Kidding room -不幸の代わりに棒を差し上げます-
(1)
「あっちいー。」
季節はまだ春だと言うのに温度はぽかぽかした陽気なものではなく、明確な敵意を持って刺すように放課後の流華達の教室に容赦なく降り注ぐ。外界と教室を隔てたガラス扉や窓がまばゆく光をきらめかせている。
そんな暑さに耐えきれず、小枝は短いスカートをぱたぱたとはためかせる。
「さえ、見えてるって。」
「優先順位を考えた結果よ。」
「今すぐにでもそのランキングを訂正した方がいいと思うけど。」
まったく、女子高でよく見る風景の一つと言われているスカートパタパタだが共学の世界では実践すべきではない行動の一つだ。はしたいなと思いながらも、無遠慮にそれが出来てしまう小枝が少し羨ましくもあった。確かに涼しそうだ。
「あーもうだめ。太陽のペース早くね?夏に向けてもうアップ始めちゃってるわけ?」
「別に夏に向けて準備運動をしてるわけじゃないと思うけど。でも確かに暑いね。これは夏が思いやられるわ。」
「もーこんな調子じゃ夏場にはもうあたしは原型留めてないね。溶けたトルコアイス並みに伸びるわよ。」
「なんでトルコなのよ。」
「好きだから。」
「なんだそら。」
駄目だ。くだらない小枝との会話続をけていたら余計に暑くなってきた。
「あーもうかすみんのとこ行こうよ。あこならクーラーもついてっしさ。」
「いいね、そうしよっか。」
「しゃー!行くぞー!」
目的が違っている気がするが、今回は小枝に同意だ。とりあえずは香澄先生の所に向かおう。そうすれば今よりも涼んだ環境に身を置ける。それにまた面白い話を聞く事も出来る。一石二鳥。場合によってはもっと鳥を落とせる恩恵に出会えるかもしれない。
流華と小枝は一路、保健室へと歩を進める。
(2)
「おっじゃましまーす!」
バーンと開いた扉は勢いよく横にスライドし、一瞬保健室の中の様子が見えたかと思えば勢いあまり再び扉が遮るように元の位置に戻ってきた。
「あんたねえ。毎回それやらなくてもいいんだから。」
「え、だってその為に横に滑るシステムにしてるんじゃないの?」
「誰にメリットがあるのよそんなシステム。」
「あたし。」
「どんな?」
「おもろい。」
「聞いた私が愚かだったわ。」
そして改めて流華が扉をノーマルに開く。部屋の中から恵みの風が二人に流れ込んでくる。とても涼しく、心地よい。それに合わせてなんだかいい香りも流れてきている事に気付く。
「あ、かすみんの匂いだ。」
先に小枝が口を開く。何度も鼻腔を通っているのにいつも新鮮さで色気に溢れ、記憶にこびりついたかと思えば泳いで隅に行ってしまう、でも決して忘れさせない圧倒的な存在感を持ち合わせる香り。
「あら、暑くなって逃げ込んで来たのかしら。」
微笑みを湛える香澄先生はゼウスですら頬を赤らめかねない魅力に満ち溢れている。どうやったらこんな表情が出来るのか、というよりもともとの顔の造形の問題か。香澄先生を見ていると神の不公平さに文句を言う気持ちよりも、こんな素晴らしい人間を形づくった事に感謝してしまいそうだ。
「いやーもう何を太陽さんはあんなに焦ってるんだか。もう勘弁してって感じ。」
「確かにまいっちゃうわね。もう全部脱ぎ去りたい気分になっちゃうわよね。」
「先生、刺激が強すぎて学校の男子が全滅してしまうのでやめてください。」
「あらあら、そんなに?」
「いやかすみん、マジでそれぐらいの威力あるから。己の力量を見誤らないで。」
「そう、残念。」
「いやーでもクーラーさまさまだね。文明の利器には自然も成す術なしだね。」
「さて、それならもう始めちゃっても大丈夫よね。」
その言葉でようやく本来の活動へとシフトする。二人はここに涼みに来ただけではない。流華はもちろん、小枝にとってもここに来るという事はそれを待っているが故だ。
「オーケー、かすみん。何でもきなよ。」
