希望について

酒井信雄 作

大学講義レポート課題:アメリカについて論じよ。

1、はじめに

 私たちは何かを調べようと思うとき、過去に書かれた文章を読む。だいたいの文章はつまらないが、時として、言葉ではうまく表せない魅力を持った文章に出会うこともある。その文章を起点に、私たちはその何かについてのイメージをふくらませる。そのイメージは、感銘を与えてくれたその文章の作者が抱いていたイメージと、まったく同じとは言えないが、相当に似通ったものになる。つまり、何かを調べるとは、その何かを懸命に理解しようと試みた先人と出会うということである。この出会いは選べるものではない。気が付いたときには出会ってしまっているものである。私は今回、アメリカについて調べた。私の心に引掛りを残したのは、ハンナ・アレントという思想家だった。
 ハンナ・アレントは1959年に「リトルロックについて考えるReflections on Little Rock」という小論を発表している。これは、アーカンソー州のリトルロックで起きた公民権運動に関わる事件について論じたものである。この事件に象徴される黒人問題は、「アメリカの伝統に根差すもの」だと言うアレントは次のように述べている。

――有色人種の差別問題は、アメリカの歴史における重大な犯罪によって生まれたものであり、合衆国の政治的および歴史的な枠組みのもとでなければ、解決できないものである。この事件が世界的に重大な問題となったという事実は、アメリカの歴史と政治にとってはたんなる偶然にすぎない。 (注1)(傍点引用者)

 アレントにとって、黒人問題は「普遍的」な問題ではない。黒人差別は、一般的には「普遍的」人権に訴える形で批判され是正されるものだという印象が強いが、彼女はそのようなやり方をとらない。そもそも彼女は「誰しもが生まれながらにして平等である」といった「普遍的」人権を唾棄すべきものと捉えている。もう少し控え目な言い方をするなら、少なくとも、「普遍的」人権をこれ見よがしに掲げる人間や大衆社会は唾棄すべきものであると捉えているのである。ここではさしあたり、アレントが普通とは違うものの考え方をしていること、特にアメリカという国家について独特の捉え方をしていることが確認できればそれでいい。
 本稿の課題は、アレントの独特なアメリカ像を検討することにある (注2)

2、「革命」という言葉

 ハンナ・アレントがアメリカを本格的に論じた著書は『革命についてOn Revolution』(1963年)である。タイトルが示すように、この著書はあくまで革命論、より具体的にはアメリカ革命とフランス革命に端を発する近代以後の革命論であり、アメリカを扱っているとは言ってもアメリカ革命以外はほとんど触れておらず、そのアメリカ革命の描き方も強引で曖昧で両義的なものである。端的に言って、アレントのアメリカ論とは、彼女がおのれの希望を託したアメリカ革命論なのである。したがって、彼女のアメリカ論を扱うにあたっては、彼女にとってそもそも「革命」とは何かという問いと、彼女がどのような現状に抗してどのような希望を持とうとしたのかという問いを無視することができない。どちらの問いも、あまりに「客観性」を欠いたものであることは確かだが、私の知ったことではない。私は彼女の情熱に付き合うことにしたのだから。

 私の手持ちの辞書によれば、「革命」とは「被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、政治・経済・社会体制を根本的に変革すること」(『デジタル大辞泉』小学館)である。いささかマルクス主義の臭いが残るこの定義とは違って、アレントは次のように「革命」を捉えている。

――革命とは自由freedomの創設foundationのことであり、自由が姿を現わすことのできる空間を保障するための政治体の創設のことである。 (注3)

 また、彼女は「革命」を論じる際の心構えをこう説く。

――ある新しいはじまりa new beginningという意味で変化がおこり、暴力がまったく異なった統治形態を打ち立て、新しい政治体を形成するために用いられ、抑圧からの解放が少なくとも自由の構成を目指しているばあいにのみ、われわれは革命について語ることができる。(47頁、傍点原文)

