々見ていこうか」
うろうろと見て回り、最終的に本丸ではない、かなり小ぶりな城の前で足を止める。
「んー、一通り見て回れたかな」
城の前の芝の上で休んでいると、観光客だろうかそこへ1人のおっさんがやってきた。
「すいませーん、なにされてますか?」
なにしてるもなにも、見学だけど。
「えーっと、城を見学してるんですけど‥‥」
不意に声をかけられ、なんと返したらいいかわからず思ったことそのままを答える。だって実際そうだし。というかなぜそんなこと聞かれるのか。
「もう閉園するので、すいませんが退場してもらっていいですか」
なるほど。観光客ではなく管理者側か。しかしこのタイミングで閉園とは、運がいいのか悪いのか。
仕方なくくらうは休憩もそこそこに宇和島城を後にすると、門の外を出たところで突如そこにいたおっさんに話しかけられた。今度は関係者ではなく、たまたまここにいただけの人のようだ。
「お兄ちゃん、旅行中?」
「はい、そうです。四国一周しようと思ってて、香川から出発して、もう愛媛が最後の県なんです」
「へえ、そりゃすごいなあ」
「なんだか愛媛に入ってから、坂が多くて大変ですよ」
「確かに坂は多いなあ。でも愛媛の岬は簡単に越えられるよ」
「そう、なんですか‥‥」
「そうそう。まあ大変だろうけど頑張ってな」
「ありがとうございます」
おっさんに別れを告げ、くらうは市街地を走りながら、何とも言えない表情で呟く。
「ここに来るまででも、かなり大変だったんだけどなあ‥‥」
ソースの信憑性が薄すぎて、楽だと言われても全くこの先の道を楽観することができない。おっさんには悪いが、本当に楽だったらもうけもの、程度で疑わせておいてもらおう。
宇和島城から、くらうは続いて百円ショップへと向かった。探せばどこかにあるだろうという予想に違わず、そう探し回るまでもなく店はすぐに見つかった。探しものはもちろん、アルミシートである。
「って百均で売ってるようなものなのか?」
「いや、どうなんだろう‥‥」
とりあえず店内を探して回り、見当たらないので店員に尋ねてみる。
「あー、確か最近までこの辺にあったんですけど」
といって店員が案内してくれた場所には、ぽっかりと空の棚があるだけ。無いことはないようだったが、しかし結局手に入れることはかなわなかった。
「マズイな、これは本気でどっか屋内を探さないと」
「このあたりはネットカフェとかはないの? 24時間営業の」
そう、高知市での前例があるので、ネットカフェはあったとしても不安が大きい。
「まあでも探してみるしかないよなあ‥‥」
そうボヤいて近くの店を検索しようとしたとき、不意にあることを思いついてくらうの表情はぱっと明るくなった。
「そうだ! よく考えたら寝られる場所ってネットカフェだけじゃないじゃん!」
公園で野宿、もしくはネットカフェという考えにとらわれてしまっていたせいで、そんな単純なことにすら気付けなかった。
くらうは揚々と検索を始め、そしてそれはすぐに見つかった。
「なんだなんだ、どこに行くってのさ」
よくわかっていないきょーこを連れ、くらうが地図を見ながら辿り着いた場所。それは、カラオケ【まねきねこ】だった。
全国チェーンなのかどうかは知らないが、少なくとも岡山香川、そしてここ愛媛にも展開している店舗だ。その利用料の安さは目を見張るものがあり、平日の昼はなんと1時間10円で入れるという破格のカラオケ屋である。もちろん今回は夜なのでそんな料金では入れないのだが。
「な、カラオケも夜のフリータイムだったら朝まで寝られるだろ! いやー、普段からカラオケめちゃくちゃ行ってるのに全然思いつかなかったよ」
くらうはいそいそと店内に入り、とりあえずいくらかかるのか、何時までいられるのかを確認する。どうやらフリータイムで入るとだいたい1200円ほどかかるようだが、その程度で凍死を免れるというなら十分支払ってもよい額だ。しかも朝の8時までいられるらしい。文句なしだ。最高すぎる。
それだけを確認すると、くらうは満面の笑みで店を出る。さすがに今から入るのは早すぎるし、晩ご飯だって食べなければならない。
「じゃあ晩メシは‥‥○ックだ!」
「だからなんでそうなるんだよ!」
ぺちっ、と机をたたいて抗議するきょーこがいるのは、すでに某ハンバーガーショップの店内である。
「いやだって、安いし。ちょうど近くにあったし」
「じゃなくて! なんであたしたちは愛媛に来てまでこんなもん食ってんだよ!」
「こんなもんとか言ったら作ってる人に怒られますヨ?」
「なぜ、あたしたちは今愛媛にいるのかということをじっくり考えよう」
「旅行中だから」
「だからなんでその旅行中に名物食わねえんだよー!」
もはや半泣きのきょーこはすごい勢いでハンバーガーを貪っている。
「そりゃあたしだってファーストフードも好きだよ。でもね、どうせならこんな時くらい色んなもん食いたいって思うじゃん。せっかく久しぶりに屋内で寝られるんだしさ、ちょっとめでたい気分で良いもん食おうって思わないの?」
「いや、むしろ屋内の寝床を確保したってことはその分お金が余計にかかるということで」
「くっそー‥‥色んなもん食えると思って楽しみにしてたのにー」
がつがつとハンバーガーにがっつきながら涙目のきょーこ。さすがにちょっと哀れになってきた。というかどこまで食べ物に執着があるんだこいつは。
「わかったわかった。明日からはもうちょっと色んなもん食いに行くからさ」
「ホントか!? ホントだろうな! 絶対だからな! 約束だぞ!」
言うや否やきょーこは身を乗り出して目を輝かせていた。嬉しそうで何よりだ。
晩ご飯を済ませて外に出ると、日はすでに傾きかけてはいるが、今からカラオケボックスに入るのもさすがにもう少し早い。
というより、くらうにはもう1つ行っておきたい場所があるのだ。
くらうが近くのサンクスで尋ねると、店員は愛想良くその場所を教えてくれた。ソレはここから数分とかからない場所にあるらしかった。
そのもう1つとは、
「あー、疲れが取れるー」
ざばあー、と全身を湯船に浸し、くらうは幸福感全開の声を漏らした。肩の上にひっそりときょーこ、頭の上には堂々とモアが鎮座している。
くらうが寝る前に立ち寄ったのは、近くにあった小さな銭湯。少しでも余裕がある時に、余裕があることをしておきたい。なにより疲れている時の風呂は格別だ。
「睡眠すらできない状態で半ば忘れてたけど、実はもう3日も風呂入ってなかったんだよなー」
「あー、そういや室戸岬以来だな。臭っせえと思ったよ」
「え‥‥マジで‥‥?」
「おいそんな本気で傷つくなよ。まあ実際、汗臭くはあったけどさ」
一応服は着替えていたが、身体の汚れはどうしても蓄積していくものだ。周囲にどの程度臭気を放っていたかは不明だが、少なくともいい香りをさせていなかったことだけは間違いないだろう。
「しかし、確かに気持ちいいんだけど‥‥尻がヒリヒリする」
「『ぢ』ってやつだな!」
「ちげえよ! 毎日自転車乗ってるから擦れてんの!」
自転車に乗っている時点で痛いとは思っていたが、湯につかるとかなり染みる。自分では見えないが、おサルさんみたいに赤くなっているかもしれない。
「でもレーパン履いてんじゃなかったの?」
レーパンとは序章でも軽く説明したが、尻の部分に柔らかい素材がつけられている自転車乗り用のパンツのことである。このような尻とサドルのこすれを軽減するためのものなのだが、あくまで軽減でしかないからか、そもそもくらうのチャリが折りたたみだからか、くらうの尻は擦れまくっている。
「んー、正直チャリが一番の原因な気もするんだけどな。多分ちゃんとしたチャリのサドルに合わせた形になってるだろうし」
「でも履いてないよりはマシなのか?」
「うん、実はそれも試してみたんだけど、履いてないと尻とともにタマの裏が擦れて大変なことになるんだ‥‥」
「‥‥何のタマかは詳しく聞かないでおくよ」
「金の‥‥」「聞かねえっつってんだろうが!」
風呂から出ると、しばらく脱衣所で火照った体を落ちつける。温泉の後の脱衣所ってどうしてこんなに気持ちいいのだろう。さらに扇風機があれば幸福感は倍増すると思う。
そして温泉を後にするとあとは待望の屋内、カラオケ屋【まねきねこ】へ行くだけだ。
会員証を持っていなかったためその場で作り(思わぬ追加料金が発生しくらうは驚愕した)、ドリンクバーもついているというのでとりあえずココアを持って個室へと入った。安っぽくて無駄に甘いが、今はその甘さがちょうど良い。
「うーん、ジョイかダムかと聞かれていつもの癖でついジョイって答えたけど、ダムでもよかったかもな」
「どっちでもいいだろそんなもん。ほら、よっぽど疲れてんだろうし早く寝よう‥‥ってなんで曲入れてんだよ!」
「え?」
「素できょとんしてんじゃねえよ! なんで今日あんだけヘバっておいて当然のようにカラオケをエンジョイしようとしてんだよ!」
「いやだって、せっかくだし。オレ歌うの好きだし」
「‥‥本物のアホだな‥‥ってしかもいきなりメタルかよ!」
「いよっしゃああああああ!」
頻繁にカラオケに通っていると、最初に歌わないと気が済まない歌というのがいつの間にかできていることがある。くらうの場合それが、ロックがさらに激しくなったメタルと呼ばれるジャンルの歌だった。ANGRAのNOVA ERAと言ってわかってくれる人がどのくらいいるんだろう。
ちなみにわかる人にはわかるだろうが、さすがにあんな高音は出せないので1オクターブ下げて歌っている。マイナーな曲のいいところは、勝手に音域を下げて歌ってもわかる人がいないところだと思う。そもそもくらうは歌は好きだが、音域は狭く下手くそだ。
「くらうはアホだと思うけど、ジュース飲み放題なのは最高だね」
なんだかんだできょーこもご機嫌のようだ。今更だけど食ったものはどこに行ってるんだろう。そしてモアイヌは相変わらず、何をするでもなくどこかを見つめて静止している。
「さあて、どんどん歌うぞー!」
「それで次はデスメタルかよ! アホだろ! 変態だろ!」
「ヴォオオオオオオ!(シャウト)」
「‥‥あんたのどっからそんな声が出てくるんだよ」
1人カラオケをこよなく愛し、1人で8時間とか歌っちゃうくらうにはかなり物足りなかったが、さすがに徹夜で歌い続けるわけにもいかないので2時間ほどで中断。
「それだけでも十分すぎだよ」
きょーこにツッコまれながら、くらうは個室のイスを繋げて寝転がれるほどのスペースを作り、ごろりとその上に寝転がった。室内のコンセントでケータイの充電をすることも忘れない。
