あばれ馬フィットネスマシーン

あばれ馬フィットネスマシーン

 ものすごいあばれ方をするという乗馬フィットネスマシーンを買ってきた妻をおれはばかだと思った。私に何のことわりもなしに高い買い物をしたということもそうだが、そんなことでいちいち目くじらを立てるのも男らしくないと思うので、それは別にいいとしても、あんなに暴れるのなら暴れるで、最初におれが鞍にまたがった時にちゃんと忠告してくれればいいと思ったからだ。このあいだもそうだ。親族が家に来るなら来るで言っておいてくれればいいのに、ましてや少々お堅いところがある彼女の両親とは距離のとり方が分からず、おれはいつも気まずい思いをしているのだから、そのへんを察してちょっと気を回してくれてもよさそうなものなのに──なにせ私はそのとき社の忘年会の出し物の練習でえんどう豆の格好をしており、というとなぜ社の出し物えんどう豆を。と皆さんはお思いになるかもしれませんが、かいつまんで話すとちょっとした演劇をやるはめになって、原作はグリムだかアンデルセンだかの『えんどう豆の上にねむったお姫さま』というお話で、お妃を探す王様の話しなのだけれども、劇中でえんどう豆に敷布団が乗せられ、その上にお姫さまが乗って眠るという場面があり、実際えんどう豆に扮したわたしの上に二十枚もの敷布団がかぶせられ、その上にお姫さま、には似ても似つかぬヤスオカという総務の肥え太った女が飛び乗り、寝苦しい。と言って笑いを誘う茶番なのだが、そのセリフと動きの練習を部屋でやっている時にとつぜん家のチャイムが鳴り、ご両親が訪ねて来たものだからたいへんに慌てた。玄関で妻は何ごともなかったように「さ、上がって上がって」などといってご両親をリビングに通そうとするのだが、同じ所に、全身緑のえんどう豆のジャンプスーツが居、後ろから見ると開いたさやがバッタの羽のようだが前から見るとしっかりと若緑色の豆が上から六個連なっており、上から二個目の豆が義理の息子の顔になっている異形が開口一番「ごぶさたしております」。って変だろう。何から順に説明してよいのやら、と泡を食い、一瞬カーテンの後ろに隠れようともしたのだけれど、明らかに豆のカタチに膨らんで見えて不自然だし、空調の風でカーテンが揺らぐたびに緑がチラッ、チラッと見え、あら、なにの緑かしらと覗かれたときに巨大なえんどう豆と化した私を発見して悲鳴を上げられたりしたらいやだし、そもそも、何で大黒柱たるこの私が、しかも仕事でですよ、仕事の一環で、別に楽しんでいるわけでもなんでもない、家計を支えるためにやっていることの一環で、こんなにも後ろめたさを感じなければならないのか。すべてがばからしくなったので、ドアノブを回して入ってくるご両親の存在をものともせず、素早くこたつに潜って何ごともなかったようにみかんを剥いた。