 これらを一読して何を言っている文章かわかってしまったら、その人は病院に行ったほうがよい。「自由」「新しいはじまり」「暴力」という言葉がどういう意味で使われているのか、「自由」を「創設」するとはどのような事態を指すのか、さっぱりわからない。私は恣意的にわかりにくい部分を引用したのではない。どこもかしこもこの調子で書かれているのが、『革命について』という書物なのであり、この著作に限らず、こういう文章しか書けないのがハンナ・アレントという人物なのである。彼女の文章は、「アレント・ワールド」とでも称すべき、独特の言語空間をつくり出している。これを理解するには「アレント・ワールド」に飛び込むしかない。そうすれば何かが見えてくるかもしれない。
 議論の取っ掛かりをつかむために、「革命revolution」という言葉について考えよう。
 革命に携わった人たち(以後、革命の人々men of revolution(s)と言うことにする)は、当初、何か新しいことをしようとしたわけではなく、むしろ、復古を目指していたという。「「革命」という言葉そのもののなかに依然として響いているのは、まさにこの新しさにたいする不熱心さである」(57頁)。どういうことだろうか。そもそも「革命」という言葉は、天文学上の用語であり、天体の周期的で合法的な回転運動を意味していた。天体から地上の人間へと適用対象を変化させたとき、この言葉は「すでに以前確立されたある地点に回転しながら戻る運動、つまり、予定された秩序に回転しながら立ち戻る運動を暗示するのに用いられ」るようになる(57-58頁)。つまり、革命とは復古のことなのである。だからこそ、一般には進歩派に分類されるトーマス・ペインは「アメリカ革命とフランス革命を「反革命」の名で呼ぶようにまったく熱心に提案していた」(61頁)のだ。二つの革命は、ペインにとって新しい人間の権利を保障する画期的な出来事だったからこそ、彼はそれを革命=復古と呼ぶことに反対したのであった。
 だが、革命の進行にともなって、復古を目指していた革命の人々はこれまでに無い新しい経験をすることになる。

――新しいはじまりが政治現象であり得ること、そしてそのはじまりは、人びとがおこなったことの結果であり、意識的にやりはじめたことの結果でもあり得ること――人びとがこのことに気づきはじめたのはようやく十八世紀の革命の過程においてであった。(64頁)

 先程と同様、「新しいはじまり」という不明瞭な概念が出てきているが、その説明は後回しにしよう。ここで確認すべきは、革命とは元来復古を意味すること、そして、革命の進行は「新しいはじまり」というアレントにとってきわめて重要な経験を人びとに与えたことである。
 こうして「革命」という言葉はその意味を実際の進行過程のなかで百八十度変容させたと言えるが、すでに述べたように、これは革命の人々が予め意図していたことではなかった。この変容に限らず、実際に革命が起こってから当初予想していなかった状況が現出していた。驚くべきことに、意図も予測もしていない現象が起こった理由は、「革命」という天文学用語の語義に含まれている。「不可抗力性の概念」がそれである。革命の進行は群衆の大運動を引き起こし、旧体制の人びとはもちろんのこと、革命の人びとですら、この運動の不可抗力性に付き従うほかなかった。群衆はもはや誰にもコントロールすることのできない強大な渦となって歴史をつくろうとしていた。アレントによれば、不可抗力性を持った群衆によって破壊された自由の空間は、現在もなお回復していない(65-71頁)。
 ここまで「革命」という言葉を軸にしてアレントの議論を追ってみた。すでにお気づきのように、「革命」という言葉は彼女にとって肯定的な意味と否定的な意味の両方をあわせもっている。肯定的な意味とは、復古とそれに伴って新しいはじまりの経験を与えたものであり、否定的な意味とは、不可抗力とそれに伴って自由の空間を破壊したものである。いささか乱暴に単純化して言うなら、前者がアメリカ革命を、後者がフランス革命を象徴する。『革命について』では後者に関連して、必然性・社会・同情・善悪などの刺激的な議論に多くの紙面が割かれているが、アメリカ論としての体裁をとる本稿ではこうした議論にはほとんど触れることができない。以下では、アメリカ革命に限定して話を進める。

