スマートな生活

現在、”スマート”という言葉が色々な形で使用されている。技術分野の発展はICT(Information & Communication Technology)及びロボット分野にて顕著であり、これからの社会は予測できないスピードとアプリケーションンに翻弄されるであろう。筆者はそのような近未来において、何等かの人間臭ささを維持することで、ヒトとしての存在を思い起こすことをこの小説のポイントとしてみた。

東面の窓を開けると5月のさわやかな風がすーっと入ってきて、寝不足の康夫の顔を洗うかのように流れていった。この檪の葉地区は東京都心からつくば未来都市への直通電車の途中駅であるが、四葉不動産がスマートシティ構想の下で10年の歳月をかけて作り上げた未来都市である。約30ヘクタールのエリアの3割は公園であり、道路には櫟の木が街路樹として植えられている。また、自転車道が整備され、バスストップの無いEV(電気自動車)仕様の循環バスが10分きざみで走り、真坂康夫もこちらに新居を構えた時にEV車を購入したが、域内の自家用車は既に80%以上がEV車となっている。また、市役所、学校、排水処理施設などの公共施設は当然のこととして、戸建住宅、アーケードなど利用可能な屋上には太陽光発電装置が太陽光を反射してキラキラと光っている。電力の自給率は70%とされている。そのため、再生エネルギー利用モデル都市と環境都市として認定され、日本の自治体だけでなく、海外の自治体からも連日のように視察団が訪れるのも当然のことであった。
独り身の康夫であるが起床すると、既に豊かな香りの珈琲が湧いており、4K仕様の高精細テレビがONされ、7時のNHKニュースを珈琲を啜りながら見ることができる。そして、30分もすると全自動トースターから発酵バターを用いた香りが高いパンが焼きあがり、更に1時間もすると全自動洗濯機が静かに洗濯を始めて、乾燥までの作業を確実にやってくれる。このスマートシティでは全ての家庭がHEMS(Home Energy Management System)の採用を、全ての事務所ビル、病院、商業施設がBEMS(Building Energy Management System)の採用を義務付けられているので、時間行程表通りに全ての電気、ガス、水道がONになったりOFFになったりするのである。

真坂康夫75歳、北海道大学工学部を卒業して、そのころまだ無名に近かった㈱大洋電機に入社、以来40年を大洋電機で新製品の開発に従事し、平成2X年にシニアファローという技術のトップとして退職した生粋のエンジニアである。真坂が自分では傑作と満足しているのがHEMSの開発であった。
一般にHEMSは家庭電化製品の制御部に電気信号を受け渡す制御盤と無線でON、OFFなどの信号をやりとりし、HEMS装置に組み込まれた個々の家庭電化製品運転スケジュールに基づいて人に代わって運転している。だから、珈琲が自動的に湧き、テレビが入り、洗濯機が回るのである。これだけなら比較的単純なシステムであるが、経済産業省や大学の頭脳集団はそのような仕様では我慢できず、これでもか、これでもかと言う位に、家庭にある電気、ガス、水道器具、そしてシャッターの開け閉め、火災・ガス漏れなどの防災センサー、防犯センサー、お年寄り見守りセンサー、太陽光発電装置等など、全てをHEMS装置で管理するように求めてきたのである。そして、極め付けは、DR(Demand Response)という外部事情によって家庭電化製品やガス器具、太陽光発電装置などを強制的にOFFすることが出来る機能を付加することであった。
これらの機能を体操の技術評価で言うC難度、D難度などで表現すると海外ではせいぜいC難度くらいしか開発計画に無いとされるのに、日本ではD難度が当たり前、メーカーによってはHEMS盤に組み込んだパソコンに最適制御プログラムをクラウドで送りこんで、曜日と天候によって毎日を最適制御するというE難度までを標準仕様にする会社まで出てきた。
大洋電機は副社長に経済産業省の局長を迎えたこともあり、家庭電化製品における弱い市場ポジションをHEMSで一挙に挽回せんとしていたので、HEMS技術開発の実質的な責任者であった真坂康夫にはF難度又はG難度の技術開発を求めていた。そのためもあって、研究開発費と、何故か交際費は他部門からやっかみの声が聞こえるほどに要求通りというよりも、副社長直々の査定で要求の2倍も与えられてしまった。日頃から交際費の使い方を知らない真坂はこれには困ってしまい、副社長に『申し訳ありませんが、他の部門とのバランスがあると拝察するので、交際費は半分にして頂けませんでしょうか』と頭を下げてみたが、副社長から『何を馬鹿な事を言うんだね、君は、経済産業省や大学の諸先生の意見も碌に聴かないで開発が出来るのかね。君達の頭なんて全く当てにしていないのだよ。ガンガン交際費を使って外の知恵を盗むのだよ。そんな事もできないのかね』と言われてしまった。
研究開発費は本当に有難く、必要としていた高性能データ処理装置、各種機材そして何よりもフィールド試験のためのモデルハウスの設置まで出来たことはそれまでなけなしの予算でやりくりしてきたHEMS開発部門にとっては購入伝票を書く手が震えるくらいの感動であった。また、実験要員もレベルの高いアルバイトを雇用することができ、データ処理がどんどん進んだ。

