パレードの素敵な噂が

 その日、15時発のバスが従弟を轢き殺した。
 私はバーのスツールに腰掛け、11杯目のビールを喉の奥に流し込んでいた。ビールは擦り切れたような味がした。なんとなく生臭いにおいのする夏の夜だった。ビールを飲み干してしまうと、なにもかも嫌になった。
 空になったグラスを振ってお代わりを注文した。馴染みのバーテンダーは、グラスを拭いていた手を止めると私の前まで歩いてきた。
 「呑み過ぎだよ」とバーテンは言ったが、結局12杯目のビールが運ばれてきた。透明で背の高いグラスに良く冷えた黄金色の液体が満ちていて、その中をビーズみたいな透明の泡がゆっくりと昇っていた。しばらくその光景に見とれてから、グラスを掴んで一口で三分の一ほど呑んだ。店の中は空いていた。まだ夜の12時前だというのに、私以外の客といえばカウンターの一番端で突っ伏して寝ている爺だけだった。男は眠りこけながらも、右手でしっかりとビールのグラスを握り締めていた。その中にはまだ半分程ビールが残っていた。男はほとんど死んでいるみたいに見えたが、時々馬鹿みたいにでかい音で歯軋りをするのでまだ生きていると分かった。たぶん世界中の場末の酒場で毎夜繰り広げられている光景だった。12杯目のビールを片付けて、私は自分もその光景の一部になった。もう一度グラスを振って、13杯目のビールを頼んだ。バーテンはもう一度私のところへやって来た。
 「別にあんたの金で、あんたの体であんたのビールだからいいけど、少しは食べ物も胃に入れたほうがいいんじゃないかな。ポップコーンとか、サンドイッチとか」とバーテンは言った。
 「昼にトマトを一つ齧ったよ」と私は言った。
 「それだけ?」
 私は少し考えた。
 「朝にツナ缶をトーストに乗せて食べた。それと、夕方までにコーヒーを5杯。」と私は言った。
 バーテンは首を振った。もう何を言っても無駄だと言う様に。そして13杯目のビールが手元に用意された。私は黙ってそれを啜った。
 ビールを半分程片付けると、急に小便がしたくなった。考えてみれば、12杯と半分のビールを呑み干すまで、私は一度も小便をしていなかった。スツールから立ち上がり、トイレに入る。足元が少しもたついたが、なんとかまともに歩いてトイレにたどり着けた。そして小便をした。凄い量と臭いだった! たぶん3リットルくらいは出たに違いない。小便を出し切り、流しにもたれて冷たい水で手と顔を洗った。流しの前の薄汚れた鏡を覗くと、そこに妙に青白い顔をしたやつれた男が立っていた。そのうらぶれた感じがなかなかよかった。トイレを出てカウンターに戻ると、そこにはバーテンとビールが私を待っていた。カウンターの隅で寝ていた年寄りの男はいつのまにかいなくなっていた。バーテンはカウンターの中で暇そうに、ピスタチオの入った大きなガラス瓶から、殻が閉じているやつを探しては抜き取っていた。私はできるだけなんともない風を装って、自分のビールの前に座りなおした。グラスを握ると、ビールはすっかりぬるくなっていた。試しに一口呑むと、小便のようにぬるく、小便のような臭いと味がした。私は目を閉じて、ぐっとビールを流し込んだ。その一杯が強烈に効いた。視界が淀み、首が前に傾いた。眠りこけないために、口の中を噛んで意識を保とうとした。背後でバーの入り口のドアが開いたような気配がしたが、そちらを振り向く気力もなかった。
 新しい客は、席一つ分開けて私の隣に座った。まどろむ目でそちらを見てみる。隣にいるのは知った顔だった。仕事でよく一緒になる男で、相棒と言ってよかったが、私が当分の間仕事に溢れていたせいで会うのはしばらくぶりだった。
 「よう」と相棒は言った。私はグラスを握ったまま頷いた。
 「最近どうしてた?」と相棒は言った。
 「ずっとこいつを呑んで、寝てた」と私は言って、グラスを顔の前に掲げた。もうそれ以上他人と話したくなかったので、私は前を向きなおして生ぬるいビールを啜った。
 相棒はもう別の店で相当呑んできたようで、バーテンに酒を頼むと一人でしゃべりだした。私は黙ってそれを聞いていた。大体はろくでもない話だった。仕事のこと、他人の悪口、酒のこと女のこと……。それから今日は連れがいるんだ、と相棒が言った。そして手を振ってバーテンを呼ぶと、酒を二つ頼んだ。
 私は何気なく隣を見た。じっと見てみると、確かに相棒の体に隠れるようにして連れが座っているのが見えた。相棒の連れはずいぶん小柄に見えた。まだほんの10代くらいの子どものようだった。そして着ているものも、普通の男物のジーンズと薄手のパーカーに見えた。髪形といい、顔形といい、どうみても男にしか見えなかった。そして酔いで淀んでいた焦点が徐々に定まってくると、それが自分の従弟だと分かった。従弟は私の家のすぐ近くに住んではいたが、ほとんど彼や彼の家族と会うこともなかった。大体私は従弟の家族があまり好きではなかった。堅物でユーモアの欠片も無い醜く太った父親と、くたびれきって神経質なほとんど頭のおかしい母親。3人で何とか食っていけて、見るもおぞましい建売住宅のローンを払えればそれで幸せと思っているような連中だった。私と従弟とは、せいぜい道ですれ違ったら無言で会釈をする程度の仲だったが、彼の家族のことを思い出すと、私は少し従弟のことが気の毒になった。従弟はカウンターの前に静かに座り、背の高いグラスに入った水色の液体を吞んでいた。それはジュースには見えなかったが、バーテンダーは気付かない振りをしていた。
 バーテンダーは、相棒の前にでっぷりとしたグラスを置くとそこにバーボンを注いだ。相棒はグラスを鷲づかみにすると、バーボンを水みたいに呑み始めた。それは彼がかなり酔っていることの証拠だった。すぐに一杯目のバーボンを空にすると、バーテンは黙って二杯目の酒を注いだ。相棒はまた私に向かって早口で話始めた。酔って歩いていたら従弟から声をかけられたこと。二分程の交渉の末、一晩幾らで買ったこと。さっきまで二人で安ホテルにいて、それから軽く呑んで今に至ること。友人の話を聞きながら、私は自分のビールを黙って吞んでいた。
 「そういう趣味があったとは知らなかったな」と私は言った。相棒は2杯目の酒をぐっと半分程空けた。
 「俺だって初めてさ。だがな、何事も知らんことはまず経験することだろう。それに、試してみるとこれがなかなか良くてな……」と相棒は言って笑った。私はグラスをカウンターに置いて、相棒のほうにぐっと詰め寄った。そして襟の辺りを右手で掴みながら左の鳩尾にフックを見舞った。相棒の口からだらしない音が漏れた。
 「そうだな。じゃあ、そうするともちろんこいつが俺の従弟だっていうことも知らなかったわけだ」と私は静かに言った。相棒は一瞬驚いたような表情をして、私の眼をじっと見た。私も相手の目を見返した。多分相棒は、私と殴り合って勝てるかどうか算段をしていた。私は相棒よりはだいぶ酔っていたが、背は10センチ以上高かった。力も私のほうが上のはずだった。これは勝負になりそうだった。結局相棒のほうが先に視線を下に向けた。
 「悪かったよ。あんたの身内だとは知らなかったんだ。でも最初に誘ってきたのは向こうだったんだぜ」と相棒は言った。その間も、従弟はずっと毒みたいな色の酒を呑み続けていた。私はどうしようか迷ったが、結局相棒から手を離し自由にしてやった。
 「悪かった」と相棒は繰り返した。どうも本当にそう思っているみたいに聞こえた。
 「いいさ」と私は言った。それ以外にどう答えていいのか分からなかった。グラスの中のビールをくるくると回して弄ぶ。もうビールはこれ以上入りそうに無かった。ポケットを探り、煙草を取り出す。それが最後の一本だった。どうにも冴えない夜だった。バーのマッチを借りて煙草に火を点ける。一口で煙草を半分程灰にして揉み消した。店の中はバーテンがこそこそと洗い物をしたり、グラスを拭いたりする音だけが響いていた。誰も、何も話すべきことが分からなかった。
 「俺、もう帰るよ」と相棒が言った。
 「そうか」と私は言った。別に引き止める理由も思い当たらなかった。相棒はカウンターに金を置くと出て行った。
 私と相棒がそんなやりとりをしている間も、従弟は一人で静かに酒を吞んでいた。どうしたものか迷ったが、結局グラスを持って従弟の隣の席に移った。バーテンから一番安い葉巻を買い、片側を千切ってから火を点けて何口か燻らす。土と金属の味がした。安物の葉巻の味だった。だが葉巻の味は、私の酔いを少しだけ醒ましてくれた。
 「いつもこんなことをしてるのか?」と私は訊いた。
 従弟は酒のグラスを置いて、私の顔をじっと見た。特に悪びれた様子にも見えなかった。
 「別にいつもってわけじゃない」と従弟は言った。
 「じゃあ、たまにはやっているわけだ」と私は言った。従弟はそれには何も答えなかった。私はもう一口葉巻を吸った。誰かの魂みたいな形をした煙が、カウンターの上を漂った。
 「何であんなことをしたの?」と従弟は言った。きっとなんで相棒を追い返したのか、ということだろうと私は思った。なぜだろう、と私も考えた。考えてみると、なぜそんなことをしたのか自分でも良く分からなかった。別に従弟の体で従弟が決めたことなのだから、私が口を挟む義理はなかった。
 「何でだろうな。良く分からない。嫉妬なのかもしれない」
 「嫉妬?」と従弟は言った。そしてやっと少し笑った。笑いながら前髪を手でかき上げた。するとカウンターの照明を反射して、黒い髪がきらきらと光った。従弟は笑いながらグラスに唇を付けると、残っていた酒を首を反らせてぐっと飲み干した。水色の液体がゆっくりと一対の薄い唇に飲み込まれていく。なかなかのものだった。もう少しその光景を見ていたくなった。手を振ってバーテンを呼び、従弟のグラスを指して同じ物をもう一杯頼む。すぐに同じ酒が用意された。それを見て、従弟は意外そうな顔をした。私は黙って葉巻をふかし、最後のビールを呑み干した。そして自分のためにスコッチの水割りを頼んだ。それを少し舐めると、頭の後ろをぶん殴られたような感覚が走った。それを静めるため、もう一口すすってみた。
 「何でこんなことをしているんだ? こんな、自分を痛めつけるようなことを」と私は言った。従弟は酒をすすりながら、私の言ったことについて考えていた。
 「お酒が呑めて、人と一緒に過ごせるから」と従弟は言った。私はスコッチを呑み続けた。さっきよりだいぶましな味になってきた。
 「これ以上どうしてって訊かないの?」と従弟は言った。私は頷いた。
 「ああ。別にそうしたいならそうすればいい。俺が口を挟むことじゃない」と私は言った。
 「親は知ってるのか?」と私は訊いてみた。従弟は肩をすくめた。
 「知ったらきっと父親は僕を殺そうとするし、母親はおかしくなるんじゃないかな」
 「だろうな」と私は言った。
 その後も二人でかなり呑んだ。二人ともそこからさらに4杯か5杯くらいは呑んだと思う。私は葉巻を吸いスコッチを飲み続け、従弟はずっと同じ色のカクテルを吞んでいた。安葉巻の苦い煙のせいで、少し深く酔ってきても、意識ははっきりしていた。深く酒を呑み続けると、ある一定の分水嶺を超えてしまうとむしろ酔いが覚めてくることがある。この夜が正にそれだった。そうなると、私は決まってすこし意地悪くなった。私はグラスを傾けながら、私は従弟の顔を見た。酔いに任せながら見てみると、従弟は実に綺麗な顔をしていた。こんな子が男を取っているのか、と思うと私は妙な気分になった。興奮したというよりも、自分の隣で冷然と酒を呑んでいるその表情を、少し困惑させてみたくなった。静かにグラスを置き、言い澱まない様に一つ呼吸をした。
 「もし俺が君を買うとしたら、幾らなんだ」と私は言った。
 従弟は酒のグラスをカウンターに置いた。グラスの細長いガラスの足に指を絡めたまま、従弟は私の顔を見た。そうして私が本気なのか推し測っているようだった。従弟はもう一度グラスを持ち上げ、3分の1程残っていた液体をぐっと流し込んだ。カチンという金属的な音を立てて空になったグラスを置くと、従弟は金額を言った。
 私はポケットから財布を取出し、札を2、3枚抜いた。それを従弟のズボンの尻ポケットに突っ込み、腰に手を回した。手を触れると、従弟の腰は意外なほど細かった。まるで少女の腰のようだった。腰に手をやったまま従弟の顔を見たが、彼は私をじっと見返すばかりで目立った反応はなかった。それが酔った私の嗜虐性を煽るようで心地よかった。自分の酒を一気に呑み干して席を立った。今度は足元はしっかりしていた。従弟の手をそっと引くと、彼も席を立って私の後を歩いた。
 二人で店のトイレに入った。後ろ手で鍵を掛け、覆いかぶさるように従弟の口を吸った。従弟と私とでは身長にずいぶん差があったので、そうするのは骨が折れた。夢中で唇を合わせながら、従弟の口へ自分の舌を差し入れる。そこは甘い味がした。従弟がさっきまで吞んでいた酒の味だった。そのまま口の中の感触と、酒の味を味わいながら片手を伸ばして尻の肉を掴んだ。従弟の尻の肉は少年らしく、柔らかいばかりでなく少し硬く締まっていた。いい感じだった。従弟はその間、特に嫌な顔もせず私に身体を任せ、目を閉じていた。従弟とそうしているのは心地よかった。時間が経つのも忘れ、じっと唾液を交換し合う。やっと口を離すと、お互いの口から唾液が糸を引いていた。従弟はそれをみてびっくりしたような顔をして、手の甲で口元をぬぐって笑った。私はただ呆けたように従弟の顔を見つめていた。
 私は便器に腰掛けて、ズボンと下着を下ろした。従弟とキスをしている最中から、私のペニスはずっと熱を持っていた。チャックを開けて下着をずらした途端に外へ飛び出してくる。赤く熱い15センチの肉の塊だ。私自身から見てもずいぶんグロテスクなものだった。従弟はトイレの床に膝を突くと、躊躇無くそれを咥えた。瞬間私は呻き声を漏らした。従弟の手管はなかなかのものだった。唇を使い全体を扱き、強く吸いながら舌を絡ませてきた。滑る唇と、ざらざらとした舌の感触がよかった。従弟に自分のものを吸わせながら、私は従弟の頭を撫でていた。私の手の中の従弟の頭は、本当に小さかった。さらさらとした髪はトイレの電灯を受けて黒く光り、肌はつるりとして締まっていた。こんな子が、私の股間に顔を埋めながら音を立てているかと思うと堪らなかった。すぐに終わりを迎えた。その瞬間に従弟の頭をぐっと手で引き寄せた。従弟はそれまで無言で私のものを吸っていたが、その時ばかりは小さく苦しそうな声を上げた。私は構わず手で押さえ続けた。従弟の尻がぎゅっと締まる感覚が、私の手に伝わってきた。全てが終わると、従弟は洗面台で口をゆすいで手を洗った。私はズボンを上げて、トイレの床に立ち尽くしたまま、ぼうっと従弟を見ていた。煙草が吸いたくなりもう一度ポケットを探ったが、やはりもう一本も残っていなかった。
 その後店に戻り、気を取り直して従弟と酒を呑んだ。いい夜だったと思う。少なくとも、さっきまでよりは二人の間で通じ合うものがあった。

 昼過ぎになって自分のベットの上で目が覚めた。窓から差し込む日差しが暑かった。口の中は酒の味が残っていた。手で顔を擦ってみたが、特に寝ている間に吐いたりはしていないようだった。しばらくベットの上で目を閉じて死んだように動かないでいたが、結局起き上がった。流しで顔を洗って、昨日の残りのコーヒーを温めて飲んだ。腹も減っていたので、冷蔵庫にあったゆで卵を三つ、塩を振って食べた。卵は芯まで冷え切っていて、コーヒーは気の抜けた味がした。
 卵を食べてコーヒーを飲み終えると、急に糞がしたくなった。急いで便器に座り、心行くまで大量の糞をした。量も凄かったが、臭いも凄かった。入念に尻を拭いてから水を流し、もう一度手と顔を洗った。糞をしてしまうとずいぶん気分が良くなった。酒もほとんど抜けていた。冷蔵庫を探ると缶ビールが一本目についた。栓を開けて、一息で半分空にした。もう一つゆで卵を取り出し、たっぷり塩をつけて残りのビールで流し込んだ。もっと呑みたかったが、このビールが私の家にある最後のビールだった。しばらく迷ってから、適当な服に着替えてビールを買いに出た。
 良く晴れていた。雲ひとつなかった。日差しは強かったが、夜のうちに雨が降ったのか風は涼しかった。人は多かったが、ふらふらと通りを歩くのはなかなか気分がよかった。酒屋の近くの交差点で信号待ちで立ち止まった。道を渡れば酒屋はもうすぐそこだった。酒屋の前の坂道は大きく緩やかにカーブしていて、街路樹の緑に当たる陽の感じがよかった。通りを吹く風は、土と緑のにおいがした。ただぼんやりしていると、道の向こう側から従弟が歩いてくるのが見えた。従弟も私に気付いたようで、交差点の反対側で立ち止まった。従弟は私に向かって何か話しかけてきたが、雑踏に掻き消されてよく聞こえなかった。私が耳に手を当てると、従弟は笑顔を浮かべながらもう一度繰り返した。やはり何を言っているのか分からなかった。私が怪訝な顔をしていると、従弟はさっと左右を見て小走りに道へ飛び出した。その時、ちょうど坂道の上からバスが下ってくるのが見えた。運転手は余程急いでいたか、子どもの教育費のことを考えていたが、それとも酔っ払っていたに違いない。バスはほとんどスピードを落とさずに交差点へ入ろうとしていた。私は声を上げもせず、瞬きもせずにじっと従弟の目を見ていた。その瞬間だけ、バスも従弟の動きも妙に遅く感じた。15時発のバスが従弟を轢き殺したのはその時である。

パレードの素敵な噂が

パレードの素敵な噂が

ガリガリ君を砕いたものを冷やしたグラスに詰めて、そこにラム酒を注いだものが美味しい。最近そればっかり呑んでます。 特に梨味でやると美味いが、最近見かけませんね……。

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2014-06-15

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