3、公的幸福

 木田元という哲学者が面白い指摘をしている (注4)。西洋人は堂々と「幸福」を論じるのに、日本人は自嘲やアイロニーなくして「幸福」を語れないのはなぜか。どうやら「幸福」という日本語は明治以降、happinessの訳語として生まれたものであって、普通「幸福」と同義とされる「しあわせ」という言葉の「良いめぐり合わせ」という原義と、西洋のhappinessという言葉の、それ自体善であり、キリスト教なり何なりの神によって嘉されたものというニュアンスとではだいぶ違いがあるらしい。
 ハンナ・アレントも幸福happinessについて語っている。それもただの幸福ではない。「公的」な幸福なのである。彼女はこの言葉をどのように捉えているのだろうか。このことを考える際には、先に述べたアレントのアメリカ論において避けられない二つの問いのうちの後者、すなわちアレントが当時生きていた現実にどのような不満を持ち、その現実のなかにどのような可能性を読み取ろうとしていたのかという問いが深く関わってくる。幸福という言葉が、日本人の感覚とは幾分ずれているであろうことを念頭に置きつつ、公的幸福の意味を探ろう。
 アレントは公的幸福のことを「宝treasure」と呼ぶ。第二次大戦中フランス・レジスタンスに加わり、公的な任務に携わった詩人ルネ・シャールは、戦争が終結し、公的な任務から解放されてもとの鬱屈した私生活に戻ることになった。

――「もし私[ルネ・シャール――引用者注]が生き残るなら、私はこの重要な歳月の芳香と別れをつげ、私の宝を黙って(隠すのでなく)捨てなければならないことを知っている。」彼の考えでは、その宝とは、彼が「自分自身を発見した」こと、もはや自分の「不誠実さ」を疑わなくてもよいこと、仮面maskと虚偽make-believeを身につけて現われる必要のないこと、どこへいこうとも自分の姿は他人にも自分自身にも同じように見えること、「裸でいくこと」できることであった。このような考察は、意図的でない自己暴露self-discourseを、つまり、曖昧さや自己反省なしに言葉wordと行為deedによってあらわれるという活動actionに固有の喜びを証言している点で、意義深いものである。(442-443頁、傍点原文)

 この文章を理解するには、活動と言論speechや、偽善、自己暴露 (注5)などについて説明せねばならないが、ここでは省略する。アレントがいう宝=公的幸福の「公的public」が、一般に「公的」や「公務」や「政治」というふうに表現されるものとニュアンスが異なることを感じ取ってもらいたい。そして、公的幸福を「宝」と呼ぼうとするアレントの気持ちを推し量ってもらいたい。
 このようにわかりづらい「公的幸福」は「公的自由」とも言い換えられる。アレントによれば、ある意味で革命が成功したと言えるアメリカと失敗したと言えるフランスとは、革命の前から違いがあった。

――フランスにおいて情熱や「趣味」であったものは明らかにアメリカにおいては経験であった。特に十八世紀において、フランス人なら「公的(パブリック・)自由(フリーダム)」というところを、アメリカでは「公的(パブリック・)幸福(ハッピネス)」という言葉がもちいられたことはこの相違をまったく適切に表現している。要点は、アメリカ人が、公的自由は公務に参加することにあり、公務と結びついている活動はけっして重荷になるのではなく、それを公的な場で遂行する人びとにほかでは味わえない幸福感を与えるということを知っていた点にある。(182-183頁) (注6)

 貧困問題がなかったアメリカは、革命の過程で初めて公的幸福=公的自由という書物の中だけでの概念を実際に経験したフランス(その経験は即座に消え去ったのだが)と違って、革命以前から公的幸福=公的自由を経験することができた (注7)。肝心の公的幸福=公的自由の意味は、明確に定義できないままだが、この引用文の後半と先のルネ・シャールについての引用文から、公的幸福=公的自由=宝の意味がおぼろげながらわかってきたと思う。公的幸福に関係する活動actionをめぐって煩瑣な議論をして明確な定義を求めてもいいのだが、紙面の都合もさることながら、そういうやり方で「アレント的」に論じるのは私には荷が重いため、ここではこれ以上踏み込まない (注8)
 公的幸福は現れの空間space of appearanceでのみ経験される。この現れの空間は政治的情念を持った人々が集まるところに現出する (注9)。アレントによれば、アメリカは革命以前からタウン・ミーティングのような形で現れの空間が存在し、アメリカ革命はこれを合衆国という国単位で制度的に保証しようとした、私たちが記憶すべき近代史上稀有の事件である。現れの空間の制度的保障は古代 (注10)においても見られたが、その伝統はすでに断ち切られており、アメリカ革命こそがその伝統の「新たなはじまり」をもたらし、私たちはそれを道標にしてかつての偉大な伝統を引き継ぐべきなのである (注11)