ほかの部屋の歌が思った以上に聞こえてくるので多少うるさいが、まあこの程度ならどこのカラオケボックスでもそうなので許容範囲だろう。というか近いからって受付の店員同士の会話までちょいちょい聞こえてくるのはさすがにどうかと思う。
暖房もあるため寝袋に入るまでもなく、上着をお腹にかけて目をつむる。
少しして、くらうはちょっと泣きそうになった。
「‥‥室内って、良いなあ」
「うるせえ早く寝ろよ」
寒くない。寝袋に入ってないのに、何枚も重ね着してないのに、新聞紙にくるまってないのに、寒くない。まさか屋内というのがこれほどまで幸せに満ちた場所だったなんて、知らなかった。
くらうは屋内の暖かさ(物理)に触れながら、およそ3日ぶりになるまともな睡眠をようやくとることができたのだった。
明日は少し、頑張れそうだ。
9、 3月14日(7日目)・坂、そして坂。そして――坂
朝、目覚めたのは5時前だった。目覚ましの奏でる豪快なデスメタルによってくらうは爽快な目覚めを得る。
「んー‥‥なんでこんな朝早くに鳴らしてんのさ。まだ外は暗いだろぉ‥‥?」
同じく目覚ましで起きてしまったらしいきょーこが、眠そうに頭を揺らしながら尋ねた。
そう、現在の夜明けの時刻はおおよそ6時である。ならばこんなに早起きしても、まだ行動はできない。ならばなぜこんなに早起きしたのかというと
理由は1つしかない。
「‥‥ってなんでいきなり曲入れてんのさ! 朝からまた歌うつもり!? 真性のアホだろ!」
くらうはくるりときょーこに振り向き、にやりと口元を笑みの形に歪めた。
「褒め言葉」
今朝はアニソン祭りだった。
「‥‥さすがにここまでくると、呆れるのも通り越して感心するよ」
カラオケボックスを後にしたのは7時前。荷物をチャリに詰め込んだら、朝日と一緒に出発だ♪ をするつもりだったので、早速予定が遅れてしまった。
「朝から元気すぎでしょ。あたしは早く出ようって言ったのにさ」
「若さゆえの過ちだな」
「むしろ頭が腐りかけてんじゃないの」
そしてくらうが朝食のために立ち寄った店を見て、きょーこはぎろりと小さいくせにやたら威圧的な瞳でくらうを睨みつけた。
「ちょっと、昨日の約束はどうなったんだよ」
場所は昨日晩ご飯を食べたのと同じ、某ハンバーガー屋だった。が、こればっかりは別にケチったわけではない。
「朝だけは我慢しろ。この時間だと店が開いてない」
これは事実だ。もう少し待てば開く店も出てくるだろうが、そんな時間まで時間を潰すわけにはいかないし、この先都合よくごはん処を見つけられるとも限らない。
「‥‥ちぇっ、まあそういうことなら仕方ないね」
嘘を言っているわけではないらしいとわかったきょーこはしぶしぶ納得してくれたようだった。これで昼食をパンとかで済ませようとしたら本気ぶん殴られそうだ。ちょっと真面目に考えておこう。
遅くなってしまったこともあり手早く朝食を済ませると、くらうはさっそく自転車をこぎだした。
「うぷ‥‥朝からマフィン3つはさすがに食い過ぎかな‥‥」
「そんくらいどーせすぐに消化されるよ。で、今日の目的地はどこなの?」
「今日は松山市まで行くつもり。道後温泉があるあたりな」
「おっ、今日も温泉に入るんだな。じゃあ今日も屋内の寝床探せるといいな」
きょーこがそう言うと、くらうは突如ふふふ、と気味の悪い声をあげて笑いだす。
「なんだよ気持ち悪りいな」
「寝る場所に関しては今日は悩む必要はない。もう確保してるからな」
「おっ、マジか。よく知った公園がある、とかじゃねえよな」
「違う違う。今日はたっちーの家に泊めてもらうんだ」
「たっち、たっち、ここに」「たっちー」
相変わらず息もばっちりである。
「愛媛大学に通ってる高校の時の同級生だよ。もう連絡もしてある」
市街地の半ばで、くらうは地図を広げて道を確認する。
「この辺りでいったんメインの国道を外れて、海沿いの378号を進もうと思う。やっぱ四国一周っていったら海沿いのほうがそれっぽいし」
「ふうん‥‥ていうかなにさ、その情けない補足は」
きょーこが地図上の【死にそうな時はそのまま国道56号】というくらうの書き足したカッコ書きを見て呆れた声を漏らす。
「まあどう考えても56号のほうが短いし道もいいし。昨日までの状態を考えたら、賢明な考え方だろ」
「まあそうだけどさ‥‥。その死にそうな時は、って書き方がアホっぽいんだよ」
くらうは道をはずれて海沿いの道へ。道を外れると、市街地から急に田舎道へと移り変わっていった。そして今日も今日とてさっそく、坂道が快適な進行を阻みにやってきたようだ。
「‥‥ヤバいな。どうにかなりそうと思ったけど、早くも脚がピクピクし始めた‥‥」
坂を上りながら、くらうはさすがに焦りをにじませた呟きを漏らした。メインストリートを外れた以上楽な道ではないとは思っていたが、まさかいきなりとは。
「そんな状態で大丈夫か?」
「大丈夫だ、もんd‥‥ってだから今は止めろって!」
坂を上ると、下り坂が現れる。しかしその後にまた上り坂が待ち受けている、といった風に、延々と坂が続いている。下り坂は確かに気持ちいいが、ここまで頻繁に上り下りが繰り返されるとさすがに素直に楽しむことはできない。
目の前に広がるのは左手に海、右手に山、とすでに何度も通ってきたのと同じような景色。しかしここには今までにはなかったものが山側を中心に広がっていた。
「なあなあ、その辺に生えてるみかんって食べちゃダメなのか?」
「ダメだろ。普通に人のもんだぞ」
きょーこがきょろきょろともの欲しそうに眺めながら尋ねるが、そう言いたくなるのもわからないでもない。
さすが愛媛というべきだろうか、右手の山の斜面には、大量のみかんの木が植えられていた。
みかんばかりではないだろうし、それ以外がどのような品種なのかはわからないが、かんきつ類であることは間違いない。何度か木の世話をしている人ともすれ違い、かくいうくらうも食べてもいいよ、と差し出してくれないだろうかと期待したりもしたが、さすがに走っている最中では無理だろう。誠に遺憾である。
「ふう‥‥」
賢者モードに突入したわけではない。自転車を止めて足を休めているだけである。
坂が多いせいか、疲れが溜まるのもやはり早い。時刻を確認するとまだまだ午前中。やけに疲れているのは坂のせいか、昨日までの疲労のせいか。‥‥両方だろう。
「なあくらう、このレールみたいなのなんだ?」
きょーこが興味を示したのは、手すりの下に取り付けられているレールというか、滑車というか、よくわからないが何かを転がして運べそうな物。見るとここだけではなく、広範囲にわたって取り付けられているようだ。そのレールは畑に向かって伸びているようだが、最終的にどこへ向かっているのかはよくわからない。
「んー、よくわからんが、収穫したものをどっかに運ぶためのもんかな」
「あたしが乗ったらどっか行けるかな」
「少なくとも下の畑に突っ込んでいくことはできると思うぞ」
みかん畑はかなりの広範囲にわたって形成されている。いったいどのくらいの人数で一帯を管理しているのかは知らないが、日々の世話は決して楽ではないだろう。
再び自転車を進め始めたくらうは、しばらくもしないうちに視界に広がり始めた光景に、思わず顔をほころばせてきょーこに突然の振りを仕掛ける。
「きょーこ! あそこ、見てみろよ!」
「ん? なにが‥‥」
気の抜けた返事を返しかけたきょーこだったが、しかしくらうと同じものを目にしてすぐにくらうの求めていることに気がついたようだった。
『海岸だあ!』
2人の声が見事にハモった。さすがは相棒を名乗るだけのことはある、素晴らしいノリだ。
ミカン畑の向こうに現れたのは、正確には海岸というより砂浜だった。看板を見たところここは【明浜】というらしい。読み方は知らないが、多分アケハマだろう。
こっち端から向こう端までそう遠くない、かなり小さな砂浜だ。ここだとキャッキャうふふな追いかけっこをしようと思っても、数秒で終わってしまうことだろう。季節と時間帯のせいもあるだろうが、くらう以外には誰もいない。
「しかし小さいところだね。これじゃビーチバレーも難しそうだな」
「確かになー‥‥ん、ちょっと待てよ」
くらうはふと何かを思いつき、砂浜の海岸際にエミリアを置いた。
「錯覚っていうとちょっと違う気がするけど、この一部だけ切り取ると‥‥」
くらうは砂浜の一部を写真に収め、きょーこに見せる。
「うおっ、なんかすげえ広い砂浜に見える!」
あら不思議、小さい砂浜がとても広大な景色になりました。
要するに、ドラマの舞台セットみたいなものである。そこだけ見ると普通の住宅であったりに見えるけど、もっと引いてみると実はほんの一部分だけしかないという。
「オレが自転車好きになるきっかけになった奴がいるんだけど、そいつが鳥取砂丘のすげえいい雰囲気の写真を見せてくれたことがあったんだよ。これでオレも自慢できるぜ」
「確かに写真だけで見ると鳥取砂丘くらいはありそうだな」
こういった遊びも兼ねた小休憩が今のくらうには不可欠だった。体力と共に精神的にも癒しを求めていかなければ、くらうはそろそろ死ぬ(直球)。
そうした息抜きを終え、進み始めたその先の道は相変わらずの坂道だったが、景色の中からいったん海が消え、右手に山、左手に山が広がる完全な山中へと移り変わった。
その道の途中、左手になにか大きな看板が立っていた。そこにはでかでかと【大崎鼻(おおさきばな)】と書かれている。よくはわからないが、どうやら岬か何かのようだ。その看板の横からは山の中へと続く1本の道が伸びている。
「‥‥気になるけど、行ってみるべきかな」
「さあ、ずいぶん怪しい感じはするけど、せっかくだし行ってみれば? ま、どーせ先には海しかないだろうけどね」
「それはオレもそう思う。けどせっかくだし行ってみるか。さっきまで海沿いにいたんだから、何があるにせよそう遠くはないだろ」
よくわからないが、なんとなく気になるのでちょっと寄り道。くらうは道路を外れて山道へと突っ込んでいった。
路面が土なので少々走り心地がよろしくないが、やや下り気味のため楽ではある。
楽ではあるのだが、
「‥‥なんか、長くね?」
さっきまで海沿いの道を走っており、今から海の方向へ向かっているはずなのに、なかなか山道を抜けだせる気配がない。これはいったいどういうことか。‥‥どういうことなんだろう。
「うわ、この道かなり長いよ」
