里(1話~30話)

里(1話~30話)

◆◆◆◆◆1話



 真っ白い雪が舞い地面を白く染め、山々から徐々に緑を奪う。
その白さは山の頂上を超え、空の雲との交わりを求めるかのように勢いを増す。
やがて山々を覆い尽くした白さは流れる雲達と一年ぶりの再会を祝い、山々から聞こえる
木割れの音が、カーン、カーンと白さの中に溶け込んでいく。

 葉を落とした木々は僅かな陽の光で自らを暖め、木割れして行く仲間達を無言のまま偲ぶ。
時折吹く風に乗って粉雪が舞い、僅かな陽の光を木々達から奪って消えて行く。

 木々達は次第に白い衣を身に纏い、その下からカーン、カーンと自らの命が尽きる音を
ただ、ジッとして聞いていた。

 そして木々の側を大地の白さに負けじとばかりに、真っ白い毛に覆われた野うさぎが忙しく駆け回り
辺りの白さに対抗するかのように茶色を身に纏った野狐が、真っ白い野うさぎの足跡を辿る。

 山の麓(ふもと)を駆け回る子供達は頬を紅く染め、白さに浮き立つように赤や青や緑色の帽子を
スッポリと耳までかぶり、二股の毛糸の手袋は母親の温もりを小さな手に伝えている。

 継ぎ接ぎだらけのチャンチャンコは孫を愛しむ御婆ちゃんの温もり伝え降り注ぐ白い雪を溶かし、
まん丸に膨れ上がったスボンは太陽に負けじとばかりにその丸さを見せつけ、大地との接触を
拒むように藁靴は自然の厳しさから子供達を守っている。

 あちこちから聞こえる子供達の笑い声が風に乗り、山伝いに空へと届けられると嬉しそうに
山々を白い雲達が時折流れる。

 はしゃぐ子供達を遠くから見守る母親だろうか、家の前の雪をかき出しながら手を休めては見守り、
大きな屋根の上で白い吐息をはきながら、下の様子と子供達の様子を見守る男達。

 大地が白さで覆われる時、喜びに満ちる子供達に、ひたすら険しい顔を隠し微笑む家族達。
子供達が楽しさで汗するとき、大人たちは招かれざる客に汗を流す。

 大きな屋根の軒下にぶら下がる大根は、黄色と緑色が辺りの白さを否定するように、
見る者に過ぎ去った懐かしい季節を思い出させる。

 都会に流れでた若者たちが笑みを浮かべ、土産を手に手に里に戻るとき、この山間の里にも
ようやく時期外れの何かがが訪れ口々に 「ただいま!」 

 メリークリスマス!! と、聞こえた気がする……




◆◆◆◆◆2話




 山々がスッポリと白に覆われると里へ来る唯一の道も白で塞がり、往来の妨げになる。
ただでさえ細い里への道は乗用車が一台やっと通れるほどの狭さで要所要所に待機場所がある。

 道幅が解らぬほどで除雪車も滅多に入ることもなく、時折通る住人達の車と馬だけが
白い道を踏み固める厳しい冬の里。

 電信柱に積もった白(ゆき)は、雪ん子たちの帽子のようにホッコラとしながら時間と共に丸みを帯びる。
白の衣を纏った電柱に綿帽子がこけでもかと聳えるころ、山の里は閉ざされ生きる物を阻む。

 隣町への道のりは9キロ、道幅の解らない白の上を凍りついた茶色の四本足がザクザクと雪煙を上げ、
時折、大きな真っ白な湯気を上げる。

 大地の匂いを白の上から感じ取り、休めることもなくザクッザクッと力強い四本足が突き進む。
文明を寄せ付けない大地は自然に生きる者たちにだけは少ない門戸を開いている。

 四本足に続けとばかりに平べったい二本の足が、その上を滑るように流れ山から迫り出した木々から
バサッ、バサッと枝に降り積もった白が音を立てて舞うように道の白に重なり合う。

 山の斜面から落ちたのだろう大きな白の塊を目の前に 「大丈夫かぁ」 と、主の一声。
無言のまま、ザクッ、ザクッと音を立て大きな湯気が天に昇っては消えていく。

 一山、超えてまた一山超えると、馬はようやく隣町へとソリを運んだ……


 



◆◆◆◆◆3話




 一面を覆う白が恨めしくなるほど何処まで進んでも変わることの無い景色。
見慣れている白が、滅多に見ぬ隣町への心細い山道を覆い隠し、獣達の足跡を道標に雪ん子は、
重たい荷物を持ち替えながら母親に言われた集落を目指す。

 左手には米が一升入った袋と右手にスルメイカを30枚持ち、雪風の吹き付ける中を黙々と進む。
年の瀬、都会に出ている懐かしい顔ぶれに食べさせるために、里の小さな雪ん子は只管目的地を進む。

 雪ん子を拒むように木々は、重たい雪風に押され時折バサッっと枝に蓄えた白を左に右にと落とし
吹き付ける風で、緑色した笹の葉がザワザワとざわめき、雪ん子を脅かす。

 手から手袋を少しだけ外して、悴んだ手に息を吹きかけ立ち止まることなく雪ん子は足を進める。
時折立ち止まろうとするものの母親から言われた 「立ち止まるんじゃねえど」 を、思い出し前に見入る。

 白で覆われた山の中には山犬(蝦夷狼)がうろつき、眠りの浅いヒグマが腹を空かして獲物を待つ。
生まれながらにして自然の中に身を置く、雪ん子たちの脳裏に焼き付けられた言葉。

 「立ち止まるんじゃねえど」そして…「振り向くんじゃねえど」

 雪風と山の木々と獣に脅かされながら山の道を2時間あるけば、藁半紙の欠片に書かれた集落。
「ご免ください…」 山道で疲れ果てた雪ん子の、か細い声を暖かく出迎える 「はいよぉ!」 と、主。

 「遠いどこ1人で来たのか? そかそかー じゃぁこれは褒美だ♪」 と、主から雪ん子に渡されたゲンコツ。

 黒い鉄で出来たストーブから見え隠れする炎と、主の笑みが雪ん子の小さな心を暖めた。
大きな四角い鉄のオバケが、横に広がった大きな口で、スルメイカを飲み込むと別の場所から音を立て
新聞紙ほどの大きさで薄くなったスルメイカを吐き出した。

 雪ん子は小さな目を真ん丸くして、主の仕草に見入ると突然 「ドオォォーーン!」 と、言う大きな音。
ビックリして両耳を塞いだ雪ん子を山以上に驚かせた大砲は、次々に大きな音を鳴り響かせた。

 ドオォォーーンと鳴るたびに雪ん子は店の中で飛び跳ねた。
「ほいじゃぁ、この米の2合とイカ5枚は手間代でな♪」 と、雪ん子の頭を帽子の上から撫でた主。

 一升の米は八号のドンに化け、30枚のスルメイカは25枚のローラーに化けた。
山深い里で七つになった子にさせる一人旅、そして小商いの真似事は今はもう夢の中だろうか。

 雪ん子は帰りの9キロの山道を、笑顔で迎えてくれる母親を頼りに只管歩き続ける……


 ※ドン(米を熱と圧縮で作るポップコーンの米版)
 ※ローラー(スルメイカを引き伸ばした食べ物)
 ※ゲンコツ(ドンを黒砂糖で固めた丸い菓子)

 




◆◆◆◆◆4話




 白で覆われ閉ざされた山間の里から大人の足で三日間、後ろに背負った背負子(しょいこ)は
俄かに無臭の獣道に匂いを放つ。

 向かう先での小商い、同時に我が身が生き延びさせるための貴重な食料。
凍て付く寒さの中で夜を明かし寝ずに歩き続ける獣道は時折、大きな吹き溜まりとなって進む道を掻き消す。

 道を塞いだ吹き溜まりに真っ暗な中、月明かりを頼りに身の丈半分の穴を掘りそこへ「どっこいしょ」
背負子に手を伸ばし、悴む片手で背負子に積んだ大袋の太い紐を手探りで解く。

 中から取り出した一本の食べかけのそれは、穴の中に里の匂いを充満させる。
「ポリッ、ポリッ」と、口で齧ると匂いに誘われたのか、何処からともなく風が巻き起こり粉雪を舞い上げた。

 頬かむりの手拭いに粉雪が触るとゆっくりと凍り、頬に小さな氷柱(つらら)を作る。
「ポリッ、ポリッ」と、噛締めるようにゆっくりと頬を揺らすと「ポキッ、ポキッ」と静寂な闇の中に氷柱の音が響く。

 眠ることが出来ないながらも、腹を満たし身体を休める。
薄っすらと夜が明けだした頃「よいしょっ」と心の中で自分に掛け声をかけて立ち上がる。

 辺りを見回し、吹き溜まりを避けて降り積もった雪の下の獣道を見分ける。
白い衣に身を包んだ樹木達に挨拶するように凍りついた手袋でペタペタと軽く叩いて自然の道標を探す。

 歩き出すこと数時間、ようやく向こう側に拓かれた集落と、その奥に白い波のうねる海が広がった。
眉毛も睫も凍り黒かったヒゲも白に変わる頃、辿りついた漁業の集落。

 「かっちゃーん、こどしもまだ来たぞぉ」と、集落の民家の戸を開くと「待ってたよぉ」と、温もりが迎えた。

 背負子を降ろして取り出した里の自慢の沢庵を取り出すと、さっそくオケを片手に小商い。
「アンタのとこの沢庵たら美味しいすけ毎年、楽しみなんだぁ」と、口元を緩ませる漁師の奥さん。

 毎年、山越えをして里の沢庵を漁村に届け、干した魚を買い求める風習は今もマブタの奥に焼き付いている。
山越えは命がけだが、命をかける価値を里の人々は見出しているのだと思う。



 



◆◆◆◆◆5話




 薄暗い家の中の真ん中にある囲炉裏の真ん前にある、一際大きな麻で出来た御爺ちゃんの座布団。
いつかあの囲炉裏の一等席に座ってみたいと手に棒を持って、板の間を駆ける雪ん子。

