practice(104)


百四






 湖面の駐車場でも隣のスペースとの仕切り線はあるらしく,敷かれた見晴らし台へと通ずる奥の通路の近くから一台だけ,今は機能していない料金所という出入口からその等間隔を感じさせる。まだ混んでいない時間だから,いまはこうだけれど,そのうちに車はひしめき合って,出たり入ったりを繰り返すことになるだろうから,僕らもそれに従って停車はしておいた方がいい。ここで例えばあてずっぽうに停めて,後からスピーカーで呼び出しをくらって,月夜の駐車のし直しに戻るなんて,やっぱりムードのぶち壊しにもなるだろうし,どうせ戻るのは僕だけになるのだろうし。だったらハンドルはきちんと切って,既に停まっているその車の隣に並ぼうとギアをバックで,ミラーをみながらアクセルは徐々に踏み込もうとした。
「なんでこんな別の車の近く?スペースはまだあるじゃない。ほら,そこも。ほら,あっちでも。」
 勿論分かっている,スペースはそれこそ山ほどあるけれど,仕方がないのは湖面があまりにも澄んでるために,運転席側の窓を開けて覗き込めば,覗き込んでいるこちらの僕と苦笑いをし合ってしまうし,逆さまになった天井は,綺麗な明かりを写しこむ。仕切り線なんてどこにも見えない。同じく,他の通常の駐車場で得てきた感覚を総動員するなら既に停まっている一台の車に並べて,大人しくした方がいい。その車が間違っている可能性はあるけれど,そのときはそのとき。僕たちだけが呼び出される,なんて事態は十分に回避できるのだから。ということを説明しようとしたけれど,すでに彼女はドアを開けた。勿論降りて,出入口の方向に向かって小走りをしながら,彼女が決めた停車位置に引かれた仕切り線を,見つけたようだった。
「見えるー?」
 と手を振る。
「オッケー。」
 というどちらにも取れる返事をした。バックはそのまま少し行い,車の鼻が曲がりやすいところまで曲がったところで,ギアを入れ直してそのまま前進する。真っ直ぐになるハンドルに任せて,真っ直ぐの向きで停めてから,もう一度ギアをバックに入れて,アクセルを徐々に踏む。彼女は特に合図をしなかった。仕切り線の中には停まれるようだ。
 それから二人で通路に向かった。鍵は勿論閉めた。歩く湖面は静かで,歩く自分が見えた。思ったより硬い感触に驚いて,思うとおりの綺麗さと,穏やかさに,ここまでの運転疲れをゆっくりほぐした。
 敷かれた通路はその先まで繋がっているために,二人で歩くたびに右に左に動くから,思ったより慎重に行かなければいけなかった。ただ,『ご注意を!』という看板は見当たらないから,ここから落っこちるなんていう人は居ないし,確かに聞いたことがない。安全のための手摺りも,同じようにうねうねと動くのだから,また決定的に安全,なんて言えないにしても,この通路はそういうものらしい。湖面に漂うところからして,要所要所で太いポールなどで支えているわけでもなく(湖面の深さは分からない。覗いてもさっきみたいに自分が写る),駐車場から目的地までを繋いでいるだけである。雑誌などには,ちょっとしたアトラクションのように紹介しているものもある。ただし人が多くなるとこうもいかないみたいで,安定した結果どこにでもある「通路」らしくなるそうだ。だから時間帯を狙って,という駆け引きを始めることになるけれど,ではどの時間を?という疑問には悩んで,なかなか訪れることを躊躇うことになる。ご機嫌を窺うみたいに歩いてしまっているから,僕としては混んでいてもよかった。でも彼女は遊んでいるみたいに走る。ついて行く僕も結果として遊ぶ。式典が多い今日だから,それを抜け出して来た,特別の日。この通路の先にある,見えている月の頭があるところまで。
 ほどなく階段も見えた。きっと駆け下りるにも容易い。
 タイルの線。突き出たテラスの,一番大きなところに丁寧に書かれたように映り込む,正面に拡がる湖面よりも,着いてからまずはこれがはっきり見えた。それから月の頭だけじゃない,潜って上がる,月の揺らめきも,彼女はそれを「月の洗面。」なんて言った。額縁みたいに水平に控える森だって,歯ブラシと喩えなかっただけ良かった。とんがり帽子を尖らせた,ギザギザを巡っては僕らの意見は一致せず,一台の展望装置に手を置いて延々と語った。金属機の冷たさに,時間を忘れた。
 わずかな硬貨もなかった。月は丸く,綺麗だった。湖面をあとにするとき,そうそう,駐車券を忘れてはならない。

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-31

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