いつの間にかくらうのケータイを操作し地図を調べていたきょーこに見せてもらうと、確かに大崎鼻というところまで思った以上に距離がある。ずいぶん海から離れたな、と思ったが、こちらが離れたのではなく、陸地が突出しているという感じの地形だった。
「マジかー‥‥。こりゃあさすがに引き返そうかな」
「そうだなー、あたしもそうした方がいいと思うよ。どうせ海が見えるだけなのはわかってんだし」
どうせなら行ってみたいが、海だあ! をやるためだけにこれ以上体力を消耗する余裕はない。諦めて引き返し始めるくらうだったが、突如がさがさと道端の茂みが揺れたかと思うと、何かが目の前を素早く通り過ぎていった。
「‥‥え、え? 今の何? なんか、すげえ色鮮やかな鳥みたいなのが見えたんだけど」
何か。本当に突然の出来事だったので認識が追い付かなかったが、確かに鳥のように見えた。大きさはそれなりにでかく、腰くらいの高さはあったのではないだろうか。野生でその辺をうろうろしているとも思えないが、クジャクのような、そんな雰囲気の鳥だった。
「あたしも見えたけど、さすがに一瞬すぎてわかんなかったなー」
これが創作物語だったら、間違いなく今の生き物はこの後の出来事の伏線となるのだろうが、そうでないからタチが悪い。わからないものはわからないままという、過酷な現実を突きつけられたようだ。モヤっとボールを投げつける先もない。
「参ったな、わからないままというのもスッキリしないから、とりあえずここは野生のクジャクだったということで結論付けておこうか」
「いや絶対違うと思うよ‥‥?」
突如くらうの目の前を、野生のクジャクが凄まじいスピードで駆け抜けていった。
ということになった。
「‥‥いやなんでスピード感まで付け足す必要があるんだよ」
「だってその方が迫力でるじゃないか! ていうか地の文にツッコむなよ」
偶然にもクジャクに出会った(ことになった)くらうは来た道を引き返すが、地味に奥深くまで入り込んでしまっていたうえ、行きが下りだったのだから帰りは当然上り気味。元の道にたどり着いたとき、くらうはやたらと無駄な体力を消耗してしまっていた。
「‥‥くそ、なんかすげえだまされた気分」
何も得られないまま疲労だけを溜めてしまった。いや、野生のクジャクを見られたのは幸運だったかもしれない。
くらうの脳内ではあの謎怪な生物は完全にクジャクとなってしまっていた。
そこからおよそ1時間ほど足を進め続けただろうか。くらうはようやく、本日最初の休憩場所である【海の駅】なる場所へ辿り着いた。
「よーしくらう、ちゃんと美味いもん食わせろよ!」
「いいだろう! 見ろ、ここ愛媛名物のじゃこ天売ってるらしいぞ! みかんジュースもあるかもしれない!」
「いよっしゃあー!」
そんな2人の前に突如として立ちはだかったのは――【定休日】という名の全てを拒む悪魔の言葉だった。
ざしゅ、とくらうはその場にひざから崩れ落ちる。
アゲて、サゲる、というのは単純ながら最も効果的な戦略だろう。美味しいものでも食べてささやかな癒しを得ようとしていたくらうには、効果てきめんだった。
「いいんだ‥‥いいんだ。無駄遣いしないですんだと思えば、むしろラッキーさ‥‥」
「おお‥‥貧乏性を認めて利用し始めやがった‥‥恐ろしい子っ」
どうにか精神崩壊を耐えたくらうは、とりあえずイスに座って休憩し、あるものを発見する。
「なあなあきょーこ、これなんて読むかわかるか?」
と、くらうは空中に淡く光る文字で【翻車魚】と書いた。
「うおおっ、くらうホントに魔法使えたんだな!」
「ああ、なんたってここは二次元だからな。で、わかるか?」「わかんねえ」
「即答だな!?」
「あったりまえだろ? あ、今あたしのことバカだと思ったろ。残念だけど、むしろあたしにそんな問題を出したあんたのほうがよっぽどのバカだからな」
「‥‥お前すげえな」
胸を張ってくらうをバカにしているのか自分をバカにしているのかよくわからないことを堂々と述べるきょーこを、くらうはちょっと可哀想な目で見る。
「‥‥じゃあ正解は【まんぼう】でしたー。ほら、あそこのタイルに書いてある」
くらうが示した先には、店の石壁に取り付けられた数枚の白いタイル。そこには様々な魚の名前がイラストと共に漢字で書かれており、そのうちの1枚にこの翻車魚も書かれているのだ。
「まあ限りなく当て字みたいなもんだろうけどな。やったな、1つ賢くなったぞ」
「はっ、そんなもん覚えたところで今後役に立つことなんてないよ。それよりも早くこんな何もないところ出て、血肉になって役に立つ美味いもんを食おうよ!」
「‥‥お前ホントすげえな」
色々と堂々とし過ぎなきょーこにもはや感心のため息を漏らしながら、くらうは美味いもんを求めてひた走る。
「‥‥どうしよう、いい加減活動限界が近づいてきた」
「落ち着きなよ。そんな時は慌てず騒がず、アンビリカルケーブルを繋ぐんだ」
さっそくだが、くらうは弱音を吐いていた。
いやもう弱音っていうか、ホントヤヴぁい。
くらうが現在自転車を走らせているのは、再び海沿いの道。そして――坂。
相変わらず、坂しかない。大げさな表現ではない。再び言うが右手に山、左手に海、そして正面は坂。そんな道がひたすらに続いている。この辺りの右手は山というか、切り立った崖に近い。それ以外には本当に何もないのだ。時折ちょっとした漁村のようなものが現れたりもするが、それだけだ。
何もないせいで静かでのんびりしているといえばそうなのだが、極度の疲労と坂のせいであまりのどかな気持ちにはなりきれない。
「ほらほら、これ見てみろよくらう。【子供多し注意】って書いてあるぞ。くらうの大好きな幼女もいるかもしれないな」
「なにっ!? ‥‥って、いやいや、さっきから子供どころか人間の姿すらまともに見かけてないんだけど」
「いや、自然に幼女を受け入れんなよ」
見かけたのは船と倉庫と日焼けしたジジイばかりだ。子供の姿などちらりとも見ていない。
「しかし参るな‥‥ホントに何もない‥‥」
海と山しかないということはつまり、ご飯を食べるところすらないということだ。もはや名物云々という問題ですらなくなってきた。さっきの海の駅が空いていればまだ少しはマシだったかもしれないが、時刻はすでに昼に近く、消耗が激しかったせいかやや腹もすき始めている。今はまだどうにかなりそうだが、このままこんな道が続くなら体力的にだけでなく、空腹感にもさいなまれることになる。
「朝マフィン3つ食ったのは正解だったな。むしろ足りないくらいだ。マジで誰かみかん分けてくれないかなあ‥‥」
低テンションを維持したまましばらく走ると、やはり店ではないが、やがて場に似つかわしくない大きな公園のようなものが見えてきた。よくわからないが机とイスも設置されている。腹は依然空き気味ではあるが、なんにせよ待望のイスがようやく見つかったのだ。ここで休まない手はない。
イスに座って辺りを見回してみる。周りには相変わらず何もないが、この部分だけはやけにきれいに整備されているような感じがする。足下はきれいに均されているし、石の風車のようなものがあったり、新しくてさっぱりしている。近くにはこちらも小ぎれいな建物があり、どうやら公園ではなく何かの施設の敷地内であるようだ。入っても良かっただろうか、と一瞬考えたが、休むだけだしまあ許してもらえるだろう。
それにしても、この場所は周りの風景からひどく浮いているような感じがした。周りが海と山の大自然なのに対し、ここだけあまりにきれいすぎる。きれいすぎて、不自然だ。静かすぎて人の気配も感じられない。
不気味だ、というのとは少し違う。なんだかよくわからないけれど、ひどく落ち着かない感じ。何に対して自分が何を感じているのかもよくわからなかったが、なんとなくこの場所はそんな感じがした。疲労で精神がやや参っているのも原因かもしれないが、とにかく落ち着かない。
とはいえ疲れ切っているのもまた事実。しばらくその場でゆっくりと休ませてもらってから、ここからがラストスパートであることを信じて、くらうはまだまだ坂を上り下りし続けるのだった。
「うあー、やっと市街地着いたー」
山・海・坂の景色からようやく、平坦な道に多くの店が立ち並ぶ場所へとたどり着いた。最後の最後まで坂が続きやがり、喜ぶ気力も残っていない。
「さてさて、やっと昼メシにありつけるな」
「くらう、わかってんだろうな」
「わかってるよ。さすがのオレも今はマトモなもん食いたい」
ざっとこの辺りのことを調べてみると、どうやらここ八幡浜市はちゃんぽんが有名のようだ。ならばとちゃんぽんで検索をかけ、この辺りのちゃんぽん屋で人気の高い店に行ってみることに。
「すぐ近くにも何軒かあるな。とりあえず一番人気のとこ行ってみるか」
「よっしゃ! 並んでなきゃいいけどな」
「そうだなー」
地図を見ながら細かい道を進み、ようやく見つけた店は見た感じ混み合っている様子はない。良かった、と思って店に入ろうとすると――本日2度目になる全てを拒む悪魔の言葉。
店の入り口には【定休日】が掲げられていた。
「なん‥‥だと‥‥」
「おいおい、幸先悪りいなあ。ほら、次んとこ行ってみようよ」
きょーこにいそいそと急かされ、落ち込む間もなく次の店を検索。すぐ近くにもう1軒人気の高い店がある。
「しゃーない。こっちに行ってみるか」
「やっほーう! はやく食べようよー!」
そして、
「なん‥‥だと‥‥」
くらうは2軒目の店の前で、先程と全く同じ言葉を漏らした。
その店の前にも掲げられる【定休日】という悪魔の3文字。なんだろう、今日のラッキーワードは定休日なのだろうか。ラッキーワードを得るために不幸を抱えなければならないという、大きな矛盾を含んでいる気がするのだが。
「諦めねえ、あたしは諦めねえぞ! くらう、次の店だ!」
「どんな執着心だよ」
さらにもう一度検索をかけ、近くの他の店を探す。
3軒目に訪れた【清家食堂】というお店にて、ようやくくらうは定休日ラッシュから解放された。3度目の正直というヤツだ。
店内は木造りでやや暗めの和風な内装だった。大繁盛しているわけではなさそうだが、のんびり食べられるならその方がありがたい。
くらうはちゃんぽんを注文し、席について体を休める。すぐにちゃんぽんが机に運ばれ、くらうはいただきます! と勢いよく食事を開始した。
「‥‥んー、まあ普通だな。ていうか若干野菜の味つけ濃くないか? 塩コショウが辛い」
「ああ、確かにな。でも悪くないと思うよ」
「まあそうだな。最近ほとんど野菜食ってないし、野菜たっぷり食えるのはありがたい」
