当たり前に来る明日 2

 三人は言葉も無くその裂け目から内部へ侵入する。中にはただ闇が広がっているようにしか見えないが、葵も唇を噛みしめ、震える太ももを自分でぴしゃりと叩いて後に続く。

外からは、“亜空間”の内部が全く見えなかったが、中に入ってしまえば様子をはっきりと知覚することができた。臭いは特になく、息も普通にできる。声も出るようだ。眩しくもなく、目立つ物音も無い。
ただ外の世界と異質なのは、初めて亜空間に入った葵にも感じることができる、圧倒的な「拒絶」である。特にこれといった根拠もないが、自分は明らかに何かから拒絶されている、一刻も早くここを立ち去ってくれと言わんばかりに、その空間内の全てが、自分を―――いや、ここに入ってきた自分を含む人間を拒絶しているのではないか―――葵がそう思うほどに、そこにはそういった思念が満ち満ちていた。葵以外の三人も、その独特な雰囲気を肌で感じ取っているのか、誰一人として口を開こうとする者はいない。皆、漫然とした空間を注意深く見つめているのみ。

「来る!」
 静寂を破ったのは、由希の声だった。彼女の声を聞くと同時に、地面から、黒とも灰色ともつかない、ぼんやりとした影が、すうっと伸びた。火の玉のようなイメージだが、それにしてはサイズが大きすぎる。何となく奥行きも感じられるが、その輪郭線さえも、はっきりとは分からない。だが、明らかな拒否の意思は、余すところなく伝えてくる。葵が一体を確認する頃には、その影はどんどん数を増やしていく。次々と、地面から伸びては、ゆっくりとこちらに近づいてくる。その異様さと排他の意思に、葵は足が竦んでしまって全く動けない。足どころか、口さえも全く動かない。
 しかし―――――

「はっ!」
 勇ましい、少女の短い掛け声。その声と同時に、小柄な少女の手元から、目にもとまらぬ速さで矢が放たれては、次々と影に命中していく。全く外さない、正確無比な射撃で、次々と影のようなものを仕留めていく。それだけではない。彼女は、走りながらなお弓を番(つが)え続け、連続で命中させ続けているのだ。弓のことなどほとんど知らない葵にさえ、その腕がどれほどのものか、瞬時に理解できた。その手も足も休まることなく、撃たれた影は何事も無かったかのように消えていく。葵は、その様子を茫然と目にすることぐらいしかできなかった。

「僕も負けていられないな!」
 翔の体か大きく前に傾き、地面を蹴り、剣を携え影の群れへと突っ込んでいく。葵は、危ないと叫ぼうにも、全く声が出ない。彼の駆けだす速度は、人間のそれでは無かった。「風になって走る」などと言った陳腐な表現があるが、翔の走る様子は、まさしくそれであった。そして、次々と湧き出る影を、見事に蹴散らしていく。大勢の軍勢を目の前にしてなお怯まず突っ込み、次々と敵を無効化していくその様子は、葵がいつだったかテレビで見た、時代劇の殺陣を彷彿とさせた。疾風迅雷、一騎当千、そんな言葉がしっくりくるようだった。

「それにしても、脅威判定の割には、“実態”が発生するペースが速い……。」
「しかも、まだ亜空間内のエネルギーがそれほど減って無い……。」
「恐らく、核は別のところに……。」
 由希は、翔と天音が奮闘している様子を冷静な目で見つめ、ぽつりぼつりと呟いている。

「気を付けて!翔、天音ちゃん!第二波来る可能性大!」
―――――その刹那。
「伏せて!!」
 由希の声がで葵の鼓膜をふるわす。
 すんでのところで、何とか葵はしゃがむ。葵の頭部スレスレを、光弾が数発通過していく。葵が恐る恐る振り返ると、いわゆる蜂の巣状態で霧散せんとする影があった。
「ひぃっ!!」
 思わず声をあげて驚いてしまう。しかし、その驚きも束の間。葵の視線の先には、先ほどのペースとは比べ物にならない速さで湧きあがる、影の集団があった。
「あ…」
 先ほどの状況では、向こう側に移動しながら攻撃を続けている天音と翔がこちらに来ることはできない。つまり、ここでまともに戦える人間は、この平野先輩だけだ―――。葵は、全身から血の気が引いていくのを感じた。気休めにすらならないことは、葵も重々承知だが、翔に巻いてもらったベルトに手を掛け、柄を握り、剣を引き抜く。すると、翔が使っているよりも一回りほど小ぶりな細い刀身がその姿を現す。構え方が分からないどころか、柄を持つ手が脂汗で滑る。剣先も震えており、全く安定していない。誰が見ても素人そのもので、これでは戦えそうにもない。それもそのはずである。葵がこれまでの人生で握った刃物など、大きくて包丁ぐらいのものである。それでも、こんなところで、死んでなるものかというギリギリの生存本能が、不格好ながらも彼女にファイティングポーズを取らせていた。

