practice(105)


百五





 おばあちゃんの長い衣装から顔を上げて,あれは馬の音だ!と思った。一気に吐き出す息が聞こえた。ひと息ついたんだ,胴体とかの動きに合わせて,馬具の踏ん張りがまだ効いてるんだ,とそこから何かを確かめるより,私は幼く立ち上がって駆け出した。引っかかりを外すだけの鍵にも簡単に急かされて,建て付けごと玄関を内側に開けた。平らに続く地面ごと,低い空の暑さごと,私は向かい入れようとしたのに見当たらない日差しに知らない人が,帽子を直して,馬から降りていた。多分露骨にがっかりした,私よりも他の人が居ないかを,窺おうと顔を家の中に向けようとしたその人は,ゆっくりと玄関に向かって来ていたおばあちゃんを見つけて,軽い会釈とともに肩掛けカバンから「郵便です。」という手紙を渡していた。あらあら,という。私の頭越し,おばあちゃんはここまで来てくれたことを労う言葉と,受け取りを済ませて,じっと玄関先を見つめた私の残念ぶりに,その人は最後まで困っていた。
「誰かを待っていたのかい?」
 とかけられた言葉を黙って受け止めた私と,肩掛けカバンの口を閉じて,きちんと馬に乗った,その人は土ぼこりの先に去った。また少し遠い旅程。聞こえない息づかい。
 おばあちゃんはゆっくりとした動きで,私の背中に手をあててくれて,一緒に姿が小さくなっていくところを見届けてから,入れていない力で引っ張って,あとに控えた熱っぽいお昼も気にせずに,私と一緒に玄関を閉じた。鍵は後から思い出してた。
 先の長い日。待ちくたびれるのに十分で。
 夜。数が多かった星におばあちゃんがとっておきと言って出してくれたお菓子と,淹れてくれた紅茶とが湯気を伸ばして答えずに,長い衣装を擦った床にはゆっくりと抱っこされて,顔を上げない私が違うお話をねだった。じゃあね,まずはね,と声をかけて,座りやすかった外の太い丸太に座ったおばあちゃんは,長い衣装の膝の上,唇をとがらせて,気持ちを隠す背後の厚い雲に向かう私を正面に座らせて,手を置いて,頭を撫でてくれた。裾まで引っ張り上げるぐらいに,覆ってしまう。あらら,とおばあちゃんを驚かせるだけで,小さい私の手足では,泣いてしまう。何も言わないおばあちゃんは,色んな力を知っていると思う。椅子みたいにくっ付いたおばあちゃんの,手は大きい。
 掻い摘んでくれたお話は,星のお尻を叩ける方法を巡る,人とフクロウの駆け引き。短いターバンを巻いて,お父さんが袋にいっぱい持ち帰ろうとするのだけれど。
「ひとつでいいかい?」
 しっかりと指差して,お話を終えたおばあちゃんは私の遥か上にある,塊みたいな輝きを捉えて,私にそう聞いた。
「うん。ひとつ。それでいいんでしょ?」
 それでもいいよ,と言うおばあちゃんは声を段々と潜めて,一つの星を,もう捕まえていたと思う。お話のとおりかも,と思う私はお願いを込めて,まばたきと一緒に,それを見届けた。
「いつ来るって?」
 そう遠くないうちにって。
 

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-06-02

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