真坂のグループがモデルハウスを作るという情報を得たハウスメーカーの営業から、静岡にある工場のモデルハウスを視察をして欲しいという話があり、静岡までグリーン車で出かけ、夜は静岡の一流バーでぎこちなく接待を受けることとなったのも、情報を得るための必要な業務であった。
その高級クラブは勿論会員制であるが、釘形の廊下を曲がったところにちょっとした離れ部屋があり、どうも微妙な話や遊びはそこを用いるらしい雰囲気があった。真坂は真ん中の席に案内され、その店で一番売れっ子という30歳位の整った顔の女性が直ぐに隣に座った。
「ねぇ、東京の偉い方だと伺いましたが、宜しければ名刺を頂けません?」と、その女性は自分は本名も芸名と同じで真菜と言うと断りながら、真坂の手を取って質問してきた。
このような処にはもう来ないであろうという安心感と、会社の名前を出すことでサービスが良くなるような気がして、真坂も気軽に名刺入れから1枚抜いてその真菜という女性に渡した。
「まぁ、大洋電機の偉いさんなのね、あのね、家のテレビとエアコンは確かお宅の製品ですわ、デザインが良いのよ。嬉しいわ、そのようなお客さんに会えるなんて」と、真菜は強く手を握り、体を預けてきた。
「そう、我が社の製品を使ってくれているんだ。こちらこそ有難う」真坂は律義に頭を下げたので、真菜は
「まぁ、何と可愛い人!惚れてしまうわ」と、更に体を押し付けてきた。真坂は妻以外の女性と親しくなった事は今までになく、真菜の弾力性のある体の感覚を感じ、何か体の芯が揺さぶられるように思った。
ハウス会社からも営業部長と担当課長が入り、手慣れた会話で一人づつ傍についた女性をからかったり、時々は際どく触ったりしているのを見て、真坂も少しは大胆になって真菜の太股に手を乗せたり、腰に手を回したりしながら、池田という名前の営業部長の話に割り込んだ。
「ねぇ、池田さん、このような楽しい席で野暮ですが、誰か大学の先生でHEMSなどについて詳しい方を知りませんか?出来るだけ若い発想をされる人がいいですがね」
「HEMSですか?そうですね、国の委員会に出ておられる田之上俊夫先生、村田昇先生、平田隆先生とかは良く知っていますよ。あぁ、そうだ、おい、真菜、村田先生は真菜が贔屓だったよね」
「池田さん、厭ですわ、村田先生ってね、下ネタばかりでね、お座りなってから店を出るまで、ずーっとあっちこっち触るんですから。でも、この話はここだけですよ」と、真菜は顔を顰めていた。
「真坂さんのご希望は若い方ですえね」
「えぇ、今、HEMS装置開発の最終段階にいましてね、他社で真似出来ないG難度の仕掛けを考えているのですがね、どうも我々ではネタ切れでしてね、斬新な思い切ったアイデアが欲しいのですよ」と、池田達が仲間の一人のような気持ちになって真坂は本音を喋った。
「男の方って、大変ね。美味しくお酒を飲めないのね。ねえ、そのような硬い話は別な場所でして頂くことにして、はい、ゲームをして楽しみましょうよ。」真菜が真坂と池田の話を打ち切るように言ったので
「そうだ、今日は真坂様は泊まりだから大いに騒ごう。そうだ、これはソウルに出張した時に覚えたのだけれどね、じゃんけんで負けたら、ビールの中にウィスキーをワンショット分入れてね、飲み干すのだよ。原子爆弾という名前のカクテルなんだ。もし、それが厭な人は衣類を脱ぐんだ。これは面白いよ」と、池田が提案したので、女性が奇声をあげ一遍に賑やかになった。
それから先を真坂は実はよく覚えていない。最初はその原子爆弾と命名されたカクテルを飲んでいたが、ついには脱ぐこととなり、真菜もブラジャーと下着だけになったまでは覚えていたが、その先の記憶は無い。
静岡駅に近いホテルで電話の音で目を覚ますと、フロントの声で『あの、お連れ様が先にお帰りになり、7時にお部屋の方へ電話するようにとの事でした』とあり、真坂は二日酔いで頭の痛いのも忘れ、一遍に目が覚めた。
机の上に置かれたホテル備え付けの便せんには『昨夜は楽しかったわ。また、静岡でお会いしたいです。 真菜』と書かれていた。