「木戸さん?」
葵は由希の問いかけにも応じず、刻一刻と増え続ける影を睨みつけている。相変わらず剣先は情けなく振れている。
「無理しないで。あと、絶対に自分から突っ込んじゃ駄目だからね。」
 由希は、落ち着いて葵を諭す。
「えっ……。」

 葵が由希の方へ向き直ると、由希の背後には、先ほどと同じ光弾が数十発輝いていた。
 由希が杖を勢いよく振り上げると、光弾はそれを合図に一斉に影の集団に突撃していく。葵は、あまりの眩しさに、目を細める。影の集団は、由希の光弾を受け、一網打尽かと思われたが、半分ほどがまだ動いているようだ。加えて、相変わらずのペースで地面から湧き続ける。由希は、手早く次弾の装填にシフトしているようで、彼女の背後には再び光弾が浮き始める。そして、影の群れへと一気に突撃させる。何度か繰り返すことで、十分の一程度にまでは減らすことができたが、そこからはなかなか数が減らない。

「あの中に核があるのは確実なんだけど……。」
 完全に攻めきれない由希は、どこか歯がゆそうである。それもそのはず。本来の彼女であれば、この程度の数、魔術で簡単に制圧できる。しかし、今の状況はそれを許さない。由希は“実態”を討つよりも、葵を守らねばならない。しかも、普段の彼女はその能力の特性上、どちらかと言えば守られて戦闘をこなすことが多い。それが、彼女本来の能力を行使することに大きな枷を付けることになっていた。葵ですら、この状況は消耗戦であることは何となく察しがついていた。

「ねぇ、木戸さん。見学してればいいって言ったけど、やっぱり少しだけ、手を貸してくれないかな。」
 額に汗を光らせ、ほんの少し息を乱しながら、由希が話し掛ける。その間にも、謎の影は湧き続ける。
「え……?」
 突然の申し出に、うろたえる葵。
「何か、何でもいいの。武器とか、イメージできたりしない?それを、まずは、自分の周りに浮かせるイメージとか、できる?」
「あ、あっ、あの……。」
「焦らないで、落ち着いて。ゆっくりでいいから。」
 武器、武器、武器…!武器武器武器武器武器…!!数秒頭を回したところで、自分が今握っているものが、既に武器だということにやっと気付く。既に汗で滑り落ちそうな柄をぎゅっと握りしめ、叫ぶ。
「高木先輩に借りてる、これ……!!」
 葵の声と同時に、葵の左右に3本ずつ、自分が今握っている剣と同じ形の―――しかし、真っ白に光輝く光剣が出現する。
「木戸さん、バッチリ!それ、飛ばせる?」
 葵はもう、何が何だか分からないぐらい混乱していたが、それでも由希の光弾が飛ぶのと同じように剣が飛ぶのをイメージする。
「あえ、えっと……、行け!」
葵の声、というよりは意志に反応するように、六本の光剣が、影をめがけて一斉に放たれる。そして、剣が命中した影は、次々と消滅していく。
「やった……!」
「お見事!じゃあ、二十秒ほど時間を頂戴ね。」
 言うなり、由希は葵の後方へ下がってしまった。
「えぇ!?ちょ、そんな……!」
 増え続ける影の前で、無理とは言えない。葵は、ひたすら剣をイメージしては、放つ。しかし、数回繰り返すだけで、気付く。
「先輩……!全然追いつきません!」
 そう。焼け石に水状態である。葵が消滅させるペースと、影が出現するペースでは、明らかに後者の方が勝っている。これでは、葵に勝機は無い。先ほどとはまた別の意味で汗が滲む。
「もうちょっとだけ!耐えて!」
 光剣を放っている最中、影の一体が、集団から飛び出してきて、葵めがけて襲いかかる。
 葵が気付いた時には、もう避けられないほど近くへと迫っていた。ほんの一瞬の出来事だった。

