ちょっと、香港で

某航空会社の機内誌のエッセイ募集に投稿した文章、選考外とはなりましたが私的に好きな文章です。

久しぶりの海外。まず、最初の都市に選んだのが香港、そして日系ホテル。それは香港はアジアのハブ空港であることと到着時間が午前零時だったことからである。ホテルはあらかじめネットで予約。フロントで名前を告げると、なにかフロントクラークの態度がおかしい。広東語でしきりに話し合っている。
「だれか日本語が話せる人はいませんか?」ゆっくりと尋ねた。しかし、クラーク達はますます戸惑いを隠せない。まったく日本語が通じないようだ。頭のチャンネルを英語モードに切り替えた。
「誰か日本語を喋る人はいないのか !」さすがに英語は通じるようだ。
「申し訳ありませ。ただいまの時間、日本語が話せるスッタッフはおりません。」
「じゃぁいいけど。僕は予約してある中崎だけど。」
「ミスターナカザキはつい今しがたチェックインされています。」
「何言っているんだ。僕が中崎だよ。チェックインした人の名前を見せなさい」同姓だが名が違う、どうやらホテル側が到着時間もほぼ同じもう一人のナカザキと僕を勘違いし宿泊させてしまったらしい。
「僕はどうなるんだ。ロビーにでも寝ろというわけか。」
状況も状況だが英語で喋るとつい詰問調になる。フロントクラークは奥に入り早口の広東語で誰かと話している。
「大変申し訳ありません。ミスター中崎様。あと三〇分でお部屋を用意させていただきます。しばらくお待ちくださいませ。」
部屋に通され、興奮した頭を冷やすため軽くシャワーを浴びた。

九龍側にあるこのホテルの窓からはビクトリアハーバーを挟んで香港島の夜景が見える。すぐには寝付けそうもないので最上階のスカイラウンジへと足を向けた。
「ナンニナサイマスカ」十分聞き取れる日本語ではあったが、それを無視して英語でジントニックをオーダーした。
「ドウゾ、ジントニクデゴザイマス、ユックリオクツロギクダサイ」。到着早々トラブルにあったため僕の英語モードは切りかわらず、上半身を固定して右目でウェートレスを見て英語で礼(Thanks a lot !)を言った。日本人は礼を言うとき無意識の内に上半身を傾ける。つまり頭を下げてしまう。彼女はわずかに眉間に皺を寄せたが、一礼してくるりと背を向けた。真っ白なブラウスに膝が隠れる黒のタイトスカート。そしてきわどいサイドスリット。だがいやらしさは感じさせない。二杯目をオーダーしたときも彼女は日本語で通そうとする。おそらく彼女は、広東語はもちろんのこと英語もネイティブに近いだろう、しかも日本語も出来る。身長は一七〇センチ、すらりと伸びた足。中国とイギリスのハーフと思わす容貌。そして、なによりもちょっと気が強い。プライドが高いのではなくちょっと気が強いのだ。この違いは、女性として天と地ほどの差がある。
チェックのサインをすませると、
「アリガトウゴザイマシタ」と彼女は少し頬を膨らませた。僕は吹きだしそうになるのを抑えてエレベータに乗り込み、。「しかたない・・・」と呟いた。
香港の滞在は四日。四日目の深夜にはキャセイパシフィックでチェクラップコク国際空港からローマに向かう予定だ。
香港は、言わずと知れた食の都。高級な酒家(ホテル)の飲茶もいいが、フェリーボートで小さな島に行くのも一興。通りの両側には水槽が置かれ、魚や海老が泳いでいる。これを指差して料理をしてもらう。値段も安くて、魚介類が好きな人にはお勧めのコース。限られた時間ではあったが、南Y島、長州島、大澳と回った。なかでも、大分県 在住の僕にはおなじみのシャコ。これが三倍の大きさがあろうかと思われる。しかも、料理は油で揚げる。少々違和感は覚えたが味は絶品。いまでもテレビで香港の映像がでるとあのシャコの味を思い出してしまうほど。

午後十一時にはいつものスカイラウンジへ。変わらずジントニックをオーダー。不必要な言葉はいっさい喋らずビクトリアハーバーと香港島を眺める。そして、彼女は日本語、僕は英語。叩けば光る感性を必ず彼女は持っているとなぜか確信に近い自信があった。だから、四日間通い続けた。四日目の夜、彼女は音をさせてグラスをテーブルに置いた。目は明らかに僕を非難している。三杯目を飲み終え、おもむろに立ち上がると彼女が近づいてきた。
「ドウモ、アリガトウゴザイマシタ」その言葉を無視し、映画で覚えたハリウッドばりのイントネーションしかも早口で、
「今日は最後の夜だ。どうもありがとう。君のお陰で楽しかったよ。」とすばやく背を向けた。
このまま、彼女が何も言わなければ、テーブルチャージと三杯のジントニックで五千円ほど、その四日分が泡と消える。思った通り彼女は外さなかった。僕の投げたボールをど真ん中に投げ込んできた。小さく消えるような声だが、やはりネイティブな英語で、
「日本へ帰るんでしょ?」と僕の背中にぶつけた。
「いいや(No)」。ノーと伸ばすのではなく、短くノウと発音する。
彼女は眉間に皺を寄せいまにも、
「あなたはなんなのよ。日本人なんでしょ。」と言い出しそうだ。その言葉を抑えるように振り返り彼女を正視した。目線はほぼ僕と同じ、どことなくジョイ・ウォン(チャイニーズ・ゴーストストーリィ)に似ている。そして、僕は四日前から決められていた台詞を言った。
「これからローマに行くんだ。」
「えっ・・・、ローマ。」眉間の皺が消え、左の眉を大きく上げた。まるで若き日のメリル・ストリープ。それが素敵な笑顔に変わるまで時間はかからない。すでに、彼女は女優になっている。BGMは静かに「Whithout You」。
「気をつけていってらしゃい。素敵な旅を。」すこし顔を右に傾ける仕草が愛らしい。
舌を目一杯噛んで、
「サンクス(Thanks)」、僕もダスティン・ホフマンになれた。その瞬間、背後から「ハイ、カット!」と声がしたような。ハリウッド映画もいいが香港映画もいいんです。まるで、彼女の素敵な笑顔と台詞のために過ごした香港での四日間。
一人旅はいつも何かが待っている。

ちょっと、香港で

ちょっと、香港で

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-18

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