色々と体内の成分が不足していそうな今なら、濃い味付けのほうがいいかもしれない。それになにより、空腹という名の最高のスパイスがあったおかげで、あっさりと完食してしまった。
「ふいー、やっとお腹も落ち着いたなー」
「そうだな。あたしはようやくマトモにメシが食えて感動だよ!」
「そ、そこまでか‥‥。徳島ラーメンとか食ったろ」
「そんだけじゃねえか! おやつみたいなの別にしたら、ラーメン以外マトモなもん食ってねえじゃんか!」
言われてみれば、確かにそうだ。何度か飲食店で食べはしたが、その地方ならではの料理を食べたのは徳島以降になる。
「じゃあまあ、こっからはもう少し色々食いながら行くか」
「当たり前だろ! あたしが何のためについて来てると思ってんだよ!」
「ええっ、メシのためかよ!?」
「当然! なんたってあたしは、魔法ストラップ少女きょーこちゃんだからね!」
きゃるーん☆と謎のポーズを決めるきょーこ。いや、なんたってとか言われても知らんけど。
「はあ、もうちょっと休みたいけど、とっとと行こうか。今日中に松山まで行かなきゃいけないし」
今日中に着きたいというのは、もちろんたっちーの家という寝床を確保できるから、というのもあるが、久し振りに高校の同級生に会うのはなんだかんだで楽しみなものだ。夜ならゆっくり話もできるので、晩ご飯でも食いながらというのが理想だ。酒はもう飲みたくないが。
「脚の調子は?」
「最悪」
くらうは迷いなく即答する。実際かなりヤバいと思う。
旅行の予定は元々は2週間くらいのつもりだったが、このペースならばあと1、2日で終えられるだろう。
今ですら限りなく限界に近い。これ以上はどう考えても無理だ。できることなら明日中に終わらせたいといったところである。
「さあて、それじゃあもうちょい頑張ろうかね。目指すは」「みかんジュース!」
八幡浜市以降はようやく坂ばかりの道から解放され、平坦で比較的整備のされた道が続いていた。平坦な道がこれほどまでに走りやすかったのかということを実感させられる。まあ、そんなもの実感したくもなかったが。
そんな道の途中、ふと小さな露店のようなものを発見した。見るとそこには【じゃこ天】という文字が見て取れる。
「おいくらう! 見ろ、あれ見ろ! じゃこ天って書いてあるぞ! ほら、あそこ!」
「わかってるって見えてるって」
くらうと同時に発見したらしいきょーこは、頭をペシペシと叩きながら全力で訴えてきた。
言われるまでもなくくらうはその店へと立ち寄り、若干ワクワクしながらじゃこ天を注文する。
が、しかし。
「あーごめんね、今じゃこ天はできないんですよ」
「なん‥‥だと‥‥」
怒涛の定休日が終了したかと思えば、今度はまさかの品切れである。何と不運なことか、と今にも血の涙を流しながら怨嗟の叫びをあげそうになったくらうに、今回はなんと救いの手が差し伸べられた。
「でもじゃこカツだったらできますよ」
しかし、口惜しことにちょっとよくわからない。
「じゃあ、それでお願いします」
よくわからないが、わからないならば食ってみればいいだけの話である。それに名前から判断するにじゃこが天ではなくカツになっているだけでたいした違いもないだろう。ところで『じゃこ』ってなんでしたっけ?
店の前に据えられたイスに座って待つこと数分、ようやくじゃこカツなるものができあがったようだった。アツアツのそれを受け取り、1口かじる。
「美味っ!」
懐疑的だった気持ちが食った瞬間吹っ飛んだ。揚げたて補正もあるだろうが、それにしても美味い。じゃこ天がどの程度かはわからないが、これは無くなっててむしろラッキーだったのではないだろうか。
「すげえ、サクサクだな! じゃこ天はもっともにょもにょなのにな」
もにょもにょという擬音はよくわからないが、これは確かにサクサクアツアツでジューシィ。偶然の出会いに感謝である。焼きなすアイスといいじゃこカツといい、道端のお店には恵まれているくらうであった。
少しずつ空も茜色に染まり始める、夕方5時ごろ。到着したのは道の駅【ふたみ】。砂浜に面した道の駅で、休憩場所ゆえに人の出入りが多いせいか、限りなくまっさらだった明浜の砂浜にくらべ足跡が多く、見た目はきれいとは言い難い。
店で買ったじゃこ天と坊ちゃん団子、そしてこれも名物だという魚肉ソーセージをかじりながらイスに座って休憩中である。
「じゃこ天より、じゃこカツのほうが美味かったな。揚げたてってのも大きかったろうけど」
「そうだなー。でも何より店のババアの態度が悪いよ。あんなじゃ美味いもんも美味くなくなるね」
「はっきり言いすぎだろ」
まあ確かに、態度悪かったんだけど。
知っている人も多いだろうが、坊ちゃん団子というのは夏目漱石の『坊ちゃん』にちなんだお菓子である。それ以上の詳しいことは知らないが、有名であるということだけは知っていたので買ってみたわけだが、まあ言ってしまえば普通の3色団子だった。ちなみにくらうは『坊ちゃん』は未読。一度読んでみてもいいとは思うが、正直古典文学は苦手だ。
もう1つの魚肉ソーセージは、もうそのまんま魚肉ソーセージだった。いやなんというか、美味しくないわけじゃないんだけど、普通すぎてコメントが難しい。
それでも色々な物が食べれて、きょーこも満足そうである。
「だいぶ松山市に近づいてきたな。日が落ちるまでに間に合えばいいけど」
「途中で夜になったらどーすんだ?」
「今日ばっかりは強行だな。松山まで着けばメシ・風呂・寝床の3つがそろってる」
「イイネ! 晩メシは何食うんだ?」
「着いてから考えよう。たっちーに聞けば美味い店も知ってると思うし」
近いとは言っても、ここからだとあと2時間はかかるだろうか。少し無理をすることになるかもしれない。まあそもそも、今すでに無理してるんだけど。
松山市に到着したときには、すでに日は暮れてしまっていた。ギリギリ間に合ったというべきか間に合わなかったというべきか。山道を通っている間に日が落ちることはなかったので、どうにか及第点といったところか。しかし暗くなってからは市街地とはいえ動きづらい。
話は少しさかのぼり、ここに来る途中に見つけた畑田本舗でくらうは愛媛の名菓一六タルトを購入していた。店舗自体は愛媛以外の県でもよく見かけるが、中に入るのは初めてだった。疲れている時の甘いお菓子は最高だ、と思いさっそくきょーこと共にかぶりついたくらうだったが、なんと思いもよらぬ弊害が待ち受けていたのである。
「うおぉおぉ‥‥口の中がすっげーぱさぱさしてきた‥‥」
口内の水分が急激にタルトに吸い取られていく。普段ならタルトでここまでなることもないだろうが、今はただでさえ水分が不足しがちなのだ。
「水分とかあって大変だなー」
「くっそー、人外が羨ましくなってきた‥‥」
仕方なく貴重なスポーツドリンクで口内を潤す羽目になってしまったのであった。
そんな一幕もありつつ、現在は松山市街地である。たっちーに到着連絡を出し、ごちゃごちゃとした駅前のビル群に若干迷いながらも、どうにか合流を果たす。
「やっほー久しぶりー」
「ひさしぶりー。え、マジでこのチャリで来たん?」
「おふこーす」
「すげえな(苦笑い)」
相変わらずいい反応をしてくれるみなさん(3人目)である。やはりエミリアのインパクトは絶大のようだ。大満足。
とりあえずたっちーの家まで行って一休憩させてもらうと、その後はとりあえず道後温泉へと向かうことにした。ここからすぐ近くだということでたっちーに案内してもらう。
近況や高校時代の話などをしながら、商店街の道を歩く。そうこうしているうちに、くらうたちは道後温泉に辿り着いた。確かに近い。
くらうが温泉を見て感心していると、しかしたっちーは温泉より奥の道をにやりと笑みを浮かべて指差した。
「あっちの道、この辺じゃ有名なソープ街。エロい店いっぱいあるよ」
「なにっ、じゃあ今すぐ行こう」
などと男の子らしく健全な話をしてから、くらうは1人温泉へと向かった。たっちーは少し寄りたい場所があるというので、いったんたっちーとは別れることに。
近くのいやらしいロードは実際有名な場所らしく、旅行後色んな人に話したところ、結構な割合で知られていた。
「どうすんの、温泉なんかよりあっち行きたいんじゃないの?」
きょーこはにやにやと笑いながら奥の道を指さす。しかしくらうはそちらに冷たい視線をむけ、きっぱりと言い放った。
「バカを言え。さっきはノリであんなこと言ったが、オレは妹系幼女にしか興味がない。あんな場所BBAしかいないだろ。だからオレはあんないかがわしい店には興味はない!」
「最後だけ聞いたらすげえ誠実なのにな。前の一言のせいでむしろ最低だよ」
はあ、とため息を吐くきょーこの言葉を褒め言葉として受け取り、道後温泉の入り口まで行くと料金表を見上げる。
「えー、なんか色々オプションみたいなのがあるんだな」
温泉は当然1階にあるが、その他の施設が上階にあるため上に行こうと思うとその施設の利用料として追加料金が必要らしい。
温泉以外には特に興味がないので一番安い料金で、と思っていると、その料金表の中になにかおかしな表記を発見した。
「‥‥なあきょーこ、なんか変なのが混じってるんだけど」
「‥‥あ、ああ。あたしも気づいたよ」
くらうときょーこはそれを見て、共に言葉に詰まる。
その料金表を見ると、どうやらここには天皇が入る専用の温泉というものがあるようだ。それだけならまだいい。しかしその天皇専用温泉が料金表に載っており、そこにはこう書かれていた。
【見学料 300円】
「‥‥‥‥いやいやいや、すげえ高いとかならまだしも、なんで見るだけで金とられるんだよ。ていうかそんなもん見てどうすんだよ」
「‥‥‥‥よっぽどすんげえ風呂なんじゃないの? 周りに宝石が敷き詰まってるとか」
「なんだよその無駄遣い」
「もしくは、天皇が入ってる姿を想像して、今夜のオカズにするんじゃないの」
「お前もうオレのこと最低とか言えんぞ」
残念ながらくらうは天皇萌えではないので、普通に一般の温泉料金を支払って店内へ。建物の中はずいぶんと広く、和風の落ち着いた造りとなっている。
てくてくと廊下を歩いて男湯へと向かい脱衣所の手前までやってきたとき、ちょうど今温泉から出てきたらしい人と、目があった。
偶然の、あまりに偶然すぎる奇跡的な出会いだった。
そこにいたのは、先程大崎鼻から引き返す時に出会ったクジャク――ではない! やはりあの謎怪な生き物は伏線でも何でもなかった!