「あ…。」
 
やられる、終わる。そう、本能的に察知した瞬間、葵の感覚全てがスローモーションに切り替わる。反射的に目を閉じる。不思議と、恐怖は感じなかった。これで――――――



「よっ――――と。」

 体が浮く感覚。ああ、きっと、死んだおじいちゃんが私の体を天国に……、葵がそう思った瞬間。
「大丈夫?怪我はない?」
 なんだか、知っている声…。でも、死んだおじいちゃんの声じゃない……?なんかこう、もっと若くて……。そうだ、目を……、開けた。
「……。」
「危なかったね。でも、よく頑張った。はじめてにしては、上出来だ!」
 ニカッと、少年のような笑顔を向ける翔。そして、音も無く着地する。その腕には、葵が抱きかかえられていた。いわゆる、お姫様抱っこである。
「き、き、き……!ぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
 葵は、人生最大の悲鳴を上げる。
「うわっ、ビックリした。はい、どうぞ。」
 葵の悲鳴をほぼ聞き流し、葵の腰を支えて立たせようとする翔。葵はふらつきながらも何とか自分の足で立つ。色々な意味で、心臓の鼓動は最高潮だ。
「下がって!」
 そこへ由希の声。翔に素早く手をひかれて、何とか影と反対方向へ移動する。
葵が目をやると、優に百発は超えるであろう光弾の群れが、影の集団をドーム状に取り巻いていた。その圧倒的エネルギー量に、思わず身震いをする葵。あれでは、もう逃げられまい。

「――――――――――ッ!」
 由希は、声も無く杖を振り上げ、光弾を一斉掃射する。ものすごい量の光とともに、葵の視界が光で溢れる。






 葵が目を空けると、そこは亜空間に入る前にいた、輪郭が妙だった建物の前だった。
「私――――――生きてる――――――――――?」
葵ははっとして、空間の割れ目のようなものと、妙だった輪郭を探す。しかし、空間の割れ目も、あの妙な輪郭線も、見当たらなかった。亜空間に入ったときにはあれほど感じていた圧倒的な拒絶の意思も、もう全く感じられなかった。
「当たり前です。私たちがあの程度の“実態”に負けるはずなんてありませんから。」
 天音はさも当然、といったような口調で答える。
「“実態”?」
 葵は、梨奈も由希も亜空間の中でその単語を口にしていたことを思い出した。
「あの……、“実態”って何ですか?それに、亜空間って、何なんですか?さっきのは、ぜんぶ夢なんですか!?」
 葵は混乱のあまり、思わず三人に向かってそんなことを口走らせた。
「いえ、先ほどのことはもちろん実際に起こったことです。」
 葵が足元に目をやると、そこには、ついさっきまで天音が使っていた矢が、無造作に散らばっていた。それは、先ほどまでの激しい戦いを思い起こさせるのには充分なものだった。
「それから質問への回答ですが、亜空間って言うのはですね――――」
「ねぇ、ここでは長くなりそうだから、一旦学園に戻って、ゆっくりと話をしましょう。」
 天音が話す途中で、由希がストップをかけた。