小枝の挑戦的な姿勢にくっと香澄先生の口角が少し上がった。受けて立つわよといわんばかりの表情だ。
「そうねー。じゃあ今日はこれにしましょうかね。」
「なになに?」
「棒の手紙。」
(3)
「ボーノテガミ?なんじゃそりゃ。何かの神様それ?」
「さえ、多分それ区切るとこ猛烈に間違ってるよ。」
まあ無理もないかと流華は思う。なんせ都市伝説オンチの女だ。棒の手紙だなんて急に言われた所で何のことか分かるわけがない。あえてそちらの呼称で伝えた香澄先生にも少なからず悪意を感じる。そう思って助け舟のつもりで流華は棒の手紙のもう一つの呼び名を口にした。
「それって、不幸の手紙の事ですよね?」
「そうそう。でも私的には棒の手紙の方が好きなのよね。」
どうやら悪意ではなく単なる個人的な想いによるものだったらしい。
「えーなに全然意味分かんない!ボウノテ神?フコウノテ神?神々の争いの話?ポセイドンとか神話系的なゴッドストーリー?」
「さえ、とりあえず人間界に戻ってきて。香澄先生、そろそろ話してあげましょう。」
「もうちょっと聞いていたい気もするけど、そうね。さえちゃん、これは手紙の話なの。」
そこでようやく小枝はぽんっと掌を叩いて、あ、ペーパーの方かと納得の表情を浮かべた。
不幸の手紙。それはどこからともなく、唐突に届き、そして封を開いた者の心を一瞬にして恐怖一色に染め上げる死神からの便り。
爆発的に広まったその手紙は全国の学生達を瞬く間に恐怖の渦へと巻きこんだ。おおまかな内容としては以下の通りだ。
・これは不幸の手紙であり、これを誰にも回さず自分の下で止めてしまうと必ず不幸になる。
・12日以内にこの手紙を28人に回す事。
・手書き、コピーいずれにしてもちゃんと自分でその文章を基に書き直す事。内容を誤った場合も不幸が起きる。
内容には具体的にこの手紙を止めてしまった人物が何者かに殺されたり、自分の親の勤める会社が倒産したりといった不幸な出来事に見舞われたといった記述が書き込まれている。そんな決して読んで気持ちのいいものではない手紙が何の前触れもなく自分のもとに届いたらどう思うだろうか。
不幸が起きる。そんな根拠はどこにもない。デタラメだ。だが本当にそうなのか。この手紙を回さなかった事がきっかけで何か本当に良くない事が起きてしまうのではないか。
シンプルでありながら人の不安を掻き立てるには十分な代物だ。学生という多感な世代に対してという点もあいまってこの手紙は広まっていく事となる。
「また趣味の悪い話だねー。でも棒関係ないじゃん。」
「焦らない焦らない。この不幸の手紙がおもしろいのはここで終わらず、更なる進化を遂げる所よね。」
「進化?」
「そう。不幸の手紙として広まったこの縁起でもない手紙がある時からその様相を変えるの。それが棒の手紙。」
小枝の頭の上にハテナマークが並んでいるのがはっきりと見える。
「不幸から棒?どういうこっちゃ?」
ある種ムーブメントとも呼べる大きなうねりとなった不幸の手紙。そんな最中、とある学生のもとにもその手紙が届いた。下校しようと開けた靴箱の中。これがバレンタインなら勝ち組への切符と拳を振り上げ喜び叫びまわる所だが生憎そんな時期でもない。自分の周りには実際に不幸の手紙が届いている者もいる。そんな中に来てこれだ。
最悪だ。気持ちが一気に沈む。このまま読まずにゴミ箱に捨ててしまえばセーフじゃないか?それであれば中身を読んでいないのだから不幸の手紙の効力は発動しない。でもそうはならなかった。開けなければ分からないという事実が好奇心を刺激する。駄目だと思いながらも既にその手紙を手に取ってしまっている。
駄目だ。駄目だ。駄目だ。
それなのに何故自分の手は封を開いているのか。今この瞬間だけ何者かに自分の脳を支配されているようだ。中に入っている一枚の便箋。そして、二つの瞳が文字を認識する。
……棒の手紙?