「こんばんは! すごい、偶然ですね。まさかまた会えるとは思いませんでした」
「こんばんは。本当ですね、僕も驚きましたよ」
そこにいたのは、徳島で出会い、一時期一緒に自転車を走らせた――ロードバイクのニーチャンだった。
本当に奇跡に近いような再会だった。名前すら知らないのだから当然連絡先も交換していなかったので、互いに今どうなっているのかなど全く分からなかったのだが、本当に驚いた。
「もしかして、もう1人の方もいるんですか?」
ニーチャンがいるのだから、おっちゃんもいるかもしれないと思いくらうが尋ねると、頭の上に隠れるきょーこがびくりと震えた。いや、どんだけ恐れてんだよ。
ここからはくらうとニーチャンの会話の、おおよその再現である。さすがに正確にはほど遠いが、それでも会話の主旨はだいたいこんな感じだ。
「いえ、僕もあの人とはあの後すぐに別れたんで、今は1人ですよ」
「ああ、そうだったんですね。ちなみにここまでは、国道できたんですか?」
「はい。まっすぐ56号です」
「そうなんですね。実は僕56号を外れて海沿いの道で来たんですけど、その道がひたすら坂続きで、参りましたよ」
「はは、そうだったんですか。そういえば、足摺岬には寄りましたか?」
「いえ、来る前にあそこは道が悪くて危険だと色んな人から聞いていたので、寄ってません」
「ああ、僕もなんですよ。でも、あのオジサンは行ってそうですよね。なんていうか、すごく元気でしたし」
「はは、そうですね。確かに行ってそうです」
「そういえば四万十川に行く手前の峠、キツかったですよねー」
「ああ、ナナツ峠ですよね」
「え、あれってナナツって読むんですか? あの、数時の7に子供って書いて」
「ああ、なんかそうみたいです」
「へえ、それは知りませんでした。普通にななこって読んでましたよ」
補足―当時くらうは読み方を勘違いしていた。あとで気づいてすげえ恥ずかしかった。
「正直僕はあの峠は楽に感じました。その前にもっとすごい坂道を上ってたせいで」
「ホントですか? すごいですね」
「明日の予定はどうなんですか? もう高松に向かうんですか?」
「はい、そのつもりです。ここからどのくらいの距離があるんでしょうね」
「さっき調べてみたら、ここから高松駅まではだいたい180kmみたいですよ。2日に分けちゃうとかなり中途半端になりそうなんで、僕はもう明日で終わらせるつもりです」
「180kmですか‥‥。さすがに僕は無理ですね。もう1泊することにしますよ」
「まあ、それが賢明だと思います。でももう1日でも早く帰りたくて。脚がパンパンでもちそうにないんですよ」
「ああ、ほんとにしんどいですよね。僕もだいぶ参ってます」
「それじゃあ、お互い頑張りましょうね。まさか会えると思ってなかったので、話ができて嬉しかったです」
「そうですね、僕もですよ。じゃあ、頑張りましょうね」
そうしてくらうはニーチャンと別れ、ニーチャンは外へ、くらうは脱衣所へと向かった。
「すげえな。偶然って、本当にあるんだな」
「な。オレもかなりびっくりしてる」
「ていうか今ふと思ったんだけどさあ‥‥」
きょーこはそこで言葉をとめ、苦笑いを浮かべてくらうを見た。
「くらう、ロードバイクと同じペースで走ってたのか?」
「‥‥‥‥‥‥ホントだ」
偶然の出会いに驚いていたせいでそんなこと考えもしなかったが、言われてみれば確かにそうだ。
「いや、ニーチャンはまっすぐ国道って言ってたろ。てことは、より長い距離走ってるんだから、オレの方が速いんじゃないか?」
「うわ、ホントだよ。くらう、あんたどんな無茶苦茶な走りしてんのさ」
「そんな自覚ないんだけどなあ‥‥」
気を取り直し、くらうは脱衣所の扉をがらりと開けた。そこは入口を中心にほぼ左右対称に大きく広がっており、真ん中あたりには長いすが置かれている。昨日の小さな銭湯とは比べ物にならないくらい、広い空間だった。
大きな荷物はたっちーの家に置かせてもらっているので、くらうは小さくまとまった荷物からタオルを引っ張り出す。昨日はそうだったのだが、荷物がでかいと風呂に入る準備にも一苦労である。丁寧に入れ直さないと入りきらないし。
準備が整い、頭の上にタオルの代わり(?)にきょーことモアを乗っけてがらりと風呂場のドアを開けた。
「おお、これがかの有名な道後温泉か」
正面にはドン、と石造りの温泉が1つ堂々と鎮座しており、壁際にはシャワーが取り付けられている。‥‥以上。
「なんか、思ってたより普通だな」
「まあ、オレも正直そう思った」
もうちょっと豪華な風呂を想像していたが、意外とシンプルだった。まあ、昔からずっとある伝統的な温泉なのだから、こんなものなのかもしれない。確かに変に奇をてらわないこれぞ温泉、という感じではある。
ささっと体を洗ってから、ゆっくりと湯船につかる。それなりに人は多いが、十分にゆったりできるほどに湯船は大きい。全身に溜まる疲れを流すようにくらうは体の力を抜いた。
「あー‥‥やっぱ温泉気持ちええわあー‥‥」
「おっさん臭せえな。ああー‥‥沁みるー‥‥」
きょーこも十分おっさん臭い。
湯の温度は比較的高めに設定されているらしい。設定というか、源泉が熱いのか。ともかく全身使っているとすぐに体が火照り、のぼせそうになる。
「んー‥‥江戸っ子仕様だな。ずっと浸かってるのはキツイ‥‥」
くらうは湯船から体を引き上げて縁に座り、足だけを湯の中に浸す。
「おいおい、堂々としてんな。ご子息が丸見えだぞ」
「男湯なんだから、んなこと気にするかよ。ていうかまじまじと見んな」
しかし足だけつけていてもやはり熱い。今時の銭湯なら色々と種類があるので、他の浴槽でいったん火照りを鎮めたりもできるが、ここには水風呂もねえ、サウナもねえ、オヤジの裸がぐーるぐる。オラこんな風呂いやだ、とは言わないが、江戸っ子ではなく岡山っ子なくらうには少々キツイものがある。ゆっくり浸かっていたいが、のぼせてしまう。
とりあえず無駄にもう一度体を洗い、体の火照りを少し落ち着けてから入ってみるが、やはり数分ともたない。
疲れを取りに来たのに倒れてしまっては本末転倒だ。さすがに諦め、くらうは浴場を後にした。
「ふいー‥‥あっついけど、気持ちいいな」
熱い風呂の後の脱衣所は、やはりものすごく気持ちいい。かなり体の火照っている今ならなおさらだ。
しばらくイスに座って体を落ち着けると、服を着替えてもう一度座ってのんびりし、少しだけ名残惜しみながら道後温泉を後にした。
出る前に連絡していたので、外で少し待っているとたっちーが迎えに来てくれた。そして話題はさっそくご飯の話である。
「晩メシ、どっか食べ行く?」
「行く行く。この辺で美味い名物料理が食える店とかある?」
「あるけど、よかったら焼肉でも食い行かん? おごるよ」
「行く!」
即答。
どんな名物料理だろうと、焼肉という究極の料理の放つ黄金の魔力を前にしては太刀打ちなどできようはずもない。しかもおごりときた。たっちーはいい奴だ。
「おい、くらう!」
と、たっちーがいるのとは反対側にいるきょーこがぺし、とくらうの首筋を叩く。
「へへ、いい判断してるじゃねーか。じゅるり‥‥」
きょーこも満足そうでなによりだ。
2人が向かったのは牛の角のような焼肉屋。なんと食べ放題で食わせてくれるらしい。最高だ。
「塩タン! ごはんの大! そしてトントロは外せない!」
「んー、なんでも食って」
「ありがとおうあー!」
まともなご飯をこんなにがっつりと食べるのは久々な気がする。びんb‥‥質素倹約を心がけているくらうは、日々のご飯も細々としているのだ。
ご飯の丼の裏に隠れるきょーこも今はご満悦の様子だ。モアイヌも嬉しすぎるからか、身動きひとつとることなくじっとしている。
がつがつと肉を食いながら、再び昔の話や近況で盛り上がる。たっちーは高校時代最もよくつるんでいたグループのメンバーなので、アホな過去話はいくらでもある。
当時は遊びすぎて、メリハリのつけられないくらうはだいたいこいつらのせいで一浪したほどである。なんたって高3の夏休み、受験シーズン真っただ中にみんなで海に遊びに行ったりしたほどだから。ただまあ、反省も後悔もしていない。あの時は最高に楽しかった。くらうも昔はリア充だったのだ。そして昔の自分は爆発し、今に至る。
一心不乱に肉を貪り、いい加減お腹いっぱいになってきたくらうだったが、目の前にはいまだ、たくさんの肉とご飯が残っていた。
「‥‥しまった。調子に乗ってごはん大のおかわりなんかするんじゃなかった」
食べ放題や飲み放題になると、いつも気持ち悪くなる限界まで頼んでしまうくらうである。いや、ちょっと限界突破する。どうせ同じ値段だからと思ってついつい大量に食ってしまうのだが‥‥どうしよう、貧乏性って否定できない。
そして今回もそれである。しかも今回ばかりはどう見ても食いきれない。いつもは無理して全部食いきるが、今の状態と目の前に残る肉・ご飯の量を見ると、いくらなんでも無茶な気がする。
「‥‥残すことなんて滅多にないんだけどなあ」
小さい頃からご飯を残してはいけないと言われ続けてきたので、いまだに残すことにはかなり強い抵抗がある。が、今回ばかりは本当に食べきれない。
机の上に並ぶ累々たる残飯を前にし、くらうはがくりとうなだれた。
「‥‥ごめん、ちょっと残します」
せっかくおごってくれたたっちーと、あとお米を作ってくれた農家とお肉になってくれた牛に謝りながら、くらうは食事終了宣言をした。せっかくの美味しいご飯だったのにすごく後味が悪い。やはりご飯は残すべきではないということを改めて実感させられた。
そしてたっちーの家に帰った直後、くらうはお腹いっぱいでぶっ倒れた。まさに飽食の時代。こんな贅沢が許される国と時代に生まれてきて自分は幸せなんだろうと思う。苦しいけど。
「苦しいからオレもうこのまま寝るわ‥‥」
「そんなに?」
「そんなに」
対するたっちーはまだ余裕そうだ。くらうもちゃんと加減ができる大人になりたい。
「明日は6時過ぎくらいには起きるつもりだから、早く起こしてしまうと思うけどごめんな」
「別にいーよー。んじゃお休みー」
「おやすみー」
そうしてくらうは目を閉じ、この日1日に終わりを告げるのだった。
眠りながら思うことはただ1つ。
やっぱり屋内って、いいなあ。
10、 3月15日(8日目)・そして高松へ‥‥
朝起きたのは6時半頃。寝て起きると、さすがにお腹は幾分かすっきりしていた。
