繭子

阿部 政之

もう30年も前にもなるかもしれません。宣教師として北海道で伝道活動をしていたころ、よく支笏湖に行きました。
そこで構想が生まれた物語です。
ただ場所は青森に移住して、支笏湖から十和田湖に変わりました。
それは湖が何か別世界への入り口のように思えるからです。
支笏湖同様、十和田湖も水深がとても深く、そして透明度もとても深い湖です。
戦後間もない頃を時代としています。
クリスチャン小説です。

繭子二十一歳

昭和21年7月
繭子は十和田湖畔に立ち、湖面に揺れる波の背を見ていた。
初夏の日の光が眩しく、今日の湖畔はいつにもまして蒸していた。
対岸に見える「りんごっ子工房」が初夏の湖面の大気に屈折して揺れていた。

「明日からだ」
繭子の心が弾んだ。


繭子は工房の前の岸辺から湖岸に沿って舟を漕いで、青森県側から秋田県側の湖畔まで来ていた。
湖を囲む山の日陰に入り涼しい風が頬を撫でた。
ボートが揺れた。
対岸まで来ると桟橋があり、舟を括り付け、注文していたヒバの木材の木くずと廃材を積んだ。
これから何度か舟を漕いでここへ来るだろう。
この廃材や木くずが夢を叶える種となる。

一年前、終戦間際の空襲で焼け野原になった青森市街地にはバラックが立ち並び、繭子の眼には物乞いしている戦争孤児が入ってきた。
秋が終わり雪が降り始めると、孤児たちはどこかへ消えていった。

焼野原も深い雪に埋もれた。
春になるとあちこちで新しい建物の建設が始まった。
恐ろしい北の冬をどうやって生き延びたのだろう、そしてまた孤児や物乞いが街にでてきた。
そこには障碍者もいた。

空襲で腕や足を失ったものだけではない。
心の傷を負い、何とか生き延びた者たちだ。
無表情な抜け殻の顔にその苦労が刻まれていた。
繭子はその光景からふと思った。
孤児や障碍者の宿舎と作業所を作り、そこで弱い者たちが力を合わせ、ともに生きていければと。

それが「りんごっ子の家とはまなす工房」だ。

家族は実業家の父と母と繭子3人家族だった。
繭子は教師を目指し青森の師範学校で学んでいた。

米軍の空襲の警告のチラシを見て幸畑に避難していた母は、
青森県知事が家を離れることを禁止し家に戻るように命令した防空法に素直に従い、家に帰った。
そして昭和20年7月28日の空襲でB29が落としていった8万3千本の新型焼夷弾に街と一緒に焼かれてしまった。
仕事で三本木に来ていた父の車に乗せてもらい、十和田湖畔の小学校の見学に来ていた繭子は焼夷弾の難を逃れた。
父も三本木の会社にいて逃れた。母だけが焼夷弾の炎の灰と化した。

家も会社も焼けてなくなったが、三本木や幸畑のりんご倉庫、
十和田湖のホテル、材木会社と木工所、外ヶ浜の漁船と加工場は残った。
終戦後、父は悲しみに浸る間もなくすぐ会社の再建を成し遂げ、いち早く復興の道を歩んだ。

繭子は師範学校の時から十和田湖畔休屋のホテルで夏を過ごし、湖畔の人々のなじみとなっていた。
知り合いになった子どもたちに宿題を教えたり、勉強を教えたりした。
子どもたちは繭子を慕った。
湖畔の人々は繭子を親しみを込め「まゆちゃん」と呼んだ。
今は皆「まゆ先生」と呼ぶ。

繭子が職を得たのは父の県への働きかけと計らいもあった。
湖畔の人々からの信頼もあり、小学校の臨時教員としての職を得られた。
父はこれで心配はないと、娘の生活の土台を築いてあげたと安堵した。
繭子は21年春に師範学校を卒業し十和田湖畔休屋の小学校の臨時教師となった。

そして母を失った悲しみを忘れるだろうと、繭子の願いを聞いて、父は作業所を立ち上げてくれたのだ。
そして父は母を失った悲しみから逃れるかのように仕事に邁進した。

雪が解けた5月の終わりから繭子はとりつかれたように宿舎と作業所の立ち上げに力を注いできた。
十和田湖のホテルの倉庫を改装して、空襲から一年となる7月、仮であるが宿舎と作業所ができたのだ。