ゆっくりと車の方へ歩き始める。先を歩く翔と天音が、今日の戦い方について話をしている。
「まず、今日はお疲れさま。本当に疲れたでしょう?」
 由希は、葵を労わるように話しかける。
「あっと、ありがとうございます、平野……先輩。」
 遠慮がちに答える葵。混乱はほどなくして治まってきたが、その代わりにバツが悪いような気になってくる。そんな葵の心境を見透かしてか、由希はあくまでも自然に話を続ける。
「由希でいいよ。ちょっとびっくりしたけど、同じチームになったんだし、立場は対等。私も、木戸さんのこと、これから葵ちゃんって呼ぶね。お花の名前なんて可愛いじゃない。とっても似合ってる。」
 由希は、無邪気な笑顔を覗かせた。
「あっ、ありがとうございます……。」
 あまり褒められることに慣れていない葵は、どう返事をして良いか分からずに、少し下を向く。
「うんうん、僕のことも、名前呼び捨てで構わないよ~。みんな下の名前で呼んでるし。」
 会話を聞いていたのか、翔も割り込んでくる。
 由希と翔はそう言ってはいるが、二つも年上の初対面の先輩に足して呼び捨てできるほど、葵の肝は座っていなかった。しかも、高等部の先輩を呼び捨てしているところを誰かに聞かれでもしたらまずいんじゃないか、とも思ってしまう。
「で、でも、さすがに、呼び捨てはできません……ので、下の名前に、先輩を付けて呼ばせてください。」
 由希先輩に、翔先輩。心の中で二人の名前を呟き、くすぐったいような感触を覚えた葵であった。由希と翔は、そんな葵の様子を見て、顔を見合わせて微笑む。天音は、そんな三人の様子を、少し距離を取って、どこか冷めたような目でちらりと見ていた。

 帰りの車内で、葵は居眠りをしてしまった。しかも、由希の肩にもたれて眠りこけていたようで、運転手の声で目を覚ますと同時にそれに気付いた葵の頭からは、眠気が完全に吹き飛んだ。口の端には涎まで光らせていた葵を見て、由希はクスクスと笑い、天音は呆れたような視線を送った。唯一助手席に座っていた翔だけは、慌てて由希に謝り倒す葵を見て、きょとんとしていた。


 研究棟の三階に帰還すると、巨大なモニターやらパソコンやらがあるスペースから石田が出てきて、おかえり~、とゆるい挨拶で迎えてくれた。
「石田さん。今日の“実態”は、本当に脅威判定がDだったんですか?」
 真っ先に口を開いたのは由希だった。しかし、その声にはほんの少し怒りが混じっているようだった。
「由希ちゃん。ああ。今日のは悪かったね。」
 悪びれもせずに返事をする石田。
「やっぱり!せめて、どういうことか説明してください。」
 葵には、イマイチ話の流れが読めない。
「うん。こちらが“観測したその時には”Dだったんだよ。でも、君たちが亜空間に入るまでの間に、急に規模が大きくなってしまったようでね。こんなことは過去にはそうそう無かったことなんだがね。こちらとしても、気付いた時には運転手に連絡を取ったんだが、もう亜空間内に入ってしまっていたようで、君たちへの連絡も繋がらなかった、というわけだ。」
 石田は、最初から最後まで淀みない口調で淡々と説明をこなす。
「……そうですか。わかりました。ですが、もう少し早く分かれば、こちらも対応しやすいです。」
 そう言って、由希は半歩下がった。
「分かってもらえて何よりだ。あ、さっきできなかった顔合わせなら、さっきの部屋でするといい。」
 そう言って、石田はこちらにカギを投げた。翔が、片手で器用にキャッチする。

 部屋のカギを空け、少し小さめの教室に入る。教室と言っても、葵に馴染みのある普通の教室というよりは、固定式の机と椅子が並ぶ、大学の講義室のような場所だった。
「疲れたとは思うけど、ほんの少しだけ付き合って。」
 由希が、微笑みながら葵の顔を覗き込む。
「自己紹介は、朝に終わっ・・・・・・」
 言いかけたところで、翔は再びどこからか何かを感じ、言い直す。
「いや、まだだったな。うん。」
「そういえば、先輩方はお互いに面識があるようでしたが。」
 天音が突っ込む。
「いや、えっと、その。」
「ええ。朝ね、生徒会代表として、翔と私で簡単に学校案内をしたから。」
 由希はにこやかに答えるが、若干語尾が強く発音されたあたり、翔としては何かを感じずにはいられなかった。
「そうそう!理事長に頼まれたからな!それよりもだ!天音と葵こそ、面識があるみたいだったけど?」
「いえ、木戸先輩と私との間に面識はありません。」
 慌てて話題を逸らした翔に、天音がきっぱりと否定する。
「あれ、でも……」
翔の視線は、自然と葵に注がれる。
 葵の脳裏には、二日前の茜との別れが再生されていた。目を腫らしてなきじゃくる茜と、背伸びした自分。葵の口から、茜の名前を出すには、まだ生傷が疼く。日が浅すぎる。葵は下を向いて、涙が出そうになるのを堪えていた。
 次第に、部屋には沈黙が充満していく。その沈黙を払ったのは由希だった。