真坂はいよいよ開発の最終段階に入っているのにまだG難度はおろかF難度の機能の目途もつかず、毎日を悶々とした日を送っていた。そして、種々のルートを使って、これぞと思う大学の先生などに会い、その内の半分は銀座のバーに誘い出すことに成功し、交際費の消化だけは進んでいたので、次の定例会議にて副社長から『何だ君は、交際費だけはきちんと消化しているのにHEMS本体はこんなものか?』と言われるのは目に見えているだけに滅入る気持が増幅していた。
定例会議をあと1週間後となった日の夕方、今日は気晴らしに銀座のシネマで映画でも見ようかと思っていたところに、電話があった。出て見ると、
「今日は、私、真菜です。1ヶ月ほど前に静岡でお会いしましたが、もうお忘れでしょうか?」と、華やいだ声はまさしく真菜のようであった。
「いいえ、忘れてしませんよ。お元気ですか?」と、真坂は今ごろ何の用事だろうか、まさか、あの夜に変な写真でも撮られており、それをネタにゆするのではないかと思うと、言葉を選んで慎重に離さねばならなかった。
「きっと、驚いていらっしゃるのね。それはそうですよね、たった1回しかお会いしていないのですから」
「うん、まぁ、そうですね」
「何もご心配することは無いのですよ。実は、先日真坂様が池田部長との会話でヘムスとかいう技術について誰か新進気鋭の大学の先生を知らないかとご質問されていましたよね。あれが無意識の内に気になっていましてね」
「それは、真菜さんは素晴らしい方ですね。あのような場でヘムスという言葉をちゃんと覚えておられるのだから。それで・・・」
「えぇ、昨日ある会社の方が接待で私の勤務しているバーに来られて、会話しているのを聴いてしまったのですが、ヘムスの新しいアイデアがどうのこうのとおっしゃっていたので、つい聴き耳をたてましてね、本当はお客様のお話ですからいけない事なのですが・・・」
「あの、真菜さん、今は何処から電話されていますか?静岡ですか?」
「えぇ、そうですが」
「分かりました。これから会社を出るところですが、今から静岡の店へ行きます。そこで詳しく教えてくださいませんか?」
「真坂様、でも、そのヘムスという言葉は聴き間違いかも知れませんし、真坂様の言われているものと違うかもしれませんが」
「いや、いいんです。どうせ今晩は何も用事はありませんし真菜さんにもお会いしてお詫びをしたいので、これから行きます。待っていてくださいね」と、真坂は何か神の啓示があったように、真菜から何か良い情報を得られるような気がして、咳き込むように言った。
真菜も真坂の真剣な言葉に驚いて、
「はい、分かりました。お待ちしていますが、店の名前と住所はいいですか?」と、訊いた。
「えぇ、確か真菜さんの名刺が・・・、あっつ、ありました。では、これから直ぐに会社を出ますので」と、電話を切った。

静岡に停車する新幹線ひかりの一般席は満員でグリーン車にようやく乗れた。走り出してから、車内販売のビールを求め、一口啜ってようやく落ち着いたが、その時に最初に頭に浮かんだことは『何と、俺は馬鹿なことをしているんだろう。静岡まで行ってもどうせ真菜から何も良い情報なんて聞けないのは分かっている。ただ、俺は一緒に寝たかもしれない真菜に会いたいだけなのだ。全く何をしているんだろう』という自戒の念であった。真坂はそれでも時間の流れに身を任せるしかないと思い、リクライニングで背を半分ほど倒したシートに体を預けて少しばかり苦く感じるビールを飲んだ。