目を覚ますとすぐに荷物をまとめ、出発の準備をする。
「じゃあ、オレはもう行くよ」
「うん、帰れたらメールしてや」
「わかった、ありがとうな」
簡単に別れとお礼を済ませてくらうはたっちーの家を後にした。
「今日はもう一気に高松まで帰るんだっけ?」
「そう、今日は最後にして最もしんどい1日となるだろう(予言調)」
「そーいや昨日言ってたね。180kmあるんでしょ? ホントに大丈夫なのか?」
「もう明日がないと思えば頑張れるはず。それに、もう野宿はイヤだ」
「あー、なるほどね」
今日も運よくカラオケ屋が見つかるかどうかもわからないし、また寒さに震えてほぼ徹夜をするくらいなら、無茶をしてでも高松まで帰るのが得策だろう、というのがくらうの考えだ。
「どのくらいかかりそうなんだ?」
「一度も休まず最後まで平均速度を保ったとしても9時間。でもまあそんなの不可能だから、11時間か12時間はかかるんじゃないかな」
「‥‥なあ、それってかなり無茶苦茶だよな」
「無茶苦茶なんて言葉じゃ片づけられないな。距離も時間も頭おかしいと思う」
「あと自転車もね」
昨日は温泉に浸かり、屋内でゆっくりと睡眠もとったおかげで、今現在はいくらか走れそうではある。だがきっと、おそらく、多分ほぼ間違いなく、1・2時間後にはへばりこの決意を後悔することになるだろう。
とにもかくにも、無茶をする前に朝ご飯を食べなければならない。松山を出て1時間強ほど走ったところで見つけた定食屋で、くらうは一度足を止めた。
「まあ朝メシはこれで勘弁してやるよ」
「ん、この先まともなメシ屋があるかわかんないからな」
てきとーな菓子パンとかではなかったおかげか、きょーこも幾分か機嫌は良さげである。
「そういえばさ、愛媛にもなんか、ながーい尻尾みたいな岬があるじゃんか」
「あるな。ながーいやつ」
西側に伸びる佐田岬のことだろう。
「あそこには行かないの? もしかしてあそこも道とかが危ないのか?」
「あー、いや、そういうわけじゃないんだけど」
答えるくらうはどこか歯切れが悪い。
行くならば昨日松山に行く前に寄るはずだったのだが、とある理由で佐田岬も足摺岬同様、パスすることにしたのだ。
「なんだよ、はっきり言いなよ」
「いいだろう、はっきり言ってやる。めんどくさかった」
「はあ!?」
一転してこれでもかとはっきり述べるくらうに、きょーこは素っ頓狂な声をあげる。
「なんだよ、えらいてきとーだな」
「まあなんだ、いい加減脚も限界がきてるし、下手な寄り道はできない。その寄り道のせいで途中で断念することになったらアホらしいだろ」
「まあ、そうかもしれないけどさ」
「もともと絶対寄ろうと思ってた場所でもないし、大した執着もないから別にいい。たっちーも無理して寄る場所でもないって言ってたし」
「そうなのか」
「そうなのだ。余裕があればしまなみ海道も寄ろうと思ってたけど、余裕がないからこっちもパス。まあ、また気が向いたら自転車旅行したいと思ってるし、その時にでも行けばいいさ」
「なるほど、ここでフラグを立てておくんだな」
これが何のフラグであるかは、いつ掲載できるかわからない次作にご期待ください。
手早く朝食を終えると、くらうはすぐに自転車を走らせた。
到着が夜になることは確定だが、できる限り夜に走る時間は短くしたい。距離が途方もないせいで、到着時間のおおよそすら予想できない。休み休み行くことになるだろうが、深夜になることだけは避けたいものだ。
急ぎたい、とは言っても全てを無視して一心不乱に走り続けるのはやはりもったいない。くらうは最初に見つけた道の駅で、再び足を止めていた。
どこか市場のような雰囲気の少し古くて静かな雰囲気の店だったが、お目当てのものを発見でき、くらうはうおっ、と喜びの声をあげる。
「きょーこ! 見ろ見ろ、みかんジュースいっぱいあるぞ!」
そこに置かれた小さな冷蔵庫の中には、待望のみかんジュースがいっぱいに敷き詰められていた。しかも単なるみかんジュースではない。いよかん、温州みかん、でこぽん、甘夏といった様々な種類の柑橘類のジュースが取りそろえられているのだ。これはテンションをあげずにはいられない。
「うおお、ホントだすげえ! とりあえず全種類買ってみようよ!」
「ふざけんな買うもんか。そうだな、2種類までな」
「なんでだよ! もう最後なんだからケチってんじゃねえよ!」
「ケチじゃねえよ! そんないっぱい買って飲みきれるかよ! 重いし荷物にもなるだろ」
そこにあったジュースは1本250mm。ビンのジュースで大きさもそこそこあり、ただでさえ重いというのに、一時でも荷物を増やすのは好ましくない。
「ちぇー。それじゃあ‥‥これと、これ。特に理由はないけど」
きょーこが選んだのはいよかんと温州みかん。くらうも特に飲みたいものがあるわけでもなく、異存はない。
「あ、なあなあ、ついでにこれも買ってみようよ」
レジに向かう途中、きょーこが見つけたのは【みかんジュレ】なるものだった。ゼリー状のものが吸い出し式の入れ物に入っており、言ってしまえばウィ○ーのみかん味のような雰囲気だ。
「んー、まあ1つくらいなら。2種類あるけどどっちにする?」
「じゃあ、みかん&れもん」
「はいよ。‥‥もう1種類って何味だったっけ」
「おっ、また『悠久なる時の流れに埋もれし彼方の記憶が発動してるんだな』
「あー、みんなのトラウマだよな」
会計を済ませると、さっそく外のベンチにてまずはいよかんを開栓し、ごくりと1口。
「へえ、すげえな! さすが100%だよ。ホントにそのまんまみかんの味がする!」
「‥‥ああ、そうだな」
きょーこはぷはあ、と大満足のようだが、対するくらうは若干表情が苦い。
「どうしたんだよ。まさかみかん苦手なのか?」
「いや、好きだよ。超好き。ただな、果汁100%のせいで、唇にすっげえ染みる‥‥」
「ああ、そういやいつか唇が荒れてるとか言ってたな。まさかあの時からここの伏線張ってたのか!? なんて地味でどーでもいい伏線なんだ!」
「荒れてるなーとは思ってたけど、まさかこんな所に繋がってくるとは思わなかった‥‥」
ビンに口をつける度、ものすごくヒリヒリする。美味しいが、素直に味を楽しむことができない。
「もう無理だ。温州みかんはまたあとで飲もう」
「えー、なんでだよ!」
「マジで痛い。もうむりぽ」
「じゃああたしだけ飲む」
「わかったわかった。全部は飲むなよ」
「へへ、わかってんじゃん。お、温州みかんのほうがだいぶ甘いんだな!」
きょーこが嬉しそうでなによりだ。
そこからしばらくもしないうちに、また別の道の駅へとたどり着く。ペースは落ちるが、適度に休めるのはありがたい。
売店を覗いてみると、こちらは小ぎれいなお店でお土産などもたくさん置かれている。その一角のアイスクリームケースを発見し中を見てみると、そこにはアイスクリンが置かれていた。アイスクリンといえば確か高知だったはずだが、高知では食べてないし、ここで食べるのもアリかもしれない。
「どーしたんだよくらう。今日は太っ腹じゃん。やっと貧乏性が治ったのか?」
「まあ、最後だしなー」
「なあ、ここにもみかんジュース置いてあるよ」
「どれどれ‥‥なにっ!?」
促されて見ると、先ほどの店と同じように、そこには数種類のみかんジュースが置かれている。しかし――
「これ‥‥さっきの所とほとんど値段変わらないのに容量倍じゃねえか! くっそー‥‥こっちで買えばよかった‥‥」
「‥‥ちょっとでも見直したあたしが間違ってたよ」
呆れるきょーこだが、しかしこれは由々しき問題である。だってすごく悔しい。
ということでここでも1本購入することに。味はでこぽんだ。
「‥‥荷物増やしたくないんじゃなかったの?」
「これはそういう問題じゃない。もっとこう、世界規模の問題だ」
「ちっちぇえ世界だな‥‥」
「まあまあ、アイスクリンでも食って元気出せよ」
「まったく、しょうがねえなあ!」
一瞬で上機嫌になった。たいがい単純なヤツだ。
しかしアイスクリンは本当に美味しいと思う。似たようなものを何度か食べたことがあるが、ほどよい甘さで優しい味がして、すごく食べやすい。すでに疲れが出始めているが、冷たくて気持ちいいし甘味補給としては最適ではないだろうか。これでもうひと頑張りできそうだ。
ちなみにでこぽんジュースはやっぱり唇が痛かった。でも買ったことを後悔なんてしない。後悔なんて、あるわけない。
「‥‥脚がすでにヤバい件」
くらうが突如スレを立てたのは、道の駅【今治湯ノ浦】。湯、と名前にあるように、どうやら温泉も併設されているようだ。入らないけど。
時刻は現在、正午よりは少し早い時間。その時点でこの状態では、先が思いやられる。
「ちょっと休憩したいし、いいもんがあれば昼メシ食っておくか」
「イイネ!」
その道の駅は中に食堂があり、食券を買うタイプの店のようだ。
「鯛メシ、じゃなくて鯛釜めしってのが、ここのオヌヌメらしいな」
「愛媛といえば鯛メシじゃんか! 釜めしでもいいよ、食ってこう!」
「待て、待て。よく値段を見ろ。これ、950円もするぞ。1食ほぼ千円て、高すぎるだろ!」
くらうの主張に、きょーこはじっとりとくらうを睨みつける。残念だがきょーこ、そんな目をしたって値段は変わらないんだよ。
しかし確かにこの鯛釜めしなるものはとても美味そうなことは事実。とはいえものすごく高い(個人的な感想です)ことも事実。が、今日で多分最終日なこともまた、事実。
「‥‥むぅ」
悩み、悩んで、悩み抜いた末に、くらうはようやく結論を下した。
「‥‥しゃーない。せっかくだし食っていこうか」
「いやっほーう! そうこなくっちゃ! いやー、見直したよくらう。そうやってちょっとずつ貧乏性を治療していこうな」
なんだかいつの間にか、きょーこにびんぼーしょーだと言われることに慣れてきてしまった。というか、いい加減否定できなくなってきただけかもしれない。
震える手を必死に抑えつけながら食券売機に野口を突っ込み、鯛釜めしのボタンを押すと野口の代わりに小さな紙がするりと下のお口(もちろん性的な意味ではない)から吐き出される。チャリーン、と返却される50円の音がやけに虚しい。
厨房のおばちゃんにお願いします(震え声)と言って食券を渡し、席について出来上がるのを待つ。
「ああ、千円もあったら何が買えるかなあ」
「なんかもう、末期だな。不治の病かもしれない気がしてきたよ」