 外から聞こえる吹雪の音がバンッバンッと閉め切った木戸を叩いて揺らす。
時折バタバタバタと小刻みに寒い音を家中に伝え、誰かが外にいるように雪ん子たちを騙す。

 囲炉裏の横で編み物をする母親と、藁で雪ん子たちの靴を作る御婆ちゃんを見ては
「かあちゃん! 婆ちゃん! 外に誰か居るよ!」と、母親と婆ちゃんを交互に見る雪ん子。

 少し離れた土間の引き戸の前で、春に備えて農具の手入れをする御爺ちゃんが…
「まんだまんだ、あっはははは♪ 騙されおってぇ~」と、雪ん子を見て微笑む。

 すると外からドンドンドンドン!と、戸を叩く音がして御爺ちゃんが「おぉ、終わったようじゃの」と笑うと、
「あっははははは♪ 爺ちゃん騙されでらぁ♪」と、さっきの仕返しとばかりに笑い転げる雪ん子。

 寒さで凍りつく木戸は叩いて開けるものだった……

 木戸がガアァーっと音を立てると、頬かむりして顔を真っ赤にした父親が姿を現す。
「あぁ! 父ちゃだ! 爺ちゃんすげえなぁー!」と、御爺ちゃんの後ろにひっついて木戸を見詰める。

 雪かきを終えた父親から沸き上がる風呂の湯気のような白い靄(もや)を雪ん子が指差した。
「あははははは♪ 父ちゃ、風呂から出たみたいだ♪ あははははは♪」と、爺ちゃんの手に頬寄せる。

 そんな雪ん子を見てニンマリと口元を緩める父親が大きな藁靴を脱いで小上がりに置く。
「うんしょ! うんしょ!」と、水を含んで重たくなった藁靴を雪ん子が掛け声と共に囲炉裏のそばへ。

 母親と御婆ちゃんに「腹減ったなぁ」と、父親が囲炉裏の前に座りながら声を掛けると、
笑みを浮かべた御爺さんが居間の奥から丸く硬い緑色を持って来ると、囲炉裏の網の上に並べた。

 「どっこいしょ」と、一声かけて座った囲炉裏の真ん前の一等席の御爺ちゃんを見ていた雪ん子が、
 「どっこいしょ」と、御爺ちゃんの真似して御爺ちゃんの胡坐の上に座った。

 網の上の緑色は少しずつ焼けて香ばしい匂いを囲炉裏の前に漂わせる。
「オド! そろそろいいんでないか?」と、腹を空かせて網を見る父親。

 無言のまま網の上の緑色を見詰める御爺さんが「おお、忘れておった!」と、慌てて火箸で緑を反した。
「おお、忘れておった!」と、爺ちゃんの胡坐に座る雪ん子が真似して火箸を使うフリをした。

 何もない山里の一軒家の中に広がったささやかな温もりだった。

 そして翌朝、早起きした雪ん子が囲炉裏の一等席の横に座って御爺ちゃんを待っている。
するとそこへ母親が静かに来て「爺ちゃんなぁ… 遠いどこさ行ったはんでぇ、こごさ座ってろ」と、母親。

 雪ん子は御爺ちゃんの起きて来るのをずっと座って待っていると声がした「坊、座れてえがったなぁ♪」
と、雪ん子の前に現れた白いヒゲの御爺ちゃんは微笑んでスーッと壁の中へと消えていった。

 雪ん子が一等席に座れたのは御爺ちゃんの死んだ朝のことだった。

 そして雪ん子が本当の一等席とは何んだったのか知ったのはずっと後のことだった……

 「どっこいしょ」




◆◆◆◆◆6話




 パチパチと勢いよく燃える石炭ストーブの中を、扉に付いた火の見窓からそっと覗くと、
白樺の皮が音を立てて燃え上がっている。

 雪が降る前に拾い集めて来た、白樺の剥がれ落ちた皮を、麻袋の中に入れ玄関に置いて、
降り注ぐ白(ゆき)から守っている。

 焚点け用の薪は家の外、家の横側に地面から大人の身の丈ほどに積み上げられる。
「爺ちゃん、なして白樺は中で薪は外なん?」と、ストーブを覗く爺ちゃんに雪ん子が尋ねる。

 火の見窓から中を見た爺ちゃんが、ストーブの横の木で出来た石炭入れから、小さなシャベルに
石炭を入れると、そっと火の見窓の付いたフタを開けて中に放り込む。

 「ごおぅー!」と、勢いよく爺ちゃん目掛けて炎が飛び出すと「うわぁ!」と、雪ん子は爺ちゃんの後ろへ。
爺ちゃんは雪ん子を我が身で庇うように身体をずらす。

 火の見窓の左右ある箸ほどの小さい穴から「ボッ! ボッ!」と、白い煙が出る。
まるで馬の鼻からでる荒息のように出ては消え、そして出ては消えるを何度も繰返す。

 「爺ちゃん、ストーブって生きてる見たいだな!」と、爺ちゃんの影からそっと雪ん子が顔を出した。

 石炭の入った箱から一杯、また一杯と、御爺さんは石炭を取ってはストーブにいれる。
ストーブから聞こえる炎の音を真似て雪ん子が「シュッシュポッポ♪」と、蒸気機関車の真似をする。

 「シュッシュ♪ ポッポ♪ シュッシュポッポッ♪」両手を前に半分突き出して家中を走り回る雪ん子。

 ストーブが燃え上がるとポカポカして来たのか、雪ん子は御爺さんの横で暫しの休憩。
「ホラホラ、こったらどごで寝てだら、かんぜ引くど…」と、寝入ってしまった雪ん子にチャンチャンコ。

 「シュッシュポッポがぁ~」と、小声で話すと、キセルに刻み煙草を入れ火を点けた御爺さん。
キセルから出た白い煙は輪を描きストーブの中へと吸い込まれていった。

 御爺さんのチャンチャンコに包まれて、眠る雪ん子は機関車に乗っている夢を見ているのだろうか……

 「シュッシュポッポ」時折チャンチャンコの中で頬を揺らす雪ん子を見てニッコリした御爺さん、
外から薪を持ってきてストーブの中にポイッと入れると「ジュゥー」と、ストーブの中で音が出た。

 「熱過ぎず、寒過ぎずじゃろうかのおぅ」と、雪ん子の寝顔を見てニッコリする御爺さんだった。

 ※石炭ストーブには空気を調節して火力を強めたり弱めたり出来るが、
  外から持って来た水分を含んで凍結した薪を入れることでも速攻で強弱が出来る。
  そしてストーブの中で溶けだした水分が徐々に乾き、薪に火が燃え移ることで時間の
  調節もしている。

  凍結した薪で火力と時間もコントロールしてしまうと言うこと。



◆◆◆◆◆7話




 数日間続いた吹雪が収まる頃、家はスッポリと白で覆われ、ミシミシと薄暗い家中に冬の魔物の声が響き渡る。

 早起きの得意な御爺さんが魔物の声に耳を澄まして聞き入ってアチコチを忙しく歩き回っていた。

 そしてフッと見た囲炉裏を通り過ぎて土間側の障子で出来た引き戸を開けようとしたものの、軋んで一向に開かない引き戸を諦めて、またまた囲炉裏の方へやってきた御爺さん。

 囲炉裏の直ぐ横にある、屋根から外へと通じる木で出来た階段を、天井から滑車を使ってスルスルッと降ろして見た。

 天井の梁に手を掛けながら上ったものの、屋根に積もった雪の重みで屋根の出口が開かない。

 それを見ていた二番目に早起きの雪ん子が「じーじー」と、下から声を掛けた。

 御爺さんは雪ん子を上から見つめると下に降りて来て「坊ーさ頼むがなぁ!」と、7つの雪ん子の頭に手を置いた。

 御爺さんは雪ん子の小さな手を優しく握ると雪ん子と一緒に土間へ降りて、雪ん子に身支度を整えた。

 玄関は当然のこと降り積もった白で開くことはなかったが、御爺さんは雪ん子の腰にクルクルッと麻で出来た縄を結び付けるた。

 玄関の扉の横にある縦横40センチくらいの小さな扉の前に二人並ぶと、御爺さんが雪ん子に「坊ー、ええが?」と微笑んで聞くと雪ん子が「うんっ!」と、声を張り上げた。

 真横の小さな扉を手前側に引っ張ると「ドサッ」と、雪崩れ込んで来た白を掻き分けると外側に薄緑色の光が差し込んでいた。

 腰縄を付けられた雪ん子が、小さな扉の前で屈むとゆっくりと四つん這いのまま落ちてくる白も何のそのとばかりに突進した。

 土間で雪ん子に付けた腰縄を少しすづ緩める心配顔の御爺さんが「坊ーっ!」と、声を掛けると雪ん子がカチャカチャと音を立てて「ええよぉー!」と声をだした。

 雪ん子につけた腰縄を少しずつ手繰り寄せると扉から「ばあぁー!」と、満面の笑顔を見せた雪ん子に御爺さんが御爺さんがニッコリ微笑んだ。

 扉を閉めて中に入って来た白を竈(かまど)の横の水捨て場に置くと、二人は囲炉裏に薪(たきぎ)を入れて温まった。

 家族が起きて来ると、雪ん子の手柄を我が手柄のように嬉しそうに微笑む、御爺さんの白いヒゲが揺れていた。

 数時間後、里の有志達が来て家の玄関を開けてくれた。

 雪ん子は外にあるマストのロープを引いて里の有志達に助けの旗を揚げたと言う話し。

 



◆◆◆◆◆8話



 「よっこらせぇー! よいっこらせぇー!」と、白で覆われた里の一軒家の軒下に響く、人々の声が白い衣を纏った木々の間を駆け抜ける。

 一切れのみかんを横にしたような木に、薄くて細い鉄板を釘で打ちそれを地面に置いて上から板を横に並べて打ち付ける。

 家々で異なった形を持つソリは雪ん子たちの遊び道具を兼ねながら、その上に大きな樽をのせ大人たちが掛け声と共に、積もった白を入れては遠くに運び出す。

 樽に白を入れる道具は木で出来ていて、塵取りのオバケのように大きくズッシリと重い、縦横40センチほどだろうか山から切り出した太さ10センチの枝を、針金でその塵取りのオバケに縛りつけて使う。
 