真菜の勤めている高級クラブ“緑”に着いたのは8時半を回ったところである。店に着くと待ち構えていたように真菜が、
「先日は大変失礼しました。また、今日は良い情報か分からないのに呼び出した格好になってごめんなさい」と、頭を下げながら真坂の手を取って奥まった席に案内した。
「ねぇ、真坂様は意外とお酒に弱いのね、本当にこの店を出てから覚えていらっしゃらないのですか?」と、真菜は注文されたウィスキーの水割りを要領よくマドラーで混ぜながら訊いた。
「いやぁ、恥ずかしいけれど何かあの日は悪いゲームをした為か、酔いが早くてね、本当に全く覚えていないんだよ。何を真菜さんにしたか記憶が無いので、もし、失礼なことをしていたのなら謝るよ」
「違うのよ。何もできないほどにお酔いになっていたのよ。それで、夜中に何かあるといけないと思って、私もソファで寝ることにしたの」と、真菜もグラスに口をつけた後で、少しばかり口をとがらして言った。
「そうなのか、いやぁ、絶対何かで穴埋めするからね、悪かったね、看病までさせて」と、真坂は真菜の手を強く握って言った。
「そんな事いいのよ、でも、あの日、真坂様がジャンケンで負けてブラジャーを取らせそうになった私を庇ってあの原子爆弾を飲んだからだわ」と、言ったので真坂も少し思い出したのは真菜のブラジャーと下着姿である。確か、赤いばらの刺繍があるブラジャーと真っ黒な下着をしていたことを微かに思い出していた。
「それで、真坂様、あのヘムスですが、そのお話をしていいですか」
「うん、そうそう、それが今日来た理由だったね、つい、あの夜の事を思い出していたのでね」
「いやね、変な事を連想していたのでしょ」と、真菜は真坂の太股を抓った。
「それも本当だよ。しかし、今はヘムスだね。誰が、何を話していたんだって?」
「確か、東京帝国医科大学の角田准教授と名刺に書いてあるわ、お渡しはできませんけれどね」と、真菜は名刺を真坂に見せながら言った。
「そうだね、あれっつ、この方は最先端介護システム研究科と書いてあるね、どうして、この方がヘムスに関係あるのだろうね」
「こちらに研究所のあるアカタロボット研究所の方とご一緒でね、一生懸命にヘムスケアがどうしたとか、ロボットにはどこまでヘムスケアを任せることができるのだろうとか、お話されていたのよ」と、真菜は真剣な顔をして思い出しながら話した。
それを聴いていて、真坂はつい噴き出してしまった。
「ごめん、ごめん、笑ってしまってね、真菜さん、それはヘムスでなく、ヘルスケアだよ」
それを聴いて、真菜はしょげかえっていた。
「えっっ、そうなの、真坂様のご担当されているヘムスと違うの、ごめーん。本当にごめんなさい」
「いいんだよ、僕は真菜さんに会いたくて来たのであって、情報を当てにはしていないよ。そうだろ、僕やスタッフがあれだけ頑張っても見つける事の出来ないF難度やG難度のネタがそんなに簡単に転がっているわけが無いんだよ。さぁ、今日は介護を必要とするほど飲み過ぎないようにするから朝まで一緒に遊ぼう」と、真坂は真菜の肩を抱いて優しく言ったので、真菜も、
「真坂さんは優しいんだから、嬉しいわ。よーし、私も楽しい夜を過ごすわ」と、グラスを目の高さまで持ちあげて、乾杯の仕草をした。

