ルーナ外伝
著者より
『ルーナ外伝』幼少期編、完結とあいなりました。
ひき続き、同書で青年期編も書いて行くつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。
また、本書で登場人物達が行動する世界はイタリアとなっておりますが。
時代背景、歴史問題、その他記述に関してはフィクションです。
おかしな点も多々あるとは思いますが、理解ください。
本書はPDF縦書き、いわゆる小説冊子と同様に読んでいただく事を前提として記載しております。
横書きで読まれる場合は、間隔等ありませんので読みづらいと思いますが、了承お願いいたします。
序章 出会い
イタリア北部のとある街を、彼女は歩いていた。
ほんの何年か前に訪れた際、酒場で酔いつぶれてしまい、団員に迷惑をかけたことが記憶に新しい。
また顔を出す、なんて言ったまま暫く訪れて居なかったと、そう思いながら、彼女は辺りを見回した。
彼女の覚えている風景は全くと言って良い程残っては居なかった。
煤けた家屋、充満する煙のにおい、おびただしいまでの血痕、そして見知った顔も中には有った、死体の山。
ここ最近、この方面で内紛が激化していた事は聞いていた。
出来ればすぐにでも様子を見に来たかったが、先に依頼されていた仕事が思っていたよりも長引いてしまい、いまこうして訪れている。
仕事を途中で放り出してでも来ればよかった、と後悔の念を抱きながらも、少しでも多くの情報を聞き出すため、彼女は生き残りが居る事を願い、辺りを散策し始めた。
しばらく歩いていると、懐かしい酒場の看板が、すっかり煤けてしまっているのが目に留まる。
無駄だろうとは思いながらも、彼女は酒場のドアを開けて中に入った。来客を知らせるベルが変形してしまっているのか、歪な音をたてたあと、ドアが閉まる。
窓から差し込んだ日光が、かろうじて店内を照らしてくれた。
やはり人の姿は見当たらず、それどころか、酒場の棚に置かれていた数々の酒類が綺麗なまでに無くなっている事に気がついた。
おおよそ予想はしていたが、戦場と化してしまったこの街で、多くの人々を殺しておきながら、自らの喉を潤すために、ここに有った酒類を持っていったのであろう。
目を閉じ、カウンターへ向かい頭を下げて、飲み仲間達を弔い、彼女は踵を返して出口へと歩もうとした。
だがしかし、彼女が振り返った瞬間に、ガタンという大きな音が店の奥から聞こえた為に、彼女の脚は店を出ることなく、店の奥へと方向を変えた。
記憶が正しければ、店の奥は店主が酔いつぶれた客を寝かせる為に開けてあるベッドルームで、私もそこで寝たものだと懐かしさを覚えながらも、足音を立てないよう、ドアへと近づいて行く。
酔いつぶれて眠らされていた客人が、運よく生き残っていたのだろうか、それとも、ここの酒類を持って行った奴らが、寝床として使っているのだろうか。
後者であれば、武器を持っている可能性が極めて高い為、彼女も自らの腰に携えた長剣を握り、勢いよくドアを開けた。
しかしながら、そこに人の姿は無く、静寂な空気だけがその部屋に存在していた。
ネズミかなにかが物を落としたのだろうかと思いながらも、彼女は気を緩めることなく、その小さな部屋を物色する。
すると、ある異変に気がつく。客人の衣服をかける為に設置されているクローゼットの下から、何か布のようなものが見えているのだ。
いぶかしげに顔をかしげ、彼女は勢いよくクローゼットの戸を開き、後ろに飛びのいた。もし武器を持った何者かが虚を突く為に隠れていた場合、刺されかねないからだ。
剣を前に構え、クローゼットの住人の方へ視線を向け、目を見開いた。
そこに居たのは、酒場を荒らした者ではなく、ピンクの髪色の薄汚れた衣服をまとった、小刻みに震える少女だった。
彼女はあっけにとられ数秒固まった後、剣をおさめて少女に近づく。
「君は、この街の人だろうか…あぁ、心配しなくても良い、危害を加えるつもりは、これっぽっちも有りはしない。」
そう告げて、目の前の少女に手を伸ばすと、少女は顔をじっと見つめ、しばらくしてから彼女に飛びついて来た。
突如の行為に目を見開き、飛びつかれた衝撃で数歩たたらを踏んだ後、彼女は優しく微笑みながら、少女の頭を撫でてあげる事にした。
耳のすぐ近くで、少女の嗚咽が聞こえる。どういった経緯でここに隠れていたのかはわからないが、街をこのような惨状に変えた者が、隣の部屋を闊歩していたことを思うと、余程怖かったのだろう。
随分な時間、少女の頭を撫でていたが今は落ち着いたのか、床に座り込み、潤んだ瞳で申し訳なさそうにこちらを見上げている。
「落ち着いただろうか?私はリリーナ、リリーナ・ミリアルドだ。」
黙っていても仕方が無いので、彼女はとりあえず自らの名を名乗る事にした。すると少女も小さな声ではあるが、自らの名を口に出した。
「ルーナ、ルーナ・アルスターです…。」
リリーナは、ルーナに優しく微笑みながら、敵意は無いと再度示す為に、手を差し伸べて握手を促す。
ルーナは、弱々しくでは有ったが、その手を確かに握り返し、眉の下がった笑顔ではあったが確かに微笑み返してくれた。
お互いを知ったところで、リリーナは詳細を聞きだそうと、口を開いた。
だがリリーナが第一声を発しようとした直後、安堵したのであろうか、ルーナのお腹が鳴る音がして、思わずクスリと笑ってしまう。
ルーナは頬を染め、ぎゅっと衣服を握り、俯いてしまう。
「あぁ、いや、すまないな……ほら、これを食べると良い。携帯食だが、腹の足しにはなるだろう。急に食べ物を食べると胃が驚いてしまう、水を飲んでゆっくり食べると良い。」
そう言ってリリーナは、自分のウエストポーチから小さなパンと、干し肉、水の入ったウィスキーボトルをルーナに差し出す。