4、権力と権威

 ハンナ・アレントにとって、権力powerと権威authorityはきわめて重要な概念である。簡単に言うと、権力は複数の人びとが現れの空間において言論を伴いながら、何かを成し遂げるために共同するときに生じる政治的な力であり、暴力violenceのようにたった一人の人間でも機器に頼って言葉を発することなく行使できる前政治的な力とはまったく異なる (注12)。一方、権威は永続的な政治制度を保つために不可欠な、正統性に関わるローマ的概念であり、創設の行為に対する尊敬の念とその創設の行為を繰り返そうとする振る舞いがあるときにのみ存在しうるものである (注13)。制度のうえでは、権力は共和制を、権威は連邦制を要請する。アレントにとって、共和制と連邦制は、民主制や国民国家制度と明確に区別される制度である。個々人の意見opinionを尊重するからこそ結果的に統治を安定化させる共和制と複数の政治体が各々の権力を保ったまま同盟を結びより強大な権力をつくり上げる連邦制に対し、民主制や国民国家制度は少数意見を圧殺して世論を形成し、人びとを、感情的に動かされやすい一つの生物体(国民)であるかのようにまとめ上げ、統治を不安定化させるものとされる (注14)
 すでに述べたように、アメリカ革命は、現実の経験をもとに求められたモデルとしての古代ローマに倣い、安定した永続的な政治制度の樹立を目指した 。

――アメリカ革命の人びとにとって、絶対者という理論的・法的難問を現実政治の面でこんなにも扱いにくいほど厄介なものにした直接的な主要問題は、どのようにして連邦を「永続的なもの」にするか、創設物にどのようにして永続性をあたえるか、古さの認証を自分のものとして主張することのできない政治体にたいして、正統性の認証をどのように獲得するか(中略)という問題であったろう。そして、彼らにとってこのような問題にたいする解答は、古代ローマのなかにただ一つだけ、いわば自動的に発見されるように見えたにちがいない 。ローマ的な権威概念そのものが、創設の行為は不可避的にそれ自身の安定と永続性を発展させることを示しているのだから。(323頁、傍点引用者)

 権威はこうして制度的に確保された。では、権力は、活動は、現れの空間は、どうなったのか。このことを考えるには「新しいはじまり」をめぐる考察を踏まえないわけにはいかない。

5、「はじまりが存在せんがために、人間はつくられた」

 ドストエフスキーは『悪霊』のエピグラフで聖書の言葉を掲げている。

――そこなる山べに、おびただしき豚の群れ、飼われありしかば、悪霊ども、その豚に入ることを許せと願えり。イエス許したもう。悪霊ども、人より出でて豚に入りたれば、その群れ、崖より湖に駆けくだりて溺る。牧者ども、起こりしことを見るや、逃げ行きて町にも村にも告げたり。人びと、起こりしことを見んとて、出でてイエスのもとに来たり、悪霊の離れし人の、衣服をつけ、心もたしかにて、イエスの足もとに坐しおるを見て懼れあえり。悪霊に憑かれたる人の癒えしさまを見し者、これを彼らに告げたり。(ルカ福音書、第8章32-36節)

 この聖書のエピソードは、一見すればくだらないファンタジーである。にもかかわらず、そこには「くだらないファンタジー」の一言で片付け切ることのできない何かがある。「神」や「信仰」、「宗教」という言葉でもどこか不相応な何かである。聖書が持っているこの何かこそが、ドストエフスキーを惹きつけた。そして聖書のみならず、ドストエフスキーの小説が言語の壁を超えて世界中で読み継がれている理由も、彼がこの何かを体現していたからではないか。
私はこの何かをハンナ・アレントからも感じる。彼女は政治を論じながら、政治を論じていない。彼女がナザレのイエスやアウグスティヌスに触れるときに発するこの何かを、私はいまだ掴みきれずにいる。一体この感覚は何なのか。ヴェルギリウスの第四の『エクロガエ』について、彼女は言う。

