富くじ善八捕物帖(後編)
七
横崎剣吾は元々下級武士の五男坊として生まれた。剣吾の父は自分と同じ轍を踏まぬよう立派な武士にするため厳しく育てようとした。。剣吾の兄弟達はは皆病弱で長男と三男はすでに幼い時に他界。次男は幼少の時に患った流行り病で耳が聞こえず武士として出世がはできないと半ば諦めていた。四男に至っては頭は良かったが体の方は病弱であった。母は病弱なのは私のせいといつも泣き。苦しんでいた。そして幸か不幸か丈夫な子供が生まれた。そして武士としての誇り「剣」の字をあて剣吾と名をつけた。剣吾はその名の通り丈夫に育った。頭もそこそこ良かった。当然、剣吾に期待する。
しかし所詮、貧乏侍はいつまで経っても貧乏侍なのだ。家禄はほとんどなく、母は傘張り。次男は草履を作り、生計を立てていた。肝心の大黒柱である父は役もせず、家で剣を振るい、それが終わると瞑想に耽っていた。自分を律しようとする反面。夜は酒におぼれ、借金だけが増えていった。そして父はいつも商人に頭を下げてはお金を借りる毎日を送っていた。
そんな父の言動のズレは剣吾をまっとうな生き方にするわけもなく、御多分に漏れず、破落戸へと変えていった。なまじ剣の腕が良いせいで、破落戸の間でも評判になっていった。
そんな時、剣吾が起こした傷害事件は彼の人生を一変させた。
剣吾がたまたま歩いていた時だった。他の破落戸が女を殴っていたのだ。剣吾もいつもだったらそのまま、知らんぷりをするのだが、その日はたまたま虫の居所が悪く、つい男に因縁をつけたのだ。つけられた方も意味が分からない。当然、破落戸が匕首を見せると、すかさず剣吾は刀を抜き、その匕首を持つ腕に平打ちにしたのだ。
平打ちとは刀の刃ではなく側面で打つことであるが、
匕首は手からこぼれ落ち、腕はみるみると腫れ上がる。骨を折ったのだ。そこにたまたま居合わせた同心がそれを見つけ、捕物劇となり腕の立つ剣吾に一人同心が負傷し、やっとこ取り押さえることができた。
それまでも剣吾は奉行所の世話になっていた。大体が破落戸同士の喧嘩であったため、無罪放免とまではいかなかったが金子を渡すことで事なきを得ていた。当時は賄賂さえ渡せばなんとでもなる。ましてや、剣吾は下級武士とは言え武士の家柄。奉行の方もことを荒立てたくはない。ただ今回ばかりは同心を傷つけている。これ以上庇いたてできないとと思っていた矢先、ある人物が奉行所にやってきた。川越藩家老井下直治だった。
殴られていた女は実は井下直治の娘で、結果的に娘を助けた剣吾をどうにか助けてほしいと懇願。剣吾はその井下の助けもあり、一分銀4枚と異例の大金を払い、釈放されたのだ。そして彼は川越藩の預かりどころとなったのだ。
それ以来、剣吾は心を入れ替え、まっとうに生きようと努力し、さらに剣の道を極めんとして修業に明け暮れた。元々、才能があったのだろう。腕はみるみる上達し、藩内外で行われる剣術大会に出ては優勝するようになっていった。そしてようやく川越藩の預かりどころから正式に士官を認められたのだ。そして今は井下の警護役筆頭となっていたのだ。
そして更なる出世を考えていたが、川越藩としても、元とは言え、不良侍。藩の重職に就かせることに難色を示していた。
当然剣吾もそれを重々承知はしているつもりであったが、どうしてもその不満は隠せない。
そんなある日。剣吾は井下にその不平を漏らす。
毎週、井下の屋敷で行われるお茶会があるのだが、まあ、お茶会と言うなれど言わば、井下派の会合みたいなもので、井下を持ち上げるために集まる会なのだ。そこには藩の重職に就く者も数名いて、その中に佐々本礼次郎の顔もあった。