 つまり、ただの一言だけであっても、それを伝えるのと伝えないのとではその後の展開が大きく変わってくるということを、私は言いたいのである。先だってもそのようなことがあり、私はわけのわからぬ状況の釈明に躍起になって非常にめんどうくさいことになったのだから、余計にそのことを言いたい。なぜ、面白半分で乗馬フィットネスマシーンの電動鞍に跨がろうとする私に、忠告の言葉が一言もなかったのか。そもそも、こういうマシーンに乗り慣れているものならともかく、自分のような初心者もいるわけだから、製造メーカー側も責任を持って配慮しなければならない。まあ、外箱の隅には最上級者専用フィットネスマシーン幼児や初心者の方は使用をお控えくださいという文言がまさに控えめに記されていたが、こんなものをそうそう目に留めるやつもいないだろう。私のような少々腹の出た、運動神経に自信のないものが不意に跨がることもあるのだということを想定したうえで、安全な措置をとるべきである。とにかく! どいつもこいつもなっておらんのだ。
 私がその電気馬に跨がり、妻がコンセントを差し入れた瞬間、私は寝室の窓を突き破り隣家の芝生に転がり落ちた。しばらく気を失っていたようで、気がついたとき耳元でコオロギが鳴いていた。背骨と腰のあたりがじんじんと痛く、仰向けになったまましばらく動けなかった。満天の星が瞬き、キンモクセイの甘い香りがした。
 家に戻ると、妻が夕食の支度をしていた。
 「あなた、牡蛎フライ何個食べる?」
 私は電灯の眩しさに目をしばしばとさせ、したたか打ち付けた背中をさすりながら大きな咳払いとともに「5個」と言った。
 食卓の椅子に腰かけ、フライにソースをたらしながら「あのさ」と私は妻に話を切り出した。「あれは、危ないんじゃないか」。「あれ? あれってなにかしら」私は、この人はもしかしたらとぼけているのかもしれないと思った。「運がいいほうだったよ」手の甲で腰をトントンと叩きながら「たまたま落ちたところが下草のある所だったから良かったけど、もし左にちょっとでもずれてカーポートの方に行ってたら、夜の冷たいコンクリートの上に激しく叩きつけられるところだった。もし右にちょっとでもずれていたら、立ち枯れた庭木に串刺しになっていたところだった」妻は味噌汁をずずずと啜り前歯に付着したワカメを舌で絡めとりながら「急に家を飛び出したから、どこに行っちゃったのかと思って」「こっちは別に好きで飛び出したんじゃないよ」「ジュリアンも先月いなくなっちゃったし、なんか嫌なことが続くな、と思って」「犬が居なくなったのとは訳がちがうだろう。あれは犬小屋の杭が抜けてチェーンが外れたからで」「あなた、お風呂も沸いてますわ」「ん? ああ、食べてから入るよ」私は釈然としないままダボダボとソースをかけすぎた牡蛎フライをつまんだ。口の中の一部が麻痺したようになっていて、ほとんど味が分からなかった。噛んでいるとガリッと固い音がして吐き出すと奥歯が一本ぽろりとテーブルクロスの上に転がった。
 