――疑いもなくこの詩は、生誕の聖歌であり、子供の誕生を賞する歌であり、新しい世代(mova progenies)の告知である。しかし、神の子と救世主の到来を予言するものではなく、それどころか反対に、世界の潜在的な救済salvationはまさに人類the human speciesが絶えずそれ自身を再生するという事実そのもののなかにあるという意味で、それは誕生それ自体の神聖性を確証するものである。(336頁、傍点原文)

 続いて、彼女は「はじまりが存在せんがために、人間をつくられたThat there be a beginning, man was created」というアウグスティヌスの言葉を引用して、言う。

――われわれの文脈のなかで重要なのは、すべての創設は再興であり再建であるという、深くローマ的な観念ではない。それよりはむしろ、人間menは、彼自身新しいはじまりnew beginningsであり、したがってはじめる者beginnersであるがゆえに、新しいはじまりをつくるという論理的には逆説的な課題を背負っているという観念、つまり、はじまりのための能力そのものは生れてくるものであるということ(natality)――人間は誕生によって世界に現れるhuman beings appear in the world by virtue of birthという事実――にもとづいているという、関連はしてはいるが別の観念の方が重要である。(337頁、傍点原文)

 ユダヤ系ドイツ人の彼女は戦時中、強制収容所にいたことがある。戦後は長らく無国籍のままアメリカで亡命生活を送り、やがてかの地で市民権を獲得した。ドイツに再び住むことはなかった。自らの著作のなかで表立ってドイツを取り上げることもなかったが、ドイツで思想形成した彼女は、著作の注釈という形で突然戦後ドイツに対する不満を漏らすことも多かった。
 いささか話が脱線し過ぎたかもしれない。「新しいはじまり」について、アレントは今、私が引用した以上の説明をしていない。前述のように、権力や活動、現れの空間に深く関わる公的幸福は、革命以前から経験されていたことだった。だが、アレントにとって、革命の前と後ではまるで状況が変わっている。その違いをもたらしたものこそ、「新しいはじまり」であった。

――植民地での経験と植民以前の歴史が、アメリカ革命のコースとアメリカにおける公的制度の形成にどれほど決定的な影響を与えたにせよ、独立した実体としてのアメリカの歴史は、革命と共和国の創設からのみはじまるのである。(中略)彼ら[アメリカ革命の人びと――引用者注]は、ヴェルギリウスの第四の『エクロガエ』を読んだとき、最初の事柄はどんなものでもその中にとらえられてしまうように思われるあの悪循環を断ち切るためには、必ずしも絶対者を持ちださなくても、はじまりの難問を解くことができる答えがあることにぼんやりと気づいていたのかもしれないthey might have been faintly aware that there exists a solution for the perplexities of beginning which needs no absolute to break the vicious circle in which all first things seem to be caught。はじまりの行為actがその恣意性から救われるのは、その行為がそれ自身のなかに、それ自身の原理principleを持っているからである。もっと正確にいえば、はじまりbeginningと原理principle、princium[はじまり]と原理principle、は互いに関連しているだけでなく、同時的なものだからである。はじまりは自己の妥当性の根拠となり、いわば、それに内在する恣意性から自分を救ってくれる絶対者the absoluteを必要とするが、そのような絶対者とは、はじまりとともに世界にその姿を現わす原理にほかならない。(338-339頁、傍点原文)

 「新しいはじまり」としての創設の行為=はじまりの行為は、一面で権威を構成し、他面で権力を構成する。両者はおそらく明確に分離できるものではない。そしてアメリカ革命に際して「新しいはじまり」がもたらされたのは、何より「人間は誕生によって世界に現れるという事実」(337頁)にもとづくのである。いや、むしろ、近代以降、この「事実」を私たちに想い起させてくれるのがアメリカ革命という出来事と言った方がいいかもしれない。

