僕たちはメシアだ!③高校生編
青春(?)ドラマ③
――キリスト教は好きではない。
与えられた物語を疑うことなくただ信じろと強要してくるからだ。
信じる者は皆平等。信じないものは排斥される。思考の余地は一切許されない。
それに、未来とか死後に救いを求める考え方も嫌いだった。今を耐え忍ぶことで将来が救われるなんて考え方、吐き気がする。
僕が償いたい罪は未来や死後の世界のためなんかじゃない。
精神病棟でニーチェの本を読んで、キリスト教に対する批判を読んだ時は心の底から共感したものだ。
キリスト教の害意を認めながらも信仰を続けたウィトゲンシュタインには、もっと共感した。
理屈抜きで盲目的になにかを信じたい気持ちが理解できたから……かもしれない。
ちょうど、今の僕のように。
◆
僕は地元から引っ越して、都内(といってもベッドタウン。畑や田んぼや小川など、風景は田舎そのもの)にある私立高校へ入学した(親は離婚した。勘当されたにも関わらず、僕は父親に引き取られた。理由はわからないが、興味もなかった)。
入学先は精神病院が紹介した高校。
一般の生徒もいるが、ハンデがあると判断された生徒の枠が広い学校だった。
とはいえ、僕はいたって正常――定義にもよるが――のため、一般の生徒と共に授業を受けたし、カフェテリアで学友と食事もした。
中学の頃のような罪の償い方は、もうやめた。
ビビったわけではない。あんなことをして他人に蔑まれても、自分の心がこれっぽっちも痛まなくなってしまったからだ。
「そこだぁ木宮! 思いっきり飛び降りてしまえ~っ!」
僕には、別の償い方が必要だった。
「おっし、まかせてください!」
――夏休み、夕暮れ時の学校。僕は屋上からダイヴした。
飛び降りろと僕に命じた彼女は、映画研究部の部長……と言っても同学年の女子生徒なのだが、僕は彼女と共に映画を撮ることになり、今はその練習中である。
部長――笠井 結菜さんは大のアクション映画好きで、ジャッキー・チェンとブルース・リーを崇拝している。
僕は部長に勧められ、ラッシュ・アワーやドラゴンシリーズにのめり込んだ。
最初こそ部長と話題を合わせるために映画を観ていたにすぎなかったが、次第に紹介されずとも、僕は好んで映画を観るようになっていった。
……中でも、僕はブルース・リーに心を惹かれた。
僕と部長の会話と言えばブルース・リー談義、互いに付け焼刃のなんちゃってジークンドーで遊んだり、中華街で部長が買ったヌンチャクを使って遊んだり、空手の胴着を着てチャック・ノリス(僕)VSリー(部長)を再現したりと、放課後の屋上で毎日のように騒いでいた。
映画研究部のメンバーは僕と部長の二人だけだった。
本来なら部の規則で四人以上部員がいなければ部として認められないが、僕らにはハンデという武器があったので、二人でも部活を結成することが許された。
特に、部長のハンデはかなり考慮されたようだ。
◆
部長は……とにかく小さくて可愛い。よく小学生と間違えられるとか、なんとか。
セミロングの髪を太陽のように明るい金髪に染め、髪以上に明るい無邪気な笑顔をいつも僕に向けてくれる。
靴下は履かず、登下校以外の時はいつも裸足。胸を大きく開いたブラウス(胸はそんなにない。ブラもしていないようだ)とヒラヒラのスカートを揺らしながら、誰もいない屋上で僕と一緒に走り回るのが日課。
どうも、彼女は幼少時代に事故に遭い、体の成長が著しく遅くなってしまったらしい。
同時に精神にも退行が見られるようになったらしいが、回復傾向にあると笑顔で話していた。
ちなみに、映画部での僕の役割はもっぱらスタントマン。
今、屋上から飛び降りて樹齢百年を超えているゆりの木に飛び移ろうとしたが、着地失敗。
木がクッションになってくれたが、派手に落下して右腕をねんざした。部長は爆笑していて、僕も痛みに表情を歪めつつ唸りながら、爆笑した。
スタントマン……痛みを伴うこの役職は、罪を償うのに適していた。
部長はいつも無理難題を引っかけてくれるので、僕は喜んでそれを受け入れた。
保健室と担任の先生にはこっぴどく叱られたが、僕と部長は必死で笑いを堪えていた。
なんだか、なにもかもが楽しくて仕方がないのだ。
◆
――断言できる。
僕はこの時が、生きている中で一番楽しい時間であると。
一番満たされていた。一番幸福だった。
「木宮は本当に丈夫な体をしているのだなぁ」
満点の星空の下、僕と部長は畑ばかりの田舎のあぜ道を歩いていた。
「さすがに屋上から落ちれば死ぬかと思ったが……うん、よくぞ生きて帰って来た!」
幼児退行の影響なのかはわからないが、彼女はこんな風に独特な喋り方をする。