 ただでさえ重たい道具だが、里に生きる人々の暮らしを支える重要な任を担っている。

 そんな道具を、密かに大人たちの横で真ん丸い目をしてソリを引いて手伝う雪ん子たちが尊敬の眼差しで見守っている。

 山積みになった大きな樽を載せたソリを後ろから押す、女衆と積み込んではソリについた縄を引く男衆は「よっこらせぇー!」と、力を合わせる。

 白にも負けぬほどの白く透明な吐息を立てながら男も女も「よっこらせぇー!」と、掛け声と共に平らに積もった白の上に二本の細い線をうがい手行く。

 ソリで運んだ白は御爺さんが藁靴を履いた足で無言で踏み固めている。
側で御爺さんに負けまいと、小さな藁靴も時折り白にズボッと嵌りながらも一緒に白い吐息を吐きだす。

 足を休めることなく御爺さんが側の雪ん子に「坊ーも、早く団扇が使えるようになりゃえぇなぁ~♪」と、白いヒゲを緩ませて笑う。

 時折り吹く雪風に鼻の頭を紅く染め、小さなチャンチャンコの裾を揺らしながら御爺さんに見入る雪ん子。

 運ばれて来た白と真剣勝負をするがこどく、大きな団扇の枝を肩に掛けて奮闘する少し大きい雪ん子も、後ろの方で樽に白を積み込む大人たちに負けじとばかり顔を顰める。

 肩に天秤棒を乗せてザルに入れた白を運ぶ御婆ちゃんが「こりゃこりゃ、まんだ早いってばー♪」と、奮闘する雪ん子に頬を緩ませる。

 家の周りは、雪ん子たちの気迫に押された大人たちが白い吐息を吐くたびに地面を平らにして行くと、やがて白のしたから緑が顔を出し始める。

 白の下から見え隠れする緑に円を描くように雪ん子たちが、シャガんでジーッと見入ると「じーじー! ばーば!」と、大きな声で雪ん子。

 頬を伝う汗を手拭いで拭きながら、御爺さんと御婆さんが雪ん子の側へゆっくりと近づくと、雪ん子が「ほれほれー!」と、目を真ん丸くして小さな指を指す。

 御爺さんと御婆さんも雪ん子たちの輪に入って、久々に見る緑に見入っていた。

 何もない山の里では白の下から見える緑がなにより御馳走だったのかも知れない。



 じーじー! オラもおっきくなったら団扇でいっぱい緑色出すんだ!! 緑の上に寄り添う雪ん子達だった……



 ※団扇(木で出来た雪かきスコップのことで15キロほどの重みで使うたびに重量は増して行く)
  
 ※里では団扇を使えることが大人の証とされ、雪ん子たちの憧れの道具の一つでもある。

 
  


 

◆◆◆◆◆9話




 ポツポツと緩やかな傾斜地から徐々に急勾配へと続き、白を纏った木々の間を縫うようにそして笹林と消える小さな足跡。

 緑色が一面の白から浮き出るように見える笹林を抜けると、小さな足跡は木々に掴まりながら歩いたのだろうか、急勾配を物ともせずにしっかりと地面を捉えていた。

 よく見ると足跡の横にポツンと小さな穴が必ず付いていて小さな足跡を支えた何かの形跡だった。

 時折り足跡の横に木々から落ちたであろう白がパラパラと地面の白に転げ落ちていて、
地面の白は木々から落ちた白を邪魔者扱いするように溶け込むのを拒絶している。

 小さな足跡はやがて急斜面を登りきると、なだらかな場所の所々に見える笹林に立ち寄るかのごとく痕跡を消し、そしてまた別の笹林へと足跡を残して行く。

 小さな足跡に寄り添うようにポツン、ポツンと地面の白に残る別の足跡も疲れて来たのか地面の白を辺りに散らす。

 青い空と遠くの山々の境目が雲で覆われた頃、小さな足跡は再び何かを引き摺って白で覆われた地面に痕跡を残し時折り吹く雪風がそれを掻き消して行った。

 風の吹く場所と身を潜めて休む場所を心得ている雪ん子は、自然の厳しさと暖かさの狭間で生きることを学んでいる。

 ホッペを紅く染めた雪ん子が、里の家に戻ると「おんやまぁー随分と取れたごと♪」と、雪ん子の小さな手に持たれた野うさぎを見て微笑む家族達。

 小さな雪ん子は、自らが仕掛けたウサギの罠を空が青々した時に一人で山へと向かう狩の名人だったようである。

 雪ん子の小さな足跡の後ろから大きな足跡が付いていたが、山々が気を利かせたのか雪ん子の目にふれることは無かったようだ。

 この日の夜の雪ん子は、特等席であるジージーの膝の上で愛らしい笑顔を家族に振舞っていた。

 そして囲炉裏に掛けられた大きな鍋には、野菜と醤油でグツグツと煮込んだ自然の恵みと、
狩の名人の笑顔に家族は暫しの団欒を楽しんだ。

 厳しい自然の中で生きる雪ん子に暖かい毛皮の首巻を作ってくれたのは、バーバだった。

 

 

 
◆◆◆◆◆10話




 薄暗い家の中の中央にある囲炉裏でパチパチと音を響かせ炎を上げる薪。
時折り、バチンバチンと強い音を出し、辺りを景気づけながらユラユラと左右に踊る炎。

 まだ小さい雪ん子が白いホッペをプルッとさせて後ずさりするものの、音が静まるとまたジーッとまん丸な瞳で炎に見入る。

 赤や橙色した炎が揺らめくと、お湯の入った大きな鍋がグツグツと白い湯気を出し、側にいる御婆ちゃんに差し水を合図を送る。

 薄暗い中で僅かに入った陽の光で、手元を照らしながら縫い物をする御婆さんが、立ち上がろうとすると「バーバこれ」と、小さな柄杓に入った水を雪ん子が手渡した。

 御婆さんは嬉しそうに口元を緩ませ「まあまあ、いい子だごど~♪」と、雪ん子の頭を撫でると直ぐ側の母親も嬉しそうに口元を緩める。

 すると土間で農具の手入れをしていた御爺さんが「どっこいしょ」と、掛け声と共に立ち上がると、曲がった腰を一度伸ばしてから、台所の横の手押し井戸から水をくみ上げる。

 汲み上がった水を桶に入れ直すと、今度は父親が出て来て「ジッちゃん、オラが持ってゆぐがら」と、桶に両手を添えた。

 囲炉裏の中でグツグツと白い湯気を上げる大鍋の横に、燃えた薪の破片が飛んで小さな小枝に燃え移ったのを、ジーッと小さな炎を、まん丸な瞳が見詰めている。

 小さな雪ん子が囲炉裏の端っこで小さく燃える炎へと、小さな愛らしい手を伸ばすと、側の母親が慌てて止めに入ろうとした。

 そんな母親を行かせまいと、片手で母親の道を塞いだ笑顔の御婆さんと、心配そうに我が子を見据える母親に御婆さんが、無言で首を左右に振った。

 土間で心配そうな顔する御爺さんに、水の入った桶を持ったまま立ち尽くす父親。

 雪ん子が手を伸ばして小さな炎に触れた時「あぎゃぁーー!」と、大きな泣き声を薄暗い家中に響かせた雪ん子。

 顔を引き攣らせて立ち尽くす父親から水の入った桶を、取った御爺さんは雪ん子の側へ行くと「坊ー あっははは♪ 熱かったがや♪」と言って、桶を床に置くと雪ん子の手を持って自分の手と一緒に桶に浸した。

 我が子の悲痛な声に驚いて涙し父親に寄り添う母親と、ニコニコと笑顔で雪ん子に語りかける御爺さん、薬箱から薬を取り出して準備する御婆さん。

 雪ん子は家族に見守られながら大切な二つを学んだ。

 小さな水の入った柄杓をバーバに届けた褒美に、雪ん子は炎は熱いものだと言うこと、そして水は火傷を癒してくれると言うことを、バーバから褒美として受け取った。


 そして一番、より多くを学んだのは御母さんと御父さんだったのかも知れない……

 その後、雪ん子は、けして手を囲炉裏の中に入れることは無かった……
 
 
 


◆◆◆◆◆11話




 陽の光が白の水平線に隠れる頃、雪ん子たちはぞろぞろと数珠のように連なって、大きい雪ん子を先頭に徐々に後ろは小さく並ぶ。

 空に浮かんだ丸い月が雪ん子達の足元を照らし、白を纏った木々が道標の任を担う。

 大きい順に月明かりで出来た影が白の上に黒い柱を醸し出す。

 ザクザクザクと藁の長靴の向こう側に白い煙がモクモク見え隠れすると、後ろの小さな雪ん子が「わあぁぁーい♪」と、喜びいさんで前に出る。

 すると前を歩く大きめの雪ん子が「オバケが出るぞぉぅ~」と後ろから近寄る小さな雪ん子を脅かすと、慌てて元の場所へ「うわぁー!」と戻る小さな雪ん子たち。

 それでも暫くすると小さな雪ん子たちは我慢出来ずに「ソロリソロリ」と、前に来ると二番目に大きい雪ん子が「うわぁ! オバケだぁ!」と、屈みながら辺りをキョロキョロして低い声を出す。

 それを何度も繰返し、ようやく煙の出るところへ来ると突然「うわぁー!」と、声を上げて小さな雪ん子たちは一斉に、引き戸から明かりにしがみ付いた。

 中から「あーっはははは♪ オバケは出ねがったがなぁ~♪」と、笑みを浮かべて雪ん子たちを見回しながら出て来た白いヒゲの御爺さん。

 この時ばかりは小さな雪ん子たちが先頭きって、御爺さんの腰に纏わり付きながら中へと入り、おっきい雪ん子たちも嬉しそうに後ろから眺めた。

 中に入って出迎えてくれたのは、低い天井から吊るされた金色の傘のランプ。

 ランプは嬉しそうにハシャグ雪ん子たちを見守るように炎を揺らし、楽しげに大きな声で「オバケだどおぅ~♪」と、ハシャグ雪ん子たちに「坊ー! ちゃんとおー 肩まで浸かれよぉぅ~♪」と、薪を風呂釜に放り込む笑顔の御爺さん。