対岸の船着き場から見る「りんごっ子とはまなす工房」は倉庫だった灰色から新しい薄緑のペンキに塗り変えられ、緑の湖畔の森に溶け込んでいた。
とってもきれいに見えた。
母とあの日一緒にあの街で空襲の炎に焼かれ、生き延びた孤児たちを世話することで、母の命がよみがえる気がしていた。
繭子の戦争孤児や精神障碍者の支援はとても無茶なことに思えたが、父はあまり気にも留めずにいた。
繭子が母の死に飲み込まれずにいてくれたらそれでいいと思っていた。

繭子の母は美しく、画家の要素があったが、精神を少し患っていた。
それもあり、繭子は精神障碍者を見ると、ただ通り過ぎることはできなかった。
母は人が聞こえないものが聞こえ、見えないものが見えた。
それを絵に描いた。
芸術が繭子の母の精神をこの世界につないでいた。
空襲の焼夷弾は母とたくさんの絵と一緒に天国へと連れて行ってしまった。
涙が流れることはなかった。
あの夜、母は一人で逝ったのではなかった。
1000人の青森市民と一緒に煙となり、灰となったのだ。
自分だけが泣くわけにはいかないと気丈にふるまった。
そして生き残った人たちと、休む間もなく空襲の被害者の救援にあたった。
来る日も来る日も続いた。
8月15日にはラジオを父と聞いた。
父は何も言わなかった。
口を固く閉じ、歯を食いしばり聞いていた。
そして「次だ」と
外へ出て行ってしまった。
事業の復興が戦後の復興になるとその日から考えた。
悲しみに浸り足踏みなんかしていられない、前に行くんだ。
それが父だった。
繭子も父のそれに準じた。
強い思い込みに精神を包み込み、父と並んで前に進んだ。
そして気が付いたら、ここにいたのだ。
あっという間の一年、うそのように長くも早くも感じた。
あの戦争があったのが記憶から薄れていく。
都会から離れ、この美しい湖と森の中で暮らしていると、災禍のことが遠のいた、
母のことも映画を見るように、時折思いの中に浮かび上がり、それでよかった。
涙が一つも流れない。
このまま行くのだろうと繭子は思った。
空を見上げて青い深い色の中に思いが飲み込まれて行くと、母がそこにいた。
母は青が好きだった。
青を基調にした絵を描いた。
いつも青をキャンパス一面に塗る、そしてその上に次、次と絵具を落として行った。
青がすっかり埋もれてしまうこともあった。
しかし一番深いところは青だった。
灰となった母も絵もその空にいつまでも漂い、湖の上からわたしとみていると思った。

今、対岸に見える宿舎と作業所は美しく見えた。
自分一人でボートを漕げたので、繭子は自信が付いた。
後は廃材や木くずをボートで作業所まで運べたら今日の目的は果たされる。
ゆっくりとオールを湖面の中に入れ切るようにオールを漕いだ。
思ったよりオールは軽く、舟は滑るように湖面を進んだ。
待っている作業所のみんなにこれを届ければ、廃材は椅子や家具、木工品に、
ひばの木くずは布の袋に詰めて箪笥の消臭剤に生まれ変わる。
安易な考えに思えたが、何とかなると繭子は根拠の無い確信に満ちていた。
それは父も同じだった。
母も同じだったろう。
繭子の二つの腕は小船を無事対岸まで運んだ。
これでいい、できる。
青空のかなたに繭子は未来を見た。

始まり...

日が昇った。
繭子は「りんごっ子」の宿舎で目を覚ました。
子どもたちが来てそこで暮らす前に繭子は自身がそこで暮らしてみて問題がないか試した。
ペンキの匂いはあまり気にならなくて安心した。
寝るのは大丈夫だ。
今日の夕方には父の会社の社員の岩崎が入所する子どもたちを連れてくる。
父の支援で、当分は父の会社の社員の岩崎と彼の奥さんが会社の仕事として出向して職員になり働いてくれる。
ありがたい。
繭子は父に甘えた。