「急に不幸の手紙は棒の手紙になっちゃったのよね。」
「えー何か理由があんのかと思ったらそんななんもなしに?」
「そう、急に。不幸って書く所がぜーんぶ棒になってるの。」
「全然話変わってくるじゃん!」
「そうなの。まずのっけから、“これは棒の手紙です。”だし。“この手紙を止めるとあなたの所に棒が訪れます。”なんて事になっちゃったわけ。」
「棒が一体何用で訪問してくるのよ!」
「まあそんなこんなで、おかげですっかり気の抜けた手紙になっちゃってもう怖さなんてこれぽっちもなくなっちゃったわけよね。」
「意図がわかんないわー……。だっていきなり棒がうちに来て、すみません、棒と申しますが手紙届いてますよね?って来るわけでしょ。」
「結構物腰低いね棒って。」
「そんで、あーでもまあいっかと思って誰にも回してないんですよーって答えたら、あーそうなんですねー。そうお聞きしまして今こうやって手紙を回されていない方のお宅を伺わせてもらってるんですよー。とか棒が言う訳でしょ。」
「完全にノルマ抱えてるね、棒さん。」
「あー大変ですねそれはー。でもこっちもわざわざ28人に書くの面倒なんですみませんねーって言って追っ払うわけよね。」
「で、棒さんはまた次のお宅へ。」
「全然怖くなーい!」
「いきなり叫ぶなびっくりするから!」
そんな流華達のくだらないやり取りを香澄先生は楽しそうに見守っていた。きっとこういった展開を期待していたのだろう。
「ところで、かすみん。なんで棒なの?ホントに何の理由もなくなんてさすがにないっしょ?」
「一応ね、理由というか原因というかあるにはあるんだけど。」
「ほう、なになに?」
「じゃあ、この紙に不幸と棒をそれぞれ漢字で書いてごらん。」
香澄先生がメモ紙程度の小さな紙と鉛筆を小枝に手渡した。ふふん、私結構字綺麗なんだよねと聞いてもいない自慢をばら撒きながら、小枝はささっと文字を書き終えた。
「ほい、出来ましたであります!」
「はい、よくできました。」
小枝と香澄先生はお互いに敬礼しあう。何だこれ。
「さあ、その二つをよーく見比べてごらんなさい。」
「ぬぬ?」
眉間にぐっと皺を寄せ真剣な表情で小枝は二つの文字を見比べる。しばらくうんうん唸っていたが、やがてあっという間抜けな事と共になんともつまらなそうな顔を香澄先生に向けた。
「まさかそういう事?」
「そう、そのまさか。」
自分も答えを知った時はそんな反応だった気がするなと流華は思い返していた。それはどうなのと。
「これ、不幸を棒と読み間違えてそのまま書き写しちゃったって事よね?」
手品の種はいつだって単純。手品と呼べる程のからくりでもないが答えは小枝の言う通り。前任者の文字があまりに汚かったのか雑だったのか。なんにせよその不幸の手紙を受けた者はおそらく違和感を抱きながらもそのままその字を書き写した。
不幸。棒。一見まるで別の文字なのだが、不の縦線が突き抜ければ木になり、木に幸せを寄り添えた結果、不幸は棒へと変貌してしまったのだ。これを香澄先生が言う進化と呼ぶにはかなり抵抗を感じるが、内容を間違えて写してはいけないというルールのせいで次第に不幸の手紙は棒の手紙へと移行を始めてしまうのであった。
「なんだー。なんかもっと面白い理由でもあんのかと思ったけど、想像を絶するくらいに単純なもんだったね。」
「そうね。それでもそれなりに棒の手紙が浸透したってのもすごい話よね。不幸の手紙なら回さなきゃまずいって思っちゃうけど、棒の手紙なら正直回さなくても別にっていう内容なのに。何を思って皆棒の手紙を回したのかしらね。」
先生の言う通り、棒の手紙なんて回す必要性はない。それでもそれなりの知名度をあげる事になったのは先輩にあたる不幸の手紙があったからというものではなくきちんと流布した結果だ。そこに込められた想い、そんなものがあるのだろうか。
気がつけば小枝の顔がすっと真面目なものへと切り替わっていた。
おや?これはもしや、始まるのか?