ルーナはおどおどしながらも、それらを受け取り「ありがとうございます。」と述べてから、言われた通り、水を飲んだ後で少しずつパンを口に運んだ。
このような状況下におかれても、礼節をわきまえているのに感心しながら、リリーナは窓から紅に染まる空を見上げていた。
第一章 騎士団
結局、昨日は食事を終えたルーナに話を聞くことはせず、久しぶりであろうベッドに彼女を寝かしつけ、万一の襲撃に備え、剣を片手に仮眠をとった。
太陽の暖かさを感じ、目を開けると、安心しきった顔でルーナがベッドで眠っていた。
もしも自分に娘が居たのなら、このような感じなのだろうかと、そんな事を想いながら、優しくルーナの頭を撫でる。
するとルーナがうっすらと目を開けて、小さな声でおはようございますと言ってきた。
「すまない、起こしてしまったか?」
「いえ、大丈夫です…気になさらないでください。」
しばらくの静寂の後、リリーナは口を開き、昨日聞きそびれた事をもう一度問い直した。
「ルーナ、君の知る限りでいい、ここでなにがあったか、辛いだろうが教えてはくれないか。」
ルーナは、少しの間、俯いて小さく震えていたが、意を決したようにリリーナの方を向くと、知る限りすべてを教えてくれた。
ルーナはここに父親と来て、店主と他愛のない話をするのをとても楽しんでおり、3日前も、いつもと同じように、父親とこの店を訪れていた。
内紛の話は聞いてはいたが、この街自体はその地域からは少し離れていた為に、あまり警戒はしていなかったようだ。
事実、内紛の地域からこの街が近かったのであれば、リリーナも先の仕事を別の人間に任せ、見に来ていたはずだ。
しかしながら、天の悪戯は残酷なもので、内紛を行っていた地域の人間が突如としてこの街に攻め込んで来たのだと言う。
おそらくは敗走したのであろうその軍団は、食料や、人員供給の為にこの街を襲ったのだ。
ルーナは店主が咄嗟にこの部屋に押し込んでくれたおかげで、何とか今日まで生き延びてこられたと言うわけだった。
「よく我慢したな、よく生きていてくれたな…。」
そう言って小さく震えるルーナを優しく包み込み、背を撫でながら、どうしたものかと考え込む。
この街へは先の仕事が終わってすぐに、馬一頭で駆け付けていた。
話を聞く限りでは、生き残っている人は居ない可能性の方が遥かに高い、仮に数人生き残っていたとして、近場の街までであればなんとか辿り着けるだろうが、この街を襲った軍団が居ないとも限らない街に行くのは得策ではない。そして、自身が団長を務める騎士団のキャンプ地までは、健康体ならともかく、飢えている人たちが徒歩で辿り着けるような距離では、到底ない。
リリーナはルーナを抱擁したまま、暫くのあいだ思考した。
馬を使えば、キャンプ地までは1日程で辿り着ける、往復で2日だ。
ここで生き残っている人を探し出し、徒歩でキャンプ地まで向かった場合、軽く4倍はかかるだろう。食料の備蓄はあまり無い。
苦渋の決断ではあるが、一度キャンプ地へと戻り、騎士団の仲間を引き連れてもう一度ここへ来た方が希望は多い。
考えをまとめると、この街を出る事をルーナに説明した。彼女は少し迷いながらも、ぎゅっと自らの衣服を握り、小さく頷いてくれた。
「では、早速キャンプ地へと戻ろう。ルーナ、目を瞑って、私の手を握ってくれるか?私が良いと言うまで、開けないで欲しい。」
これ以上、この子に恐怖を与えてはいけないと、そう思っての事だった。
ここの酒場に至るまで、多くの死体を見てきた、中には臓器が飛び出している死体も、あった。
常人ならば、見ただけで吐き気を催す光景が広がっている、それも、この街で育った彼女には自身以上に見知った顔が多いだろう、尚の事、辛いに決まっている。
じっとルーナを見つめていると、意図を汲んだのか、ありがとうございますと言って、ルーナは手を差し出した。
――駆ける事1日、途中で休憩や仮眠を取った為、キャンプ地へとたどり着いたのは翌日の昼を少し回った程だった。
道中、リリーナから聞いた話では、騎士団と名乗っては居るが、従えるべき君主は居らず、その場その時で、守るべきものを護る為に活動する、どちらかといえば傭兵のような位置づけに近いらしい。そのため、敵対勢力などから恨みを買うことも少なくは無く、同じ場所に拠点を置いて活動していた場合、襲撃される懸念があるために各地を転々として活動をしているという事だった。
静かな森の中にあったキャンプ地は、ルーナが想像していたよりも立派で、テントがぽつんと設置されているわけではなく、コテージのような小さな建物と大きめのテントがあり、近くには小さくはあるが湖もあった為、誰かがここで住み込んでいると言われても何ら不思議はないように思えた。
リリーナは馬から降りて、手頃な木に手綱を結びつけるとテントへと少し速足で向かって行った。ルーナも後を追ってテントへと向かう。
「いま帰った、早速で悪いが、皆集まってくれ!話がある。」
テントの入り口をかき分けて中に入るなり、リリーナは通る声で言い放った。
団長の帰りを喜ぶ声や、なにかあったのだろうかとざわめく声が聞こえる。
ルーナがテントの入り口でおどおどとしていると、リリーナがテントから手を出して手招きをしている。入って来いという事なのだろう。
中に入ると、筋骨隆々とした青年がテーブルで飲み物を飲んでいたり、バンダナを巻いた女性がリリーナに抱きついていたり、他にもたくさんの顔がそこにはあった。寝る為のテントと言うよりは酒場のような憩いの場に近く、数卓のテーブルと椅子が並んでいた。
ルーナはきょろきょろ辺りを見渡しながら、リリーナの隣へ並ぶように立った。すると、彼女に抱きついていた女性がこちらに気付き、ルーナの前に立つと、手を組んで目を爛々と光らせた。