「僕はまだまだ死にません。やらなければならないことがたくさんありますから」
「その通りだ! 明日からは本格的な撮影に入る! 覚悟しておくんだな!」
「わかりました。でも、機材とかスタッフは揃っているんですか?」
「いつも使っている8ミリカメラだけあれば十分だ! スタッフは私一人で事足りる! 役者はもちろんお前だ、木宮!」
「なるほど……えっと、脚本は?」
「それも私が徹夜で書く! プロデューサー、監督、脚本、音声、音楽、編集……ぜんぶ私がやる! だからお前は好き放題に、楽しく、やりたいようにやれ!」
部長の提案は魅力的だった。
……なにより彼女という存在が、僕にとっては世界一魅力的に写った。
早い話が、僕は彼女を好きになっていた。
人間としても、一人の女性としても。
「なぁ、木宮は私が好きか?」
部長はいつもと変わらぬ無邪気な笑顔で、しかしほんの少し顔を赤らめながら、そう聞いてきた。
「はい。好きですよ」
迷うことなく、僕はそう返した。
「そっか。私もな、木宮のこと好きだ」
その笑顔の横に、一瞬『にぱっ』という吹き出しが見えた気がした。
「……ちなみに、それは友達として? それとも男として、ですか?」
「ん? 人を好きと言うのに、そんな小難しいジャンル区分があるのか?」
僕は呆気に取られて、言葉を失ってしまった。
「む? なにがおかしい? なぜ笑う? 私、変なこと言ったか?」
「いいえ、おかしくなんかありません。ただ、その通りだなって」
「その通りだと思うならなぜ笑う!? お前、私のことバカにしてないか!? あ、子ども扱いしてるんだろ!?」
「とんでもありません。部長を好きになることができて、僕は本当によかったです」
「はっはっは、木宮は嬉しいことを言ってくれるのだな! そういうところが好きだ!」
部長の笑顔につられたのか、僕の表情にも自然と笑顔がやって来た。
――おそらく、この瞬間が生きていて最も幸せな瞬間だった。
この時のために生まれてきたのだろうと、胸を張って宣言できた。
「じゃあ、今日で会うのはやめにしましょう部長。今までありがとうございました」
僕は、笑顔のまま言った。
「む? どうしたのだ、急に?」
「僕は映画研究部をやめます。今日で僕たちは終わりです」
「終わり?」
「ええ。僕はもうあなたに話しかけません。話しかけられても無視します」
「……? なぜだ?」
「あなたと一緒にいるのが疲れたからです」
心にも思っていない言葉を、僕は心臓の鼓動と共に吐き出していく。
「二度と僕に近づくな」
「な、なんで、そんなひどいことを言うんだ……?」
「うるせぇんだよ。それ以上喋るんじゃねぇバーカ」
「そんな汚い言葉、使わないでくれ……」
「だったら早く僕の前から消えろ。ほら、どっか行けよ」
強い口調でそう言っても、部長は唖然としたまま立ち尽くしているだけだった。
仕方がないので、僕は部長に背中を向け、さっさとその場をあとにして帰路へついた。
――心臓がバクバクと、破裂しそうなぐらいに震えていた。
涙は留まることを知らず滝のように流れ、声を上げずにはいられなかった。
いくら押し殺そうとしても、吐き気と共に嗚咽が押し寄せてくる。
……そうやって、僕は最高の幸福を自ら捨てた。
僕のような罪人が幸福を感じることなど許されない。これが、僕の新たな償いだ。
片腕を失ったような尋常ではない失望感を抱えながら、僕はベッドの中で朝まで泣いた。
◆
翌朝、部長は学校に来なかった。
さらに三日経っても、部長は学校に来なかった。
彼女とはクラスが違っているので、僕はいつも隣のクラスの生徒に彼女の欠席の報せを聞きに行っていた。
体調不良ということらしいが……それが四日目になると、僕の心に一つの不安の種が植えつけられる。
種はすぐに成長し……やがて、伊藤さんが教室から飛び下りたビジョンが頭の中で広がっていった。
一日に何度も隣のクラスを訪れたからか、それとも同じ部活ということを考慮されてか、もしくはハンデを背負ったもの同士ということを考えてのことか……隣のクラスの担任教師は、プリントが数枚入ったクリアファイルを僕に渡し、時間があれば見舞いに行ってやってくれと頼んできた。
僕は迷いながら……しかし、伊藤さんのビジョンを捨てきることができなかったので、部長の家に向かうことにした。
◆
畑と林ばかりの小さな町であるため、部長の家を見つけるのにそこまで苦労はしなかった……というより、僕の家のすぐ近くだった。
笠井、と書かれた表札のある和風の二階建て一軒家の前に辿り着いた僕は……インターホンを押さず、ただ黙々とその家を見上げていた。
……親はいるのだろうか?