「井下様。私は剣の道のみならず、書を読み、世の中のためになるよう勉学に勤しみ、尽力してきました。これもまた私が犯した業なのかもしれませんが、私より愚かでただの腰巾着ばかりが出世する世の中が許せないのです」
剣吾はそう訴える。
井下はそれを黙って聞いていた。周りもジッと聞いていた。やがて、井下からとんでもないことを聞いてしまう。その言葉に剣吾は何も言えなかった。
「なあ。剣吾。出世は誰もがしたいのじゃ。わしとて出世がしたい。それには時期と言うのがある。お前にはまだその時期ではない。なあ剣吾。わしが出世すればお前も出世する。いやここに集まった皆が出世する」そういうと周りにいた者も声を上げる。声は大きな波のように屋敷を包み、消えていく。そう剣吾が愚かで腰巾着と思っていた者はここにいる者だったのだ。そして井下は本性を顕にした。
「なあ。わしの出世に立ちはだかるあの憎き土方。剣術指南役と言う立場だけでなく藩の政にまで口を出しおって。噂では藩の次期筆頭家老とまで言われている。どうにか、あやつを陥れねばわしの出世は望めん」と
その内なる本性を知ってしまい、剣吾は自分の愚かさと過ちを同時に知ってしまった。そしてその片棒を担がされていたのだと思うと腹立たしく思えてならなかった。しかし、剣吾をこの川越藩に推挙してくれたのはこの井下。恩義はある。もう後戻りはできない。彼の中で葛藤の文字が渦巻いていた。
「なあ。ここだけの話」と井下が口を開けた。
それに耳を傾ける井下派の者。
「土方が死んでくれるか病気にでもなってくれたらいいのにな。それとも・・・あはは」
これはまさに、暗殺の事だ。口に出さずとも。
皆も笑う。剣吾はただ下を見るばかり。
井下はあろうことか、土方の暗殺まで考えていたのであった。
もはや、人の道を外れた鬼畜だ。とはいえ、剣吾自身もかつてはそうであった。ただ今更ながらにわかったことがある。
どの道にも鬼道があるのだ。と・・・・。
井下が皆の顔を窺いながら一人ひとり、その暗殺をやってくれる者を物色するような目で見ている。剣吾はつい下を向く。
土方に勝てる者などいるのか。剣吾でさえ五度試合をして一度勝てるかどうかなのだ。
そんな時、一人の男が声をあげた。佐々本だ。
「確かに土方様がいなくなればいいですね」とこれは私がやりますとの事だ。
「ああ・・・そうだな」
周りの者も皆唾をのみ込み黙っていた。この計画を知る者は皆同罪なのだ。もう後戻りはできないのだ。皆が顔を合わせうなずいた。
剣吾は自宅に戻り、考えた。この計画を邪魔する手立てはないものか。あからさまにそれをすれば剣吾自身の身も危ない。この事をどうにか土方に伝えたい。そして、剣吾は文をしたためた。だが、どうやってそれを渡すか思案していた。
そんな時、何も知らない土方が井下の屋敷に呼び出しを受けたのだ。
酒でも飲みながら、今後の藩政について話がしたいとでも言って。
六つ半の鐘が江戸の町に鳴り響き、土方は井下の屋敷へと向かった。
それよりも少し早く、剣吾は土方の屋敷に向かうべく準備をしていた。
だが、そんな日に限って井下の御用が多忙で、井下の屋敷を出るのにだいぶ遅れてしまった。
「たまには良いお酒でも買ってきます」と適当なことを言い、どうにか屋敷を出たのは六つ半の鐘が鳴り響いてから少し経っての事だった。
この道を歩いていけば、土方に会うだろう。土方の屋敷はここを出て一刻ほどなのだ。
その時に、この文を渡せばいい。そう思いながら、跡をつけていないか、時々後ろを振り返ってみるが、その様子はない。ホッと胸をなでおろしたが油断はできない。