「やだ団長!なんですかこの可愛い子は!!こんなに汚れて勿体無い!」
「ちゃんと紹介する。良いから今は座るんだ、フレイ。」
フレイと呼ばれた女性は、はーい、と返事をして近場のテーブルに頬杖をつく。
「さて、話と言うのは、私が仕事終わりに向かった街の事だ。」
リリーナは自分が目にした光景や、ルーナから聞いた話、そして皆にどうして欲しいかを要領よく説明した。
出発は明日の朝、散策班3人と救援物資輸送班2人の合計5人で、あの街へと向かうようだ。
一通りの説明を終えると、リリーナはルーナの背中に手を回し、一歩前へと歩ませる。
「この子が、話にあったルーナだ。一時的な保護の為に連れてきたが、皆、優しくしてやってくれ。」
言葉に続くようにルーナが目を瞑り頭を下げると、フレイが片手をあげて立ち上がる。
どうした?と短くリリーナが問うと、彼女は元気よく「一緒にお風呂に入って来ても良いでしょうか!」と言うのであった。
第二章 奪われたもの
コテージに備え付けられた浴室で、フレイは丁寧にルーナの桃色の髪を洗ってくれていた。洗髪剤の花の香りが浴室に広がり、鼻腔をくすぐる。
身体を洗い流して、とぷんと浴槽に浸かる。久しぶりの湯は、緊張で固まったルーナの身体を芯からほぐして行く。
「あ、そう言えば紹介まだだったよね!私はフレイ・マリアベル、団長と同じ街で育ってずっと一緒にすごしてるんだ!でも団長も隅に置けないなぁー、こんな可愛らしい子を連れてくるなんて、髪はすべすべで綺麗な色だし、お姉さんが見たところ発育も良さそうだね!うん、合格点だよーっ。」
ルーナは頬を染めて、咄嗟に胸を両手で隠す。なにが合格点なのだろうかと思いながらも、精一杯の笑顔でフレイに微笑み返した。
フレイが持ってきてくれた衣服に身を包み、テントに戻ると、肉の焼ける音と香ばしい匂いが充満していた。どうやら昼食を用意してくれているらしく、軽鎧から着替えたリリーナがテーブルに食器を並べて居るところだった。ルーナもあわてて手伝おうとするが、「君は客人だ、座ってくれていて構わない」とリリーナに宥められ、肩を小さくして席についた。
しばらくすると、ルーナの前にカボチャのポタージュと、肉とトマトとチーズが挟まれたフォカッチャが出てきた。
リリーナの方を見ると、微笑んで頷いていた。いただきますと言ってからフォカッチャを口に運ぶ。咀嚼した瞬間に、焼き立ての肉から肉汁が溢れだし、後を追うようにトマトの酸味とハーブのさわやかな香りが口いっぱいに広がり、思わず表情筋が緩んでしまう。
フレイが隣で団長の手作りメニューは騎士団の中でも絶品だからね!と自慢げに語っている。確かに今まで口にしてきた食べ物の中でもかなり美味しい。ポタージュをスプーンですくい上げ、口に含むとカボチャ特有の甘味が広がる。空腹も相まってなんとも言えない幸せな気分にしてくれる。
リリーナは、幸せそうに食事をするルーナを見て、優しく微笑み自分の判断が間違ってはいなかった事に胸を撫で下ろした。
あの街の惨状を目にしていたならば、この子はきっとこのような顔をしながら食事をすることもままならなかっただろう。
その日は、ルーナの寝床の確保や、翌日の探索についての会議をして、眠りについた。
――翌日、窓から差し込む日光と鳥の囀りに目を覚ます。不意に隣のベッドを見ると、ルーナが幸せそうな顔でフレイに抱き付いて眠っている。確かに彼女たちのベットは隣ではあったが、何故だろうか。
リリーナが身を起こし、髪を結い上げているとフレイが小さく唸っている、どうやら目を覚ましたようで「はっ!どうして私はルーナちゃんに抱かれているの!?やだ大胆!」などと言っている、彼女は彼女で幸せそうだ。
時を程なくして、ルーナも目を覚ました。眼前でにこにことしているフレイと自分が彼女に抱きついている事を把握したのか、あわててベッドから飛び起きて、ぺこぺこと頭を下げ始めるが、もっと抱きついていてもよかったんだよー?と微笑みながら言うフレイにつられて彼女も笑顔になった。
顔を洗ってコテージから出ると、青い髪をした青年が汗を流しながら長剣を振っていた。リリーナは何を思ったのか、徐にコテージの傍においてあった薪を拾い上げて青年に向かって投擲した。ルーナがハッとして声を発しようとしていた時には、既に彼は動き出していた。
自らに向かって飛翔する薪を正面に捉え、長剣を振り下ろす。吸いこまれるかのように長剣へと向かった薪は、パカンッという乾いた音をたてて綺麗に割れると青年の左右にぽとりと落ちた。
「精が出るな、ライアン。さすがは騎士団の将来有望児だ。」
「おはようございます。団長に比べれば、俺の剣なんてまだまだですがそう言ってもらえると自信は付きます。」
青年は剣を地面に突き立て、腕で汗を拭い、照れくさそうに頭の後ろを掻く。
リリーナは青年に微笑み返すと、テントへと歩いて行った。ルーナもライアンと呼ばれた青年に会釈をして、テントをくぐる。テントの中には嗅ぎ慣れた香りが広がっていた、それが朝食に使われているアプリコットジャムの香りだとすぐに気がつく。
ルーナはフレイに手を取られ、席につくとチャバタを手渡された。スプーンでアプリコットジャムを掬う、どうやら手作りのようでトロリとしたジャムの中に刻まれたアプリコットが入っている。チャバタにのせて、一口かじる。もちもちとした食感と、砂糖漬けにされたアプリコットの柔らかな食感が楽しい。
食事を終えると、リリーナ達は装備を身につけて、散策の為の準備をする。
散策班の構成はリリーナとライアンと逞しい身体つきをした男性、リリーナに名を訪ねるとアーヴィンと言う名らしい。ルーナが会釈をすると、こちらを一瞥してテントの外へと出て行ってしまった。
