仏蘭西の少年
わたしが十三のときの話をしよう。
わたしの学校には、仏蘭西学級というものがあった。近くの町が国の開発のために、仏蘭西から研究者たちを招き、その子供たちが通うための校舎として、わたしの学校の空き教室を貸すことになったのだった。しかし、幼いわたしにはそんなことはどうでも良かった。同じ校舎の中の一室が異邦人だけで満たされているという光景は、その教室を異空間のように思わせ、興奮と憧れを感じさせるには十分だったのだ。彼らは私達と同じ制服を着ていた。しかしそこには学生服特有の幼さは無く、美しく着こなす彼らの姿があった。それはまるで、初めから彼らのために誂えられた正装かと思うほどであった。
その中でも一際美しい少年がいたことを、今でも良く覚えている。齢は十四くらい、日本人に比べれば幾分背が高すぎるものの、その顔には愁いと幼さが宿り、髪の金と肌の白、そして学生服の黒のコントラストが、ゴシック時代の貴族を彷彿とさせた。やや細い作りの華奢な手足はすらりと伸び、それをゆったりと動かす様は、彼を実年齢よりも多少大人びて見せた。薄い色彩の瞳はいつも伏せがちで、大人しい性分なのだろうか、いつも教室の隅で窓辺に腰掛け、どこを見るとも無く外界を見下ろしているのだった。当然、彼の美貌と憂いを帯びた眼差しは、思春期を迎えたばかりの日本人の少女たちを熱狂させた。「オーレリアン」といういかにも異国風な彼の名前を小声で呼びかけたり、物憂げに外を眺める彼を教室の扉のガラス窓から覗き見ては、彼の美しさを皆で褒めそやした。けれど彼の持っていた美しさというのは、ともするとその態度にこそ由来していたのかもしれない。同じ仏蘭西人の生徒と談笑する姿を見ることはほとんど稀で、わたしたちのような垢抜けない小娘には、一瞥すらくれなかった。そうした浮世離れした振る舞いこそが、彼をより崇高な存在であるかのように見せたのかもしれない。
仏蘭西学級の生徒たちは、同じ校舎で学んでこそいたが、言葉は通じず、学ぶ科目も異なり、部活動で会うこともなく、教育課程も異なっていた。けれどそんな彼らと共に過ごすことができたのが、休み時間と体育の時間であった。体育の授業中、孤高の彼はいつも見学をしていた。病弱なのか積極的でないだけなのかはわからなかったが、彼が授業に参加しないのは教員も了承済みであるらしく、いつも体育館の隅で静かに座って、走り回る私達をぼうっと眺めていた。しかしそこには疎外感や孤独感は無く、ただ静かに一人で、彼の世界の中に住んでいるように見えた。
運動着に着替えた彼の首には、いつも黄金色に鈍く光る首飾りがあった。彼の細い首には不釣り合いなほどにがっしりとした、太い鎖を組み合わせたようなそれを彼は必ず身につけており、授業を見学している間じゅう、それを指先でつまんでいじくっているのだ。舞台の上に腰掛け、柔らかな天鵞絨の舞台幕にもたれかかりながら、細い指で金の鎖をもてあそぶ様は、肌の白と髪の金と舞台幕の深紅の調和によって、彼をより高貴な存在であるかのように思わせた。
仏蘭西学級の特徴は、学期の制度も仏蘭西式を採用していたことだった。六月の初め、学期末を迎えた彼らは校舎から姿を消した。がらんどうになった教室が廊下の隅にひっそりとあるだけである。日本の中学生にとっては、夏の三ヶ月は忙しい。めまぐるしい日常を送るに連れ、少女たちの心からは次第に彼のことは忘れられていった。
そして九月。夏休みを終え、早すぎる秋が訪れを告げる頃、一年生たちの制服が少しずつ形を変え始める頃、あの異邦人たちは戻ってきた。バカンスを終えた彼らにとっては新学期である。まだ九つくらいにしか見えないような男の子も、新入生の顔ぶれの中に混じっていた。仏蘭西学級では本国の制度と同様、飛び級が認められているのである。しかし、その中にあの窓辺の貴公子の姿は見受けられなかった。「卒業したのだろうか、もっと年上だったのだろうか」と、寂しさと共に思いを馳せていた時だった。
以前のように廊下の端の教室を扉から覗きこむと、あの窓辺には久々に主が戻っていた。しかしそこにあったのは、かつての窓の主の姿ではなかった。幼さが残っていた輪郭は消え、顔を縁取る一つ一つの稜線が鋭利すぎるほどに尖ってしまっていた。高すぎる鼻、骨ばった顔。背丈はさらに伸びて、不安定に感じるほどに痩せてしまっていた。大人と呼ぶには脆弱で、少年と呼ぶには歪なその姿は、割れた硝子のような鋭さを持っていた。柔らかに漂っていた優雅さは消え失せ、胸元の金の首飾りだけが、かろうじて彼があの彼であることを証明していた。今の彼の姿は、まるで以前の彼の滑稽な風刺画のようにさえ思えた。——強すぎた極東の日差しが、彼の幽玄な美しさを焼き焦がしてしまった。彼は美しい少年から、ありふれた西欧人の男性へと変わってしまったのだ。
暗黙の了解のうちに、窓越しに彼を見つめる少女たちも消えていった。窓辺の貴公子はもういない。彼の名も次第に忘れ去られ、中学二年生の秋、彼は日本から去った。
今わたしの心の中で未だ燦然と輝く彼の姿は、過ぎし日の彼の真実の姿なのか、朧げな美しい幻想なのか、確かめる術は既にない。ただ一つだけ、今でも変わらずに覚えていることは、少年の持つひとときの美しさを目の当たりにしたときの、わたしの心に残る感動だけである。
仏蘭西の少年
中学校の思い出です