――アメリカ革命の進路は忘れることのできない物語を提供しており、ユニークな教訓を残していると思われる。というのは、この革命は勃発したものではなく、共通の熟慮と相互誓約の力にもとづいて、人びとによってつくられたものだからである。創設が一人の建築家の力ではなく、複数の人びとの結合した権力powerによってなされたあの決定的な時期を通じて明らかになる原理は、相互約束と共同の審議という、内的に連関した原理であった。(340頁)

 だが、そのアメリカですら、この出来事を忘却した。「アメリカ自身、革命が合衆国を生みだしたのであり、共和政は(中略)自覚的で熟慮された行為すなわち自由の創設によってもたらされたことを記憶していないのである」(353頁)。アメリカの頽廃はあらゆる側面から生じている。公的幸福は私的幸福と取り違えられ、偉大なアメリカ革命は悲惨なフランス革命の枠組みで再解釈され、政府、ひいては憲法に対する信頼は損なわれた (注18)。アレントは、この頽廃をフランス革命の悲惨ゆえに生じた革命そのものに対する恐怖にその起源を求めているが、何にせよ、記憶は失われたのである。

――人びとが行い、耐えることから生まれる事件や出来事の経験や物語でさえ、くり返し何度も語りつづけられないかぎり、生きている言葉と生きている行為につきものの空虚さのなかに沈んでしまう。死すべき人間mortal menの出来事を、人間につきまとう空虚さtheir inherent futilityから救うには、その出来事を間断なく語りつづける以外にない。しかし、ひるがえって、その語りつづけは、ある概念、つまり、将来記憶されたりあるいはただ参照されたりするための何らかの道標がそこから生まれるのでなければ、空虚なものにとどまる。いずれにせよ、概念的思考にたいする「アメリカ的」毛嫌いの結果、トックヴィル以来、アメリカ史の解釈は、経験の根をアメリカ以外の地に置いている理論に屈服した。(358頁、傍点引用者)

 アメリカにあったはずに希望は結局のところ、旧世界、すなわちヨーロッパによって飲み込まれ、潰えることとなった。公的幸福の消滅に関して、アレントは言う。「アメリカの繁栄とアメリカの大衆社会は、ますます政治領域全体を荒廃へと追いやっているが、そこで復讐を遂げているのは、やはりヨーロッパの貧困なのである」(211頁)。つまり、貧困問題とは無縁のはずのアメリカが求めた「豊かさと際限のない消費」は実のところ、「貧民の理想」であり(210頁)、アメリカはヨーロッパからの「復讐」に遭っていたのである。
 奇妙なことに、アレントは、アメリカが自滅したという言い方ではなく、アメリカに付きまとうヨーロッパの影がアメリカを頽廃に追い込んだという言い方をする。それだけでなく、「良かれ悪しかれ、アメリカはいつもヨーロッパ的人間の企てan enterprise of European mankindであった」(210頁)とまで言うのである。イギリスの作家D.H. ローレンスがかつて「アメリカ人のこころの奥底のどこかには、ヨーロッパの昔からの親にたいする反発が巣くっている」 (注19)と皮肉ったように、アメリカをヨーロッパと不可分の関係とする見解は珍しいものではない。だが、アメリカに亡命し永住したヨーロッパ出身のユダヤ人ハンナ・アレントの文章からは、宿命論的な絶望のなかで希望を語ろうとしつつも自らその可能性を打ち消そうとする彼女の葛藤が垣間見えるのである。彼女がみずからの希望を託したアメリカがヨーロッパの呪縛から逃れられない様は、まるで彼女自身がヨーロッパに絡め捕られているかのようである。彼女が描くアメリカとは、彼女の自画像にほかならなかった。
 
 「はじまりが存在せんがために、人間はつくられた」――彼女が好んで引用するアウグスティヌスのこの言葉は、彼女自身が自分に言い聞かせるためのものだったのだろう。安易な希望は安易な絶望と同じくらいに愚昧であり、冷笑的態度は感傷的態度と同じくらいに滑稽である。「歴史はいつも否応なく伝統を壊すように働く。個人はつねに否応なく伝統のほんとうの発見に近づくように成熟する」(小林秀雄) (注20)。継承しえぬ伝統は自然と消え去り、個人はやがてしかるべくしてしかるべき場所に腰を据える。
 アレントの歩みがどうであったか、私は知らない。