一方、土方は井下の屋敷までの一本道を歩いていた。そんな時、ニャーと猫が鳴いた。どこかに猫がいる。しかし鳴き声はすれど、姿が見えない。あの鳴き声はまだ生まれて間もない。どこかの野良猫が子供でも産んだのだろう。そういえば、早百合が猫を飼いたいと言っていたことを思いだした。だったら今、その猫を吟味してやろうとその姿を探すため鳴き声の方のする小道に入った。すると、そこには五匹の仔猫がつぶらな瞳を輝かせ、ニャーニャーと鳴いていた。
「おお。おったか。ぶちか。かわいいな。よし。帰りまでそこにおったら、連れて帰ろう。ただし、一匹だけだぞ」と
すべての仔猫を一匹ずつ抱きかかえ、頭を撫で、どれがいいか吟味をした。ようやくこれだと言う猫を決め、その場を立ち去ろうとしたが、猫の執拗なまでの鳴き声に後ろ髪が引かれ、中々その場から立ち去ることができずにいた。一刻ほどの道草を食ってしまったのだ。
剣吾は土方の屋敷までの一本道を歩いていた。早くこのことを報せたく、足早に歩いていた。途中、ニャーと鳴く声を聞き、足を止めた。剣吾は無類の猫好きだった。だけど、今は猫より人の命が大事。その一心で土方の屋敷に向かった。結局、剣吾は土方に会うことができず、屋敷の前までやってきてしまった。
「御免。私、川越藩家老付き筆頭警護役横崎剣吾と申します。土方良蔵様にお伝えしたいことがございまして、参ったのですが」と
屋敷から出てきたのは娘だった。早百合だった。
「あいにく父は出かけました。どう言ったご用でしょうか」
「いや・・・」剣吾は言葉に詰まった。娘の肉親の命が狙われているとはこの幼子に言えなかった。そしてどう伝えたらいいのかわからなかった。
剣吾が困った顔をしていると、娘は怪訝な顔をし始めた。これはまずいと思い、
「わかりました。では、この文を・・・・・お渡しください」とだけを言い、そそくさと渡し、すぐさま踵を返し、屋敷を出たのだった。娘がそのあと、その文をどう扱ったのかはわからない。ただ、このことが今後どのように作用し、どうなるのかはなんとなく理解した。そしてその時、我々大人はそれを甘んじて受けなければいけないと誓ったのだ。
その日の夜。土方は帰らぬ人となったのであった。
八
早百合は井下の屋敷の前に立っていた。すでに屋敷の門は固く閉じられている。裏木戸にまわり、人気のないところを捜しだし、そして、ここだと言う場所をみつけ、辺りを見回した。誰もいないのを確認し、刀を白壁と地面に固定するように立てかけ、ずれない事を確かめた。つばの部分に片足をかけ、もう片方の足で地面を蹴り上げ、体を上に持ち上げた。塀は早百合の身長よりやや高くなっていたが、こうやれば塀を乗り越えることが容易にできた。塀の上に立ち、あらかじめ刀に括り付けていた縄をヒョイと持ち上げる。
塀の上を器用に歩き、降りやすい場所へと前かがみになりながら移動をする。
こうして早百合は屋敷の中へと入っていった。
屋敷の灯篭に身を隠し。腰に差した刀のつばに手を掛けた。
早百合はすべての事情を知っていた。5年前、あの剣吾からもらった文に書かれていたことが事実を。すべての悪の根源は川越藩家老井下直治なのだと。
訳あって今日まで事を起さなかったのだが、今日、兄の周蔵が奉行所に連れて行かれたのだ。これはもう由々しき事態。そして許されることではなくなったのだ。
早百合は今夜、井下の息の根を止めるために屋敷に忍び込んだのだ。
屋敷の奥では、明るく光るロウソクの炎がぼんやりと人影を写してみせた。
おそらく井下であろう。そして・・・
「井下様。私はもう我慢ができません」男の怒号が庭にいる早百合にも聞こえた。
聞き覚えのある声。剣吾だ。早百合は耳を傾けた。
「まあ。落ち着きなさい。これも藩のため。お前には何もわかっていない」