「ほら、天音ちゃんって、この学園じゃ十本の指に入る有名人じゃない?だから、葵ちゃんでも知ってたんじゃない?ね?」
 葵はハッとし、出された助け船に乗りかかる。
「え、ええ!氷川さんって、そんなに有名人だったんですか!すごいな~!カッコイイな~!」
 ややわざとらしいが、精一杯の演技をする葵。
「天音は、この学園の誰もが認める中等部エースなんだよ。」
 翔も話題に乗ってきた。
「そうそう。弓の腕前も一級だし、魔術の扱いもすごいの。私は完全に魔術に頼った戦い方になるし、翔も武器の扱いに偏った戦い方だけど、天音ちゃんは両方ともバランスよく使えるから、どんな状況でも対応できるのが強みかな。」
「そんなことないですよ。」
 クールな態度を見せる天音だったが、その涼しげな口調の端には少し嬉しさを滲ませているようであった。
「へぇ~。」
 葵も、そう言われてはまじまじと天音を見つめてしまう。自分よりも二つも年下の小柄な少女に、そんなにすごい実力が宿っているのか、と別の意味でも驚いてしまう。
「今、小さいのにとか思いませんでした?」
「えっ?思ってないよ?」
 葵は少しぎくりとしたが、しらを切ることにした。
「まぁいいです。別に、身長と実力は関係ないですからね。」
 自分のせいで気分を悪くさせたかもしれない、と葵も心配になったが、それは杞憂だったようである。天音は、二人に褒められたことで、かなり機嫌が良くなったようである。照れているのか、天音は先ほどから少し俯き加減になっており、さらには顔を赤らめており、由希と翔の顔を直視できていない。床に届いていない足を意味も無くブラブラさせている。

「そ、そういえば、翔先輩。これ、お返しします。」
 先の会話で武器が出てきたことで、葵は翔から剣を借りっぱなしになっていたことを思い出した。
「ああ、それね。」
「あの、本当に、ありがとうございました。その、お陰で助かりました。」
 葵は、天音とはまた別の理由で、翔の目を直視できない。俯き気味に、両手で剣を手渡す。しかし、翔の返事は、意外なものだった。
「そういえば、葵は自分が使う武器を決めた?」
「へ?」
 素っ頓狂な声をあげて、翔を見る葵。うっかり翔と目が合ってしまい、慌てて目を反らす。両手を出したへっぴり腰の妙な姿勢のまま、葵が固まる。
「使う?武器?」
「この学園では、自分が“実態”を狩るときに使う武器を決めて、学園に報告する義務があるんです。メインになる武器を最低一つは登録しなければいけない。例えば、平野先輩なら杖、翔先輩なら剣、私ならベアボウ、といった具合です。」
 天音は機嫌が良いためか、少し饒舌になっている。ついでに、天音が使っていた弓はベアボウといって、アーチェリーの一種とのことだ。
「もし良かったら、剣で登録してみるか?同じ武器なら、僕が教えてあげられるかもしれないし。」
「えっ。」
 願ってもみない申し出だった。
「嫌ならいいんだ。でも、最初は班のメンバーと同じにしておいた方が、便利だと思う。僕や由希だって、先輩からそうやって教わってきたから。それにその剣だって、僕が中等部の頃に練習用で使っていたものだし。」
 確かに、弓など急に始めてたところで、自分に身に付きそうもない。間違えて味方を攻撃している自分しか想像できなかった。それに、自分は由希先輩のようにあんな術が使いこなせるわけでもなさそうだ―――葵はそう思い、じゃあそうします、と返事をした。
「よし、決まり!僕にも、やっと後輩ができたみたいで、嬉しいよ!明日からが楽しみだな。」
 翔は、子どものような笑顔を向ける。葵はついつい、自分よりも年上なのに、何だかかわいい人だなぁと思ってしまう。
「じゃあ、魔術の方は、私が担当するね。」
 なんと、由希も名乗りを上げた。葵にしてみれば、嬉しいやら申し訳ないやらである。やっと、妙な姿勢を解き、改めて由希と翔に向き直って、頭を下げる。
「あ、あの、ありがとう、ございます。その、嬉しい、です。改めまして、これからよろしくお願いします!」