救援物資輸送班は、フレイとケヴィンと言う名のメガネをかけた男性。目が合うと微笑んでこちらに手を振ってくれたので、こちらも振り返す。
散策班は街の左の区域、中央の区域、右の区域に別れて生存者の捜索を行い、救援物資輸送班は、生存者の手当てと、食糧の配給、生存者をキャンプ地まで乗せる役割を目的としている。
リリーナ達は食糧の詰め込まれた木箱や、医療道具の入った木箱を荷馬車に積み込んでいる。準備が整い次第、すぐにでも出発するだろう。
おそらくルーナはこのキャンプ地に残る事になるだろう。散策とはいえ危険が伴っているあの地域に行くよりは、キャンプ地でおとなしく待っている方が身の安全は確保出来るからだ。それを承知の上でルーナはフレイの近くに駆け寄り、声をかけた。
「どうしたのルーナちゃん?あ、そうかぁ…私と離れちゃうのが嫌なんだね!」
親切にしてくれた彼女には確かに感謝もしているし、嫌いではない為、否定は出来ない。首を横に振るわけにもいかないので困る。だが、ルーナはフレイの顔をしっかりと見て、はっきりと口に出す。
「私も、連れて行って下さい。」
フレイは一瞬驚いたような顔をしたが、その表情はすぐに微笑みへと変わった。ちょっと待っててね、と言うと彼女はリリーナの元へと駆けて行く。
リリーナはフレイからその事を聞いて、少し考え込む。あの街はまだ安全とは言えないし、何よりも大量の死体がそのまま放置されている。まだ年端もいかないルーナにあの惨状は見せるべきではないだろう。それに、もしもルーナを連れて行って襲撃があった場合、彼女を守れる保証は高くは無い。彼女の意思は尊重したいところではあるが、どう考えてもリスクの方が高い。連れていくべきではないだろう。おそらく彼女もそれは理解している、だからこそこうしてフレイを頼ったのだろう。リリーナはすこし困った顔をしながらルーナの元へ歩いていく。
「ルーナ……君はここに居たほうが安全だ、それは分かっているな?」
こくんと彼女は頷くが、しかし諦めるつもりは無いらしく、しっかりとこちらの瞳を見つめ返している。
どう説得したものかと悩んでいると、軽鎧を装備したフレイがこちらに歩いてくるのが見えた。彼女は輸送班だ、万一の場合を考えて短剣を持つようには言っていたが、今の彼女の装備は軽鎧とブロードソードだった。少し間をおいて、彼女の意図を把握する。
リリーナが何かを言うより早く、フレイはしっかりとした口調でリリーナに言い放つ。
「団長、私だってこの騎士団の一員の騎士だよ、大丈夫、私がこの子に触れさせはしない。それに、見たでしょ?この子の目。」
フレイはじっとリリーナを見つめたあと、軽鎧に刻まれた天秤の紋章をこつんと小突いた。
「ルーナが居たほうが、生存者も我々を味方だと理解しやすいだろう、行くぞ。」
それを見たリリーナは、振り向きざまにそう告げて、自分の馬の方へと歩いて行った。
隣を見ると、フレイがにひひと笑ってピースをしている、ルーナも同じようにピースをして、荷馬車に乗った。
――キャンプ地を出て随分と時間がたった、ガタゴトと揺れる荷馬車でフレイから色々と聞いた。
リリーナがたった一人で敵地に赴いた時の武勇伝、幼い時の彼女の話、他の団員について、普段の仕事のことなど、どれも退屈はしない話で、時間の流れはとても早く過ぎて行った。
ケヴィンとフレイが手綱を握り変える際に、幌から顔を出して辺りを見渡した。森の中を走っているらしく、鬱蒼と茂る木々から洩れる日光が心地良い。街の周囲の光景しか見た事の無かったルーナが、その景色に目を輝かせていると、ケヴィンがとんとん、と肩に触れる。
何だろうかと思い振り返ると、1冊の本を手に持っていることに気がつく。
その本を受け取りパラパラとめくると、とても綺麗な風景が映されていた。ケヴィンが海と呼ぶそれは、見える限り一面が水で満たされていて、青にも緑にも見える不思議な輝きを放っていた。
ルーナはページをめくるたび、嬉しそうに表情をほころばせ、自分の知らない事があればケヴィンに尋ねて、また本に目を移し、時間を潰した。
しばらくすると、荷馬車が止まった。幌の中にフレイが入って来て馬車から下りるように促す。どうやら今日はこのあたりで夜を過ごすらしい。馬車から下りると、ずっと荷馬車に揺られていたせいか、少しふらふらとする感覚があった。
フレイたちがテントを張っている間、ルーナは焚火に当たっていた。暖を取る目的ももちろんあるが、日中ならばともかく、夜間となると森の中には危険な生物も徘徊しているらしく、こうして火を焚く事でそういった獣を近づけないようにしているらしい。
リリーナはその焚火を使って器用に肉を焼いている。ルーナも小さな肉片を貰って試してみたが、表面があっという間に真っ黒になってしまい、申し訳なさそうな顔になる。リリーナはそんなルーナから肉を受け取り、焦げ付いた部分をナイフでそぎ落として、こうすれば大丈夫だと笑ってくれた。
翌日、早朝に馬を駆けさせて街へと向かった為、昼を回る頃には目的にに到着していた。
手綱を街の入り口にくくりつけると予定通りに散策班は3方向へと散るよう、リリーナは指示を出し、ルーナには絶対に幌から顔を出さないようにと念を押してから街の中へと歩いて行く。
予想通りと言うべきなのだろうか、火の手はすっかりとおさまっていたが、変わりというように噎せ返るような腐臭が鼻をつく。こんなところにルーナを長居させるべきではないと思いながら、足早に街を散策した。
空が紅に染まる頃には散策は終了し、街の入り口で団員と落ち合う。結果から言えば、生存者は居なかった。本当に運よく、ルーナは生き残ったのだ。予想していた事とはいえ、現状をルーナに伝えなくてはいけないのかと思うと、胸が痛んだ。