部長は自分の家のことを全然話さなかったけど、さすがに一人暮らしということはないだろう。彼女の親に会ったら、僕はなんと言えばいいのだろう?
……普通に謝ればいいのだろうか?
もし僕のことで寝込んでいたとしたら……そんなことで許してもらえるとは思えない。
「……いや、考えすぎか」
僕のことで部長が心を痛める?
今まで生きてきて、僕のしてきた行為で本当に心を痛めて涙を流した人なんて、一人もいないはずだ。
僕なんか、所詮いてもいなくてもいい存在価値のない生き物だ。
僕の行為は全てが愚かで、迷惑で、最低というだけで……でも、それが自分にとっては必要なことで。
――ああ、そんなことを考えていたら、もう夜になってしまった。
ずいぶん長い間、ここに立ち尽くして……
「木宮……?」
背後から突然聞こえた声に、僕は思わず悲鳴を上げてしまった。
そこには、金髪の小柄な少女……憔悴しきって以前のような覇気が一切感じられない、彼女がパジャマ姿で立っていた。
「木宮……木宮あぁ!」
部長は僕の名を叫びながら、サンダルを脱ぎ捨て思いっきり胸に突進してきた。
「なんでだ、木宮ぁ! なんであんなこと言ったんだぁ!?」
彼女は……泣いていた。
――あれ? どうして、彼女は泣いているんだ?
「私といるのが、イヤなのか……?」
そういえば、以前にもこんなことが……
「私といるのは……疲れるのか……?」
「……そんなこと、ない」
「だったらぁ!」
彼女を裏切って、このうえない苦痛を味わって……
それを贖罪とするはずだったのに。
「だったら、なんであんなこと言ったんだ……なんで私にウソなんか言ったんだぁ!?」
なにが起こっている? どうして彼女は泣いているんだ?
いや、わかっている。僕が……僕が泣かせたんだ。
「ごめん」
彼女を裏切るはずだったのに、僕は……なぜ謝っているんだ?
僕は、彼女を……どうすればいいのだろう?
◆
「小学生の時、同級生を自殺に追い込んでしまったんだ。だから、罪を償いたかった」
僕は今までしてきたことを、全て彼女に話してしまった。
自分の罪を償うために、その時その時で自分が最も辛いことをしてきたこと。
だが、次第に辛いことが一つもなくなってきてしまった。罪を償うことができなくなってしまった。
苦痛が欲しかったのに、なにをしても苦痛を得ることができなくなってしまったこと。
「部長と会って、今までで一番楽しくて幸せで。そんな日々を捨てたら、間違いなく僕は苦痛を感じる。実際、死ぬほど苦しかった」
――でも、こんなはずじゃなかった。
「……バカ。それが、私を傷つける理由になるのか……?」
彼女がここまで傷つくなんて、思っていなかった。
「すっごく辛かったんだぞ……? 胸がチクチクして、涙が止まらなかったんだ……」
「……ごめんなさい」
彼女がこんなにも、僕のことを……
「謝るくらいなら……最初からあーいうこと、言うな……」
「……でも、僕もどうすればいいかわからないんだ。部長との関係を捨てて苦痛を感じて、罪を償うはず、だったのに……」
「…………だったのに、なんだ?」
「いや……」
その先の言葉を、僕は口にすることができなかった。
「僕のせいで泣いた人を見たのは、部長で二人目だ」
「お前の知らないところで泣いていたかもしれないぞ? パパとかママとか」
「両親はクズみたいな人達だったからどうでもいいんだ。でも部長はクズじゃない。僕がこれまで会ってきた人達の中で、一番綺麗で楽しい人だから」
だからこそ、彼女を自分から切り離そうと思った。
なのに……わからなくなってしまった。
「なぁ、木宮……お前のやってきたことは、本当に贖罪なのか?」
部長は小さくて真っ白な両手で、僕の右手をぎゅっと握りながら言った。
「お前は死んでしまった同級生のために罪を償いたいんじゃなくて、自分が救われたいだけなんだ。その子のことなんて、きっとこれっぽっちも考えていないんだ」
彼女の言葉を認めるわけにはいかなかった。
今までの償いが全て無駄になってしまうから。
「うん。そうなんだと思う」
だというのに、部長の言葉はすんなりと僕の胸に堕ちていった。
