無意味なアドバイス


 目を覚まして時間を確認するためにiPhoneの画面を開くと、「死は休息ですらない」というメモが残されている。記録された時間は早朝というか深夜というかそれくらいの時間で(メモ自体を消してしまったので正確には分からない)、つい数時間前に自分で書いたものらしかった。
 よっぽど心地いい睡眠だったのだろうと思う。実際、今日は近年稀にみるくらいのすっきりした目覚めだった。こんな気分で目覚められることは滅多にない。
 このメモが書かれた状況と文面とから考えれば、「死はこんなに安らかなものであるはずがない」、という意味のメッセージだろうと思う。心地のいい睡眠のなかで、この安らかさは睡眠ならではのものだということに気づき、そのついでに死は眠りではないのだから決してこんな心地よさは与えてくれないということに思い至り、その忠言を目覚めた後の自分に与えたかったものと思われる。
 このメモは(明らかに何かのアドバイスだ。あるいは、一種の警告のつもりで書かれている)かなり中途半端なものだ。「だから何なんだ」と言える内容だし、実際に何か次があるのだろうけれど、それについては何も書かれていない。ただ、その「次」を想像するのは難しくない。警告ないしアドバイスとしてのその内容は(それが警告なりアドバイスだったとすれば)要するに、心地よさは生きていてこそのものだ、だからくれぐれも死には気をつけろ、という意味のものだ。
 けれどこの忠告は何の効果も持っていないし、何かの目的のために役立てるということもできそうにない。死が心地いいものではないことが分かったところでそれを改善することはできないし、その忠告のおかげで死を回避することができるようになるわけでもない。すばらしく画期的なアドバイスだと思って、だからこそ安眠を破って必死に書いたのだろうが、完全に徒労だ。生きている間にできることなら実行するが、その埒外のことを指摘されてもしょうがない。

 死は眠りに擬えられることがある(「安らかに眠りたまえ」)、けれど、眠りが生きた人間の特権であることを考えれば、死が眠りのようであることはありえない。同じように、死には清算というイメージがある、だから、どうしても、漠然と、死はすっきりしたもの、ないし、すっきりすることだと思える。けれど、すっきりするというのが生存上での出来事だとすれば、死がすっきりしたもの/することだということは、何らかの奇跡が起こりでもしない限りありえない。そして奇跡が起こるにせよ、奇跡は理不尽だから、そこに与えられる安らぎというのも、すっきりとはしないだろう(理不尽に与えられたもので喜べるなら、曲り角で突然殴られても笑っていられるだろう。無理やり口に押し込まれたものをおいしく食べられる人間は幸せだが、そういう人間にならなければ幸せになれないとすれば、それはそれで不幸なようにも思う。――何の話だったか? そう、死は奇跡が起こらない限り福音にはらないという話だ)。
 仮に福音が与えられるにしても、自分自身とは一貫しないところで、つまり自分とはまったく無関係なところで脈絡なく与えられるのだから、その安らぎは自分のものだとは言えない。ひとが感じているところを見て、それで自分も感じられるだろうか、という話だ。共感はできる。ただ、共感したものは自分のものかというと、少し違う気がする。第一死んだ後与えられるなら気づきようがないし、気づきようがないものを与えられることを約束されても、喜ぶべきなのかを判断するのは難しい。