希望について

注1:ハンナ・アレント『責任と判断』筑摩書房、2007年、259頁

注2:本稿がアメリカ論ともアレント論とも似付かないものになっているのは、冒頭に述べた私の根本的な考え方のゆえである。また、アレントのような混沌とした魅力を持った思想家を論ずるにあたっては、本来、初期の作品から晩年の作品までを十分に読み込み、その全体像を捉えきったうえで(アレントの場合ならば、例えば、action/work/labor, world, natality, freedom, beginning, appearance, councilといった重要概念を皮膚感覚で理解すること)、個別具体的な主張を取り上げる形式をとらねばならないし、そうせざるをえないものである。その点、私には彼女のアメリカ論を取り上げる資格がない。なぜなら、私は彼女の処女作『アウグスティヌスの愛の概念』をはじめ、『ラーエル・ファルンハーゲン』『全体主義の起源』『精神の生活』などをろくに読んでいないからである。にもかかわらず、私がアレントを扱った理由は、心に響く他のアメリカ論がなかったという消極的理由もさることながら、私がアレントのことが好きだという単純な理由による。

注3:ハンナ・アレント『革命について』ちくま学芸文庫、1995年、192頁。以下、頁数のみを表示する際は、この本からの引用であることを示す。また、併記されている英語は、Hannah Arendt, On Revolution, Penguin Books, 2006の該当箇所より私が引用したものである。

注4:木田元『哲学の横町』晶文社、2004年、38-43頁

注5:『人間の条件The Human Condition』も含め、ちくま学芸文庫版の志水速雄訳では、「自己暴露」がdisclosureとdiscourseの両方の訳語として用いられているようである。言論がその人間(whatではなくwhoとして、属性ではなく固有名として)を表現する事態を指して、自己暴露という言葉が使われているのだから、このような訳し方をしてもあながち不当とは言えないだろう。

注6:アメリカ革命とフランス革命を同じような視点で捉えつつも、力点の置き方がアレントとは異なる文献として、J. ハーバーマス「自然法と革命」『理論と実践』所収(未来社、1975年)がある。ハーバーマスは、社会科学を生理的に嫌悪するアレントですら「ドイツの最も思慮に富みかつ聡明な社会科学者の一人」(『暴力について』みすず書房、2000年、186頁)と評価する人物だ。両者の違いを考察するだけでも面白そうだが、大雑把に言えば、自分が納得するために物を書くアレントと世のため人のために物を書くハーバーマスという見方が可能だろう。ここから社会科学に対する評価の違いも現れる。

注7:私が「経験することができた」と書いているのは実のところ、かなり重要である。この表現は、主に『人間の条件』で展開される公的領域・現れの空間・自由の空間と私的領域・必然性の領域についての議論を踏まえている。深入りはしないでおくが、ここではさしあたり、アレントにとって、貧困問題とは私的領域に関わる問題であることと、公的領域で自由を経験するには各人が私的領域の問題を解決していることが前提となることを押さえてもらえればいい。

注8:世のアレント論の多くが、「アレントはわかりにくい思想家だ」と断りを入れつつ、結局のところ実に明快なアレント像を描き出しているのは奇妙なものである。言ってみれば、アレントを「非アレント的」に論じているものが氾濫している。「思想がひとたび思想家の骨肉をはなれて「客観的形象」と化した瞬間に、それは独り歩きをはじめる。しかもそれが亜流の手にわたって、もてはやされ「崇拝」されるようになると、本来そこにたたえられていた内面的緊張は弛緩し、多角性は磨かれて円滑となり、生き生きとした矛盾は「統一」され、あるいは、その一側面だけが継承されることによってかえってダイナミズムを喪失して凝固する」という丸山眞男の言葉は依然として正しい(「福沢・岡倉・内村」『忠誠と反逆』所収、ちくま学芸文庫、1998年、351-352頁)。
私が読んだ範囲内でこの陥穽を逃れ、アレントという人物に真摯に迫ろうとしているのは森川輝一『<始まり>のアーレント――「出生」の思想の誕生』(岩波書店、2010年)だけである。