 内風呂の無かった時代に、家々が共同で作り守って来た外風呂は今は遥か昔の思い出……

 風呂場で聞こえた「チャポ~ン」そして「ドサッ!」と、屋根から落ちた白に雪ん子達は「わぁぁー♪ うわぁー♪」大歓声を上げていた。

 

 

 


◆◆◆◆◆12話



 白に閉ざされた山間の里には尋ねる者もなく「ヒュゥー」と、吹き付ける風と青い空を埋め尽くす白だけが辿りつく。

 木の温もりも草の香りも太陽の光でさえも遮る白は、時には大きな川をも飲み込んでしまい、そこに生きる者たちに辛く厳しい試練を幾度も与え続ける。

 一度白が吹き荒れると全ての生きた証を消し去り、人々はジッと白がおさまるのを息を殺して待ち続けるしかない。

 薄暗い家の中で、木枠で出来た古びたラジオからは、都会から訪れた観光客の白と戯れる歓声が聞こえ、白と向き合う里の人々の心を葛藤させる。

 パチパチとラジオの音に苛立つように囲炉裏の薪たちは、激しい音を家の中に響かせている、それはまるで家の住人たちの心の中を代弁するかのごとく。

「春よ来い♪ 早く来い♪ 歩き始めた……」と、囲炉裏の前で縫い物をする御婆さんがラジオを切ると、小さな雪ん子の頭を撫でながら口ずさんだ。

 すると「ドンドンドンドーン」と、家の戸を叩く音が聞こえ、御婆さんが「誰が来たかや?」と回りに問う。

「風だろう…」と、家に差し込む僅かな陽の光で、何度も読み返したであろう古い本を持つ雪ん子の父親が答える。

 すると「ドンドンドンドーン」と、また戸が叩かれると、御爺さんが壁に掛かった暦(こよみ)を見てニッコリと頬を緩ませた。

 それに気がついた雪ん子の御母さんが、モンペ姿で立ち上がると「坊ーも出迎えてやりゃえー♪」と、お母さんにニッコリする御爺さん。

「ドンドンドンドーン」と、再び戸が叩かれると「はーい♪ ただいまー♪」と、雪ん子を抱っこした御母さんが土間へ降りて行く。

 ガラガラガラーっと開かれた引き戸の向こうに大きな荷物を背負い、頭に白を積もらせて頬かむりしたニコニコ顔の御爺さんが立っていた。

「まぁまぁまぁー♪ 遠いどこすまんこってぇー」と、雪ん子を抱いた御母さんが暫くぶりの来客に「こないだのお腹だよぉ~う♪」と、満面の笑顔で迎えた。

 大きな荷物を背負った御爺さんは藁合羽を脱ぐと「はぁ~♪ 北海名物~♪ あぁこりゃこりゃ♪」と、玄関の中で突然歌い始めた。

 歌い始めた来客の歌声に手拍子で聞き入る家人たちは、誰もが楽しそうに頬を緩ませていた。

 来客が歌い終わると、抱っこされている雪ん子を見て「おめでとうさんです♪」と、頬かむりを緩めて顔を出した。

 恵比寿様のような笑顔は、白に耐え抜いた家人たちの心を和ませ、囲炉裏の側へ来ると「坊ーにはこれとこれ」と、背負っていた大包みの中からキラキラと光る物を小さな手に渡した。

「おどー、おばーにはこれとこれだな♪」そして「旦那と奥さんにはこれとこれ♪」と、手渡された都会の匂いのする本や雑誌は、都会に働きに出ている御婆さんに二人目息子を想いださせた。

 この日は来客の登場で薄暗い家の中が夜だと言うのに遅くまで明るかったようである。

 来客は数日間を家人たちと過し、帰り際には雪ん子に泣かれ難儀したようだった。

 人は白によって里だけでは無く、心をも閉ざされてしまう弱い生き物だが、年に二度来る来客はしっかりと家人たちの凍った心を溶かして消えた。


 白で覆われた辛い里に、紙風船と笑顔を運ぶ薬売りだった……



◆◆◆◆◆13話



 外から戻った雪ん子たちを、薄暗い土間の中で藁を打つ御婆さんがニッコリ頬を緩ませる。
雪ん子たちの着物の裾が白から土色に変る頃、閉ざされた窓の雪囲いを外ではずす御爺さんと雪ん子の父親の掛け声にも張りが感じられる。

 薄暗かった土間から入る陽の光に、深々と頭を下げ両手を合わせて感謝する御婆さんに雪ん子が「ばーばー♪ ほれ♪」と、小さな両手に零れそうなほどの蕗の薹を見せる。

 蕗の薹を御婆さんに嬉しそうに手渡すと、雪ん子は土間から上にあがり込み、外から次々に入る陽の光を追いかけるように家中を駆け回っては歓声をあげた。

 屋根に降り積もった白はその量を減らし、囲炉裏の真上にも数ヶ月ぶりの陽の光が立ち込めさせると、赤かった囲炉裏の炎は恥ずかしそうに薄色に変わった。

 台所からも「わあぁぁーー♪」と、喜びの声を上げて出て来た雪ん子の御母さんが「ばっちゃーん♪」と、嬉しそうに御婆さんと顔を見合わせる。

 薄暗く側まで行かないと解りづらかった壁掛け時計が「ゴォ~ン♪ ゴォーン♪」と、数ヶ月ぶりの陽の光を出迎えると「いんやぁ~腹減ったー♪ あっはははは~♪」と、土間の引き戸が開いた。

 ほんのりと緑と土の香りが土間に漂うと、台所の方から負けじとばかりに味噌汁の匂いが立ち込めた。

 笑顔で陽の光を浴びて、囲炉裏を囲む家族たちの椀の中には蕗の薹(みどり)が浮かんでいた……

 お日様に感謝しながら暮らす里の家族の心は澄んでいた……

 

 


◆◆◆◆◆14話




 白が少しずつ消え地面から黒が恥ずかしげに「こんにちは♪」と、顔を出し、ポツポツと緑が山から吹く風に肌寒さを感じるように「寒いよぉぅ」と、全身をサラサラと揺らす。

 降り積もった白が空に帰る準備をする時、送り出す側の黒は太陽の光を溜め込んで最初に空から降りた順番に白を透明に変える。

 太陽の光が辺りをポカポカさせ心地よくさせると、焼餅を焼くように山の風が何処からか白を運んでは黒と緑に吹き付ける。

 遠くの方から風に乗って聞こえる鈴の音が里の家々に遅い春を告げて回ると、水で湿った重たい引き戸が開かれる。

 黒の上に丸い穴がポツポツそして後ろから、細長く平べったい物が開いた穴を隠すように里の家に向かうと、開けられた家の引き戸から次々に頬を緩ませた人々が出て来て手を振る。

 「ばっちゃーん、じっちゃーん♪」と、笑顔で手を振る馬ソリの男と、時折り「ヒヒィーンブルブルブル♪」と、再会を祝う大きな身体のお馬さん。

 家の前に止まった馬ソリから次々に降ろされる、味噌塩醤油の入った樽が遅い春を里に届けていた。

 「次は秋口に来るからよぉぅ~」と、背を向け手を振る男と、馬の尻尾は左右に揺れていた。

 

 



◆◆◆◆◆15話



 白と黒と緑の上を太陽の陽に包まれながら歩くと、降り積もった白に何千何万と言う無数の穴が深く開いている。

 まるで黒から何かが白を通過して外に出て来たように、穴は真っ直ぐに天へと向かう。

 耳を澄ますと聞こえる何か… 屈んで俯き耳を澄ます… 「チョロチョロチョロ…」と、何かが流れるような可愛い音色。

 白を纏っていた木々はその衣を上から下へと滑らせるように脱ぎ、脱いだ木肌から小さな小さな緑が点々と見える。

 アチコチから集まったであろう白は透明と言う色に我が身を変え、天に昇る準備に追われている。

 里の家から続く道は、溶けかかった白の左右に緑を見せ、雪ん子が落ちぬよう風に揺れて道の端っこを知らせる。

 行けども行けども続く白に開いた帯びだしい穴は、懐かしい黒の匂いと緑の匂いを道行く者にさり気無く届けていた。

「よおぅーし今日はこの辺にしとくかぁー!」と、遠くの楽しげな人の声に目を細めれば、道の向こうに数人の里人(さとびと)が手に手に持った長い竹竿。

 白に苦しめられぬいた里人が、天に昇る準備に追われる白を手助けしようと笑顔で集う、お日様が心地よい一日だった。

 里人が竹竿で開けた無数の穴が太陽の光を黒と緑に伝えると、少しずつ白は透明になって天に昇って行った。

「また来いよぉぅ♪」と、里人たちは天を見上げ、傍らで穴の中を覗いた雪ん子たちには何が見えたのだろうか。

 

 

 


◆◆◆◆◆16話




 白が徐々に天に帰る頃、里の家々を馬ソリに乗った頬かむりの初老の男が呼びかけて回る。

 馬に引かれるソリは白と黒と緑がアチコチに張り付いて、馬の頭にも白は積もることはない。

 一軒ずつに配られた質の悪い藁半紙、太い黒字で書かれた手書きの文字に、雪ん子たちが「なんだが変った匂いするぅ~あははー♪」と、目を見開いて大喜び。

 藁半紙に顔をくっつけて「あぁー! ホントだぁー!」と、次々に顔をくっつけて匂いを嗅ぐと「こりゃこりゃ♪ この子らわぁ♪」と、周りの大人たちは雪ん子を見て大笑い。

 雪ん子たちの顔は、頬に額に鼻先にと真っ黒い色がつき互いに顔を見ては、腹を抱えて転げまわる雪ん子たち。

 目立つようにと頭からスッポリかぶせられた真っ赤な毛糸の帽子が、まだ消えぬ白の上にポツンポツンと小さな足跡を付ける。

 家を離れて10キロの山道を白い息を吐きながら、集落へと移動する雪ん子たち。

 アチコチから赤や黄色や緑や青の色とりどりの帽子が集まってくると「おぉー♪ よおーぅ♪」と、少し大きめの雪ん子たちが、小さな雪ん子を風から守るように互いに手を振る。