翌日、開発スタッフとのミーテイングで各自からF難度、G難度のアイデアが披歴されたが、これといって良いアイデアが無く、スタッフの長である柏木部長から、
「ところで真坂本部長、大学関係者には何か情報は無いのでしょうか?」と、質問された時、真坂にとってその質問は『交際費をたくさん使ってもまだ情報を得られないのか?』という副社長の言葉のように響いていた。
「うん、無いことは無いのだけどね、例えば、・・・」
真坂は全員の視線が自分に注がれているのを感じて何か言わないといけないと思ったが、咄嗟には出ず、2,3秒間腕組みをして天井を仰ぎながらいた。
「例えば、東京帝国大学の角田准教授は先端介護システムの開発をされているのだけどね、僕は介護ロボットの制御をHEMSで一緒にやることが面白と思っているのだけれど、どうだろうか?」と、自分でも分からないが自然に口から文章がすらすらと出てきた。
「介護ロボットの制御か、それは高齢化を迎えた日本社会では絶対に必要ですし、ロボットなら我が社のロボット事業部の協力も得られますね。凄い発想ですね」と、真っ先に柏木が発言した。
「君もそう思うかね。そうなんだよ、、そのアイデアに付け加えたいのが、ロボットとの会話システムでね、独りになった老人は話す相手がいないだろう、だから、そのロボットが伴侶のように介護もするし、会話の相手になってやれば良いと思っているのだよ」
「へえっっ、本部長は発想が豊かですね、それならG難度に行きますよ」と柏木。
「よし、それではこれは秘密厳守事項として“ヘルスケア”作戦と名前をつけよう。一つのグループは介護ロボットがこれからどこまで高機能を持つかを整理してくれたまえ。そして、もう一つのグループは学習機能を持たせたソフトの開発状況について調べてくれたまえ。そして、柏木君、君には次の副社長との定例ミーティングに合わせてプレゼン資料を整理してくれたまえ」と、急に元気を取り戻した真坂はテキパキと指示を出した。そして、呟いた。『ヘルスケアも役に立ったじゃないか?人間、何にでも興味を持つものだな』
と。

爽やかな空気が流れる居間で、真坂は声をあげた。
「おーい、真菜ちゃん、新聞を持ってきてくれないかなぁ、そして、珈琲をもう一杯ね」すると、アシモ型のロボットが、静かに歩いてきて、
「はい、康夫様、新聞とコーヒーですね。先ほどの珈琲は如何でしたか?」と質問した。その声は静岡の真菜の声で、真坂が真菜に了解を得て発声データを取り込んだ成果である。
「そうだね、あの珈琲豆はフレンチローストだから、少し豆の分量を減らした方がいいね、そして砂糖を小さじ4分の1ほど加えてね」
「分かりましたわ。それで、今日の予定ですが、午後にレストラン櫟で静岡の真菜さんと会食となっていますが、ご予定はそれで変更ありませんか?」と、ロボット。
「ねぇ、あの店は何が美味しいと言ったかね?」
「康夫様は、前にいらっしゃった時に鴨のテリーヌはまあまあだけれど、鴨のジュボア風ソテーは絶品とおっしゃっていましたが」
「ああ、そうだったね、君は良く覚えているね」
「康夫様、私はロボットですから、電気系統に故障がないかぎり全ての記憶は2重に記録されていますので、ご安心ください」
「あぁ、そうだ、君はロボットだね、ついつい、僕の伴侶かと思ってしまうよ。文句や小言を一つも言わないから気分がのんびりするよ」
「有難うございます。文句や小言を言うという機能はプログラミングされていません」
「じゃぁ、先ず珈琲と新聞を頼む」と、真坂はロボットの真菜に作業を依頼した。

HEMS開発チームが最後に整理したF難度、G難度の仕様は以下の通りである。
F難度として、家庭電化製品の制御以外の時間帯に家事と介護をプログラム通りに制御する機能を盛り込む。年寄にもプログラム変更が可能なように絵文字で家事と介護作業を示し、時間を入力するだけにする。
G難度として、学習可能な会話ソフトを入れ、更に音声は自分の好きな人の音声波形を取りこむことが出来るようにする。
このF難度、G難度の仕様は実体化するには時間と費用がそれなりに必要としたが、発表されると一大センセーションを巻き起こし、おかげで㈱大洋電機の株式も連日ストップ高をつけた。
真坂はこの開発の功績によりシニアフェローとなり、定年になるまで秘書付きの部屋を与えられた。技術者としては言う事のない社会人生活であったと真坂は思っている。そして、退職金で新築したのがこの櫟の葉地区のスマートハウスである。残念なことに2年前に妻が乳がんで亡くなり、今はロボットの真菜を相手に気楽な、そしてスマートな生活を楽しんでおり、大学の仲間からも羨ましがられている。康夫も亡き妻には申し訳ないと思っているが、その後も付き合っている生身の真菜とロボットの真菜を上手に使い分けしていて、何の不自由も無い生活であった。