教員宿舎に戻り、朝支度をして、学校へ出勤した。
何もかも経験のない初めてのことだったが、やる気が勝った。
そして宿舎と作業所を受け入れてもらえるよに教師としての仕事にしっかり取り組んだ。
孤児が来るのはなんとか湖畔の人々も受けれてくれたが、精神障碍者を受け入れてもらうのは難しことだと知っていた。
そんな施設はここが初めてになる。
孤児たちの作業所を受け入れてもらい落ちついたら、それが次だと心に決めていた。
仕事以外の時間と休みを作業所に費やした。
臨時教員とはいえ、学校の仕事は忙しかった。
終戦の時、出会った一年生が二年生になっていた。繭子はその担任となった。
そして同じ教室で先生が転勤してしまい残された三年生も教えた。
二年生は五人、三年生は二人だ。
毎日の職務で手一杯なのに、時間を見つけては少しづつ宿舎の整備をした。
そして岩崎と奥さんが朝から床はり、壁の補修、新しい窓の取り付け、水道工事、宿舎の寝室の隙間ふさぎ、そして食卓や勉強机を作り、そして作業所となる場所のごみ片付けや、整備をしてくれていた。
休みの日は繭子も朝から手伝った。

学校には校長と教頭、そして四年生、五年生を教える教師、六年生を教える教師、音楽教師、繭子、そして用務員の七人の職員がいた。
繭子以外はみな男性だった。

校長はまだ若い45歳、教育委員会勤めの後十和田湖に来た。奥さんと一緒に宿舎で暮らしていた。
校長の奥さんは38歳、繭子にはお母さんのような存在で、頼もしい存在だった。
教頭は50歳、単身で旅館の一部屋を借りてくらしていた。一年生を担当している。
四年生、五年生の先生は30歳、復員して教師に戻った。
あまり戦地のことは語らなかった。
六年生の教師は41歳、十和田湖にもう12年暮らす。妻は旅館の仲居をしていた。
忙しくて、宿舎でもあまり顔を合わせたことがないが、働き者の奥さんだった。
時々、旅館の料理のあまりものを差し入れしてくれた。

繭子の父のことはみな知っていて、繭子が今日から始めることをみなが応援してくれていた。
敗戦のつらさを知り、その後の生きていくことの苦労を知り、孤児たちの苦労を見てきた。
それで繭子がやろうとしていることをなんとかしてあげたいとみな思っていた。
仕事をおろそかにしない繭子の姿は皆を説得できた。
金持ちの娘のわがままでこんなことをやっていると悪口を言うものもいなかった。
繭子は自分の働きぶりでりんごっ子を受け入れてもらおうと努めた。
誰も失望させたくなかった。湖畔の人々も。

学校へ着くと、校長の奥さんが湯を沸かして、お茶の用意をしてくれていた。
繭子は職員室の掃除をして窓を拭き、学校の玄関を箒で履いてげた箱を整え、生徒を迎える準備をした。
そして子供たちが登校する前に朝の職員会議が開かれ、それが終わると湯飲み茶わんをかたずけて校長の奥さんは帰って行った。
一時間目の授業が始まった。

「おはようございます。」
「おはよございます。」
「先生、今日は新しい生徒来るんだべ」
「今日の夕方よ」
「じゃ、明日から学校さくんのが」
「そうよ…」
「何人…」
「みんなの教室には二人、男の子一人に女の子一人です。」
「ほだが。楽しみだな」
「はい、では国語です。」
「宿題集めます…」

「繭先生」
「なんですか?」
「転校してくる子はどごさ住んでるんず」
「先生の家よ」「先生と一緒に住むの、先生が預かった子たちよ」
「よろしくね」
「わがった!」
「わ楽しみだ」

繭子を慕っている二年生の康太が転校生のことを聞いてきた。
りんごっ子の子どもたちだけでなく学校の子どもたちは皆同じだ。
この子たちも一緒に成長していくのだ。
それぞれが戦争でいろいろな苦労をした子どもたち、
その違いやいろいろなあり方をわかっていけるだろうか。
そんな不安が時折、頭の真ん中で繭子に語り掛けた。
「大丈夫…母さん助けて…・」と言葉を唱えると、消えていった。

繭子は湖の山の陰に沈んでいく夕日を眺めながら、国道からやってくる迎えの車を待った。
ここまで来るには十和田の駅から車で3時間はかかる。
途中、峠を越えてくる。
何度か車を止めて、エンジンを冷やして登ってこないといけない。
空も暗やんできた。もうじきだ。