 雪ん子たちの集落への大移動は遠く離れた山からも見え、キレイに白の上に映えていた。

 集落へ入ると連なる家々の軒先にチョウチンがぶら下がり、雪ん子たちに「こっちだよー♪」と、僅かな風に揺れている。

 太鼓の音が「どおーん、どおーん」と、聞こえると、雪ん子たちの藁靴がまだ残る白の上を一斉に駆け出し、滑り止めの白の上に敷かれた乾し藁の上を「わあぁぁぁぁぁーーー♪」と、小さな藁靴が「それぇーー♪」と、ばかりに大童(おおわらわ)

 慣れぬ暗さに小さな雪ん子の手を、しっかり持った大きめの雪ん子たちが、何やらキョロキョロ辺りを窺うと「はいよぉ! 紅ハッカはこっちだよぉー♪ 砂糖菓子はこっちだよぉぅー♪」と、威勢の良い掛け声が入り、雪ん子達は懐(ふところ)に手を忍ばせて「おら、二つ! おらは三つ!」と、興奮気味に声を放った。

 藁が積み上げられた真ん前で、別の行商帽子の男が声を張り上げ「はいよぉ! 今、都会で大流行(おおはやり)! アポロチョコはこっちだよー♪」と、目の慣れた雪ん子たちに両手を大きく振って呼びかける。

 別の場所では「爺さん婆さんへの御土産に干魚はこっちだよー♪」と、アチコチから威勢良く声が聞こえると「うわあぁぁぁー♪」と、大きな会館の中を雪ん子たとが駆け回る。

 すると何処からか突然「さぁさぁー買い物もいいが! 今、都会じゃ知らん者がおらんと言うくらいの大人気映画が始まるよぉ♪」と、聞こえると天井や壁をキョロキョロと不思議そうな顔して辺りを見渡す雪ん子たちに「さぁさぁー 静かにムシロに腰降ろしてよぉぅ♪」と、またまた何処からとも無く声が聞こえ不思議そうな顔する雪ん子たち。

 ムシロにワクワクしながら、雪ん子たちが腰を降ろすと「さあさあー♪ 本日の御題目は鞍馬天狗に月光~仮面そして! 鉄人28号だよぉー♪」と、聞こえると「わあぁぁぁぁー♪ パチパチパチパチ」と、天井が突き抜けんばかりの拍手喝采。

 映画が始まると、アチコチから紅ハッカの包み紙のセロハンを開ける「ギュゥキリキリキリー」と、耳に刺さる音が聞こえ、肩耳を片手で押さえる雪ん子で溢れた。

 一つ映画が終わる度に「さあさあー 紅ハッカの包み紙と交換で! 2つ目は半分の5円だよぉー♪ さあさあー 残り僅かだよぉー♪」と、威勢良く掛け声がかかる度に雪ん子たちは大童。

 雪ん子たちが目をキラキラ輝かせ見入った移動映画(ばそりえいが)は、山間の里に遅い春を告げた。

 帰り道は雪ん子たちの楽しげな笑い声が、山々の奥にまで響き止むことは無かった。

 雪ん子たちの笑い声に頬緩ませて聞き入る、爺(おどー)ちゃんも父親(おとー)も、この日の湯飲茶碗には酒ではなく水が入っていた。

 雪ん子たちの土産話と、差し出された紅ハッカに心温まる家族だった。

 ※ベニハッカ(赤い色した幅3センチ、長さ10センチほどの現在の10倍はあろうかと言う濃度の駄菓子で食べた雪ん子が涙することもシバシバ)
 
  
 


◆◆◆◆◆17話




「カーン! カーーン!」と、山々にコダマする音は流れる雲の間を擦りぬけるように、青い青い空へと吸い込まれて行く。

 黒を覆った白は、緑を丸く描くように空から届けられた陽の光にキラキラと輝いては、透明と言う色に変化し天へと上って行く。

「カーン! カーーン!」と、白の上を駆け巡り、山々の奥へと木々を横切った音は頂上を目指しては消えて行く。

 止まることの無い音は、澄み切った空気を流れる微風(そよかぜ)に乗り、山の向こうの里にまで届けられる。

 耳を澄ますと「ホラッ」あちこちから… 「カーン! カーーンッ!」と、聞こえる音… 何処から聞こえるのだろうと手を耳に当て息を殺す。

「カーン! カーーン!」と、聞こえる方へ耳を向けると「カーン! カーーン!」と別の方からもそしてまた別の方からも。

 山々にコダマする妙な音に近づくこと数分「おど(爺さん)ー! 一服すっべがのぉぅ~」と、額の汗を拭くおどーに声かけて近寄った婆ちゃん。

 この日の青空は白が天に昇る時期とは言え、まだ寒さを凌がねばならない里人たちに薪割りの一時を与えたようだった。

 白が姿を変えて染み込んで割られた薪から、次々に天に昇った白たちは湯気になって、オドーに空から別れを告げた。

  


◆◆◆◆◆18話



 白と黒の上を大きな足跡と小さな足跡が並び、大きな足跡は小さな足跡に合わせるように歩幅を揃え、緑があるとさの部分だけ小さな足跡は遠回りしてまた、大きな足跡と並ぶ。

 白が透明に変化し山々からそして、辺りの黒の上から「待ってくれぇー」と、ばかりに一つに交わり「サラサラサラ」と、辺りに流れる音色を響かせゆっくりと麓の方へと旅立って行く。

 何処までも波打つ海原のように厚みを見せる白と、太陽の陽を浴びて緑を暖める黒の境目を、ゆっくりゆっくり辿る変化した白たち。

 時折り大きな足跡は小さな足跡を黒から遠ざけ、遠くを眺めれば真っ青な空と薄青色の山々が左右を何処までもその広さを見せつける。

 黒の上に付いた大きな足跡と小さな足跡を掻き消すように、姿を変えた白が追いそこに小さな流れが交わり、少し先の少し大きな流れへと白は引き込まれて行った。

 大きな足跡は「ヒョィ」っと小さな足跡を固くなった白の上に、そして透明に姿を変えた白の上から木の枝で何やらなぞっていると、辺りの透明はなぞったところに「連れて行けー!」とばかりに集まり始めた。

 大きな足跡は小さめの木の枝を小さい足跡に渡すと、大きい足跡の横で黒の上を「うんしょ! うんしょ!」と、なぞり始めた。

 あちこちの透明な溜まり場へ大きな足跡と小さな足跡が行くと、木の枝が「スゥー」っと入って透明は導かれるように流れた。

 大きな足跡と小さな足跡、そして二本の木の枝はやがて黒と緑を削り取って麓へと押し寄せる白の最後の罪を笑顔で阻んでいた。

 黒と緑を愛しみ白に罪を重ねさせない里人の心根は太陽よりも暖かかも知れない。

 

 ※雪解け水が濁流になって麓の集落に流れこむのを、雪ん子に行動で教える父親の姿は今はもう遠い昔の想い出だろうか。



◆◆◆◆◆19話




 白が姿を変え黒が目立ち始める頃、里人の家の中では囲炉裏の上の渡し網の上に橙色が並べられ、その横に鶯(うぐいす)色に塗れた白い四角い物が鼻チョウチンを時折り見せる。

 囲炉裏を囲む家人たちは白の終わる季節を皆が、思い思いの何かを心に描き囲炉裏を見詰めては何を語る訳でもなく、ただジーッとして揺らぐ炎に見入る。

 渡し網の上の橙色に切れ目が入ると「プスプス」と白い湯気が立ち上がり、ツゥーンと鼻を突く甘酸っぱさと何かが焦げたような匂いが家人たちを包み込む。

 鶯色に覆われた白の四角から大きな鼻チョウチンが壊れては出て、出ては壊れるを繰返すと60センチはあろうかと言う、長い鉄の箸で「ヒョイッ!」っとひっくり返された。

 囲炉裏を囲む家人たちの前には、醤油と味噌が入った木の皿に家人が作ったであろう手製の箸が添えられ「さぁ! これで終わったでゃ!」と、御婆ちゃんがが一声掛けた。

 すると御爺ちゃんが「よおぅも、まぁまぁみんな頑張ったなぁ!」と、囲炉裏を囲む家人たちを確かめるように見て声を掛けると、正座していた家人たちはようやく足を崩しコンガリと焼けて香ばしい匂いを漂わせる餅に手を伸ばした。

 囲炉裏の真横に爺ちゃんと婆ちゃん、向こう側には雪ん子の父親とその横に大きい年の順に雪ん子が並び、そして竈(かまど)を預かる雪ん子たちの母親が左右を仕切るように座る。

 渡し網から下げられた橙色は囲炉裏を囲む一番手前側の木の縁に並べられると「いただきますっ!」と、全員が声を揃えて囲炉裏の炎に手を合わせた。

 厳しい寒さから命を守って下さった火の神様への感謝の念だったようである。

 餅を食べた後はコンガリと焼けた、ミカンの皮を手の上で踊らせながら剥いて「ハフハフ」しながら暖かく甘酸っぱいミカンをみんなで食べた。

 橙色(みかん)は子孫が代々続きますようにとの願いが込められていたと言う。

 

 

 
◆◆◆◆◆20話




 白が姿を変え天に昇る時、積もった白から次々に顔を出す懐かしい里の住人達。

 お日様から頂いたポカポカした陽射しを受け、姿を次々透明へと変化を繰返す白の中から「ただいま♪」とばかりに小鳥達に笑顔を見せる。

 頭の上に「お帰り~♪」と立ち止まって久々の再会に会話を弾ませる小鳥たちの鳴き声は、白に反射して様々な小鳥達を呼び集めていた。

 姿勢は正しく天を仰ぎ、両手は水平に微動だにせず、真っ黒い口髭を白に浮きだたさせて「ここに居るよ~♪」と、そよぐ風に伝えている。

 物言わぬ里の住人は昼も夜も里を見続け、里人達との再会を待ち侘びているようだ。

  