「皆がどうかは知らないけど、きっかけを起こした人物の想いは多分こうじゃないかな。」
きたきたきたきたー!
「ジャスティス。」
は?
(4)
「ジャスティス……?」
何を言い出すのだこのギャルは。ジャスティス。正義。流華の脳内に戦隊物のヒーロー達が綺麗に並んでポーズを決めた。
「どういう事さえちゃん?」
香澄先生は変わらず穏やかな調子で小枝に問う。
「きっかけは読み間違え。それによってもたらされた効果。るー、分からない?」
「え、ごめん全然分かんない。」
「じゃあ質問変えるよ。不幸の手紙、棒の手紙。自分に届いたら怖いのはどっち?」
「そりゃー不幸の……。」
そこまで言いかけて流華も小枝の言わんとしている事に気付いた。
そうか、ジャスティスなんだこれ。
「棒の手紙。これは勇気ある正義の一手なんだよ。不幸を棒と読み間違える。って事はまずその前に書き間違えた奴がいるわけよね。確かに不幸と棒。崩せば似るし説明がつかないわけでもない。」
「そうね。」
「書き間違えた説が完全に違うとは言わないよ。その可能性もなくはないと思う。けど、あたしは、こいつはもっと明確な意思を持って棒って書いたんじゃないかって思うわけさ。」
「正義の為?」
「そう、不幸に屈しない為。不幸の手紙を止める為。でも決して勇敢なタイプじゃなかったんだろうねこいつは。きっと自分の手元に不幸の手紙が届いたときは相当絶望したんだろうと思うよ。」
「なんでそんな事わかんのよ?」
「だって、もっと勇猛果敢な正義だったら声高らかに言うはずよ。こんな手紙を自分にこっそり仕込んだのは誰だって。そんでもうこんなくだらない事はやめようって。」
「ふんふん。」
「でもこいつはそれが出来なかった。そこまでの勇気も勇敢さもなかった。でも気付いたのよ。こんな自分でもこの不幸の連鎖を止められるかもしれないって。」
「……まさかそれが。」
「そう、不幸と棒の字が似てるじゃないかって。」
「だからそれを利用して不幸を棒に全部変えたのね。」
「そういう事。不幸が訪れると棒が訪れるじゃ恐怖感が全然違うもの。そんなほんの小さな抵抗。ほんの小さな正義。でもそれを信じて行動に移した結果、想像以上の結果を生む事になった。」
「やった内容自体は大した事じゃないけどね。」
「でも本人からしたらきっと命がけだよ。ルールには背いているからね。間違った書き写しをしてるわけだから。ひょっとしたら死神に対しての保険もあったかもしれないけどね。棒だと誤解して書いちゃっただけなんですって。保身しながらも自分の出来得る限りの有効打。向こう見ずのバカよりかはあたしは割と好感もてるけどね。」
もちろん真実なんて分からない。本当に単なる書き間違いかもしれないし、もっと違う何かがそこにはあったかもしれない。それでも、小枝の説を信じたいと思った。どんな形にせよ、勇気を持った行動は素敵だと流華も思ったからだ。
「なんだか案外爽やかな話になったわね。さすがさえちゃん。」
「えへへー、なんたってここの出来が違うから。」
とんとんといつものように指でこめかみをつつく小枝の姿を見て、今日は褒めてもいいかなと流華は少しだけ思った。まあ、褒めないけど。
Kidding room -不幸の代わりに棒を差し上げます-