ノーバディパーフェクト

 姉の部屋ではいつも音楽が流れていた。ロックが大半だったがポップスやクラシックが流れることもあった。
 曲に合わせて姉が歌うことがあった。姉の歌声は綺麗だった。音楽の成績も5段階評価なら5しかとったことがなかったらしい。ただ英語が苦手らしく、人前で洋楽を口ずさむことは決してなかった。
 一度だけ姉が洋楽を歌っているところを聴いたことがある。あれは事故だったし、あのことについて姉に触れたことは一度もない。その日は木曜日だったのだが、時間割変更があって普段より一時間早く帰れた。家で姉と人生ゲームをしようと(その頃俺は人生ゲームに人生を捧げる勢いでハマっていた。)ランドセルを背負って家へと走った。二階に上がると、姉は部屋で一人音楽を聴いていた。いつもと同じ光景だったが空気が確実にいつもと違った。姉は一人椅子に腰かけよく聴いていたマドンナのアルバムのメロディーをハミングしていた。発音は不明瞭だったが、ノーバディパーフェクトと言っていたようだった。姉の歌声は普段も細くて儚いところがあったがその日の声は力なくぶつ切りのラジオみたいだった。決定的だったのは姉の表情で、彼女の顔は悲しんでいるだとか沈んでるだとか通り越してまるで感情が無かった。目と鼻と口は張りぼてののっぺらぼうのようで、俺は見てはいけないものを見たような気分だった。
 姉はそのとき俺に見られていたとは気づいていないように見えたが、見られていたことを認めるのが嫌で気づいてないふりをしていただけかもしれない。でも姉はいつもぼんやりしていて、姉の部屋でも静かに部屋に入ったら声をかけない限り10分も20分も気づかないような女だったから、単純に気づいていなかったかもしれない。
 ノーバディパーフェクトをハミングしていた次の日、姉は置き書きを残して家から消えた。俺が小四で姉が大学の二回生だったときの話だ。手紙には、部屋に残した漫画やゲームなど所持品はは全部智也にあげます。としか書かれていなかった。その手紙を読むまで俺は所持という言葉を知らなかったので、成人した今でも所持、という熟語を目にする度姉の手紙が想起される。姉の部屋には、しかし言うほどの本やゲームは無かった。CDだけが山のように積まれていた。
 その日から俺は姉の所持していたCDデッキを借り、姉の所持していたCDを聴きふけった。姉がハミングしていたあの歌は『MUSIC』というアルバムに収められた曲だった。後に中学校に上がり、英語を勉強するようになって姉のハミングしていたフレーズの意味を知った。
 完璧な人なんていない。
 その頃になると俺の体内は音楽で満たされていた。授業中はミスチルが鼓膜をリフレインし、昼休みはビートルズを口ずさんだ。部活は軽音部に入るつもりだったが軽音部がない学校だったので部活は諦めた。俺は一人身一つで音楽をやっていくことにした。楽器は弾けなかったが、俺には歌声があったから別に構わなかった。どこにいるか分からない姉が唯一残した財産。俺は目いっぱい歌った。誰もいない帰り道、放課後の茜空に向かって目いっぱい歌うと、姉がどこかで聴いてくれてるような気がしたし、そう思うことは俺にとって大変嬉しいことだった。だから歌い続けた。

ノーバディパーフェクト

ノーバディパーフェクト

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2014-05-25

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