ある日の研究室
研究室の扉をノックして、学生の佐々木君が入ってくる。
「教授、お話があるんですが」
「長くなる話かね」
「短くはないです」
「困る。見ての通り、私は忙しいのだ」
「はあ。DVD観ながら甘栗を食べていらっしゃるようにしか見えないんですが」
「…見た目で判断してはいかん。映画を観つつも、頭の中では目まぐるしく研究をしている最中だったのだ」
「教授のご専門は確か爬虫類の研究では?最近じゃあ、恋愛映画に爬虫類を出演させるんですか。知りませんでした。あっ、こないだ講義でおっしゃってた人類爬虫類起源説の研究ですか!?…でも、鈴木京香はあまり爬虫類には似てないですよ。松雪泰子なんかは似てるけど」
「似てないって、あ、当り前じゃないか、鈴木京香はこんなにもお美しいというのに!」
「そんな、松雪泰子だって美しいじゃないですか!彼女はいい女優ですよ!」
「知っとる!『フラガール』なんか公開初日に観た!」
「僕はDVDも買いました。それに、以前にトカゲの顔は可愛いっておっしゃってたので、なるほど教授の美人の基準は爬虫類顔なのかと。」
「…私に対してどんなイメージを持っているんだ。トカゲはねぇ、数いる爬虫類のなかでも別格なんだ。群を抜くキュートさなんだよ。あのつぶらな瞳とか。同じ種族でも、亀とかワニとかはよく見ると怖いだろう。よく見なくとも怖いだろう」
「つぶらな瞳ですか。蛇はどうです。イモリは?」
「イモリは爬虫類じゃない、両生類だ!さては私の講義を聴いとらんな」
「あわわ。藪蛇だった」
「勉強しないで映画ばかり見とるからそういうことになるのだ」
「教授にだけは言われたくありません。何故研究室で鑑賞するんですか」
「…家で見てると妻がうるさいので、つい…」
「教授が研究とやらをさぼっているのはよく分かりました」
「し、失敬な。日夜バタマルダキの研究に勤しんでおるというのに」
「はい?なんですって?」
「バ・タ・マ・ル・ダ・キだよ。新種の生物だ。私が命名したのだ」
「バ・カ・マ・ル・ダ・シですか!確かに教授らしい命名ですね」
「違う!なんだか、君の言い間違いには悪意を感じるな」
「まさか。偶然ですよ。で、どんな生物なんです?」
「え?えーと、その、バタマルダキというのはだな、爬虫類なのに哺乳類のような顔をし、空を飛んで海を泳ぎ、林から突如現れ、産卵期になると川をさかのぼって足が百本ある子どもを産む生物だ」
「もう一回言ってください」
「バタマルダキ」
「いえ、その説明の方を」
「……。一回しか言えないのだ。用がすんだところで帰りたまえ」
「済んでませんよ」
「なんだ、てっきり私をいじめにきたのかと」
「まるでいつも教授のことをいじめているみたいじゃないですか。知らない人が聞いたら誤解を招きますよ」
「誤解もなにも、事実じゃないか」
「酷い!誰が敬愛する先生にそんな真似をするというのですか。わあわあ」
「な、泣くんじゃない!ほら、甘栗やるから」
「あ、これはどうも。気を遣わせてしまったようで。悪いなあ」
「ちょっと、ちょっと。袋ごと持っていかないでくれたまえ、貴重な私のおやつなんだからね」
「ところで教授、天津甘栗はもともと中国原産の栗ですが、天津飯は日本発祥らしいですよ」
「そうなのかね。うむ。つまりナポリタンと似たようなものだな」
「さすがのご慧眼です。いや面白い。今度の社会学「食」レポートのテーマにしようかしら。他にどんなのが挙げられますかね」
「そうだな…こう、喉元まで出かかっているのだが…」
「あ、お話をしていたらうっかり全部食べてしまった。いやすみません。本当にうっかり。社会学は追求のし甲斐のあるテーマが見つかったなあ」
「袋ごと持っていくなと言ったが、袋だけ返せとは言わなかったよ。君が社会学で優評価とったら私のアドバイスのお蔭だとO先生にしっかり伝えるんだぞ」
「不可だったら」
「むろん、ここでの会話は忘れたまえ。そしてだな、いい加減本題は何なんだね。早いところ済ませて購買で私のおやつを買ってきなさい」
「お願いが。課題のレポート受け取って」
「コラなんだ!そんな言い方ないだろう」
「すいません。なぜだか口が軽くなり」
「おかしいな。まるで口調が、五七五」
「そういえば。まあそのうちに直るでしょう」
教授は受け取ったレポートに目を通し、重々しく言う。
「佐々木君。このレポートは受け取れない」
「なぜですか。寝る間を惜しんで書いたのに」
「この課題。私がだしたものじゃない」
ある日の研究室