 死は結末ではあるとしても、それによって何か結論を出してくれるものではないし、それを結論に代えることもできない。「答え」にはならないのだ。――その意味では、死は結末ではない。死は、終りという意味では結末ではあるが、ある人が生きた人生の結果という意味で言えば、何ら結末ではない。たとえば、かれこれこういう人生を生きたために死ぬ、というのではなく、どんな人生を生きても死ぬのだ。これは誰かが言っていたことだ――いや、ここまでの論旨は多分、そのまま誰かの受け売りだ。何かで読んだものを綜合して繰り返しているだけだ。そしてこれを言った人間は(自分が知っているくらいだから、誰もが知っているような)かなり有名な人物だと思う。どの断面から見ても、こんなことを書くのは無意味なのだ――が、そういう意味で、誰もが同じ死を死ぬのだ。誰もが必ず同じ結論を出す。誰もが同じもののなかで、つまり、自分とは違うもののなかで死ぬのだ。同じことだが、逆に言えば、自分固有の結論というものは用意されていないし、自分の結論を自分で決めるということもできない。
 そういう意味では、死は自分の人生と一貫していないし、必然的なものでもない。無条件的に、生きた人生とは無関係に与えられる。またそういう意味では、人生は無意味だ。価値として、というのではなく、結果に作用を及ぼし得ない、という意味で。けれどこの無意味は、無価値であるより認め難いものに思う。
 自分や自分の人生に価値がないことなら許せるだろう。自分の人生に何か価値があって欲しいとは思わないし、価値という観点から言って自分の人生に何の意味もないということが分かったとしても、それはまったく構わないと思う。加えて言えば、生前の行いのために地獄に落ちるとしても不満はないし、一切の異議は申し立てないだろう。でも、そういうものと無関係に誰もが同じ結論を与えられるとすれば、そのことには耐えられないと思う。平等という点で、というより、あまりの馬鹿馬鹿しさに。
 どうせなら、そう言えばそんなことをやったのだからまあ仕方ないと思えるような、自分に相応しい地獄に落ちたい。確かに幸せだったり不幸だったりしたと思えるように。そうでなかったとすれば、つまり、結果が無条件的に(神の気まぐれな恩寵のように、それ以上に、平等に)与えられるのだとすれば、何だ、美徳なんて、存在しなかったんじゃないか、と、思うだろう。それはきっと、耐えられることではない。そのこと自体に耐えられないというより、その事実がもたらすものは(それが事実だとすればだが)、錯乱でしかないだろうからだ。
 繰り返すが、何をやっても同じだということが許せないのではない。何をやっても同じになるような、どれほど特殊なものも更地にする力が最後に控えていることが、生きている間に感じたことや判断したことすべてを嘘にする、その作用に耐えられないのだ。その作用は感情の根幹を揺さぶり、感情そのものを無意味にする。
 本当に結果は無分別に与えられるのかは分からないから(死んだことがない以上死後の世界というものをなお考えることができるし、生きている人間の側から見て死はみんな同じように見えるけれど、実は死は個別のものなんじゃないかと思うことが、なお許されているから)自暴自棄な犯罪は最期の瞬間まで引き延ばされるが、もし予めそのことが分かったとすれば、倫理も糞もへったくれもなくなる。好きな人の笑顔を見て幸せな気分だったその瞬間も、死という万人的に普遍的な最高権力者によって無効を宣言されるのだ。愛する人間が笑っていたその瞬間が幸せなものだとお前は思ったのかも知れないが、それは間違いだ、と。死こそが絶対的で普遍的なものだとすれば、生きていることは一場の夢で、その間に起ったことはすべて無根で不確かなものだということになるだろう。喜びは見当違いのものだったし、悲しみも、本当は悲しみではないのだ。
 死の前ではすべてが平等で、区別もできない。喜びも憎しみも等価で――いや、それは喜びだったのか憎しみだったのかも分からない。幸福だと思ったのは見当違いで、不幸も思い違いに過ぎない。例の幸福な瞬間は本当に幸福だったのか分からなくなる。そのぐらつきがより強くなった場合、最終的にはこう言えるだろう。幸福だと思ったそれは、実際には、幸福ではなかったのだ。それは結局のところただ自分の感情にもとづいてそう思っただけのことだが、自分の感情というものの土台がない(あるいはその土台自体が死の命じるところである)以上、実際はそんな気がしていただけで、その判断は偽りだったのだ。感情がどうあるか以前に、感情自体がないのだから。
 個別的な人格をもつ誰にも、それは判断できることではなかった。幸/不幸という概念は、その判断が感情にもとづくものである以上、ありえない概念だったのだ。幸せだとか不幸だとか思う時点で傲慢だったのだ。
 ――何だか、目覚めのすっきりした気分がだんだん曇り始めてきたからこのへんにしておこう。今は生者の特権にすがっていたいと思う。愛する人の笑顔は幸福なのだ。今はまだそう思えるし、それでいい。

 「死はすっきりしたものではない」という事実が、うつらうつらした反睡の頭に特に衝撃的なものとして認識されたのだろうと思う(今でも衝撃的だ)。そうでなかったとすれば、よっぽど心地のよかったのだろう睡眠の最中にわざわざメモを残す理由がない。そしてこのどうということのない事実が衝撃的なのは、とてつもなく生きていたいからだ。
 死はすっきりしたものではない、それと同じ理由で過酷でもないが、死によって苛酷さから永遠に決別できるとしても、すっきりしないのは嫌だ。
 この欲望を何とかすることができなければ、死ぬことはできないだろう。少なくとも自分では無理だ。心安く死ぬこともできない。もしそれを目前にすればただひたすら怯えるだろう。死にたくない。
 いま店内ではビートルズのオプティミスティックな『I wanna hold your hand』がかかっている。誰かの手を握ることで、この不条理を握り潰してしまえるといいとは思う。

無意味なアドバイス

無意味なアドバイス

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-27

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