◆◆◆◆◆21話




 北風が東の風そして北風へと交互に変る頃、麓の方から最後の活躍とばかりに黒と緑と白に塗れた馬ソリが尋ねた。

 馬の鼻から出る湯気も白から透明へと変化を伴い、白が少なくなった所為か幾分、ソリ引く馬も辛そうに見える。

 馬の首にぶら下げられた大きな鈴の音が里の家に届くと玄関の並び、家の端っこの大きな扉が開いて「しばらくだのぉ!」と、手をふる家人たち。

 濡れた黒の上に木で出来た箱を置き、次々に家の中から箱の上に置かれる折り畳まれた物は、お日様の陽にキラキラと輝き黄金色を照り返す。

 麓から来て馬ソリから降りた馬主は頬かむりではなく、首に手拭いを巻きつけ里が確実に春になっているとこを無言で表している。

 馬の身体を労とうように大きな布(タオル)でゴシゴシと、汗と汚れを拭き取っては頭を撫でる馬主を心地よいとばかりに目を瞑る馬。

 家の歌人達に背を向け、馬を労とう馬主の後ろから「よっこらせぇ! よっこらせぇ!」と、家人たちが忙しく何かを運んでいる。

 後ろの家人たちの「よっこらせぇ!」に、合わせる様に馬主の口からも「よっこらせぇ!」と、馬主が馬の腹辺りに手を伸ばすと「お馬しゃん、ほれぇ♪」と、毛糸の帽子にチャンチャンコ姿の雪ん子が木桶を持って来て橙色を馬に与えた。

 美味しそうに馬の頬も緩みを、雪ん子に何度も頭を下げ御礼をいいながら「ポリポリポリ」と橙色を食べ喜んでいる。

 馬主の後ろの「よっこらせぇ!」の掛け声も止まると「馬主さん! これで全部だぁ♪」と、家人たちの声も弾み「ひぃ、ふぅ、みぃ」と、馬を拭き終えて布をソリに積み込むと家人たちの運んだ物を数え始めた。

 数え終えた馬主が家人に「全部で11反だなぁ」と、手帳に筆記を始めると「いんやぁ馬主さ~ん、10反だってばよおぅ♪ あっははははぁ~♪」と、家人が照れ笑いすると馬主が「いんやぁ~ 確かに11反ある」と、もう一度数えた。

 不思議そうな顔して見入る家人たちの前で馬主は「ひぃ、ふぅ、みぃ」と数え「ここのつ、とお」と、箱の上の物を数え終えると箱の上から数える指を避け、雪ん子を指差して「じゅういち!」と、声を少し大きくした。

 えっ? と言う顔をする家人たちを一瞬だけ見た馬主は突然ニコニコして、雪ん子を見ると「一反は、坊ーの分だで、坊から馬さ褒美もらったでその御返しと、坊への馬っこだぁ~♪」と、雪ん子の頭を愛おしそうに撫でた。

 すると家人たちは皆、馬主に「すまねえなぁ、馬主さんよぉ~」と深々と頭を下げると馬主は「おらの子供みてぇな馬っこへの心尽くしもろおうたでなぁ♪」と、嬉しそうに微笑む馬主だった。

 そして家人たちの前で馬主が「どりゃどりゃ! 少し遅いが、馬(ま)さ乗せるがぁ!」と、言うと箱に積み上げられた物を馬の背中に引くと「ほうりゃ♪ 坊ー! 今年一年良い年でありますように!」と、雪ん子を抱いて馬の上に乗せると、一斉に家人たちは拍手して馬主に感謝した。

 家人たちは馬ソリに厳しい冬の間に、一生懸命作った黄金色に輝く筵(ムシロ)を丁寧に積み終えると、家を後にした馬主が見えなくなるまで雪ん子を抱っこして見守っていたと言う。

 
 ※橙色(にんじん)
 ※黄金色(藁で編んだ縦180・横90のムシロ)
 ※馬(ま)に乗せる(動物の馬ではなく、お年玉の意味で馬に乗るのは身分の高い者、又は大金持ちであるから、馬に乗せる=金持ちになると言う意味)
 ※ムシロは里から買われ、馬主たちはそれを漁村や集落に行き毎年、交渉して売買をしている
 ※価格は全国ではなくその地域単位の相場で値が付けられ年号、場所にも依るが一反あたり2万円位だった
 




◆◆◆◆◆22話



 藁葺き屋根が時折り吹く春風に「カサカサカサカ… カサッ… カサカサカサッ」と、音を立てる。

 聞きなれた春を告げる藁の音とはいえ、頬を緩ませ家の前で立ち止まっては屋根を見上げる家人たち。

 お日様の光を眩しそうに額に手傘を作って、白が溶け乾き始めた藁に見入っては春の訪れに感謝する家人たち。

 黒の上に立って大人たちの見る方へ小さな瞳を向ける雪ん子にも「カサカサカサ… 春が来たよぉ♪」と、語りかける屋根の藁。

 黒を覆うように小さな緑が、吹き付ける春風に心地よいとばかり、左右に「クスクスクスッ」と、笑うと雪ん子は緑に駆け寄り小さな手を揺れる緑に当てる。

 藁葺き屋根が「カサカサカサッ」と、語れば立ち上がって屋根に近づき、緑が「クスクスクスッ」と、笑うと戻っては屈んで、緑に見入る大忙しの雪ん子だった。

 

 


◆◆◆◆◆23話




 家中の囲炉裏の前に敷いている布を被せた藁で編んだムシロを、モンペ姿の御婆さんが何やら丸めている。

 チャンチャンコを羽織った雪ん子が外から家中に戻ると「ばぁーばー」と、小さな手を御婆さんの肩にそっと乗せると「今なぁ~坊さ、めぇーもん(美味い物)さ作って食わせっどぉー♪」と、赤いホッペをそっと撫でた。

 布をムシロから外した御婆さんは「ドッコイショ」と、一声掛けると外して丸めたムシロを「ヒョィッ」と、持ち上げ土間へと降りると「タッタタタッ」と、雪ん子も後を追いかけて来た。

 土間へ降りた御婆さんが、土間で農具の手入れをしていた御爺さんに「おどぉー いいべが?」と、準備が整ったことを知らせると「おぉー 坊も一緒だったがぁ、あっははは♪」と、白いヒゲを緩ませた。

 家のアチコチから集められたムシロを、玄関の横に置いてある手押し車に御婆さんが乗せると「よっこらせ~」と、御爺さんが手押し車を押し始めたる

 玄関から御婆さんに手を引かれた雪ん子が、おぼつかない足取りで御爺さんの後を追うと「ばぁばー! 忘れもんだぁ~」と、雪ん子のお母さんがカマを持って駆け寄っる。

 家の前の一つ目の畑の端に来た御爺さんが「どっこいしょ」と、手押し車を置くと木の切り株に腰を降ろし「おどぉ、ほりゃ♪」と、御婆さんからカマを渡された。

 古く厚みの無くなったムシロをカマで半紙ほどの大きさに切って行くと、叔母さんは畑の端に古くなって活字も読めなくなった一冊の雑誌を出して「ビリビリビリッ! モヒャモヒャモヒャ!」と、裂いた紙を丸め黒の上に置くと、マッチで火をつけた。

 風も無い畑の端っこで「ポッ! ポッ!」と、赤い炎と白い煙が空に舞い上がると「ほいさ♪」と、御爺さんが切り取ったムシロをそっと炎にかぶせた。

 その光景に見入った雪ん子は目を細め、御婆さんの陰に「スッー」と、隠れては時折り顔を出して少しずつ火が回るムシロに見入った。

 小さな焚き火は少しずつ大きくなり「ほほぉぅ♪ 燃えたのおぅ~♪」と、御爺さんが頬を緩ませると「どりゃどりゃ!」と、御婆さんは雪ん子の手を引いて、少し離れたコンモリと盛り上がった黒をを置いてあった鍬(クワ)で掘り起こした。

 御婆さんが肩から掛けてあった担ぎ籠を、黒の上に置いて掘り起こすと「うわあぁ♪」と、目を輝かせて「ばぁーばー」と、雪ん子も一緒に小さな両手を穴の中に入れた。

 黒に塗れた紫色を手にとって、ニッコリと微笑む雪ん子は籠の中に紫を放り投げると、嬉しそうにピョンピョンと跳ねるように籠と穴を往復した。

 パチパチと音を出して勢い良く燃える焚き火の中に「ヒョイッ」と、御爺さんが紫色を放り込むと手押し車に一緒に積んで来た湿気った薪をを、焚き火の中に数本投げ入れると「じゅうぅぅー、じゅわあぁぁー!」と、勢い良く燃えている焚き火は徐々に衰えていった。

 雪ん子を挟むように手を繋いだ御爺さんと御婆さんは、雪ん子の歩みに合わせ白の中に伸びる黒と緑の上を散歩して歩いた。

 白で覆われていた場所から顔を出す案山子や、小さな緑が点々と顔を出した木々に白が姿を変え出来た水溜や小川へと雪ん子に話し掛けながら歩みを合わせた。

 雪ん子の白いホッペが赤々に変わり始める頃「おどぉー♪ そろそろええべかねぇ~♪」と、御婆さんが御爺さんに聞くと「うんだなぁ~♪」と、返事して雪ん子のホッペを軽く撫でた御爺さん。

 御爺さんと御婆さんに挟まれて、熱々のホッカホッカの紫に「ふぅ~♪ ふぅ~♪」と、笑顔を見せる雪ん子だった。

「山から貰ろた物は山に返せばぁ♪ ほりゃ♪ こんだに、うめぇもんを授けて貰えるでなぁ~♪」と、紫を頬張る雪ん子に、言い聞かせるようにムシロを少しずつ燃やす御爺さんと御婆さんだった。