しかしながら、ルーナを除く、この街に居たすべての人間が死んだわけではないだろう。殺されてしまった人たちは、何らかの抵抗をしたが為に殺されたのであろう。おそらくではあるが姿を消した人たちは、労働力として酷使されるか、商品として扱われているだろう。どちらにせよ、人間として扱われていないことは腹立たしいが、生きているならば自分たちがこの街を襲った軍団を壊滅させればあるいは助かるかもしれない。
そんな事を説明したところで、ほんの気休めにしかならないなと思い、リリーナはくっと唇を噛んで、幌の中に入った。
ルーナも、この数時間、幌の中に誰も入って来なかったという現状から理解をしていたのか、その報告をただ黙って聞いていた。しかし、理解していようともこの現実はあまりにも残酷で、ルーナの瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
第三章 手に入れたもの
キャンプへ向かう荷馬車の中、フレイの膝の上でルーナは寝息をたてていた。彼女の頬には、乾いた涙の跡が残っている。
覚悟はあっただろうが、年端もいかない少女が理不尽な力の前に、急に家族や友人を失ってしまったのだ。その心の傷は、想像に難くない。
私ならきっと、生きている事を後悔するだろうと、そう思いながら、フレイは優しく髪を撫でた。
しばらくしてルーナは目を覚ました。馬車に揺られているあの間隔はせず、顔を上げるとフレイがうつらうつらと船を漕いでいる。起き上がって幌から顔を出すと、皆が焚火の前に座り込んでいた。
リリーナは、ぱちぱちと音を立てる薪を見つめて考え事をしていた。ルーナのこれからについてだ。
一旦は騎士団にて保護すると言う形で連れ帰ったものの、親族も友人も、知人さえも失った彼女はこれからどう過ごして行くのか。
それはルーナ個人が決める事ではあるのだが、保護した身としては、これからの事を考えておくべきでもあろう。
一番最初に思い浮かんだのは、このまま騎士団で保護するという方法だ。
フレイはルーナの事を実の妹のように可愛がってやるだろうという確信はあるし、騎士団の面々も様々な事情で集まっているのだから、皆優しくしてくれるだろうという思いはある。
だがしかし、自分たちは戦地に赴く事も少なくは無い身だ。キャンプ地を設けて戦地に出て行く事になるのだが、大規模な戦闘となればなるほど、キャンプ地の護りは薄くなり、万一の事があった際はどうしようもないだろう。
事実、これまで長く騎士団を続けてきた中で、敵にキャンプ地を襲撃された事もあるのだ。自分たちと居る事で、安全ではあるだろうが、それと同時に常に危険が付きまとう事になる。
次に思い浮かんだのは、どこかの街の孤児院に入れるという方法だった。
多少貧しい生活にはなってしまうだろうが、ルーナは礼節はきちんとしている為、おそらく問題は無いだろう。
だが慈善活動として孤児院を設けている街は非常に稀で、ルーナを孤児院に入れると同時に、騎士団からの資金援助が必要になってくる。騎士団に仕事が無いわけでもなく、それなりに安定した収入を得てはいるものの、孤児院に援助するだけの資金は恥ずかしながらとてもあるとは言えない。
そうして思考を巡らせていると、フレイと手をつないでルーナがこちらにやってきた。
「あぁ、起きたのか。なら、夕飯にしよう。」
ルーナを一瞥してそう告げ、キャンプ地に帰ってからゆっくりと考える事にし、救援物資として持ってきた食糧を配り始める。
フレイは食糧を受け取りながら、きちんと食べてくれるだろうかと心配そうにルーナの事を見ていた。
しかしながらその心配は無用だったらしく、少しずつではあるが、確かに食糧を口に運んでいる。ホッと胸を撫で下ろし自らも食事を始めた。
キャンプ地にリリーナ達が戻ったのは翌日の夜だった。
リリーナは、フレイにルーナを任せ、食糧や、救援物資をテントの中に運び込み、コーヒーを手にとってテーブルへと向かった。
だが、考え事をしていたが為に不注意になり、人とぶつかった。
すまない、と言いながら顔を上げると、アーヴィンがこちらの肩に手を置いて、口を開いた。
「団長、あいつは自分で決められる、心配するな。」
彼は短くそう言うと、テントから出て行った。
あっけに取られてテントの入り口を見ていると、ライアンが面白そうな顔をして入ってきた。
「アーヴィンさんが話すのは、何日ぶりでしょうね。ああ見えて結構優しいんですよね、彼。」
その事は誰よりもリリーナが知っていた。彼はルーナと似たような過去を体験しているのだ。
似たような、といっても彼の場合は親族や知人を失ったわけではない。
リリーナが彼の街に到着した時には既に、略奪を繰り広げていた賊は、おおよそ彼によって組み伏せられていた後だった。
その時のアーヴィンは騎士団に所属していたわけでも無く、武器を持たない一般市民だったにも関わらず、自らの命を投げうって彼は街の人たちを護っていたのだ。普通なら逃げ出すであろう状況で、誰かの為に動ける、アーヴィンはそう言った心優しい男だ。
彼は街が襲われる事の恐怖を知っていたが故に、今回の散策に率先して参加してくれたのだ。そして、その彼が心配するなと言ったのだから、心配は要らないのだろう、どんな形であれ、ルーナが誰に促されるでもなく、自分で決めると言うのであればそれを否定しないようにしようと心に決め、席についてコーヒーに口をつけるのだった。
――時間の経過というのはとても早いもので、ルーナが騎士団に保護されてから、もうすこしでひと月になる。
さんさんと降り注ぐ日光が、夏がすぐ近くまで来ている事を教えてくれる。
ルーナはこの一ケ月で随分と騎士団に馴染んでいた。
