ある晴れた 昼
惰性
もうとっくに 待ち合わせの時間は過ぎていた
本当は行きたくない。心が自分の行動を拒否している。だから、出かける準備を先のばしにしている。
過去に恩を作ってしまったから、「その人」の講演には必ず顔を出さなければならなくなっている。
顔を出さなければ、電話がかかってくるから。
顔を出さなければ、メッセージが送られてくるから。
本当は継続したくない人間関係を、いまもまだ続けている。
「自分ハダメナ人間ダ」
そういう言葉がずっと、頭の中をぐるぐる、まわっている。
講演には、いつもほぼ決まったメンバーが顔を出している。
入れ替わるメンバーも、何年も同じサイクルを続けているうちに、だいたい同じ顔ぶれであることがわかってきた。
誰も自己実現している顔はしていない。
妬みや嫉みや蔑みを湛えた表情からは、好意というものは、感じられない。
彼らはなぜ、集うのか。その意味さえ、わからない。
母
そんな集まりに、私は何かのきっかけで母を誘い込んでしまった。
おそらくはこの人間関係の重圧をひとりで抱え込むことが難しくなり、少しでも近い立場の人間と一緒にいたかったからだと推察される。
今日も母が先に到着していて、メンバーの誰かと談笑している最中だろう。
母は、人付き合いが上手ではないが、商売のためならどんな打算的な人間関係でも受け入れられるあざとさがある。
打算的に、計画的に権威主義者が喜びそうな人材を周囲に集めているので、自然と更に打算的な人材が周囲に群がってくる。
私はその構造に、嫌悪感がある。
これは、嫉妬だとか羨望だとか、そういう類のものなのかも知れない。
昔姉が母について、「あの人は相手が自分にとって都合がいい時だけ利用して、利用価値がなくなったら簡単にポイっと捨てる人なのよ。相手にされてる時はあんたに利用価値があるだけなのよ。 あの人は、そういう人よ。」と言っていた。
その時はそんなにその言葉が響かなかった。
姉は母からの愛情を十分に受けられていないとたびたび主張する子供だったので、また始まったのか、くらいに捉えていた。
だけど。
確かに母は因幡の白兎のように、権威ある人にすこしでも近づくため、とことん周到に相手の情報を集め、堀から攻めて本城を落とすような口説き方で知り合いを増やしていた。
母が興味を示す相手の特徴は、有名人。秀でた才能がある人。いわゆるフェイマスってやつ。
母が私に話す事はいつも同じ特徴がある。
この人と知り合いなの。この人とお話ししたの。この人と一緒に食事をして、その人が私にとても興味を示してくれているの。すごいでしょ。あの人は本当にすごい人なのよ。誰かとは大違い。あの人は本当に頭がいい。教養がある。誰かとは大違い。
何時間話しても結論はいつも同じ。「誰かとは大違い」の「誰か」はいつも、母が過去に興味を示して近づき、親しくなり、世話を焼き、そして棄てた、「誰か」だった。
老婆
集合時間から優に1時間は越えて、私は集合場所へ到着した。
「イキタクナイ・・」
車を停車し、車から降りて、魑魅魍魎が集うその場所へ移動するその一足ひと足が重かった。
それでも、行かなければ。 なぜかは、わからないけれど。
会場には既に人が大勢集まっていた。
あの人も、あの人も、いる。またいつもの空々しいメンバー。
「恩人」はいつも、「僕たちは家族のようなものだから。こうやってまた一緒に集えて、本当に嬉しい」
とか、意味不明なことを言うけれど。
死にかかってたら、助けてくれるの?借金作ったら、払ってくれるの?と言ったらきっと、「それは自己責任」とか、言うんだろう。
”ようなもの”って、結局”もどき”だもんね?
ちょっと視界から遠目に、いつもお高く止まっている感じの華道の家元だとかいう老婆が見えた。
小奇麗に飾っているけれど、風貌は明らかに老婆。だけど、自分の「女」とか「容姿」に過去から絶対の自信があるといったタイプだ。
もう何年もこの会場で出会っているけれど、彼女が私に話しかけてきたことは一度もない。
だが、今日は目が合うと、蔑むように上から見上げたあと、顎を右上にスっと上げ、視線を外した。
古典的な動作だと思ったが、それと同時に、なぜその態度なのか、少し不思議になった。
彼女の中で、私は「無視する、興味のない存在」から、なぜ「攻撃対象」に格上げになったのか?
無視してくれていれば、楽に暮らせたのに。
ある晴れた 昼