 そして紫も焼きあがって雪ん子も満腹とばかりに立ち上がると、残り火に小さな両手で白を掬って来ては「じゃぁぁー♪」と、楽しそうに残り火の上に投げ入れた。

 白は残り火を消し黒の上へと姿を変えて流れて消えると、白い煙が天へと駆け上って行った。

 



◆◆◆◆◆24話




 吹雪で白が吹き荒れ閉めた雨戸をガタガタと小刻みに震わせたかと思うと、突然「シーーン」と、何事も無かったように静まり返り家中を照らす裸電球がチカチカし始める。

 外が静まり雪ん子がホッとしたような顔した瞬間!「ビュゥゥゥーン、ドドドドォォー! バタン! ガタガタガタ!」と、激しく家中の雨戸を吹き荒れる風に押されて白が体当たりを繰返す。

 柱時計は夕方の6時を指し、何処からか入った隙間風が囲炉裏の炎を勢い良く揺らしては「スゥー」と、静まると傘の付いた裸電球まようやく落ち着きを取り戻した。

 夕食(ゆうげ)時の囲炉裏の周りには、暖をとりながら食事をする家人たちに「ゴオォ~ン、ゴオォ~ン」と、6時を知らせる柱時計の音(ね)が伝わり、一瞬家人たちの視線が時計に集まった。

 繰返される吹雪からの攻撃に「おっかぁー!」と、耳を塞いで立ち上がって母親の元へ走り寄る雪ん子と「ありゃありゃ♪」と、それを見て微笑む家人たち。

 母親にしっかりと抱っこされた雪ん子が「もう… 終わったかや?」と、ばかりに両耳を塞いで母親を見上げる。

 抱っこした雪ん子を「ギュッ」と、抱き寄せて吹雪の終わらぬことを雪ん子に知らせる母親から、雪ん子を「ヒョイッ」と、受け取って抱っこする御婆ちゃんが「あれはなぁ♪ 山の神さんたちが元気にしてるかぁって、坊ば見に来てくれてんだぁ♪ なぁーんもおっかなくねえはんでなぁ♪」と、雪ん子の両耳から手を避けて優しく語り聞かせた。

 すると雪ん子がバタつく雨戸の方を指差して「ばぁーば、ばぁーば」と、目をまんまるにさせると「神さんはのぉ、開けてやんなくてもホラ、もうここさ入って来とるでなぁ♪」と、囲炉裏の揺らめく炎を指差して微笑んだ。

 すると「坊もホラホラ、ちゃんと御飯(まんま)食わねば神さんに怒られてしまうはんで、まんま食え♪」と、湯飲に入った濁酒(どぶろく)を口に含む御爺さんが、囲炉裏の上の渡し網で焼いている沢庵をひっくり返した。

 グツグツと囲炉裏の自在鉤(じざいかぎ) に掛けられた鍋の音が吹雪の音を和らげ、中の三平汁が塩気を含んだ旨みを漂わせると「おっかぁー おら! まんま食う!」と、雪ん子が御婆ちゃんの膝の上から立ち上がると父親の横へと意気込んで移動した。

 雪ん子の頭に軽く手を乗せた父親は満面の笑顔で、湯飲茶碗の濁酒をクイッと飲むと、甘しょっぱい香りを立ち上げる御爺さんの焼き沢庵を「ヒョィ」と、箸で掴んで口に運ぶと「くわぁ~坊ば見ててやられてまったでぁ♪」と、額を手の平でパチッと軽く叩いて大笑いする御爺さんだった。

 今か今かと焼き上がるのを待っていた御爺さんも、雪ん子の勇ましさに見入ったお陰で、息子に焼き沢庵を取られ悔しいやら嬉しいやらで頬をあからめて大笑いしていた。

 雪ん子には熱くて手に負えない三平汁も、引き戸の向こう側の土間に置いた小さなお椀を、神様がちゃんと冷やしてくれたお陰で、雪ん子には丁度いい三平汁だったようだ。

 
 ※自在鉤(じざいかぎ)は囲炉裏の中央部に天井から吊るされた鍋の火力調節のための金具
 ※焼き沢庵は強めの塩加減で作った沢庵を渡し網で焼いて水分を飛ばして暖かくして食べるが、焼いて寒干したものは絶品である
 ※三平汁と記したが強めの塩汁の中に寒干大根・長ネギ・白菜・昆布・凍り豆腐・干し魚などを入れて煮込みながら食す
 
 



◆◆◆◆◆25話




 チカチカチカッと金色の傘をかぶった裸電球が突然消える… 外は白が所狭しと暴れまわる猛吹雪。

 ガタガタガタと雨戸が鳴って家中に「ゴオゥゥゥー! ビュゥーン! バタン! バタバタバタッ!」と、物音を響かせる。

 家中の板の間を「パタパタパタッ」と、小さな足音がすると暗闇の中で「おとぉー! おっかぁー! じぃーじ! ばぁーば!」と、慌てた雪ん子の声が辺りに走った。

 猛吹雪で停電したことなど雪ん子には解るはずもなく「おとぉー! おっかぁー! じぃーじ! ばぁーば!」と、半べそのような声を響かせた。

 すると暗闇の中から「坊ー! ホラホラこっちゃこー♪ 声の方へゆっくりおいで♪」と、御爺さんの声がして「おどぉー♪」と、安堵の声を発した雪ん子。

 ペタペタと四つん這いになっているのか愛らしい音が板伝いに聞こえると、囲炉裏の前に座る、御爺さんの胡坐座りをする足に手を伸ばした雪ん子。

 徐々に暗闇に目の慣れた雪ん子が「おどぉー♪」と、キョロキョロしながら抱っこしている後ろの御爺さんに笑みを見せた。

 すると御爺さんが抱っこしている雪ん子に「坊ーも夜になったら寝るべぇ~? 今日はなぁ~ 電気休みっちゅうてなぁ、電気も寝る日なんだ、いっつも部屋の中ば明るくしてくれてるべぇ… だから疲れてしまったんだべぇ~♪」と、雪な子のホッペをそっと撫でた。

 囲炉裏に小さな小枝をヒョイッと父親が、放り投げると「パチパチッ」と、音がして炎が「ユラユラ」と、舞い上がり「あはははー♪ みんな居たぁー♪」と、揺らめく炎に照らされた家族たちを見回した。

 真っ暗な中、囲炉裏の炎が揺らめき、照らされた家族の顔を見て安堵の声を出す雪ん子に「昔、昔、あるところに…」と、御爺さんが雪ん子を抱っこしながら昔話を始めた。

 すると「チカッ!チカチカチカッ!」と、点きそうになるものの直ぐに消えてしまった電球を見上げた御爺さんが「おっほほほ~♪ そかそか… 電気さんも、おらの話しっこ聞きたいのかぁ~♪」と、嬉しそうに雪ん子の頭を撫でた。

 御爺さんが話し始めると雪ん子は「あっははははー♪ おどぉーの話しっこ面白いがらぁ♪ パチパチパチ」と、小さな手を叩いて電球を見上げた。

 話に聞き入る雪ん子を揺らめく炎の向こうで、暖かい笑顔で見守る家族達は囲炉裏の炎を頼りに雪ん子を見守り、小枝が燃え尽きると、一本、また一本と囲炉裏の炎で雪ん子を照らし出していた。

 コックリコックリと雪ん子が御爺さんの腕の中で眠り始めると「おどぉ…」と、母親が雪ん子をそっと受け取ると奥の間へと姿を消した。

 雪ん子が寝んねして奥へ母親と入った瞬間「チカチカチカッ」と、電球は家中を灯し役目を終えたとばかりに、囲炉裏の小枝も燃え尽きた。

 御爺さんが湯飲茶碗の濁酒(どぶろく)を「クイッ」と、飲み干すと「さてさてぇ… おらだちも、寝んねの時間だなぁ♪」と、御婆さんと一緒に奥へと姿を消した。

 囲炉裏の前にゴロンと横になって、湯飲茶碗の濁酒を一口流し込んだ雪ん子の父親が「昔、昔あるところに…」と、呟くように口ずさんだのを裸電球は聞いていた。

 


 

◆◆◆◆◆26話




 白の上を黒々と覆い尽くし、家の周りの畑と言う畑がまるで暗闇に染まるかのような光景が延々と続く。

 アチコチの畑の隅では青白い煙がモクモクと空に舞い上がり、見上げれば白く大きな流れる雲ですら青白く見えるほどだ。

 里人たちは手を顔を黒に染め、白の上に豆撒きでも始めるように音頭(リズム)をとりながら、畑の上に圧し掛かる白の上にサラサラと蒔いている。

 時折り吹く風の方向に敏速に反応するように、身体の位置を変え微妙な手さばきで黒を袋から取っては白の上に塗して行く。

 黒は里人の手から放たれると、風に乗ってスゥーッと大きく扇状に広がり数メートル先へと、タンポポの種子のように飛んでは白を覆う。

 緩い傾斜地を溶ける白の上をゆっくり上れば、遥か遠くにまで視界は広がり大地を覆う白の上に黒い絨毯が何処までも続いている。

 風に乗って里人の声が遠く離れた場所から飛んで来ては、まるで直ぐ側に人が居るごとくの錯覚に陥る。

 目を瞑って耳を澄ませば、ヒヒイーィンと馬の声や、鶏の鳴き声が飛び交う中に、里人の楽しげな笑い声、雪ん子たちの元気な声、わっはははは♪と言う何処かの年寄りの声に包まれる一時(ひととき)。

 青白い煙は、流れる空の上の雲に届けとばかりに立ち上り、お日様に背を向け輪を描く鳶(トンビ)も煙いとばかりに「ピィーヒョロヒョロヒョロ~♪」と、途中で輪を止め遠くへと逃げて行く。