リリーナが料理をしていると隣でじっと見ていたり、時には手伝いたいと言ってくる事もあった、今ではコーヒーを淹れて騎士団の皆に配ったりもしてくれているし、少しずつではあるが料理も覚えてきているようだった。
フレイとは相変わらず本当の姉妹のように仲良くしている、もともとフレイが可愛いもの好きということもあり、暇さえあればルーナの近くに行って他愛もない話をしたりしていた、今日の話は髪型についてだっただろうか。
一番驚かされたのは、ルーナがアーヴィンの隣に座っていた時の事だ。彼は日ごろからとても無口で、依頼の時でさえ必要な事以外は口にしない。そんな性格である為に、騎士団内でも彼はほとんど1人で座っている。そんな彼の隣に、ちょこんと座って時折話しかけたりもしていた。
ひと月前のあの事を忘れたわけではなく、心配をかけないように努めているのだろう。
そんなルーナの気を少しでも和ませる為に出来る事は無いだろうかと、リリーナは思案した事があった。
ケヴィンから聞いた話であると、ルーナは海を見た事が無く、本に載っていた海を見て目を爛々とさせていたらしい。
幸いな事に、このキャンプ地は海から遠いと言うわけではなく、馬でおおよそ2時間程度で行く事が出来るので連れて行こうと思っていた。
しかし、そのころは騎士団への依頼が多かった為、結局は連れて行けず終いだった。
最近は依頼の数も少なくなってきている為、今日、海に連れてきた居た。
太陽に照らされて綺麗な青色に染まった海から、磯の香りが強い潮風が砂浜に座っている2人を優しく撫でる。
海の名を聞いた時のルーナは、これ以上を見た事が無いほどに嬉しそうな顔をして喜んでいた。いまも、フレイが故郷から持ってきてくれた淡い水色のワンピースを着て、にこにことしている。
騎士団のメンバーは港町に来るような依頼もある為、海は然程珍しいものでも無く、特別な感情は抱かないものだが、ルーナにとってはこれが初めての海で、彼女はいまどのような気持ちでこの風景を眺めているのだろうかとふとリリーナは考えた。
自分が初めて海を見たのは確かルーナよりも幼いころだった、どんな気持ちで海を眺めていたかは、随分と前の事なので思い出す事は出来ないが、はじめは大きな湖かとも思っていたものだ。
「初めて見る海はどうだ、ルーナ?」
「すごく綺麗で、とても広いです、この海のずっとずっと向こうにも、私たちと同じように人が暮らしているんですよね。」
「私も外の世界の事は詳しくは無いが、そうらしい。」
ただ単に、海に対して聞いたつもりだったが、思わぬ答えに少し驚く。
ルーナは団員が依頼などで出払っている時には、ケヴィンから借りた本を読んでいるのは知っていた。
その読書の幅は、図鑑から始まり、文学、小説、今や史書にまで手を伸ばしているらしく、目を見張るものがある。
「リリーナさん。私があなたに出会って、もうすぐひと月が経ちますよね。」
「早いものだな、騎士団にすっかりなじんでいるみたいで、私も安心しているよ。」
「私、リリーナさんと会えて良かったと、本当にそう思うんです。変な言い方ですけど、物音をたててしまって良かったって思うんです。あの時、あなたに会えていなかったら、私はきっとあのまま誰にも知られずに死んでいたでしょうし、そうしたら、騎士団の皆さんと知り合うことも、こんな素敵な景色を見ることも、世界について知ることも、きっと…いえ、絶対に無かったと思います。」
つかの間の沈黙、波の音と海鳥の鳴き声が耳に残る。
「私はもっともっといろんな事を知りたいです、知らない方がいい事もあるかも知れません、それでも目をそらさずに生きて行きたいです。」
ふとルーナが立ち上がり、リリーナの前に移動したと思うと、リリーナに向かって頭を下げる。
「騎士団の皆さんと旅をしたいです、もっと世界を見たいです。」
リリーナも立ち上がると、黙ってルーナを抱きしめる。
「そうか、なら私たちは喜んで君を迎え入れよう。我々天秤の騎士団がもう一つの君の家となり、私たちがもう一つの君の家族になろう。」
その日は、騎士団に戻ってルーナを歓迎する為に盛大なパーティを開いた。
騎士団の皆が、新しい家族を笑顔で迎え、ルーナもまた、新しい家族と幸せな時間を過ごしたのだった。
第四章 風の妖精
ルーナは、円錐状に成形された、ちょうどコマのような木の上に、目を瞑って立っていた。剣を扱う上で重要になる体幹の鍛錬中だ。
緩やかに吹く風が彼女の短い髪をふわりと撫でる。木々の擦れる音や、鳥たちの囀りが心地良い。
「ルーナ、朝ごはん出来たよー!」
声に目を開けると、テントから身体半分を出したフレイが手を振っていた。
「あ、はい!ありがとうございます、いま行きますね…って…わわわ、きゃっ!」
木の上に立っていた事を忘れ、自分も手を振り返してしまったおかげでバランスが崩れ、ルーナは地面にお尻を打ち付けた。
お尻を擦りながら立ち上がると、フレイが心配そうな顔をしていたので、大丈夫だという意味も込めてもう一度手を振り返した。
砂埃を払い、鍛練用の木と、手を湖で丁寧に洗ってから、テントに入る。
大好きなアプリコットジャムの香りに幸せそうにしていると、フレイが一枚の紙を差し出してきた。
「ルーナ、依頼だよ、しかも名指しで…あれから10年…すっかりうちの稼ぎ頭だね!お姉さんは誇らしいよー!うんうん!」
差し出された紙を受け取り、ルーナは席についた。
彼女がこの天秤の騎士団の団員となって10年、ルーナは20歳になっていた。
18歳までは騎士団のお世話役として、食事の支度や洗濯などをしていたが18歳になって見習い騎士として初めての依頼を受けた。
ライアンやリリーナと一緒に鍛錬を積んでいたおかげで、大きな負傷を負う事は無かったものの、あまり役にたてていなかった。
それからもルーナは必死に鍛錬を続け、今や騎士団でも指折りの騎士として知られている。
