ナミダ ─雨が止むまでの推理─
プロローグ
雨は 全ての記憶を洗い流す
雨は 全ての想いを呼び起こす
雨が止んだ後、僕の脳裏に閃くのは
澄んだ感覚と 熟成された証拠
そして あなたが探すモノ───
始まりの梅雨
沙奈(さな)はこの季節が一番嫌いだ。
屋根に雨が強く打ち付ける音。裏の林の木々がザワザワと風になびく音。雨宿りする場所を見つけられず、そこらをうろつく猫の鳴き声。
晴れていればどれも心地が良くていつまでも聞いていたい音のはずなのに、今はやけに五月蝿く感じられる。
「今週は特に強い雨が降りますので、外出の際は傘を忘れず、また足元にご注意下さい」
お天気キャスターのお姉さんは、先週と同じ注意を繰り返していた。
あぁ、本当につまらない。外にも出られないし、たまに雷だって鳴るし、それに…
沙奈はさっきから隣の部屋を気にしていた。
隣には弟の涙(るい)がいる。けれども人がいるかどうかさえ怪しく思えるほどに、隣室は静まっていた。
どうせまた、何を言っても聞こえないんだから。
頭では分かっているのに、懲りず足は涙の部屋に向く。
「涙、いるんでしょ?入るよ」
返事も待たず、沙奈はドアを開けた── が、そこはまだ昼間なのにカーテンが閉まったままで電気も付かず、まるで洞窟の入り口に立っている気分になった。ジメジメと湿った冷たい空気が、裸足の足にまとわりついてくる。
「涙、部屋明るくするくらいしなよ」
返事はない。いつものことだ。雨の日に涙から返事が返ってきたことはない。それどころか会話すらまともにできない。視線も向けられない。
仕方なく電気を付ける。涙は机の椅子に座っていた。ゆっくりと沙奈のほうを向いたが、その目は虚ろで沙奈を捉えられていない。まぁ、これもいつものこと。
床には殴り書きのメモがたくさん散らばっていたので、沙奈は踏まないように足場を選んで歩くと、涙が座っている後ろのベッドにダイブした。
私のマットレスより気持ちいいじゃない。
「涙、何を待っていたの?」
涙は何も言わない。その代わりに、「依頼書」と書かれた紙を沙奈のほうに差し出した。
「ふーん、消えた妹か。場所は…え、すぐ近くじゃない ! 」
そう、涙は探偵なのだ。いや、正確に言うと涙は彼が持つ「力」によって自然とそうしている、というべきかもしれない。
涙が産まれた日はその二日前から恐ろしい量の雨が降っていて、この地域一帯は洪水に見舞われていた。町は山に囲まれていて、夜の間に麓の何軒もの家が土砂崩れの中に埋まった。また町中でも大量の水に流され行方が分からなくなった人、逃げ切れずに水に沈んだ老人など、自然の驚異の犠牲となる人が後を絶たなかった。
そんな、市民の苦しみと悲鳴の間に産まれた涙には、「雨が降る間」だけ働く超能力のようなものが備わっていた。
雨が降る間、涙は普通の人間ではなくなる。五感すべてが鈍くなって、魂の抜けたようにじっとしてほとんど動かない。動いているのは頭の中、人の心の声を聞く力だけ。心の中で対象の誰かと語り、ヒントを掴み、空が晴れたら答え合わせ、という感じ。
ナミダ ─雨が止むまでの推理─