「じゃあ、今日はこの辺りにして、明日に備えましょうか。」
 由希の一言で、その場は解散となった。由希と翔は部屋の鍵をかけて足早に去り、天音もまたどこかへ行ってしまった。“実態”のこと、亜空間のこと、何一つとして答えが得らなかったが、時計の針は、もう七時半を指していた。引っかかることが多すぎるが、今日のところはどうしようもないようだ。葵はそのまま寮に戻ることにした。
 寮の食堂には生徒がまばらで、皆それぞれ食事を摂っていた。葵はどうしていいか分からず、玄関付近で茫然と立っていると、昼間のおばちゃんが駆け寄ってきた。
「葵ちゃん、お帰りなさい。お勤めごくろうさま。ささ、どこでもいいから座って。今ご飯出すからね。」
 おばちゃんがバタバタと厨房に戻り、しばらくすると白いご飯と色とりどりのおかずをお盆に乗せて持ってきた。
「転校してきて初日にこれだなんて、……。いや、そうだね!たくさん食べて、疲れをとっておくれよ!ほれ、梨奈ちゃんとおんなじ、ミートボールサービスだよ!成長期なんだから、肉はしっかり摂らないとね!ご飯なら、お代わりもあるよ!」
 最初、おばちゃんは何か別のことを言いたそうな素振りを見せたが、自分はもしかして何かしてしまったんだろうか。葵はそんなことを考えながら、出してもらった食事に手を付ける。どれも美味しく、すぐに完食してしまった。おばちゃんにお礼を言い、二階へと上がる。
 鍵をあけて中に入った途端、緊張の糸がぷつりと切れたのか、葵は膝から崩れてしまう。どさ、と鈍い音が室内に響く。

「ちょ!葵!?大丈夫!?」
 梨奈が、ベットから飛び降り、血相を変えて走り寄ってきた。
「あ、うん。ごめんね。少し、疲れたみたい。」
 明るく振る舞う葵だが、その顔には明らかに疲れが滲み出ている。
「どこか怪我したりとかは!?」
「ありがとう。どこも怪我してないよ。梨奈も、ごめんね。心配させたね。」
 葵は、翔から譲り受けた鞘付きの剣を杖代わりにして立ちあがる。
「すぐ寝る――――って、食事は?シャワーも浴びてないよね?じゃあ、一緒に行こうか。食堂と大浴場とシャワールーム、まだ案内してなかったよね。」
 心底心配そうに顔を覗き込んでくる梨奈の存在が、葵の心にじんわりと沁みてくるようだった。
「うん、ありがとう。食事は終わったけど、汗で気持ち悪い。シャワールームの場所だけ教えてくれないかな。」
「駄目駄目!あたしも一緒に行くから!それに、疲れたなら、さっとお風呂に入った方がいいよ。あたしでよければ、一緒に入るからさ。」
「でも……」
 梨奈の髪は、明らかに濡れている。服装もTシャツと短パンで、どう見ても部屋着だった。
「あはは、あたし、お風呂好きなんだ。だから、役得だよ。」
 葵は申し訳ないと思いながらも、梨奈の言葉に甘えることにした。


 葵は、隣を歩く梨奈へと目を向ける。梨奈は、肩甲骨ぐらいまである髪を、お団子のようにして一つに束ねている。全体的に髪色が赤っぽいが、毛先は特に色素が薄い。毛先になればなるほど傷んでいるのが見て取れる。葵はそのまま、視線を下げる。駄目だと思いながらも、同性の体となると、どうしても見てしまうものだ。葵は、小さく罪悪感に苛まれながらも、目を逸らすことができなかった。……顔や腕といった、露出している肌が小麦色だったから地黒なタイプなのかと思っていたが、どうやら違うらしい。元々は、それほど黒くない。むしろ、白いぐらいだ。半袖で隠れる部分とそうでない部分がくっきりと分かれるように色が違う。ややサイズが大きめの制服を着ていたためか気付かなかったが、意外と着やせするタイプのようだ。葵は、自分の胸元へと目をやる。他人の体をジロジロ見た罰が当たったのか、そんな考えが葵の頭をよぎったが、頭を左右に振って、これ以上は他人の体をジロジロ見るような真似はよそうと決めた。