朝食を食べ終わり、紙を広げて依頼の内容を確認する。
どうやら依頼主の街が山賊に目を付けられているようで、最近その動きが激化してきているようだった。
ルーナは小さくため息を吐いて、早々と自分の装備を身につけて、テントを出る。すると、ちょうどリリーナがコテージから出てきた。
「あぁ、ルーナおはよう。やっと仕事が片付いてな、ルーナはこれから向かう所か?」
「団長、おはようございます。はい、私宛に依頼が来てまして…行ってきますね。」
そう言ってルーナはコツンと胸当ての左側に刻まれた天秤の紋章を叩いた。
正式な騎士として団長に認められた時、この天秤の紋章の意味を初めて教えてもらった。
『いついかなる時も、自らの心の中の天秤が重きをおいたものを守れる騎士であるように。』
それが、この天秤の紋章の意味、団長リリーナの思想だった。その想いを忘れないように、団員はこうして紋章を叩くのがいつの間にか決まりになっていた。
「ルーナも今や私に次ぐ強さの騎士と言っても過言ではないから心配は無いと思うが、気を付けてな。」
そういってリリーナもこつん紋章を叩いて、微笑んで見送ってくれた。
キャンプ地から北西に位置する街、そこが今回依頼のあった場所だった。
ルーナは馬を走らせながら、改めて依頼書を確認した。
天秤の騎士団殿、この度は私たちの街、システィアで起こっている問題について、あなた方のお力添えを頂戴したく、手紙を書かせていただきました。
問題と言いますのは、街の近辺で最近山賊達が暴れているらしく、私たちの街もいつ山賊に襲われてもおかしくは無い状態に、街の者達もすっかり怯えてしまって、賑やかだったこの街が、今はまるでゴーストタウンのように静かになってしまっています。このままでは街の貿易業などがうまく回らず、いずれはこの街が荒廃してしまうのではないかと危惧しております。この問題が解決するのであれば報酬は可能な限りを支払います。差し出がましいとは思いますが、出来ればこの依頼は『風の妖精』と名高い騎士があなた方の中に居ると聞き及びましたので、是非ともそのお方にお願いしたく存じます。どうか私たちの街の未来を救ってください。
ルーナはこの依頼書に多少の違和感を感じていた。
まずはじめに、依頼主の名が書かれていない事、これに関しては極稀に依頼主が記載を忘れていて抜けている事もあるが、基本的には依頼主に雇用され、その上で依頼された仕事をこなして働きに見合った報酬を貰うのが通常だ。その為には依頼主と一度顔を合わせ、簡単な契約や、依頼の説明を受けて、初めて仕事が開始される。
依頼主の名前が判明していないと言う事は、まずはその依頼人を探さなくてはいけなくなり、双方が時間を無駄にする事になるため依頼主の名前は必須と言っても良いくらいだ。
もうひとつは、なぜわざわざ自分を指名してきたのか、と言う事だった。
有名になれば依頼が増えるのは当然の事ではあるが、確実な解決を望むのであれば、最近名が知れ始めた騎士よりも、ずっと前から名が知れている団長やライアン、アーヴィン達に頼むのが普通ではないのだろうか。
そんな違和感を覚えながら馬をかけ続けていると、目的の街が見えてきた。
馬から降りて、柱に手綱を括りつけ、街を見渡した。確かに手紙にあった通り、住人の姿は全くなく、まさにゴーストタウンと化していた。
ルーナは依頼主が分からない為、とりあえず長の家を訪ねる事にした。
この街に訪れた事は無いが、フレイたちが依頼用の鷹を設置しに来た時に、おおよその地図は作ってくれているらしく、初めて訪れる街であろうとだいたいの立地状態は分かるようになっている。
長の家にたどり着き、ドアをノックするが、返事が無い。
「天秤の騎士団の者です、依頼の件でお尋ねしたいのですがよろしいでしょうか。」
そう言ってもう一度ドアをノックしたが、返事は無いままだった。
いくら不安で怯えていたとしても、騎士団の名前を出せば返事はしてくれると思ったが、よっぽど怯えているのだろうか。
ルーナは不思議に思いながらも「開けますよ。」と告げてゆっくりとドアを開けて中を確認した。
すると、ドアの影に隠れていたのか、人影がこちらの顔を目がけて刃物を突き出してきた。
寸でのところで、のけ反り、何とか刃物をかわして後ろに飛びのいて、その人影を睨みつける。
「さぁすが…『風の精霊』、避けられるたぁ驚いたよ。あの時ちょっとは強くなってんのか?」
ルーナはその声に聞き覚えがあった。2年前、初めての依頼でライアン達と一緒に追いやった山賊のリーダーだった。
「街の人たちは、どうしたんですか。」
違和感は当たっていた、だが一番に優先するのは街の人たちの安否だ。
「そう怖い顔するんじゃねぇよ。せっかくの美人さんが台無しだぜ?」
男はケラケラと笑いながら、腰に刺したもう一本の刃物を抜いて構える。
その刃物はルーナの持っている剣とは違い、内側に向かってふくらみつつ曲がっている奇抜な形をしていた。
「もう一度だけ問います。街の人たちは、どうしたんですか。」
「心配いらねぇよ、俺ぁ、てめぇ達に復讐する為だけにこの街に来た、まずはあの時、一番雑魚かったてめぇがターゲットだ。街の奴らは一歩でも家から出たら殺すって脅しちゃいるが手は出してねぇ。まぁ、てめぇが負けりゃあ、そん時は遠慮無く強奪して行くがなぁ、ハハハハハ!」
ルーナはギリッと歯を食いしばり、醜悪な笑顔の男を睨みつける。
「場所を移しましょう…こんな狭い所では、あなたも全力が出せないでしょう…。」
街の外へと場所を移し、二人は対峙していた。
いつの間に街から出てきたのか、山賊の仲間達がさながら闘技場のように周りに集まっている。