 ある週末の夜、隣で眠る妻に手を伸ばし腰を抱いたところでふと違和感をおぼえた。ネグリジェを捲り上げて、胸元へ顔を寄せると突然ブラジャーのホックがぱちんと弾け飛んで私の額に当たった。ほのかな間接照明の中で浮かび上がる妻の裸体は、かつての華奢な彼女のそれではなかった。引き締まった胸板と腹筋、隆々と盛り上がった腕の筋肉はギリシア神話の英雄を彷彿とさせた。「なんか、なんかすごいことになっているよ!」私は思わずわなないた。どういう意味に解釈したのか知らないが、妻は薄明かりのなかで顔を赤らめたように見えた。私はすぐにあの乗馬マシーンを思い当たった。北海道で観光牧場を経営する両親のもとに生まれた妻は、子供の頃から乗馬の経験が豊富であったため、マシーンの設定をもっとも上級者用とされる〈SHOGUN/将軍〉モードに設定し、日毎跨がってトレーニングを続けていた。なぜか寝室の鍵を固く閉めたままで、その姿をはっきりと垣間みることは出来なかったが、テンガロンハットを被り、長いフリンジのウエスタンジャケットを来てカウボーイのように決めたシルエットが大きく揺れながらカーテンに映るのを帰宅時に何度か目にしたことがある。〈SHOGUN/将軍〉モードにおいてのみ、発せられるという昂ぶった暴れ馬の嘶きは家中に響き渡るほどであった。私は、耳元で君、ちょっとたくましくなったんじゃない? と言った。「そうかしら? 機械使ってるからかしらね。あなたも、たまにはあれぐらい暴れてみれば?」妻は怪しく微笑んで私の上に騎乗した。私は驢馬のように奮闘したが10分もしないうちにロバのように情けなく嘶いてしまった。
 その朝、新聞の片隅にある事件が報じられていた。くだんの乗馬マシーンに乗って、けが人が続出しているという内容であった。さもありなん。私はダイニングの椅子に座って足を組み、茶を啜りながら妻にやっぱりあの機械は危ないじゃないかと言った。「その記事、私も見たわよ。だけど、関根さんのことは載ってないわね。やっぱりもみ消されたのかしら」「もみ消し?」「製造メーカーと政治家との癒着が噂されているわ。表立ってない事故もまだたくさんあると思うの」「関根さんって三丁目の人」「そう。よく植木切ってる、白髪のおじいさんいたでしょう」「恰幅のいい人だっけ」「そうそう、色白で赤ら顔の、ちょっと太ってる。そのおじいちゃんがね、うちにある機械と同じものを買ったのよ去年」「あんなもの、年寄りが乗ったら危ないだろう」「体力には自信があったみたいなの。だけど関根さんが買ったのは初期型だから暴れ方がものすごかったのね」「うちのより凄いのか。そりゃあもう殺人マシーンだな」「私のは鞍だけだけど、初期型には馬の生首の剥製が装着できるようになっているの」「それは何か意味があるのかな」「リアリティの追求じゃあないかしら。コストがかかるみたいで私の型からはオプションになっちゃったんだよね。実は、どうしても欲しかったから、注文してちょうど昨日届いたんだけど。ベッドの横にまだ開けてない大きい箱があったでしょう?」「つけてもつけなくても同じなら、つけなくてもいいよ。怖いだろう、そんな生首が家にあったら」「そうかしら。テディベアと変わらないと思うな」「お前馬の生首抱いて寝られるのか」「別に。生首は、昔からよく抱いて寝てたから」「どういうことだ喜和子?」「ウチは先祖代々、家族が死んだら火葬にする前に首だけちょん切って、剥製にするならわしがあるの。じっさい実家の床の間は生首だらけよ。話さなかったっけ?」「そんな話を聞いたら2度と忘れない」「好きだったなー、ひいじいちゃんの生首。毎日抱っこして寝てた」「人の家のことに、差し出がましいかもしれないけど、写真とかが、残っていればそれでいいんじゃないかな。その、別にそのものじゃあなくてもさ」「私もそれは昔言ったことがあるわ、お父さんに。だけど、やっぱりリアリティの追求なんだって。とことん行きたい、って言われたわ。だって、形見のさ、たとえば万年筆があってもしょうがないわけじゃない。『顔が見えるお付き合い』が大事なんだって口が酸っぱくなるほど言われた」「それは使うところを間違っているよね。社交マナーの話じゃないよね。肉親が死んだんだよね」「死んだという実感はまるでないわ。ひいじいちゃんとは毎日お喋りしていたもの。悩みもいっぱい聞いてもらったし。携帯ストラップにつけて学校にも持っていった」「生首は携帯できるようなもんじゃないだろう」「かさばるのよね。ポケットに入れにくくて」「入れにくいんじゃなくて、入らないよね。生首は、ポケットには無理だよね」「結局、生首用のバッグを買ったの」「生首用のバッグ?」「プロボウラー用の、ボーリングの球を入れるバッグよ」「そうまでして生首を持って行かなくてもいいだろう」「一度電車の網棚に置き忘れたの。うっかりミスで」「うっかりするなよ!」「五反田で見つかったの。ちょっとした一人旅ね」「旅はじいさんの意志ではないはずだよな」「危険だわ。年よりの冷や水」「お前が忘れたんだから、そんな言い方はないよ」「だけど、たまにはいいんじゃないかしら」「たまには?」「一代いつも一緒でしょう。息が詰まるんじゃないかしら。夜が更けると、床の間でみんなワイワイうるさくて」「みんなというと?」「生首一族。毎日が正月のノリね」「親戚集まった、みたいなノリかな」「そう。おせち食べながら、昨日紅白どっち勝った? みたいな」「楽しいのかな」「私は楽しかったわ。顔を出したら全員お年玉くれるしね、昔のお金だから使えないんだけど」 私は頭が朦朧としてきて「喜和子すまん、腰が痛くなってきた。ちょっと横になりたいんだが、寝室いいかな」と言った。「待ってて、すぐ機械を片付けるわ。その前に一度軽く乗っておきたいの。今日まだ動かしてないから」
 妻は体を伸ばして湯飲みを引き寄せ、テーブルの上で皿を重ねた。「じゃあ先に風呂に入るよ──ところで3丁目の関根さんはどうなったんだ?」「家の中から放り出されたわ。それも尋常じゃない勢いで。7丁目の方まで飛ばされたのよ。ほら、ちょうどあのあたりって高台になっているでしょう。濱田さんっていう煙突のあるお家があるんだけど、飛ばされてそのレンガの煙突の中に入っちゃったらしいのよ」「よくもまあ、そんな所に落ちたね!」「そうそう、ゴルフが好きなおじいちゃんだったからね、自らがボールとなり、ホールインワンの夢を叶えたんじゃないかって、お隣の奥さんたちと話してたの」「よくそんな酷いことをいうね。大けがしたんだろう」「けっこう出血はあったらしいの。暖炉に落ちてきた時は白いステテコが真っ赤に染まってたって」「濱田さんの家にはそのとき誰か居たのか」「ちょうど近所の子供たちを集めてクリスマス会をしてたんだって。それがね、すごいドラマなのよ! クリスマスパーティの最中に、真っ赤なお洋服を着た、白髪のお爺さんが飛び込んできたもんだから。そりゃ大盛り上がり大会よ」「何を言っているんだお前」「まるでお伽噺みたいじゃない? ロマンチックだわ」「しかし、その話は、おかしいんじゃないのかな。リアルに想像してみれば突ぜん暖炉に人が落ちてきたら、阿鼻叫喚というか、混乱が起ころうものだし、赤い服といっても、それが服の色か鮮血に染まっているためなのかは子どもでも分かるだろう。私だったら、サンタクロースがやってきたとは微塵も思わない。大声をあげて、すぐに猟奇事件のたぐいだと思う」「だからあなたは夢がない、って言われるのよ!」 妻は吐き捨てるようにそう言うと立ち上がり、皿をがちゃんと無造作に流しに置いてキッチンを出ていった。