「ああ、あたし、前の学校では陸上部だったんだ。だから、日焼けが凄くて。カッコ悪いでしょ。あんまり、自分の体に自信ないし。」
「そう、だったんだ……。」
 微妙に噛みあわない会話にどこか安堵しつつ、葵は掛け湯をして、湯船に足を入れる。
「は~。やっぱり、お風呂はいいな~。」
梨奈は、本日二度目の風呂を満喫しているようだ。
「うん。生き返る……。」
 シャワーでいいやと思った葵も、いざ湯船に入ってみると気持ち良くて、ほうっとため息を漏らす。しばらく無言で湯船につかっていた二人だったが、梨奈が先に話しかける。
「ねぇ葵、怖くなかった?」
 “実態”との戦いのことを訊いているのだろう。
「うーん、怖かった、かな。」
 葵は、正直な感想を言う。
「でも」
「でも?」
「班の皆がすごくて、私、とにかく助けてもらったよ。だから、今日のところは大丈夫。」
 葵は、湯船に移る自分の顔を見つめながら話す。その顔は葵自身が見ても、疲れていた。少しでも水面が動くと、その顔が揺らぐ。
「そっか。何か困った事とか無かった?」
 一瞬、翔にお姫様抱っこされたことが浮かんだが、慌ててそのイメージを打ち消し、戦いが終わってからずっと気になり続けている疑問をぶつける。
「“実態”って、何?この世の生き物とは思えなかったけど……?」
「ああ、それね。あたしも他人から聞いた話だけど……。」
「うん。」
 葵は、真剣な瞳で真っ直ぐに梨奈を見据える。
「“実態”って言うのは、特撮ヒーローものでいうところの、怪獣とか魔人みたいなものにあたるんだって。」
「怪獣?悪者ってこと?」
「そうそう。簡単にいえば、地球を滅ぼすような敵みたいなものなんだってさ。それで、あたしたちが、それを成敗する何とかレンジャーみたいなものらしいよ。」
 梨奈は、拳を作って空中に勢いよく突き出す。バシャ、と水面が揺れる。
「地球の敵……、レンジャー……。」
 葵は、あの影たちから感じ取った圧倒的な「拒絶」の意思を思い出す。では、あの「拒絶」は、自分達を滅ぼそうとする存在に対しての「拒絶」であったのか。確かに、そう考えれば納得できる。誰だって、自分を滅ぼそうとする存在に対しては強い拒絶を示すものだ。その手段が武力によるものであれば、その拒絶は尚のこと強烈なものとなる。
「でもさ、中学三年生とか高校生にもなってレンジャーなんて、ダサイよね。」
 梨奈は、作った拳を解きながらカラカラと笑う。
「じゃあ、亜空間って何?」
 葵は、続けて質問をぶつける。
「うん?何でも、“実態”が出る限定空間みたいなものらしいよ。あたしも、細かい理屈は分かんないけど。でも、基本的に、“実態”はあの中にしか発生しないんだってさ。まー、あんなのが街とかでウロウロされちゃ、たまんないよね~」
 梨奈は、やれやれ、といった具合に頭を振った。
 葵は、梨奈の説明を聞きながら、天井を眺めていた。次第に頭の回転が失速していくような感覚に見舞われたところで、小さく息を吐いた。

 部屋に戻ってベッドに横たわる。葵の脳裏には、今日の出来事が走馬灯のように駆け巡っていた。転校に由希先輩、翔先輩、氷川さん、“実態”に亜空間――日常的な現実と非現実的な現実が混ざり合ったような、そんな現状に、葵の頭は全く追いついていない。でも、明日なんていうものは、当たり前に来るのだ。そのうちに、このつかみどころのない現状が、非日常ではなくなる時が来るのか。あれやこれやと考えていた葵に、急速に睡魔が襲ってくる。葵はそのまま、深い眠りに落ちて行った。

当たり前に来る明日 2

当たり前に来る明日 2

いよいよ亜空間内に侵入する葵たち。初めての戦いに緊張を隠せない葵。彼女の運命はいかに?

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-13

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted