講堂の地下
一つの話をちゃんと書ききったのはこれが初めてです。一気に書いてしまいました。
「今日授業の後、行ってみようよ」
高原が隣の席から半身を私に近づけて言った。教室は講義が終わる寸前の雰囲気で満たされており、半分以上の学生がノートや参考書、あるいはそれ以外のものを各々の鞄にしまいはじめているところだ。
「うちら、もう二十歳とかだよ。マジで行くの?」私は言葉に否定が籠りすぎないように言った。
そもそも女子校の時から、女3人だけで遊ぶ事の多かった私達である。つまり私以外の二人とは、高原真希と後藤仁美の事だ。世の中でかなりの人数が占めるはずである”目的はないが将来の為に大学に入った”組から漏れなかった私達は、高校からの友人という関係性を保持することに成功していた。秘訣は大学に入ったら、それぞれで別のコミュニティに属する事である、と言い切ってみる。実際の話、高原はお笑いサークルに入って仲良くやっているようだし、後藤はボランティアのサークルを有意義にやっているようだ。私はサークルにも入っていないし、クラスの飲み会なども殆ど断っているので、大学に入ってできた友人というのは片手で数えるほどしかいない。それについて悲観はしていないし、世で一般的に言う年頃の娘が興味のありそうな事に手を出す事で、私が小説を書いたりホラー映画を一人で見に行ったりする時間が削られるのは勘弁願いたい。
大きさに関してはかなりのものと言えるが、逆を言えば周りが田舎すぎるとも言えるこの大学に足を踏み入れてから、高校生の時分のようにオカルト趣味を他人に話すということはなくなった(たとえそれが女同士の飲み会であっても。いや、だからこそかもしれないが)。私のそうした趣味を知っているのは、共通の知り合いが全くいない高原と後藤だけだ。
なんのことはない。久々に2人と食事をした。肝試しはその時に出た話である。
キャンパスの本校舎からは少し離れた所にある、体育館のさらに奥に、大きな講堂を伴った建物がある。そこは”記念館”と呼ばれており、今から40年程前に大学の創立記念として建立されたようだ。建物として古くなってきている上に、いったいどうしてこんな人目につかない所に建てられたのか皆目分からないが、近いうちに「移動」が決まっているらしい。本校舎の近くに建て替えられるようだ。
「記念館講堂の地下に大きな人形があり、日暮れ以降に見に行くと眼が動く」
という小学生が考えそうなネタが、噂として私達一年生の間で広まっている。
「見に行った人、結構いるみたいよ。すごい怖いって。」
「本当に眼が動くわけじゃないんでしょ。」私が言うと、高原はちょっと残念そうに答えた。「何か声が聴こえたー、とか、よそ見してたらいつの間にか違うポーズだったーとかそういう事言ってる人はいるんだけど、大体男の先輩とかが一年生の女の子を驚かすネタみたいになってるのよね。キャーとか言ってあげてるけど。」
「キャーとか言ってあげてるんだ」後藤が楽しそうに食いついた。「仁美はサービス足りなすぎなのよ。媚びることはないけどさ、それで悪い雰囲気にはならないじゃん」高原が返したが、私の見た所、後藤も”サービス”は十分に行っている様に見える。私はグループのしっかり者として話を戻した。
「記念館が空いてる時間なら、いつ見に行ってもいいんでしょ?まあ、私はともかく後藤が空いてる時にでも行ってみようか」午後6時を告げるチャイムが鳴った。
高原が西洋史の授業で声を掛けてきたのは、夏休みが明けて間も無い時だった。肝試しの話を3人でしたのは夏休みの直前だったので、あるいは夏休みが彼女にとって楽し過ぎれば 肝試しの事など忘れてしまうかもしれない。そうなったらそうなったで私は構わないが、後藤は怒るかもしれない。私がそれをなだめるかもしれない。私達にとって、それはいつもの風景だった。だが高原は誘ってきた。夏休みに楽しい事などなかったのか、軽口の流れで尋ねてみようかと思ったが、それは肝試しのついでにすればよいと思った。
9月のまだ残りすぎている残暑に辟易しながら、私と高原は本校舎から300m離れた体育館を目指し、途中の自販機の前で後藤と合流した。強い西日にもかかわらず、Tシャツ一枚で後藤はダイエットコーラを飲んで待っていた。炭酸飲料を飲めるようになるのは練習だ、と彼女に教えてもらった事がある。未だに私は練習していない。
「だんだんガテン系みたくなっていくよね、後藤は」私が言うと、後藤は悪い気分ではなさそうだった。「嫁の貰い手がなくなるよ」夕日の中で肌と髪をオレンジに光らせて、彼女はにっこりと笑い、コーラの缶をごみ箱に投げると、じゃ行こうかと言って歩きはじめた。正直な話、私達3人並んで冷静に見れば、一番美しい容姿なのは後藤仁美だろう。高原は愛嬌のある顔といった感じだし、明るい性格から男子にはモテそうではあるが、美人に類する顔ではない。本人も自覚していると思う。自分の顔に関しては何とも批評しようがないが、仮に平均(何て杜撰な表現だろう)だとすると、やはり後藤は相当な美人の部類になるのではないだろうか。この3人は他の人間を交える関係にならない方が良い。私達の間に男性が割り込んでくるのを想像した時、そう思った。無論、「他の人間」とは男女を問わずであるが。
記念館入り口には受付があった。中には管理人らしき初老の男性が事務仕事をしている。時間は午後5時をまわったばかりなので、この季節の強い日差しはまだまだ建物の西側を照らしていた。まあ、今日は久々に3人でスリルを少しだけ味わおうという集まりなのだ。心霊スポットへいざ参らんとする時に、雰囲気がホラーのそれとはまるでかけ離れていても、大した問題ではない。例えばどうしようもなくつまらないオチが待っていたとしても、それならどこかの店に行って、高原のこの夏の失敗談を聴く会に趣旨替えすればよいだけの事。私達はなにくわぬ顔で受付の横を通ったが、特に呼び止められる事もなかった。大学の他の施設と同じように、実質「鍵の空いている場所は出入り自由」だ。
まず、講堂を見てみることにした。大学に入って半年経つが、記念館に入るのは3人ともこれが初めてである。以前は授業もやっていたらしいが、大学理事で建物の取り壊し、いや、「移動」が決定して以来ここは、ごくたまに大学院生が使用する時と、学祭で人の集まる場所に出店できなかったサークルを押し込める場合に使っている程度だそうだ。
講堂は思っていた以上に広く、400人くらいは入って普通に講義を受けれそうだった。だが特徴といえばそんなもので、我が誇り高き大学全体に見られる”無駄に大きい”というスローガンを見事に反映させていた。高原が講堂の真ん中で両手を大きく広げて伸びをしたり、お定まりに教壇に立って後ろ手を組んでみたりしていたが、すぐに飽きて本命の地下へと向かう事にした。あまり騒いでいると先ほどの事務の男性がかけつけてきて怒られそうだったので、3人とも会話は殆どしなかった。講堂を出て、扉の左に進むとトイレの向かい側に地下へと降りる階段を発見した。
階段の先に踊り場は無く、真っすぐに地下へと向かっていた。そもそもこの建物の地下は何に利用していたのだろう?地下を作る必然性が想像できない。本校舎が現在の位置に移転したのは1980年代の後半だそうだから、それまではすぐ近くに本校舎があって、この記念館にも人が沢山来ていたのだろう。院生の研究所が地下にあったのかもしれない。あるいは学生闘争の時代に、外部に漏れては困る重要なものを地下にしまいこんだのかもしれない。私の脳内では、地下という言葉が鍵になって、秘密の書類や、写真、もしくは、白骨の死体、という連想が引き出されていった。昔から、こうした小学生の男の子がするような妄想を自分で止める事ができない。
地下は元々食堂だったようだ。紙に書いたメニューがコンクリートに直接、貼ってあり、日光で劣化してはがれそうになっている。地下は掘り下げになっていて、陽光が外からかなり入って来ていた。そして、食堂とはまったく関係のなさそうな棚やロッカーが文字通り散乱していた。倒れているものもあれば、妙にきれいに並んでいるものもある。
「何ここ。ゴミ捨て場じゃん」高原は声を潜めて言った。声の調子から、落胆しているわけではない。むしろ想像していたよりも不気味な雰囲気に、好奇心と恐怖が入り交じっているような声だった。少なくとも私はそれらの感情に支配された。後藤が私のチュニックの袖をつかみ、「ちょっと怖いね…やっぱり」口調は冗談めかしていたが、内心では本気でそう思っているように言った。
食堂が営業していた時には配膳をするカウンターだったであろう場所にたどりつくと、私達3人は息を呑んだ。
カウンターの上に、悪意をもってそこに座らせました、と言わんばかりに大きな人形が腰掛けており、中途半端に入ってくる日の光がその姿に不気味な影を作っていた。
おそらくだが、高原も後藤も声を上げるタイミングを失したのだ。あまりにもそれが突然そこにあったから。だから私達は「ひゅっ」と息を呑んだだけで、動きを止めてそれを見つめていた。
それは中々に高価そうなフランス人形だった。薄いピンクのドレスと同じ色の帽子をかぶり、ブロンドの髪を腰まで前に垂らしている。見た目がぎょっとする要素としては、まず大きい事だ。身の丈で言うなら60cmくらいあった。そして、眼。
小さな口や、筋の通った鼻と不釣り合いに眼が大きかった。といっても極端にではなく、あくまでもフランス人形の造形の範囲内ではあるがと私は思った。もちろんだが、人形は微動だにしない。その派手な容姿とは裏腹に、無主張なまま宙を見据えている。私達も動けなかった。これが、魅入っているという事なのかと思う程に、ロッカー達の間に置き去りにされたその人形を3人で見つめていた。
陽の光が少し細くなり、それによって意外な程長くその人形を眺めていた事に気づいた私達は、誰が言い出すでもなく元来た階段を昇った。一瞬振り向くと、日光が作る照明が変化したせいで、人形は真っ黒な何かに見えた。私は再び息を呑むと、早足で階段を昇り、ついには記念館の出口まで走り出した。他の2人が追いついて、建物の前までたどり着くと、3人で少し息をきらして笑い合った。
「高校の時と、やってること変わらないじゃん」
「でも、すごかったね。人形。あれいくらぐらいするんだろう。高いよね。きっと」
「あー、わけわかんない。なにやってんだ、うちら」
と口々に言って、その日はなんだかどっと疲れてしまったので、そこで解散という事になった。そしてその日を境に、私達は3人で会う事はなくなった。
簡潔に言うと、後藤と高原で一人の男性を巡ってトラブルが起きたようである。夏休みに高原はサークルの合宿に行き、非常に下品な物言いを承知で言うなら、お目当ての男性に告白した。ところが、その男性は後藤と既に男女の仲であったらしい(男性が後藤と知り合ったのは偶然だったそうだ。仮に偶然でなくとも結果は変わらないが)。高原がその男性に想いを寄せている事は後藤も知っているはずだったらしいが、後藤は「先に知り合いになったのは自分だから」とかなんとか言っていた。他人事で聞けば、よくある男女のハナシで記憶の片隅にも残らないだろうが、私にとって数少ない友人2人がそのような事になったとは驚きだった。驚きだったとは、2人の人格を考えるなら、その三文ドラマの役割は逆のキャスティングであるような気がしたからだ。私には、あの後藤が友人の想いをよそに、自分の恋心を優先するとは、と思えた。何だか急に自分達の年齢が加速して大人になってしまったような気分がした。私は高原を可哀想に思ったが、後藤を憎む気持ちになれそうになかった。私自身が後藤の立場に立った時、同じ行動をしないとは言い切れない。高原だにしてもそうなのだろう。結局のところ、私達は女になったのだ。各々の愚痴はこの後一年程聞かせれ続けることになった。
半年経った後、記念館は移動の着工に入る前に、小火が起こって立ち入り禁止になってしまった。原因は誰かが忍びこんで起こした煙草の火の不始末らしい。どうやらあの地下の食堂は、産業廃棄で捨てる為に一時的に粗大ゴミを貯めておく場所になっていたらしい。大学は管理体制について消防署にこっぴどく言われたようで、他の校舎もこれまでより退館時間にはうるさくなった。私は(きっと他の2人も)あの日の事を想い出して、何か言われるんじゃないかと内心ビクビクしていた。
何もないまま記念館は取り壊され、2年が経って私も一応男性と付き合い出した。彼はいわゆる本の虫であったが、私の話をたくさん聴いてくれた。ある日、ふとしたことから記念館講堂の地下で不気味な人形を見た、という話になり、彼は眼を輝かせた。
「それ、文芸部の先輩から聞いたよ。実はその人形を置いたのは、先輩とそのグループなんだって。人形の出自自体は、昔からサークル部室の倉庫に置いてあったものらしいから分からないけど、邪魔なだけだから地下墓場に捨てにいったんだって。」
「墓場!?」
「学生会館に出入りする連中はそう呼んでるんだ。それでさ、先輩たちはどうせならここにゴミを捨てに来た人を驚かせようとして、どこに置いとくのが一番怖いか、とかやってたらしいんだけど…。」彼は少し言葉につまった。私がいたずらっぽく「だけど?」と訊く。
「配膳カウンターにただ座らせておくだけ、てのが何故か全員一致で一番怖かったらしいんだな。そこに座らせた瞬間空気が全然違う、みたいな。お前の話では、その時も人形はそこに座っていたんだろ?」
私は彼の問いに答えず、考え込んでしまった。あの時の異様な空気を言葉で説明するのは難しいが、黙ってしまったのは全く別の事を考えていたからである。
近いうち、高原と後藤に連絡をとって3人で会ってみようと思った。私は自分が彼女達の仲を元に戻したいと感じている事に気付いた。私は自分勝手だったかもしれない。なんだかんだ言って端から2人を見て溜め息をつくばかりで、親友というわりには2人のために何もしなかった。今、彼の話を聞いてあの人形を想った時、ふと彼女らと共有した空間を思い出したのだ。あの空間を共有した私達3人が、このままの関係で良いはずがない。何かの啓示を受けたように、私は心の中で密かに、強く決意した。子供のままと思っていた私達はいつの間にか女になっていて、女同士であるがゆえの行き違いで心を離してしまった。だが、失ったものがあるとしても、時間を味方にして取り戻せる事もあっていい。
そういえば、あのフランス人形も、当然女性の人形であった。
講堂の地下
「ノスタルジック」と「ホラー」は自分の中で大切にしていきたい要素です。もっと筋立てがしっかりできるようになったら、長編も書きたいなあ…なんて思っています。