「本当は気が付いていたんだ。僕はただ自分が許せないだけで、ただ彼女の死を利用して自分を満たそうとしているだけなんだって。罪の意識を感じないような連中よりも、僕の方がよっぽど最低な人間なんだよ。きっと、そういう自分が許せなくて、僕はずっと自分を追い込んできたのかも」
「木宮、もういいよ」
「誰かに指摘されるのをずっと待っていたのかもしれない。今までのことは全部無駄で、卑劣なことだって認めてほしかったのかもしれない」
「そんなことないよ、木宮」
「僕は、どうすればよかったのかな……?」
なにをすればいいのか、どこへ向かえばいいのか……僕には、なに一つわからない。
◆
「……木宮。お前はどんな人間になりたいんだ?」
「僕は……普通の人間になりたいんだと思う。それなりに楽しくて、それなりに満足して、それなりに優しい。そんな普通の人間になりたいんだと思う」
「今のお前は、どんな人間だ?」
「人間ですらないと思う。僕は人の命を奪うことで、人の価値を否定するという罪を背負ったんだ。だから僕は人間じゃないのかも」
「じゃあ、お前は何者だ?」
「多分、亡霊……罪を償って、人間になりたい亡霊みたいなもの」
部長の問いに、僕は間を置くことなく答えることができた。
「亡霊から人間になるために、お前は罪を償いたいのか?」
「うん。だから、全部自分のためなんだ。罪なんて、これっぽっちも償っちゃいなかった」
「木宮。もし、目の前に死んだはずの彼女がナイフを持って現れて、お前を刺そうとしたらどうする?」
「迷わずに刺されると思う」
部長の問いに答えることで、僕は正体不明である自分自身のことを、ほんの少しだけ知ることができた。
「木宮。もし、目の前に死んだはずの彼女が包丁を持って現れて、お前の元クラスメイトを刺そうとして……その元クラスメイトが彼女から逃げようとしたら、どうする?」
「そいつを捕まえて、彼女に殺させると思う」
自分がそういう風に思っていたことに、なにより僕自身が驚いていた。
「木宮は、罪を償おうとしない人達が許せないんだな」
そこで、ようやく僕は言葉を失った。
しばらく考えてから、僕は……
「許せないのかはわからない。ただ、彼女のことに対して無関心を装ってのうのうと生きるような人間にはなりたくない。僕みたいな最低の人間でも、罪を償おうとすることはできるんだ。彼女の死に関わった人達は皆、僕と同じかそれ以上の気構えがなきゃいけないと思う。でも現実はそうじゃない。皆、彼女をいじめたことを忘れようとする。覚えていても否定しようとするんだ。それが許せないのかも……とにかく、僕は過去から逃げるような人間にはなりたくない」
「自分が特別でありたいんだな、木宮は」
「……うん、そうなんだと思う。全て自己満足のためなんだ。やっぱり僕は彼女のことなんかこれっぽっちも考えていない。彼女の死を理由に聖者ぶって、周りとは違うんだって優越感に浸りたいだけなんだ。そんなの、彼女のことを忘れることよりも、彼女をいじめたことを否定することよりも最悪なことじゃないか……」
そう、僕は……最低で最悪な人間だ。
「そうか……やっとわかった。伊藤さんにバケツの水を掛けろと言われた時、僕がどうするべきだったか……」
「木宮。きっと、それは違う」
「いじめに加担するか、刃向うか……もちろん僕に刃向う勇気はなかった。なら、いじめに加担しない方法はたった一つ……僕だ。僕が死ねばよかった」
「違うよ、木宮」
「違わない……っ! 僕が死ねば伊藤さんは死ななかったかもしれない! 僕は自分と彼女の命を秤にかけて、自分の命を選んでしまった卑怯者なんだ! 他人の命なんてどうでもいいって思っていたんだ!」
「他人の命をどうでもいいと思っているヤツは、自己満足のためだとしても贖罪なんかしないよ」
「……僕を励まさないでくれ。部長に優しい言葉を掛けられる価値なんて、僕には」
「いいから、聞け」
部長は僕の体を勢いよく押し倒した。
「お前はな、他人を恐れているだけなんだ」
土のクッションで痛みはほとんどなかったが、突然の状況に僕は動揺していた。
「他人を恐れながら、常に他人より優れた人間でありたいと考えている。しかも、その欲望には限度がないときた。自分の尺度で他人のすることを非難して、たいした理由もなく自分が正しいと思い込む。それがお前だ」
僕の上に馬乗りになりながら、部長は瞳を潤ませながら続けた。