しばらくすると、ようやく千円の釜めしがくらうのもとへやってくる。
丼は極端に大きくも小さくもない、ありがちな大きさだ。どのような盛り付けだったのか詳細は大人の事情で話せないが、とりあえず釜めしだった。べ、別に忘れたわけじゃないんだからねっ。
普段は自炊をしており、外食など滅多にしないくらうにとっては、このサイズで千円など衝撃的である。頑張れば丼物だって、100円もあれば十分作れるのに。
しかしだからこそ、これは心して食べなければならない。
「よし、いただきます!」
気合いをいれ、パシンと手を合わせるとその右手にお箸を携え、そっと丼の中へその先端を差し込んだ。しっかり炊きこまれたご飯をゆっくりと掬いあげ、そっと口の中へ運ぶ。そして、
「!」
衝撃を、受けた。
「美味っ!」
美味いものを食った時は毎回同じ反応をしている気がするが、気にしない。気にならないほど、美味かった。
特製の出汁を使っていると説明書きがあったが、その出汁の味がしっかりとご飯に染み込み、鯛の旨みと相まってお互いの味を高めている。あっさりとした味で、疲れている体にも優しく染み込んでくる。つまり――美味い。
「うん、これはホントに美味いね。比べてないからわかんないけど、鯛メシより美味いんじゃないの」
「これなら十分ありえるな。なんだかんだでオリジナルが一番美味いとはいうけど、じゃこ天よりじゃこカツが美味かったみたいに、派生形のほうが美味いってこともあるんだな」
「個人的な感想です」
「お、おう。そうだな。補足ありがとう」
1口食べただけで途端に千円が惜しくなくなった。こんなもの自分じゃ作れないし、ご当地料理は勇気を出して食べてみるものかもしれない。
「ふー、美味かったー」
あっさりと釜めしを完食し、くらうは満足げな息を吐いた。
「さて、満足はしたけど、こっからが正念場だな」
「少年場っていうとあれか、ショタBLか」
「ちょっと海にでも飛び込んできたらどうだ?」
ここまでは途中に道の駅が多くあったこともあり、かなりのんびり走ることができた。にもかかわらずすでに脚はだるんだるんになっている。ではこの先走り続ければどうなるかというと‥‥想像に難くない。いやむしろ、想像もつかない。
「でもさ、こんな中途半端で諦められるわけねえだろうが! オレは絶対、最後までやり遂げて見せるぜ! オレだって本気だせばこのくらいできるんだって、証明してやろうぜ!」
「く、くらうくん‥‥(潤んだ瞳で頬を染めながら)」
と突然の青春モノのノリでテンションをあげ、くらうは最後のひと踏ん張りと自分に言い聞かせて出発地であり目的地でもある高松へと自転車を走らせるのだった。
道の駅を出てからあとは、坂道も減ってきたおかげで極端に疲労が溜まることはなくなったが、しかし走る距離が長くなればなるほど脚は少しずつ天に召されはじめる。そして整備の行き届いていない道も多くて走りづらい。車道は自転車が走れるほどのスペースがなく、歩道はガタガタしていて少し危険だ。
何より辛かったのは香川に入る少し手前の工業地帯というか、様々な工場が密集している地帯。やたらと巨大なトラックや極端な大型車やらがすれすれの真横を通っていくという言いようのない恐怖。道も狭いので避けようがなく、とにかく早く抜けたくてどれだけしんどかろうがかなりのハイペースで突っ切ってしまった。おかげで余計な疲労をためる羽目に。
「‥‥うあー、どうにか香川に突入したけど、マジで脚ヤバい‥‥。あと何kmあるんだろ‥」
くらうがようやくゆっくりと脚を休められるようになった場所は道の駅【とよはま】。愛媛との県境すぐ近くに建てられており、香川に突入したとほぼ同時に現れた場所だ。店の前のベンチに座り、ぐったりと倒れる。時刻はすでに夕方5時前。少しずつ日も沈みはじめ、いつもならそろそろ寝場所のことを考えなければならない時間だ。
「やっぱ2日に分けた方がいいんじゃないの?」
「それはダメ。今朝の気温からしても、何も見つからなかった場合野宿出来るとは思えないし」
それに2日に分けるとしたら、翌日は残り数十kmだけとなり、ほんの2、3時間で高松に到着することになるだろう。そんな距離で1日空けるというのも、なんだかバカバカしいような気がする。
「まあとりあえず、なんか見ていくか」
一息ついてから、現住の高松とはいえなにかあるかもしれないと店の中へ。鯛釜めし以降口にしたものといえば飲み物とジュレだけだ。ちなみにジュレはほどよい甘さで食べやすく、予想以上に美味しかった。なにより唇に染みないというのが素晴らしい。
店内はけっこうな広さがあり、お土産屋、市場のような所、食事処といくつかのスペースに分けられている。
「香川といえば」
「うどん」
「くらいしか思いつかないよなー」
あまり期待せず食事処を見ると、大きく【和三盆ドーナツ】と書かれているのが目につく。
「あ、そういえば和三盆も香川だったな。食ってみようか」
「そうだな! ここで糖分補給しておくべきだな!」
相変わらず食い物のことになるときょーこはとても嬉しそうだ。
注文しようと会計のほうへと足を向けると、手元のメニューにはなんとじゃこ天も記載されている。
「あれ、ここにもじゃこ天あるじゃん」
「せっかくだし食おうよ。こっちのほうが美味いかもしれないだろ」
きょーこにせっつかれ、少しどうしようか迷ったが、ここから一気に帰るのなら名産めぐりもこれが最後の機会だろう。くらうはドーナツとじゃこ天を注文し、しばらく時間がかかるということで席に座って出来上がりを待った。どうやら今から作ってくれるようだ。出来立てを食べられるということで期待も高まる。
しばらくすると小さなお皿に乗せられてくらうの前にそれらが運ばれてきた。出来立てのドーナツからはふんわりと甘い香りが漂っている。
「おおっ、じゃこ天も出来たてだとやっぱ美味いな! 昨日のよりよっぽど美味いよ!」
きょーこは早速じゃこ天を頬張り、ご満悦の様子だ。くらうもじゃこ天をかじってみると、確かに出来立てのおかげかどこかふんわりとしており、作り置きだった昨日のよりよほど美味しい。
「んおお、ドーナツも美味えなあ! やっぱ食って正解だよ。くらう、ナイス決断だ!」
にこにこ顔でビシッ、と親指を立てるきょーこは油でベトベトだった。
「んほおぉぉ! おいしいれしゅううう!」
外はちょっとサクッとしていて中はふわふわ、出来たてだから当然アツアツ。ドーナツを1口かじって、くらうは思わずダブルピース。疲労の影響でネジが飛ぶどころか、むしろ下腹部からヘンなものが生えてきたのかもしれない。
ドーナツってこんな美味いものだっただろうか。ドーナツは冷めているのを食べるのが普通だったので、アツアツのドーナツなんて新鮮だ。
「さあ、もう香川に入ったわけだし、あとはホントに帰るだけだな」
「もう無理すんなって言ってもしゃーないんだろうし、まあ頑張りなよ」
極限状態。それが今のくらうを表すのに最適かつ唯一の言葉だった。
日はすでに落ちかけ、辺りは薄暗いがここから先は太い国道が続いているので、街灯も多く視界はそこまで悪くはならないだろう。しかし脚の状態はもはやしんどいとか、だるいとかそんなレベルではない。ただ慣性とか惰性で脚が動いているだけではないかという気すらしているほどだ。
「‥‥オレ、この旅行が終わったら、ベッドでゆっくり寝るんだ‥‥」
「そうだろうな。わざわざ宣言することじゃないだろ」
自らの死期を悟り、せめて潔くフラグを立てるくらうをきょーこは一蹴する。
途中のスーパーに立ち寄り、菓子パンを頬張りながらくらうは少しだけ休憩をはさんだ。少し休んだところでどうにかなるような状態でもないが、さすがに走り続けるには限界がある。
「‥‥あとどんくらいだろ。今丸亀くらいだから、もう少ししたら見慣れた道になってくると思うけど」
見慣れた道に出れば、気分だけでも少しは楽になれるかもしれない。知ってる道というのは短く感じるものだ。いわゆる『地元の人の言う「もうすぐ」はやたら遠い現象』だ。
くらうがこれだけ参っているというのに、きょーこはともかくモアイヌも相変わらずの平常運転。一部でいいからその平常心を分けてもらえれば、少しは楽にならないだろうか。
「よし、もうひと頑張り」
この言葉にも、ようやく現実味が出てきた。現実逃避から返ってくると、気合いを入れて立ち上がる。重い脚で地面を踏みしめ、自転車のペダルに足をかける。
そこでくらうは、自らの体に思わぬ異変を感じる。
「んんっ!?」
――脚が、まともに動かない。
ペダルを踏み込もうにもほとんど力が入らず、どうにかこぎ出すことだけはできたが、加速がつけられないのでのろのろとしか進みだせない。
「マジか‥‥止まったの失敗だったかも‥‥」
「つっても、少しは休まないともたなかったんでしょ?」
「まあ、それはそうなんだけどな‥‥」
脚が温まっていたからこそ、どうにか無理やりにでも走ることができていたようだ。どうにか動かし続けて温められればいいが、このままこの調子が続くようなら、いったい帰るのにどれほどの時間がかかってしまうか予想もつかない。
しかし幸い10分ほど走り続けるうちに、どうにか普通に動かすことはできる程度に温まってきたようだ。だがこうなると、再び止まることはもうできない。
「なあくらう、ふと思ったんだけどさ、『絶対に止まんじゃねえぞ! そのまま、どこまでも走り続けろぉ!』って声高に叫ぶと青春ドラマの1ページみたいだけどさ、『いいか、絶対に止まるな。そのまま、走り続けろ』って低いトーンで静かに言うとすげえヤバそうな状況みたいになると思わないか?」
「えっ、えっと‥‥どうでもいい!」
疲れのせいでツッコミも鈍く冴えない。これはよっぽどだ。
走り続けているうちに、景色が少しずつ見慣れたものへと移り変わってゆく。
ようやく宇多津あたりまで到着したようだ。この辺りを見慣れているのはこの旅行をするにあたり、足慣らしのために何度か訪れているためだ。
ここからくらう宅までは40kmほど。本調子なら2時間あれば行けるだろうかという距離。今なら3時間かかるかどうか、少なくとも2時間半と見積もっておいて間違いはないだろう。
まだまだ遠い。けれど、終わりが見えてくれば、どうにか踏ん張りがきく。
現在の時刻は7時過ぎ。昨日までならすでに寝場所を見つけ、休んでいる時間だ。
「あー、ヤバいやばい。マジでヤバい。一瞬休憩」
「おいおい、休んだらまた動けなくなるんじゃないの?」
「だから、一瞬」
脚を動かし続けることに限界を感じ、道路の端でいったん止まると水分補給をして数秒息を整え、再び走り出す。
「なんかもう、ほんとにいっぱいいっぱいなんだな」
「‥‥こっちだって、いっぱいいっぱいなんだよ」
「は? いきなり何言ってんだよ」
「いや、最近ハマったアニメの個人的超名シーンだよ。この一言とその時の彼の表情でかなり泣きそうになった。これだけでわかった人は多分、オレと同じくらいそのシーンを気に入ってるハズ」
「待て! だからその最近は執筆段階の最近で(略)」
「はっ! 幼少みうなちゃんへの愛があふれて(略)」
ツッコミは冴えなくともいつものノリは健在だ。まだまだくらうも捨てたものではないようだ。
会話内容がどれだけアホなものでも、くらうは限界を越えて脚を動かし続ける。
この辺りからは山やバイパスが多くなり、何度も坂を上らなければならなくなるため、かなり厳しくなってくる。
だけど、もう少し。本当に、もう少しだ。
真っ暗な道を走り続け、『通ったことのある道』から、『いつも通っている道』に出る。そこまで来ると、なんだかむしろ道のりが長く感じられる。いつもだったら気づいたらウチについているが、今は早く着きたくてもなかなか着くことができない。
それでも走りつづければ、辿り着く。
――今みたいに。
「‥‥‥‥」
肩で息をしている、というような疲労ではない。脚だけがだるく、疲労が偏っているようで気持ち悪い。
だけどもう、これ以上無茶をして走らなくていいのだ。
くらうは自転車置き場にエミリアを停めて、そのサドルをそっと撫でる。
「ありがとな、お疲れ様」
「感動のシーンっぽいけどけっこう気持ち悪いぞその行動」
実際にやってしまったのだからタチが悪い。だって嬉しかったんだもの。
ゆっくりとした足取りで玄関をくぐり、部屋に戻る。
ドサリ、と荷物を置いて、
「‥‥終わったあああああああ!」
叫んだ。
達成感なんて言葉では片づけられない。それほどの感動だった。
時刻は夜10時前。
本日の走行距離約180km
走行時間、休憩を除いて約10時間
そして総走行距離、約900km
くらうはついに、折りたたみ自転車で四国一周を達成したのだった。
部屋に着いてくらうはいの一番に――目覚まし時計を確認した。
「‥‥良かった! ちゃんと止めてあった!」
「ってまだ気にしてたのか! すげえな!」
「いや、部屋に入った瞬間思い出した。これで明日からも安心して外を歩ける!」
「どんな心配だよ‥‥。ていうか、まさかあんな何気ないセリフをホントに回収するとは思わなかったよ」
「いやだって、マジで気にしてたんだから」
このエピソードは事実。
くらうはそれだけを確認すると、今朝言ってくれていたのでたっちーと、一応親にも【高松帰ってきたああああ!】とメールを送り、それ以上なにをするのも億劫に、簡単に着替えだけを済ませるとどさりとベッドに倒れ込んだ。
「‥‥きょーこ、モア、お疲れさま」
最後にそれだけを呟いて、くらうは次の瞬間には意識を落とし、泥のような眠りについたのだった。
「ったく、ホント無茶しやがって。まあでも、お疲れさん、だな」
「ぬおっ」
早くもすやすやと寝息を立て始めるくらうに2つの相棒は静かに声をかけると、同じように穏やかな眠りについた。
こうして、長いような短いような、全8日間のくらうの自転車旅行は幕を閉じたのだった。
終、 3月16日(翌日)・えぴろーぐ
その日の朝は出発前の日常に比べ、ずいぶん早く目を覚ました。今まで、さすがに昼夜逆転とまでは言わないが、かなり生活習慣を乱していたので昼過ぎに起きるなんてよくあることだった。この旅行のおかげで少しはマトモになったらしい。
それもあくまで、比較の話。目が覚めたのは朝9時頃。やっぱり早起きとは言い難い。
机の上を見るときょーこはまだ眠っているようだった。モアイヌは‥‥いつも通り過ぎてわからない。
くらうはとりあえずシャワーを浴びて昨日までの汚れをこそぎ落とし、さっぱりして再びベッドの上へドサリと倒れる。
「‥‥腹減った」
そういえばあれだけ無茶をしておいてまともな食事をしていないのだから、当然だろう。
のっそりと起き上がり、冷蔵庫を開け――
「‥‥‥‥っ!?」
息をのんだ。
元々この旅行は2週間の予定だった。それだけの期間家を空けるのだから、当然かなり保存のきくもの以外は置いておくわけにはいかない。
つまり、冷蔵庫の中はほぼ空っぽだった。冷蔵庫の中だけではない。くらうの腹を満たせそうなものは、部屋の中のどこにもなかった。
「し、しまったああ‥‥」
せめてお菓子とか、カップ麺とか買い置いておけばよかった。くらうは普段カップ麺を食べないという引きこもりの希少種なのだが、まさかこんな時に不便を感じることになるとは。
「仕方ない、買いに行くか‥‥」
出かける準備をしていると、机の上のきょーこがようやく目を覚まし、おおきなあくびを1つ。
「ふああ‥‥なんだくらう、出かけんのか? 今日くらいゆっくりすればいいのに」
「オレもそうしたいけど、食いもんがなーんもない。買いに行かないと」
「あたしも行く!」
買い物というときょーこは嬉々としてくらうの頭に飛び乗った。お菓子代が余計にかかりそうだ。
向かうのは高知でも一度立ち寄った、ドラッグストア・コスモスだ。ここから自転車で5分ほどの場所にある、くらうのお気に入りの店である。
「とりあえず牛乳と、メシは面倒くさいからパンでいいかなあ」
「あとお菓子な!」
「はいはい」
そして自転車をこぎ出し――
「‥‥‥‥っ!?」
再度、息をのんだ。
「う、うおお‥‥脚が、脚がなんかやヴぁい‥‥」
昨日休憩後に脚がまともに動かなかったのとは若干感じが違う。けれどそれよりももっと重症な雰囲気だ。ペダルを踏み込む足に全くといっていいほど力が入らず、何kmも全力で走った後のような、まるで膝が笑っているような感覚。このペースなら走った方がよっぽど速いかもしれない。早歩き程度の速度しか出せない。
「おいおい、だいじょーぶ?」
「あ、あんまり大丈夫じゃない‥‥」
昨日までの勢いはどこにいったのやら、四国一周を達成したはずの男は、近所のスーパーにいくことすら難儀という予想外の後遺症を残し、数日間は本当に引きこもりになってしまうこととなるのだった。
「もう10時間も走るのはこりごりだよ~」
などという、ちょっと理由が異常でちょっと情けない後日談もあったりする。
そんなこんなで、くらうの旅行記は最後まで締まらない形で、完全に幕を閉じることとなるのだった。
おしまい。
くらうの自転車探訪記 ―四国一周編―
こんにちは、今作の主人公であり作者でもあった、くらうでぃーれんと申します。
概要でも述べている通り、この作品は私が実際に自転車旅行をした時の出来事を基にし、そこにきょーことモアイヌとの掛け合いを加えた半創作作品、ハンフィクションの物語となっています。
タイトルに四国一周編、とつけているように、私が自転車旅行に行ったのはこれが唯一ではありません。今のところこれを除いてあと2回出かけているので、現在最低でもあと2作は書ける状態にあります。メインは新人賞の応募にありますが、合間を縫って残りの2回の旅行も小説として書いていきたいと思っています。
いずれブログでも立ちあげて、写真も公開していきたいですね! いつになることやらわかりませんが‥‥。
作中でも自ら述べている通り、当初はこの旅行を小説化するなんて全く考えていませんでした。あくまで趣味と経験、そしてネタ探しのための旅行のつもりでした。しかしある時ふと、「きょーこやモアイヌがしゃべって動いたら楽しいよね」、ということを考え、「だったら実際に動かしちゃえばいいじゃん」、という発想へとつながり、この作品を書き始めることになりました。これがいわゆる妖精さんが降りてきた瞬間です。我々がなによりも心待ちにしている瞬間だといって間違いないでしょう。
そしてストーリーは実際の出来事を基にしているわけですから、悩む必要などありません。考えるのはきょーことのアホなやり取りだけ。というワケで執筆作業が進む進む。今まで書いてきたどの作品よりも執筆がはかどりました。製作期間はおよそ1ヶ月ほどでしょうか。もちろんそれには推敲も含まれているので、実際の執筆期間はおそらく2,3週間だったと思います。我ながらすごい速度だ‥‥。おかげで比較的ストレスを感じることなく最後まで楽しんで書くことができましたが。
ところでこの『ハンフィクション』というジャンル、ぜひとも私の手で広めていけたらいいな、などと考えています。この新ジャンルを私が先駆者、英語で言うとパイオツマn‥‥パイオニアとして流行らせていきたいのです。まあ正直、調べればすでにこの言葉を使っている人はいるでしょうが、有名になるきっかけはくらうでありたいと思っています。具体的にはハンフィクションでウィキ○ディア先生にお尋ねしたらくらうの名前が出てくるくらい。もちろんその前に私自身の名を広めなければならないのですが‥‥。先は果てない‥‥。
様々な期待を胸に前作『DotQuest』も投稿させていただいたわけですが、やはりなかなか上手いようにはいかないものですね。思っていた以上に閲覧数が伸びません。ありがたいことに製作者様にも宣伝していただいて、少しずつ上昇傾向にはありますが、現実は厳しいものです。
ですが私もまだまだネット投稿を始めたばかり。これからが勝負どころだと思って、今後も新人賞の応募と並行して頑張っていきたいと思います。
こんなところまで最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。できるだけ早いうちに、次回作も投稿できればと思っています。楽しみにしてくれる方が‥‥いるかどうかはわかりませんが、1人くらいはいる可能性も無きにしもあらずという希薄すぎてもはや見えない希望にすがりついて明日を生きていきます。
この星空文庫では直接感想を投稿できる場所がありませんが、概要に書いた『小説家になろう』というサイトでは気軽に感想を投稿できるようになっているようなので、もしよろしければ、ほんの一言だけでなにか言って頂ければ、私らうにとってこれ以上ないほどの活力になります。気が向いた時でかまいませんので、ぜひともよろしくお願いいたします。
それでは、またいつかお会いしましょう。 くらうでぃーれんでした。