 そして高台から見渡せば無数に立ち上る青白い煙の中に、ポツンポツンと黒と白の混ざった煙が、青白い煙に負けるなとばかりに空に吸い込まれ溶け込んで行く。

 里家から少し離れた風呂屋敷(ふろば)では、女子衆(おなごしゅう)が水を汲み上げ、手も顔も真っ黒に染め煙突掃除をして、積み上げた薪を湯沸し釜に入れ勢い良く燃やす。

 燃やされた薪からは、黒と白の混ざった煙が煙突を伝って空に吸い込まれ「ボッボッボッ!」と、威勢の良い音を辺りに響かせる。

 風呂屋の中の神棚には、濁酒と塩が供えられその真下には一升の濁酒(どぶろく)の入った樽と、漁村から分けて貰った干した魚が大ザルに盛られていた。

 風呂屋の外では大勢の雪ん子たちが、積み上げられた薪を手に手にしっかりと持っては次々に釜場へと入って行き手も顔も真っ黒に染まった。

 今日は畑で燃やした藁で出来た灰を、里人たちが豊作を祈りながら大地を覆う白を天に返す日だったようだ。

 真っ黒になった男衆(おとこしゅう)を、真っ黒になった女子衆(おなごしゅう)と、真っ黒になった雪ん子たちが一年に一度真っ黒になって春を呼び込む大切な一日だったようだ。

 数軒で共同で作った風呂屋(ふろば)が一段と賑わう一日でもあった。

 

 


◆◆◆◆◆27話



 家の裏側を暫く歩くと、緩やかな傾斜地に葉を落とした木々が立ちこめ、その根元は丸く白を溶かし黒から様々な緑色が芽吹いている。

 立ち並ぶ木々からポツンとポツンとアチコチに見える笹薮は、緑色の葉の縁(ふち)が山吹色に円を描きその根元に黒がはっきりと見える。

 溶け掛かっている白と黒の厚さをみながら足の踏み場を確認するように一歩、また一歩と足を傾斜地に運べば、何処からか「カサカサッ」と、小さな音がしては静まり、そして一歩あるくと今度もまた「カサカサッ」と、音がした。

 白の衣を纏っていたであろう木々の肌は水影(みずのあと)が残り、お日様の光に僅かな水がピカピカと輝きを見せている。

 二本足でピョンピョン飛び跳ねたであろう野ウサギの足跡だろうか、未だ残る白の上に縦横斜めに辺りに生き物の証を見せている。

 暫く昇ると30坪ほどに開けた場所があって、真ん中の笹薮から行き来をしたであろう野ウサギの足跡が無数に見えた。

 屈んで足跡を見ると何度も行き来したのだろうか、しっかりと野ウサギの道は踏み固められていて人と変らぬ冬の暮らしを見せ付けていた。

 何かの視線を感じてフッと進む向こう側に目をやると、立派な角を生やした4本足の山人(鹿)が数頭、丘の上からこちらをジーッと見入っている。

 春が待ち遠しい気持ちは人も動物も皆同じと言うことだろうか… 山人(鹿)の春を待つ楽しげな話し声が聞こえるようだった。




◆◆◆◆◆28話




 何処までも続く白の上に立って額に手を当て日傘を作り、風の吹く方向に耳を澄ませば微かに聞こえる誰かの唄い声「ヨイサノォ~マカッショォ~♪ エンヤコラマカセェ~♪」と、遥か遠くからの声の旅人に心和む一時(ひととき)。

 途切れ途切れに聞こえる歌声に交じって、太鼓の音(ね)が勢い良く風の上を跳ねては消え、そして歌声がまた「コキリコのぉ~お山ぉ~担ごうとすればぁ~♪ 荷縄が切れて担がれん~♪」と、今度は別の旅人が風に乗ってやってきた。

 何処かで誰かが唄を歌っているのかと目を細め、手で日傘を作っては遠くを見るものの見える物は白と灰色の山と青い空ばかりだった。

 広大な海原のように緩やかな下りと上りを波のように繰返し、白に覆われた畑の中にポツンポツンと立っている、案山子も唄に耳を澄ますように立ち尽くしていた。

 白く大きな雲がゆっくりと右から左へと流れると「ヨイサノォ~マカッショォ~♪ エンヤコラマカセェ~♪ コキリコのぉ~お山ぉ~担ごうとすればぁ~♪ 荷縄が切れて担がれん~♪」何処からともなく、風が耳に伝えた何処かの里人の歌声は、止むことは無かった。

 山に住む天狗様が団扇(うちわ)を仰げば、見知らぬ里人の歌声を風の便りで知らせることがあると言う。
 



◆◆◆◆◆29話




 里家の周りには殆ど白は無く、小さかった黒の上の緑も雪ん子の膝くらいまで育ち、フサフサした春の匂いを風に漂わせている。

 湿気を含んだ黒は、お日様の温もりで日に日に乾き、雪ん子もヌカルことなく「パタパタパタ」と元気良く走り回っている。

 白に埋もれ畑に挟まれた真っ直ぐな道の端っこには、小さかった緑が今ではフサフサと時折り吹き付ける風に大きく揺れる。

 家の前では、乾いた黒の上に山吹色のムシロが敷かれ、家族たちが時折り雪ん子を確認するように、手を休めることなく種の選別をしている。

 大きなザルに小さいザルと、里の命を繋ぐ種が色鮮やかに注がれると「スゥーザザザーン ザザザザスゥー」と、まるで砂浜を歩いているような錯覚を覚える。

 小さな手に畑仕事で使う道具(てくわ)を持って、ホッペを小刻みに震わせて目の前の黒を「うんしょ! うんしょ!」と、耕す雪ん子を種を選別しながら口元緩めて見入る家族達。

 黒に穴を掘っては埋め、埋めては別のところに穴を掘り、そして掘った箇所に小枝を立てて「ニッコリ」する雪ん子がにわかに鼻を「クンクンクン」と、何かの匂いに辺りを見回す。

 手を休めて顔を上げて「クンクンクン」と何度も何かの匂いに誘われると「坊ー ホラ、こっちゃこぉー♪」と、雪ん子の後ろから優しい声。

 道具を黒の上に置いて「じょっこいしょ(どっこいしょ)」と、立ち上がれば腰を「ポンポン」と、片手で叩いて誰かを真似しながら後ろを振り返ると、御爺さんが七輪の上で何やら焼いているのを見つけた。

 おぼつかない足取りで御爺さんに近づけば「じぃーじ!」と、ニコっとして胡坐座りの御爺さんの懐へと飛び込んだ。

 七輪の上から香ばしい匂いの元を取って「ふぅー! ふぅー!」と、御婆ちゃんがするのを見た雪ん子も一緒に「ふぅー! ふぅー!」と、息を合わせた。

 御爺ちゃんに乗って御満悦な表情を見せる雪ん子は、御婆ちゃんに冷ましてもらったスルメを「めぇなぁ♪ めぇなぁー♪」と、何度も家族に伝えていた。

 七輪の上から立ちこめる海の恵みに舌堤を何度も打つ雪ん子だった。




◆◆◆◆◆30話




 山の麓からポツンポツンと一里ほどの間隔で、葉の落ちた木々の間から見え隠れする里家を左右に見ながら畑の間の道を1時間ほど歩くと、やがて見えて来る色鮮やかな雑貨屋の看板。

 見慣れたはずの案山子の姿は何処にもなく、窮屈そうに軒を連ねる家並みは小さな都会の様相を見せ、飲料水や蚊取り線香の看板を空に高々と掲げている。

 馬ソリが一台ようやく通れそうな道には大八車の車輪の跡がクッキリと見え、その周りを大勢の足跡が祭りの後のように人通りの多いことを伝えている。

 外から見える雑貨屋の帳場に座る御婆さんも、妙に建物に馴染んでいて、中から漏れる真空管ラジオの音が乾いた空気を和らげている。

 雑貨屋の隣は駄菓子屋が並び、同じように帳場には御婆さんが座り目を閉じて客の足音を聞いているのだろうか、時折り雪ん子たちが走ると一瞬だけ目を開き、そして閉じられていた。

 色とりどりに、赤や青や黄色に緑色の御菓子だろうか、時の経過を物語るように黒々とした木目が微かに残る四角く斜めに傾げられた箱が縦横に並び、鮮やかな色の付いた袋や紙箱が賑やかさを醸し出している。

 道の逆側には御日様の光に黄金色に輝き光を放つ鍋に、銀色のツバ釜が立ち並び暑いのだろうか縦横に区切られたガラスの戸が少しだけ開いていて、奥の帳場には金物屋とあって、御爺さんが座りキセルでタバコを吹かしていた。

 金物屋の隣は店先に大きな文字で、味噌と書かれた樽がドッシリと正体を明かすように立っていて、その横にも醤油と言う大樽がまるで門のように店の入り口を守っていた。

 集落には厳しい冬の形跡は何処にも見当たらず、白が覆っていたであろう黒の上にはビッシリと緑がフサフサと微風に揺られ、その横を「わあぁぁーー♪」と、走り回る着物に股引姿の雪ん子たちの巻き起こす風が微風で揺れる緑を逆側へと大きく揺らせた。

 雪ん子たちの後を追うように足を動かせば、醤油の大樽の陰に年季の入った黒々とした木で出来たベンチが横たわり、大勢の雪ん子たちが歓声を上げ、開けられた木枠の出窓から何やら受け取っていた。

 出窓の向こうには、喜ぶ雪ん子たちの顔を、嬉しそうに眺める優しい御婆さんが湯飲茶碗を、一つ、また一つと雪ん子たちに与えていた。

 雪ん子たちの持つ湯飲茶碗からは、薄い白色の湯気が立ち上り「ふぅふぅーして飲むんじゃよぉ♪」と、楽しそうに微笑む御婆さんに「めえなぁ♪ めえなぁ~♪」と、雪ん子達は笑顔を御婆さんに返していた。

 小さな口から一口の飲む度に「はぁー! ふうぅー!」と、雪ん子たちが口から熱さを逃がす光景は道行く者の心を癒す一時(ひととき)でもあった。

 飲み終えた雪ん子たちが「婆ちゃん♪ ごっちゃーん♪」と、湯飲茶碗を次々に返すと、勢い良く手に持たれた風車をクルクル回して駆けて行った。

 雪ん子たちが走り去った後、仄かに漂った甘酒の匂いが忘れられない。

 

里(1話~30話)

里(1話~30話)

昭和30年代の日本の農村、漁村を取材に基づいて忠実に描写した。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-12-17

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