妹が壊れた話・1

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妹が得体の知れないものになったのは先週末の夜だった。

僕の二歳下の妹はとても優秀だった。
大学を卒業してからというもの、契約社員とアルバイトの間を行ったり来たりしている僕とは違い、大学四年の春には複数の大手企業からの内定を得ていた。
自分の意見をはっきりと持ち、強烈なほどの行動力を奮い、明朗快活。
まるで人類のお手本のような生き方をしている。
それが僕の妹だった。

はっきり言って、僕は妹が嫌いだった。
多分、妹も僕が嫌いだったのだと思う。
はっきりと嫌いだと言われたことはないものの、妹はいつも腹を立てている様子だった。

僕にとって、妹は見たくないものだった。
本当に小さい頃は仲が良かった。
それが変わってきたのは妹が中学校に入学した頃だった。
勉強もせず、運動部に入って部活漬けの毎日を送っていた僕は当然成績は下から数える方が早く、母さんからも先生からも勉強しろと怒られていた。
でも妹は部活動をしつつも、成績が良く、いつも母さんや皆に褒められていた。
次第に母さんの口癖が「マヤはとてもできるコね」になっていった。
それを言われる度、兄貴の癖に妹の足元にも及ばないんだ、と言われているような気がした。
この頃から、僕と妹の間で会話が徐々に減っていった。

妹が高校に入学したときくらいから、僕は妹の顔を見ない生活になっていた。
僕は自転車で40分ほどの場所にある、僕の学力で何とか入れた程度の高校に進学していて、割と朝の早い時間に起きて通学していた。
妹は電車三駅ほどの、僕の通学路とは反対の方向にあるレベルの高い市立高校に入学した。
通学時間も被らなければ、通学路も被らない。
食事の時間も合わず、隣りの部屋から聞こえてくる物音で、妹が部屋にいるかどうかがわかる、そんなレベルの存在確認しかしていなかった。
この頃から、妹は僕に対して嫌悪感や腹立たしさを抱えていたのだろう。
リビングで鉢合うことがあれば、妹は決まって目を細めて、口をへの字にしていた。
だけど何を言うでもなく、ただじっと僕を見ているのだ。
いっそ罵倒でもされれば、こちらからも反撃もできたかもしれないが・・・。
僕と妹の現状は、妹が就職を機に家を出るまで続いた。

妹が家を出てからは、僕にとって呼吸しやすい日々だった。
実家に妹がいる間、家に帰ってきても部屋に閉じこもるような生活を送っていた。
アイツがいなくなっただけで、こんなにも穏やかな気分になれたのなら、いっそ他所の大学へ行って下宿でもしれくれれば良かったのに。
母さんや父さんは、就職時の一人暮らしも大分渋ったようだったが、僕としては妹がいない日常に安堵していた。

***

そんな平和な日々が終わったのは、妹が家を出てから半年後のことだった。
僕にとって先週の週末なのだが。
妹が突然実家にやってきたのだ。
仕事帰りだとわかるスーツ姿の妹は、化粧もしていてまるで知らない女が突然押しかけてきたような錯覚に襲われた。
妹が帰ってきたとき、丁度、僕や父さん母さんは夕食の最中で完全に部屋に逃げるタイミングを逃してしまった。
お盆や長期連休のときも、仕事が忙しいという理由で家に帰ってこなかった妹の久しぶりの帰宅に父さんも母さんも驚きはしたものの、目に見えて嬉しそうな様子だった。
僕は皿に乗っていたおかずを急いで書き込みながら、部屋へ逃げる体勢を整えていく。
その間、僕は妹を一切見なかったし、妹も僕に何か声をかけることはなかった。

「(なんで帰ってくるんだよ)」
妹に、御飯は食べた、とか今日は泊まっていくの、とか嬉しそうに問いかける母さんの声を聞きながら、僕は心の中で舌打ちをした。


思えば、この時点で妹は既にオカシなことになっていたのかもしれない。
今まで帰ってこなかったのに、急に理由もなく帰ってくるなんて。

でも僕は、妹がいる空気が嫌で自分の食器を下げると、逃げるように自分の部屋へ戻った。


深夜。
ふと目が覚めて、僕は水を飲みにリビングへ降りていくことにした。
妹が家にいるときは、リビングなどで遭遇するのが嫌で、飲み物を自分の部屋に持ち込んでいたけれど、妹が家を出てからはその習慣がすっかり抜けてしまっていた。
今日ばかりは水を飲むのを我慢しようかとも思ったけれど、廊下も階段も既に暗く皆寝静まっているようだった。

「(さっさといって、さっさと戻ってくれば良いか)」
僕は足音を殺して、廊下を歩く。
妹の部屋の前を通るが静かだ。
幸いにも寝ているのだろう。
そう少し安心して階段を下りていく。

案の定リビングも暗かった。
僕は手探りで電気のスイッチをつけた。

が、部屋に明かりをつけた瞬間、僕は思わず叫びそうになった。


リビングの真ん中、カーペットに座る人の姿。
それは紛れもなく妹だった。

妹は風呂上りなのか、まるで豪雨に降られたようなずぶ濡れの髪を乾かすこともしないでただぼんやりと座っていた。
着ていたパジャマだけでなく、カーペットまでが髪から滴る水で濡れていた。
確か、妹は風呂から出たら髪を乾かしたり、スキンケアがどうとかで小一時間は洗面所を占拠していた。
が、今はどうだ。
まるでおばけのような出で立ちでそこにいた。

これが『あの』妹の姿か・・・!?

僕は妹の異様な様子に驚きつつも、リビングに入りそのまま台所に向かう。
妹はそんな僕をじっと目で追う。

ここ数年、僕に嫌悪感を滲ませるような顔しかしてこなかったはずの妹は、何故か大きな目を見開きじっと僕を見ていた。
驚いているような、そんな表情に見えなくもない。
妹のこんな顔を見るのはいつぶりだろうか。
しかし何故妹が僕にそんな顔を向けるのか、不思議で堪らなかった。

僕は水をコップに注ぐと、黙って水を飲み干す。
その様子でさえ、妹はじっと見ていた。

「・・・何?」
僕は妹の視線に耐え切れず思わず呟く。
だけど視線を合わせない。
合わせる勇気がない。
次の瞬間、いつもの調子でため息でもつかれたら、僕はきっと声を出したことを一週間は後悔する。

だけど妹は、まるで少女のように首を傾げて僕を見るばかり。
この反応に僕は気持ちの悪さを感じた。

「髪ちゃんと拭けよ。カーペットまで濡れてんじゃん。母さんに怒られるぞ」
今度はさっきよりもはっきりとした口調で言う。
が、妹は首を傾げたまま僕を見るばかり。
この反応の薄さに、僕は背筋に何かぞわぞわとした感覚が走るのを感じた。

何だか変だ。
この半年で妹は劇的に変わったのか?
いや、今夜帰ってきたときは、実家を出る前とは変わらない様子だった。
気分が悪くって立てないとか。
でもその割に顔色は普通だ。

僕は少し妹に接近してみる。
相変わらず大きな瞳をまっすぐにこちらへ向けてくるばかり。
しかしいつもの僕に対する態度とは明らかに違う。

「マヤ?」
僕は恐る恐る妹を呼ぶ。
すると、漸く妹は反応する。

妹は大きく首を振る。
髪についていた水滴がカーペットに飛び散る。
まるで濡れた犬が水滴を払うときに身体を震わせるあの様子に似ていた。

「ちがう!」
妹は突然そう叫ぶ。
僕は思わず「は?」と返す。
何が『ちがう』のか?
ますます訳がわからない。

「・・・何が違うんだよ」
「マヤ、ちがう!」
「?」
「ユイはユイなの!」
「・・・は?」
「マヤじゃない! ユイなの!」
そう言いながら首を振る妹。
まるで駄々をこねる子供のような様子に僕は言葉を失った。

久しぶりに言葉を交わした妹は得体の知れないものになっていた。

妹が壊れた話・1

行き当たりばったり。多分少し続きます。

妹が壊れた話・1

妹が得体の知れないものになったのは先週末の夜だった。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-16

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