「わかっていないのは井下様です。どうか目をお覚ましください」
「何を覚ますと言うのだ。頭を冷ますのはお前だ。剣吾」
「井下様・・・・」
「ええい。五月蠅い奴だ。わしをあまり怒らせるな。それにお前、いいのか。わしは知っているんだぞ。佐々本を殺めたはお前だってことを」
剣吾は何も言えなかった。剣吾から一筋の汗が垂れた。
「まあいい。佐々本も最近、付け届けが少なくなってきていたからな。そんな男にいつまでも、付きまとわれても、仕方ない。ある意味お前には感謝しているんだよ」
不敵な笑みを浮かべ、剣吾はこの先もこの井下の悪行に目を瞑り続けないといけないのかと思うと、自分の人を見る目のなさに自分自身が厭になった。そして井下をこのまま野放しにしては藩のためにならない。そう思うと、一瞬であったが刀のつばに手を掛けた。その思いを断ち切るため一度、目を瞑った。その時、漆黒の闇にまぎれて蠢く殺気を捕える。
「出てきなさい。そこに居るのはわかっている」
襖の戸をピシッと勢いよく開ける。静けさの中から、やがて、湿った空気と共にスッとでてきた人影があった。
早百合だ。
女剣士さながらの出で立ち。半身を前にだし、刀を構えた。が、剣吾の姿を見て、一瞬構えを解いたがまた、刀を握り直した。
「横崎様・・・」
「もしや・・・早百合殿か。その出で立ち。まさか・・・」
「はい。私はもう・・・・許せませぬ。そこに居る井下。我らが父の仇。今日ここで果たしにきました」
早百合は再度、刀を握り直し、上段に構えた。上段の構えは亡き父である土方良蔵の得意とする構えであった。
一寸の隙のない。おそらく今まで鍛錬を怠っていないその構えに剣を極めた剣吾でさえほれぼれするものであった。
「あはは。何を言っておる。この娘。とち狂ったか。剣吾早く始末してこい」
やや、腰の引けた井下が剣吾に指図する。
早百合の刀に力が入る。もはや勝てる相手ではない。早百合は剣吾を一点に見つめた。
「剣吾。はよせぬか」と煽る井下。
「もうやめましょう。井下様」剣吾は井下を見ずに言う。早百合から目を放すと早百合の鋭い剣がこちらに来るやもしれない。そんなことができない。もし、少しでも隙を見せればこちらがやられる。そんな気迫がうかがえた。
「ええい。もういい。役立たずめ」
と、井下が床の間の刀を取り鞘から刀を抜き。鞘を投げ捨て、剣吾めがけて真一文字に刀を振った。早百合に気を取られ、井下の行動に一瞬、動作が遅れた。その剣すじを躱すのが精いっぱいだった。剣吾の脇腹に井下の刀が掠った。剣吾は体位を半身ずらし、刀を避けたのだ。その手ごたえの無さに、井下は二太刀を浴びせる。手首を返し下段から上段へと斜めに切りつけた。しかし剣吾にはもうその二太刀は通用しなかった。下からくる刃先を足だけの体重移動で寸でのところで躱す。キラリと光る剣の身に剣吾自身の顔が浮かび上がった。躱された刀は井下の体の重心を宙に浮かせる。それを見計らい、井下の脇腹に刀の柄で突きあげた。
「き、貴様・・・」
倒れ込む井下。と同時に酸っぱい物を吐き出し。刀を力なく手から外した。それはまさに一瞬の事であった。
早百合はその剣技に一歩も動けなかった。そして剣吾はその行動などまるでなかったかのように早百合に鋭い眼光を浴びせた。これから敵わぬ相手とまさに対峙しなくてはいけないと思うと早百合の目には涙が浮かんだ。
「いい加減にしなさい。早百合殿。自分をもっと大事にしなさい。もうこれでいいではありませんか。あなた方兄妹は幸せになるべきです。だから後は私に任せなさい」そういうと剣吾は刀を振り上げた。井下はすでに頭を垂れ、一歩も動かない。
剣吾が刀を振り落としたその時、