「てめぇが勝ったら、俺達はこの街から手を引いて二度と顔を出さねぇ。てめぇが負けたら…いや、説明はいらねぇな、そん時はてめぇは息してねぇだろうからな。」
男はまたしてもケラケラと笑い、周りの山賊達も同じように笑い始める。ルーナは苛立ちがつのるのを感じながら、静かに口を開いた。
「口上は、済みましたか。行きます!」
ルーナは力強く地を蹴り、一瞬で男との間合いを詰め剣を鞘から振り抜いた。
常人ならば見えるかどうかも怪しいその一閃は、バツ印のように構えられた刃物2本で受け止められている。
どうやら口だけの相手ではなく、それなりに実力も伴ってはいるようだ。
男は両手を引いてギィンという鈍い音を鳴らしながら剣をはじくと、続けざまに刃物を繰り出してくる。
左手はこちらの肩を穿つ軌道、右手は挟み込むかのような斜め落としの軌道で刃物が迫ってくる。
右の刃物を剣で受け止め、右肩を落として高さを下げ、回避運動を取る。
だが不意にルーナの肩に痛みが走った。ちらりと横目で見ると、服が裂けて赤色に染まっている。剣の軌道であれば今の高さで紙一重でかわせているはずだったが、見誤っただろうか。
「どうしたよ『風の精霊』、不思議そうな顔してんなぁ、おい」
この距離は危険だと判断したルーナは、男の右手を弾いて左後方へと飛び退いた。刃物を見ると、確かに刃先が血にぬれている。
「この刃物はな、グルカナイフって代物で外の国から渡ってきた武器だ。てめぇら騎士様が使ってるみたいな剣とは作りが違う。」
「なるほど、後できちんと調べておきましょう。」
ルーナはそう言って、剣を鞘に納めて男の方へまっすぐと体を向ける。その態度にいらついたのか、男は助走をつけてルーナに突進してきた。
「てめぇはここで死ぬんだ、後なんざありゃしねぇんだよっ!」
助走の速度と身体を捻る力で右へと振り抜かれたナイフはしかし、ルーナの身体に触れる事無く空を斬る。目の前にルーナの姿は見えない。
「そのナイフ、どうやら腕の力だけでなく、身体を捻る動きを使う事で威力を増すもののようですね。」
ふと背後から声が聞こえた。ルーナは身を低くして男の左脇の下を走り抜ける事で、ナイフを回避していたのだ。
「ですがその分、振った後の隙が剣よりも大きくなってしまうみたいですね。」
男は全力で助走を入れ、おまけに身体を捻って大振りで攻撃してしまった為に、体勢が整わずまだ振りかえる事が出来ない。
「…ごめんなさい。」
背後から小さくそう聞こえた後、背中に熱が走った。斜めに打ち上げるように背中を切られたのだ。
男は痛みのあまり、ナイフを地面に落してうずくまった。カチャリという音が耳の近くで鳴る。
「これ以上の傷は付けたくありません。負けを、認めてくれますね?」
「かっ……甘いなてめぇは…。仕方ねぇが、俺の、負けだ。」
息も絶え絶えにそう告げた男の言葉を聞いて、ルーナは山賊達の方へ振り返った。
「早くこの人を街の医療機関へ!傷の処置が終わるまでの滞在を私が許可します!」
その言葉を聞いて、山賊達はわっと男に走り寄った。男の治療をすると同時に、ルーナも肩の傷を治療してもらった。
幸い、それほど深い傷ではない為、2週間もすれば痕も残らないくらいに回復するだろうと医者は言っていたので安心する。
「では、長と今回の騒動の話をしてきますので、私が居ないからと言って悪さを働かないようにしてくださいね。」
「しねぇよ…ってかこの傷じゃしばらくは何も出来ねぇっての…いつつつ。」
ため息を吐きながら手をひらひらとふる男を横目に、医療機関を後にして長の家へ挨拶へと向かう。
あの山賊の男は本当に街の人たちには一切手を出しておらず、長も街の人たちも、家の中でじっとしていた。
自分の信念と言うのがあるらしく、交わした約束は必ず守る、食糧は強奪しないと言うのが彼のルールらしかった。
そんなルールを守れるくらいならいっそ山賊をやめられないのだろうかと思いながらルーナは長の家のドアを開けた。
「お待たせしました、申し遅れましたが、私は天秤の騎士団のルーナ・アルスターです。」
「これはこれは、この度はこの街を救っていただき、本当にありがとうございました。」
「いえ、今回私が来たのは山賊達が私をおびき寄せた結果で、偶然でしたから。」
そういって深々と頭を下げる初老の男性に頭をあげてもらうようお願いする。
結果的にこの街を助けることができたが、もしあの山賊の男が騎士団に恨みを持っておらず、ただ単純にこの街を襲っていただけならきっと自分は何もすることは出来ずに、荒廃化してしまったであろうこの街を悔しさを胸に眺めている事しかできなかっただろう。
「偶然とはいえ、助けていただいた事に変わりありません。して、今回の騒動についてでしたね。」
長は顔を上げ、手のひらで椅子を指し、ルーナに座るように促すと本題に入った。
「先ず初めに、私の独断で山賊達をこの街にとどめた事、お詫び申し上げます。依頼の一環として、彼らがこの街を去るまでは私がこの街に滞在すると言う事も考慮しております。もちろんこちらが起こした問題ですので、それに関しての報酬の要求は一切しませんからご安心ください。」
ルーナが目を瞑って軽く頭を下げてそう述べると、長は「大丈夫ですよ。」と短く告げた。
リーダーである男が怪我をして悪さは出来ないであろうこと、仲間の山賊達も彼の指示が無い限りは無用にこの街を襲わないであろうこと、また、仮に襲われたとしても、金品だけしか奪わないと言うことであれば貿易業は続けて行く事が出来るためそれ程のダメージは無いこと、それらを含めてこの街に及ぶであろう被害は極小であるため、騎士団の手を煩わせるまでもないというのが長の判断だった。
長がそう言っているのであれば無理強いして残るのも気が引けたルーナは、報酬を受け取りキャンプ地へ帰ることに決めた。
ルーナ外伝