 手負いの獣のような凶暴な咆哮が廊下にまで漏れていた。部屋の扉が微かに開いていたのだ。鍵を締め忘れたのだろうか、バスタオルを腰に巻いたままそっと中を覗くと、スウェードのテンガロンハットをかぶり、丈の短いトレーニングパンツと、タンクトップ姿の妻が激しく揺れていた。全身にオイルを塗りたくったように汗みどろとなりフィットネスマシーンに跨がっている。快楽に歪んだ表情で馬の生首に装着されている手綱を握り、大きくグラインドを繰り返すたび、廊下にまでリズミカルな波動が伝わってくる。ふと、焦げ臭いにおいに気づいたのはその時だ。部屋中に膜をひくような白煙と共に鼻をつくにおいが辺りに立ちこめ、耳を劈くような摩擦音がしてマシーンが振り子のように左右に揺らいだ。あっ、という声を上げたのが妻であったのか私であったのか、今では思いだせない。彼女のテンガロンハットが弧を描くように宙を舞い、続いてすぐにマシーンは生首をはね飛ばした。手綱を握ったままの妻もろとも、鋭角に高く跳ね上がり、窓を割ってものすごい勢いで飛んで行ったまま二度と帰ってこなかった。

あばれ馬フィットネスマシーン

あばれ馬フィットネスマシーン

ものすごい暴れ方をするフィットネスマシーンに乗った瞬間、私は窓を突き破り、隣家の庭まで弾き飛ばされた。いつもそうだ。妻は肝心なことは何も言ってくれない。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-19

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