「ちょっと待ってください」
どこからともなく声がする。
剣吾が振り下ろした剣先が井下の首間際で止まる。早百合も体をひねり、声の方へ向けた。
暗闇から提灯の炎が現れる。そして、たすき掛けをした与力高端とその同心芝田、その後ろには善八率いる、手先10人が待ち構えていた。
「おっと。動かないでくれ。おさえよ。いや、それとも、早百合殿と呼んだ方がいいのかな」と善八が言う。早百合は力なく刀を振り下ろす。
「親分さん・・・。どうして・・・・」
「すまんな。おさえ。すべて芝居だ」
おさえと言われた早百合は戸惑っていた。何がどうなっているのかわからなかった。呆然とする早百合。
「もういいですか。善八。川越藩家老井下直治並びに横崎剣吾。事の真相を聞かせてもらいましょうか」
与力高端が丁寧な言葉でそう言うがどこか威圧感があり、屈服させられる力があった。
剣吾も井下も観念したかのように大人しくなる。
「善八。彼らは連れて行きます。それと。早百合殿。あとで話があります。奉行所までお越しください」と言い放つと、颯爽と彼らを連れて去っていった。
そこにはまるで先ほどの騒ぎなどなかったかのように静寂さが戻っていた。そこに残された2人。しばし、何も語らず、佇んでいた。
ようやく口を開けたのは善八であった。
「おさえ・・・・」すまない顔をしていたが、この暗闇では到底わかりはしない。だけどその言葉の雰囲気からそれがどことなくおさえに伝わる。
「どうして。どうして私が早百合だとお分かりになったのですか」
涙声のおさえ。
「ほんとすまねえ。騙すつもりはなかったんだ・・・・。おさえがだいぶ前からなんとなく早百合殿ではねえかなと・・・」
「だいぶ前からって・・・」
「いや。正直に言おう。最初からだ・・・ほら・・・あれだ・・・」
歯切れが悪い言い方に早百合は
「最初って・・・それは・・・」と少し疑いの声を発した。
「いや、嘘じゃねえ・・・・ほら。あのおしんこ。あの味はなあ。商人町人では出せない味なんだよ。あれは武士の味がした」
「武士の味ですか」
「ああ・・・武士の味だ。あのおしんこには武士の味がした。あのおしんこ、味醂、使ってねえか」
「あ・・・はい。それがどうして」と不思議そうに言う。
当時味醂は粕漬けを洗い流すために使うことはあってもそれを使って漬けることはなかった。その漬け方が庶民の間で使い始めるのはもう少し経ってからなのだ。
その製法を知っていたのは大富豪や武士。そしてその食べ方は江戸の庶民がしらないはずなのだ。それなのに早百合はその製法を知っていた。
ということは早百合は間違いなく武士若しくは大富豪の娘となる。
その事を告げると早百合は驚いた。あの漬物にそんな意味があったとは。ただ美味しいからと母親から教わり、それがまさか自分の素性を知らしめる物になるとは。
「知りませんでした。私は・・・でも、親分さん。なんで親分さんはその武士の味っていうのを知っているのですか」と素朴な疑問を投げかけると善八は横っ鼻を親指で弾き、照れくさそうに言う
「それはなあ。わしは元々武士なんじゃ。。まあ。もう没落しちまったけどなあ。昔の威光を笠に着ようなんて思わないが、まあ。そんなわけよ。で、町娘が武士の味を出すこと自体ありえねえ。これはいわくがあるなとおもったわけよ」
「それだけで・・・私が・・・」とまだ疑いの目を向ける。そうすると