湖の上に一番星の金星が光だしたとき、岩崎が運転するトラックが帰って来た。
たくさんの椅子の材料になる木を積んで助手席には二人の子どもが乗っていた。

とうとうやって来た。
これからだ。

母を探しに行った日、繭子は空襲の焼野原の後に残った銀行の鉄筋コンクリートのビルの軒下で暮らしていた兄妹を見つけ保護した。
奇遇にも兄妹の父は繭子の父の会社のトラックの運転手だった。
お金をためて会社を辞め自分でトラックを買って事業を起こしていた。
繭子の父はそれを応援した。
自分と同じ郷里の出身で息子のようにかわいがった。
独立したら自社の運送部門を廃止し、彼の会社に任せる思いだった。
35歳になっていたが、終戦直前に運送要員として満州に召集されそうになると、
繭子の父はそれをどのようにしてか根回しして止めた。
繭子はよく三本木まで乗せてもらった。
本当は小説家になりたかったそうだが、戦争でそんなことは夢になりペンをハンドルに代えた。
教師を目指していた繭子に外国文学の話を聞かせてくれた。
トラックの中ではだれにも話を聞かれないので自由に話をしてくれた。
聖書の話もしてくれた。
キリスト教徒ではないが、聖書の言葉をたくさん知っていてそれを生きる力の源としていた。
英語の勉強でキングジェームズ約の聖書が良く引用されたからだ。
それで英語の勉強で聖書をよく読むようになった。
それで名文と言われる沢山の節を暗記した。
外国文学の話以上に、聖書の話からたくさんのことを繭子は考えさせられた。
「愛」とは・・・
「命の意味は」・・・
「向こうの世界はあるのか」・・・と
それをいつも考えさせられた。

空襲の夜、青函連絡船に乗って函館に荷物を運ぶ途中、爆撃機から落とされた魚雷で兄妹の父は連絡船とともに海に消えた。
母も行方知らずになり、兄妹は銀行の軒下で暮らしていた。

そんな兄妹の母になるという決意は繭子を強くした。
怯えていた兄妹も繭子が自分の父を知っていると知り安心したのか繭子について来て、一緒に暮らすことを望んでくれた。
それには時間がかかった。
子どもがいなかった岩崎が兄妹の世話をしてくれた。
岩崎夫妻の助けがなかったらできなかっただろう。
岩崎夫妻は自分の子のように大切に世話し、そして兄妹も父母のように慕った。

そしてもう一つの出会いがあった。
空襲の後、提橋のたもとに呆然と立っていた男がいた。
灰に汚れた服をまとい、川の上流である筒井の方を向いて立っていた。
空襲で焼かれた町の中でその男の汚さは目立たなかったが、
それでもそこに立つその男のことが気になった。
橋のたもとに立ち、上流を見つめる男に声をかけるものはなかった。
何かひかれるものがあり繭子が声を掛けたのだ。
後ろからそっと脇に寄り、「こんにちは」と声を掛けた。
男は後ろを振り返り繭子を見た。
繭子はその男の顔を見てはっとして
「あれ英君!」
と声を発した。
「うん!」
と、間をおいて返事が返ってきた。
それは繭子の母の遠い親戚の子だった。
「英君、生きてたのね!良かった」
「空襲の後、英君の家を探しに行ったけどもう…」
「良かった生きてて、お父さんお母さんは」
「…空襲で亡くなった…」と静かに答えが返って来た。

英の父は建具屋で木工職人だった。
小さい時から英は父の仕事を見てきた。仕事を父が教えてくれるとすぐにできるようになった。
英は幼少のころはとても活発で体も丈夫だったが、中学を卒業して進学はあきらめ、缶詰工場で働き始めたころ体調を崩した。
映画が好きで、音楽が好きで、空想に耽っていた英には仕事は退屈だった。
家に帰ってきてから、三国志に夢中になって入り込んだ。
そこから空想の世界に足を踏み入れ、頭の中の物語に入り込んでいった。
ある日、体が動かなくなった。
工場への自転車に乗ってい向かっている道の途中にいつも白い髪の老婆が立っていて、その前を通ると自転車を蹴ってくると
それで自転車に乗るのをやめて歩きにした。
すると道の途中でその白神の老婆がいて、邪魔すると。
それで道を戻り家に勝ってきたと。
それから工場には行けなくなった。
それが病気の始まりだった。

父は英が病気を克服出来るように気を紛らし、
病と上手に付き合い生きるために家に道具を持ち込ん木工と木彫りを教えた。
覚えが良くすぐに道具の扱いを覚え、少し教えたら椅子や机を器用に作った。
仕上げも丁寧で父は英に木工職人とて見込みがあると思った。