1ヶ月後の6月10日は亡き妻の3周忌であり、多摩墓苑に求めた墓への墓参りを予定していた。
「康夫様、今日は奥様の命日でしたね。墓参りはご予定されていますが、どうされますか?」と、真菜ロボットがいつもの無表情な顔で尋ねてきた。
「勿論、行くつもりだよ。そして、帰りに静岡から出てくる真菜と銀座で食事をして泊まるかもしれないね」
「分かりました。でも、奥さまのご命日に真菜様と会うなんて、如何でしょうか?」
「おい、真菜ちゃん、どうしたんだよ、君は。僕の言う事に文句をつけるのかね?」と、康夫は『ロボット真菜は絶対服従するようプログラミングされているのに、何を言っているんだ』と思いながら言った。
「いいえ、決して会うなとは申しておりません。『如何でしょうか』と考える機会を与えているのです」
「おい、おい、俺の行動に文句を言うなと言ったろう。どうかしているよ、お前は」
「やはり、いけない事はいけないと言うべきだと思って言いましたわ」
「どこが、どういけないんだ、ロボットの癖に全く分かっていないな」
「あの、申し訳ありませんが、ロボットも学習しますので、物事の良し、悪しは分かっています」
「話にならん。スイッチを切るぞ」
「えぇ、どうぞ、康夫様は私がいなくて困るのではありませんか?」
「何も、ロボットがいなくても自分で全てを出来るさ。よし、見ていろ」
「どうぞ、好きなようにしてください。私もゆっくりと休めますから」
康夫は、『この野郎、電気がなければお前のその憎まれ口は何の役にも立たないんだぞ』と、壁際のHEMS制御装置のロボット制御スイッチをOFFにした。すると、ロボットは静かに隣の部屋の隅にある自動充電装置まで動いていき、そこで活動を停止した。その顔を見て、康夫ははっと思った。無表情であったはずのロボットの真菜の顔が何と亡くなった妻の顔にそっくりなのである。
康夫は驚いて、腰を抜かさんばかりであったが、何かの気の迷いだと気を取り直して、予定通りに出かける準備をすることにした。その時、少し、気になることがあり、大洋電機の今は技術本部長に昇進している柏木に電話をかけた。
「やぁ、久しぶりだね、どう、会社の方は」
「あぁ、真坂様ご無沙汰しております。お変わりはありませんか?櫟の葉地区のSmart  Cityにご新居を作られてからもう、7年経つのですね」
「うん、何とか元気だよ。例の弊社のSmart HEMSがちゃんと機能していてね、ロボットが全ての家事をしてくれるし、色々と話相手になってくれるのでね」
「そうでしたね、そうだ、奥さまがご逝去されて確か今日は3周忌でしたね。ロボットがその寂しさを紛らわせてくるなんて、何とスマートな生活を楽しんでおられることでしょうか、羨ましい限りです」
「うん、お陰でね、それで、今日電話したのは、実は、昨日まで従順この上ないロボットがね、今朝から急に文句や小言を言いだすんだよ。確か、内の会社のソフトではそのようなプログラムはしていなかったと思うのだけれどね」
「えぇ、標準仕様では確かにそうです。ちょっと待ってください。そう、思い出しました、真坂様の仕様は特注されています」
「おい、俺は何もそのような事を頼んでいないよ」
「はい、これは亡くなられた奥様からの依頼でして、私も詳しくは承知していないのですが、亡くなられる半年位前でしたか、2日ほど会社の方にお見えになってプログラム担当者に色々と特注プログラムの指示を出しておられましたよ。何でも真坂様を驚かせるのだとおっしゃって」
「まさか、妻が!」
「そう、確か3周忌の日にソフトが奥様仕様に自動的にバージョンアップされるようにしたと記憶しています。やはり、奥様がなつかしいでしょう。いい、奥様ですね」と、柏木は自慢気に言った。

スマートな生活

根が技術屋なためか、理屈っぽくなった(解析的)になったような気がする。そのために、小説としての面白みが欠けたことを危惧している。

スマートな生活

技術系企業を退職した康夫は、妻を亡くした後、自分が開発の責任者であったロボットを相手に悠々自適な”スマート”な生活を送っている。このロボットは康夫の意思を理解し、痒いところに手が届く理想的なロボットである。しかし、ある日突然そのロボットが康夫の行動に異を唱えた。それは何故か?

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-10

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