言葉には……怒りの感情が混じっていた。
「でもな、木宮。私も同じだ。私だけじゃない。人間として生まれたからには、それが当たり前なんだ。この世界の人間は、みんな自分勝手でエゴイストな生き物なんだ」
「そんなことはない……部長みたいに、見返りを求めないで僕を励まそうとしてくれる人だっている」
突然、頬に痛みが走る。
「本当にバカだな、お前は!」
叩かれたのだと気付いたのは、数秒経ってからだった。
「いいか、よく聞け。今、こうして怒鳴っているのも、お前が苦しんでいるのが見たくないって私のエゴなんだぞ! 本当はお前のことなんてこれっぽっちも考えてない! お前の心を癒して、お前にもっと私を好きになってほしいと思ってやってることなんだぞ!」
部長の熱い涙が、ポタポタと僕の頬や唇に落ちてゆく。
「それのなにが悪い!? 見返りを求めてなにが悪い!? 木宮、お前は私のやっていることが下劣だと思うか!? 卑劣だと思うか!?」
部長はそのまま僕の胸に顔をうずめ、また泣き出した。
泣きながら、僕の胸を何度も叩いていた。
僕は部長の背中に腕を回し……そうやって、しばらく抱き合った。
◆
「部長。ごめん」
「…………なにに謝っているんだ?」
「泣かせちゃってごめん。二回も」
「……二回どころじゃないぞ。お前が私を見捨ててから、何回泣いたと思ってるんだ……」
「ごめん……全部僕のせいだ」
「でも……許してやる。お前にこれ以上、罪なんて背負ってほしくないからな」
「ありがとう。その、落ち着いた……?」
「……ん、落ち着いた」
だが、部長は僕に体を預けたまま動く気配はない。
「部長。僕は……これからどうやって罪を償えばいいんだろう? 死んだ人のためにできることなんて、あるのかな?」
「……あるぞ。一生、罪悪感に苛まれ続けることだ」
「ずっと亡霊でいればいいってこと?」
「そうだ。人間になりたいと渇望しながら、人間になることのできない、可哀想で空っぽな亡霊でいつづけるんだ」
「……自信がないよ。何年もすれば、他の人達みたいにいつか彼女のことを忘れてしまうかもしれない。人間って忘れてしまえる生き物だから」
「忘れてしまえば楽になれるぞ?」
「僕は絶対に忘れたくない。彼女の命が奪われたという事実を、この世界から消したくない」
「……わかった。それなら、私に考えがある」
部長は目をごしごしと擦りながら、その場から立ち上がる。
「木宮。世界を変えてみないか?」
僕を見下ろし、微笑みながら……彼女はそう口にした。
「彼女の存在をこの世界から消したくないと言ったな。つまり、この世界は罪を消そうとする世界だということだ。お前の背負った罪も、いつか消してしまう世界だということだ。それは優しい世界なのかもしれないが、同時に非道な世界でもある。なら、もう世界を変えるしか方法はない」
部長は鼻水をズズっと勢いよく吸い込み、真っ赤な瞳で笑いながら、僕に手を差し伸べた。
「私と一緒に世界を変えよう。罪を忘れることのできない世界に変えよう。きっと、そこには楽しい世界があるはずだ」
「楽しい世界……?」
「木宮。私はな、お前が楽しいと感じるモノを、なんでも知っているんだぞ」
「…………」
僕は――
迷うことなく、その手を握った。
◆
伊藤さんのためにできること……それは、この世界を伊藤さんの死が忘れ去られることのない世界に変えること。
本当にそんなことができるのだろうか? どうやって変えればいいのだろうか?
もちろん、疑問は尽きない。
「それと、私のことはもう部長と呼ぶな。結菜と呼べ。わかったな?」
でも、僕は部長の笑顔に得体の知れない怪物を……いや、神性を見た。
きっと、部長と一緒なら世界を変えることができるのだろう。
部長……結菜を信じることが、僕にとっての救いに違いない。
救いを指し示す存在……神。
僕は、キリスト教への不信感を改めた。
「二年後だ。二年後、私はお前に一つの問いかけをする」
しかし、僕の神はキリストではなく……この金髪の小さな少女、笠井 結菜だ。
「お前はその問いかけに正直に答えるのだ。それがお前の……」
彼女を神であると。
預言者であると定めた僕の判断は、やはり……間違いではなかったらしい。
僕らは、本当に世界を変えてしまったのだから。
僕たちはメシアだ!③高校生編