「いや。それだけじゃねえ。ほら。一緒に夜道で襲われた時だ。あのときに、おさえ、お前の手を握ったろ。あん時にな。ああこりゃ。女の手じゃねえ。刀を振ってる手だってな。そん時わしの考えが線になったんだ。だがよ。決め手がねえ。だから・・・一計を案じたわけだ。お前さんの兄が引っ張られたって言えばおさえ。お前が動くんじゃねえかってな。動けばおさえは早百合。動かなければ違う。ってな。まあ。それで高端様もわしの案に乗ってくれたってわけだ。騙すみたいな真似をして・・・」と最後まで言う前に善八の頬に痛みが走った。早百合の手が頬を叩く。みるみるうちに頬は赤みを増していく。
「すまねえ」善八は下を向く。早百合はジンジンする手を抑え、涙を浮かべる。そして涙を堪えながら、
「親分さん・・・・。こないだのツケ。ちゃんと払ってくださいね。待っていますから」と善八の頬を撫でた。おさえはまだ腫れぼったい目をしていたがどこか吹っ切れた顔で笑顔だった。
その顔は先ほどまで仇を取ろうとしていた早百合の顔ではなく、町娘のおさえの顔をしていた。
九
お白洲での沙汰。川越藩家老井下直治は私利私欲のための殺人を手引きした罪で切腹が言い渡された。横崎剣吾にはどんな理由があったとは言え人を殺めたことには代わりはないと言う事であったが、早百合と周蔵の情状もあり遠島を申し付けられた。
そして事件はこうだった。
井下には目の上のたんこぶだった土方良蔵を佐々本を使って殺めたのだが、それを剣吾の文により知った土方兄妹が事件から五年後に井下の屋敷を訪れたのだが
「ではその証拠をだしなさい」しらを切る。そしてその場から追い返された。何もできないまま兄妹は屋敷に帰るのだが、その道すがら佐々本が二人の前に立ちふさがる。
妹を守るため剣を交えたが佐々本に敵うはずもなく、万事休すと思ったときに剣吾が後ろから佐々本を切りつけたのだ。そして二人に
「この場は私に任せて逃げなさい」と剣吾は言い、兄妹はその場を立ち去った。
こうしてあたかも同じ藩の剣術指南役の連続辻斬りという事件が起きてしまったのだ。
十
数日後、善八は高端の屋敷に呼ばれていた。
酒でも飲もうではないかと。
「一件落着ですな」
「そうですね。善八。お手柄でした」と高端が善八に熱燗を注いだ。
「あ。すんません。おとと。まあ。あっしは自分ができる事をやったまでですけどね」と酒に口をつける。
「あはは。そうですか。まあ。それができる人はそういないですけどね」
善八は少し気恥しくなり頭を搔きながら話をそらすため話題を変えた
「ところで、剣吾殿はどうなりました」
「剣吾は遠島になりました」
「遠島ですか・・・」
善八はホッと胸をなで下ろした。剣吾の生い立ちと剣吾の心情を考えると人を殺めたとは言え打ち首になるのはかわいそうだと思っていたからだ。そう言うとお猪口の酒をグイッと飲み干した。その姿を見て高端は笑いながら手を叩いた。
「良く言うぜ。善の字。こうなることを見越してのことだろ」
善八は首を傾げ参ったなぁの顔をした。
そう善八は南町奉行の月番になるのを見計らって事件を解決しようとしていたのだ。北町奉行が悪いと言うわけではない。南町奉行の大岡越前守忠相の温情味あふれる裁きに期待しただけなのだ。そんな心優しい善八を高端は大好きであった。
だからわざとそう砕けた言い方をしたのだ。
善八も頭を上げることができず頭を掻き毟るばかり。
高端も笑うばかり。
その宴は明け方まで続き、朝まで笑い声が止まることはなかった。
そして与力高端から善八に褒美として異例の一分金を贈った。
善八もそれを片手に富くじを買う。
それがまた大きな大金となって戻ってくるとは知らずに。
了
富くじ善八捕物帖(後編)
時代物を書いてみたのはいいですが、時代考証を考え調べながら書いていたつもりでいましたが、ところどころ時代にそぐわないところがあってそれを訂正したりと大変な作業でした。脚色的に時代考証を無視している部分もありますが、それはご勘弁ください。