注9:「現れの空間」「政治的情念」については、434-442頁参照。

注10:古代といってもギリシアとローマとでは違いがあるが、この文脈でどちらを指すのかと言うと、おそらく両方を指している。判然としないのは、私の理解が不十分だからである。

注11:二点付け加える。まず、アレントは頻繁に「偉大great」という単語を使う。私の力量不足でニュアンスは説明し難い。また、「伝統」という言葉もまた厄介な使われ方をしている。アレントにとって、古代の偉大な伝統はあくまでも完全に途絶えたものとされるが、アメリカ革命はその伝統を復活させたのではなく、それをモデルにして新しい伝統(?)を創り出したものとされているのである。

注12:権力と暴力の差異について詳しくは「暴力について」『暴力について』所収(みすず書房、2000年)参照。私見では、「権力power」と「活動action」は、ある事態を、集団から見るか個人から見るかで区別しているだけで、実際には同じ事態を指している。アレントの文章のなかで両者が混然一体となっているのも、こう考えれば理解できるのではないかと思う。

注13:権威について詳しくは「権威とは何か」『過去と未来の間』所収(みすず書房、1994年)参照。

注14:264-265頁および364-371頁参照。注意すべきは、アレント自身が、共和制と連邦制を正確に区別してはいないことである。

注15:アレントのアメリカ革命論の「恣意性」は、この点で顕著に表れている。彼女の口調がどこかぎこちないのである。例えば、318-319頁で「新しい共和国の安定を保障したのは、(中略)創設の行為そのものが含んでいた権威であったと結論したくなるのである。」(傍点引用者)とあるが、この傍点部分は原文ではone is tempted to となっており、一般に受け入れられる主張でもなければ彼女自身の主張であるとも受け取り難い曖昧な表現がとられている。同様の表現は326頁の「結論したくなるだろう」「予言さえしてみたくなるだろう」でも見られる。そして何よりも決定的なのは324頁で「アメリカ革命の成功を、このようにローマ的精神の観点から説明することinterpretationが恣意的でないことは、革命の人びとを「建国の父」の名で呼んでいるのはただわれわればかりではなく、革命の人びと自身も同じように考えていたという奇妙な事実the curious factが、それを裏付けているように思われる。」(傍点引用者)と述べている部分である。自分で恣意的でないと断りを入れねばならないと彼女が考えたこと自体が、彼女のアメリカ革命解釈の恣意性を物語っているのではないか。加えてここの「思われる」は原文ではappearが使われており、これまた曖昧である。さらに、『革命について』では異様なほど頻繁に「奇妙なcurious/strange」という言葉が使われる。「理論的には」「歴史的には」という表現の多用なども踏まえれば、この言葉はアレントにおける理論と現実の間の緊張関係、あるいは思ってもみない出来事に溢れている現実に対する彼女の率直な態度を示している。断るまでもないが、私は彼女の議論をその恣意性ゆえに否定しようというのではなく、彼女のアメリカ論を扱うにあたっては彼女のなかでの飛躍を正確に理解しなければならないと思うからこそ、このような煩瑣な議論をしているのである。

注16:注15に関連して、ここで「ちがいない」と言っているのも気になるところである(原文ではit must have seemed)。

注17:ドストエフスキー『悪霊(上)』新潮文庫、2004年(改版)、6頁

注18:この点については、前掲『暴力について』所収の諸論文を参照。

注19:D.H. ローレンス『アメリカ古典文学研究』講談社文芸文庫、1999年、18頁。アメリカに対してシニカルな態度を見せるローレンスにとっても、アメリカは複雑な存在だった。本書解説を参照。

注20:「故郷を失った文学」『小林秀雄初期文芸論集』所収、岩波文庫、1980年、295-296頁

希望について

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-12

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  1. 1、はじめに
  2. 2、「革命」という言葉
  3. 3、公的幸福
  4. 4、権力と権威
  5. 5、「はじまりが存在せんがために、人間はつくられた」