私が九重を好きになったわけ
その年は異常に暑い夏だった。私がフリーランスのプログラマになった最初の年だからよく覚えている。四〇才を目前にした私は体力維持のため暇を見つけては登山を繰り返した。大分県中津市にある八面山は標高六五〇メートル程で登り一時間三〇分の手頃なコースだ。長い年月に浸食された巨岩が無数にあるメサ大地。ボルダリングで有名だそうだが私には興味はない。そもそも登山に興味がない。ただ、息を切らせて登り下りを繰り返す。一週間に一度は登っていた。いつも昼食をとっている山頂付近の第四展望所。北側に広がる周防灘や中津市や宇佐市の町なみを眺めるのが好きだった。梅雨も明けるとこの山ではお世辞にも涼しいとは言えない。リュックを背負い下山しようとしたとき、南側の先にわずかに噴煙を確認できる山が見えた。
「九重かぁ・・・。」すぐには関心を持つ事はできなかったが登山道を下りながら「ここより千メートル以上は高いから涼しいか。」と、考えていた。九重は大分県に住みながら学生時代に一度くらいしか登った事がなかった。
九重連山は久住山や大船山に代表される標高一七〇〇メートルを超える山が軒を連ねている九州の屋根。もちろん、当時は、その後、好きになる三俣山や星生山がどれなのかも知らなかった。
九重登山のガイドブックを購入して片っ端から登っていった。目安の時間が二時間なら一時間半でといった具合に脇目も振らず。標高が百メートル上がると気温は〇.七度下がる。九重の山頂では下界とは一〇度前後低くなることになる。実際、涼しくて快適だ。
その年は九月も下旬というのに連続熱帯夜の記録を更新していた。私は牧ノ戸登山口からいつものように脇目もふらず息を切らせながら登山を開始した。
ところが、一時間程で星生山の横に広がる草原、西千里浜に到着したとき、目の前に広がる光景に足が動かなくなった。それまで喧しいくらいに葉を伸ばしていた草木が、まるでもう役目は終わったと言わんばかりに、その緑を失い頭を垂れるように折れ果て土と同化しようとしていた。そして、空はどこまでもどこまでも透き通っている。ここ九重では夏はすでに終わっていた。私も人生の折り返し地点。青春は疾うに過ぎ去り、そして朱夏もまさにいま終えようとしている。やがて白秋、玄冬と迎える事になる。
力が抜けていくように俯いたその先に、「あぁ」と、思わず声が出た。鮮やかな紫の花。竜胆が咲いていた。
それから九重に咲く花はすべてその名前を覚えた。春、マンサクやコブシに始まりイワカガミ、九重を代表するミヤマキリシマ。夏の花。秋の花。そして、言葉を失う鮮やかな紅葉。
いまでは、目安が二時間のコースなら二時間以上かけて楽しんで登る。登山が、九重が、好きになった。
私が九重を好きになったわけ