空想の世界を木彫りで表現して作っていった。
自身の三国志から空想した物語の中に出てくる装飾された剣を作った。
何本も工夫をしては同じものを作った。
その後は物語の中に出てくる王の首飾りを作り始めた。
それもいくつも、
集中し一日作業をすることが出来た。
出来た作品はお守りとなった。
剣を肩から掛けて、首飾りを胸元で輝かせると、
苦しさと恐れが消えていった。
そして病に飲み込まれずにすんだ。

英は繭子の母と同じ病を患っていた。
病弱で繭子の母と同じで人が聞こえないものが聞こえ、見えなものが見えた。
病で兵隊にとられることはなかったが、周りから弱いもの扱いされて軽視されてた。
その代わり缶詰工場に招集され工員として働いていた。
そんな英に英の母は彼の父と一緒に優しく寄り添ってともに生きて来た。
空襲がすべてを持って行ってしまった。

繭子の父は英を引き取った。
そして岩崎夫妻に世話を頼んだ。

兄妹と英も一緒に来たのだった。
狭いトラックの座席には岩崎と兄妹が、
幌のかかった荷台の中に、英と岩崎の妻が乗っていた。
工房は英の居場所を作り、そこからさらに夢を広げようと思い、繭子が立ち上げたのだった。

古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなった。

新し家族の始まりだった。

新しい家族

英が荷台から降りてきた。
「繭ちゃん」
両脇にヒバの木材を抱えて
「これ見て、これでいいのが造れるぞ!」
「英ちゃん、よろしく」

あの兄妹が降りてきた。
「あーつかれた」
「浩ちゃん、秋ちゃん、よく来たね。」
「ここが新しいお家よ…・」
「そしてあそこが学校、、近いでしょ」

「あーあ、はらへったず」
時計を見ると6時半だった。
青森の春の黄昏は遅い、まだほんのりと明るかった。
英と兄妹が車から降りてくる短い時間に空は深い群青色になり、一番星の金星以外の星が光り出していた。
「わい、わやうづくしいな(なんてきれいなんだ)、こごのほす(星)」
浩太がそう発した。
「そうよ、きれいな星でしょ!毎日見れるわよ」
「すごぐちけ」(すごく星がちかいな)
星の粒が大きくて落ちてきそうに見えった。
手を伸ばしたらすぐに届きそうだった。
白鳥座が西の空から登り始め天頂には春の星座がちりばめられていた。

岩崎夫妻と英はヒバの材木を荷台から降ろして作業所に運んでいた。
そして十和田から運んできた食材やら、生活用品、そして英と兄妹の荷物を下ろして宿舎に運び始めていた。
「浩、秋…手伝って」
「暗くなる前に」
「わ、手伝うはんで、まがして」
「ありがとう」
こうしてトラックの荷物も片付き、皆は宿舎の中に入った。
新しいペンキのにおい、そして笑い声、そして居場所があることの喜び。
それだけで繭子は「できた」と。
星を見上げると母の顔が見えた。
「母さんありがとう……」
そうつぶやいた。

英は最初に作業所を見た。
繭子の父が用意してくれた工具は十和田の木工所から持って来てくれたものだ。
青森の小さな会社よりも立派な設備だった。
倉庫を改装したのだから外観はそうでもなかったが、中は充実していた。
英はにこっとして、繭子に「ありがとう」と声を発した。
「なんも、なんも」と繭子からも津軽弁が出た。
小学校の教室ほどの広さで、床は土間だったが、しっかりと固められていた。
まだ何もない作業室、そしてその広い空間に英は次々と出来上がっていく、椅子やテーブル、家具が見えた。
「戦争は終わったじゃ、これからだおとう、おかあ、二人の分わ、これがらわがいぎるがらな!」
(戦争が終わったよ、これからお父さん、お母さん、二人の分、私がこれから生きていきます。)

今年は夏にねぶた祭りも再開する。
「ラッセラー、ラッセーラー」と作業室の中を英ははねて回った。
その声が外まで聞こえてきた。
懐かしい祭りの声、繭子はそれを聞いて、本当に戦争は終わったんだと,天頂にかかる白鳥座の十字架を見上げ、そして「ハレルヤ」と小さく声を発した。

繭子

繭子

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-15

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 繭子二十一歳
  2. 始まり...
  3. 新しい家族